紅白歌合戦・島倉千代子の軌跡~ステージ編(1957~1972)~

 今回の特集は4記事に分けることを予定していますが、例のごとく第22回(1971年)以前は映像が残っていない紅白も多いです。またNHKホール移転後のような応援で目立つシーンも少ないので、第23回(1972年)までの当記事では基本的にはステージについてのみ記す形とします。

 島倉さんに関しては充実したアーカイブが公式にリリースされています。出場歌手の応援が目立つ回以外は基本的にほぼ全て収録、さらに『思い出のメロディー』などNHK各番組に出演した映像も収録されているようです。

第8回(1957年)「逢いたいなァあの人に」

作詞:石本美由起 作曲:上原げんと
前歌手:ペギー葉山、春日八郎
後歌手:灰田勝彦、越路吹雪
曲紹介:水の江瀧子(紅組司会)

 デビュー3年目・19歳ですが既にスターになって久しく、曲順は初出場ながら紅組22番手・トリ3つ前でした。同年には「東京だョおっ母さん」も大ヒットしていますが、そちらは残念ながら紅白で歌われる機会は訪れていません。

 2コーラス歌唱、1970年代で2回歌った時よりテンポがゆったりしているような気がします。間奏やアウトロもじっくり演奏されていて、実際演奏時間も後年の2回よりも20秒近く長いです。観客からの拍手や声援も多く、イントロや間奏で入る実況も多め。「舞台は投げられたテープでいっぱいになっております」、映像が残っていない時代の紅白は観客からテープが投げられることも日常的にありました。

 ちなみに後年の記事によると、この時の島倉さんは尋常ではなく緊張していたそうです。舞台に向かうはずが、そのまま逆方向に振り向いて帰ろうとする動きを見せたとのこと。

第9回(1958年)「からたち日記」

作詞:西沢 爽 作曲:遠藤 実
前歌手:水谷良重・東郷たまみ・沢たまき、春日八郎
後歌手:高田浩吉、宮城まり子
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 「島倉千代子さんに最近のヒット曲を歌ってください」と紹介するのは当時25歳の黒柳徹子、曲名を言う余裕がない様子です。この年は東京宝塚劇場ではなく新宿コマ劇場の開催ですが、前後の紅白と比較しても歌や進行が難しかったと言われています。2回目にしてトリ2つ前という終盤ですが、音声だけで聴いていても熱狂度は極めて高め。「このあたり盛んにテープが飛んでおります」という実況も入ります。

 この曲も紅白で後に2度歌っていますが、20歳でまだ後年の度重なる苦労を経験していない島倉さんの歌唱は非常にかわいらしいソプラノボイス。セリフ付きの2コーラスを歌いますが、前年と比べると進行や舞台状況に余裕がない分テンポやや速めでした。

第10回(1959年)「おもいで日記」

作詞:西沢 爽 作曲:遠藤 実
前歌手:ペギー葉山、フランク永井
後歌手:三橋美智也フランキー堺
曲紹介:中村メイコ(紅組司会)

 1960年代までの紅白は概ね前半・後半で攻守交代という曲順が多く、前半トリ・後半トップバッターの人選も重要視されていました。3回目の出場ですがこの年は前半紅組トリを担当、対戦相手は300万枚以上レコードを売り上げたと言われる「古城」の三橋美智也でした。

 「からたち日記」の姉妹作品にあたる関係と思われますが、こちらは冒頭にセリフが入ります。いわゆる”泣き節”とも形容される島倉さんの儚い歌声が活きるステージです。

第11回(1960年)「他国の雨」

作詞:野村俊夫 作曲:石毛長二郎
前歌手:楠トシエ、三波春夫
後歌手:三橋美智也、(エンディング)
曲紹介:中村メイコ(紅組司会)

 この年から3年連続、レーベルの先輩で憧れの存在でもあった美空ひばりに代わって紅組トリを担当します。

 「他国の雨」については、例のごとく合田道人著『紅白歌合戦の真実』で詳しい記載があります。元々は1954年に鳴海日出夫が歌った「涙のグラス」という曲で、彼女はコロムビア歌謡コンクールでこの曲を歌って優勝。デビューのきっかけになった思い出深い曲ですが、この曲の歌詞とタイトルを変更して1960年にシングルとして発表したのが「他国の雨」でした。

