今回は1969年・第20回に「長崎は今日も雨だった」で初出場の内山田洋とクール・ファイブ、さらにソロ歌手として18年連続出場を果たした前川清の紅白歌合戦を振り返ります。
内山田洋とクール・ファイブ(前川清)の紅白歌合戦エピソード
ムード歌謡グループでは紅白最多出場を記録
1960年代中盤~1970年代前半、昭和でいうと40年代はムード歌謡が大流行しました。ナイトクラブやキャバレーが多かった頃、こういった夜の盛り場を題材にした楽曲が多くヒットします。
森進一や青江三奈などソロ歌手も多くヒットしましたが、リードボーカルを1人設けたコーラスグループもこの時期から多くブレイクします。クールファイブが紅白に初出場した前の年、第19回(1968年)では鶴岡雅義と東京ロマンチカ・黒沢明とロス・プリモスの2組が初出場を果たしました。彼ら以外でもロス・インディオス、高橋勝とコロラティーノなどが大ヒットを飛ばしています。
これまで紅白のムード歌謡グループといえば和田弘とマヒナスターズで、9年連続紅白に出場していました。内山田洋とクール・ファイブは第33回(1982年)までに計11回出場、これはムード歌謡グループで最多記録となっています。連続出場も9年で最多タイです。
クール・ファイブは歌謡曲だけでなく、ポップス色の強い楽曲も紅白で歌っています。第29回(1978年)の「さようならの彼方へ」、第31回(1980年)の「魅惑・シェイプアップ」は歌詞に英語が入る作品でした。1980年代にはムード歌謡自体が退潮気味になりますが、それでも第33回まで出場できたのはジャンルレスな魅力・挑戦的な姿勢が功を奏したからかもしれません。
コーラスだけでなく楽器も弾ける強み
初出場の第20回(1969年)、「長崎は今日も雨だった」はメンバー全員が楽器を持って演奏するステージでした。元々はキャバレーの専属バンド、こういったステージが可能なのは他のグループとの差別化にも繋がっています。
ゴダイゴの制作陣が提供した第31回の「魅惑・シェイプアップ」も同様にバンドスタイルとなっています。この2つのステージは、コーラスグループとは違うクール・ファイブを紹介する際に非常に貴重な資料となっています。
前川清は藤圭子の奥さん
1971年、前川さんは前年に大ヒットした藤圭子と結婚、大きな話題になります。同年は夫婦ともども紅白出場といったところでしたが、本番直前に前川さんが急病で倒れます。
白組側はフォーリーブスを代役に立てますが、残されたコーラス隊の5人は宙に浮きます。そういった面もあってでしょうか、藤さんは本番で急遽クール・ファイブの「港の別れ唄」を追加で歌唱。5人も一緒に登場して、紅白史上初となる白組からの出場経験者が紅組で歌うケースになりました。
急病なので仕方のない部分ですが、当時は今のように体調不良に対して寛大ではありません。「この愛に生きて」「そして、神戸」という大ヒット曲があるにも関わらず、第23回・第24回は落選となりました。
なお藤さんとは翌1972年に早くも離婚。もっとも番組で共演する機会はその後も何度かありました。第28回(1977年)では『連想ゲーム』コーナーで、「夫婦喧嘩」から自ら「男は負ける!やりましたやりました!」と回答して周りからどつかれる場面まで存在しています。
ソロ転向からも18年連続出場
1982年に「雪列車」でソロデビュー、1987年にはグループも脱退して本格的にソロ歌手となります。演歌というより歌謡曲、むしろ”大人のポップス”に近い音楽性は中高年に支持され、その結果第42回(1991年)でソロ歌手として初出場を果たします。
グループ独立・解散後、もしくは活動中でもソロ歌手として出場した例は他にもありますが、18年連続出場を果たしたのは前川さんだけです。以下、グループ時代に紅白出場経験のあるソロ歌手のリストです。なお、グループよりソロでの出場が先のケースは外しました。
アーティスト 初出場回 | 元々の所属グループ 初出場回 | 出場回数 | 備考 |
あおい輝彦 第27回(1976年) | ジャニーズ 第16回(1965年) | ソロ1, グループ1 | |
髙橋真梨子 第35回(1984年) | ペドロ&カプリシャス 第25回(1974年) | ソロ5, グループ1 | |
武田鉄矢 第40回(1989年) | 海援隊 第25回(1974年) | ソロ1, グループ4 | 第49回(1998年)は武田鉄矢(海援隊)名義での出演 |
前川 清 第42回(1991年) | 内山田洋とクール・ファイブ 第20回(1969年) | ソロ18, グループ11 | |
