紅白歌合戦・島倉千代子の軌跡~ステージ編(1988~2004)~

第39回(1988年)「人生いろいろ」

ステージ

作詞:中山大三郎 作曲:浜口庫之助
前歌手:佐藤しのぶ、加山雄三
後歌手:チョー・ヨンピル、大月みやこ
曲紹介:和田アキ子(紅組司会)

 「全国の皆さん。今年の紅白歌合戦には、あの島倉千代子さんが帰ってくれました!頑張ってください。今夜このステージで歌うのが心から嬉しいという島倉千代子さん。「人生いろいろ」です!」

 白組司会の加山雄三が「My Way」を熱唱した後、中間審査のため全歌手が舞台上に集まります。中間審査は観客に優勢な色のハンカチを振ってもらうというごく単純な内容ですが、ここで歌手が集まったことに意味があります。ハンカチを振ってもらう間に歌手席のひな壇が用意され、紅組白組の全歌手が島倉さんを見守るステージとなりました。2年前に辞退を決意した島倉さん、この年の復帰は「人生いろいろ」のヒットだけでなく、闘病中の作曲家・浜口庫之助に捧げるという意味合いも含まれていました。

 もっともハマクラさんの楽曲提供は1968年の「愛のさざなみ」以来でそれ以前には一度も無し、ただその曲は第19回紅白のステージ記事でも書いた通り当時の歌手活動において非常に大きな意味を持つヒット曲でした。そこから島倉さん最大のヒット曲「人生いろいろ」に繋がるのは、何と言いますか不思議な縁を感じます。

 模様は違いますが、白い布地と金色の帯は2年前の紅白と同じです。観客席から自然に加わる手拍子、曲調が異なるという部分が大きいですが、これは30年連続出場中には考えられない光景でした。手や首のアクションはデビュー期の「りんどう峠」でも見られる特徴ですが、感情の昂ぶりもしくはコロッケにデフォルメされた影響でしょうか、動きが非常に大きくなっています。2番後半で体を大きく使った動き、ラストサビで激しく体を揺らしている場面は特に象徴的でした。

 この年の紅組トリはロングヒットを記録した小林幸子の「雪椿」、ただそのステージではトリらしいアウトロアレンジ無しでした。一方この「人生いろいろ」はラストサビの繰り返しを1回少なくしただけでほぼフルコーラス、かつアウトロでテンポの上がるアレンジ。三原綱木率いるバンドの演奏隊にとっても、この年の「人生いろいろ」は特に力の入ったステージだったのかもしれません。

応援など

 オープニングは松田聖子・佐藤しのぶ小柳ルミ子・岩崎宏美・五輪真弓の間にこっそり登場、カメラどころか実況にも無視されています。もっとも直後に演歌の主力メンバー(大月みやこ・松原のぶえ?こちらもカメラに全く映らず)が入場したので、スタッフの指示もしくは本人の段取りにミスがあったのかもしれません。

 坂本冬美和田アキ子など、何回かあったステージの曲紹介で全歌手が集合するシーンにも映り込んでいます。歌唱後は早いタイミングで後ろの歌手席に合流、そのままエンディングまで参加。もっとも「蛍の光」は多少の遠慮もあったでしょうか、前方ではなく後方での歌唱でした。

第45回(1994年)「人生いろいろ」

ステージ

作詞:中山大三郎 作曲:浜口庫之助
前歌手:Dreams Come True、米米CLUB
後歌手:小椋 佳、(ニュース)、松田聖子
曲紹介:上沼恵美子(紅組司会)

 日本コロムビアに所属してからこの年で40周年、6年ぶりの紅白復帰となりました。この年はかつて常連だった歌手の復帰が非常に多く、松田聖子郷ひろみ西城秀樹沢田研二といった面々が名を連ねています。平成になって2部制になった前半紅組ラスト、出場歌手が舞台袖に多く集まっています。司会の上沼さんが、審査員を務める森光子とのやり取りを交えた後に島倉さんについてメッセージを求めます。

 「島倉さんは尊敬しています。人生いろいろありますけれど、どうぞ歌一筋に頑張ってください」。森さんは島倉さんよりも更に大先輩で、紅白でも3度曲紹介を受けています。ありがとうございますと森さんに感謝の挨拶をした後に演奏開始。「紅組の大黒柱・島倉千代子さんが紅白歌合戦に帰ってきてくれました。歌は「人生いろいろ」、お千代さん!」

 昭和の島倉さんは髪を和装に合わせて固めていることが多かったですが、この年の島倉さんは少しカジュアルな髪型に仕上げています。そのため外見は以前と比べても多少若々しく見えます。

 歌手席は昭和最後の紅白で完全に廃されていますが、このステージでは2番以降紅組歌手全員が後ろに登場。手拍子だけでなくサビでは両手を動かす振付も加わっています。観客席からは「いろいろ!」というコールも入りました。動きは6年前と比べてやや抑えめの印象ですが、温かさという点ではこちらの方が上かもしれません。