 演歌という単語がまだ一般化されているかどうか分からない時期ですが、この曲は曲間の起伏などヒットさせようという意図が全く見えない、芸術的とも言える演歌らしい演歌です。こういった聴かせる演歌こそ歌手にとっては真骨頂で、よほど表現力を持ち合わせていないと難しい曲ですが、見事に歌い切っています。ただ後年のトリらしい盛り上げる曲紹介や大仰なアウトロは存在していないので、60年以上経った現在の感覚から見るとややあっさり聴こえる内容かもしれません。

第12回(1961年)「襟裳岬」

作詞:丘灯至夫 作曲:遠藤 実
前歌手:越路吹雪、フランキー堺
後歌手:三波春夫、(エンディング)
曲紹介:中村メイコ(紅組司会)

 この年は後年の番組でも歌われる機会が非常に多い「恋しているんだもん」が発表されましたが、11月発売・当時は発売してすぐヒットという時代でなかったこともあって紅白歌唱には至りませんでした。「襟裳岬」も後年までよく知られている楽曲ですが、発売当時はシングル「すずらんの花」B面収録だったようです。襟裳岬に歌碑が建立されたのは1971年、それより前の1967年に楽曲がドラマ化されているので、おそらく1961年の紅白でトリに抜擢されてもおかしくない空気は十分にあったものと思われます。

 2コーラス、こちらも後年と比べてややゆったりとしたリズム・シンプルな演奏のステージです。後年の紅白は1番と2番の歌唱ですが、この年は1番と3番でした。実況では「五色のテープが飛んでおります」という情報もあり。もっとも、自身の公演でファンの投げたテープが両目に当たり失明の危機に陥ったのはこの年と言われています。

第13回(1962年)「さよならとさよなら」

作詞:西沢 爽 作曲:市川昭介
前歌手:西田佐知子、フランク永井
後歌手:三橋美智也、(エンディング)
曲紹介:森 光子(紅組司会)

 3年連続紅組のトリですが、この曲もシングル「別れるときは死ぬときよ」のB面収録曲でした。同じ歌手が2年連続表題曲ではなくB面曲(カップリング曲)でトリを務めるのは、おそらくこの時にしか例がないはずです。なお市川昭介作曲の紅白歌唱はこれが初でした。

 市川さんといえば演歌の大物ですが、この曲は6/8リズムを採用した少しモダンな雰囲気の楽曲です。演歌というより歌謡曲に近く、過去5回のステージとはやや異なる内容でした。2コーラス歌唱、2番は女声合唱団のコーラスが加わっています。ステージへの紙テープ投げ込みに関する実況は無し、おそらくこの年から禁止になっているのではないかと思われます(映像のある翌第14回でもそういった場面は存在しませんでした)。

 歌唱後、白組司会の宮田輝「藤本さんによろしくね」とお返しする一幕がありました。藤本さんとはこの年セリーグを制した阪神タイガースの藤本勝巳選手で、当時主砲打者として活躍。既に婚約発表して翌年結婚しますが、同時に成績が急降下して1967年に引退。その翌年5月に離婚、金銭的な問題に加えてもうけた3人の子どもは中絶という状況で、幸せな結婚生活とは全く言えない状況でした。

第14回(1963年)「武蔵野エレジー」

作詞:嵯峨哲平 作曲:遠藤 実
前歌手:朝丘雪路、田端義夫
後歌手:三橋美智也村田英雄
曲紹介:江利チエミ(紅組司会)

 トリを美空ひばり、自身は前半トリという第10回と同じ体制に戻りました。以降しばらく紅組は前半トリ島倉さん、後半トップ江利チエミ(この年は畠山みどり)・トリひばりさんという曲順が慣例化します(例外もあり)。

 「自分の今の心境とまるで正反対の歌を歌って頂くんです。新婚ホヤホヤで幸せいっぱいの島倉千代子さん、「武蔵野エレジー」です」。結婚式を挙げたのはこの年12月ですが父親が亡くなって間もない時期でもあり、家族からは相当な反対があったと言われています。

 楽曲は曲紹介でもあった通り幸せとはほど遠い、情感を込めて歌われるエレジー(悲歌)です。守屋浩とのデュエット「星空に両手を」が話題になった年でもあるので、その点でも対照的な内容と言えます。声の表現も絶品ですが、それ以上に顔の表情が細やかに変化しているのが映像で確認するとよく分かります。歌い終わった後に笑顔で何度も会釈、これも楽曲と対照的な場面で印象深いです。

