紅白歌合戦・フランク永井の軌跡~ステージ編(1973~1982)

第24回(1973年)「有楽町で逢いましょう」

ステージ

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:沢田研二、佐良直美
後歌手:青江三奈、森 進一
曲紹介:宮田 輝(白組司会)
コーラス:東京ロマンチカ

 佐良直美のステージでアグネス・チャンと結婚させられた宮田さん(詳しくは紅白名言集解説・63~結婚式場に様変わりした紅白のステージ~参照)。「いやぁフランクさんね、若い方とご一緒させて頂きまして大変光栄でございます」「とても絵になっていました」。前年同様、この年も歌う前に宮田アナとのトークが入ります。

宮田「ところでフランクさんおめでとうございました。今月ですか、大阪の方のゴルフ場でホールインワンをなさったそうで、まことにおめでとうございます。ゴルフ何年ですか?」
フランク「2年半です」
宮田「素晴らしいですね、2年半でホールインワンね。歌の方は何年ですか?」
フランク「えー、19年目になります」
宮田「19年目、これまた着実に前進をしております。フランク永井さんは紅白でこの歌はまだ歌ったことがない、「有楽町で逢いましょう」。紅白実に17回目の出演でございます」

 NHKホール1年目・テレビ放送20周年の1973年はいわゆる過去曲が多い名曲紅白ですが、「有楽町で逢いましょう」は当時誰もが知る名曲でありながら紅白歌合戦で一度も歌われていない楽曲の代表格でした。1957年5月に開店した有楽町そごうのキャンペーンソングとしてデパートともども大賑わいで、流行語になったほどの国民的ヒットになりました。ただ民放放送局もまだ足並みが揃わない中、企業宣伝の曲を歌うことは当時のNHKとしてもためらいがあったようです。また他にヒット曲を多く量産していたことも、ここまで紅白の歌唱が見送られた理由として挙げられます。

 ギター担当の鶴岡雅義を除く、東京ロマンチカの6名がコーラスを担当します。彼らの目の前で、ホールインワンを記録したゴルフスイングを披露。ややゆったりとしたリズムで歌う「有楽町で逢いましょう」は、紅白でようやく初歌唱ということもあって少し万感を込めた表情にも見えます。2コーラス、アウトロ演奏は少し派手に決めるエンディング。直後に登場する青江三奈も大ヒット曲でありながら、同様に紅白で初歌唱となる「長崎ブルース」の選曲でした。

応援など

 ステージ編後編は本番以外の様子もピックアップします。と言ってもこの年はお笑い・演芸系のゲストも多いため、OPEDと歌手席以外特別目立つ場面はありません。衣装もタキシードに黒い蝶ネクタイ、ステージだけでなく本編ずっと1着で通していました(実は同じ色の別衣装という可能性も高いですが)。

第25回(1974年)「おまえに」

ステージ

作詞:岩谷時子 作曲:吉田 正
前歌手:春日八郎、青江三奈
後歌手:由紀さおり、沢田研二
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 1966年のヒット曲で第17回紅白でも歌われた「大阪ろまん」のB面曲ですが、1972年10月に再リリースされます。数多くの楽曲をフランクさんに提供している吉田正ですが、彼の妻に対する感謝をメロディーにしたこの曲は特に思い入れの強い作品だったようです。再リリースだけでなく、わざわざこの年の紅白で選曲されたのもそういった背景があったものと思われます。

 「青江さんの銀座も結構ですが、有楽町から西銀座駅前にかけてはこちらがご本家です。昭和32年から連続18回出場、最多記録を持つフランク永井さん「おまえに」」。「銀座ブルー・ナイト」を歌う対戦相手の青江三奈もご当地ソングの多い、同じビクターレコード所属の歌手でした。

 ステージは間髪入れずという形で、曲紹介もこの年はイントロに乗せられる形です。第23回限りで美空ひばりの連続出場がストップして以降、最多出場がたびたびアナウンスされるようになりました。ステージは情を込めて朗々と歌う2コーラス、僅かな間奏では「御本人の愛唱歌だそうです」と一言実況も入ります。

応援など

 歌手総出の応援が多くなるのはこの年からで、フランクさんも中条きよしの曲紹介や村田英雄のステージなど顔を見せる機会が多くなります。餅つきが行われた中間審査では、他のベテラン歌手と一緒に紋付きの裃姿で客席へ餅を配るシーンもありました。「皆の衆」を歌う村田英雄のステージでは、衣装も火消しの格好に着替えています。

