紅白歌合戦・五木ひろしの軌跡~ステージ編(1971~1988)~

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 前回の記事ではデータ編と称して、記録面について言及しました。今回は全50回にわたる五木ひろしの紅白のステージについて、一つひとつ振り返ります。なお見出しは前後の2ステージを掲載、下線を引いた紅組歌手が直接の対戦相手になっています。また曲紹介担当も記載しました(概ね白組司会ではあるのですが)。

 50ステージを1記事にまとめると果てしなく長くなるので、昭和の第22回(1971年)~第39回(1988年)と平成以降で2記事に分けました。

 あと今日はフムフムニュース様の記事から当ホームページに来て頂いた方もいらっしゃると思います。私の紅白歌合戦予想記事は少し前になるので、あらためてここでもリンクを貼らせて頂きます。

第72回(2021年)NHK紅白歌合戦出場歌手最新予想(紅組編・10/9版)とイントロダクション

第72回(2021年)NHK紅白歌合戦出場歌手最新予想(白組編・10/9版)

第72回(2021年)NHK紅白歌合戦各種予想(司会・ゲスト・演出他)

第22回(1971年)「よこはま・たそがれ」

作詞:山口洋子 作曲:平尾昌晃 前歌手:デューク・エイセス、青江三奈 後歌手:小柳ルミ子、はしだのりひことクライマックス 曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 レコードデビュー7年目、4つ目の芸名(松山まさる→一条英一→三谷謙)で念願の初出場。全日本歌謡選手権グランドチャンピオンを引っさげて、五木ひろしの名前で再デビューした楽曲が大ヒットしました。

 第22回の映像は中盤で乱れが激しいため、1990年代に多かった全編の再放送は一度もされていません。ただ全国各地の公開ライブラリーで前半・後半は見ることが出来て、このステージも全体を見ることは可能になっています。また、紅白歌合戦を特集する番組でも取り上げられる機会が非常に多いので、映像自体は見たことある人が多いかもしれません。紅白でも第65回(2014年)・第68回(2017年)・第71回(2020年)で当時の映像が流れています。

 この年は作曲家がゲスト指揮を務めることが多く、平尾昌晃が五木さんと次に登場する小柳ルミ子「わたしの城下町」で、2曲続けてタクトを振りました。既に布施明「恋」「愛の園」をヒットさせていた平尾さんは、この2曲が作曲家としての大出世作となります。ただ指揮としては明らかに曲と手の動きが合っていない様子でした。平尾さん自身も第57回以降で「蛍の光」を指揮した時に、本格的な指揮法を習得していない名誉職であることを認めています。

 曲紹介では故郷にいる母親の肉声が流されました。場内に出場歌手の家族の声が流れるのは、現在確認できる範囲ではこれが最古です。五木さんにとって母親が大きい存在であることは、31年後の紅白歌合戦のステージが証明しています。

第23回(1972年)「待っている女」

作詞:山口洋子 作曲:藤本卓也 前歌手:沢田研二、ちあきなおみ 後歌手:青江三奈、布施 明 曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 2回目の出場で早くもトリ2つ前に抜擢されました。

 「待っている女」は演歌色がほとんどないアップテンポの楽曲で、ポップスといった方が正確な内容です。前のシングル「かもめ町みなと町」は筒美京平の作曲、この年の五木さんはポップ色の強い楽曲が中心です。日本レコード大賞歌唱賞としてノミネートされた「夜汽車の女」も同系統でした。

 洋服を新調したという曲紹介、スパンコールのタキシードが目をひきます。にしきのあきら石橋正次上條恒彦ビリー・バンバン野口五郎青い三角定規沢田研二といった初出場組(にしきのさんは3回目ですが)が1本のマイクでコーラスを担当、人一倍声量のある上條さんの声だけが目立っています。

 あとは何と言っても五木さんの右手です。右拳を握りながら歌うのは、この曲が初めてでした。

 

第24回(1973年)「ふるさと」

作詞:山口洋子 作曲:平尾昌晃 前歌手:三波春夫、ちあきなおみ 後歌手:都はるみ、水原 弘 曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 この年日本レコード大賞受賞。ただ歌唱曲は受賞した「夜空」ではなく「ふるさと」でした。彼のふるさと・福井県美浜町からの電報を読み上げて曲紹介、その際にレコ大受賞がアナウンスされています。

