紅白歌合戦・内山田洋とクール・ファイブの軌跡~ステージ編~

第20回(1969年)「長崎は今日も雨だった」

ステージ

作詞:永田貴子 作曲:彩木雅夫
前歌手:ダーク・ダックス、中尾ミエ、(鞍馬天狗の応援)
後歌手:ピンキーとキラーズ、フランク永井
曲紹介:宮田 輝(総合司会)

 高橋英樹を筆頭とする『鞍馬天狗』の生ドラマが舞台で繰り広げられる間に、バンドメンバーが舞台袖上手側にスタンバイ。その後審査員席に切り替わり、総合司会の宮田輝鶴岡一人(元・南海ホークス監督、この年からNHKプロ野球解説者)に話しかけます。「朗らかな方がいい」という歌の好みを尋ねた後、スムーズに宮田アナが曲紹介。

 「九州の出身というね、クールファイブの皆さんでございます。長崎本当は、今日はいい天気だったそうでございます。「長崎は今日も雨だった」でございます、どうぞ」

 バンドメンバーがコーラスを交えながら演奏、ボーカルの前川さんはステージ中央上段に設けられた歌手席から階段を降りて登場します。この年は中央後方・下手側前方(紅組用)・上手側前方(白組用)と固定マイクが3本用意されていますが、前川さんは中央のマイクを使用します。衣装はメンバー全員、タキシード姿で決めています。

 1番のカメラワークはひたすら前川さんのアップ、固定マイク使用なので手も全く動かさない直立不動。マイクを手にする後年と比較すると完全に顔だけが映る形なので、若干不思議な感覚もあります。ちなみに29回の出場中、白黒の映像しか残っていないのもこの年のみです。

 間奏でバンドメンバーが映ります。森本繁がドラム、宮本悦朗がキーボード、小林正樹がベース、岩城茂美がサックス、内山田洋がギターをそれぞれ担当。まだカメラも少ない時代なので1人ずつのアップは無く、演奏メンバーは舞台端から中央に向かって動かすカメラワークです。若々しい姿ですが、宮本さんは21歳の時点で早くも生え際がかなり後退しているように見えます。

 2コーラス歌唱はバンド演奏、テレビパフォーマンスとしても大変貴重な映像になりました。なお同日放送の日本レコード大賞(新人賞を受賞)はカラー映像で現存、そちらはイメージ通りのコーラス入り歌唱となっています。

応援など

 まだおそらくはメンバーのキャラクターも広く周知される前、応援ゲストも多いので歌以外の出番は歌手席での応援以外特にありません。

 新人ながら出番は白組でラストの4つ前、応援で盛り上げるような余裕は全く無かったようです。歌手席の中で朗々と「君こそわが命」を歌う水原弘の後ろで映った前川さんは尋常ならざる緊張で俯いた姿(自らの出番が紅組含めた6ステージ後に近づいている状況)、完全に表情が死んでいる様子でした。

第21回(1970年)「噂の女」

ステージ

作詞:山口洋子 作曲:猪俣公章
前歌手:西郷輝彦、藤 圭子
後歌手:森山良子、フランク永井
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 この年は全編再放送が無く、特集番組などで時折見られる程度だったようです。2コーラス構成で、前年のようなバンド演奏はありません。

 間奏で、”噂の女”役として由紀さおり水前寺清子ちあきなおみが前川さんを誘惑する場面があったようです。そんな前川さんにとって本当の意味での”噂の女”はやはり藤圭子、翌年8月に結婚を発表します。奇しくも曲順は、藤さんが初出場で「圭子の夢は夜ひらく」を歌った直後でした。チラチラと、紅組歌手席にいる圭子さんを映すショットもあったようです。

応援など

 第21回の応援については、全容が分からないので省略します。

 翌年の第22回は「港の別れ唄」を歌う予定でしたが、前川さんの急病により辞退となります。妻である藤圭子は「みちのく小唄」で出場しますが、本番は2コーラスで切り上げて急遽その「港の別れ唄」も追加で歌唱。その際にクール・ファイブの5人もコーラスで登場します。もちろん、夫の欠場で妻がその持ち歌を紅白で披露した例は他に存在しません。

