紅白歌合戦・島倉千代子の軌跡~ステージ編(1981~1986)~

第32回(1981年)「鳳仙花」

ステージ

作詞:吉岡 治 作曲:市川昭介
前歌手:小柳ルミ子、菅原洋一、(ショーコーナー)
後歌手:フランク永井、牧村三枝子

曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 「25回連続することがどんなに難しいかきっと皆様もお分かりになると思います。島倉千代子さん、今度初めて紅白のために着物を注文しました。鳳仙花の花をデザインしてもらいました。歌手になって初めてキャンペーンもしました。それだけこの歌に賭けました、「鳳仙花」です」

 増え続ける借金の中を何とかレコード会社に肩代わりしてもらい、前年まで所属していた事務所と決別。デビュー時にも無かったと言われる積極的なキャンペーンを展開した結果「鳳仙花」が久々の大ヒット、紅白でも堂々の歌唱となりました。25回連続出場はフランク永井と同様ですが向こうは過去曲の「おまえに」、同じ最多出場でも選曲に関しては大きく異なります。吉岡・市川コンビは同時期に大ヒットしていた都はるみ「大阪しぐれ」「浮草ぐらし」と同様。翌年以降も「さざんかの宿」「細雪」を大ヒットさせた、1980年代前半演歌のゴールデンコンビでした。

 衣装は徹子さんの曲紹介通りです。歌声はそれ以前と比べて大きく変わっていないですが、儚いながらもどこか前向きな希望を感じさせる歌詞が当時の島倉さんにもマッチしているように聴こえます。気のせいでしょうか、顔も前年までより少しふっくらして多少幸せそうな感じに見えました。

その他

 この年のオープニングは赤ブレザーでお揃いの入場行進。これは過去24回ずっと着物姿での登場だった島倉さんも同様です。全く見慣れない赤ブレザー・白スカート・髪にパーマをかけた姿、総合司会の生方惠一アナには「島倉千代子さんのブレザー姿はなんと生まれて初めてだそうです」と実況されています。その衣装のままセレモニーと、トップバッター・河合奈保子の応援に参加。その後も紅組歌手全員が3分あまりで着替えて再登場する段取り、したがって歌手席での応援も着物ではなく白いドレス姿でした。

 デュエットソングショーも紅組全員が白いドレスで統一されています。歌唱には参加していませんが、スカート姿のお千代さんを見られるのは25回の紅白で初めてのことでした。

 後半は和をテーマにしたハーフタイムショーが組まれます。「深川」「おこさ節」を紅組歌手全員で歌い踊る日本調のステージですが、島倉さんは八代亜紀都はるみとともに黒着物の芸姑姿で「深川」をソロ歌唱しています。例年になく洋装姿の多いこの年の島倉さんですが、さすがにこのコーナーと終盤~エンディングは着物姿での出演でした。

第33回(1982年)「この世の花」

ステージ

作詞:西條八十 作曲:万城目正
前歌手:青江三奈、フランク永井
後歌手:千 昌夫、(デュエットショー)、牧村三枝子
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 加山雄三青江三奈フランク永井に島倉さん、千昌夫と立て続けに過去曲を披露する流れでの登場です。特に青江さんとフランクさんは1コーラスが短い曲の2コーラスなので、演奏時間は2分前後と極めて短め。時間が無いのか流しているのか、島倉さんのステージ演奏も直前のフランクさんが終わってすぐという状況でした。

 「28年前のこの大ヒット曲、今日初めて紅白で歌います。着物にもご注目ください。元禄時代の着物の職人さんの生活が、漆や金糸銀糸の縫い糸で表現されています。「この世の花」、島倉千代子さんです」。同じ最多出場のフランクさん同様、冒頭は初出場の歌手が見送る演出になっていました(この年の初出場は三原順子シュガーあみん

 「この世の花」は島倉さんのデビュー曲でいきなり大ヒットを記録していますが、1955年は裏番組出演のため紅白自体に出場せず。”名曲紅白”という演出のもと過去曲メインの選曲になったこの年に、ようやく紅白で歌える形になりました。

