紅白歌合戦に登場した歴代野球選手まとめ

 いよいよ3月25日で、2022年のプロ野球ペナントレースも開幕となります。

 今年はどのチームが日本一になるのか、誰が活躍するでしょうか。例年同様今日から約半年、各チームのファンにとっては手に汗を握る一日を多く過ごすことは間違いないでしょう。

 さて、ここは紅白歌合戦を取り扱っているホームページでもあります。さすがに活躍した選手や監督が紅白のゲスト審査員に選ばれて欲しい、と願うファンはごく少数だと思いますが、紅白歌合戦では数多くの野球関係者が審査員に限らずゲスト出演しています。今回はそのまとめを作ってみました。

歴代野球関係者のゲスト審査員

 とりあえずまずは表にします。単に紅白としてのデータではなく、出演した年に残した成績も盛り込んでみました。

出演回選手/監督所属チーム(当時)ポジションチーム順位成績タイトル/注釈
第7回
(1956年)
小西得郎(NHK専属)解説者(1950年初代セリーグ優勝監督)
第8回
(1957年)
金田正一国鉄スワローズ投手4位28勝16敗
防1.63
ベストナイン(投手)
沢村賞
最優秀防御率
最多勝
完全試合達成
第9回
(1958年)
水原円裕読売ジャイアンツ監督1位セリーグ優勝2リーグ分立後初の4年連続優勝
第11回
(1960年)
秋山 登大洋ホエールズ投手日本一21勝10敗
防1.75
MVP
ベストナイン(投手)
最優秀防御率
最高勝率
日本シリーズMVP
第13回
(1962年)
山内一弘大毎オリオンズ外野手4位.334 18本 72点ベストナイン(外野手)
第14回
(1963年)
中西 太西鉄ライオンズ内野手
監督
1位.282 11本 26点
パリーグ優勝
14.5ゲーム差を逆転しての優勝
第18回
(1967年)
西本幸雄阪急ブレーブス監督1位パリーグ優勝球団創設以来の初優勝
第19回
(1968年)
江夏 豊阪神タイガース投手2位25勝12敗
防2.13
沢村賞
最多勝
シーズン401奪三振のプロ野球記録樹立
第20回
(1969年)
鶴岡一人(NHK専属)解説者(南海ホークス監督を前年に辞任)
(監督として優勝11回・歴代最多勝を記録)
出演回選手/監督所属チーム(当時)ポジションチーム順位成績タイトル/注釈
第26回
(1975年)
古葉竹識広島東洋カープ監督1位セリーグ優勝球団創設以来の初優勝
第27回
(1976年)
川上哲治(NHK専属)解説者(前年に読売ジャイアンツを退団)
(監督として優勝11回・9年連続日本一を記録)
第28回
(1977年)
上田利治阪急ブレーブス監督日本一日本一V9以来史上2度目の3年連続日本一を達成
第29回
(1978年)
山本浩二広島東洋カープ外野手3位.323 44本 112点ベストナイン(外野手)
ダイヤモンドクラブ賞(外野手)
本塁打王
王貞治とのホームラン王争いを制する
第30回
(1979年)
古葉竹識広島東洋カープ監督日本一日本一球団創設以来初の日本一を達成
第31回
(1980年)
木田 勇日本ハムファイターズ投手3位22勝8敗4S
防2.28
MVP、新人王
ベストナイン(投手)
ダイヤモンドクラブ賞(投手)
最優秀防御率
最多勝
最高勝率
第32回
(1981年)
石毛宏典西武ライオンズ内野手4位.311 21本 55点新人王
ベストナイン(遊撃手)
ゴールデンクラブ賞(遊撃手)
第33回
(1982年)
広岡達朗西武ライオンズ監督日本一日本一正力松太郎賞
西武ライオンズ初の日本一を達成
第34回
(1983年)
田淵幸一西武ライオンズ内野手日本一.293 30本 71点正力松太郎賞
日本シリーズ優秀選手
第35回
(1984年)
衣笠祥雄広島東洋カープ内野手日本一.329 31本 102点MVP
ベストナイン(三塁手)
ゴールデンクラブ賞(三塁手)
打点王
正力松太郎賞
第36回
(1985年)
吉田義男阪神タイガース監督日本一日本一正力松太郎賞
2リーグ分立後初の日本一を達成
第37回
(1986年)
清原和博西武ライオンズ内野手日本一.304 31本 78点新人王
オールスターMVP
日本シリーズ優秀選手賞
第38回
(1987年)
近藤真一中日ドラゴンズ投手2位4勝5敗0S
防4.45
プロ入り初登板・巨人戦でノーヒットノーラン達成
第39回
(1988年)