 真っ白なスーツを着て歌唱。先輩歌手の水原弘が歌っている途中に、ピンクのレイを五木さんの首にかけます。舞台真ん中よりやや画面右側、白組歌手席寄りの立ち位置での歌唱、第31回までの紅白はステージによって立ち位置が画面左側(紅組)・右側(白組)になることは日常茶飯事でした。

 この映像は2007年、福井県を舞台にした連続テレビ小説『ちりとてちん』でも使用されました。おそらくその年に阿久悠の逝去がなかったら、紅白で歌われていたのではないかと思われます。

第25回(1974年)「浜昼顔」

作詞:寺山修司 作曲:古賀政男 前歌手:内山田洋とクール・ファイブ、八代亜紀 後歌手:ザ・ピーナッツ、布施 明 曲紹介:山川静夫(白組司会)

 カバー曲ではありませんが、元々のメロディーは藤山一郎「さらば青春」、青木光一「都に花の散る夜は」で使用されているようです。そのメロディーに大人気作家・寺山修司の詩を書き加えたのがこの曲でした。

 このステージは既に本編レビューで取り上げています。こちらをご覧ください。ちなみに歌唱直前に司会者とやり取りするケースは五木さんに関して言うと非常に少なく、この回はその意味で言うと貴重な1回と言えます。

 間奏のテレビ実況で「お気づきでしょうか、五木さんは歌ってる時はいつもマイクが左手です」というアナウンスがありました。初出場以来、マイクスタンドを使用した数回を除くと確かに全て、五木さんは左手でマイクを持ちながら歌っています。

 第71回のハイライトでは、この時の映像も使用されました。

 

第26回(1975年)「千曲川」

作詞:山口洋子 作曲:猪俣公章 前歌手:布施 明、ちあきなおみ 後歌手:島倉千代子 曲紹介:山川静夫(白組司会)

 5回目の出場で初めての白組トリに選ばれました。この年のレコード大賞は布施明「シクラメンのかほり」で五木さんは最優秀歌唱賞受賞。おそらく白組トリの人選は最後まで迷ったのではないかと思われます。

 信濃の国を流れる大河の光景を三拍子のリズムで表現する楽曲は、数多い五木演歌でも最高傑作と言って良い内容です。実際、別の歌手に提供する予定だった猪俣公章のメロディーを山口洋子が惚れ込んで、五木さんの勝負曲としたという経緯があります。メロディーは決して複雑ではありませんが、歌ってみると上手く歌うのが恐ろしく難しい楽曲であることがよく分かります。実際五木さんもそうコメントしていました。

 「今年一年を振り返ってみると、何かストレスの年ではなかったかと思います。でも、禍福は糾える縄の如しと申します。きっと来年はまたいいことがあるでしょう。(ここでイントロ演奏開始)来たる年のこの国に、また爽やかな川の流れが蘇りますように。そんな祈りを込めて、五木ひろしさん「千曲川」です。」白組司会の山川静夫アナウンサーの曲紹介もまた、このステージに味を添える素晴らしい内容です。

 ステージは2コーラス、当時の紅白歌合戦らしく白組出場歌手全員が後ろでリズムに乗って肩を組む内容でした。トリならではのファンファーレも付加されています。女性コーラスの他に、ハープの演奏も印象的でした。

 後年の映像で振り返られる機会も多いです。山口さんが亡くなった第65回のステージでも、間奏で当時の映像がピックアップされています。

第27回(1976年)「愛の始発」

作詞:山口洋子 作曲:猪俣公章 前歌手:布施 明、ちあきなおみ 後歌手:都はるみ 曲紹介:山川静夫(白組司会)

 2年連続の白組トリは、前年の「千曲川」と同じ作詞作曲陣です。

 この曲も非常にドラマチックな展開で、大作演歌という言葉がまさに相応しい傑作ですが、1970年代前半の楽曲と比べて知名度が高くないのが惜しいです。”川は流れる橋の下”の歌い出し、これを指して「当たり前じゃ!」と人生幸朗師匠が漫才でネタにした曲でもあります。あとは次に歌った大トリ、この年に大ヒットした都はるみ「北の宿から」の存在が絶大過ぎたという面もありました。五木さんのトリの回数は多いですが、紅組の大トリを盛り立てるような内容になったステージも正直申し上げると結構あります。