 ヒット当時は17歳だったので、27年後の歌唱となるとやはり原曲と比べて声に深みがあります。テンポも原曲より少し遅めで弦楽器の使用など編曲も豪華になり、初歌唱でも円熟味をおおいに増したステージを展開していました。この年のトリは都はるみ「涙の連絡船」ですが島倉さんの起用案も当然あったようで、歌唱後のアウトロも少し豪華なアレンジが加わっています。

その他

 前年同様この年のオープニングは赤ブレザー姿です。ただ入場行進はあいうえお順ではなく白組歌手も混じったランダム順でした。島倉さんは沢田研二にエスコートされるような形で登場、「さあお似合いのこの二人、千代子とジュリー!紅白には欠かせないご両人です」と総合司会の生方アナが実況します。トップバッター(この年は三原順子)の応援、直後に大急ぎで衣装チェンジ、和服ではなく白い洋服で参加するのは概ね前回と同様です。

 出場歌手の後ろでコーラスや踊りを担当することがあまりない島倉さんですが、この年は水前寺清子「大勝負」に参加。八代亜紀小柳ルミ子青江三奈小林幸子石川さゆりとともに、薙刀の演舞でステージを盛り上げます。

 自身のステージで歌唱後、千昌夫が「北国の春」を歌っている間に白い衣装に着替える島倉さん。直後のデュエットソングショーに参加して近藤真彦と「二人の世界」を歌唱、マッチの歌声に照れている表情を見せています。

 ホール入口から転がってくる大玉をケースに入れた方が勝ちという「紅白玉合戦」にも一応参加、わざわざ赤いジャージ姿に着替えていました。後半のショーコーナーは前年同様「お江戸日本橋」「ギッチョンチョン」「木遣りくずし」を歌う日本調の内容、島倉さんは八代亜紀青江三奈都はるみと「木遣りくずし」の歌唱を担当します。これ以降の歌手席とエンディングは、こちらも前年同様着物での参加でした。

第34回(1983年)「積木くずし」

ステージ

作詞:穂積隆信 作曲:五輪真弓
前歌手:小柳ルミ子、沢田研二、(ショーコーナー)
後歌手:三波春夫、牧村三枝子
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 1983年は実娘の非行を描いた『積木くずし』がベストセラーになり、ドラマも高視聴率を記録して話題になりました。作者の穂積隆信と島倉さんは家族ぐるみでの交流があったらしく、その縁で11月に公開された映画版の主題歌も担当。オリコンの記録的には100位圏外ですが大きなトピックであることは間違いなく、紅白の歌唱曲になったのも自然な運びでした。

 曲順は「紅白俵つみ合戦」の直後、舞台転換の間に徹子さんとのトークが挟まれました。子どもに関しては非常に辛いを経験している島倉さんだからこそ、その一言に優しさが満ちているように感じます。

黒柳「さて島倉さんは、もう27回最多出場者でいらっしゃるんですけれど、普段十四・五歳の若い方とお付き合いをしてらしてとても良くうまくいってる、一体どういう風に付き合ってらっしゃいます?」
島倉「自分の子どものように、心で話をしてるんです」

 「歌手生活30年の中で絶対人に言えない悩みもありました。来年の30周年を前に胸に秘めていた物を全部本になさいました。マスコミは驚きましたが、島倉さんはいま心の底から晴れ晴れとした新しい第一歩を踏み出した気持ちだそうです。どうぞ歌って頂きましょう」

 曲紹介で話題になった本は『花のいのち』という自叙伝で、翌1984年に発売されます。既に広く伝わっている通り島倉さんの半生は苦労の連続、大筋のテーマは全く異なるものの『積木くずし』についても共感できる部分が多かったかもしれません。1コーラス半切々とした表情で歌う島倉さんは、いつも以上に歌詞を噛み締めながら歌っているようにも見えました。なお上にも書いた通り『積木くずし』自体への言及は一切無し、これはモデルになった娘の逮捕劇や映画版における主演の降板劇も多少関係していた可能性がありそうです。

その他

 「歌手生活29年・紅白出場連続27回、最多出場者でいらっしゃいます島倉千代子さん」。この年は入場行進無しで両軍司会が1組ずつ紹介するオープニングですが、島倉さんについてはその実績だけで紹介文が成立しました。前年限りでフランク永井が紅白落選、この年以降当面の間島倉さんが単独最多出場者として君臨することになります。