森 祇晶西武ライオンズ監督日本一日本一史上3回目の3年連続日本一を達成
出演回選手/監督所属チーム(当時)ポジションチーム順位成績タイトル/注釈
第40回
(1989年)
斎藤雅樹読売ジャイアンツ投手日本一20勝7敗0S
防1.62
沢村賞
ベストナイン(投手)
最優秀防御率
最多勝
第41回
(1990年)
渡辺久信西武ライオンズ投手日本一18勝10敗0S
防2.97
最多勝
ゴールデングラブ賞(投手)
日本シリーズ優秀選手賞
第42回
(1991年)
秋山幸二西武ライオンズ外野手日本一.297 35本 88点正力松太郎賞
ベストナイン(外野手)
ゴールデングラブ賞(外野手)
日本シリーズMVP
第43回
(1992年)
野茂英雄近鉄バファローズ投手2位18勝8敗0S
防2.66
最多勝(3年連続)
最多奪三振(3年連続)
第44回
(1993年)
野村克也ヤクルトスワローズ監督日本一日本一正力松太郎賞
15年ぶりにチームを日本一に導く
第44回
(1993年)
古田敦也ヤクルトスワローズ捕手日本一.308 17本 75点MVP
ベストナイン(捕手)
ゴールデンクラブ賞(捕手)
第45回
(1994年)
イチローオリックス・ブルーウェーブ外野手2位.385 13本 54点MVP
ベストナイン(外野手)
ゴールデンクラブ賞(外野手)
首位打者
最高出塁率
正力松太郎賞
史上初のシーズン200本安打を達成
第46回
(1995年)
古田敦也ヤクルトスワローズ捕手日本一.294 21本 76点MVP
ベストナイン(捕手)
ゴールデンクラブ賞(捕手)
第46回
(1995年)
原 辰徳読売ジャイアンツ内野手3位.201 6本 15点この年を最後に現役引退
翌年からNHK解説者に
第47回
(1996年)
仰木 彬オリックス・ブルーウェーブ監督日本一日本一正力松太郎賞
阪急時代以来19年ぶりにチームを日本一に導く
第48回
(1997年)
佐々木主浩横浜ベイスターズ投手2位3勝0敗38S
防0.90
最優秀救援投手
第51回
(2000年)
長嶋茂雄読売ジャイアンツ監督日本一日本一ON対決を制して6年ぶりに日本一を達成
第51回
(2000年)
佐々木主浩シアトル・マリナーズ投手西地区2位
アリーグ準優勝
2勝5敗37S
防3.16
MLB新人王(日本人としては2人目)
出演回選手/監督所属チーム(当時)ポジションチーム順位成績タイトル/注釈
第53回
(2002年)
高橋由伸読売ジャイアンツ外野手日本一.306 17本 53点ゴールデングラブ賞(外野手)
第54回
(2003年)
星野仙一阪神タイガース監督1位セリーグ優勝正力松太郎賞
18年ぶりにチームを優勝に導く
この年限りで監督を退任
第55回
(2004年)
和田一浩西武ライオンズ外野手日本一.320 30本 89点ベストナイン(外野手)
日本シリーズ優秀選手賞
アテネ五輪日本代表
第57回
(2006年)
田口 壮セントルイス・カージナルス外野手世界一.266 2本 31点日本人で初めてワールドシリーズ制覇メンバーとなる
第58回
(2007年)
岡島秀樹ボストン・レッドソックス投手世界一3勝2敗5S
防2.22
オールスター選出
日本人で初めてワールドシリーズに投手として登板
第60回
(2009年)
原 辰徳読売ジャイアンツ監督日本一日本一正力松太郎賞
WBC監督としてもチームを世界一に導く
第62回
(2011年)
田中将大東北楽天ゴールデンイーグルス投手5位19勝5敗0S
防1.27
沢村賞
ベストナイン(投手)
ゴールデンクラブ賞(投手)
最多勝
最優秀防御率
正力松太郎賞
第64回
(2013年)
田中将大東北楽天ゴールデンイーグルス投手日本一24勝0敗1S
防1.27
MVP、沢村賞
ベストナイン(投手)
ゴールデンクラブ賞(投手)
最多勝
最優秀防御率
正力松太郎賞
翌年以降MLBでプレー
第67回
(2016年)
大谷翔平北海道日本ハムファイターズ投手日本一10勝4敗0S
防1.86
.322 22本 67点
MVP
ベストナイン(投手・指名打者)
投手と打者の二刀流として活躍
第73回
(2022年)
村上宗隆東京ヤクルトスワローズ内野手1位.318 56本 134点MVP
ベストナイン(三塁手)
首位打者 本塁打王 打点王
正力松太郎賞
日本人歴代最多のシーズン56本塁打を記録
史上最年少の三冠王
史上初の5打席連続本塁打を記録

