今回は通算出場35回、長らく紅組歴代最多出場の記録を持っていた島倉千代子の紅白歌合戦について取り上げます。
島倉千代子の紅白歌合戦エピソード
1957年に初出場、ただ実はその前から大ヒット
島倉さんの紅白初出場は1957年・第8回で「逢いたいなァ あの人に」でした。ただ楽曲は1955年のデビュー曲、「この世の花」の時点で大ヒットしています。
1955年・1956年の大晦日は、当時テレビ放送が始まったばかりのTBSテレビ・当時のラジオ東京テレビで真裏に音楽番組が組まれていました。当然狙いはNHKの紅白歌合戦への対抗で、特に1955年は独占契約が組まれて掛け持ちが出来ない状況となります。紅白の連続出場が第6回だけ途切れている当時の常連歌手も多くいたほどでした。
島倉さんは2年続けてレーベルの先輩・美空ひばりと一緒に紅白の裏番組に出演。そちらの歌唱曲は不明ですが、いずれにしてもデビューから2年間のヒット曲はリアルタイムで紅白歌唱曲になりませんでした。デビュー曲「この世の花」は第33回(1982年)、同年の「りんどう峠」は第29回(1978年)でようやく初歌唱となります。
美空ひばりがトリを譲った唯一の後輩歌手
美空ひばりは第5回(1954年)・第8回(1957年)~第23回(1972年)まで紅組歌手として出場しますが、17回のうち13回までトリを務める形となっています。
第5回の初出場は渡辺はま子がトリですが、第8回で早くもトリに抜擢。その後第11回(1960年)~第13回(1962年)を除く全ての回で紅組トリを務めましたが、ひばりさんに代わってトリを務めたのは島倉さんでした。
ひばりさんの連続出場が途切れた第24回(1973年)も、紅組歌手の最年長としてトリを務めます。それから第26回(1975年)まで3年連続、計6回紅組トリで歌う形となりました。
なおひばりさん・島倉さん欠場中の二葉あき子や笠置シヅ子、島倉さんが第27回(1976年)でトリを譲った都はるみも日本コロムビア所属でした。したがって第6回(1955年)~第27回まで、紅組トリは22年連続同レーベルによって抑えられる形となっています。
若くして紅組最年長のリーダー的存在に
美空ひばりの連続出場ストップ後、紅組の最年長・最多出場はもっぱら島倉さんの代名詞でした。第24回(1973年)で初めて紅組最年長となりますが、当時35歳。以降は最後の出演となる第55回(2004年)まで、ずっと紅組最年長歌手となっています(紅白歌合戦・各種記録集(最年長記録編)も参照)。
司会など進行面での代表はもっぱら水前寺清子と佐良直美でしたが、精神的支柱と言える存在はやはり島倉さんだったのではないかと思われます。
30年連続紅白出場を達成した最初の歌手
紅白歌合戦・各種記録集(出場歌手の回数編)で紹介していますが、30年連続出場を達成したのは島倉さんが最初です。第37回(1986年)まで、紅組歌手に関するほとんどの最多記録は島倉さんが所持していました。
通算出場35回は歴代7位(紅組3位)、30回連続出場は歴代6位(紅組3位)。また、第55回(2004年)における66歳の出場も当時紅組史上初の出来事です。
10代~60代で紅白出場を経験した最初の歌手
デビュー年ではありませんが、第8回で初出場を果たした時はまだ19歳でした。それから第37回(1986年)まで30年連続、48歳まで出場を続けます。
「人生いろいろ」で復帰した第39回(1988年)で50歳。その後は第47回(1996年)を最後に一旦途切れますが、第55回(2004年)に66歳で復帰となります。
10代で紅白に初出場することは特に珍しくありませんが、60代まで続けてとなると例はほとんどありません。この記録を保持しているのは、島倉さんの他に郷ひろみと石川さゆりがいるのみです。
演歌だけかと思いきや…
演歌のイメージで語られることの多い島倉さんですが、下記の表でも分かる通り実は意外に多ジャンルな傾向にもあります。
第17回(1966年)~第19回(1968年)の「ほんきかしら」「ほれているのに」「愛のさざなみ」はポップス色が強い楽曲で、女性コーラスが華を添える内容でした。「ほんきかしら」「ほれているのに」は、紅組女性歌手がコーラスを務めるステージになっています。
第34回(1983年)の「積木くずし」がニューミュージックの五輪真弓、第46回(1995年)の「あの頃にとどけ」は小田和正が楽曲を提供しています。特に小田和正に関して言うと、紅白歌合戦で披露された作品が意外にもこの曲以外全くありません。もっともフォーク・ポップス色強めの作品は「サーシャわが愛」「ちよこまち」など紅白未歌唱曲の方が目立ちます。遺作となった「からたちの小径」も南こうせつの作曲でした。