 前年までの「愛のコリーダ」「ビートルズ・メドレー」といったダンスも含むステージは若い歌手メインでしたが、『ビギン・ザ・ビギン』は若手だけでなくベテランも含めた全員参加でした。さすがにメインで大々的に踊る場面はなかったですが、水前寺清子青江三奈などと同様しっかりとした振付は用意されています。

 童謡を歌うショーコーナーでは、娘役の榊原郁恵と「赤とんぼ」を歌唱。紅白で「赤とんぼ」を最初に歌ったのは、実を言うと由紀さおり・安田祥子ではなくこの2人だったりします。

第35回(1984年)「からたち日記」

ステージ

作詞:西沢 爽 作曲:遠藤 実
前歌手:森 昌子、三波春夫
後歌手:北島三郎、八代亜紀
曲紹介:森 光子(紅組司会)

 11年ぶりの「からたち日記」は、三波春夫との最多出場歌手対決でした。

 「歌手生活30年、そして紅白出場28回。紅組の恩人です。みんなに盛大で拍手でお送り致しましょう。あのセリフは島倉千代子さんの世界です。「からたち日記」」

 デビュー30年目、「からたち日記」も26年前の曲になりました。元々ソプラノボイスで高いキーということもあって、このステージは少しキーを下げての歌唱です。演奏はややゆっくりのテンポ、というより島倉さんの歌唱が演奏より少し後を追いかけるような状況になっていました。

 11年前のトリでは1番を歌う前に最初のセリフが入りましたが、ここでは原曲通り1番を歌った後にセリフ。それを含めた1コーラス半、新曲中心の紅白の中でほぼ唯一の過去曲対決を彩ります。

その他

 この年のオープニングは、対戦カード・曲順ごとに入場して抱負を述べる内容です。「紅組をご贔屓に」「全国の神様、白組をよろしく!」、双方とも貫禄たっぷりの存在感です。

 ショーコーナー「豊年こいこい節」は花笠を被って刈り取りの踊り、小柳ルミ子八代亜紀などベテラン陣中心の顔ぶれです。水前寺清子「浪花節だよ人生は」でも、紅組歌手全員が和服を着てダンスする応援に参加しています。

 後半は「祇園小唄」をバックに和服で踊るステージですが、島倉さんは都はるみ森光子が歌う真後ろで踊る立ち位置。この年はいわゆる都はるみ引退紅白、ただ大粒の涙を流すはるみさんの横で主に支えていたのは島倉さんより水前寺清子八代亜紀が主でした。

第36回(1985年)「夢飾り」

ステージ

作詞:里村龍一 作曲:浜 圭介
前歌手:水前寺清子、細川たかし
後歌手:近藤真彦、八代亜紀
曲紹介:森 昌子(紅組司会)
振付:花柳糸之

 フランク永井三波春夫など最多出場歌手同士のカードが続いていましたが、この年はまさかと言っていい近藤真彦とのマッチアップ。ただ2組続くこのステージは江戸の町人文化が共通テーマ、島倉さんだけでなくマッチも時代劇風の衣装で歌う演出でした。森昌子の補助で鈴木健二アナが歌舞伎で言う早替わりを披露、虎の和服に変身したところで曲紹介。「寅年と言えば、来年はこの方も寅年です。29回出場は紅白両軍を通じまして最高記録です。紅組全員で応援致します。島倉千代子さん、「夢飾り」です!」

 演歌という歌謡曲、どちらかと言うとポップスにも近い曲調ですが、お江戸風の演出もあって衣装は久々に芸者姿という形になっています。この年は第32回以降紅組白組別に設けられるハーフタイムショーがステージ対決に内包される形で、紅組歌手の多くが和服で参加。黒い着物の芸者姿で踊るのが水前寺清子小林幸子川中美幸石川さゆり、手古舞姿は松田聖子河合奈保子岩崎宏美小柳ルミ子研ナオコ松原のぶえテレサ・テン原田知世。島倉さんを除く19組中12組がこのステージに参加しています。