 近年は審査員として起用されるケースが一気に減りましたが、1970年代中盤~2000年代まではほぼ毎年のように選出されていました。基本的には日本一もしくはリーグ優勝のチームから選出されますが、際立った成績を残した選手はそれ以外の場合でも出演するケースがあるようです。あとは出演のない方々も含めて考えると、メディア受けしてオフのテレビ番組出演が比較的多い人が選ばれやすい傾向もあるようです。

 21世紀以降はNPBよりもMLBが重視されているようで、結果論ではありますが田中選手と大谷選手もその後MLBで大活躍する形になりました。近年は大谷選手以外MLBにおける日本人の活躍がもうひとつなので、そこが紅白歌合戦で見られない理由として挙げられるのかもしれません。

歴代野球関係者のゲスト出演

 次に、審査員以外で紅白歌合戦に出演したケースをまとめました。

出演回選手/監督チームチーム成績出演理由内容
第27回
(1976年)
王 貞治読売ジャイアンツセリーグ優勝ベーブ・ルースを抜く通算716本塁打達成白組応援ゲスト
716号達成の瞬間を生で再現
第28回
(1977年)
王 貞治読売ジャイアンツセリーグ優勝世界記録の通算756本塁打達成特別ゲスト
視聴者に挨拶
第28回
(1977年)
山田久志
山口高志
阪急ブレーブス日本一エース(山田)、ストッパー(山口)として大活躍白組応援ゲスト
桂三枝とブロックサインで白組応援
第29回
(1978年)
角富士夫
船田和英
若松 勉
ヤクルトスワローズ日本一球団創設初の日本一メンバー紅組応援ゲスト
浅茅陽子が背番号を語呂合わせして紅組応援
喋る場面無し
第30回
(1979年)
掛布雅之阪神タイガース4位セリーグ本塁打王白組応援ゲスト
ホームラン競争の白組側選手として出演(紅は桂三枝)
第30回
(1979年)
衣笠祥雄
高橋慶彦
木下富雄
萩原隆雄
広島東洋カープ日本一球団創設初の日本一メンバー白組応援ゲスト
ダジャレと餅で白組応援(萩原選手のみ紅を応援)
出演回選手/監督チームチーム成績出演理由内容
第40回
(1989年)
川上哲治(NHK専属)解説者昭和の語り部スピーチゲスト
プロ野球の賞品の歴史などを語る
第43回
(1992年)
王 貞治(NHK専属)解説者昭和のテレビを象徴するスポーツ選手テレビ40年記念特別ゲスト
大鵬幸喜とともに司会者からインタビュー
第49回
(1998年)
川上憲伸中日ドラゴンズ2位セリーグ新人王受賞スポーツヒーローショーゲスト
選手としての意気込みを一言話す
第49回
(1998年)
小関竜也西武ライオンズ1位パリーグ新人王受賞同上
第50回
(1999年)
王 貞治福岡ダイエーホークス日本一国民栄誉賞受賞のスポーツ選手伝説のスポーツヒーローショーゲスト
未来の子どもたちに向けたメッセージあり
山下泰裕、九重貢(元・千代の富士)と一緒に登場
第50回
(1999年)
松坂大輔西武ライオンズ2位高卒ルーキーで1年目からエースとして大活躍スポーツヒーローショーゲスト
選手としての意気込みを一言話す、後半オープニングも登場
第54回
(2003年)
