白18(全体35):芦野 宏(9年連続9回目)
・1953年デビュー 第6回(1955年)初出場
・1924年6月18日生 山形県村山市出身
・楽曲:「パパと踊ろう」
・レーベル:東芝レコード
・演奏時間:2分1秒
「それではこちらは和やかな歌とまいりましょう。シャンソンでございます。「パパと踊ろう」芦野宏さん、どうぞ」
白組のシャンソンの担い手と言えば芦野さん。今回歌うのは、1956年にアンドレ・クラヴォーが歌ってヒットした楽曲。軽快なワルツに乗って、間奏で客席から登場するのは子どもの格好をした谷啓。そのまま芦野さんと手を繋ぎ、ワルツをコミカルに踊ります。ターンする際にバランスを崩して靴が脱げてしまいますが、意図したものなのかハプニングなのかは微妙なところ。
解説
・タイトルは「パパと踊ろう」とありますが、基本的には「パパと踊ろうよ」の邦題で通っていることが多いようです。
・Spotifyで収録されているアルバムでは演奏時間1分41秒。これは原曲より紅白の方が長いという珍しい例です。
紅18(全体36):倍賞千恵子(初出場)
・1961年女優・1962年歌手デビュー
・1941年6月29日生 東京都北区出身
・楽曲:「下町の太陽」
・レーベル:キングレコード
・演奏時間:2分0秒
「さて、チャンピオンと言いますと男ばっかりのように思うんですけども、実は女性軍にも隠れたるチャンピオンがおります。下町のチャンピオン・倍賞千恵子さん。「下町の太陽」です」
下町のチャンピオンという紹介のもと登場する倍賞千恵子は、大変麗しい着物姿。吉永小百合もそうでしたが、まさしく日本女性の美を体現しているかのようです。同時に歌声も大変素晴らしく、思わず聴き惚れた視聴者も多かったのではないかと思います。女優としてだけでなく、歌手としても今後長く第一線で活躍できそうな、そんな予感も感じさせる歌声でした。
解説
・「下町の太陽」は1962年9月に発売されたデビュー曲。これが1963年4月に映画化、楽曲もロングセラーを記録します。当時非常に多い歌謡曲の映画化作品の一つでした。
・監督は、当時まだ2作品目であった山田洋次。そして倍賞さんはこの映画が初主演作。以降『男はつらいよ』のさくら役を筆頭に山田監督の常連になることを考えると、紅白・歌謡曲だけでなく日本映画の歴史においても極めて重要な出来事だったと言って良さそうです。
・女優としての活躍中心ですが、歌手としても長く活躍したのは上にも書いた通り。21世紀でも『ハウルの動く城』主題歌の「世界の約束」が広く知れ渡っています。ただ残念ながら、2004年の第55回紅白で触れられることはありませんでした。
白19(全体37):舟木一夫(初出場)
・1963年デビュー
・1944年12月12日生 愛知県一宮市出身
・楽曲:「高校三年生」
・レーベル:日本コロムビア
・演奏時間:1分57秒
「約一年ほど前は、郷里愛知県一宮で歌手を夢見る少年でした。その少年が一躍ブームを作りました。そして新人賞に輝き、その詩はまた丘灯至夫さんの詩・作詞賞。「高校三年生」、舟木一夫さんです」
曲紹介で一宮の地名が出てきた時点で拍手が起こり、登場時には大きい歓声があがります。デビュー1年目で「高校三年生」だけでなく「修学旅行」「学生時代」も大ヒット、間違いなく1963年の顔と言える存在です。
高校三年生、ということで彼のトレードマークである詰襟学生服の衣装で登場。2コーラス、もうヒット曲を超えて国民愛唱歌くらいの勢いです。とは言え紅白歌合戦は初出場、間奏で一歩後ろに下がった時に緊張している表情は大変初々しいものでした。
解説
・1963年は後世にまで残る名曲が大変多い年ですが、この辺りの時間帯からしばらくは所謂「目玉の時間帯」と言って良いかもしれません。もっとも当時の紅白は歌手の出演時間に合わせて見るスタイルより、9時から一気に見るという形が主流。テレビが1世帯に1台ほどの普及率、家族1人1台になるのはまだまだ先の話です。
