小坂明子(初出場/第25回/1973/17)
「あなた」(1973/小坂明子/小坂明子/初)

 今回の紅白のために、父親の小坂務さんが大阪から上京して指揮を務めます。娘の晴れ舞台を見に行く、という光景は第19回の中村晃子の例があり、おそらく紹介されない範囲でもあったと思われます。親子で紅白出場は第7回の鈴木正夫鈴木三重子の例があります。ただ親子が同じステージで共演、となると曲紹介にもある通り今回が紅白史上初となります。
 自作自演の曲を、ピアノを弾きながら歌います。このピアノを弾きながら歌うというステージも、紅白史上初めてです。澄んだ歌声で1974年を代表する名曲を熱唱、まさにその一言でしっくりくるステージでした。(2分49秒)

(解説)
 「あなた」はポプコン’73および第4回世界歌謡祭グランプリ受賞をきっかけにレコード化されて一躍大ヒットを記録しました。1970年代はこのポプコン・世界歌謡祭がきっかけになってブレイクする例は非常に多く、これ以降だと中島みゆきツイスト円広志クリスタルキングトム・キャットなどが大ヒットします。世界歌謡祭グランプリだと「出発の歌」の例がありますが、ポプコングランプリ曲が紅白で歌われるのはこの「あなた」が初めてでした。
 「あなた」はレコード売上150万枚を超える大ヒットを記録しましたが、その後はヒットが続かず紅白出場もこの回限り。映像で見てもやや気になるふくよかな体型は、後にダイエットして1982年にその体験記を出版。ベストセラーに至ります。それ以降は主に作曲家・音楽監督などで活躍。『美少女戦士セーラームーン』など、ヒロイン系のアニメやミュージカルに携わる機会が多かったようです。

 

三橋美智也(9年ぶり11回目/第7回/1954/44)
「哀愁列車」(1956/横井 弘/鎌田俊与/18年ぶり2回目)

 観客席に、連続テレビ小説『鳩子の海』でお馴染みの民夫さんを演じる俳優の樋浦勉さんが座っています。インタビュー。「いみじくもいみじくもいみじくも…」とドラマで使われる口上を述べたあと、「この世の中に赤鳩がいるってことは聞いたことがあります。白鳩が今日は羽ばたくのではないかと、白組の優勢と信じております」とコメント。観客席での観覧のはずですが、かなり露骨な白組応援でした。樋浦さんの奥さんの故郷は淡路島だそうですが、これから読み上げる電報は北海道。SLはだんだん姿を消したが、「哀愁列車」は我々の胸から消えることがない、ということでそのまま曲紹介に繋がります。
 9年ぶりの紅白ですが、ありあまるほどの声量は相変わらず。歌い出しでマイクが音割れしています。白組トリを4回も務めた実績は、やはり並大抵のことではありません。初出場以来、紅白で歌われるのは実に18年ぶりのことですが、名曲は本当にいつ聴いても良いものです。そして、紅白に復帰した喜びがものすごく伝わる表情での歌唱も印象的でした。
 次回以降も、例えば1959年・第10回出場当時は女性コーラス隊を使えなかった「古城」もアリですし、まだ紅白で歌っていない「リンゴ村から」辺りでも良いでしょう。あと何年かは常連で出場して欲しいと心から思えるステージでした。(2分9秒)

(解説)
 この年放送の連続テレビ小説は『鳩子の海』。子役の斉藤こず恵の熱演が大きな話題になりましたが、さすがに彼女を21時以降の生放送に出演させるわけにはいかず。こういった形での出演になりました。樋浦さんはどちらかと言うと脇役的な立場ですが…。なおこの場面での出演者テロップはありませんでしたが、おそらくNHKが席を用意したと思われます。そうでないと、観客の立場であそこまで露骨な白組応援にはならないはず。ちなみに『鳩子の海』までは1年間の放送で、今のように原則半年間の放送になったのは翌年の『水色の時』『おはようさん』からです。
 SLが姿を消しつつあるという電報ですが、蒸気機関車の定期運行は次の年ついに無くなりました。紅白でも、それを偲んで翌年春日八郎さんが「赤いランプの終列車」を歌っています。
 「哀愁列車」の作曲家は「鎌田俊与」と表記されていますが、実際は「鎌多俊与」表記が正しいようです。元々は近衛八郎という芸名の歌手で、軍歌のヒットが多かったようです。
 本文ではこう書きましたが、三橋さんが復帰後古い持ち歌を歌ったのはこの回のみ。4年連続出場でしたが、第26回・第27回は青森県民謡、第28回はその年の新曲「風の街」披露でした。その後平成辺りで1回くらい復帰があっても良さそうなものですが、結局実現しないまま1996年に亡くなります。1950年代後半~1960年代前半の爆発的人気・実績を考えると、現在から見ても当時の扱いを考えてもかなり過小評価されているような気がしてならないのですが、いかがでしょうか。