 女性コーラスの人数が前年の倍くらいになりました。ただ五木さんの熱唱は当然それ以上の存在感です。アップの多いカメラワークも、ステージから感じる迫力を倍増させていたような気がします。あとは舞台に向かう前に一礼するステージマナーも美しさ・上品さを感じさせるものでした。この年は五木さんを迎えるように並ぶ白組歌手の中で、当時ライバルと言われた森進一と握手する光景も印象的です。

 「今年もまた様々な出逢いがあり、様々な別れがありました。人生は川の流れ。その川の流れに棹さして(ここで演奏開始)、いつまでも大事にしたいのは温かい愛の心です。いま白組はこの大晦日(おおつごもり)の名残の空高く、愛を歌い上げます。五木ひろしさん、「愛の始発」。」この年の山川静夫アナウンサーの曲紹介もまた、後世にまで伝えたい名言と言って間違いありません。

 

第28回(1977年)「灯りが欲しい」

作詞:藤田まさと 作曲:遠藤 実 前歌手:森 進一、八代亜紀 後歌手:(なし、エンディング) 曲紹介:山川静夫(白組司会)

 20代最後を迎えたこの年は、紅白で初めて大トリを務めた年になりました。師匠である山口洋子から離れた最初の作品で、三拍子リズムではありますがこれまでの楽曲とは大きく雰囲気が異なります。これまで白のスーツで歌うことが多かった衣装も、黒のタキシードに替えています。

 深々と一礼をして、マイクを渡した後に握手したのはこの年日本レコード大賞受賞の沢田研二。演歌らしい演歌を聴かせる熱唱のステージでした。男女のコーラス隊も五木さんを大きく盛り立てています。

 第71回のハイライトでは、この時の映像も使用されました。

 なおこの年の山川アナの曲紹介は次の通りです。「ある文豪は”もっと光を! Mehr Licht!”と言ったそうです。来たる年のこの国に明るい光が蘇りますように。「灯りが欲しい」。1977年の歌い納めは五木ひろしです!」

第29回(1978年)「熱愛」

作詞:あたらしかずよ 作曲:丹羽応樹 前歌手:春日八郎、八代亜紀 後歌手:(中間発表)、小柳ルミ子、北島三郎 曲紹介:山川静夫(白組司会)

 ニューミュージックの躍進に伴い、演歌が前例にないレベルでヒットしなかった一年でした。五木さんについても例外ではなく、この年レコード売上を大きく落としています。レコ大ノミネートも八代亜紀のみ、紅白のトリもポップスの山口百恵沢田研二を初抜擢する形でした。

 したがって出番はやや早くなりましたが、2回目の中間発表前の曲順は前回に当てはめると「星の砂」の小柳ルミ子対「勝手にしやがれ」の沢田研二。重要な位置づけであることは変わりありません。

 作詞のあたらしかずよは元女優の本間千代子。作曲の丹羽応樹は昭和30年代に活躍した作曲家・飯田景応の娘です。したがって作詞作曲を女性が占める演歌で、当時では勿論現在に照らし合わせても非常に珍しいケースです。曲としては、演歌よりバラードといった方がしっくり来る作品かもしれません。

 コーラス隊もこの曲にはしっかりついています。ステージはトリを務めた3年と比較しても全く劣らない大熱唱。右手のアクションは、もしかすると全50回中でこの時が1番激しかったかもしれません。

 第71回のハイライトでは、この時の映像も使用されています。

 

第30回(1979年)「おまえとふたり」

作詞:たかたかし 作曲:木村好夫 前歌手:北島三郎、都はるみ 後歌手:八代亜紀 曲紹介:山川静夫(白組司会)

