紅白歌合戦・フランク永井の軌跡~ステージ編(1957~1972)

 例の通り、NHKの映像は第14回(1963年)・第16回(1965年)以降のみ現存しています。それ以前は音声のみ、その音声もNHKの公開ライブラリーで見られるのは第6回(1955年)~第10回(1959年)までです。過去に書いた美空ひばり三波春夫などの記事と同様、音声さえも全く分からないステージがいくつか存在します。また第10回以前の公開ライブラリーもまだチェックしきれていないので、そちらはフォロー出来次第追記になることをご了承ください。

第8回(1957年)「東京午前三時」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:小畑 実、大津美子
後歌手:池真理子、三浦洸一

曲紹介:高橋圭三(白組司会)

 初出場、音声はアーカイブスで聴くことが出来ますが、まだチェックしていないので省略とさせて頂きます。美空ひばり江利チエミなど紅組歌手については何組かネットでも見つかりますが、白組歌手については見つからないケースも多いというのが実情です。また三波春夫村田英雄他と違い、1985年以降本人のインタビューが不可能になったことも難しい部分になります。

 したがってこのステージは現状、歌唱曲と曲順以外は何も書けないというのが正直なところです。なお合田道人著『紅白歌合戦の真実』に曲紹介の様子は記されていて、それによると午前三時の時報→鐘が鳴る→フランク永井アワー…と紹介する流れだったらしいです。

 ちなみに大ヒット曲「有楽町で逢いましょう」が発表されたのはこの年ですが、有楽町そごうのキャンペーンソング≒企業の宣伝ということもあって?この年は選曲されませんでした。1957年は現在と全く違いテレビも放送開始間もない時期で、コマーシャルからのヒット曲など全く考えられなかった時代です。

第9回(1958年)「西銀座駅前」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:三波春夫、神楽坂浮子
後歌手:越路吹雪、若山 彰

曲紹介:高橋圭三(白組司会)

 この年も音声はアーカイブスで聴けますが、個人的にチェックしていないためステージについて書けることはありません。同年は「こいさんのラブ・コール」「俺は淋しいんだ」がリリース、10月発売の「俺は淋しいんだ」は翌年の紅白歌合戦で披露される形になります。

 ちなみに西銀座駅は、現在の東京地下鉄丸ノ内線の銀座駅を指します。1957年12月に丸ノ内線の東京~西銀座駅が完成、それをモチーフに作られた歌謡曲となっています。この年10月には早くも霞ヶ関駅まで延伸、翌年3月には新宿駅まで開通、1962年に荻窪まで全通となりました。西銀座駅が銀座駅に改称となるのは、日比谷線が通るようになった1964年のことです。またこの曲を題材にした映画も公開、これは現在でもAmazon Primeで視聴できます

 1970年代の雑誌インタビューによると、正月はこの年初出場の三波春夫と合同公演を開催したとのこと。第9回の三波春夫のステージでは本番後に東京駅へ直行…とあるので、フランクさんももしかするとこの年はエンディング不参加だったかもしれません。

第10回(1959年)「俺は淋しいんだ」

作詞:佐伯孝夫 作曲:渡久地政信
前歌手:水原 弘、ペギー葉山
後歌手:島倉千代子、三橋美智也

曲紹介:高橋圭三(白組司会)

 この年以降は音声を確認することが出来たので、それに則って記事を書いていきます。

 高橋圭三アナが「フランク流・低音家元」として紹介。発売は1958年10月、この年は「夜霧に消えたチャコ」もヒットして第1回日本レコード大賞候補にもなったので、若干意外な選曲かもしれません。とは言え「俺は淋しいんだ」も間違いなく数多くあった名曲・ヒット曲の1つで、1959年上半期のフランクさんはこの曲のヒットがメインでした。

 ステージは2コーラス、低音を優しく聴かせる内容です。1コーラスが終わるごとに大きな拍手、当時の紅白歌合戦は1970年代以降と比べて観客のボルテージが非常に高い時代でした。