・紅組ラインダンス

 紅白初の試みとなる、紅組歌手によるロケット。ラインダンスに参加するのは伊藤ユミ(ザ・ピーナッツ)を先頭に、桜田淳子松井悦子(チェリッシュ)いしだあゆみ山本リンダ梓みちよ小柳ルミ子山口百恵伊藤エミ(ザ・ピーナッツ)の面々。確かになんとなく踊れそうな、美人のメンバーが揃っています。片脚を上げる振付もバッチリ揃ってます。この本番に向けて、相当練習したのではないかと思われます。ラストは9人揃って片膝立ちの決めポーズ…という所でいしださんがバランスを大きく崩して座り込んでしまいました。おかげで退場シーンも全員揃わず、かなりグダグダな形に。実況の相川浩アナも、司会の佐良さんも笑いを堪えられない様子です。
 ちなみに、チータによると本当は紅組歌手全員でやる予定だったのですが、一人が息切れして出られなかったとのこと。その一人は誰かと言うと、やっぱり島倉千代子。というわけでお千代さんにピコピコハンマーで2人して叩かれる、というオチでした。

(解説)
 紅白始まって以来の試みですが、おそらく相当好評だったのでしょう。この後第30回まで紅組恒例のイベントとなりました。人数も20人くらいまで増えて、紅組の若手アイドル歌手はほぼ強制参加という形になります。ただ踊りに定評のある梓さんやルミ子さん辺りはともかく、こういう服を着ることがない女性歌手にとってはやはり気が進まない演出だった模様。たとえば翌年初出場する岩崎宏美さんは、「あの衣装が嫌だったなぁ」と回顧しています(それでも5年間我慢してやってましたが)。

 

天地真理(3年連続3回目/第23回/1971/23)
「想い出のセレナーデ」(1974/山上路夫/森田公一/初)
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 レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたモナ・リザが日本で展示された話題から、微笑みと言えば天地真理さんという流れで曲紹介。過去2回はアップテンポのかわいらしい楽曲でしたが、今回は少し大人っぽい雰囲気のバラード。ですので表情はいつもと違って、ちょっと微笑みという感じではなありません。むしろ物憂げな表情、とまで言った方が適当でしょうか。もっとも歌唱はこれまで以上に丁寧で、聴かせるステージとして十二分の内容でした。考えてみれば元々は声楽科出身、本来こういう曲の方が今までのヒット曲より向いているのかもしれません。(2分25秒)

(解説)
 『モナ・リザ』が日本で初めて展示されたのはこの年のこと。世相や出来事に絡める曲紹介もまた、紅白歌合戦の醍醐味ではないかと感じる部分でもあります。
 立て続けにレコードが大ヒットした前年・前々年は休みがないほどの忙しさでしたが、前年下半期辺りから急にシングル売上が落ち込みます。とは言え、「想い出のセレナーデ」はオリコン年間41位のヒットを記録していました(「恋する夏の日」までずっと年間TOP10クラスではありましたが…)。ただ人気の低下はさらに加速して、紅白の連続出場はこの回でストップ。1977年には病気で芸能活動休止、その後活動復帰しますが、現在までかなり波乱万丈な芸能生活を送る形になっています。

 

内山田洋とクール・ファイブ(4年ぶり3回目/第20回/1969/26~38)
「海鳴り」(1974/千家和也/劉 家昌/初)

 愛宕山の放送博物館から借りてきた古いマイクロフォンを紹介。来年は放送開始50周年を迎えるということで、菅原洋一・三善英史・森進一・美川憲一といった特殊効果団が、海とカモメの擬音を表現してステージが始まります。
 クールファイブの出場は4年ぶり。前年だと「そして、神戸」、その前だと「この愛に生きて」が大ヒットしているのですが、目立ったヒット曲がないこの年に復帰というのは何とも言えない巡り合わせ。ですが既に登場した応援も含めて、ほとんど常連みたいな形で無難にステージを務めました。コーラスが微妙に2番の入りまで声が出ていたような気もしますが、まあ聴かなかったことにしましょう。(2分23秒)

(解説)
 この3年間、正確には2年間出場できなかったのはやはり第22回に前川さんが急病で穴を空けてしまったことが原因のようです。当日はフォーリーブスを代役に据えて、クールファイブの面々は当時の奥さんであった藤圭子のステージで特別に「港の別れ唄」を歌ってもらって、コーラスで参加という形で事なきを得ましたが、やはり当時のNHKスタッフにとってはオカンムリだったものと思われます。「そして、神戸」は前川さんのソロで、17年後の第42回に初めて紅白で歌われます。ただ「この愛に生きて」「恋唄」「出船」辺りのナンバーは、今のところ紅白でまだ歌われていないヒット曲と化しています。
 この紅白で歌われた「海鳴り」はジュディ・オングが台湾で歌った「海鴎」の日本語カバー。日本では1979年の「魅せられて」があまりにも有名ですが、日本での芸能活動は1961年から。シングルも1967年に「たそがれの赤い月」がヒットしますが、紅白出場は「魅せられて」が大ヒットした第30回まで待つ形となります。

