紅白歌合戦・ザ・ピーナッツの軌跡~データ&エピソード編~

 恒例となった紅白歴代歌手企画、今回は1960年代の大スター・ザ・ピーナッツを特集します。

 グループ歌手の元祖・和製ポップスの元祖・渡辺プロダクションの専属タレント第1号…、いわば日本の歌謡界・芸能界の源流にあたるグループです。世紀が変わり令和という元号に変わった現在でも、その伝統はしっかり受け継がれています。ザ・ピーナッツという名前を知らなくても、「恋のバカンス」「恋のフーガ」「モスラの歌」などはメロディーを聴けば知っていると答える人が多いのではないでしょうか。

 デビューした1959年から、引退する前年の1974年まで紅白歌合戦に連続出場。ここ最近はPerfumeが14年連続出場で少しずつ近づいていますが、それだけ16年連続出場はグループ歌手にとって高い壁になっています。

 したがってグループ歌手ならではの記録が非常に多いです。今回はその話題中心に書いていくことにします。

ザ・ピーナッツの紅白歌合戦エピソード

紅組史上初のグループ歌手

 第10回(1959年)の初出場は、当時から見るとおそらく異例づくめだったのではないかと思われます。

 まず歌手=ソロが当たり前だった時代に、彼女たちはグループとして初出場を果たします。これは紅組史上初でした。ちなみに白組も前年にダーク・ダックスが初出場、この年の和田弘とマヒナスターズが2組目の初出場という段階です。

 そのため第14回(1963年)までは原則グループはグループ同士の対決が組まれました。ただダークとマヒナがいる白組と比べて紅組は彼女たちしかおらず、第12回(1961年)のこまどり姉妹初出場まではソロ歌手が即席でグループを組んで歌うという形となっています。

 またレコードデビュー1年目での初出場も、当時異例のケースでした。前例は第7回(1956年)の山形英夫と第8回(1957年)の浜村美智子くらいで、以降もそれほど多くはみられません。

初期和製ポップスの第一人者

 1960年当時、ポップスは外国曲のカバーが一般的でした。日本の作曲家が作る楽曲は概ね歌謡曲で、演歌という言葉は当時ありませんでしたが、ポップスとは呼ばれていなかったように思います。

 第13回(1962年)で歌った「ふりむかないで」は岩谷時子作詞・宮川泰作曲。これは女性が歌う和製ポップス最初の大ヒットとされています。男性歌唱は中村八大が作曲した「上を向いて歩こう」「黒い花びら」が既にありましたが、第14回で和製ポップスと言える物は紅組だと「恋のバカンス」と梓みちよが歌う「こんにちは赤ちゃん」くらいでした。洋楽カバーではなく日本のオリジナルがポップスの主流になるのは、第18回(1967年)以降となります。

紅白初の演出をいくつも持ち込む

 第16回(1965年)の「ロック・アンド・ロール・ミュージック」は、レコードデビュー前のジャッキー吉川とブルーコメッツが演奏に参加しています。既に前年「恋をするなら」で橋幸夫が初めて専属バンドを持ち込んでいますが、紅組ではこれが初でした。またブルコメは翌年「青い瞳」で白組から、グループサウンズ・エレキバンドとして初めての出場となっています。

 第18回(1967年)の「恋のフーガ」は紅組歌手がティンパニの演奏で応援。確認できる限り、他の出場歌手が演奏で応援に参加するのはバンドを除くとこの時が初めてです。

 第19回(1968年)の「ガラスの城」のバックで踊るスクール・メイツは、この年紅白歌合戦初出場でした。

 第20回(1969年)の「ウナ・セラ・ディ東京」は宮川泰がゲスト指揮者として参加。この年の音楽担当の1人ではありますが、単独のステージで指揮を担当するケースはこれが史上初です。

 第21回(1970年)の「東京の女」は沢田研二が作曲、歌手として初出場する2年前にテロップで紅白初登場となります。この時既に伊藤エミはジュリーと交際中、1975年に引退直後結婚する形となりました。

16回連続出場は紅組グループ1位の記録

 デビュー年から引退前年まで、活動中は全ての年で紅白歌合戦に出場する形となりました。女性のみのグループでは現在も最多かつ唯一、白組を含めてもTOKIO(24回)とSMAP(23回)に次ぐ記録です。TOKIOもデビュー年から音楽活動終了の前年まで、24年連続出場でした。