第15回(1964年)「ふたりだけの太陽」

作詞:西沢 爽 作曲:市川昭介
前歌手:こまどり姉妹、村田英雄
後歌手:江利チエミ、三橋美智也
曲紹介:江利チエミ(紅組司会)

 男らしさ満点の村田英雄に対し、「典型的なやまとなでしこ」と島倉さんを紹介するチエミさん。

 衣装はこの年も着物もしくは振袖の和服だと思われますが、楽曲はタイトルが示す通り青春歌謡に近い明るめのテイストです。前年の「武蔵野エレジー」とは正反対の曲調、こういった全く個性の違う楽曲を自分の物として歌える対応力も島倉さんの強みでした。

 なおこの年は前半の大トリ、おそらく応援合戦か何かしらのインターバルを挟んで紅組司会・江利チエミのステージに移行したと推測できます。チエミさんの曲紹介は前年が白組司会の宮田輝、この年は盟友・美空ひばりの担当でした。

第16回(1965年)「新妻鏡」

作詞:佐藤惣之助 作曲:古賀政男
前歌手:伊東ゆかり、三田 明
後歌手:三橋美智也、岸 洋子
曲紹介:林美智子(紅組司会)

 「こちらはご家庭の操縦も大変お上手という方を迎えます。重量級のバッターです。そうです、野球ファンの皆さんも応援してくださいね。島倉千代子さんです。「新妻鏡」、どうぞ!」。操縦という単語は前のステージ、機長に扮した三田明「若い翼」の流れを受け継いだものですが、後年の立場から見ると何とも言えない紹介です。ちなみにこの年の藤本選手は若手の遠井吾郎選手と一塁のレギュラー争い、1960年に本塁打王・打点王を獲得した頃と比べるとかなり成績を落としていました。

 楽曲は霧島昇二葉あき子が歌ってヒットした曲のカバー、元々は1940年の発表です。古賀政男が譜面にした3拍子のメロディーが耳に残る、”古き良き作品”という形容がこの時代から見てもしっくり来るステージでした。1960年代に島倉さんが出演した紅白で唯一、カラー映像が残っています。

 この「新妻鏡」は同名映画の主題歌として発表されましたがリメイクも多く、1956年の映画版や1962年・1966年・1969年・1974年のテレビドラマ版が存在しています。島倉さんのカバーは、翌1966年1月から5月まで放送された日本テレビ版の主題歌としてリリースされました。

第17回(1966年)「ほんきかしら」

作詞:岩谷時子 作曲:土田啓四郎
前歌手:金井克子、春日八郎
後歌手:橋 幸夫、江利チエミ
曲紹介:ペギー葉山(紅組司会)

 「ねえ皆さん、女性ってこんなに変わるもんでしょうかね。そう、これが女性の持つ強みかもしれません。今まで皆さんの涙を絞っていた千代ちゃんが、今年は新しい面を開拓しました。お聴きくださいませ、島倉千代子さんの歌はもちろん「ほんきかしら」、どうぞ!」。紅組司会のペギーさんの紹介は、先輩の同業者ならではこその内容でもありました。

 舞台に島倉さんが登場後、司会者用マイクには4人の紅組歌手が集まります。男声コーラスが聴きどころでもある紅白ですが、この年までは紅組で男声コーラスは禁制という状況でした。もっとも代わりのコーラスは金井克子朝丘雪路倍賞千恵子田代美代子。原曲よりは確実に豪華で、観客席からも拍手が巻き起こります。

 着物姿は例年と同様ですが、島倉さんの歌唱内容はやはり異なっています。歌詞に合わせて涙を流すポーズをするチャーミングな場面は、前年までだと考えられない光景でした。

第18回(1967年)「ほれているのに」

作詞:くるみ広彰 作曲:くるみ敏弘
前歌手:岸 洋子、フランク永井
後歌手:橋 幸夫、(中間審査)、西郷輝彦
曲紹介:九重佑三子(紅組司会)

