紅白歌合戦・島倉千代子の軌跡~ステージ編(1973~1980)~

第24回(1973年)「からたち日記」

ステージ

作詞:西沢 爽 作曲:遠藤 実
前歌手:都はるみ、水原 弘
後歌手:北島三郎、(エンディング)
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)

 前回まで10年連続紅組トリの美空ひばりが色々あって落選、代わってトリを務めたのはやはり同レーベルの後輩・紅組最年長歌手となった島倉さんでした。名曲メインの紅白ということで最ベテランのお千代さんはやはり過去曲、第9回(1958年)で歌唱した「からたち日記」を15年ぶりに紅白で歌います。

 「1年365日、とにかく毎日この日記をつけるってのは本当に大変なことですね。特に男性はだめですね、三日坊主って言いますから。でもなんでございます、このメロディーだけはですね、とにかく男女を問わず誰の心の中にも必ず記されていると思います。紅組の大詰めでございます。17回最多出場を誇る我らがお千代さん、島倉千代子さんの「からたち日記」!」。

 イントロから1番に入るのが本来の編曲ですが、このステージでは1番の後のセリフが冒頭に入ります。中央奥から登場して、歌いながら少しずつ前に進む島倉さん。演奏もかなりテンポを落として、トリらしい重厚感を少しばかり加えています。

 2番の後に入るセリフが、1番の後に入ります。その後に2番を歌いますが、終盤で少し涙ぐむ場面もあります。11年ぶりの紅組トリというより、紅白を去ったひばりさんの後を継ぐという責任感と緊張。それが見ている方にも非常に伝わるステージでした。

応援など

 からたちの花が描かれた黒い着物で本番に臨んだ島倉さんですが、入場~歌手応援の衣装は焦茶色の着物と金帯でした。当時15歳・中学3年生だった森昌子初出場のステージでは、島倉さんがステージにエスコートしています。

 ただ3年連続トリを務めた時よりもはるかに大役ということもあって、後半以降は応援で顔を見せる機会も無しでした。多くの常連歌手と同様島倉さんもかなり緊張するタイプのようで、特にこの年に関しては本番近くになるまで出演できる状況でなかったのかもしれません。

第25回(1974年)「襟裳岬」

ステージ

作詞:丘灯至夫 作曲:遠藤 実
前歌手:ちあきなおみ、三波春夫
後歌手:森 進一、(エンディング)

曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 森進一が「襟裳岬」の大ヒットで賞レースを牽引したこの年、紅白歌合戦でも当然のように大トリの曲順でした。紅組トリは水前寺清子都はるみの案もあり、「この世の花」を選曲するという案もあったようですが、最終的にはトリで「襟裳岬」対決を実現させる形となります。

 同名異曲対決はこの年をおいて他になく(同じ曲対決はあり)、さらにトリでとなると今後実現する可能性は限りなくゼロに近いと思われます。また島倉さんの「襟裳岬」は第12回(1961年)トリ、同じ曲が2度トリで歌唱されるのは美空ひばり「柔」以来2曲目、期間を空けてというケースはこれが史上初でした。

 トリの前に、まずは両軍司会が登場してやり取り。えりも町から両軍に多くの電報を頂いたことをお礼を申し上げた後、まずは島倉さんの「襟裳岬」を曲紹介。「こちらは島倉千代子さん」「こちらは森進一さん。まずそちらからいきますか」「はい。では島倉千代子さんの「襟裳岬」からお送り致します」

 「歌手生活20年。舞台に上がる前には黙祷を欠かしません。歌に対して常にひたむきな努力を続ける、島倉千代子さんの歌声をじっくりとお聴きください。歌は「襟裳岬」。お千代さん!」

 司会の佐良さんを中心に、紅組歌手全員がお千代さん!と声を挙げて応援。13年前の紅白のみならず、原曲と比べてもスケールの大きい演奏でステージを盛り立てます。テンポもややゆっくり、重厚感のあるトリらしさに満ち溢れる内容でした。

