紅白歌合戦・ちあきなおみの軌跡~データ&エピソード編~

 ここ1ヶ月は紅白バンド史という形でかなり長期連載になりましたが、そろそろ久々に1歌手の紅白史について書きたいと思います。今回は歌謡曲と言えばこの人、ちあきなおみについて書くことにしました。

 第21回(1970年)~第28回(1977年)と第39回(1988年)、紅白歌合戦には計9回出場しています。名場面も多いですがなかなかここまで書く機会なく、結果的に今回の記事まで温存する形になりました。データ&エピソード編とステージ編、2記事に分けて書いていきます。

ちあきなおみの紅白歌合戦エピソード

「喝采」で日本レコード大賞受賞

 紅白初出場は第21回(1970年)の「四つのお願い」。翌年の「私という女」、紅白で歌っていないヒット曲は「X+Y=LOVE」「無駄な抵抗やめましょう」など軽快なテンポの楽曲が中心でした。「別れたあとで」のようなバラード調の曲もありますが、いずれにしても後年の名曲と比較すると明るくポップス調に近い楽曲がやや目立ちます。当時はバラエティ番組の出演も多く、コメディエンヌ的な側面もあったようです。第21回・第22回はステージ以上に合間の情報が不足していて、そこでどういった活躍をしていたか具体的に分からない面は惜しまれますが…。

 そんな中、1972年9月10日に発売された「喝采」が大ヒットします。ちあきさん自身の実体験と重なる歌詞が評判を呼び、オリコンでは年をまたいで12週連続2位を記録(ちょうど宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」の16週連続1位と重なる期間でした)。第23回の紅白歌合戦で選曲されたのもこの曲でした。

 この年の日本レコード大賞は小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」が有力と言われ、実際番組内の街頭インタビューではルミ子さんが受賞するという回答が多く、9月開催なら確実に受賞していたものと想像もできます。五木ひろし沢田研二もいましたが、実際に受賞したのはロングセラー中という状況でもある「喝采」でした。

 号泣してほとんど歌えなくなる受賞歌手も出てくる中、涙で声を少し詰まらせながらも歌い切る姿はかえってより感動的でした。この年のレコ大は初めて視聴率40%台を記録(以降1979年まで継続)、そういう意味では、レコ大黄金期のはじまりを象徴する楽曲と言って良いかもしれません。

3年連続紅組トリ前の歌唱

 「喝采」以降は紅白歌合戦の曲順でも重きを置かれ、第28回まで終盤での歌唱が続きます。

 懐メロの多い第24回(1973年)は「夜間飛行」を歌唱、トリ2つ前ですがその年のヒット曲では紅組ラストを飾る形となりました。第25回・第27回も同様に紅組で最後にその年発表の曲を歌う形となっています。

 美空ひばり島倉千代子の存在、さらにそれ以降演歌が優遇される傾向に入ったのでトリの歌唱は残念ながらありませんでした。ただ第25回~第27回までは3年連続トリ前、これはトリ未経験歌手だと第7回~第9回の宮城まり子と並ぶ最長記録となっています(トリで歌う前に小林幸子の4年連続という記録はあり)。

なんとも気持ちの悪い歌ですね

 詳しくはステージ編で書きますが、第28回(1977年)で歌唱した「夜へ急ぐ人」はフォークシンガー・友川かずきの提供曲でした。

 ほとんど真っ暗な証明の中、髪を振り乱して一心不乱に歌うステージは40年以上経った現在でも多く振り返られています。歌い終わり、思わず白組司会・山川静夫アナがこぼした言葉も同様に語り継がれています。

 ただ歌の世界と同化しているかのようなステージは、「夜へ急ぐ人」に限らないちあきさん最大の見どころではないかと思われます。これはよく語られる第28回の紅白に限らず、他の年に関しても共通していました。ステージ編の記事ではこういった所も伝えることが出来ればと考えているところです。

1回だけの出場が惜しまれる活動再開期

 1978年に結婚後は一旦活動をセーブしますが、1980年代後半に歌手活動を再開。紅白歌合戦にも第39回(1988年)に11年ぶり出場、情感たっぷりに歌う名ステージを見せてくれました。

 「黄昏のビギン」「星影の小径」のカバーはコマーシャルでも話題になり、リバイバルヒットになりましたが紅白歌合戦は第39回のみ。当時の空気感はともかく、後年から振り返ると非常に惜しまれる所でした。オファーを辞退した可能性もありますが、いま考えると第40回以降に出場歌手として選ばなかったのは、紅白歌合戦だけでなく歌謡史にとっても非常に大きな痛手だったような気がしてなりません。

 1992年に最愛の夫・郷鍈治が死去。以降現在まで歌手活動は休止状態となっています。ただ人気・カリスマ性は休止から30年経ってもなお健在。”伝説の歌姫”として10年後・100年後も語られるような存在になっています。

ちあきなおみの紅白データ~9回分のまとめ

出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主なデータ主な受賞他の発売曲
第21回
(1970年)
23歳
四つのお願い白鳥朝詠
鈴木 淳
1970/4/10紅組17番手/24組中1970年オリコン年間22位・日本歌謡大賞放送音楽賞・モア・モア・ラヴ
・X+Y=LOVE
・別れたあとで
第22回
(1971年)
24歳
私という女なかにし礼
鈴木 淳
1971/6/10紅組4番手/25組中オリコン週間最高24位・無駄な抵抗やめましょう
・しのび逢う恋
第23回
(1972年)
25歳
喝采吉田 旺
中村泰士
1972/9/10紅組トリ3つ前1972年オリコン年間66位・翌年同4位・日本レコード大賞受賞・恋した女
・禁じられた恋の島
第24回
(1973年)
26歳
夜間飛行吉田 旺
中村泰士
1973/6/25紅組トリ2つ前オリコン週間最高15位・劇場
・あいつと私
第25回
(1974年)
27歳
かなしみ模様阿久 悠
川口 真
1974/10/10紅組トリ前オリコン週間最高69位・円舞曲
第26回
(1975年)
28歳
さだめ川石本美由起
船村 徹
1975/9/10紅組トリ前オリコン週間最高33位
年間80位クラスの売上
・花吹雪
・恋慕夜曲
第27回
(1976年)
29歳
酒場川石本美由起
船村 徹
1976/9/25紅組トリ前オリコン週間最高81位・恋挽歌
・女どうし
第28回
(1977年)
30歳
夜へ急ぐ人友川かずき
友川かずき
1977/9/1紅組トリ3つ前・ルージュ
第39回
(1988年)
41歳
紅とんぼ吉田 旺
船村 徹
1988/10/5紅組トリ3つ前オリコン週間最高46位・役者

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