※本記事はブログ「紅白歌合戦のお話。」で2020年8月~9月に更新したシリーズの再編集です。ご了承ください。
ここ何年かはずっとその年の紅白歌合戦の予想からレビューまで色々書いていますが、過去の紅白歌合戦となるとなかなか書く機会がないものです。一つ一つステージをピックアップする、ということも悪くないですが、やはり紅白歌合戦はステージだけでなく司会や応援なども含めて楽しみたいものです。
というわけで、今回過去の紅白歌合戦について、今の紅白歌合戦のように書くとどんな感じになるのかを検証してみることにしました。平成の紅白でも良いのですが、やはり古ければ古いほど想像がつかないということで、今回はもう第14回、映像が残っている最古の紅白である1963年の紅白歌合戦について書いていくことにします。
ではまず本番前に、出場歌手発表があった日という体で記事を書いていくことにしましょう。ちなみにこの年の出場歌手発表は12月12日で、同時に司会も発表という形になったそうです。当然ながら全ての情報が後追いなので、事実と違っている部分が多くあるかもしれません。その場合は、遠慮なく指摘して頂けるとありがたいです。
今回の出場歌手(紅組)
越路吹雪(8年連続9回目/第2回/1951/39)
今回も紅白最古参になるのは彼女。前回は日本調の「新土佐節」でしたが、今回はまたシャンソンもしくは洋楽カバーを歌うのでしょうか。
江利チエミ(11年連続11回目/第4回/1952/26)
11年連続出場は二葉あき子を抜いて新記録。そしてなんと初めて歌手兼任の紅組司会に抜擢されました。前回司会の森光子が新春の舞台『越前劇人形』主演を控えていて、ギリギリまで考えて辞退したということらしいので苦肉の策ではありますが、果たしてどうなるでしょうか。個人的には、森光子続投よりかえって面白くなるのではないかと思いますが…。
ペギー葉山(10年連続10回目/第5回/1952/30)
こちらも10年連続出場の大記録を打ち立てました。
美空ひばり(7年連続8回目/第5回/1949/26)
前回は前半トリでもなく、非常に早い曲順で勿体ない印象もありましたが、今年はどうでしょうか。久々にトリで歌うお嬢も見たいですが…。
雪村いづみ(2年ぶり6回目/第5回/1953/26)
前回はアメリカにいたため出られなかったですが、今回再復帰で三人娘揃い踏み。
楠トシエ(7年連続7回目/第8回/1953?/35)
『お笑い三人組』『チロリン村とくるみの木』は引き続き好評、外せないメンバー。
松山恵子(7年連続7回目/第8回/1955/26)
初出場当時のヒットという印象ではないですが、地方からの人気はまだ絶大。
島倉千代子(7年連続7回目/第8回/1955/25)
阪神タイガースのスラッガー・藤本勝巳選手と結婚。守屋浩とのデュエット「星空に両手を」がヒットしてますが、紅白ではどうでしょうか。
朝丘雪路(5年連続6回目/第8回/1955?/28)
前回「島育ち」を歌いましたが、そこから南国ブームが歌謡界に巻き起こりました。今回もそういった楽曲なのでしょうか。
ザ・ピーナッツ(5年連続5回目/第10回/1959/18)
「恋のバカンス」が大ヒットした1963年。勿論紅白でもこの曲を歌うことになるのでしょう。
西田佐知子(3年連続3回目/第12回/1956/24)
「エリカの花散るとき」が大ヒットしてます。こちらも間違いなさそうです。
坂本スミ子(3年連続3回目/第12回/1959?/27)
今回もパワフルなラテンの名曲を期待。
こまどり姉妹(3年連続3回目/第12回/1959/25)
安定した人気で3年連続出場。
五月みどり(2年連続2回目/第13回/1958/24)
「一週間に十日来い」が「おひまなら来てね」に続く大ヒット、堂々の出場です。
スリー・グレイセス(2年連続2回目/第13回/1959/??)
「ワン・ボーイ」がヒット中ですが、意外な選曲もあるかもしれません。
仲宗根美樹(2年連続2回目/第13回/1961/19)
1962年の新人賞。1963年も引き続き「奄美恋しや」がヒットしていますね。
弘田三枝子(2年連続2回目/第13回/1961/16)
いまや洋楽ポップスには欠かせない存在になりました。今回もパワフルなステージをおおいに期待。
中尾ミエ(2年連続2回目/第13回/1962/17)
伊東ゆかり、園まりの初出場でスパーク3人娘勢揃い。前回は「可愛いベイビー」でしたが、今回は3人で一緒にステージに立つのだそうです。
吉永小百合(2年連続2回目/第13回/1962/18)
歌手だけでなく、女優としても絶大な人気です。
トリオこいさんず(2年連続2回目/第13回/19??/??)