 前年の「ほんきかしら」同様、この曲も軽快な明るい曲調です。前回は歌手から離れた司会者用マイクでコーラスという体制でしたが、この年は島倉さんの後ろをコーラスが囲んでいます。登場した紅組歌手は山本リンダ黛ジュン弘田三枝子仲宗根美樹。本来男性がコーラス担当というのは前回と同じですが、この年は梓みちよ「渚のセニョリーナ」でその縛りは解禁されていました。

 明るい曲調ということもあって、島倉さんの紅白ステージでは珍しくかなりテンポアップ気味です。ただその分明るさも増していて、笑顔の表情も前年以上に目立っていました。コーラスの豪華さやインパクトの強い歌詞に何よりステージの雰囲気の良さ、1960年代の紅白における屈指の名ステージではないかと思います。

第19回(1968年)「愛のさざなみ」

作詞:なかにし礼 作曲:浜口庫之助
前歌手:中尾ミエ、ダークダックス
後歌手:三波春夫、(応援合戦)、北島三郎
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)
コーラス:ザ・ヴァイオレッツ

 プライベートではこの年に離婚、いよいよ波乱がつきまとう形になってきますが、この年に発表された「愛のさざなみ」は大ヒットを記録。当時ヒットメーカー的存在にあった浜口庫之助が作曲、そういえば第68回の『ひよっこ』特別編で桑田佳祐が扮していたのは1968年大晦日のハマクラさんでした。彼との仕事は後年非常に大きな意味を持つことになりますが、それについてはまた後で記す予定です。

 「今度の紅組はいつも私たちに歌のマナーを教えてくださる素晴らしいお姉さま、紅白歌合戦連続12回出場・島倉千代子さん「愛のさざなみ」」と曲紹介。イントロでは「島倉千代子さんの歌手生活15年を記念して出来た曲でございます」とアナウンスがありました。まだこの時点ではひばりさんや越路吹雪江利チエミペギー葉山もいますが、30代に入りベテランとして扱われ始めているのが曲紹介一つとってもよく分かります。当時は若手の台頭が男女とも非常に目立っていて、キャリア10年超でヒット曲を出すのが非常に難しい時代に入り始めていました。

 泣き節がメインの演歌とは全く異なりますが、明るい曲調ながらもどこかアンニュイな雰囲気が漂っているのも大きな特徴です。原曲通りこの曲は女性コーラスも特徴的でステージにも当然入りますが、ザ・ヴァイオレッツ3名のコーラスは使うマイクの音量調整が非常に大きく、やや目立ち過ぎていた印象もあります。

 なお上記でも分かる通り、2年続いた出場歌手のコーラスはこの年無しでした。その代わり?に「木曽節」を芸者姿で歌う三沢あけみのステージで、水前寺清子都はるみ青江三奈扇ひろ子と一緒に”ヨイヨイヨイのヨイヨイヨイ”と歌うコーラスに参加しています。

第20回(1969年)「すみだ川」

作詞:佐藤惣之助 作曲:山田栄一
前歌手:森山良子、鶴岡雅義と東京ロマンチカ
後歌手:三波春夫、(応援合戦)、橋 幸夫
曲紹介:伊東ゆかり(紅組司会)、宮田 輝(総合司会)

 一通り司会陣が電報を読み上げた後、琴の音が鳴り響く中で伊東ゆかり「日本情緒もたっぷりと、島倉千代子さん「すみだ川」です」と曲紹介。島倉さんは和傘を持った芸姑姿でせり上がりで登場、このオープニングはそれ以前の紅白で全く見られない光景です(この年にせり上がりで登場したのも「愛の讃歌」を歌った越路吹雪のみでした)。

 「新妻鏡」と同様「すみだ川」も戦前のヒット曲で、原曲は東海林太郎の歌唱・1937年発表の曲でした。この3年は演歌調の楽曲から少し離れた路線だったので、久々に日本調のお千代さんを堪能できるステージになっています。原曲で田中絹代が担当していたセリフも島倉さんが自ら担当、情感という点では原曲超えしているという評も多くあったのではないかと思われます。赤坂小梅小唄勝太郎など芸姑出身の出場歌手も紅白からいなくなって久しい時期、その点でも非常に価値のあるステージでした。