 この年は前年と対照的に演歌の大ヒットが多く生まれた年でした。それにはカラオケ需要が高くなり始めたことと大きく関係しています。「おまえとふたり」も、このブームに乗っての大ヒットでした。楽曲は10月リリース、大ヒットになったのは紅白を含めた年末歌番組での披露時でした。『ザ・ベストテン』でも12月20日放送分で1位になっています。

 1コーラスが短いこともあって、この年は2コーラス半の歌唱でした。大トリの「舟唄」が小唄つきの2コーラスだったので、これに合わせた側面もあったのかもしれません。衣装は2年前同様の黒タキシード、蝶ネクタイが黒から白に変わってます。

 作曲した木村好夫は古賀政男の弟子で、ギタリストとして非常に評価の高いプレイヤーでした。1996年に62歳の若さで亡くなったのが惜しまれます。2010年に彼の遺した「おしろい花」を再レコーディングしてヒット、第61回紅白で歌われた際に彼との親交もVTRで紹介されました。「おまえとふたり」を歌うシーンは、この時のステージがピックアップされています。

 曲紹介は次の通りです。「「よこはま・たそがれ」からちょうど10年目。そして今年は試練の年でもあった彼は、どんな想いでこのステージに立つのでしょうか。第30回NHK紅白歌合戦、白組最後の歌は「おまえとふたり」、五木ひろしさんです!」

第31回(1980年)「ふたりの夜明け」

作詞:吉田 旺 作曲:岡 千秋 前歌手:森 進一、小林幸子 後歌手:八代亜紀 曲紹介:山川静夫(白組司会)

 10回目の出場ですが、早くも通算5回目の白組トリとなりました。「おまえとふたり」「倖せさがして」「ふたりの夜明け」、シングルレコードの売上はこの年が一番高かったのではないかと思われます。

 男女のコーラス隊を後ろにして白組出場歌手が肩を組みながら聞くという、ここ何年かと似た光景が繰り広げられていました。トリのファンファーレがかなり派手に決まっています。

 岡千秋はいまや演歌で知らない人はいないと言われる大物作曲家ですが、「浪花恋しぐれ」以前に初めて残したヒットはこの曲でした。

 ちなみにこの年はくじ引きで先攻後攻が決まる演出で、このステージが大トリになる可能性は本番に入ってからも残っていました。結果は白組先攻で八代亜紀「雨の慕情」が大トリ、これが決まった瞬間五木さんはがっくりした表情を浮かべたそうです(山川アナの著書より)。レコード大賞でも五八戦争と言われるほど激戦で八代さんが受賞という結果だったので、紅白でも…という想いはやはり当時頭をよぎったのではないかと思われます。

 この年の曲紹介は、「五木ひろしさんが今年はじめて歌った歌は「おまえとふたり」、そして一年の締めくくりは「ふたりの夜明け」です。(ここで演奏開始)力いっぱい熱唱して頂きましょう。もうすぐ新しい年の夜明けです。きっとくる、きっとくる、白組勝利!歌い納めは五木ひろしさん「ふたりの夜明け』!」

 

第32回(1981年)「人生かくれんぼ」

作詞:たかたかし 作曲:弦 哲也 前歌手:森 進一、八代亜紀 後歌手:森 昌子、北島三郎 曲紹介:山川静夫(白組司会)

 この年のトリ前は都はるみ森進一八代亜紀と合わせて4曲連続のステージでした。歌ってもらう前にまず4人集合、その後ステージごとにイントロで曲紹介するという演出です。

 楽曲はギターの音色が印象的な、これぞ演歌という演歌になりました。現在紅白で披露された楽曲数1位になっている作曲家の弦哲也ですが、この年川中美幸が歌った「ふたり酒」と「人生かくれんぼ」が紅白歌合戦で初めて歌われた曲となっています。紫色のタキシード着用でした。

 第71回のハイライトでは、この時の映像も使用されています。

第33回(1982年)「契り」

作詞:阿久 悠 作曲:五木ひろし 前歌手:北島三郎、八代亜紀 後歌手:都はるみ、森 進一 曲紹介:山川静夫(白組司会)