・「高校三年生」は1990年代前半に起こった60年代ブームによってリバイバルヒットします。1992年、第43回紅白では舟木一夫・梓みちよ・伊東ゆかりと第14回に初出場した歌手のカムバックが相次ぎました。
紅19(全体38):三沢あけみ(初出場)
・1959年女優・1963年歌手デビュー
・1945年6月2日生 長野県伊那市出身
・楽曲:「島のブルース」
・レーベル:日本ビクター
・演奏時間:1分44秒
「舟木さんの新人賞に対して、女性の方でもちゃんと立派な新人賞を頂きました。三沢あけみさん、「島のブルース」です」
「奄美恋しや」「永良部百合の花」「島育ち」と続いた、この年ならではの南国歌謡ラストを飾るのは「島のブルース」。言うまでもなく奄美大島を題材にした楽曲で、間奏では奄美の踊りも少し取り入れてます。仲宗根さんと同様、彼女も南国を感じさせる衣装での歌唱。間奏では笑顔で拍手を送る紅組歌手席の様子も映りました。
解説
・この曲は本来和田弘とマヒナスターズとのデュエット曲。当時の紅白で男女が一緒に歌うステージは完全に発想の外で、マヒナかその相手役のソロ歌唱になるのが常でした。具体的には既にマヒナの項で触れているので、ここでは省きます。
・三沢さんは現在まで演歌歌手のイメージですが、芸能界デビューの最初は女優としてでした。歌手としては1963年「ふられ上手にほれ上手」がデビュー曲、ただ色気がありすぎるという理由で放送禁止になったそうです。
電波局からの応援
宇宙服を着た柳家金語楼が、アンテナのようなものを頭につけてクルクル回りながら登場します。自らの頭を指しながら「パーパパー…」「ピーパパー…」「プーパパー…」「わたくしは、テルスターでございます」「テルスター、テルスター…」と、文字の表現では伝えきれないような奇妙な動きで紅組側から白組側に移動します。「なんでも話の様子ではシロクマの一帯も白に応援しているということです」「おまけに罪のない者は全部シロでございます」「今日も絶対にこの、白の勝ちでございます」、どうやらこちらも白組応援のようで、またまた紅組司会のチエミさんが嘆いております。
一方「あのね太平洋のね茹でダコが紅組絶対勝ったって言ってましたからいま」と切り出して登場するのは、こちらも宇宙服を身にまとった電波局長・黒柳徹子。「ご覧の通りあのテルスターは大変活きが良いテルスターで、反射もよろしいようですし(笑い)、お若いテルスターですから中の機械も大変新しく、さぞかしあのテルスターで中継した画面は鮮明なことと思います」。
「ところで只今からこの電波局で強烈な電波を発しまして、あれなるテルスターを軌道から外してご覧に入れましょう」。黒柳さんがボタンを押して2kwの電波を出します。「電気なんかこちらは生まれてすぐに持ってる」「こちらは自家発電でいってるんだから」と呟くテルスターですが、放出される電波によって少しずつ紅組側に引き寄せられます。奇妙な顔と動きに会場の客は大笑い。電波を切ると歩いて白組側に戻りますが、7kwの電波を出すことで更に紅組側に引き寄せられます。電波局長のすぐ隣に近づいたところで一旦電波を切りますが、今度はさらに強い13kwを放出。また同じ所まで近づいたタイミングで電波を切りますが、「切ってみた途端にあなたが好きになっちゃったから」と思いっきり抱きつこうとします。電波局長が大声で悲鳴をあげますが、直後何事も無かったかのように「スパーク致しました~」。というわけでテルスターも局長と一緒に紅組側に行こうとしますが、宮田アナが呼びかけると本来の任務を思い出したようで白組側に駆けていきます。「ピーポポーピーポポー」とチエミさんが必死で呼び戻そうとしますが、時すでに遅しでした。
というわけで金語楼師匠の締めの一言、「これね、他に難しいことがありまして。スベらずに最後まで持たせる辛さ!」約3分、明治時代から芸歴50年以上を重ねる喜劇俳優でも、紅白歌合戦の応援は大変骨が折れる仕事のようです。