第25回(1974年)「海鳴り」

ステージ

作詞:千家和也 作曲:劉 家昌
前歌手:三橋美智也、天地真理
後歌手:八代亜紀、五木ひろし
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 1972年は「この愛に生きて」「恋唄」、翌年も「そして、神戸」が大ヒットしますが、体調不良によるキャンセルを重く見たのでしょうか紅白は落選。その間、ムード歌謡グループは彼らよりセールスで劣る鶴岡雅義と東京ロマンチカの出場が続きます。「そして、神戸」は平成以降の紅白で4度歌われていますが、クール・ファイブ時代に歌われた機会は意外にも全くありません。

 1974年は欠場した2年間と比べてレコードセールスが低下したものの3年ぶり復帰、その影には前年まで出場していた東京ロマンチカのメインボーカル・三條正人のソロ独立がありました(この影響で『夜のヒットスタジオ』レギュラーも降板しています)。

 曲紹介は愛宕山から借りてきた初期のマイクロフォンが登場、さらに菅原洋一美川憲一森進一三善英史が特殊効果の道具で海の擬音を聞かせます。「あのかもめのジョナサンが聞いた海鳴りのドラマを、いま内山田洋とクール・ファイブが歌いあげます。「「海鳴り」」。再出場に関しての言及はゼロでした。

 4年ぶりの紅白復帰は白いマイクソケットのコードマイク、固定マイクの使用は原則終了しています。前川さんは右手でマイクを持ちながら、直立不動の熱唱。コーラスは5人で1本のマイクを共用しています。

 ちなみにこの「海鳴り」はカバー曲で、ジュディ・オングが台湾で発表した「海鴎」が原曲になっています。1979年「魅せられて」の大ヒットが有名ですが日本デビューは1966年、この当時は日本のドラマ・台湾の映画と歌手より女優としての活動が目立っていた頃でした。

応援など

 美川憲一と一緒に連れられて、初めて白組司会を担当する山川静夫にマイクを向けられます。「美川」「前川」「山川」と自らの苗字を連発で名乗るシーンは、宮田輝から山川静夫に白組司会が変わったことを示す象徴的な場面になりました。

 橋幸夫「沓掛時次郎」のステージでは五木ひろし布施明沢田研二と一緒に刺客として登場。他の3人が橋さんを斬ろうとする中で無言で通り過ぎ、頭に被る三度笠を投げ捨てる場面では頭のヒモをつけたまま。完全にオチ役として機能しています。なお前川さんが萩本欽一と「コント54号」としてバラエティー番組で活躍するのはこの年からでした。

第26回(1975年)「中の島ブルース」

ステージ

作詞:斎藤 保 作曲:吉田 佐
前歌手:フォーリーブス、青江三奈
後歌手:伊東ゆかり、菅原洋一
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 「魅惑のハーモニー、クール・ファイブ。大人のハーモニー、クール・ファイブ。今年のご当地ソングの決定版は、札幌・大阪・長崎を一つに結んだ「中の島ブルース」。内山田洋とクール・ファイブの皆さんです」

 前川さんが白いタキシード、コーラス隊5名は赤いタキシードを着用しています。複数の場所が舞台になっているご当地ソングは、紅白だと飛ばされる地域が必ずと言っていいほど発生するのですが(紅白歌合戦・日本のご当地ソング一覧表も参照)、このステージではフルコーラスで3箇所全て歌い切りました。その代わりにテンポ速め・間奏ほぼ無し・コーラス5人アップのカメラワーク無しという状態で少し慌ただしさを感じさせる内容でもあります。

 「中の島ブルース」は元々秋庭豊とアローナイツが札幌の中の島を舞台に歌った楽曲で、後から大阪・長崎が付け足されました。アローナイツのメジャーデビューの際にクールファイブが競作でリリース、その結果知名度に勝る後者の方がヒットしたという経緯があります。

