白21(全体41):旗 照夫(2年連続7回目)
・1955年デビュー 第7回(1956年)初出場
・1933年12月2日生 東京都港区出身
・楽曲:「史上最大の作戦マーチ」
・レーベル:東芝レコード
・演奏時間:2分33秒
「さあ…おや?4人のミッチ・ミラーの登場でございます。実は歌は旗照夫さん、「史上最大の作戦のマーチ」です」
オープニングで一斉に付け髭を蓄えた、ミッチ・ミラー姿に扮する4人はダークダックス。曲紹介の後に入場する旗照夫は、東京混声合唱団を指揮する手の動きを見せています。バックで歌う旗さんの後ろに控える合唱団の人数は20名ほどでしょうか。勇壮な歌唱を終えると、また自ら合唱団と楽団を指揮して退場の合図、しんがりで自ら白組側にはけます。歌手と指揮者を兼任するステージは、あまり見られない内容ではないでしょうか。
歌手席ではジェリー藤尾が立ち上がって手拍子したりしています。遠目のカメラワークでも目立っていて、白組歌手席のショットでは横に座る田端義夫が苦笑い。あまりの様子に「なによジェリーさん」と呆れ返るチエミさんでした。
解説
・「史上最大の作戦マーチ」の演奏はミッチ・ミラー楽団。ダークダックスが扮したその姿は髭を生やした紳士といういでだち。合唱も同様に原曲はミッチ・ミラー合唱団が担当。これは1962年のアメリカ映画で、その年12月に日本でも公開。第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦がテーマになっています。
・旗照夫の紅白出場は7回ありますが、ジャズもしくはアメリカの映画劇中歌の選曲が主でした。自身の持ち歌ですと1960年の「あいつ」が一番有名ですが、そちらは紅白で一度も歌われていません。同様の例だと高英男も、本来のジャンルであるシャンソンメインで代表曲「雪の降る町を」が未歌唱となっています。
・コーラスを担当したのは東京混声合唱団ですが、この当時白組に女性コーラスを入れるのもご法度でした。そのため混声と言いつつも男性のみの参加になっています。
・既にジェリーさんの目立ち具合は本文でも指摘していましたが、ついに相手司会者からもツッコミが入ってしまいました。後年の紅白でも見ていてここまで気になった人はいないので、現場では相当目についていたのかと推察します。
紅21(全体42):ペギー葉山(10年連続10回目)
・1952年デビュー 第5回(1954年)初出場
・1933年11月9日生 東京都新宿区出身
・楽曲:「女に生れて幸せ」
・レーベル:キングレコード
・演奏時間:2分14秒
「舞台に出てきて、あんなに大勢男の人が応援したって、女性軍の方には全国でテレビをご覧の皆さんがすごく女性軍に応援してくださってると、私は信じております。お願い致します、あと残り少ないんですけど一生懸命頑張ります。やっぱり大勢の味方が全国にいるって思うだけで、女に生まれてとっても幸せだったと思います。ペギー葉山さん、「女に生まれて幸せ」!」
タイトル通り?男では間違いなく着ることが出来ないであろうドレス姿で登場。髪飾りのファッションも女性もならではといったところでしょうか。途中で女性特別審査員5名が順番に映り込むショットも入ります。月並みな表現ですが、紅組のためにあるような歌詞です。ラストの1コーラスは英語で決めました。
解説
・初回更新では調べきれなかった曲ですが、その後情報が入りました。この曲は1961年アメリカ・翌年日本でも公開された映画『フラワー・ドラム・ソング』劇中歌「I Enjoy Being a Girl」で、ドリス・デイやペギー・リーなどもレコーディングしているスタンダードナンバーだそうです。
・この年のペギーさんは気胸のため、半年間の病気療養期間がありました。もっともその間に「ラ・ノビア」「爪」などがヒット、当時の人々にとっては大きなブランクを感じさせない休養だったようです。なお「ラ・ノビア」は次の年、第15回の紅白で披露されています。
白22(全体43):デューク・エイセス(2年連続2回目)
・1955年結成、1960年デビュー 第13回(1962年)初出場
・29~31歳・4人組
・楽曲:「ミスター・ベースマン」
・レーベル:東芝レコード
・演奏時間:1分50秒
「なにかのご用でテレビジョンの前を、あるいはラジオの前を離れていらっしゃる皆さんがおいででしたら、どうぞお呼びになってください。これからいい歌でございますよ、お互いの幸せのために聴きましょう。「ミスター・ベースマン」、デューク・エイセスの皆さんでございます」
全編英語詞の歌唱、主旋律はセカンドの吉田一彦、バーバババ…の低音は槇野義孝が担当。このステージはとにかく槇野さんの音が非常に心地良いです。ハーモニーの作り方も含めて、ものすごく器用。ダークダックスやボニージャックスも素晴らしいですが、技巧という点で考えると個人的にはデュークに軍配をあげたい、そんな気分です。
解説
・原曲はスコットランド出身のシンガーソングライター、ジョニー・シンバルが歌ったもの。日本ではダニー飯田とパラダイスキングが日本語詞をつけて歌ってます。
・トップテナーの小保方淳は翌年谷口安正にメンバー交代したため、紅白出場はこの年が最後。『夢であいましょう』のパフォーマンスで引き継ぎが行われたそうです。
