既に何度も当ホームページを見ている人はご存じだと思いますが、1971年以前の紅白歌合戦は満足に映像が残っていません。「ステージ」「応援など」の区分けは、映像が全編確認できる年のみの記載としています。
第16回(1965年)「涙の連絡船」
作詞:関沢新一 作曲:市川昭介
前歌手:三沢あけみ、井沢八郎
後歌手:春日八郎、西田佐知子
曲紹介:林美智子(紅組司会)
「初出場には初出場の対抗です。紅組で一番若い方です。かわいいかわいい京女どす。都はるみさん「涙の連絡船」、聴いておくれやっしゃ」。初出場の曲紹介は、大阪松竹歌劇団出身、大阪放送局制作の朝ドラ『うず潮』主演の林美智子でした。
曲紹介後のイントロは7秒ほどで終了、2番手という早い順番もあってやや慌ただしい出だしです。ただはるみさん特有の唸りは、17歳にして既に抜群のパンチ力があります。若い分、そして残っている録画の音質が良くない分、余計に声の圧力が強いようにも聴こえます。
2コーラス歌唱、2コーラス目の3番前半は後ろからのショットです。オーケストラピットで指揮を振る藤山一郎や松下幸之助、ファイティング原田といったこの年の特別審査員の表情も映っています。第16回紅白は他の年と比べて、ステージ真後ろからのショットが非常に多いという特徴がありました。
歌唱後、渥美清と親父に扮した谷幹一が「待ってくれー連絡船」と言いながら登場。渥美さんがひたすら谷さんのモノマネをした後、縁談がまとまらない渥美さんを谷さんが嘆くという流れになります。渥美さんが自分の取り柄を「丈夫で長持ちだァ」と力説した後、「♪馬鹿っちょ~出船~」と歌って締めるオチ、これは「涙の連絡船」と同様ヒットした「馬鹿っちょ出船」から拝借。したがって初出場ながら別の曲も歌われるおいしい形になっています。
第17回(1966年)「さよなら列車」
ステージ
作詞:関沢新一 作曲:市川昭介
前歌手:越路吹雪、アイ・ジョージ
後歌手:三田 明、伊東ゆかり
曲紹介:ペギー葉山(紅組司会)
「歌謡界のパンチ娘をご紹介いたしましょう。体中ぶつけるように歌うダイナマイト娘でございます。京都の皆さん、応援をおたのみ申します。都はるみさんの「さよなら列車」、どうぞ!」。
初出場の時点で衣装は着物、この年ももちろん着物姿ですが、髪は少し長めのおさげが特徴的で後年と違う雰囲気です。1コーラスが比較的短い曲ですがステージは2コーラス、そのため演奏時間は1分55秒という短さでした。
楽曲は1966年以前よりも、それ以降の時期で多く聴くことが出来そうなスタンダード演歌です。今の感覚だと演歌は古いというイメージもありますが、この年の紅白歌合戦を通しで見るとやや新しめの曲にも聴こえます。なおはるみさんの師匠としても知られる市川昭介は当時33歳、まだ作曲家生活6年目の若手でした。
応援など
紅組2番手・田代美代子「ここがいいのよ」のステージにコーラスで参加しています。一緒にいたのはこまどり姉妹・水前寺清子・三沢あけみでした。和服姿で揃えていますが、チータは着物でなく着流しの衣装で若干不揃いです。
第18回(1967年)「初恋の川」
作詞:関沢新一 作曲:市川昭介
前歌手:佐良直美、北島三郎
後歌手:アイ・ジョージ、ザ・ピーナッツ
曲紹介:九重佑三子(紅組司会)
3回目の出場、まだ19歳ですが早々にトリ2つ前の終盤に抜擢されます。エレジー調の楽曲で、女性コーラスの声量がかなり大きいです。
女優の三浦布美子がバックで日本舞踊を披露。この時期ゲスト出演が非常に多く、第16回・第18回~第21回・第28回と計6度紅白に登場しています。
第19回(1968年)「好きになった人」
ステージ
作詞:白鳥朝詠 作曲:市川昭介
前歌手:(オープニング)
後歌手:三田 明、佐良直美
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)
