旗 照夫(2年連続7回目/第7回/東芝/30)
「史上最大の作戦マーチ」

 オープニングでミッチ・ミラー姿に扮する4人はダーク・ダックス。曲紹介の後に入場する旗照夫は、東京混声合唱団を指揮しながら。バックで歌う旗さんの後ろに控える合唱団の人数は20名ほどでしょうか。勇壮な歌唱を終えると、また自ら合唱団と楽団を指揮して退場の合図、しんがりで自ら白組側にはけます。歌手と指揮者を兼任するステージは、あまり見られない内容ではないでしょうか。
 歌手席ではジェリー藤尾が立ち上がって手拍子したりしています。遠目のカメラワークでも目立っていて、白組歌手席のショットでは横に座る立川澄人が苦笑い。あまりの様子に「なによジェリーさん」と呆れ返る江利チエミでした。(2分33秒)
(解説)
 「史上最大の作戦マーチ」の演奏はミッチ・ミラー楽団。ダーク・ダックスが扮したその姿は髭を生やした紳士といういでだち。合唱もまた原曲はミッチ・ミラー合唱団。1962年のアメリカ映画で、その年12月に日本でも公開されています。第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦がテーマになっています。
 旗照夫の紅白出場は7回ありますが、ジャズもしくはアメリカの映画劇中歌の選曲が主でした。自身の持ち歌ですと1960年の「あいつ」が一番有名ですが、そちらは紅白で一度も歌われずじまい。
 既にジェリーさんの目立ち具合は本文でも指摘していましたが、ついに相手司会者からもツッコミが入ってしまいました。後年の紅白でも見ていてここまで気になった人はいないので、現場では相当目についていたのかと推察します。

 

ペギー葉山(10年連続10回目/第5回/キング/30)
「女に生れて幸せ」

 タイトル通り?男では間違いなく着ることが出来ないであろうドレス姿で登場。髪飾りのファッションも女性もならではといったところでしょうか。女性の特別審査員のショットも映ります。月並みな表現ですが、紅組のためにあるような歌詞です。ラストの1コーラスは英語で決めました。(2分14秒)
(解説)
 洋楽のカバーなのは間違いないのですが、この邦題で検索しても元歌が全く出てこないんですよね…。この曲に限らず、ペギーさんの場合輝かしい実績の割に検索しても出てこない曲が紅白歌唱曲だとかなり多いです。




デューク・エイセス(2年連続2回目/第13回/東芝/29~31)
「ミスター・ベースマン」

 全編英語詞の歌唱、主旋律はセカンドの吉田一彦、バーバババ…の低音は槇野義孝が担当。このステージはとにかく槇野さんの音が非常に心地良いです。ハーモニーの作り方も含めて、とにかく器用。ダーク・ダックスやボニージャックスも素晴らしいですが、技巧という点で考えると個人的にはデュークに軍配をあげたい、そんな気分です。(1分50秒)
(解説)
 原曲はスコットランド出身のシンガーソングライター、ジョニー・シンバルが歌ったもの。日本ではダニー飯田とパラダイスキングが日本語詞をつけて歌ってます。この年のヒット曲であることは間違いないですね。
 トップテナーの小保方淳は翌年谷口安正にメンバー交代するので、紅白はこの年が最後。『夢であいましょう』のパフォーマンスで引き継ぎが行われたそうです。谷口さんは1990年に急逝、第43回に復帰出場した際は新メンバーの飯野知彦がトップを担当しましたが、彼もまたオリジナルメンバーの3人より早く亡くなります。吉田さんは2020年に亡くなりましたが、槇野さんとバリトンの谷道夫は80代を超えても未だ健在。ただグループの活動は、2017年に終止符を迎えてます。

 

ザ・ピーナッツ(5年連続5回目/第10回/キング/22)
「恋のバカンス」
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 “All The Best!”というメッセージの電報がカテリーナ・ヴァレンテから届きます。歌う前の2人は大喜び。そのまま、1963年日本だけでなく海外でもヒットした「恋のバカンス」を熱唱します。
 前回の「ふりむかないで」もそうですが、この曲はもう歌謡曲ではなく日本人が作ったポップス。坂本九の「上を向いて歩こう」がビルボードで1位を獲得しましたが、これからは日本のポップスも海外で聴かれる機会は多くなるのでしょうか。今は日本が各国のヒット曲をカバーする状態ですが、いずれはオリジナルが日本の音楽界を席巻する、そんな時代が来るのでしょう。そうなると、このパフォーマンスも後世に大きな価値が残るというものです。(2分17秒)
(解説)
 電報の届け主であるカテリーナ・ヴァレンテは当時イタリアの大人気歌手。ザ・ピーナッツのメンバーとも親交があり、彼女たちの持ち歌を日本語でカバーしたりもしています。
 「恋のバカンス」というタイトルは知らなくても♪ため息の出るような…で始まるメロディーは知っている、少なくとも子どもの頃の自分はそうでした。それくらいに、いまや日本人の耳に馴染んだヒット曲と言って良いでしょう。
 1960年代は日本のポップスも積極的に海外へアピールしていた時代。さすがに最近だと海外で活躍する例も多いですが、果たして1980年代~1990年代はどうだったかと言うと…。確かにカバー曲のヒットは1970年代に入ると大きく減少して、日本人が書いたポップスのヒット曲が当たり前に出てくるようになりました。ですがその分海外での活動が目立たくなり、果てはピンク・レディーのように国内マスコミがそれを報じないという時代になります。歌謡曲黄金時代というと聞こえはいいですが、こういった大きな負の側面が発生したことは正直申し上げると、現在まで影響が出ているような気がしてなりません。




春日八郎(8年連続9回目/第5回/キング/39)
「長崎の女」

 1963年を代表するヒット曲を2コーラス熱唱。高値安定、という言葉がまさしくしっくり来ます。歌手席も遠目で少し映りますが、ジェリー藤尾は曲が曲なのでさすがに多少おとなしくなりましたが落ち着きはなさそうな様子。(1分56秒)
(解説)
 演歌歌手の第一人者と言われるのが春日八郎ですが、この当時は「演歌」という言葉がまだ定着していない時期。曲紹介で演歌という言葉が初めて登場したのは、確認できる限り第19回、1968年の北島三郎が初めて。第18回でも既にあったかもしれません。

 

五月みどり(2年連続2回目/第13回/コロムビア/24)
「一週間に10日来い」
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 お座敷で歌われそうな小唄がそのまま歌謡曲になったような内容で、会場は手拍子で盛り上がります。1コーラスが短いので3コーラス。吉永小百合や倍賞千恵子もそうですが、彼女も着物姿で大変美しくてよく似合ってます。(2分8秒)
(解説)
 レコードでは「一週間に十日来い」と漢字表記ですが、テロップは数字表記でした。
 五月みどりも女優のイメージが強いと思われますが、この当時はあくまで歌手活動がメイン(映画にも多く出演はしていましたが)。1965年に一旦結婚引退して、離婚後復帰した1970年代以降は完全に女優活動中心となります。熟女という言葉が生まれたのは彼女がキッカケですが、さすがにまだ1963年当時はまるでそんな雰囲気ありません。というよりそんな予想していた人もいなかったのではないでしょうか。