・谷口さんは1990年に急逝、第43回に復帰出場した際は新メンバーの飯野知彦がトップを担当しましたが、彼もまたオリジナルメンバーの3人より早く亡くなります。吉田さんは2020年に亡くなりましたが、槇野さんとバリトンの谷道夫は現在も健在。ただグループの活動は、2017年に終止符を迎えてます。
紅22(全体44):ザ・ピーナッツ(5年連続5回目)
・1959年デビュー 第10回(1959年)初出場
・1941年4月1日生・2人組 愛知県常滑市出身
・楽曲:「恋のバカンス」
・レーベル:キングレコード
・演奏時間:2分17秒
「今年は海外でもおおいに活躍した、いつも可愛い南京豆。ザ・ピーナッツ、どうぞ!」
「歌う前にちょっと1つだけ嬉しい電報読ましてくださいね。All The Best、カテリーナ・ヴァレンテ、モナコにて。しっかり歌ってくださいね!「恋のバカンス」」
“All The Best!”というメッセージの電報がカテリーナ・ヴァレンテから届きます。歌う前の2人は大喜び。そのまま、1963年日本だけでなく海外でもヒットした「恋のバカンス」を熱唱します。
前回歌った「ふりむかないで」もそうですが、この曲はもう歌謡曲ではなく日本人が作ったポップス。坂本九の「上を向いて歩こう」がビルボードで1位を獲得しましたが、これからは日本のポップスも海外で聴かれる機会は多くなるのでしょうか。今は日本が各国のヒット曲をカバーする状態ですが、いずれはオリジナルが日本の音楽界を席巻する、そんな時代が来るのでしょう。そうなると、圧巻の一言に尽きるこのパフォーマンスも後世に大きな価値が残るというものです。
解説
・電報の届け主であるカテリーナ・ヴァレンテは当時イタリアの大人気歌手。ザ・ピーナッツのメンバーとも親交があり、彼女たちの持ち歌を日本語でカバーしたりもしています。
・「恋のバカンス」というタイトルは知らなくても♪ため息の出るような…で始まるメロディーは知っている、少なくとも子どもの頃の自分はそうでした。それくらいに、いまや日本人の耳に馴染んだヒット曲と言って良いでしょう。
・1960年代は日本のポップスも積極的に海外へアピールしていた時代。さすがに最近だと海外で活躍する例も多いですが、果たして1980年代~1990年代はどうだったかと言うと…。確かにカバー曲のヒットは1970年代以降大きく減り、日本人が書いたポップスのヒット曲が当たり前に出てくるようになりました。その分海外での活動が目立たくなり、果てはピンク・レディーのように国内マスコミがそれを報じないという時代になります。歌謡曲黄金時代というと聞こえはいいですが、こういった大きな負の側面が発生したことは正直申し上げると、現在まで影響が出ているような気がしてなりません。
白23(全体45):春日八郎(8年連続9回目)
・1952年デビュー 第5回(1954年)初出場
・1924年10月9日生 福島県河沼郡会津坂下町出身
・楽曲:「長崎の女」
・レーベル:キングレコード
・演奏時間:1分56秒
「しばれる北海道でも、またようやく涼しくなったという南国沖縄でも大勢の方にご覧いただいております紅白歌合戦。これから歌いますのは福島県会津の出身、歌は「長崎の女」。春日八郎さんです」
1963年を代表するヒット曲を2コーラス熱唱。高値安定、という言葉がまさしくしっくり来ます。歌手席も遠めのカメラワークで少し映りますが、ジェリー藤尾は曲が曲なのでさすがに多少おとなしくなりましたが落ち着きはなさそうな様子。最後は歌い上げて締めました。
解説
・演歌歌手の第一人者と言われるのが春日八郎ですが、この当時は「演歌」という言葉がまだ定着していない時期。曲紹介で演歌という言葉が初めて登場したのは、確認できる限り第19回、1968年の北島三郎が初めて。ただ第18回でも既にあったかもしれません。
・長崎を舞台にした曲はこの時点でも多く、紅白ではこの「長崎の女」が7曲目になっています(参考記事)。
紅23(全体46):五月みどり(2年連続2回目)
・1958年デビュー 第13回(1962年)初出場
・1939年10月21日生 東京都新宿区出身
・楽曲:「一週間に10日来い」
・レーベル:日本コロムビア
・演奏時間:2分8秒
「長崎の人でも、それから北海道の人でも、暇があったら是非とも「一週間に十日来い」!五月みどりさんです」
お座敷で歌われる小唄がそのまま歌謡曲になったような内容で、会場は手拍子で盛り上がります。1コーラスが短いので3コーラス。吉永小百合や倍賞千恵子もそうですが、彼女も着物姿で大変美しくてよく似合ってます。
解説
・レコードでは「一週間に十日来い」と漢字表記ですが、テロップは数字表記でした。
・五月みどりも現在は女優のイメージが強いですが、この当時は歌手活動がメイン(映画には多く出演していましたが)。1965年に一旦結婚引退して、離婚後復帰した1970年代以降は完全に女優活動中心となります。
・熟女という言葉が生まれたのは彼女がきっかけですが、さすがにまだ1963年当時はまるでそんな雰囲気ありません。というよりそんな予想していた人もいなかったのではないでしょうか。
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