 映画『大日本帝国』の主題歌になったこの曲は五木さんの自作。振り返ると出場回数TOP3を誇る五木さんと北島三郎森進一は、自ら作曲が出来ることも強みの一つでした。

 この年は名曲紅白で、約半分の出場歌手が過去曲もしくは持ち歌以外を披露する特殊な回でした。トリも「涙の連絡船」「影を慕いて」で1982年に作られた楽曲ではありません。通常通りに制作されていれば、間違いなくこの曲が大トリだったと思われます。せり上がりでの登場に100人近くいる女声合唱団、当時では珍しい4分を超える歌唱時間はまさに本来の大トリ待遇そのものでした。ファンファーレが入らなかったのが、唯一トリらしくない部分だったかもしれません。

 2番サビからステージが暗転して、女声合唱団が左右に振る演出が入ります。これは出場歌手のステージだと前年に始めて用いられた新しい内容でした。この年の紅白から歌詞テロップ追加、またマイクが舞台袖からコードで繋ぐタイプでないアンテナ式になっています。

 ちなみに八代亜紀との対決は第28回からこの年まで6年連続。これは現在まで残る最長連続記録になっています。賞レースでもライバルとして争うことが多く、それだけ世間にもこの2人の関係が当時根付いていたと言える証なのかもしれません。

 コロッケが演じるロボット五木のモチーフになっている楽曲でもあります。紅白歌合戦で何度も五木さんのモノマネをしているコロッケですが、ロボ五木を紅白で披露したことはありません(第51回のロボットカンフーで一瞬顔マネしてる場面はありましたが)。

 第71回のハイライトでは、この時の映像も使用されました。

 

第34回(1983年)「細雪」

作詞:吉岡 治 作曲:市川昭介 前歌手:菅原洋一、森 昌子 後歌手:小林幸子、森 進一 曲紹介:鈴木健二(白組司会)

 演歌というより「純和風歌謡曲」と言った方が適当な、谷崎潤一郎の文学作品をモチーフにした作品。五木さんは紅白で4回だけ和服姿でステージに臨んでいますが、そのうちの1回です。

 胸を打つような熱唱というより、五木さんの歌声をしみじみ味わうといった内容のステージでした。「この歌を歌うためには、色艶を出すためには自分の声のギリギリのところを綴り合わせなければいけないのです」という曲紹介にもあった通り、最高の歌声を出すために現在進行形で相当苦労しているということが、十分に伺える内容の歌唱でもあります。演歌歌手でもこういった曲を歌えるのは、かなり稀少な存在ではないかと個人的には思ってます。

第35回(1984年)「長良川艶歌」

作詞:石本美由起 作曲:岡 千秋 前歌手:北島三郎、八代亜紀 後歌手:小林幸子、森 進一 曲紹介:鈴木健二(白組司会)

 「演歌は艶歌の時代に入りました。それは日本人特有の心の世界です」という曲紹介が示す通り、この曲は1984年最大のヒット曲になりました。日本レコード大賞を筆頭に賞レースの大賞独占、『ザ・ベストテン』でも年間1位に輝きます。ただ本人の意向もあって紅白披露はこの時のみ、前後の「まつり」「北の螢」の方が紅白歌唱回数が多いというのは当時のヒットを考えるとやや意外と言えるのかもしれません。

 真っ白なタキシードで聴かせる熱唱でした。マイクが舞台袖からのコードマイクに戻っています。歌い終わった後に拍手する姿が抜かれた、特別審査員の松坂慶子の美しさも印象的でした。

 結果的にこの後の演歌はほとんどが「歌える演歌」のヒットになったので、もしかするとこの曲はヒットした「聴かせる演歌」の最後の例だったのかもしれません。ただ五木さんはこの後も、積極的な他ジャンルへの挑戦と同時進行で「聴かせる演歌」も追求していきます。

 

第36回(1985年)「そして…めぐり逢い」

作詞:荒木とよひさ 作曲:中村泰士 前歌手:村田英雄、小林幸子 後歌手:森 昌子、森 進一 曲紹介:鈴木健二(白組司会)

 「今年は演歌やポップスの枠が外れて、再び流行歌の時代が来ることを予測したそうです」と曲紹介で話す鈴木健二アナ。その予測はともかく、自身の歌手活動の信条はまさに言葉通りのものでした。薄桃色の蝶ネクタイにスパンコールが入ったタキシードが、バブル期突入の時代を感じさせる面もあります。