 後ろの面々は半数以上が島倉さんとも関わり深い演歌・歌謡曲の歌手ですが、端の方にはTRF篠原涼子といったJ-POP系も参加。島倉さんの周りはほぼ演歌勢ですが、由紀姉妹やアッコさんの近くにいる久宝留理子が若手で一人だけ中心に近い立ち位置での応援になっています。

応援など

 この年はショーコーナーや応援合戦が少なめ、インターバルは司会の古舘伊知郎上沼恵美子のやり取りが中心でした。そのため島倉さんの出番はエンディングのみ、オープニングはこの年のあいうえお順は「さ」行にとって配置がイマイチで全く映る機会ありませんでした。

第46回(1995年)「あの頃にとどけ」

ステージ

作詞:島倉千代子、小田和正 作曲:小田和正
前歌手:美川憲一、小林幸子
後歌手:小林 旭、由紀さおり・安田祥子
曲紹介:上沼恵美子(紅組司会)

 美川憲一小林幸子の超絶ド派手な衣装対決の後に組まれたステージです。万華鏡と風車とロケットを融合させたような幸子さんの衣装は舞台転換も大掛かりになるので、特別審査員2名にコメントしてもらうことで場を繋ぎます。落ち着いた所で、審査員席前から曲紹介。歌手を目指していた上沼さんにとって、島倉さんはやはり憧れの存在だったようですが…。

 「紅白最多出場でございます島倉千代子さんです。本当に私夢のようです。小さい頃から紅白、よく見せて頂いておりました。なんて色の白い人だろうって思ってたんですよ。まあテレビが白黒テレビ、ということもあったんですけども(横にいる古舘伊知郎が肩でツッコミ、会場笑い)。失礼致しました。
 島倉さんはもういつもいつも新しいことに挑戦されております。今日のこの歌も、小田和正さんの作曲でございますね。頑張ってください、「あの頃にとどけ」」

 上沼さんらしい笑いが入りつつも、曲紹介は情報たっぷりでしっかりしています。数多くのヒット曲だけでなく楽曲提供も少なくない小田和正ですが、意外にもこの時以外に紅白歌合戦で小田さんの曲は全く歌われていません。もっとも演歌歌手に小田さんが楽曲提供をしたのは、この「あの頃にとどけ」1曲のみです。

 1966年の「ほんきかしら」、紅白では歌っていませんが「サーシャこの愛」など島倉さんの新たな挑戦は振り返るとそこまで珍しいことではありません。ただキーボードの音が目立つ、演歌から遠く距離の離れたバラードを歌う島倉さんはやはり新鮮です。もっとも衣装は松の木が描かれた白い着物、これについてはデビュー期からずっと「和」のイメージで一貫しています。構成は1コーラス半、この時代になると演歌以外はテレビで2コーラスといかなくなるのが常なので、もう少し聴きたいと感じてしまうステージになるのは致し方ないところでしょうか。

応援など

 この年「TOMORROW」で初出場を果たした岡本真夜の曲紹介に登場。岡本さんはこれが紅白のみならずテレビ番組初出演でした。上沼さんに「紅白の主」と紹介された後、「初出場というのはね一生に残る、思い出に残るメッセージですからね、頑張ってください!」と歌う前にメッセージを残します。

 和服ということで島倉さんは他の歌手と比べても衣装替えは少ないイメージですが、この年に関して言うと歌唱前・歌唱中・歌唱後としっかり3着用意されています。もちろん全てドレスとは異なる、演歌歌手らしい着物でした。

第47回(1996年)「ときめきをさがしに」

ステージ

作詞:島倉千代子、津城ひかる 作曲:三木たかし
前歌手:和田アキ子、さだまさし
後歌手:堀内孝雄、藤あや子
曲紹介:松たか子(紅組司会)

 NHKドラマ新銀河『素敵に女ざかり』主題歌、1993年~1998年から設けられたこの放送枠から紅白歌唱曲になったのはこれが唯一でした。取り上げられる機会の多い連続テレビ小説や大河ドラマはともかく、それ以外のNHKドラマ主題歌が紅白で歌われる例は実を言うとそんなに多くありません。

 「紅組は今年でデビュー42年目の島倉千代子さんで、「ときめきをさがしに」」。まだ19歳の松さんが曲紹介します。ちなみに直前には、この年人間国宝認定・翌年に芸歴50年の桂米朝師匠に松さんが教えを請う場面がありました。「悩んだり迷ったりすることがあってもね、やっぱりよう言われるけど初心という初めの時の気持ちに戻ったらね、たいがい辛抱できますわ」