この年は29回出場した紅白で唯一、全体のトップバッターという曲順でした。オープニングセレモニー後のダンサーによるパフォーマンスが終了後、間髪入れずイントロの演奏に入ります。「それでは紅組のトップバッターでございますパンチでまいります「好きになった人」都はるみさん!」。同年に初出場した水前寺清子が一息で一気に曲紹介。
まだスタンドマイクが主流の時期、マイクを手で持つアクションはありません。両手を使って、アップテンポの楽曲を力いっぱいに表現しています。はるみさんらしいコブシの効いた歌声はもちろん、1番2番ラストで指をさす振付もバッチリ決まりました。終始笑顔で、本当にその場を楽しんでいるかのようなステージです。
応援など
この年は三沢あけみ「木曽節」のステージにコーラスで参加。扇ひろ子・水前寺清子・島倉千代子・青江三奈と演歌勢が勢揃いですが、一同着物姿の中で青江さんだけドレス姿でした。
まだ当時は司会者以外、ステージ用・応援用で2着用意することの少ない時代です。はるみさんも同様で、トップバッターで登場後エンディングまでずっと同じ着物の衣装でした。
第20回(1969年)「はるみの三度笠」
ステージ
作詞・作曲:市川昭介
前歌手:佐良直美、北島三郎
後歌手:森 進一、美空ひばり
曲紹介:伊東ゆかり(紅組司会)、宮田 輝(総合司会)
トリ前のステージですが、この年は歴代のはるみさんの紅白でも異色の内容となっています。白組だと橋幸夫や氷川きよしなどいくつか例はありますが、紅組の股旅姿ステージは歴代の紅白歌合戦を見渡してもこのステージ以外存在しません。なお股旅をテーマにした曲でなければ第16回の美空ひばり「柔」が存在します。また市川昭介の作品は紅白で計44曲(歴代4位)歌われていますが、作詞も手掛けたのはこの曲が唯一です。パンチ力や京女が強調されることが多かった曲紹介、この年は「演歌には演歌で対抗いたします!」と初めて「演歌」のフレーズが登場します。
三度笠を持った股旅姿、太ももがあらわになっています。着物姿以外で紅白のステージに立ったのも、この時が唯一です。間奏ではコメディアンの関敬六・南利明が剣の勝負を挑みますが、殺陣というより勝手に自滅するような形ではるみさんの勝利。「やっぱり紅はカッコいいぞこりゃ」「どうもすみませんでした」と挨拶して颯爽と去ります。
”おっととっといけないよ”という歌詞は1度聴けばすぐ頭に入るフレーズで、小気味良いはるみさんの声にもよく合っています。代表曲にならなかったのは惜しいところでしたが、一応オリコン最高25位・10万枚以上のレコード売上を記録するヒット曲ではありました。
なおこの年から、観客席からの「ミヤコ!」の掛け声が入るようになります。これもまた、1984年の引退時まで毎年必ず聴くことが出来た紅白歌合戦の風物詩の一つでした。
応援など
さすがにこの年の股旅姿はステージのみで、オープニングはいつも通り着物姿での登場です。歌手席がセットの後ろに設置されてほぼ常時映るカメラワーク、ただ最上段端に座っていたので他の紅組歌手よりは映る場面少なめです。前は美空ひばり、横は今陽子の指定席になっていたようでした。
歌手席に座っていたのは前半のみで、中盤以降は本番に向けての準備を理由に不参加となっています。なおトリ前から急いで着替える形なのでエンディングは着物でなく、おそらく5回目の出場で初となる洋服姿での参加でした。
第21回(1970年)「男が惚れなきゃ女じゃないよ」
作詞:かないさちこ 作曲:市川昭介
前歌手:ちあきなおみ、布施 明
後歌手:(中間審査)、舟木一夫、いしだあゆみ
曲紹介:美空ひばり(紅組司会)
「ミヤーコ!ミヤーコ!」と登場時の掛け声が前年にもまして大きくなります。楽曲はリズミカルな演歌でした。1コーラス短めですが2コーラス、したがって演奏時間は2分にも満たない短さです。
