村田英雄(3年連続3回目/第12回/コロムビア/34)
「柔道一代」
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 後半戦トップバッターは、前回まで2年連続「王将」を歌った村田英雄。「柔道一代」は歌だけでなく、自ら出演した映画も大ヒットしました。和服姿の衣装が決まっています。
 2コーラス、2番は”いまに白組 時代がくるぞ”と、白組応援の歌詞に替えて歌いました。まだ3回目の出場ですが、風格はもう早くも常連という雰囲気。しばらくの間は、白組男性軍に欠かせない存在として君臨することは間違いなさそうです。(1分57秒)
(解説)
 「柔道一代」はこの年2月にレコード発売、4月に映画化。主演は千葉真一、ヒロイン役はこの紅白で審査委員も務めている佐久間良子。村田さんは千葉真一の親友役ですが、トップクレジットはサニーではなく村田先生が配されているようです。
 紅白のために歌詞をわざわざ替えるケースの最初の例は正直申し上げると分かりません。というより後年の紅白よりこの時代の方が多いような気もします。これもまた、平成以降の紅白ではあまり見られないケースの一つ。ただ原曲の歌詞とこれだけうまくリンクした例はなかなかないと思います。以下、この紅白における2番の歌詞。
 若いうちだよ 鍛えておこう(ここは原曲と同じ)
 いまに白組 時代がくるぞ(おまえの→白組に替える)
 泣きたかったら紅組一同(講道館の→紅組一同に替える)
 青い畳の上で泣け(ラストは原曲と同じ)

 

畠山みどり(初出場/第14回/コロムビア/24)
「出世街道」
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 「おひけぇなすって」と曲紹介終わりに呟く江利チエミの芸が細かいです。というわけで初出場の畠山みどりは金色の袴姿というド派手な衣装。白黒の映像でも、光り具合でそれらしさを感じられるのが見事なものです。村田英雄に負けじと、こちらも”どうせ今夜は紅組の勝ち”と1番を締めます。間奏で横綱を目指している栃ノ海関にスイッチングするのも、なかなか粋な演出。(1分55秒)
(解説)
 畠山みどりは前年「恋は神代の昔から」が大ヒットしていますが、6月発売だったのでヒット時期の関係だったのでしょうか紅白には出られず。こちらも常連の予感が…と書きたいところでしたが、1965年の結婚出産が影響したのでしょうかその後一気にヒットが無くなりました。水前寺清子のデビュー曲「涙を抱いた渡り鳥」は、元はこの人が歌う予定だったというのは有名なエピソード。後年は実業家で活躍もバブル崩壊で借金を背負うなど、芸能界の中でもかなり波瀾万丈な人生を送っているようです。

 

・お嬢吉三の応援

 実況「舞台中央にお嬢吉三が登場しました」、扮するのは三木のり平、会場からは「待ってました!」の一声。階段を降りきろうとした辺りでズッコケます。衣装を直して、「月もおぼろにふらふらと、有楽町に来てみれば、思いがけなき紅白歌合戦、ほんに今夜は大晦日、こいつは暮れから演技がいいわい…」と詠みます。
 お嬢吉三を呼び止めるのは、お坊吉三役の八波むと志。発する台詞が全く違う演目になっているのでお嬢がツッコミを入れます。更に割って入るのは和尚吉三役の千葉信男。このままだと芝居に入れないので2人に喧嘩してもらいます。千葉がそれを止めますが、力が強すぎて2人ぶっ倒れてしまいます。というわけで、最後は「白勝て白勝て紅負けろ」の口上で締めるのでありました。
(解説)
 お嬢吉三と言えば歌舞伎の『三人吉三廓初買』というわけで、それをモチーフにしたコント。ただ正直個人的に歌舞伎に触れる機会が全くないので、記述として合っているのでしょうか…。更に言うと、当時こういう歌舞伎の演目は世代関わらず当たり前に知っているものだったのでしょうか。色々気になるところです。
 応援ゲストの三木のり平は第7回、第12回に続く出演。日本を代表する喜劇役者で、バラエティにも映画にも活躍する、今の言葉に当てはめるとマルチタレントみたいなものでした。第7回は宮田輝が司会する紅組応援で登場して散々に野次られましたが、これに関しては女装はしてても白組応援、理に適ってます。
 八波むと志、千葉信男も喜劇役者として当時おおいに活躍中。特に八波さんはこの年『マイ・フェア・レディ』にも出演したり人形劇『チロリン村とくるみの木』でも大活躍でお馴染みの存在でしたが、年明けてすぐの1月9日に自動車事故で世を去ります。千葉さんも100kgを超える巨体で活躍していましたが、それもあってか1966年、42歳の若さで亡くなりました。