 男女混合を含めても16回は紅組1位です。DREAMS COME TRUEが現在15回出場で、これに次ぐ形となっています。

 参考までに、5回以上紅白に出場した女性グループは以下の通りです。近年は大人数グループが増加していますが、長く出場し続けることがどれだけ難しいかはこの表を見るとよく分かるのではないかと思います。なお双子姉妹の出場は現在もザ・ピーナッツこまどり姉妹の例があるのみです。

歌手回数デビュー年初出場最終出場最多連続回数解散年
ザ・ピーナッツ16回1959年第10回
(1959年)
第25回
(1974年)
16年連続1975年
Perfume14回2008年第59回
(2008年)
第72回
(2021年)
14年連続活動中
AKB4812回2006年第58回
(2007年)
第70回
(2019年)
11年連続活動中
モーニング娘。10回1998年第49回
(1998年)
第58回
(2007年)
10年連続活動中
こまどり姉妹7回1959年第12回
(1961年)
第18回
(1967年)
7年連続活動中
乃木坂467回2012年第66回
(2015年)
第72回
(2021年)
7年連続活動中
櫻坂466回2016年第67回
(2016年)
第72回
(2021年)
6年連続活動中
MAX5回1995年第48回
(1997年)
第52回
(2001年)
5年連続活動中
E-girls5回2011年第64回
(2013年)
第68回
(2017年)
5年連続2020年

ザ・ピーナッツの紅白データ~16回分のまとめ

 主なデータではオリコンの売上を多く取り上げていますが、同社のランキング調査開始は1968年のためそれ以前のデータが存在しないことをご了承ください。

出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主なデータ主な受賞他の発売曲
第10回
(1959年)
18歳
情熱の花音羽たかし
(外国曲)
1959/9/XX紅組7番手/25組中・可愛い花
第11回
(1960年)
19歳
悲しき16才音羽たかし
(外国曲)
1960/4/XX紅組11番手/27組中・乙女の祈り
・月影のナポリ
第12回
(1961年)
20歳
スク・スク音羽たかし
(外国曲)
1961/7/XX紅組19番手/25組中・インファントの娘
第13回
(1962年)
21歳
ふりむかないで岩谷時子
宮川 泰
1962/2/XX紅組4番手/25組中・いつも心に太陽を
・手編みの靴下
・レモンのキッス
第14回
(1963年)
22歳
恋のバカンス岩谷時子
宮川 泰
1963/4/XX紅組トリ3つ前・日本レコード大賞編曲賞・若い季節
・東京たそがれ
第15回
(1964年)
23歳
ウナ・セラ・ディ東京岩谷時子
宮川 泰
1964/9/XX紅組トリ前・日本レコード大賞作曲賞・ジューン・ブライド
・マイ・ラヴ
第16回
(1965年)
24歳
ロック・アンド・ロール・
ミュージック
(外国曲)紅組21番手/25組中・かえしておくれ今すぐに
・あなたの胸に
第17回
(1966年)
25歳
ローマの雨橋本 淳
すぎやまこういち
1966/10/XX紅組16番手/25組中・愛は永遠に
・銀色の道
第18回
(1967年)
26歳
恋のフーガなかにし礼
すぎやまこういち
1967/8/10紅組トリ前オリコン週間最高26位・日本レコード大賞作詩賞・東京ブルー・レイン
第19回
(1968年)
27歳
ガラスの城なかにし礼
鈴木邦彦
1968/10/XX紅組6番手/23組中・恋のオフェリア
・恋のロンド
出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主なデータ他の発売曲
第20回
(1969年)
28歳
ウナ・セラ・ディ東京岩谷時子
宮川 泰
(2回目)紅組トリ3つ前・悲しきタンゴ
・哀愁のヴァレンティーノ
第21回
(1970年)
29歳
東京の女山上路夫
沢田研二
1970/7/1紅組3番手/24組中オリコン週間最高47位・男と女の世界
第22回
(1971年)
30歳
サンフランシスコの女橋本 淳
中村泰士
1971/10/1紅組18番手/25組中オリコン週間最高53位・大阪の女
・なんの気なしに
第23回
(1972年)
31歳
さよならは突然に山上路夫
鈴木邦彦
1972/9/10紅組11番手/23組中オリコン週間最高27位・リオの女
第24回
(1973年)
32歳
ウナ・セラ・ディ東京岩谷時子
宮川 泰
(3回目)紅組12番手/22組中・指輪のあとに
・情熱の砂漠
第25回
(1974年)
33歳
ブギウギ・ビューグル・ボーイ(外国曲)紅組20番手/25組中・気になる噂
・お別れですあなた

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