間奏で水原弘などが「はるみちゃん自分のこと歌ってんじゃないですかね」など、少々嫌味な雑談が入ります。後年VHSで『都はるみメモリアル〜NHK紅白歌合戦 20年の歩み』が発売された際、このシーンは大阪万国博覧会の映像が挿入される形となりました。また、キネコのカラー映像がオンエアされることの多いこの年の紅白ですがVHS収録分は白黒映像になっています。
第22回(1971年)「港町」
作詞:石本美由起 作曲:猪俣公章
前歌手:渚ゆう子、千 昌夫
後歌手:三波春夫、(中間審査)、橋 幸夫
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)
デビュー以降に発表された楽曲は大半が市川昭介作曲でしたが、この年からは市川さんに限らず様々な作曲家から提供を受けることが多くなります。「港町」を作詞した石本美由起はこの時点でもコロムビア専属ですが、作曲の猪俣公章はビクター専属から既にフリーに転向。この頃になると作詞・作曲者も専属ではなく、レコード会社の垣根を超えて提供するスタイルが主流になりつつあります。
この年は中盤に映像の乱れが激しく、NHKアーカイブスの公開ライブラリーでも見ることはできません。先述したVHSも音声のみ収録のようです。楽曲は2コーラスではなく3コーラスじっくり聴かせる楽曲、間奏のたびに拍手と大きな歓声が入っています。
第23回(1972年)「おんなの海峡」
ステージ
作詞:石本美由起 作曲:猪俣公章
前歌手:島倉千代子、橋 幸夫
後歌手:沢田研二、ちあきなおみ
曲紹介:佐良直美(紅組司会)
橋幸夫「子連れ狼」から続く形、すぐに演奏が始まる形となります。「演歌は日本人の心、独特の節回しで日本人の心を歌い続ける都はるみさん。今年の歌は「おんなの海峡」」、曲紹介にも少しずつ貫禄がつき始めます。イントロでは「ミヤーコ!ミヤーコ!」とひたすら叫ぶ方がおられたようで、本人も思わずビックリの表情を見せています。
オープニングとは違い、ステージは薄紫色の着物で髪もしっかりまとめています。思わず聴いている方もコブシに力の入る熱唱ですが、なぜか歌い終わりは2コーラスとも外側から中心に向かって徐々に函館の夜景に切り替える独特のカメラワークになっていました。
応援など
1960年代は第20回ラストを除いて和服姿ですが、この年のオープニングは何の柄かよく分からない洋服で登場。髪も紐などで結っていない下ろした状態で、入場行進では髪型を手で整えるシーンも映っています。なおエンディングはステージ衣装での参加でした。
第24回(1973年)「涙の連絡船」
ステージ
作詞:関沢新一 作曲:市川昭介
前歌手:ちあきなおみ、五木ひろし
後歌手:水原 弘、島倉千代子
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)
NHKホール1年目・テレビ放送20周年ということで、この年は常連歌手の大半が過去曲の歌唱となっています。特にはるみさんはこの時期ヒット曲が出ない低迷期で、1973年・1974年発表のシングルはいずれもオリコン100位圏外の売上でした。
「さて、紅組は演歌の極めつけでまいりたいと思います。日本中の皆さんに親しまれましたはるみ節。いまこのステージ、今年最後のはるみ節の歌い納めです。「涙の連絡船」、都はるみさん!」
初出場の時に歌った曲を、紅白で8年ぶり披露となります。曲紹介にもある通りこの頃にははるみ節が完全に日本国民に定着、9年連続出場は島倉千代子とザ・ピーナッツに続いて早くも紅組3番目に多い出場回数となりました。曲順もひばりさんに代わるトリを務めたお千代さんの1つ前、まだ25歳ですが早くも重鎮に近い扱いとなっています。
青を基調とした鮮やかな着物姿、生地にはピンクの花があしらわれています。声の唸りだけでなく、首を振る回数も8年前より確実に多くなっています。間奏では例のごとくファンのコール、ただ2番を歌い始めてもなお”はるみちゃん、日本一!”と叫ぶのにはさすがに会場もざわついている様子でした。