日本調や戦前のカバーも多く、第16回(1965年)の「新妻鏡」は霧島昇・二葉あき子デュエットのカバー、第20回(1969年)・第23回(1972年)の「すみだ川」は東海林太郎のカバーです。確認できる限り全ての出場回で和服を着ていますが、「すみだ川」と第36回(1985年)の「夢飾り」は芸姑スタイルの衣装でした。
紅白歌合戦連続出場辞退後に大ヒットを記録
第37回(1986年)まで30年連続出場した紅白歌合戦ですが、翌年の1987年に辞退を申し出ます。その年4月21日に発売されたのが、活動後期の代表曲になる「人生いろいろ」でした。
「人生いろいろ」は1987年10月にまず日本作詩大賞を受賞。続いて日本レコード大賞でも作詞賞を受賞します。年が明けるとバラエティ番組で山田邦子やコロッケがこの曲でモノマネを披露、奇しくも連続出場辞退後に1988年のヒットシーンには欠かせない大ヒット曲になりました。
作曲を担当した浜口庫之助がこの時期闘病中(1990年に逝去)、紅白復帰を決めた理由はヒット以上に浜口さんに見てもらいという気持ちが大きかったようです。ちなみに作詞の中山大三郎とのコンビでは、1988年の「心うきうき」が『NHK歌謡パレード ’88』オリジナルソングにもなっていました。
その後も4度紅白歌合戦に出演しましたが、うち2回は「人生いろいろ」の歌唱となりました。昭和期・特に1950年代~1960年代に多数ヒット曲を残した島倉さんですが、平成以降はやはりこの「人生いろいろ」が一般的にもっとも知られている楽曲と考えて良さそうです。
島倉千代子の紅白データ~35回分のまとめ
レコード・CD売上はオリコン集計開始前の1967年以前はレコード会社の公称なので、正確な数字でないことをご了承ください。同様に発売日が分からないケースもありますが、不明分はXX表記としています。
出場回 年齢 | 歌唱曲 | 作詞者 作曲者 | 発売日 | 曲順 | 主なデータ | 他の発売曲 |
第8回 (1957年) 19歳 | 逢いたいなァあの人に | 石本美由起 上原げんと | 1956/12/XX | 紅組22番手/25組中 | ・東京だョおっ母さん ・初恋の人さようなら | |
第9回 (1958年) 20歳 | からたち日記 | 西沢 爽 遠藤 実 | 1958/X/XX | 紅組トリ2つ前 | 130万枚以上売り上げたと言われる | ・思い出さん今日は ・島原の子守唄 |
第10回 (1959年) 21歳 | おもいで日記 | 西沢 爽 遠藤 実 | 1959/6/15 | 紅組13番手/25組中 | ・海鳴りの聞こえる町 ・哀愁のからまつ林 | |
第11回 (1960年) 22歳 | 他国の雨 | 野村俊夫 石毛長二郎 | 1960/X/XX | 紅組トリ | ・白樺物語 ・花散る下田 | |
第12回 (1961年) 23歳 | 襟裳岬 | 丘灯至夫 遠藤 実 | 1961/5/5 | 紅組トリ | 100万枚以上売り上げたと言われる | ・十国峠の白い花 ・恋しているんだもん |
第13回 (1962年) 24歳 | さよならとさよなら | 西沢 爽 市川昭介 | 1962/10/1 | 紅組トリ | ・愛と死のかたみ ・七夕おどり | |
第14回 (1963年) 25歳 | 武蔵野エレジー | 嵯峨哲平 遠藤 実 | 1963/11/1 | 紅組13番手/25組中 | ・あの橋の畔で ・星空に両手を | |
第15回 (1964年) 26歳 | ふたりだけの太陽 | 西沢 爽 市川昭介 | 1964/X/XX | 紅組13番手/25組中 | ・ニッポン音頭 ・愛するゆえに | |
第16回 (1965年) 27歳 | 新妻鏡 | 佐藤惣之助 古賀政男 | 1965/12/1 | 紅組12番手/25組中 | ・旅ははてなく ・目ン無い千鳥 | |
第17回 (1966年) 28歳 | ほんきかしら | 岩谷時子 土田啓四郎 | 1966/4/XX | 紅組12番手/25組中 | ・日本レコード大賞制定15周年記念賞 | ・涙の谷間に太陽を ・そっとおしえて |
出場回 年齢 | 歌唱曲 | 作詞者 作曲者 | 発売日 | 曲順 | 主なデータ | 主な受賞 | 他の発売曲 |
第18回 (1967年) 29歳 | ほれているのに | くるみ広彰 くるみ広彰 | 1967/7/1 | 紅組12番手/23組中 | ・星より遠く別れても ・大阪夜曲 | ||
第19回 (1968年) 30歳 | 愛のさざなみ | なかにし礼 浜口庫之助 | 1968/7/1 | 紅組12番手/23組中 | オリコン週間最高20位 | ・日本レコード大賞特別賞 | ・私を忘れて ・わかれ |