 

橋 幸夫(4年連続4回目/第11回/ビクター/20)
「お嬢吉三」

 1963年も「舞妓はん」「若い東京の屋根の下」「若い歌声」という具合で大ヒット連発でしたが、紅白で選ばれたのは「お嬢吉三」でした。実況によると、着物姿の色は紫なのだそうです。
 アウトロの演奏が終わらないうちにステージから刷けて、司会用マイクに向かう江利チエミを映すショットになりました。短い演奏時間も含めて、少し物足りなさが残ります。(1分46秒)
(解説)
 橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の3人で御三家と言われていますが、西郷輝彦のデビューはこの翌年2月。おそらくまだこの時点で御三家という言葉は芸能界に存在してなかったのではないかと思われます。
 アウトロが終わらないうちにステージからいなくなる現象は、後年の紅白ではまず見られません。踊りながら歌うという概念がほとんどないこの時代(小唄もこの時代には廃れていました)、歌い終われば歌手の仕事は終了という認識があったのかもしれないですね。橋さん以外にも、この年はそういうシーンがいくつか見られました。
 ただそれでも演奏が終わらないうちに司会者が喋る場面は存在していません。これは平成以降の紅白特に2000年代前半で多発しますが、それでは進化したとは言えないですね。この時代の方が、まだ本来あるべき姿に近いような気がします。

 

西田佐知子(3年連続3回目/第12回/ポリドール/24)
「エリカの花散るとき」

 芸者姿から黒(おそらく)いドレスに着替えた司会の江利チエミ。紹介する西田佐知子は珍しく着物姿で登場しますとありましたが、その通り着物姿での歌唱でした。デビュー当時は洋楽カバーも多く歌っていましたが、「アカシアの雨がやむとき」の大ヒット以降はすっかり歌謡曲の代表歌手という印象ですね。(2分19秒)
(解説)
 「エリカの花散るとき」はこの年の代表曲ですが、当初はシングル「浜辺と私」のB面扱い。有線のリクエストなどで、いつの間にか立場が逆転したという経緯があるようです。水木かおる作詞、藤原秀行作曲は大ヒット曲「アカシアの雨がやむとき」と同様。そういった背景も、もしかしたらあるかもしれません。
 着物姿が珍しいとの曲紹介でしたが、事実後年の紅白において着物で歌うシーンは存在していません(未確認のものもありますが)。
 ポリドールは若い人にとって聞き流れないレコード会社かと思いますが、いわば現在のユニバーサル。自分の中でユニバーサルは、色々細かい所が集約して大体ユニバーサル所属になった、というイメージ…。

 

フランク永井(7年連続7回目/第8回/ビクター/31)
「逢いたくて」
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 今年の歌唱賞という曲紹介で登場するフランク永井。もっとも選曲されたのは、受賞曲「赤ちゃんは王様だ」ではなく8月発売の「逢いたくて」。聴かせるバラードを、持ち前の低音でじっくり聴かせてくれました。(2分6秒)
(解説)
 歌唱賞というのはおそらく日本レコード大賞を指しているものと思われます。昭和の時代は「賞レース」という言葉が歌謡界で定着しましたが、それは1970年代以降のこと。この時代はまだ日本レコード大賞しか存在していなかったと思われます(海外では既にグラミー賞やサンレモ音楽祭など多々ありましたが)。そのレコ大も第5回を迎えたばかりでまだそれほど大規模なものでなく、大晦日の放送が恒例になったのも1969年以降でしばらく後になってから。
 ちなみに「逢いたくて」はこの年のフランク永井のシングルで一番ヒットした曲(ビクターヒット賞受賞)、選曲は極めて妥当な形であったと思われます。

 

越路吹雪(8年連続9回目/第2回/東芝/39)
「ラストダンスは私に」
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 オリジナルのファンファーレが加わって、テンポもレコードと比較してやや速め。その分紅白ならではのオリジナリティーが加わっています。バックではドレス姿の女性ダンサー5人が華を添えます。アウトロも新しくアレンジされたものが採用されているでしょうか。見事なステージでした。(2分11秒)
(解説)
 「ラストダンスは私に」のオリジナルは1960年のヒット曲。越路吹雪盤がリリースされたのは1961年11月で、その時の紅白でも歌っています。したがって紅白での歌唱は2年ぶり2回目。
 1963年は梓みちよや岸洋子が「ラストダンスは私と」の邦題でカバーしています。ですので日本ではリリース当時よりも1963年の方が大きいトピックスだったのかもしれません。言うまでもなく現在は越路さんのスタンダードとしてお馴染み。「サン・トワ・マミー」「ろくでなし」など、彼女の定番は翌1964年~1965年辺りに歌い始めた楽曲が多いようです。