松井秀喜ニューヨーク・ヤンキースリーグ優勝MLB1年目で攻守にわたり活躍中継ゲスト
自宅から家族揃って終始視聴者審査員として参加
第61回
(2010年)
田中将大東北楽天ゴールデンイーグルス最下位FUNKY MONKEY BABYS「あとひとつ」の
ジャケット・MVに出演
白組応援ゲスト
FUNKY MONKEY BABYSの曲紹介
第64回
(2013年)
上原浩治ボストン・レッドソックス世界一ワールドシリーズ制覇のチームで抑え投手として活躍映像ゲスト
映像企画コーナーで・相葉雅紀と対談
第65回
(2014年)
田中将大ニューヨーク・ヤンキース東地区2位ももいろクローバーZ「My Dear Fellow」を登場曲として使用ウラトークゲスト
後半の序盤に出演、ももいろクローバーZの曲紹介
第67回
(2016年)
黒田博樹広島東洋カープ1位大リーグから古巣復帰、チームを25年ぶり優勝に導く
この年を最後に現役引退
映像ゲスト
この後に歌唱する福山雅治「少年」についてコメント

 昭和では1970年代後半に選手の出演が積極的にありました。ただ王さん以外は現在の感覚だと「選手にこんなことやらせる?」「なぜわざわざ呼んだ?」とも思える使い方で、その後演出内容の変化もあって一旦出演は途絶えます。

 平成以降は前半はショーコーナーのゲストとして、後半は出場歌手の作品に関わるケースでの出演が主体となります。なお紅白に最も出演した野球関係者は王貞治田中将大の4回で、マーくんに関してはももいろクローバーZのメンバーより紅白に出演していると本人たちに話していたことがあるようです。

野球関係者ゲスト出演・チーム別まとめ

 最後に、NPBに限定してチーム別の紅白出演者をまとめました。1970年代の広島と黄金時代の西武は非常に多く、巨人も平成以降日本一になった年を中心に出演が多いです。

 一方低迷期の長いロッテは大毎時代の山内選手のみ、優勝が2回しかない大洋~横浜も2人のみです。中日も審査員・ゲスト1人ずつで少なめ、日本ハムも審査員で2回しかありません。オリックスは阪急の黄金時代やブルーウェーブ期に出演があるものの、2005年の合併後は出演ゼロの状態が続いています。

 意外なのはホークスで、近鉄を含む13球団で唯一審査員選出ゼロとなっています。1980年代~1990年代の低迷期だけでなく、日本一の多い近年からも全く出演がありません。1999年に王さんが出演した時もたまたま肩書が当時ホークスの監督だったというだけで、実質紅白歌合戦にもっとも縁の薄い球団となっています。

読売ジャイアンツ

出場回選手/監督順位ポジション出演形態
第9回
(1958年)
水原円裕1位監督審査員
第27回
(1976年)
王 貞治1位内野手応援ゲスト
第28回
(1977年)
王 貞治1位内野手特別ゲスト
第40回
(1989年)
斎藤雅樹日本一投手審査員
第46回
(1995年)
原 辰徳3位内野手審査員
第51回
(2000年)
長嶋茂雄日本一内野手審査員
第53回
(2002年)
高橋由伸日本一外野手審査員
第60回
(2009年)
原 辰徳日本一監督審査員