応援など
この年もオープニングは着物でなく洋服姿ですが、客席ではなくセットからの登場ということもあってほとんど映っていません。伝統的にオープニングは青江三奈を筆頭に「あ」行の歌手は前方真ん中が多く目立ちますが、「ま」行の歌手はほぼ後ろに回るので全然映らないことも多いです。
この年は他の年・他の歌手と比べても全体的に映るシーンが非常に少ないです。森昌子や佐良直美など、歌手総出で応援するステージにも参加していない様子でした。エンディングの「蛍の光」でさえも後列で、ほとんど目立っていません。
第25回(1974年)「にごりえの町」
ステージ
作詞:横井 弘 作曲:平尾昌晃
前歌手:森山良子、渡 哲也
後歌手:(中間審査)、水前寺清子、北島三郎
曲紹介:佐良直美(紅組司会)
沖縄県名護市から届いた彼岸桜を紹介した後、ステージに入ります。「さて、紅組前半戦の最後を飾る方、都はるみさん「にごりえの町」!」
横井弘は「哀愁列車」「下町の太陽」など昭和30年代のヒット曲が多い、当時でもベテランにあたる作詞家です。一方平尾昌晃は「よこはま・たそがれ」「わたしの城下町」など作曲家として脂の乗り始めた頃、はるみさんが平尾作品を歌ったのはこの年のシングル3作のみです。色々と異例の組み合わせでした。
ステージ最後方から客席を映すショット、はるみさんが舞台へ歩く様子がそのまま映ります。左手で持つマイクは、ソケットが赤色になっていました。衣装については間奏で、「京都西陣の生まれのはるみさん、今日は総絞りの縮みです」とテレビ実況に解説されています。
マイクをまっすぐではなく、斜め45度くらいの角度で持つ仕草も絵になります。迫力あるコブシも素晴らしく、ヒットはしていないものの隠れた名曲としては十二分以上の出来に仕上がっているように聴こえました。前半戦ラストで直後に餅つきの余興あり、応援席の前列は和服姿で餅を配る歌手の姿が目立っています。
応援など
オープニングでステージとは全く違う衣装・髪型で登場するのも恒例になりました。この年は焦茶色のやや地味めな洋服、少しパーマを当てている様子です。前年と違い、佐良直美・梓みちよなど全員登場の応援にはしっかり参加していますが、この年から恒例のラインダンスは一貫して不参加でした。なおエンディングでは着物から再びオープニングのスタイルにチェンジしています。
島倉千代子・ちあきなおみ・和田アキ子に水前寺清子など何かとイジられることの多い当時の紅組歌手ですが、振り返るとはるみさんのそういう場面は平成を含めても一切見られません。昭和の紅白歌手では、歌以外の余興に出演するシーンは他と比べるとやや少ないような気がします。
第26回(1975年)「北の宿から」
ステージ
作詞:阿久 悠 作曲:小林亜星
前歌手:いしだあゆみ、北島三郎
後歌手:布施 明、ちあきなおみ
曲紹介:佐良直美(紅組司会)
「吹雪の中に愛しいの面影を追い、北国の深い雪に恋を埋める女がひとり。連続11回出場、都はるみさん女の哀愁を歌い上げます「北の宿から」」。佐良さんが曲紹介する後ろで、海原千里・万里と由紀さおりが「大吉」「紅組勝利」と書いた紙を広げています。
当時はまだ12月に出たばかりの新曲で知名度は高くなく、国民的ヒット曲になる前でした。曲順もトリ2つ前、北島三郎「残雪」が終わった後すぐの演奏であっさりしたものです。ただその割に1番は、本来のメロディーと少しリズムをずらした余裕のある歌唱でした。
「ブラジルの皆さんお聴きでございましょうか。この放送は衛星中継でブラジルに同時放送されています」。間奏で入るテレビ実況は楽曲と全く関係のない内容でした(ブラジル同時放送はこの年が初)。翌年の大ヒット後だと、まず考えられないアナウンスのような気がします。2コーラス+ラストサビ繰り返し、ただこの年の2コーラス目は”吹雪まじりの…”で始まる2番で翌年と異なる構成でした。