 レコード売上は非常に高く、クール・ファイブの作品では「長崎は今日も雨だった」「逢わずに愛して」「噂の女」に次ぐ数字となっています(オリコン調べ)。ただ経緯的にはアローナイツの楽曲と言った方が良さそうで、それもあるでしょうか後年の歌番組ではヒットの割に披露する機会は多くありません。紅白での歌唱もこの時のみです。

応援など

 オープニング、大体の年は6人とも同じ衣装ではないかと思われますが、この年は前川さんだけワインレッド・他のメンバーは白色のタキシード着用でした。ちなみにステージではこの色が逆になります。

 応援ゲストが多かったこともあって、この年は歌以外で目立つ場面はありません。

第27回(1976年)「東京砂漠」

ステージ

作詞:吉田 旺 作曲:内山田洋
前歌手:新沼謙治、太田裕美
後歌手:佐良直美、西城秀樹
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 「たとえ不毛の砂漠のような荒れすさんだ世の中でも、温かい笑顔と、そして温かい友情を持ち続ける6人の男達・内山田洋とクール・ファイブ。「東京砂漠」です」

 直前にチンパンジーが応援に登場。赤と白の旗を両手に持たせて白だけ挙げてもらう予定だったのですが、動く様子が全くありません。舞台は横にいた堺正章に代役をさせて事なきを得ますが、裏では多少バタバタしたのかもしれません。紅白初となる「東京砂漠」の演奏は、若干フェードイン気味に音が入る状況になりました。

 この年はグレーのスーツ姿での歌唱です。1976年を代表するヒット曲のはずですが、前川さんはサビ以外で早くもリズムを相当ずらしながら歌っています。2コーラス歌唱ですが、演奏時間は3コーラス歌った前年よりも15秒近く長めでした。

 コーラス隊のマイクが1本から2本になり、内山田・岩城チームと森本・宮本・小林チームで分けられるようになりました。立ち位置は前川さんが真ん中、コーラスは2チームとも白組側の陣地になっています。

応援など

 すぐ後の佐良直美「ひとり旅」のステージに、先ほど歌った衣装のまま前川さんが登場。応援団長の中条静夫と一緒に、「←花婿募集中!只今大バーゲン!」と書かれた垂れ幕を広げます。矢印の先にいた人は、どうやら島倉千代子の様子でした。

 あおい輝彦を総出で応援する場面では、客席通路にいる前川さんが山川アナにマイクを向けられます。その際にハプニングがあったらしいですが、これについては紅白名言集解説・2~限りなく○○に近いブルー~の記事を参照してください。

 前川さんはさらに、2年前同様橋幸夫の殺陣ステージにも参加。ただこの時のボケ役は堺正章の担当でした。あとは殿さまキングス「恋は紅いバラ」のマンボダンス、こちらは前川さんに限らずメンバー総出の参加となっています。

第28回(1977年)「思い切り橋」

ステージ

作詞:山田孝雄 作曲:浜 圭介
前歌手:フランク永井、青江三奈
後歌手:
小柳ルミ子、沢田研二
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 両軍司会が電報を読み上げ、さらに布施明が先ほど届いた電報を大きな文字で紹介。「清 前川 ガンバレ!!」、どこから来たのかを尋ねたところ「名前が先になってるでしょ、長崎(”な”がさき)でしょう」、山川アナが思わずズッコケます。

 「長崎、思い出の長崎・故郷の長崎を思い切り歌ってください。「思い切り橋」、内山田洋とクール・ファイブの皆さんです!」。イントロが短いので曲紹介の間に演奏開始、カメラは暗転状態のままから6人に向けられています。

 前年まで画面から見て前川さんの右側に固められたコーラスチームが、両サイドにそれぞれ配置されるようになりました。ただこの年の前川さんはステージ真ん中ではなく、白組陣地の真ん中で歌う形になっています。若干風邪気味だったのでしょうか、間奏で鼻をすする姿が映りました。