 最多出場のベテランなので「蛍の光」は前列で歌うことが多いですが、より映る機会の多い中央は年上の三波春夫村田英雄が優先でした。

第26回(1975年)「君恋し」

ステージ

作詞:時雨音羽 作曲:佐々紅華
前歌手:沢田研二、梓みちよ
後歌手:八代亜紀、春日八郎
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 「芸能生活20年、そして昭和50年の歌の歴史をこの1曲に込めて。いい歌はいつ聴いてもいい、「君恋し」フランク永井さんです」。早くも紅白4回目の歌唱になりますが、これは渡辺はま子「桑港のチャイナタウン」に次いで2曲目の記録であり、白組では初の事例でした。

 過去3回の歌唱と比べるとややテンポが速め、そのため白組出場歌手から観客席まで手拍子が入ります。歌手席前列ではにしきのあきらをきっかけに笑福亭鶴光(応援団長)宮路おさむ橋幸夫などが腕を組む応援、白組のチームワークをアピールしています。最終的には前列8人全員が一体となり、間奏ではラインダンス風に片脚をあげながら踊る状況となりました。

 演奏が速くなった分フランクさんのアクションも大きく、後半では左胸につけた白い花が落ちるハプニングも発生。それだけ体全体を使って表現している、ポップスシンガー・フランク永井の持ち味が非常によく出たステージでした。

応援など

 この年は海原千里・万里笑福亭鶴光など常時出演するお笑いタレントが多く、歌手席での応援以外目立つ場面は少なめです。白組総出の応援は三波春夫「おまんた囃子」がありましたが、自身の曲順が近づいていたため不参加でした。

第27回(1976年)「東京午前三時」

ステージ

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:ダーク・ダックス、島倉千代子
後歌手:(中間審査)、森 進一、八代亜紀
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 27回目を迎える紅白歌合戦、初めて20回出場を達成したのが紅組の島倉千代子と白組のフランクさんでした。史上初の記録なので、本番でも大々的に祝福されます。

山川「さて、紅白に20回連続出場というのが島倉千代子さん、そして白組はフランク永井さんでございますが。どうも本当に…いまどんなお気持ちでございますか?」
フランク「えーと、20回ということは20年ですね。なんか初出場の時から…とにかくあれです、昨日のような気がします」
山川「島倉さんはどうでしょう?」

島倉「はい、1回1回緊張しておりまして、今日もまた初めて出して頂いたような、そんな気持ちです」
山川「そうですね。それでは、その第1回初出場の時の歌を今日はお2人に歌って頂くんですね。お願い致します。まず紅組からお願いしますよ」

 お千代さんとともに両司会者からインタビューを受けた後、島倉さん・フランクさんの順に初出場曲を披露します。島倉さんをマイクを渡され、白組歌手による応援幕が掲げられます。「この顔が福を呼ぶ フランクさん20回おめでとう!!」、祝福メッセージだけでなく似顔絵も描かれました。

 「羽田・有楽町・西銀座駅前。東京はフランクさんの舞台です。甘く優しく語りかける低音の魅力。フランク永井さんの「東京午前三時」を。」。山川アナの曲紹介はイントロでもあらためて加えられました。

 島倉さんのステージは後ろでフランクさんが聴く演出でしたが、それと同様にこちらでもお千代さんが後ろでうっとりした表情で聴くステージとなっています。間奏では初出場のあおい輝彦田中星児新沼謙治がフランクさんに花束を贈呈。一応紅白対決ですが、2ステージを通して非常に祝福モード強めの内容でした。

応援など

 出場歌手総出の応援が多い年でしたが、フランクさんが目立つ場面は多くありません。唯一目立っていたのは殿さまキングス「恋は紅いバラ」のマンボダンス、菅原洋一とともに端の立ち位置で映る機会が比較的多めでした。

第28回(1977年)「おまえに」

ステージ

作詞:岩谷時子 作曲:吉田 正
前歌手:村田英雄、いしだあゆみ
後歌手:
青江三奈、内山田洋とクール・ファイブ
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 応援団長・三波伸介の紹介で招かれたのは、3年連続日本一を達成した阪急ブレーブスの山田久志山口高志両投手。それぞれ先発エース・ストッパーとしてこの時期大車輪の活躍でしたが、「山田・山口・山川」と名前で遊ばれたり桂三枝に「白組 勝たせて おくんなはれ」という変なブロックサインを教えられたりするなど何とも言えない扱いでした。それはともかく曲紹介、「心やさしい男性たちはいつも女性たちに温かい手を差し伸べてきました。ロミオはジュリエットに、久松はお染に、そしてフランク永井さんは「おまえに」。阪急ブレーブスの一番好きな歌です!」。上手い表現ですが、阪急ブレーブスとの関わりはあまりないような気がします。なおフランクさんは熱狂的な巨人ファン(この年日本シリーズで阪急ブレーブスに敗退)として知られていました。