第11回(1960年)「東京カチート」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:和田弘とマヒナスターズ、ザ・ピーナッツ
後歌手:越路吹雪、ミッキー・カーチス
曲紹介:高橋圭三(白組司会)

 「永井流・低音家元」と前年と同じような文言を使う高橋アナ。低音の魅力はデビュー当時から言われていたようですが、家元という表現を使いまわしているのはやや気になります。

 ステージは原曲よりやや速めのテンポで2コーラス。男性コーラスの声量がやけに大きいです。サビでカチートと連呼する部分が非常に印象に残る憶えやすい曲ですが、「カチート」はスペイン語で「分身」「小さな坊や」を意味します。

 ナット・キング・コールが当時「カチート」というタイトルの曲を歌って大ヒット、この年の紅白でもラテン歌手の宝とも子がカバーしています。「東京カチート」も、この「カチート」がタイトルの由来であるとともにラテン色がやや強めのナンバーでした。

第12回(1961年)「君恋し」

作詞:時雨音羽 作曲:佐々紅華
前歌手:水原 弘、松尾和子
後歌手:ペギー葉山、三橋美智也
曲紹介:高橋圭三(白組司会)

 第3回日本レコード大賞受賞曲です。データ編でも書いた通り元々は戦前にヒットした曲、そのため昭和の紅白では珍しく何度も繰り返し披露される曲になりました。

 間奏でレコ大受賞のアナウンスが実況で入ります。映像が残っている3度の紅白はいずれも1コーラス半ですが、この年はややテンポ速めの2コーラス歌唱となっています。

第13回(1962年)「霧子のタンゴ」

作詞・作曲:吉田 正
前歌手:村田英雄、西田佐知子
後歌手:島倉千代子、三橋美智也
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 吉田正作曲の歌は紅白歌合戦で計57曲披露されていますが、三田明が歌った「恋人ジュリー」「夕子の涙」とこの「霧子のタンゴ」は作詞も手掛けています。曲紹介では、作曲だけでなく作詞を手掛けたことについても触れられていました。

 歌う前に電報が届いているようです。「紅白歌合戦ハ参加スルダケデナク、白組選手権ヲ保持セヨ オリンピック担当・川島正次郎」、2019年の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』で浅野忠信が演じた政治家から届いたようです。ステージは歌い出しの時点で観客席から拍手、ゆったりとしたタンゴのリズムでムーディーに聴かせる2コーラス歌唱でした。

 トリ前ということもあって、ラストのフレーズは3度歌唱。最後はタメを作りピアノ演奏のみで準アカペラ風、見せ場がしっかり作られています。

第14回(1963年)「逢いたくて」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:橋 幸夫、西田佐知子
後歌手:越路吹雪、ダーク・ダックス
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 「白組は自信を持ってお送りします。今年の歌唱賞に輝く「逢いたくて」、フランク永井さんです」

 この年は映像が現存、こちらの本編レビュー記事でステージと解説も既に書いています。1970年代以降のような出場歌手同士の派手な応援合戦もなく歌手席も端の方で僅かに映る程度なので、正直申し上げると特筆すべき事項は他にありません。

第15回(1964年)「大阪ぐらし」

作詞:石濱恒夫 作曲:大野正雄
前歌手:三橋美智也、江利チエミ
後歌手:ペギー葉山、植木 等

曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 イントロの時点で既に感じられる上方の雰囲気、作詞作曲のコンビは1958年にヒットした「こいさんのラブ・コール」と同様です。1960年代は大阪を舞台にしたご当地ソングの発表が多く、ご当地ソング一覧表の大阪府の欄を見ても分かる通り毎年のように紅白で1曲は歌われる状況でした。

 三拍子のリズムで歌われる楽曲は演歌というより抒情歌に近く、この時期からだと分かりませんが今の感覚だと「古きよき流行歌」の香りも強いです。2コーラスじっくりで演奏終了…かと思いきや3コーラス目も歌い出すフランクさん。2コーラスの予定をフランクさんが間違えて歌ったかあえて強行したか、オーケストラが段取りを間違えたかは不明ですが、とにかく珍しいハプニングが発生したステージでした。