原 由子 第42回(1991年) | サザンオールスターズ 第30回(1979年) | ソロ1, グループ5 | |
本木雅弘 第42回(1991年) | シブがき隊 第33回(1982年) | ソロ1, グループ5 | |
藤井フミヤ 第44回(1993年) | チェッカーズ 第35回(1984年) | ソロ5, グループ9 | |
玉置浩二 第47回(1996年) | 安全地帯 第36回(1985年) | ソロ2, グループ1 | |
後藤真希 第54回(2003年) | モーニング娘。 第50回(1999年) | ソロ2, グループ3 | グループ出演は所属期のみを掲載 |
遊助 第60回(2009年) | 羞恥心 第59回(2008年) | ソロ2, グループ1 | |
桑田佳祐 第61回(2010年) | サザンオールスターズ 第30回(1979年) | ソロ2, グループ5 | ソロは全て特別出演 |
YUKI 第63回(2012年) | JUDY AND MARY 第47回(1996年) | ソロ1, グループ2 | |
トータス松本 第68回(2017年) | ウルフルズ 第47回(1996年) | ソロ1, グループ2 | 第68回は椎名林檎と共演 |
宮本浩次 第69回(2018年) | エレファントカシマシ 第68回(2017年) | ソロ2, グループ1 | 第69回は椎名林檎と共演 |
歌以外でも三枚目キャラクターで活躍
クールファイブ期は『欽ちゃんのドンとやってみよう!』『ドリフ大爆笑』など民放で、ソロ転向後もNHKの『ふるさと皆様劇場』で何度となくコントを演じていました。そのため紅白でも三枚目的なキャラクターで合間に登場する場面が数多くあります。1990年代は吉幾三や細川たかしと一緒に、ほんの数秒の出番のために濃いメイクをさせられる場面も毎年恒例でした。ステージ編では、これらもできる限り網羅して紹介する予定です。
内山田洋の逝去後は再びクール・ファイブで
クール・ファイブは前川さん脱退後もメンバーを変えながら存続しますが、2006年にリーダーの内山田さんが70歳で逝去します。
逝去後再度集まり、第57回(2006年)の紅白歌合戦で再集結。一夜限りという名目で、「長崎は今日も雨だった」を歌います。
ただこのステージが思いのほか好評だったということで、年が明けた2007年以降も前川清&クールファイブとして存続、新曲もリリースされます。紅白も3年連続この形態で出演、ついには「今年も今夜限り復活して頂きましたありがとうございました」と白組司会の中居正広からツッコまれるに至ります。
内山田洋とクール・ファイブ(前川清)の紅白データ~29回分のまとめ
表に記した年齢は前川さんの年齢を指します。参考までに、第20回初出場時点の年齢は内山田洋が33歳、宮本悦朗が21歳、小林正樹が26歳、岩城茂美と森本繁が27歳でした。
出場回 年齢 | 歌唱曲 | 作詞者 作曲者 | 発売日 | 曲順 | 主なデータ | 主な受賞 | 他の発売曲 |
第20回 (1969年) 21歳 | 長崎は今日も雨だった | 永田貴子 彩木雅夫 | 1969/2/1 | 白組19番手/23組中 | 1969年オリコン年間8位 | ・日本レコード大賞新人賞 ・日本有線大賞新人賞 | ・わかれ雨 ・逢わずに愛して |
第21回 (1970年) 22歳 | 噂の女 | 山口洋子 猪俣公章 | 1970/7/5 | 白組14番手/24組中 | 1970年オリコン年間14位 | ・日本有線大賞受賞 | ・愛の旅路を ・愛のいたずら |
第25回 (1974年) 26歳 | 海鳴り | 千家和也 劉 家昌 | 1974/9/15 | 白組18番手/25組中 | オリコン最高45位 | ・雨のしのび逢い ・晩夏 | |
第26回 (1975年) 27歳 | 中の島ブルース | 斎藤 保 吉田 佐 | 1975/7/25 | 白組12番手/24組中 | 1975年オリコン年間41位、翌年77位 | ・北ホテル ・二人の御堂筋 | |
第27回 (1976年) 28歳 | 東京砂漠 | 吉田 旺 内山田洋 | 1976/5/10 | 白組6番手/24組中 | 1976年オリコン年間83位 | ・気まぐれ雨 ・女の河 | |
第28回 (1977年) 29歳 | 思い切り橋 | 山田孝雄 浜 圭介 | 1977/8/25 | 白組17番手/24組中 | オリコン最高45位 | ・西海ブルース ・二人の海峡 | |
第29回 (1978年) 30歳 | さようならの彼方へ | 千家和也 筒美京平 | 1978/5/25 | 白組15番手/24組中 | 1978年オリコン年間195位 | ・愛の扉 | |