東京ヤクルトスワローズ

出場回選手/監督順位ポジション出演形態
第8回
(1957年)
金田正一4位投手審査員
第29回
(1978年)
角富士夫
船田和英
若松 勉
日本一内野手
内野手
外野手
応援ゲスト
第44回
(1993年)
野村克也日本一監督審査員
第44回
(1993年)
古田敦也日本一捕手審査員
第46回
(1995年)
古田敦也日本一捕手審査員
第73回
(2022年)
村上宗隆1位内野手審査員

横浜DeNAベイスターズ

出場回選手順位ポジション出演形態
第11回
(1960年)
秋山 登日本一投手審査員
第48回
(1997年)
佐々木主浩2位投手審査員

中日ドラゴンズ

出場回選手順位ポジション出演形態
第38回
(1987年)
近藤真一2位投手審査員
第49回
(1998年)
川上憲伸2位投手企画ゲスト

阪神タイガース

出場回選手/監督順位ポジション出演形態
第19回
(1968年)
江夏 豊2位投手審査員
第30回
(1979年)
掛布雅之4位内野手応援ゲスト
第36回
(1985年)
吉田義男日本一監督審査員
第54回
(2003年)
星野仙一1位監督審査員

広島東洋カープ

出場回選手/監督順位ポジション出演形態
第26回
(1975年)
古葉竹識1位監督審査員
第29回
(1978年)
山本浩二3位外野手審査員
第30回
(1979年)
古葉竹識日本一監督審査員
第30回
(1979年)
衣笠祥雄
高橋慶彦
木下富雄
萩原隆雄
日本一内野手
内野手
内野手
外野手
応援ゲスト
第35回
(1984年)
衣笠祥雄日本一内野手審査員
第67回
(2016年)
黒田博樹1位投手映像ゲスト

埼玉西武ライオンズ

出場回選手/監督順位ポジション出演形態
第14回
(1963年)
中西 太1位内野手/監督審査員
第32回
(1981年)
石毛宏典4位内野手審査員
第33回
(1982年)
広岡達朗日本一監督審査員
第34回
(1983年)
田淵幸一日本一内野手審査員
第37回
(1986年)
清原和博日本一内野手審査員
第39回
(1988年)
森 祇晶日本一監督審査員
第41回
(1990年)
渡辺久信日本一投手審査員
第42回
(1991年)
秋山幸二日本一外野手審査員
第49回
(1998年)
小関竜也1位外野手企画ゲスト
第50回
(1999年)
松坂大輔2位投手企画ゲスト
第55回
(2004年)
和田一浩日本一外野手審査員

千葉ロッテマリーンズ

出場回選手/監督順位ポジション出演形態
第13回
(1962年)
山内一弘4位外野手審査員

オリックスバファローズ

出場回選手/監督順位ポジション出演形態
第18回
(1967年)
西本幸雄1位監督審査員
第28回
(1977年)
上田利治日本一監督審査員
第28回
(1977年)
山田久志
山口高志
日本一投手
投手
応援ゲスト
第45回
(1994年)
イチロー2位外野手審査員
第47回
(1996年)
仰木 彬日本一監督審査員

福岡ソフトバンクホークス

出場回選手/監督順位ポジション出演形態
第50回
(1999年)
王 貞治日本一監督企画ゲスト

北海道日本ハムファイターズ

出場回選手順位ポジション出演形態
第31回
(1980年)
木田 勇3位投手審査員
第67回
(2016年)
大谷翔平日本一投手/外野手審査員

東北楽天ゴールデンイーグルス

出場回選手順位ポジション出演形態
第61回
(2010年)
田中将大最下位投手応援ゲスト
第62回
(2011年)
田中将大5位投手審査員
第64回
(2013年)
田中将大日本一投手審査員

大阪近鉄バファローズ

出場回選手順位ポジション出演形態
第43回
(1992年)
野茂英雄2位投手審査員

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