解説
・1901年生まれの柳家金語楼ですが、デビューはなんと1907年。天才落語家と謳われたようですが1942年に噺家廃業、以降は喜劇俳優として活躍。NHKでは1953年放送開始のテレビ番組『ジェスチャー』白組キャプテンでお馴染みの存在。紅白の応援は前年第13回から第16回まで出演。頭頂部の髪の薄さがトレードマークでした。
・黒柳徹子はもはや説明不要の存在だと思いますが、1933年生まれなので当時30歳。既に第9回で紅組司会を経験しています。NHKラジオ『ヤン坊ニン坊トン坊』の里見京子や横山道代とともに初めて紅白に応援ゲスト出演したのは第6回、1955年のことです。
・徹子さんが直近で紅白に携わったのは第74回・2023年のテレビ放送70年特別企画「テレビが届けた名曲たち」プレゼンターとしての出演。つまり約70年にわたって紅白歌合戦に携わっているわけです。恐ろしい話です。ちなみに彼女がセクハラされてる場面は、画面で紹介される限りだとこのシーンか『徹子の部屋』の森繁久彌くらいでしょうか…。
・テルスターは実際に1962年7月と1963年5月に、NASAで打ち上げられた放送衛星を指しています。これによってパリからアメリカへ中継されたのが、世界の衛星中継の始まりです。
・なお、日本で初めて海外との衛星中継が行われたのは1963年11月23日。アメリカのジョン・F・ケネディ大統領のテキサス遊説が暗殺事件になった悲劇が、衛星を通じて日本でも放送されました。
白20(全体39):坂本 九(3年連続3回目)
・1959年デビュー 第12回(1961年)初出場
・1941年12月10日生 神奈川県川崎市出身
・楽曲:「見上げてごらん夜の星を」
・レーベル:東芝レコード
・演奏時間:2分27秒
「テルスターが登場いたしまして、こちらは星でございます。「見上げてごらん夜の星を」。さあ、坂本九さんでございます」
終始目を閉じながら歌うステージは、後半感極まって涙声になるほどの圧巻の歌唱でした。途中セットの五輪の一つがオーバーラップする映像演出あり。アウトロもレコードと比べて相当アレンジされた紅白オリジナル。三橋美智也・三波春夫が主に務めている白組トリも、いつかはこういった曲が主流になっていくのかもしれません。
解説
・「見上げてごらん夜の星を」、テロップでは「見”あ”げて」と表記されていました。
・おそらくこの紅白、もしくは坂本九の過去映像の中でもトップクラスに振り返られる機会が多いステージです。特別歌番組が好きでない人でも、目にしたことのある人は多いかもしれません。
・第54回で平井堅がこの曲をカバーした時は生前の坂本九とデュエットという演出でしたが、使用された映像はまさしくこの時のものでした。第67回、ゆずが「見上げてごらん夜の星を~ぼくらのうた」歌唱前の紹介VTRでも登場しています。
・その他第20回で本人による2回目、第43回でデューク・エイセスも歌っています。日航機墜落事故がなければ、おそらく1990年代~2000年代の紅白で複数回本人の歌唱で出場していたのではないかと思われます。
・ちなみに目をつぶっての熱唱は、実際のところ楽屋で用意していた衣装が全て盗まれて、仕方なく自宅から持ってきて歌う羽目になって、ガッカリして悲しかったことが理由だったらしいです。
・この年、「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」として日本人初のビルボードチャート1位を獲得しますが、まだ曲紹介で海外云々の文面はありませんでした。ヒットチャートがまだまだ国民の間で関心事ではない時代、もしかするとその凄さが正確に伝わっていなかったのかもしれません。
紅20(全体40):梓みちよ(初出場)
・1962年デビュー
・1943年6月4日生 福岡県福岡市出身