 

・白組の電報紹介

 白組に山ほどの電報が届いているようで、ここでいくつか読み上げます。
「ダンセイグン ガンバレ ガンバレ ガンバレ ジョセイグンモ ガンバレ
 シカシ ショウリハコトシモヤッパリ ダンセイグン
 ジョセイグン ゴクロウサン
 ホッカイドウノサイトウタン ノサップミサキヲ ハルカニナガメ
 ナミアラキ ホクヨウシュツリョウセンノ
 メトナリミミトナリ キョウモガンバル」(根室漁業無線局一同)
「チバリョーテルサン オキナワデモキイテイル」(沖縄より)

 また後にいくつか読み上げるということです。ただ個人的には、宮田さんの後ろに座っているジェリー藤尾さんのオーバーリアクションが気になりました。拍手すると同時に出した声が大きすぎて、思いっきりマイクにまで入っています。
(解説)
 昭和の紅白で必ずあった演出といえば電報の読み上げ。それぞれの司会者が、白勝て紅勝てと応援電報を読み上げるのがお馴染みでした。中には、著名人から贈られる電報も存在しました。電報が何か分からないという人は、とりあえず各自調べてください。私もリアルタイムでは経験していません(汗)ただいずれにしても、カタカナでしか打てないとは確か。これを当時はアナウンサーだけでなく、紅組司会の方もスムーズに滞りなく読んでいました(届いてから読みやすくひらがな漢字で書いているのかもしれないですが)
 「チバリョー、頑張ってという意味だと思います」と宮田さんの注釈が途中入りました。当時沖縄はまだ米国占領期、と言っても20年くらい前までは言うまでもなく日本ですが…。琉球の言葉は、まだ日本本土に根付いていなかったということなのでしょうか。沖縄を舞台にした連続テレビ小説『ちゅらさん』が放送されたのは2001年ですが、返還後も案外それより前までは広く定着していなかったのかもしれません。

 

ダーク・ダックス(6年連続6回目/第9回/キング/30~33)
「カリンカ」

 ロシア民謡といえばダーク・ダックス。紅白では過去に「ともしび」「すずらん」を歌っていますが、今回は「カリンカ」。カリンカカリンカカリンカマヤ…と一気に歌うシーンも見事ですが、やはり聴きどころはバス担当・ゾウさんこと遠山一のソロパート。伸びのある、男性らしい歌声が響き渡ります。しまいには”森の中から…ゾウが出た~”。熊を象に変えてしまいました。完全アカペラ、まさにコーラスグループの真骨頂。文句なしの名ステージでした。(2分32秒)
(解説)
 音楽教科書にも載っているくらいに有名な曲ですが、当時はあくまでダーク・ダックスの持ち歌という認識だったのでしょうか。「カリンカ」がロシアで作られたのは1860年ですが、日本に広まったのはおそらく1950年代後半のうたごえ運動だったのではないかと思われます。

 

・紅組の電報紹介

紅組にも電報が多数届いています。いくつか読み上げ。
「モユルダイチヨリ セイエンヲオクル
 ジョセイグン ガンバレ」(アラビア在住の日本男子より)
「ジョセイグン ハッスルセヨ
 ウミノオトコガツイテイル」(第7福寿丸一同)

(解説)
 江利チエミが、冒頭気合を入れるために?唸る以外は至ってスムーズ。ちなみにこの後3人のトリオ、と言った瞬間に気づいて自ら訂正。

 

スリー・グレイセス(2年連続2回目/第13回/コロムビア/?)
「アイ・フィール・プリティ」

 1961年アメリカで公開された映画『ウエスト・サイド物語』劇中歌。全編英語での歌唱、見事な掛け合いとハーモニーを見せています。バックでは若い女性モデルらしき方がファッションショー。最後に出てきたマントっぽいのを身にまとった方は特にインパクトありました。(2分6秒)
(解説)
 映画は日本でも1961年12月から1963年5月までのロングラン公開となる大ヒット。これが紅白でも歌われる要因になったものと思われます。現在と違い、当時日本でヒットした海外の映画主題歌が紅白で歌われる事例は多々ありました。
 スリー・グレイセスは持ち歌だと「山のロザリア」「ワン・ボーイ」が代表曲、それ以外だとアサヒペンを筆頭にCMソングを多数歌っていますが、紅白出場は2回のみでこの年が最後。
 「ファッションモデルクラブの皆さん」と、後年の再放送の際にテロップが入ります。当時は歌手と審査員以外、例えば応援ゲストのタレントでも名前のテロップは存在しません。それらにテロップが入るのは第20回以降のことになります。ダンサーに至っては、テレビ実況でもこの回は全く言及なしでした。