 「今夜大晦日の襟裳岬は、月も出て星も見えるという穏やかさだそうです」、間奏には当日の襟裳岬の様子が実況されます。もう少し時期の遅い紅白ならばリアルタイムの映像も寄せられたかもしれませんが、この年に関してはそうもいかなかった様子です。

 情感込めて歌う島倉さんの歌声はまさに真骨頂とも言える内容で、左手を震わせるテクニックや歌詞に合わせて手を動かす仕草はいよいよ円熟の領域に入りつつあります。第11回~第13回のトリは全て白組優勝というトリ歌手にとっては非常に損な結果でしたが、前年とこの年は連続で紅組優勝となりました。

応援など

 この年以降、出場歌手が歌以外でもステージや曲紹介に参加するシーンが増えました。それは島倉さんも例外ではありません。

 まずはオープニング、両司会の選手宣誓後に両軍最年長歌手がお互いにエールを贈り合うシーンがありました。白組・三波春夫の呼びかけで”フレーフレー紅組”コールする白組歌手陣、同様に紅組は島倉さんが呼びかけて”フレーフレー白組”。とは言え水前寺清子が駆けつけて「紅組もがんばろう!!」という布を広げてもらう辺り、女性の方がやはりそういった点では抜け目がないようです。

 2組終了後、紅組演奏のバンドマスター・原信夫に花束を渡したのは島倉さんでした。そして花の高1トリオ・桜田淳子や新御三家・郷ひろみのステージを経て紅組司会・佐良直美の曲紹介に入ります。

佐良「ねぇチータ、あの3人は何と言うんですか?」
水前寺「あれはですね、知らないですか?新御三家トリオっていう。素晴らしいですね、かわいらしいこと。こちらは(後ろにいる3人を指して)?」
佐良「花の高1トリオ」
水前寺「なるほど、有名な!」
佐良「あのじゃあ、この3人(水前寺・佐良・島倉)は何ていうんですか?」
島倉「花のババァトリオ」

 テンポの良いチータと佐良さんのやり取りに、島倉さんがオチをつける内容でした。なお紅組最年長とは言え当時の島倉さんは36歳、昨年の第72回で紅組21組中8組が40代以上と考えると隔世の感があります。

 年増イジリはもう1つありました。この年初めて行われた紅組歌手によるラインダンス直後のことです。なお6年連続で行われたラインダンス、島倉さんは全て不参加でした。

佐良「どうです。これまた紅の、紅白歌合戦始まって以来初めてという、出場メンバーによるロケットでございましたけどもねぇ。どうしたんですか、今9人しかいなくて。本当はこれ紅組全員でやるはずだった…」
水前寺「違うんですよ。みんな全員出るはずだったら、一人の方が息切れして座り込んじゃったもんだから後が出られなくなっちゃったんですよ」
佐良「まあ、誰ですその人は」
水前寺「島倉千代子さんです」佐良「やっぱりね」
島倉「酷いわよそんな、もう!(笑顔で2人の頭をピコピコハンマーで叩く)」

 それ以外でも全員参加の佐良直美梓みちよのステージで踊ったり胡座をかいたり、森昌子のステージの後ろで大きなしゃもじを左右に掲げながら応援したり。この年紅組が3年連続優勝を勝ち取りましたが、トリの歌唱以外でも身を削って頑張った島倉さんの貢献も大きかったかもしれません。「蛍の光」を歌うエンディング、司会の佐良さんの代わりに優勝旗を手にしていたのは島倉さんでした。

第26回(1975年)「悲しみの宿」

ステージ

作詞:山上路夫 作曲:船村 徹
前歌手:ちあきなおみ、五木ひろし
後歌手:(エンディング)

曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 この年発表の「悲しみの宿」は歌手生活20周年・1000曲吹き込み記念曲としてレコーディング。そのため早くから1975年の紅白で大トリを飾るのは既定事項でした。通算6回紅組トリを務めていますが、大トリはこれが唯一です。