 曲調と演出もあって、島倉さんの表情は他の年と比べても非常に楽しそうで笑顔が目立ちます。35回出場した紅白歌合戦の中でも、屈指の明るいステージ演出でした。

その他

 この年も対戦カードごとの入場、島倉さんがマッチの手を組んでいます。千田正穂アナの実況は「最多出場にはヤングの騎手、島倉千代子さんと近藤真彦さん、ほのぼの対決です」、他と比べてもやや声の調子が上がっています。例年通りトップバッターの石川秀美のステージもそのまま応援参加しますが、一緒に手を動かすサビの振付はやはりアクションがほんの少し遅れている様子。

 この年は阪神タイガース日本一で虎フィーバーの年でしたが、ユニフォーム姿でサインボールを投げるコーナーに島倉さんも参加。背番号81、吉田義男監督のユニフォームで「来年も頑張ってー!」とメッセージ。ただタイガースの4番を打っていた以前の結婚相手に苦労させられたことを考えると、よくこの企画を引き受けたなぁという感情もあります。ファンであることはその後も変わらなかったということかもしれないですが、島倉さんの出身は東京の品川区です。

 その後は『めでたづくしの澪つくし』コーナーに登場。では海女の姿でダンスを披露。八代亜紀岩崎宏美水前寺清子小柳ルミ子と一緒に、花嫁のかをるさんこと沢口靖子の世話役を担当しています。花婿である川野太郎らとの小芝居後、白組ベテラン陣と一緒に「銚子大漁節」の歌唱もありました。

第37回(1986年)「くちべに挽歌」

ステージ

作詞:石本美由起 作曲:浜 圭介
前歌手:八代亜紀、細川たかし
後歌手:村田英雄、小林幸子
曲紹介:斉藤由貴(紅組キャプテン)、目加田頼子(紅組司会)

 斉藤「紅白最多出場30回、その30年もの長い間ずーっと紅白を優しい瞳で見つめていらっしゃいました。島倉千代子さんです」
 目加田「紅白出場30回、1回1回が初出場の気分でした。歌っていて本当に良かった、いつもはにかむように話す島倉千代子さん。初心に帰って純白の衣装です。「くちべに挽歌」、島倉千代子さんです」

 前人未踏の30年連続出場を果たした島倉さんですが、後のインタビューによるとこの年限りでの紅白卒業を既に心の中で決めていたそうです。純白の着物を選んだのは、それが一番の理由でした。余力があるうちに卒業したいとのことでしたが、前年に森昌子、その前は都はるみが卒業引退。後輩2人が涙を流しながら歌うステージを真後ろから目撃したことも、その遠因になっていたのかもしれません。島倉さんの次の最古参が水前寺清子、この年は和田アキ子五輪真弓の復帰もありましたが、いずれにしても紅組でデビュー期から一緒にいた歌手はいなくなって久しい状況です。司会も前年の森昌子以降、彼女たちが生まれるよりも自身のデビューの方が昔になる若い世代がメインになりました。

 毎年緊張しながら歌ってたという紅白歌合戦も、この年に限っては清々しい気持ちのステージで緊張しなかったと後に語っています。そういった情報込みであらためて見返すと、少し達観した表情で歌っているようにも見えました。ただ島倉さんの紅白歌合戦復帰は、思いのほか早く訪れます。これについては、次回の記事でまた書いていく予定です。

その他

 対戦カードごとに登場するオープニング、この年は村田英雄と一緒です。島倉さんが茶色の着物で村田さんも和服姿、いかにも演歌の大ベテランらしいツーショットでした。

 この年は紅組2番手に大月みやこが初登場。デビュー年が水前寺清子と同期、彼女にとって唯一の先輩歌手となる島倉さんがチータに話をふる場面がありました。

 紅白サバイバルゲームというミニゲームにも参加、赤ジャージ姿で加山雄三に挑戦しますがあえなく敗戦。ゲームのルールはその加山さんの記事を見てもらうとして、結果的には白組の勝利になりました。最終審査には何の影響もないという話でしたが、一応紅白歌合戦の本番も白組優勝という形で落ち着いています。

 歌舞伎「京鹿子娘道成寺」のコーナーにも参加、白拍子姿での踊りを披露しています。振り返ると第32回以降の紅白歌合戦は、それ以前と比べると出番も憶えないといけない段取りもかなり多め。島倉さんにとっては、後年になってからこういった状況になったので相当大変だったのではないかとも感じます。

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