 サビから歌い出し、そこから2コーラス歌唱の構成になっています。ただ「中の島ブルース」「東京砂漠」と比べてセールスが低いこともあるでしょうか、演奏時間はやや短くなっていました。衣装は前川さんが柄物の青タキシード、コーラス隊は薄い青色スーツとなっています。

応援など

 黒タキシード姿で颯爽と登場するオープニングですが、前川さんは早々に衣装チェンジ。白組2番手・「あずさ2号」で初出場の狩人の曲紹介に際して駅長姿、発車の笛を鳴らすつもりが間違えて縁日の道具ばかり出してしまうという小ボケを披露しました。

 連想ゲームのコーナーでも前川さんはオチ役として本領発揮。「飲み物」のお題から「コーヒー」「眠気覚まし」「受験勉強」「答案用紙」と繋がって「白いのはダメ」、「食べ物」に至っては「かつお節」「猫が好き」「犬は食わない」「夫婦喧嘩」から「男は負ける!やりましたやりました!」と答えて周りの白組歌手からドツかれるという見事さでした。なお前の奥さん・藤圭子は第26回・第27回と出場しましたが、この年は残念ながら落選となっています。

 この年から紅組ラインダンスに対抗して、白組歌手の組体操が恒例になります。16人参加のメンバーの中にはいなかった様子ですが、床面に組体操用の茣蓙を引いたのはジャージ姿の小林さんと宮本さんでした。

第29回(1978年)「さようならの彼方へ」

ステージ

作詞:千家和也 作曲:筒美京平
前歌手:フランク永井、太田裕美
後歌手:西川峰子、菅原洋一

曲紹介:山川静夫(白組司会)

 太田裕美「ドール」の後にすぐ演奏開始、太田さんが決めポーズをする後ろでマイクを準備する内山田さんと岩城さんが映り込んでいます

 「いやぁ「ドール」も結構ですけど今年はドール安でしたですね。さて九州男児6人が今年は10周年を迎えました内山田洋とクール・ファイブです!」。「ドール」演奏終了後のイントロで約10秒、可能な限りの情報を山川アナがうまく詰め込みます。

 筒美京平が演歌歌手に提供した例はこれ以前にも五木ひろし「かもめ町みなと町」などがありますが、英語詞が入るとなるとやはり異質です。”Once Say Good-Bye”, “Come Back to Me”と、コーラス隊は完全に英語が主体になっていました。メインの歌詞も”I’ll never fall in love again”、前川さんが眉間にシワを寄せながら英語を歌うシーンもなかなか見られるものではありません。言うまでもなく太田裕美の「ドール」も筒美さん作曲、作詞者が違うとは言え同じ作曲家でここまで雰囲気が異なるものかとも感じます。

 間奏では「あなたの”ふるさと”」と称して、長崎からの中継が入りました。構成は1コーラス半で、終盤は半音転調します。コーラス隊も今までよりアップで映る場面が多く上出来のカメラワーク、1978年の演歌不振において個人的には隠れた名曲・隠れた名ステージだと思っています。

応援など

 狩人の曲紹介に2年連続で登場。この年の歌唱曲は「国道ささめ雪」、国道1号線・静岡県須賀の地名が書かれた標識を持つ役でした。他は9号線田市(千昌夫)、7号線木(細川たかし)、8号線屋町(新沼謙治)、これを使った占いの結果はそれぞれの地名の頭文字から「1978年白大勝利」で演奏開始という演出です。

 中盤では殺陣で直接対決の演出あり、五木ひろし北島三郎と一緒に水前寺清子都はるみ岩崎宏美に対抗する内容です。なおこちらの勝敗は、紅組歌手陣が足を強く踏み込むと白組側の袴が脱げて赤白チェックの下着が見える、というオチでした。

第30回(1979年)「昔があるから」

ステージ

作詞:杉 紀彦 作曲:曽根幸明
前歌手:千 昌夫、小林幸子
後歌手:石川さゆり、森 進一

曲紹介:山川静夫(白組司会)