 「あと23分少々で、新しい年がやってまいります。さて、昭和50年紅白歌合戦の締めくくりはこの方以外にはありません!
 島倉千代子1000曲記念、「悲しみの宿」。万感を込めた島倉千代子さんの歌をお聴きください。」

 中央奥のステージから登場、紅組歌手全員が一列になって拍手で迎えます。冒頭のセリフから情感たっぷりの名演、演奏やコーラスもおおいにステージを盛り上げていました。「悲しみの宿」はこれまでの島倉さんのキャリアを総括したような楽曲で、タイトルが示す通りの”悲しみ演歌””泣きの演歌”というフレーズが大変しっくり来る内容です。

 舞台中央に並ぶ紅組歌手全員をバックに熱唱、2コーラス歌いきった後はやはりホッとした笑顔を見せていました。会心の内容ではありましたが、目下紅組3連勝中に加え白組トリがレコ大歌唱賞の「千曲川」でその前が大賞受賞の「シクラメンのかほり」。そうなると世間的に白組有利の印象はやはり強く、最終審査でも優勝は白組という形に落ち着きました。

 なお眼科医に頼まれて実印を貸した結果、連帯保証で莫大な借金を抱えたのがこの年と言われています。紅白の連続出場はまだまだ続きますが、実生活はその後さらに波乱万丈を重ねる形となります。

応援など

 この年は前年と比べると歌以外の出番は少なめです。ただ赤いハンカチを手にした岩崎宏美の応援に全員が舞台上で手拍子する佐良直美のステージ参加、紅組応援ののぼりを持って応援する森山良子のステージなど、第23回以前と比べれば格段に歌以外での参加は多くなっています。

 連続テレビ小説『おはようさん』の応援では紅組応援のはずが女性出演者4名全てハンサムな白組メンバーを応援という台本でした。そのため紅組応援を促す大村崑に諭されますが、構わず4人は白組側に直行。大村さんは当時44歳・アパートの管理人役ということで、「それじゃ私は、島倉千代子さんの所に行かせてもらいます」とオチに使われ、本人に手提げカゴを渡しています。

第27回(1976年)「逢いたいなァあの人に」

ステージ

作詞:石本美由起 作曲:上原げんと
前歌手:由紀さおり、ダークダックス
後歌手:フランク永井、(中間審査)、森 進一

曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 20年連続紅白歌合戦出場を達成、これは27回目を迎えた番組で初の出来事でした。初出場同期のフランク永井も同様、そのため初出場の曲を歌ってもらう対決が組まれます。両司会が2人にインタビュー(内容は先日記事公開したフランク永井のステージを参照)した後、まずは島倉さんの「逢いたいなァあの人に」から歌唱。

 「島倉千代子さんの歌の中にある優しさは、島倉さんの人柄そのものなのです。私たちの素晴らしい先輩・島倉千代子さんが、初出場の思い出も新たに歌います。「逢いたいなァあの人に」」。

 フランクさんを真後ろに控えて、そして後方右側では紅組歌手有志(直後にラインダンスがあるのでベテラン中心)が「お千代さん頑張って!!」と書かれた垂れ幕で祝福。間奏では、この年初出場の太田裕美が小さな花束を贈呈。ステージは2コーラス、実況では昭和32年1月発売・同じ年4月に「東京だョおっ母さん」が発売という情報が盛り込まれます。

 2コーラス、ステージとしては2分10秒ほどでやや短めです。ただこの年に関して言うと、20回連続出場・初出場の曲を歌うということ自体に大きな意義があったのは言うまでもありません。

応援など

 ジーンズのファッションショーが行われた佐良直美「ひとり旅」のステージですが、さすがに島倉さんはオープニング以降と同様着物姿での応援です。その間奏で、「←花婿募集中!只今大バーゲン!」という垂れ幕を前川清中条静夫(この年応援団長)に掲げられました。カメラの位置的に矢印の先は島倉さんを指していますが、今だったら苦情が来てもおかしくない演出でもあります。また研ナオコのステージでは、着物の上ではありますがお揃いの赤ブレザーを一緒に着用していました。