第16回(1965年)「東京しぐれ」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:デューク・エイセス、ザ・ピーナッツ
後歌手:坂本スミ子、西郷輝彦
曲紹介:宮田 輝(白組司会)、坂本 九、植木 等

 ザ・ピーナッツの「ロック・アンド・ロール・ミュージック」のステージ終了後(レビューはこちら)、坂本九植木等が漫才のようなやり取りを見せます。ピーナッツの2人を称えた後、次の歌手を紹介する流れになります。

植木「しかしね、しかしだ。これからが問題だ。これが歌だという奴が出るぜ。うん。レコード大賞受賞3回だよ!国際クラス。インターナショナル!発音いいね(笑)誰だか知ってる?」
坂本「分かってますよ。言いましょう!フランク永井さん!」
植木「言った!言った!これで勝負あっただよ!「東京しぐれ」ね!いきましょう!」

 ほとんど2人のやり取りで曲紹介が完結しますが、イントロでは「今年は芸術祭の奨励賞、フランク永井さん」と宮田アナも一応アナウンス。ちなみにレコード大賞3回は、1961年「君恋し」大賞の他に1959年「夜霧に消えたチャコ」・1963年「赤ちゃんは王様だ」の歌唱賞も指しています。芸術祭については、この年のリサイタル「慕情-歌と共に10年」で奨励賞を受賞する形でした。

 ステージはかなりゆったりとしたリズムで2コーラス。低音の魅力がより強調されたようなメロディーですが、モダンな雰囲気というより聴かせる演歌という印象が強い曲です。この年からスタッフの注意もあったでしょうか客席の熱狂度がやや落ちた印象で、間奏での拍手は起こりませんでした。

第17回(1966年)「大阪ろまん」

作詞:石濱恒夫 作曲:吉田 正
前歌手:和田弘とマヒナスターズ、西田佐知子
後歌手:美空ひばり
、三波春夫
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 「皆さん、鳴り物などに惑わされないで、歌を正しく聴いて正しい評価を是非お願いしたいと存じます。声の色・あるいは迫力・テクニック。外人歌手と比べて遜色のないフランク永井さんをご紹介致します」。鳴り物応援については直前の西田佐知子「信じていたい」における紅組歌手総出の応援を指していますが、本当に惑わされたかどうかは別としてこの年の最終結果は22対3で白組の惨敗でした。

 フランクさんは基本的に、低音を主体とした聴かせるステージを紅白歌合戦では終始こなしています。「東京カチート」みたいなアップテンポの曲もありますが、少なくとも後ろで誰かが踊るようなステージになることはほとんどありませんでした。

 というわけで、西田佐知子に対抗するわけではありませんがこのステージは2コーラス普通に歌いこなす内容でした。楽曲は「大阪ぐらし」と同様浪花の歌謡曲ですが、テンポの速いしゃべくり漫才やベタベタの明るさをアピールする部分とは全く違う上品さが存在しているように見えます。

 なおこの年の入場行進は紅組白組1列になって舞台裏から登場する演出でしたが、グループが多い分紅組と白組で人数に大きな偏りがありました。1人ずつ登場した結果ハナ肇とクレージーキャッツで紅組歌手の入場が終了、植木等が紅組に行こうとするボケを見せた後、ハ行以降の白組歌手は1人ずつ挨拶して拍手されるという状況になっています。センターマイクの前で1人挨拶するフランクさんが、バッチリ映っていました。

第18回(1967年)「生命ある限り」

作詞:なかにし礼 作曲:吉田 正
前歌手:菅原洋一、岸 洋子
後歌手:島倉千代子、橋 幸夫

曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 作曲はいつも通り吉田正ですが、作詞は当時新進気鋭のヒットメーカーになりつつあるなかにし礼が担当。彼の手掛けた曲が紅白で歌われるのはこの年が初ですが、「知りたくないの」「霧のかなたに」「恋のフーガ」と一気に4曲を担当。以降2020年に逝去されるまで、数多くの名曲が発表されます。