 3年前にも紅白で歌われた「おまえに」ですが、この年は有線やカラオケから徐々に広まって再リリース作品がロングセラーを記録しました。1977年のオリコン年間ランキングでは、66位という高順位となっています。自身の曲のリバイバルヒットは、当時まだほとんど存在しない稀有な事例でした。

 2コーラスじっくり歌うステージですが、3年前と比べるとややテンポゆったりでタメが多めです。演奏はピアノやストリングスの音がやや強め、またエンディングも少々大仰になっています。バックは暗転状態でなく歌手席がはっきり映るショットが多いので、かなり賑やかです。白組歌手だけでなく、山田・山口両投手もそのまま残ってフランクさんに拍手を贈っていました。

応援など

 この年の応援は何と言っても森田公一とトップギャラン「青春時代」でしょうか。学生服姿でコーラスを担当しますが、一緒に登場したのは三波春夫春日八郎村田英雄三橋美智也で平均年齢49.4歳。これには紅組司会の佐良直美「歌のタイトルを「中年時代」と変えなくちゃいけない」というツッコミを入れざるを得ない状況でした。

 この年は紅組ラインダンスに対抗して白組も組体操を初披露。三波春夫村田英雄三橋美智也でピラミッドを組むなどベテランが頑張った紅白ですが、フランクさんは残念ながら?不参加でした。最多出場ではありますが年齢的には他の中年時代4人より下なので、最前列で目立つ場面は意外と少なかったりします。

第29回(1978年)「公園の手品師」

ステージ

作詞:宮川哲夫 作曲:吉田 正
前歌手:和田アキ子、(応援合戦)、水前寺清子
後歌手:太田裕美、内山田洋とクール・ファイブ

曲紹介:山川静夫(白組司会)

 「さて、今年1年間カラオケ・スナックで低音の魅力を聴かせたお父さん方、お待たせ致しました。フランク永井さん、またまた素晴らしいリバイバルヒット。紅白は22回出場です。「公園の手品師」」

 「おまえに」ほどの大ヒットではなかったですが、「公園の手品師」もこの年再リリースでリバイバルヒットとなりました。元々は1958年2月発売の「たそがれ酒場」B面収録曲、その年歌唱の曲が紅白歌われるのは「西銀座駅前」「俺は淋しいんだ」に続いて3回目です。

 タキシードには白い花と、ポケットに赤いハンカチを入れています。これは第25回で「おまえに」を歌った時と同じスタイルです。ステージは2コーラス、いつも通りに低音の魅力を存分に響かせるステージでした。歌詞もちょっとした物語性を含む内容で、1958年にヒットしなかったのが少し不思議に感じる良さです(もっともさすがに「西銀座駅前」の♪A, B, C~ほど強いインパクトではないですが)。

応援など

 ステージ以外でも黒い衣装を着ることが多いフランクさんですが、この年は珍しく白いタキシードでの登場でした。エンディングもえんじ色のスーツで、いつもと装いを変えています。

 後半の応援合戦は「軍艦マーチ」で演奏しながら行進するも、実際には演奏していないというコントチックな内容でした。フランクさんはこのコーナーで、海兵隊の格好に扮して平尾昌晃・菅原洋一とともに演奏隊を先導しています。

第30回(1979年)「東京午前三時」

ステージ

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:菅原洋一、佐良直美
後歌手:島倉千代子藤山一郎

曲紹介:山川静夫(白組司会)

 3年前は史上初の20回出場記念で初出場の曲を歌唱しましたが、30回を迎えたこの年の紅白も同様に「東京午前三時」の歌唱となります。先攻後攻に変化はあれど、ステージ内容は第27回と比べても大きく変わりありません。

 「今度はですね貫禄と貫禄の対決、紅白連続出場23回という白組はフランク永井さんです。そうですね今年ですね、午前様の旦那様をいつまでもお待ちになっていた奥様方、もう一晩だけ許してください。また今晩も午前様、「東京午前三時」フランク永井さんです!」。イントロに乗せて曲紹介、歌う前に初出場の渥美二郎から花束が渡されます。