 この年の楽曲は艶歌から少し外れた、聴かせる歌謡曲。五木さんの綺麗な歌声が大変活かされています。作詞を担当した荒木とよひさはこの時期テレサ・テンの名曲を多く担当、歌謡曲の新しいヒットメーカーとして台頭し始めた頃でした。

 舞台常設の歌手席は第31回(1980年)限りで一旦無くなりましたが、その後も終盤の演歌ステージでは移動セットで設けられています。五木さんのステージに関するとこの年まで、第33回以外では出場歌手の様子が見られます。あらためて見返してもこの年の衣装は全体的に派手で、奇抜なデザインも目立ちます。特に「THE CHECKERS」など一面に白文字があしらわれている真っ赤な衣装のチェッカーズは目立ちまくっていました。

第37回(1986年)「浪花盃」

作詞:石本美由起 作曲:市川昭介 前歌手:村田英雄、小林幸子 後歌手:石川さゆり、森 進一 曲紹介:加山雄三、千田正穂(白組司会)

 「長良川艶歌」の石本氏と「細雪」の市川氏のコンビで、思いっきりド演歌です。衣装も第34回以来の和服姿で決めています。北島三郎村田英雄が歌っても、おそらくしっくりくるような内容でした。熱唱のステージです。

 トリ前の小林幸子との対決は、この年まで3年連続同様です。

 第71回のハイライトでは、この時の映像も使用されました。

 

第38回(1987年)「追憶」

作詞:阿久 悠 作曲:三木たかし 前歌手:谷村新司、和田アキ子 後歌手:(なし、エンディング) 曲紹介:加山雄三(白組司会)

 「1987年という年がこの曲とともに去っていきます。この一時に、皆さんにとって今年一番大きかった出来事を思い起こしてみてください。五木さんにとっては今年は非常に大きな年でした。念願のニューヨーク・リンカーンセンターで歌ったこの曲「追憶」。五木ひろしさんです!」

 30代最後の年は、10年ぶりの大トリに選ばれました。この時期毎年日本レコード大賞金賞を受賞する大ヒットでしたが、意外とトリは7年ぶりで間が空きました。その間、森進一にトリを譲る年が4回あります。

 この年の紅白は舞台の照明使用が大幅に抑えられ、多ジャンル化と歌唱力重視・大人の雰囲気を前面に押し出した内容でした。結果的に視聴率が下がって賛否も多くありましたが、大トリに関するとその方針がおおいに活かされていたように思います。

 1コーラス終了後、五木さんに向けられたスポットライト以外舞台が完全に暗転。セットの照明も消えて、ステージ一面に星空が映し出される状況になります。星空をあしらったステージはそれ以前の紅白でもありますが、ここまで全てを真っ暗にしたのはこの時が初でした。

 また、2番サビでは転調して半音上がった音階で歌います。平成期の五木さんは紅白で歌ってる途中に半音上がるケースが続出しますが、その最初の例になりました。

 この年を代表する大ヒット曲でザ・ベストテン年間1位、作品的にも最高レベルの傑作と言える楽曲ですが、同年の演歌でも五木さん単位でも他に名曲多数のため、思いのほか後世に伝わっていないのが惜しいです。ちなみに日本レコード大賞も僅差で受賞を逃す形、この年の大賞は近藤真彦「愚か者」でした。

第39回(1988年)「港の五番町」

作詞:阿久 悠 作曲:彩木雅夫 前歌手:森 進一、石川さゆり 後歌手:五輪真弓、谷村新司 曲紹介:加山雄三(白組司会)

 10年連続して受賞した日本レコード大賞金賞のラストを飾る楽曲。元は1972年の楽曲ということもあって、歌謡曲色強い軽めのメロディーです。

 五木さんのステージでドライアイス演出が入る初めてのケースになりました。

 自粛ムードが非常に強い中で放送された紅白ですが、その一方で思いっきりバブル経済期のため出場歌手の衣装は全体的に派手です。五木さんの衣装にもタキシードにスパンコールが入っていました。衣装の生地も画面を見る限り、かなり高価な物に見えます。

 

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