第28回(1977年)「京都 北嵯峨 別れ寺」

ステージ

作詞:西沢 爽 作曲:山野 豊
前歌手:石川さゆり、小林 旭
後歌手:三波春夫、ちあきなおみ

曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 「衛星中継でこの放送をご覧の海外の皆さま、ふるさと日本を偲んでください。京都を思い出してください。悲しい恋の傷跡を癒す、古い佇まいの街並みがいいのでしょうか。京都はそんな旅人を、静かに迎えます。「京都 北嵯峨 別れ寺」。ベテラン、島倉千代子さんです」。

 島倉さんは紅組側の立ち位置、画面向かって左側の歌唱。中央のセリから登場したのは、黒い着物姿で日本舞踊を踊る女優の三浦布美子。1960年代後半には毎年のように出演していた三浦さんですが、この時は第21回以来7年ぶりでやや久々の登場です。

 聴かせる哀愁の演歌はまさに島倉さんらしい楽曲で、ヨイヤサーヨイヤサーと明るく歌う次の三波春夫ステージ)とは好対照を成していました。その後が伝説の「夜を急ぐ人」ちあきなおみステージ)、さらに続くのはこれまた爽やかな文学歌謡の布施明ステージ)。これほど落差の激しい楽曲が続けざまに披露される紅白歌合戦も、なかなか他にありません。

応援など

 例年通り島倉さんは歌以外も着物姿ですが、この年は髪を簪で止めています。京都を題材にした楽曲を歌うので、それと合わせたのかもしれません。この年もデビュー年で紅白初出場を果たした、17歳の高田みづえをステージにエスコートしています。

 従来歌う直前のステージ応援には出演しませんが、この年は1つ前の石川さゆりの曲紹介に登場しています。紅白初出場を果たした時に達磨の片目へ黒塗りするさゆりさんですが、その達磨を持ちながら一声かけたのが島倉さんでした。デビュー前からさゆりさんにとって憧れの存在であった島倉さん、すぐ自らのステージが控えているにも関わらずこうやって登場してくれたのは大変嬉しい計らいでした。

第29回(1978年)「りんどう峠」

ステージ

作詞:西條八十 作曲:古賀政男
前歌手:由紀さおり、布施 明
後歌手:村田英雄、都はるみ
曲紹介:森 光子(紅組司会)

 戦前~戦後の日本歌謡界において大変な功績を残した作曲家・古賀政男がこの年7月25日に逝去。史上2人目となる国民栄誉賞、紅白でも作曲家としては初めて追悼コーナーが組まれます。古賀氏は島倉さんにとっても縁深い存在で、広島平和音楽祭で歌われた「ひろしまの母」は最後の古賀政男オリジナル作品となっています。

 同じ古賀先生の「人生劇場」を歌う村田英雄とともに、歌唱前に両司会によるインタビューがありました。

光子「島倉千代子さんにとって、古賀先生という方はどういう方でいらっしゃりましたか?」
島倉「私にとって、憧れの先生でした」

(村田英雄へのインタビューは中略)
光子「それでは紅組からまいりましょう」

 「島倉千代子さんには懐かしい「りんどう峠」をお願い致します。古賀先生、お聴きになっていらっしゃいますか?」

 光子さんの温かいやり取りと曲紹介から、歌に入ります。「りんどう峠」はデビューして間もない時期に発売されて大ヒットした曲ですが、紅白歌合戦ではこれが初歌唱でした。発表から23年経っているので声に厚味が加わり、節のつけ方は原曲と大きく変わっています。最初に聴いたのがこの紅白の映像ということもありますが、個人的には原曲よりこちらの方がしっくり来ます。

 一見すると懐かしい曲を軽く2コーラスという印象ですが、表情や心情はやはり古賀先生に向けてという想いが強かったように見えます。村田さんの「人生劇場」もそうですが、この年の紅白終盤においては山口百恵沢田研二のトリに次ぐ印象深い名場面のように感じました。