関西での支持を受けて、2年連続出場。
畠山みどり(初出場/第14回/1962/24)
1962年「恋は神代の昔から」でデビュー。大ヒットしましたが、なぜか前回の紅白ではお呼びがかからず。引き続き「出世街道」もヒットさせて堂々の紅白初出場。どちらを選曲するのか、悩ましいところです。
倍賞千恵子(初出場/第14回/1962/22)
女優としては1961年、歌手としては1962年9月発売の「下町の太陽」でデビュー。山田洋次が監督した映画は1963年の話題作にもなりました。嬉しい初出場です。
高石かつ枝(初出場/第14回/1962/17)
1962年映画『愛染かつら』の主題歌になった「旅の夜風」のカバーでデビュー。ヒットもしましたがデュエットということもあって、前回は出られず。今回堂々の初出場となりました。清楚な雰囲気という印象がありますが、本番でもそんな感じになるのでしょうか。
梓みちよ(初出場/第14回/1962/20)
1962年「ボッサ・ノバでキッス」でデビュー。田辺靖雄とのデュエットもヒットしましたが、やはり今回は『夢であいましょう』から大ヒットした「こんにちは赤ちゃん」でしょうか。レコードは11月発売でしたが、それ以前からおおいに認知されていました。新人ながらレコード大賞を受賞するという噂もあります。
伊東ゆかり(初出場/第14回/1958/16)
園 まり(初出場/第14回/1962/19)
伊東ゆかりは1958年「クワイ河マーチ」でレコードデビュー、一時活動休止していましたが、復帰後スパーク3人娘として大きく知名度を上げます。園まりは1962年「鍛冶屋のルンバ」でデビューですが、彼女もキング児童合唱団出身で本名でのレコード発売もありました。3人ともソロで実績を残しているので1つのステージにまとめるのは勿体ない気がしますが、そこはグループ歌手の数を紅白で揃えるという原則、ただ白組の方が1組少ないですね…。もっとも植木等は前回クレージーキャッツのメンバーが加わったステージで、結局対戦相手の楠トシエとの矛盾が生じているので、今回それを意図しているのかも分からないですが。
主な不出場歌手(紅組)
宮城まり子
ここまで7回出場しましたが、残念ながら出られず。
中原美紗緒
前回歌った「フル・フル」が紅白2回目ということもありますが、実力を考えるとやはり意外な印象も…。連続出場は7回でストップ。「夜の恋人」もヒットしていたのですが。
大津美子
前回は2年ぶりの復帰でしたが、連続出場は残念ながら出来ず。
松尾和子
実力を考えるとあり得ないと思うのですが、長男を出産した関係でしょうか(要確認)。
森山加代子
ヒット曲がなく苦しい一年でしたが、やはり落選になってしまいました。
及川三千代
前回初出場の紅組歌手で、唯一2年連続出場を逃す形。
青山ミチ
「ミッチー音頭」が大ヒットしていましたが、さすがに中学生で出場させるのは厳しかったようです。前回の弘田三枝子は早生まれの15歳、中学は卒業してましたからね…。
伊藤アイコ
同じく、「太陽の下の18才」を大ヒットさせていましたが年齢的な問題がありそうです。
九重佑三子
『夢であいましょう』10月のうた、ヒット中でしたが選ばれず。
本間千代子
「若草の丘」がヒットしていますが、女優メインの歌手の出場が多いという点で選ばれなかった形でしょうか。
榎本美佐江
金田正一と離婚後、復帰作「後追い三味線」がヒットしたものの惜しくも不出場。
今回の出場歌手(白組)
春日八郎(8年連続9回目/第5回/1952/39)
「長崎の女」が大ヒット。第10回でトリを務めましたが、もしかするとその時以来のトリもあるかもしれません。
芦野 宏(9年連続9回目/第6回/1953/39)
素敵なシャンソンを今回も聴かせてくれそうです。
三浦洸一(7年連続8回目/第6回/1953/35)
折り目正しい歌謡界の模範生は今回も健在。
三橋美智也(7年連続8回目/第7回/1954/33)
前回大トリ。今回は例年に比べるとヒット曲少ないですが、実績は段違い。
旗 照夫(2年連続7回目/第7回/195?/30)
実力派歌手としてはまだ外せない存在。
フランク永井(7年連続7回目/第8回/1955/31)
他の歌手には存在しない低音の魅力。今回も勿論堂々の出場。
三波春夫(6年連続6回目/第9回/1957/40)
1963年競作、次年を見据えた「東京五輪音頭」はこの人の盤が圧倒的にヒットしました。キャリアも含めて考えると、やはりトリ大本命と言えるでしょうか。
ダーク・ダックス(6年連続6回目/第9回/1956/30~33)
今回は男性コーラスグループが更にもう1組増えて3組になりました。ですが高い人気と実力は変わらず。
和田弘とマヒナスターズ(5年連続5回目/第10回/1956/30~33)
毎年デュエットソングのヒットを紅組にさらわれている気がしますが、代わるヒット曲の存在も複数あるのが彼らの強いところ。「島のブルース」がなくても、「男ならやってみな」「泣きぼくろ」など候補曲は豊富。
森繁久彌(5年連続5回目/第10回/19??/50)
個性的な存在は、もう紅白には欠かせない存在となっています。
アイ・ジョージ(4年連続4回目/第11回/1953/30)
日本人初のカーネギーホール公演を達成。今回の紅白では絶対外せないヒト。