 その花束を右手に抱えながら、2コーラス熱唱。衣装は白色のタキシードに赤の蝶ネクタイ、色合いだけでいうと紅白歌合戦を強く意識したような衣装に見えます。低音の魅力はもちろんこの当時でも健在ですが、3年前と比べても若干声の伸びが抑えられているようにも聴こえます。

応援など

 オープニングこそやや紫がかったスーツ姿でしたが、前半応援合戦の御諏訪太鼓では肩を出した黒シャツ姿で力強く叩いています。その後さだまさし「関白宣言」前の亭主関白度調査アンケートに登場しますが、ここではなんと白いタートルネックのセーター姿での登場でした。応援以外でフランクさんのスーツやタキシード以外の衣装が見られる珍しい場面となっています。

第31回(1980年)「恋はお洒落に」

ステージ

作詞:東 次郎 作曲:吉田 正
前歌手:加山雄三、研ナオコ
後歌手:島倉千代子、ゴダイゴ

曲紹介:山川静夫(白組司会)

 歌唱前、1957年に1歳であった野口五郎新沼謙治が当時の写真を掲げて登場します。「お2人が1歳の時は昭和32年だったんですね。この年にフランク永井さんは紅白に初出場致しました。本当に文字通りフランクな低音の魅力は今年も衰えを知りません。「恋はお洒落に」フランク永井さん、第24回の最多出場です」

 リバイバルヒットや過去曲が続いていましたがこの年は1980年発表の新曲、紅白でその年の曲を披露するのは10年ぶりでした。ジャズが多かった1960年代以前については不明ですが、1970年代以降に関して言うと昭和で一番のブランク記録となります。

 24回目の出場ですが、女性ダンサーが後ろで踊るステージは今回が初めてです。元々女性コーラスがサビも一緒に歌う曲ですが、このステージではダンサー4人がリレー方式で一緒に歌う形になりました。テロップは無かったですが、おそらくトップバッターの郷ひろみでも登場したニュー・ホリデー・ガールズではないかと思われます。

 いわゆる低音の魅力で2コーラス聴かせる内容とは一味違うステージで、見応えありました。ダンサーは歌が本職でないので、それぞれ4人とも大きく歌唱力が異なっているのも面白かったです。もっともこの曲は全くヒットせずサブスクでもようやく最近聴けるようになったばかり、元々誰と一緒に歌っていたかも今の所は分からない状況です。

応援など

 この年は最大の問題シーン?、内山田洋とクール・ファイブ「魅惑・シェイプアップ」の応援に菅原洋一と駆り出されます。タモリと一緒に登場したその姿はランニングシャツにウサギの着ぐるみを被った格好、お腹やお尻の贅肉をつかんだりうさぎ跳びをしたりして”シェイプアップ、シェイプアップ”と連呼する体操は、菅原さんともどもよくこんな仕事を引き受けたなぁとしか思えない内容でした。ちなみにタモさんは当時『笑っていいとも!』が始まる前、まだ密室芸のイメージが強い頃でしたが、NHKで永六輔が進行役を務めた『ばらえてぃ テレビファソラシド』をきっかけに現在の知的な芸風に移行するようになります。

第32回(1981年)「おまえに」

ステージ

作詞:岩谷時子 作曲:吉田 正
前歌手:菅原洋一、島倉千代子
後歌手:牧村三枝子、細川たかし
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 「おまえ、と呼びかける時は静かに優しく深みのある声であってほしいと思います。この人がそばにいてくれるだけで白組は安心です。連続25回出場の金字塔・フランク永井さん「おまえに」」

 同じ最多出場の島倉千代子との対決は、3年連続5回目になりました。第27回以降4回を数える常連カードになりましたが、お千代さんが新曲「鳳仙花」をヒットさせたのに対してフランクさんは紅白3度目の過去曲。少し風向きが厳しくなった印象は否めない選曲でした。

 この年から常設の歌手席が無くなり、舞台全体をステージとして使う演出に変更となります。ステージ左側・右側と偏った場所で歌うことも無くなり、舞台中央で全歌手が歌えるようになりました。普段と同じ2コーラス歌唱ではありますが、この年は少し間奏が長めでコーラスも入る編曲に進化しています。そういう意味では、これまで以上にフランクさんの持つ低音ボーカルを堪能できる内容でした。

応援など

 この年オープニングは全歌手が揃いのブレザー姿で入場行進という演出でした。白いブレザーで颯爽と登場するフランクさんですが、実を言うと第29回辺りから白い上着を着て応援・歌唱するシーンは多くなっています。