ラストサビでは声だけでなく手やマイクも震え、唸りの度合いも最大限となる圧巻の内容でした。なおこの次のステージは布施明「シクラメンのかほり」、結果的に2曲連続日本レコード大賞受賞曲が続く形となっています。
応援など
この年は久々にオープニングから着物姿で登場。例のごとく入場行進~セレモニーで映る場面は少なめですが、トップバッター・岩崎宏美のステージでは割と彼女に近い立ち位置で応援する姿が確認できます。
その後は洋服に衣装替え、本番開始後1時間近く経った佐良直美のステージなどに参加。ベテラン勢中心にバックコーラスを務めた森山良子のステージはまた別の衣装を用意、襟付きのスーツという珍しい姿が見られます。
第27回(1976年)「北の宿から」
ステージ
作詞:阿久 悠 作曲:小林亜星
前歌手:ちあきなおみ、五木ひろし
後歌手:(エンディング)
曲紹介:佐良直美(紅組司会)
「今年の歌謡界は、この歌に明け、この歌に暮れたと言っても決して過言ではありません。数々の賞を受賞し、そして先ほどもまた日本レコード大賞に輝きました。昭和51年紅白歌合戦の歌い納め。「北の宿から」、都はるみさんです」。
2年連続歌唱、その2年目が日本レコード大賞受賞年で紅白大トリは第16回(1965年)・美空ひばり「柔」以来。これ以降は一切ありません(なお2019年のFoorin「パプリカ」は前年ゲスト歌唱、第70回紅白でトップバッター)。曲紹介にもあった通り1976年の1年を通してロングセラーを記録、売上・オリコン順位的にピークを迎えたのは次々に大賞を受賞する賞レース最中のこの時期でした。美空ひばり・島倉千代子以外の紅組トリは20年ぶりですが、間違いなく当時異論は全く起きなかったものと思われます。日本レコード大賞・日本歌謡大賞・FNS歌謡祭・日本有線大賞・全日本有線放送大賞・日本作詩大賞…。ここまで1曲が全ての賞を受賞した年は、他にありません。
全歌手が歌手席を後にして、はるみさんのステージを見守ります。前年と違い照明はほぼ暗転に近い状態、はるみさんが歌う姿を最大限にクローズアップする演出です。衣装はピンクの着物に桜の花、細かくは違いますが大まかなデザインは前年と共通しています。
2コーラス、この年は2番ではなく3番を歌います。毎年必ず起こる「ミヤコ!」コールもこの時ばかりはやや抑えめ、歌の邪魔にならないよう配慮しているようにも見えます。紅組出場歌手は途中からはるみさんの後ろを囲むように応援、舞台をさらにもり立てます。肩を組む場面は無く概ね笑顔、特に水前寺清子はいしだあゆみとともに、紅組の勝利を確信したような表情を浮かべていました。
歌い終わったはるみさんは満面の笑顔、そして演奏終了と同時に緊張から解放されたかのような息遣いを見せます。18組終了時点では白組優勢でしたが、最終結果はやはり紅組勝利。腕を動かして喜ぶ姿が印象的でした。
応援など
日本レコード大賞受賞・移動のためオープニングはおそらく不参加です。ただこの年は森昌子や和田アキ子など、紅組ま行以降の歌手が一切映っていないので確認は出来ません。トップバッター・山口百恵のステージで歌手応援席にいるのをなんとか確認、21時10分までには到着している様子です。当然ですが、この年のオープニングは洋服ではなく着物でした。
その後、5番手太田裕美のステージ前にはボディラインが見える紺の衣装に着替えています。他のベテラン陣と一緒に、曲紹介のマジック演出に参加。さらに7番手・桜田淳子や研ナオコのステージでは一緒に踊りに参加するなど、これまでにないほど目立つ場面が多いです。ラインダンスで大半が出払った後に八代亜紀が歌うステージでは、水前寺清子や和田アキ子と一緒に歌手席を飛び出して応援しています。
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