守屋 浩(4年連続4回目/第11回/1959?/25)
平尾昌章や佐川ミツオが落選したことで、気がつけばロカビリー発歌手唯一の生き残り。
橋 幸夫(4年連続4回目/第11回/1960/20)
歌唱曲候補は今回も豊富、もうすっかり若き歌謡界の大スター。
村田英雄(3年連続3回目/第12回/1958/34)
3回目の出場ながら、早くも大ベテランという貫禄。
坂本 九(3年連続3回目/第12回/1959/22)
「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」として日本人で初めてビルボード1位獲得。さらに日本では「見上げてごらん夜の星を」などが大ヒット。まさしく絶好調の一年。
ジェリー藤尾(3年連続3回目/第12回/1961/23)
タレント・渡辺トモコとの結婚が発表されたばかり。新婚ホヤホヤのステージになります。
デューク・エイセス(2年連続2回目/第13回/1960/29~31)
『夢であいましょう』でもお馴染み、「おさななじみ」のヒットもありますが洋楽カバーも得意、選曲が大変悩ましいです。
植木 等(2年連続2回目/第13回/1961/37)
映画からお笑いまで、もはやクレイジーキャッツで日本のエンターテインメント全てを制圧しそうな勢い。ステージへの期待は前回以上に、更に高まります。
北原謙二(2年連続2回目/第13回/1961/24)
「若いふたり」ほどの大ヒットではないですが、なんとか連続出場。
田端義夫(初出場/第14回/1939/44)
1939年「島の船唄」でデビュー。数多くのヒット曲を量産してきた大ベテランで、黎明期の紅白に出場していても全く不思議ではなかったのですが、当時は地方公演を優先していたそう。昭和30年代に入ってからヒット曲が出なくなっていましたが、1962年から「島育ち」がロングヒット。まさしく待望の初出場となりました。
立川澄人(初出場/第14回/1953/34)
オペラ歌手としてデビューしたのは1953年。『音楽をどうぞ』の司会でお馴染み、歌唱力を考えると今まで紅白に出場していなかったのが意外という印象もあります。
ボニー・ジャックス(初出場/第14回/1958?/26~29)
早稲田大学グリークラブで1958年に結成。ダーク・ダックス、デューク・エイセスに続く男性コーラスグループですが、こちらは外国曲よりも抒情歌のイメージがあります。『みんなのうた』で歌われた「一週間」が話題になったので、歌われるのもこの曲になる可能性高いでしょうか。
北島三郎(初出場/第14回/1962/27)
1962年デビュー。「ブンガチャ節」は放送禁止になりましたが、続く「なみだ船」は大ヒット。前回出られなかったのは若干意外な印象もありましたが、継続してヒットが続いている今回は堂々の初出場。
舟木一夫(初出場/第14回/1963/19)
デビュー曲ながら、「高校三年生」が爆発的な大ヒット。さらに「修学旅行」「学園広場」もそれに続いて、あっという間に大スター歌手となりました。デビュー1年満たないとは言えこの人気は絶対に無視出来ません。とりあえずはまあ、個人的に選ばれてホッとしました。
田辺靖雄(初出場/第14回/1963/18)
『夢であいましょう』でお馴染み、若きスター。デビューシングルとなる梓みちよとのデュエット「ヘイ・ポーラ」が大ヒットしましたが、ソロ曲を選ぶとなるとやはり『夢であいましょう』の「いつもの小道で」が有力でしょうか。若々しいステージを期待したいです。
主な不出場歌手(白組)
藤島桓夫
連続出場は7回でストップ。確かにヒット曲が出なくなっていましたが…。
平尾昌章
連続出場は3でストップ。年が変わってから急にヒットが出なくなったような…。
佐川ミツオ
ロカビリー系のカバーを歌う男性歌手が、今回容赦なく落とされているような気がします。「鈴懸の径」カバーもありましたが、3年連続出場はならず。
ダニー飯田とパラダイスキング
九重佑三子ボーカル曲「シェリー」がヒットしたのが、もしかすると紅白的にはマイナスなのかも。
飯田久彦
「ルイジアナ・ママ」の後が続かなくなった形。
松島アキラ
彼の人気が、もしかするとこの年は舟木一夫や田辺靖雄に流れてしまったのでしょうか。
スリーファンキーズ
男性コーラスにマヒナまでいると、紅組とのバランスを考えると割を食いまくってるような…。彼らも毎年のように洋楽カバーをヒットさせてる印象あるのですが。
高橋元太郎
元スリー・ファンキーズ、「ダニー・ボーイ」のヒットがありましたが出られず。前年あたりでもそうですが、鈴木やすしや藤木孝、倉光薫などの若手洋楽カバー勢のハードルが紅組と比べるとかなり高いような気がしないでもなく…。層が熱いから仕方ない、という感想も持てますが。
石原裕次郎
例年通り?今回も辞退っぽいですね。
追記、補足
曲目発表や曲順発表、さらに特別審査員発表なども記事にすることも考えましたが、やはり多少時間がかかるので、次記事からは普通に本番レビューしていきたいと思います。当時の紅白がどんな感じだったのかを、体感していただければ幸いです。
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