 「この世に夜がある限り、クール・ファイブの演歌は不滅です。苦しい昔があればこそ、今があるのです。そんな時、遠い潮騒のように聴こえてくるのはあの歌、「昔があるから」。内山田洋とクール・ファイブの皆さんです!」

 紺色の衣装ですが、前川さんはタキシード・コーラス隊はスーツで分かれています。ズボンも前川さんがグレーで1人だけ異なっています。終盤の歌唱になりましたが1コーラス半の構成。ややマイナーな曲調ということもあって、他の年と比べると地味な印象もありました。

応援など

 オープニングは全員白のタキシード、蝶ネクタイまで白色に揃えています。ほぼ毎年あいうえお順では五木ひろしの次なので、三波春夫村田英雄など後ろの方と比べてオープニングは映る場面が極めて多いです。

 この年は前川さんよりコーラスメンバーの方がやや目立っています。西城秀樹「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」の全員応援は、なぜか宮本さんがヒデキさんに一番近い目立つ立ち位置。ヒデキのアップでも、後ろで宮本さんだけが映り込んでいます。

 加山雄三「旅人よ」では、ギターを弾くさだまさし野口五郎の横で小林さんがコントラバスを担当。演奏後にアグネス・ラムが登場、他のメンバーが首にレイをかけられる中で彼だけベースのネックにかけられます。もっとも頬にキスされるのは他と同様、リアクションは誰よりも大喜びという状況でした。

第31回(1980年)「魅惑・シェイプアップ」

ステージ

作詞:奈良橋陽子・伊藤アキラ 作曲:タケカワユキヒデ
前歌手:もんた&ブラザーズ、ロス・インディオス&シルヴィア、(中間審査)
後歌手:小柳ルミ子、新沼謙治

曲紹介:山川静夫(白組司会)

 演奏を前に、まだ『笑っていいとも!』が始まる前のタモリフランク永井菅原洋一を連れて登場。タモさんだけでなく、大御所ベテラン2人がランニングシャツにウサギの被り物をさせられます。スタイルがビューティフルでない中年出場者向けシェイプアップ体操を実演とのことですが、格好だけでなく体操そのものもかなり辱められてる感が強い内容でした。

 「はい、本当にあったかい体操でした。あったかいと言えば、本当に家族のようなぬくもりを感じさせるグループ、今年も更にシェイプアップして磨きをかけて、この紅白のステージで熱唱いたします。「魅惑・シェイプアップ」、内山田洋とクール・ファイブの皆さんです!」ゴダイゴ制作陣の提供なので平成以降なら作曲のタケカワユキヒデが歌前に登場しそうな所ですが、ここではそういった場面もありません。

 初出場以来、11年ぶりに紅白でバンドスタイルを披露します。客席から”前川さーん!”の声、かすかに手拍子の音も聴こえます。歌詞も歌い出しサビが完全なる英語詞、眉間にシワを寄せながらカジュアルに歌う姿が少しシュールです。

 それぞれの楽器を弾きながらこなすコーラスも、歌詞は”シェイプアップ”が中心です。11年前と違いそれぞれのメンバーにワンショットあり、岩城茂美の担当楽器はサックスで無くフルートでした。

 この時期になると人気もやや落ち着き、「魅惑・シェイプアップ」はオリコン最高位93位という状況です。もっとも資生堂化粧品のCMタイアップに使われているので、実際のセールスよりははるかに知名度の高い楽曲ではないかと思われます。

応援など

 この年の白組歌手はほとんどが変な格好をさせられています。「はばたけ鳥軍団」と称した応援合戦の演目は、紅白史上に残るトホホな内容でした。これも紅白名言集解説・16~はばたけ鳥軍団~として過去に記事化しています。10人中、内山田さんと前川さんがメスドリとしてこの演目に参加。タモさんとペアを組んだ前川さんだけが赤い風船を産んで怒られますが、奇声を挙げながら前川さんがそれを押し込むと風船が割れて白い卵が登場、さらに粘るとなぜか花になるというオチになっています。