 じっくり低音ボーカルで朗々と2コーラス、聴かせるステージでした。

第19回(1968年)「加茂川ブルース」

作詞:東 次郎 作曲:吉田 正
前歌手:西郷輝彦、三沢あけみ
後歌手:伊東ゆかり、鶴岡雅義と東京ロマンチカ

曲紹介:坂本 九(白組司会)

 日本調の対決ということで、紅組司会の水前寺清子が舞妓姿に扮しています。三沢あけみが「木曽節」で盛り上げた後に白組司会の坂本九も和服で登場。カラー映像がないので色は分からないですが、チェック柄の帯に会場大笑い・チータにもツッコミを入れられます。

 「しっとりいく日本調も結構なもんですね。ここで一句。あたしは九句。”加茂川の 水にかえる この声の 低きのあまり びっくりしちゃったのよ” 字余り。努力をお買いください。フランク永井さん、「加茂川ブルース」です」

 ほとんどの年でタキシードもしくはスーツ姿のフランクさんですが、この年だけは和服姿で歌っています。純日本調で低音を聴かせる楽曲はこれまでのフランクさんとは別の魅力を引き出した作品で、ヒットもしました。

 2コーラス歌唱後、白組側の舞台袖から芸者姿の三浦布美子が登場。彼女を見て、思わず気が散ると言う仕草を見せるフランクさん。その後三浦さんもフランクさんの手を取ったり肩を寄せたりするなど思いっきり誘惑。その結果、白組側に行こうとするフランクさんの袖を引っ張って紅組側に連行。フランクさんは負けたと言わんばかりに、泣きながら反対側に去っていくのでありました。

 1960年代の紅白歌合戦ではやや珍しい、フランクさんのコミカルなシーンです。もっとも自身は番組で披露したことあるほどの落語好き、笑いのツボは身についているようで実際コンサートのMCも大変上手だったらしいです。

第20回(1969年)「君恋し」

作詞:時雨音羽 作曲:佐々紅華
前歌手:内山田洋とクール・ファイブ、ピンキーとキラーズ
後歌手:ザ・ピーナッツ、舟木一夫
曲紹介:坂本 九(白組司会)

 『思い出のメロディー』第1回が放送された年、この年の紅白歌合戦は中堅~ベテラン陣が総じて過去の名曲の歌唱でした。名曲が非常に多いフランクさんですが、レコ大受賞・二村定一歌唱版をリアルタイムで経験している人もまだ多い「君恋し」を選ぶのは当然の結論と言えるでしょうか。

 「ジャズの唱法を日本の歌謡曲に取り入れ、ポピュラーを歌う我々後輩の壁を破り、そして明るい道を拓いてくれました。我らが大先輩フランク永井さん、「君恋し」です!Yeah!」

 自身が和製ポップスの先駆けでもある九ちゃんの曲紹介、説得力が段違いです。フランクさんの歌う「君恋し」は戦前に発表された二村定一歌唱版とは大きく異なる編曲で、モダンなジャズ唱法がふんだんに取り入れられています。そこがレコード大賞受賞という評価にまで繋がったのかもしれないですが…。

 ステージは8年前と違う1コーラス半構成ですが、演奏は当時より見せ場を多く作っているように聴こえます。ラストはテンポを落とし、タメを作って決めるアレンジでした。

第21回(1970年)「大阪流し」

作詞:井田誠一 作曲:大野正雄
前歌手:内山田洋とクール・ファイブ、森山良子
後歌手:辺見マリ、にしきのあきら
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 大阪万博開催のこの年、フランクさんが歌った曲はまたまた大阪を舞台にしたナンバーでした。直前に鳳啓助・京唄子もしくは正司敏江・玲児の応援があったと思われますが(騒がしい女性の声が聴こえるので)、細かくは不明です。「ここにいると危ない吸い込まれますからね、フランクさんそれではね、万博にちなんで「大阪流し」といきましょう。フランク永井さん」と曲紹介、おそらくかなりバタバタした後のステージだったと推測されます。