第30回 (1979年) 31歳 | 昔があるから | 杉 紀彦 曽根幸明 | 1978/12/20 | 白組19番手/23組中 | オリコン最高91位 | ・あきらめワルツ | |
第31回 (1980年) 32歳 | 魅惑・シェイプアップ | 奈良橋陽子、伊藤アキラ タケカワユキヒデ | 1980/9/25 | 白組10番手/23組中 | オリコン最高93位 | ・Last Song | |
第32回 (1981年) 33歳 | 女・こぬか雨 | たきのえいじ たきのえいじ | 1981/8/5 | 白組19番手/22組中 | ・恋は終ったの | ||
第33回 (1982年) 34歳 | 噂の女 | 山口洋子 猪俣公章 | (2回目) | 白組16番手/22組中 | ・夢酒場 ・新潟の女 |
出場回 年齢 | 歌唱曲 | 作詞者 作曲者 | 発売日 | 曲順 | 主なデータ | 他の発売曲 |
第42回 (1991年) 43歳 | そして、神戸 | 千家和也 浜 圭介 | (1972/11/15) | 白組前半6番手/10組中 | (1973年オリコン年間32位) | |
第43回 (1992年) 44歳 | 男と女の破片 | 荒木とよひさ 都志見隆 | 1991/7/21 | 白組後半11番手/19組中 | 1992年オリコン年間258位 | ・夢一秒 |
第44回 (1993年) 45歳 | 別れ曲でも唄って | 荒木とよひさ 都志見隆 | 1993/5/21 | 白組後半2番手/18組中 | 1993年オリコン年間331位 | |
第45回 (1994年) 46歳 | 恋するお店 | 千家和也 伊藤 薫 | 1994/10/21 | 白組後半9番手/15組中 | オリコン最高95位 | ・悲しみの恋世界 |
第46回 (1995年) 47歳 | そして、神戸 | 千家和也 浜 圭介 | (2回目) | 白組後半10番手/15組中 | ・終着駅 長崎 | |
第47回 (1996年) 48歳 | 抱きしめて | 大津あきら 浜 圭介 | 1996/4/24 | 白組前半トリ前 | オリコン最高70位 | |
第48回 (1997年) 49歳 | 薔薇のオルゴール | ちあき哲也 杉本真人 | 1997/2/21 | 白組前半トリ前 | オリコン最高97位 | ・恋未遂 ・恋ごころ募らせて |
第49回 (1998年) 50歳 | 神戸 | 前川 清 都志見隆 | 1998/8/19 | 白組前半トリ前 | オリコン最高93位 | |
第50回 (1999年) 51歳 | 東京砂漠 | 吉田 旺 内山田洋 | (2回目) | 白組前半大トリ | ・明日に |
出場回 年齢 | 歌唱曲 | 作詞者 作曲者 | 発売日 | 曲順 | 主なデータ | 他の発売曲 |
第51回 (2000年) 52歳 | 長崎は今日も雨だった | 永田貴子 彩木雅夫 | (2回目) | 白組後半6番手/15組中 | ・流行歌 | |
第52回 (2001年) 53歳 | 大阪 | 前川 清、岩井 薫 都志見隆 | 2001/5/30 | 白組前半8番手/13組中 | オリコン最高92位 | ・霖霖と |
第53回 (2002年) 54歳 | ひまわり | 福山雅治 福山雅治 | 2002/6/5 | 白組後半5番手/14組中 | 2002年オリコン年間182位 | |
第54回 (2003年) 55歳 | 東京砂漠 | 吉田 旺 内山田洋 | (3回目) | 白組前半6番手/15組中 | ・夜間飛行 ・故郷の花のように | |
第55回 (2004年) 56歳 | そして、神戸 | 千家和也 浜 圭介 | (3回目) | 白組前半トリ | ・おいしい水 ・よろこびの予感 | |
第56回 (2005年) 57歳 | 夜霧よ今夜も有難う | 浜口庫之助 浜口庫之助 | (1967/2/5) | 白組前半10番手/15組中 | ・朝まで踊ろう ・愛と戯れの隣りに… | |
第57回 (2006年) 58歳 | 長崎は今日も雨だった | 永田貴子 彩木雅夫 | (3回目) | 白組前半12番手/14組中 | ・窓 | |
第58回 (2007年) 59歳 | そして、神戸 | 千家和也 浜 圭介 | (4回目) | 白組前半8番手/15組中 | ・せめて今夜だけは ・恋唄 -2007- | |
第59回 (2008年) 60歳 | 東京砂漠 | 吉田 旺 内山田洋 | (4回目) | 白組前半8番手/12組中 | ・悲しい街さ~TOKYO~ ・Love Songが聴こえない |
コメント