 出場歌手全員が参加するデュエットショーでは、三波春夫村田英雄菅原洋一千昌夫とフランクさんの5人がトップアイドル松田聖子相手に「愛して愛して愛しちゃったのよ」を歌います。ニヤニヤするおじさん相手に聖子さんが苦笑いする内容のステージですが、「聖子ちゃん!」とひたすら連呼する村田先生と比べるとフランクさんは控えめな紳士ぶりでした。なおこのコーナーでは、かつて松尾和子とデュエットした「東京ナイト・クラブ」が五木ひろし五輪真弓森進一河合奈保子によって1コーラス歌われています。

 後半の民謡をテーマにしたハーフタイムショーでは、沢田研二五木ひろし西田敏行などが殺陣などの演舞を披露する中で先ほどのベテラン5名が、渋く紋付き袴・正座の態勢で「黒田節」を揃って歌唱しています。

第33回(1982年)「有楽町で逢いましょう」

ステージ

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:加山雄三、青江三奈
後歌手:島倉千代子、千 昌夫
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 お千代さんとの対決が続いたフランクさんですが、この年はレーベルメイトでもある青江三奈との対決でした。

 「フランク永井さん嬉しいじゃないですか。初出場の皆さんが送りたいそうです。宮城県の後輩もいますよ。何も申し上げることはありません。最多出場のフランク永井さん、「有楽町で逢いましょう」たっぷりと歌って頂きましょう」

 同じ宮城県出身の中村雅俊がこの年初出場、シブがき隊の3人もいますがメインはやはり中村さんです。本来なら祝福コメントもあったかと思いますが時間が押している様子、青江さんのステージ終了後すぐに演奏開始でやや慌ただしい状況でした。

 ステージも9年前と比べると随分テンポが速く、やや忙しなさが否めない内容です。声も低音の魅力は変わらないですが、少し声量が下がっている印象もありました。最多出場ではありますが演奏時間は2分を切る短さ、やや扱いの悪さも否めない状況です。

応援など

 ランダム登場のオープニング、この年は菅原洋一とともに高田みづえ研ナオコとの登場でした。ただ登場するごとに実況する総合司会の生方惠一アナからはアナウンス無し、スルーされている状況です。

 全歌手勢揃いのデュエットショーは、ステージ衣装のまま参加します。歌手の並びはほぼ出場回数順で中央で映り込むシーンは多かったですが、歌を披露する機会はありませんでした。

 それ以外のハーフタイムショーでも目立つシーンはありません。股旅姿で登場するコーナーもベテランのメインは三波春夫村田英雄ばかりで出演も無し、傍目から見ても肩身が狭くなっている様子は否めませんでした。

おわりに

 最多出場記録という華々しい記録がありましたが、特に最末期の紅白出演時は目に見えて扱いが悪くなっているようにも見えます。これは2000年代以降の常連演歌歌手にも、ある意味では引き継がれた状況に感じました。1983年は三波春夫と最後の一枠を争う形で結果落選、その時のショックは計り知れない物であったと伝わっています。

 懐メロ番組へ出演できる状況になかったこともあって、非常に多くあったヒット曲が後世にあまり伝わっていない印象もあります。その点では、前回第72回(2021年)にレーベルの後輩・山内惠介が「有楽町で逢いましょう」を選曲したのは大きな出来事でした。前半歌唱で反響があまり大きくなかったのは残念ですが、39年ぶりにフランクさんの曲が紅白で歌われたのは大変喜ばしいことです。なお有楽町で開催された東京宝塚劇場時代に、「有楽町で逢いましょう」が紅白で歌われる機会はありませんでした。

 存命だと今年で90歳、さすがに現在も現役で歌手活動しているかどうかは分からないですが、1990年代や2000年代の懐メロ番組では確実に常連になっていたはずなのでやはり惜しまれます。1977年に中年時代と呼ばれた歌手は全員が60代~70代で逝去、これより下の世代にいる常連歌手が70代を迎えた現在でもバリバリ活動してることを考えると、やはり昔の歌手は今と比べると短命の傾向にあるという印象は否めません。

 何より残念なことは、ポップスばかりか歌謡曲・演歌の世界でも低音を売りにしている歌手がほぼ存在しないこと。一時「君恋し」をカバーしていたジェロにはその素質がおおいにありましたが、歌手活動を休業して一般企業に転職しているのが非常に惜しいです。どこかのタイミングでまた復帰して、歌い継いで欲しいところではありますが…。

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