 その直後、『歴史への招待』の鈴木健二が顔出しパネルを使用して歴史上の人物を紹介。こちらには小林さんと宮本さんが参加しますが、担当した絵は小林さんが怖い顔の虎、宮本さんが西郷隆盛の連れていた犬でした。

第32回(1981年)「女・こぬか雨」

ステージ

作詞・作曲:たきのえいじ
前歌手:新沼謙治、小林幸子
後歌手:
都はるみ、森 進一
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 「昭和44年のデビュー以来、メンバーの顔ぶれもハーモニーの厚みも全く変わりありません。この素晴らしい6人の九州の男たち、内山田洋とクール・ファイブ「女・こぬか雨」。結束力をたっぷりとご覧ください!」

 これまでの前川さんは七三分けの髪型が主体でしたが、この年は少しパーマがかけられている様子です。パフォーマンスは曲紹介が示す通り例年と大きな変化はありませんが、セットが大幅に変わっているのでステージの雰囲気はこれまでとかなり異なっています。2コーラス歌唱は「思い切り橋」以来4年ぶり、こちらはやや久々でした。たきのえいじが作曲だけでなく作詞も担当、この頃から中山大三郎など演歌でも作詞作曲両方こなす制作者が少しずつ増え始めます。

応援など

 両軍歌手が揃うデュエットショーはどうしてもソロ歌手主体になるので、出演は全く無しでした。前川さんは加山雄三のメドレーステージに登場、北島三郎五木ひろし森進一と一緒に楽譜を持ちながらコーラスで参加します。

 ハーフタイムショーは殺陣が主体、前川さんが西田敏行と殺陣を披露します。ただコーラスの5人は見返す限り、自身のステージと冒頭ラスト以外に出番が全くない様子でした(ほとんど歌手の顔が映っていない紅白玉入れ合戦には参加してるかもしれません)。

第33回(1982年)「噂の女」

ステージ

作詞:山口洋子 作曲:猪俣公章
前歌手:沢田研二、川中美幸
後歌手:(ハーフタイムショー)、岩崎宏美、中村雅俊

曲紹介:山川静夫(白組司会)

 「クール・ファイブには数々の傑作がございますけれども、こんな前川さんに合った曲はございません。バックを支えるのは内山田さん、そして森本さん宮本さん小林さん岩城さん。この5人の九州男児がしっかりとキヨシをもり立てます。「噂の女」内山田洋とクール・ファイブ!」

 山川さんが曲を紹介する間、メンバーはステージ後方の階段を降りて登場。6人で六角形のフォーメーション、赤い衣装の前川さんが先頭です。イントロの時間と合わせた曲紹介は内容だけでなくタイミングも絶妙で、観客の拍手が歌い出しから発生します。

 ”止してよ、アーーー”と歌うコーラスは1番途中から参加、よく見ると前川さんが歌い始めた時点ではまだマイクスタンドへの移動途中。その5人は紺色のタキシード姿、画面左側に内山田洋岩城茂美、右側に森本繁宮本悦朗小林正樹が立っています。このチーム分けでなく立ち位置も、第27回以降毎年変わらず安定しています(バンドスタイルの第31回だけ例外)。

 チームワークが強調された曲紹介ですが、ポップス指向が以前から強かった前川さんはこの年「雪列車」でソロデビューを果たしています。ヒットも出なくなっていたので翌年の紅白は落選、クール・ファイブが紅白に再登場するのは内山田さんが逝去した2006年・24年後となります。

応援など

 全歌手がタキシード姿で登場するオープニング、前川さんは森昌子榊原郁恵のホリプロコンビと肩を組んでの登場です。その後ろでコーラス隊の5人は、内山田さんを上に乗せた騎馬を組んでます。もっとも騎馬を組むのは3人いれば十分で、余った森本さんは内山田さんと手を繋いでの登場でした。

 紅白デュエットコーナーは一応参加していますが出番無し、殺陣を主体とするショーも自身のステージ直後なので不参加でした。

 

 

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