第20回 (1969年) 31歳 | すみだ川 | 佐藤惣之助 山田栄一 | 1969/12/10 | 紅組12番手/23組中 | オリコン週間最高52位 | ・捧げる愛は ・花のいのり | |
第21回 (1970年) 32歳 | 美しきは女の旅路 | 橋本 淳 三木たかし | 1970/9/1 | 紅組12番手/24組中 | ・哀愁の湖 ・この愛が終るなんて | ||
第22回 (1971年) 33歳 | 竜飛岬 | 石本美由起 船村 徹 | 1971/X/XX | 紅組10番手/25組中 | ・壇の浦子守唄 ・花は生きている | ||
第23回 (1972年) 34歳 | すみだ川 | 佐藤惣之助 山田栄一 | (2回目) | 紅組18番手/23組中 | ・その悲しみのうしろから ・津軽の宿 | ||
第24回 (1973年) 35歳 | からたち日記 | 西沢 爽 遠藤 実 | (2回目) | 紅組トリ | ・越前竹人形 ・残月 | ||
第25回 (1974年) 36歳 | 襟裳岬 | 丘灯至夫 遠藤 実 | (2回目) | 紅組トリ | ・幸せのうしろ姿 ・ミス仙台 | ||
第26回 (1975年) 37歳 | 悲しみの宿 | 山上路夫 船村 徹 | 1975/5/1 | 大トリ | オリコン週間最高74位 | ・日本レコード大賞特別賞 | |
第27回 (1976年) 38歳 | 逢いたいなァあの人に | 石本美由起 上原げんと | (2回目) | 紅組18番手/24組中 | ・北の港で待つ女 ・星が流れました |
出場回 年齢 | 歌唱曲 | 作詞者 作曲者 | 発売日 | 曲順 | 主なデータ | 他の発売曲 |
第28回 (1977年) 39歳 | 京都 北嵯峨 別れ寺 | 西沢 爽 山野 豊 | 1977/5/1 | 紅組20番手/24組中 | ・ひろしまの母 ・わたし京都へ | |
第29回 (1978年) 40歳 | りんどう峠 | 西條八十 古賀政男 | 1955/9/XX | 紅組トリ2つ前 | ・女性 ・恋みれん | |
第30回 (1979年) 41歳 | 逢いたいなァあの人に | 石本美由起 上原げんと | (3回目) | 紅組17番手/23組中 | ・弾き語り ・サーシャわが愛 | |
第31回 (1980年) 42歳 | 女がひとり | 光星 龍 伊藤雪彦 | 1980/5/1 | 紅組14番手/23組中 | ・春秋の舞唄 ・綱わたり | |
第32回 (1981年) 43歳 | 鳳仙花 | 吉岡 治 市川昭介 | 1981/4/1 | 紅組9番手/22組中 | オリコン週間最高67位 | |
第33回 (1982年) 44歳 | この世の花 | 西條八十 万城目正 | 1955/3/1 | 紅組11番手/22組中 | ・みちのく十綱橋 ・ためいき橋 | |
第34回 (1983年) 45歳 | 積木くずし | 穂積隆信 五輪真弓 | 1983/8/1 | 紅組7番手/21組中 | ・流氷岬 | |
第35回 (1984年) 46歳 | からたち日記 | 西沢 爽 遠藤 実 | (3回目) | 紅組17番手/20組中 | ・恋椿 | |
第36回 (1985年) 47歳 | 夢飾り | 里村龍一 浜 圭介 | 1984/10/1 | 紅組16番手/20組中 | ||
第37回 (1986年) 48歳 | くちべに挽歌 | 石本美由起 浜 圭介 | 1986/4/21 | 紅組トリ2つ前 |
出場回 年齢 | 歌唱曲 | 作詞者 作曲者 | 発売日 | 曲順 | 主なデータ | 主な受賞 | 他の発売曲 |
第39回 (1988年) 50歳 | 人生いろいろ | 中山大三郎 浜口庫之助 | 1987/4/21 | 紅組14番手/21組中 | 1988年オリコン年間54位 1989年同72位 | 日本レコード大賞最優秀歌唱賞 | ・心うきうき |
第45回 (1994年) 56歳 | 人生いろいろ | 中山大三郎 浜口庫之助 | (2回目) | 紅組前半トリ | ・昔も今も…女 ・夢おまもり | ||
第46回 (1995年) 57歳 | あの頃にとどけ | 小田和正、島倉千代子 小田和正 | 1995/3/21 | 紅組後半9番手/15組中 | ・片瀬月 ・火の酒 | ||
第47回 (1996年) 58歳 | ときめきをさがしに | 島倉千代子、津城ひかる 三木たかし | 1996/11/21 | 紅組後半11番手/15組中 | |||
第55回 (2004年) 66歳 | 人生いろいろ | 中山大三郎 浜口庫之助 | (3回目) | 紅組前半トリ前 | ・風のみち |
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