・楽曲:「こんにちは赤ちゃん」
・レーベル:キングレコード
・演奏時間:2分21秒
「もう何にも言いません。本年度レコード大賞を取られました、「こんにちは赤ちゃん」の梓みちよさん」
レコードの発売は11月ですが、この曲は何と言っても『夢であいましょう』の7月における「今月のうた」。「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」という国民的名曲が既に生まれていますが、この曲も完全にその一つに仲間入り。その証拠に、第5回の日本レコード大賞まで受賞。元々短いというのもありますが、初出場にしてフルコーラス歌唱なのがそれを象徴しています。ステージとレコードの演奏時間がほとんど変化ありません。
解説
・「こんにちは赤ちゃん」は第20回、第43回と計3回紅白で歌われています。第20回は1番少しカット、第43回は歌詞を間違えてるので完全版となるとやはりこの第14回でしょうか。そう考えると、つくづくこの年の紅白歌合戦の映像が残って良かったと痛感します。
・この曲は翌年すぐセンバツの行進曲となり、5月には天皇陛下の前で歌を披露するという日本芸能界始まって以来の快挙を成し遂げます。第43回の再出場は先述した60年代ブームもありますが、この年に作曲した中村八大が亡くなったことも大きな理由。ステージ終了直後に永六輔が登場しますが、第43回でも歌前の曲紹介という形でゲスト出演していました。
こんにちは赤ちゃんの余興
渥美清が赤ちゃんの姿で登場。乳母車を引くのは、「こんにちは赤ちゃん」を作詞した永六輔。「こんにちは紅さん あなたの負けよ こんにちは白さん あなたの勝ちよ」と渥美清が歌ってるので、どうやら梓みちよではなく白組を応援しているようです。わざわざ泣いている赤ちゃんを形どったイラストつきで、服に「こんばんは紅ちゃん アナタの負けよ」と書かれたプラカードまで用意しています。
「皆さん。ボク丈夫で長持ちする赤ん坊です。今日はボクの大好きな白のおじちゃんたちに加勢に来ました。紅のおばさんたち調子はどうかね」。これを聞いて永さんは笑いを堪えきれないという様子。その永六のおじちゃんは「こんばんは、永六輔です。中村八大とこんなに梓くんがうまく歌うんだったら、ママってところパパにしときゃ良かった」とちょっと言わされた感じがありありの台詞。白組応援の流れですが、さすがに最後は紅組側に引っ込んで「チエミちゃんご苦労さまです頑張って」と握手する右手にキス。思いがけない渥美さんの行動に、チエミさんちょっとびっくりしてます。
解説
・どの時代の紅白でも何かしらの現象に席巻されているものです。この年は何と言っても『夢であいましょう』でしょうか。NHKのみならず日本で最も人気のあったバラエティ番組で、この回の出場歌手だと坂本九、梓みちよ、ジェリー藤尾、坂本スミ子、田辺靖雄、デューク・エイセスなどがレギュラー。今月のうたを歌ったことある人だと他に弘田三枝子、朝丘雪路、ザ・ピーナッツ、ペギー葉山…。1963年より後だと北島三郎「帰ろかな」、九重佑三子「ウエディングドレス」「抱きしめて」も番組から生まれた大ヒット曲です。ジャニーズも、この番組が芸能界デビュー作となっています。
・応援ゲストでも黒柳徹子、三木のり平、ここで登場する渥美清もレギュラー。特に渥美さんは1960年代の紅白は毎年のように登場する常連ゲストでした。紅白で登場しなかったのは、ホスト役の中嶋弘子くらいでしょうか。
・永六輔と中村八大は六八コンビとしておおいに活躍。『夢であいましょう』の今月のうたは全てこのコンビでの作品ですが、一番最初のタッグは水原弘「黒い花びら」。これが第1回日本レコード大賞受賞曲となると同時に、日本歌謡史にとって非常に大きなターニングポイントになりました。
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