応援など

 淡黄色の着物でオープニングに登場後、紅組5番手・芹洋子の曲紹介で裃姿になります。司会の森光子を中心に青江三奈都はるみ由紀さおりと一緒に、歌舞伎の口上風に挨拶。

 この年の島倉さんは応援合戦などの出演は少なく、出番以外はほぼ歌手席での応援でした。若手の多くが参加するラインダンス直後に組まれた水前寺清子のステージで歌手席にいたのはサーカスの男性2人と島倉さんのみ、スクールメイツのダンサーで席を埋める状況になっています。

第30回(1979年)「逢いたいなァあの人に」

ステージ

作詞:石本美由起 作曲:上原げんと
前歌手:佐良直美、フランク永井
後歌手:(中間審査)、藤山一郎美空ひばり
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)

 3年前と全く同じ対戦カードで、先攻後攻が入れ替わったのみの曲順です。30回記念ということで、最多出場の2人だけでなくベテラン6人が連続して初出場の曲を歌う形になっていました。

 「23回連続出場本当に大変なことだと思います。でもこちらも23回島倉千代子さん。昭和32年度空前の大ヒット曲、あなたが歌ってあなたが泣いた、「逢いたいなァあの人に」島倉千代子さん!」。司会のチータが曲紹介する中、初出場の石野真子が花束を渡します。島倉さんはその大きな花束を抱えたまま2コーラス歌唱でした。中間審査直前・6曲連続初出場曲の締めということで、演奏終わりのアレンジがやや大仰な内容になっています。

応援など

 応援合戦は顔を見せないことも多い島倉さんですが、この年は前半の安来節に参加。太田裕美青江三奈八代亜紀渡辺真知子石川さゆりと一緒に、女踊りを披露しています。

第31回(1980年)「女がひとり」

ステージ

作詞:光星 龍 作曲:伊藤雪彦
前歌手:研ナオコ、フランク永井
後歌手:(応援合戦)、ゴダイゴ、ジュディ・オング
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 歌唱前に連続テレビ小説『虹を織る』から、紺野美沙子高松英郎岩本多代と宝塚歌劇団の面々が応援に駆けつけます。黒柳さんに花とエールを贈った後に曲紹介。「それではこちらも(対戦相手のフランク永井と)同じく紅白歌合戦24回目最多出場者、22年前私がこの紅白を致しました時があのからたちの日記でございました。「からたち日記」でございました。島倉千代子さん「女がひとり」です」、やや落ち着かない状況で言い間違いもありましたが、イントロにはちょうど収まりました。

 この年は昭和の中でも特に過去曲の歌唱が少ない紅白で、水前寺清子三波春夫は過去曲でも紅白で一度も披露されていない曲が選曲されています。直前に歌ったフランク永井が10年ぶりにその年発売の楽曲披露という状況だったので、島倉さんも当然1980年に発表された楽曲の歌唱になるわけです。後ろで日舞を踊るのは石川さゆり「日舞の応援は島倉さんを尊敬してらっしゃる石川さゆりさんです」のアナウンスは実況担当ではなく黒柳さん自らの物でした。

 孤独をテーマにした歌詞が聴かせる内容ですが、光星龍というペンネームは当時芸能プロダクションを経営していた細木数子のことを指しています。1980年のシングル曲は全て彼女の作詞でしたがヒットはせず、結果的にはこの年限りで関係を切る形になります。1970年代後半における島倉さんの苦労はこの人がおおいに関係しているのですが、それについては各自調べてください。

応援など

 前年に続いてこの年も前半の応援合戦に参加。他の紅組歌手11人と一緒に、歯で扇子を食いしばる「松づくし」の演目に参加しています。24回出場の大ベテランの島倉さんにやらせることではないような気もしますが、白組の「はばたけ鳥軍団」(名言集記事参照)や「シェイプアップ体操」(フランク永井の記事参照)と比べればはるかにマシな内容です。なお肌の露出は少ないもののラインダンス以上に体力を使い、ベテラン陣がヘトヘトになっていた「フレンチ・カンカン」は島倉さんのステージ直後に組まれていたので不参加でした。

 

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