 ちなみにこの年は歌手席が舞台中央の2階ステージに設置されているため、他の回より映るシーンが圧倒的に多いです。中には歌手席で歌うステージもあったほどですが、島倉さんは概ね最上段端に陣取る形で他の歌手と比べてあまり目立ってはいませんでした。明るく振る舞うのがあまり得意でないように見える初出場のカルメン・マキがずっと隣に座っていましたが、もしかすると孤独な表情を見せることが多かった彼女の横で良い話相手になっていたのかもしれません。

第21回(1970年)「美しきは女の旅路」

作詞:橋本 淳 作曲:三木たかし
前歌手:トワ・エ・モワ、ヒデとロザンナ
後歌手:三波春夫、(中間審査)、西郷輝彦
曲紹介:美空ひばり(紅組司会)

 この年も攻守交代直前の前半トリ、対戦相手も3年連続で三波春夫です。作詞作曲陣は1960年代中盤から活動する若手のクリエイター(双方とも後に大御所的存在になりますが)ですが、楽曲は島倉さん本来の個性を活かした哀愁メインの内容でした。1コーラスやや長めなので、ステージは島倉さんの紅白だと珍しい1コーラス半構成になっています。

第22回(1971年)「竜飛岬」

作詞:石本美由起 作曲:船村 徹
前歌手:藤 圭子、舟木一夫
後歌手:北島三郎、(中間審査)、ダークダックス
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)
三味線演奏:木田林松栄社中

 1961年に発表した「襟裳岬」は1974年以降森進一に取って変わられますが、この「竜飛岬」も石川さゆりが「津軽海峡・冬景色」をヒットさせるまでは島倉さんのイメージではなかったかと思われます。

 20人近くの三味線演奏は木田林松栄社中、こういった演出が入るのは当時の紅白だと初めてでした。ただ他の歌手記事で何度も書いている通りこの年は特に余裕のない進行、三味線の演奏は前の舟木一夫「初恋」が終わり切らないうちに始まります。

 北の過酷な波の風景を思い起こさせる島倉さんの歌唱がとにかく絶品で、細かい声の表現がまさしく目を瞠る絶唱でした。なおNHKの各施設に設置されている公開ライブラリーは、この年の紅白に関して言うとオープニングとこのステージまで、および三波春夫からエンディングまで視聴可能となっています。

第23回(1972年)「すみだ川」

作詞:佐藤惣之助 作曲:猪俣公章
前歌手:島倉千代子、橋 幸夫
後歌手:沢田研二、ちあきなおみ
曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 3年前に紅白で歌ったばかりでしたが、再歌唱の背景には東海林太郎の逝去がありました。戦前からの歌手がまだまだ多く健在だった時代、音楽葬で送られるのも司会者が訃報に触れるのも紅白ではこれが初めてとなります。1898年12月11日、紅白歌合戦の歴代歌手では6日だけ生まれの早い藤原義江に次ぐ最長寿歌手で、19世紀生まれも民謡の鈴木正夫(1900年生)含めて3人のみです。曲紹介では佐良さんだけでなく、直前に舞台の向こう側から宮田輝とのやり取りもありました。

 「今年は若い人がとても多いんです。それは嬉しいことなんですけれども、実はこの舞台で、紅白歌合戦で、例えば大活躍をされた、こんなん(動きを見せる)なってゴーゴーなんかやってくれた(柳家)金語楼さんだとか、それから歌の方では東海林太郎さんという大きな星を失ったのはまことに残念です」
 「そうですねぇ…。惜しい方を亡くしたんですけども。でも、その東海林さんのご生前からこの紅組の中にもですね、そのナンバーのひとつ「すみだ川」をとても愛して、自分の持ち歌にしていらっしゃる方がいます。島倉千代子さんです」

 3年前と同様琴が鳴り響く中で曲紹介、登場は紅組側の舞台袖からでした。東海林さんを悼むような黒地の着物、ただ芸姑姿ということで着物の柄や帯・髪につける簪は金色を主体としています。

 対戦相手のフランク永井には海外からトランペットのニニ・ロッソが登場しましたが、こちらはセリフの間に歌舞伎の女形・坂東玉三郎がせり上がりで登場。扇子を使った、しなやかで美しい舞がステージの芸術性をさらに上げています。

 歌唱後は黒子が登場、島倉さんと玉三郎さんを丁寧に紅組側へご案内。玉三郎さんは22歳で若手のホープ、50年経った現在も健在で当時の期待に応える多くの実績を残しています。

 

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