八代亜紀(2年連続2回目/第24回/1971/24)
「愛ひとすじ」(1974/川内康範/北原じゅん/初)

 今年現役を引退、ジャイアンツの監督に就任する長島茂雄監督から紅組激励の電報が届きます。紅組ただひとすじに応援す、燃える男・長島茂雄は野球ひとすじ、そして八代亜紀は「愛ひとすじ」。ここの曲紹介も大変テンポがあって素晴らしいです。
 「しのび恋」「愛ひとすじ」「愛の執念」、いずれも1974年を代表するヒット曲ですが選曲されたのは「愛ひとすじ」でした。3曲の中で演歌らしい演歌、と言われるとやはりこの曲に軍配があがるでしょうか。2コーラスの熱唱。茶色を基調にしたドレスは遠目で見るとチョコレートケーキみたいで、なかなかのインパクトでした。女性演歌のホープとして、1975年以降のヒットもおおいに期待したいです。(2分12秒)

(解説)
 読売ジャイアンツの9年連続日本一に貢献した長島茂雄はこの年現役引退。引退試合のスピーチ「巨人軍は永遠に不滅です」という言葉も大きな話題になりました。ただ盛りを過ぎたチームに新人監督というのはやはり厳しかったようで、1975年はチーム創立以来初めての最下位に沈みます。もっとも次の年からしっかり2連覇するところが、さすがジャイアンツといった具合。なお、2020年の現在までジャイアンツの最下位はこの年のみでたった1度きり。資金力やメディアに対しての力が大きいこともありますが、これだけずっと強いチームでいられるのはやはり凄いことだと思います。
 「愛ひとすじ」は紛れもない大ヒット曲で、日本有線大賞の受賞曲でもありますが、平成以降の全曲集にはほとんど収録されていません。これはやはり、紅白では歌われていない3番の歌い出しの歌詞が原因のようです。テレビで歌う分には大体が2番までなので、そこまで大きな問題はありませんが…。

 

五木ひろし(4年連続4回目/第22回/1965/26)
「浜昼顔」(1974/寺山修司/古賀政男/初)
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 歌う前に五木さんも山川アナの横にスタンバイ。先ほど歌った八代さんの目はエンマコオロギのように綺麗という山川アナの評に、首を傾げるリアクションを取ります。
 白組側にも多く電報が届いてるようで、こちらは五木ひろしの大ファンだと言う中村勘三郎さんから。それを山川アナが声色で、元気のない時の声で紹介。「五木くん頑張れよ、もちろん白組のためにも頑張ってくれよ、頑張れよ頑張れよ」。文字でしか表現できないのが残念ですが、リアクションを見ても分かる通り、かなり似ています。会場にいる観客だけでなく、横にいる五木さんも思わず拍手。
 「浜昼顔」は1コーラスが短く、2コーラスだと演奏時間が2分もありません。というわけで3コーラス・フルでじっくり歌います。前回のレコード大賞、今回はレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した珠玉の歌声を、じっくり堪能できるステージでした。(2分47秒)

(解説)
 山川静夫さんは言うまでもなくNHKアナウンサーですが、芸能評論家としての顔も持ちます。特に歌舞伎に関しては入局前から造詣が深く、声色は大学時代からの特技だったよう。学生時代は相当歌舞伎に通いつめて、ついには本番の声の吹き替えまで担当するという筋金入り。ただ元気のない時の声でという紹介は、本番後勘三郎さんからお叱りを受けたという裏話も。なおここで指している中村勘三郎は17代目、当代の中村勘九郎の祖父にあたります。
 五木さんは前年レコード大賞を受賞しましたが、受賞曲が「夜空」で紅白が「ふるさと」というねじれ現象が発生しました。この年は最優秀歌唱賞でしたが、こちらもレコ大が「みれん」で紅白が「浜昼顔」といった具合。さらに言うと1972年もレコ大歌唱賞が「夜汽車の女」で紅白が「待っている女」。3年連続でこういう現象が起こったのは、演歌では五木さんだけだと思います。それだけ毎年コンスタントに、バランス良くシングルがヒットしているという証ですね。
 「浜昼顔」は古賀政男作曲、ですが元のメロディーは1936年に藤山一郎さんが歌った「さらば青春」。新たに寺山修司が歌詞を書き下ろして、別の曲に仕上げたという経緯があります。