 「大阪ぐらし」「大阪ろまん」と同様、この曲も上品な上方を表現したような楽曲です。2番の歌い出しで”女嫌い”を”紅組嫌い”と歌詞を変えて歌う一幕あり、スマートなフランクさんには珍しい振る舞いです。1コーラスが短いので3コーラス歌唱ですが、それでも演奏時間は2分以内に収まりました。

第22回(1971年)「羽田発7時50分」

作詞:宮川哲夫 作曲:豊田一雄
前歌手:村田英雄、本田路津子
後歌手:ザ・ピーナッツ、堺 正章
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 1958年の数多くあるヒット曲を紅白で初歌唱。この年の秋に天皇皇后両陛下が戦後初めてヨーロッパを訪問、選曲の背景にはこれがあったようです。なお成田にある新東京国際空港は当時まだ開港前、建設反対派との抗争でなかなか予定通りに進まない頃でした。

 NHKの公開ライブラリーでは映像が残っておらず、おそらく相当画像の乱れが激しいものと思われます。間奏では羽田空港からの中継が挟まれたらしく、残っている音声では飛行機の離陸音がはっきりと聴くことができます。

 ステージは2コーラスじっくり聴かせる歌唱でした。ただ進行がかなり詰まっていたようで宮田輝アナはアウトロ演奏が終わり切らないうちに喋り始め、紅組司会・水前寺清子とやり取りを始めようとした瞬間に次のザ・ピーナッツ「サンフランシスコの女」の演奏開始。全体的に焦っている様子が見受けられる慌ただしさです。

第23回(1972年)「君恋し」

作詞:時雨音羽 作曲:佐々紅華
前歌手:水原 弘、平田隆夫とセルスターズ
後歌手:島倉千代子
、橋 幸夫
曲紹介:宮田 輝(白組司会)
トランペット演奏:ニニ・ロッソ

 3年前の紅白で歌ったばかりですが、この年は「さすらいのマーチ」「夜空のトランペット」で知られるニニ・ロッソがゲスト出演。直前に司会者とのトークが設けられました。

宮田「紅白は16回目の出場、フランク永井さんです」
フランク「こんばんは」
宮田「日本にね、フランクさんね、歌謡曲のスタンダートナンバーがあるとしたら、きっとあの歌は入るでしょうねぇ」
フランク「そりゃ絶対入りますよ、えぇ」
宮田「昭和3年から歌い継がれております。これはあのフランクさんがこの前歌われた時も、「宵闇せまれば」って歌じゃないかなんておっしゃってましたね」
フランク「はい、そういう題名だとばっかり思ってた曲です、えぇ」
宮田「というくらい古くからの流行歌、「君恋し」フランク永井さん、トランペットはニニ・ロッソさんでございます」

 トランペットのソロ演奏から始まるオープニング、その後にお馴染みのイントロがオーケストラによって演奏されます。普段通りの編曲にニニ・ロッソの独自のトランペット演奏が混じり、他のステージは勿論紅白歌合戦だけで見ても非常に特別な空間が展開されています。間奏も過去2回より長く時間を取って、「君恋し」前半のメロディーをアレンジしたようなトランペットが響き渡っています。

 フランクさんの低音も素晴らしかったですが、このステージはニニ・ロッソを主体としたアレンジが特に素晴らしい内容でした。歌唱後ガッチリ握手する2人はこれをきっかけに縁が生まれたようで、翌年イタリアに飛んで『フランク永井ウィズ・ニニ・ロッソ』をレコーディング。LPとして作品化され、現在はSpotify他のサブスクで聴くことが出来ます。なお対戦相手の島倉千代子も3年前に歌った「すみだ川」を歌唱、当時若手ホープであった坂東玉三郎を踊りのゲストに迎えるスペシャルステージでした。

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