 セットに多くの花が飾られる、非常に綺麗な背景で歌います。歌詞は共作であるものの本人によるもの、説得力のある内容です。ただ途中左手に目を向けながら歌詞を間違い、思わずハッと驚いてしまうハプニングがありました。34回目の出場ですが、紅白歌合戦でここまで大きく歌詞を間違えたのは初めてのことです。1番終了後、思わず大きなお辞儀で挨拶。観客席からは拍手が起こります。笑顔でそのまま2番も歌いますが、やはりどことなく動揺を隠し切れない様子でした。

応援など

 オープニング~トップバッター、第1部大トリ(都はるみ「好きになった人 ’96」)に渥美清追悼の「男はつらいよ」と要所要所での出演がメインでした。2年前と比べると少しコーナーは増えていますが、1980年代のような忙しさではありません。

第55回(2004年)「人生いろいろ」

ステージ

作詞:中山大三郎 作曲:浜口庫之助
前歌手:中村美律子、布施 明
後歌手:(全員合唱)、前川 清、夏川りみ
曲紹介:小野文惠(紅組司会)

 この年は紅白で出て欲しいアンケートの結果を公表、そこで紅組14位の支持を獲得。さらにデビュー50周年という節目の年、第47回以来8年ぶり出場の運びになりました。出場回数は既に北島三郎森進一が上をいく形になっていますが、紅組単位ではこの時点でも和田アキ子の28回なので35回の島倉さんがまだまだ上回っています。

 「島倉さんは紅白出場通算35回、そして歌手生活50年です!」。その前に「待ってました!お千代さん!」小林幸子が呼び掛け、祝福の色がやや強めの演出です。「歌の道半世紀、万感の思いを込めて歌って頂きましょう。島倉千代子さん、「人生いろいろ」」

 真紫の着物にカツラを装着、紅白では19年ぶりに芸妓姿で歌唱します。ただこの8年間特に前年から病気で声が出にくくなり始め、ステージではキーを落として声量も相当落ちている様子です。また舞台へ向かう際も、小林幸子が補助をしています。紅組歌手の応援もこの年は2番からではなく、1番途中から加わる形になっています。

 とは言え観客席からの手拍子は、第39回や第45回以上に大きいです。「いろいろ!」というコールは観客席だけでなく紅組歌手からも起こり、NHKホール全体が島倉さんを応援している雰囲気でした。その様子をじっくり見つめる審査員席、少し前に「知っている曲が一曲もない」と発言していた橋田壽賀子先生が首を縦にして頷く表情が映ります。紅組歌手陣は幸子さんが過剰なくらいに場を盛り上げていますが、そういえばこの年も16年前も紅組トリは彼女が歌う「雪椿」でした。

 「ありがとうございました。イェイ!」と最後にピースする島倉さんは、とびっきりの笑顔を見せています。これもまた、数多く出場した紅白歌合戦が初めて見せた表情・動きでした。

応援など

 オープニングは白い着物で登場します。髪は黒髪ではなく少し染めている様子でパーマもあり、ステージでの衣装とは対照的な姿でした。

 島倉さんのステージ終了後に、全歌手による「上を向いて歩こう」合唱が組まれています。島倉さんはステージ衣装のまま、そちらにも参加しました。

 後半では初出場の平原綾香大塚愛上戸彩を引き連れて客席からガイド風に登場。第44回(1993年)や第54回(2003年)の小林幸子で見られた曲紹介ですが、この年は幸子さん舞台衣装封印のため浜崎あゆみで流用されました。「皆さん初出場でしょ、私も8年ぶりの紅白なんであゆさんを近くで見たいと思って来てしまいました」とは島倉さん。この年の浜崎さんは「Moment」を歌唱、衣装だけでなくセットや演出にも大きくこだわりを見せた構成を作り上げていました。

 結果的に最後の出演になった紅白歌合戦は紅組の優勝。「蛍の光」はもちろん前列、第39回で司会を務めた和田アキ子が島倉さんにマイクを向けています。

おわりに

 晩年も様々な新しい活動に挑戦した島倉さんですが、デビュー60周年を前にした2013年11月8日に逝去。遺作となった「からたちの小径」はその3日前に自宅でレコーディング、大きな話題になりました。シングルCDはオリコン週間7位を記録、これは島倉さんにとって最初で最後のTOP10入りとなっています。なお年末の第64回紅白では、尊敬する歌手として島倉さんを挙げている石川さゆりの曲紹介が追悼コーナーに充てられました(本編レビューを参照)。また、翌第65回のエンディングで見られたさゆりさんの衣装は、第55回で歌った時の島倉さんに近い柄の着物姿です。

 1950年代から2000年代まで、6年代にわたって出場を続けたのは島倉さんが初めてでした。現在は北島三郎五木ひろしが保持する記録も、多くは島倉さんが一番最初に樹立してさらに更新するという形となっています。つまり言うと、紅白歌合戦常連という点で島倉さんはパイオニア中のパイオニア。それはあらためてここで書くまでもないことではありますが、番組が続く限りは今後も長く讃えられることを願います。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました