紅白歌合戦・八代亜紀の軌跡~ステージ編(1982~2001)~

第33回(1982年)「海猫」

ステージ

作詞:高橋直人 作曲:小林 学
前歌手:小林幸子、北島三郎
後歌手:五木ひろし、都はるみ
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 名曲紅白回ということで、特に演歌歌手は若手含めてほぼ過去曲かカバーという有様でしたが、トリ前の八代さんと五木ひろしはさすがに新曲でした。第28回以来6年連続続いた黄金カードですが、この対決も一旦終結となります。先攻紅組、八代さんの「海猫」は「与作」「盛岡ブルース」などと同様『あなたのメロディー』から生まれた楽曲でした。

 「今日八代亜紀さんが選んだ曲は、NHKの『あなたのメロディー』から生まれました。曲を作った作詞作曲の2人の男性は、昔八代さんがそうであったように、いま下積み中の才能のある方ご覧になっていますか?「海猫」です」。そのうち作詞担当の高橋直人は演歌中心に実績を残し、第45回(1994年)には香西かおり「恋慕川」が再び紅白歌唱曲となっています。

 白いドレスに黒い柄を入れた衣装ですが、肩に乗せられた孔雀の羽根のような飾りが顔より大きいサイズで強いインパクトを放っています。歌もこれに負けないくらいの迫力、演歌らしい歌詞でありながらロックに近い雰囲気もあります。これは八代さんにしか出せない声がそうさせている面もあるでしょうか。ものすごく格好良い曲なのですが、レコード売上は5万枚にも満たず。この年からテイチクレコードから新しいレーベル・センチュリーレコードに移籍しますが、それと同時に新曲のヒットから遠ざかります。またこの時期の曲はサブスク未解禁でコロムビア移籍後の再録も無し、1980年までと比べて再評価もされにくい時期に入ってしまいます。

その他

 ブレザー姿で全員が登場するオープニング、八代さんはサザンオールスターズの6人と一緒に登場。この年は前年みたいにブレザーの下はドレス姿ではなく、普通に白シャツ着用でした。前半の歌手席応援は最前列で水色のドレス、その後は島倉千代子小柳ルミ子青江三奈小林幸子石川さゆりと一緒に、水前寺清子「大勝負」で薙刀の演舞を披露。

 デュエットソングショーは田原俊彦とペアで「小さな喫茶店」。前回のマッチと同様、今回も”向き合って”の歌詞で無理矢理向き合わせるなどしてトシちゃんを弄んでいます。後半に組まれた和物のショーコーナーは島倉千代子青江三奈都はるみと「木遣りくずし」の歌唱。

 

第34回(1983年)「日本海」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:大野克夫
前歌手:松田聖子、田原俊彦
後歌手:北島三郎、研ナオコ
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 阿久悠・大野克夫コンビは沢田研二の一連の名曲でお馴染みですが、それらとは全く異なる歌謡曲です。狩人や二宮直樹との競作曲でもありました。田原俊彦が中央のセリで退場すると同時に、舞台下手側にある小さなセリから登場する演出。

 「日本に帰らないでこのままいてくださいとステージに駆け寄ってくださったブラジルの皆さま、ありがとうございました。また和歌山でお訪ねした刑務所の女囚の皆さん、涙をこぼして聴いてくださってありがとう。これからも私は皆さんの励ましになる歌を歌い続けていきます。八代亜紀さん、「日本海」です」

 ドライアイスが床面だけでなく後ろでも大量に噴出、この曲も歌詞は演歌ですが曲調はバラードに近い内容でした。前年までの八代さんとはまた異なる個性が出ているステージです。

その他

 「自分の幸せが分かる人間になりたい、幸せに慣れてはいけないと言い聞かせた年でした、八代亜紀さんです」。この年は入場行進無しで歌手1組ずつ司会者が紹介するオープニングでした。赤いドレスを着ています。

 3組ずつ終了後に組まれた『ビギン・ザ・ビギン』は青色の衣装で登場。新沼謙治と手を繋ぎながらソロパートを歌います。紅組5番手・榊原郁恵のステージではバックダンサーとして出演、山本寛斎デザインの個性的な服を身につけていました。さらに6組ずつ終了後のショーコーナー・紅白俵積み合戦にも参加。前半だけで3回衣装替えするという忙しさです。

 日本の童謡メドレーではベテラン陣が手を繋ぎながら「たき火」を歌唱。なぜか1人だけ藁の帽子のような物を被っていました。最後はピンクのドレス姿、結果この年はステージも含めて合計6回も衣装を替えています。

 

第35回(1984年)「恋瀬川」

ステージ

作詞:秋野めぐみ 作曲:竹田 賢
前歌手:島倉千代子、北島三郎
後歌手:五木ひろし、小林幸子
曲紹介:森 光子(紅組司会)

 「全国の紅組を応援してくださる皆さん、大丈夫です。さあ、演歌の女王の登場です。自分で作詞した「恋瀬川」です八代亜紀さん」

 水色のドレスにはスカートにキラキラとした光り物、ピアスや髪飾りも光っていて遠目から見ても印象的な衣装です。歌は典型的な聴かせる演歌、”秋野めぐみ”のペンネームで自ら作詞したという点ではやや地味な内容。直前が北島三郎「まつり」、直後が日本レコード大賞受賞曲五木ひろし「長良川艶歌」なのでやや損な曲順でもありました。

その他

 2年連続で北島三郎との対決でしたが、オープニングは対戦カード・曲順ごとに入場。優勝旗を持つサブちゃんの横で、「力いっぱい歌います!」とアピール。ピンクのスパンコール入りドレスにファー、派手な衣装です。

 ショーコーナー「豊年こいこい節」は花笠を被って刈り取りの踊り、小柳ルミ子島倉千代子などベテラン陣中心の顔ぶれです。水前寺清子「浪花節だよ人生は」でも、紅組歌手全員が和服を着てダンスする応援に参加しています。また2年ぶり復帰となった石川さゆり「東京めぐり愛」では、男装して琴風関のパートを都はるみ水前寺清子小林幸子と担当します。

 「祇園小唄」をバックに黒い和服で踊るステージにも参加、この時期の紅白は毎年のようにこの格好が見られました。あとは都はるみ引退ステージで、水前寺清子とともに泣き崩れるはるみさんを支えるシーンが印象的です。

 

第36回(1985年)「命火」

ステージ

作詞:石原信一 作曲:浜 圭介
前歌手:島倉千代子、近藤真彦
後歌手:北島三郎、石川さゆり
曲紹介:森 昌子(紅組司会)

 全歌手総出で和装パフォーマンスの島倉千代子近藤真彦対決。その後に森昌子鈴木健二両司会が登場して火消しのパフォーマンスを行いますが、やや消化不良のまま終了。その直後のステージ、曲紹介も「頼れるお姉さまです。八代亜紀さん、「命火」」とややあっさりしています。曲名テロップが白ではなく赤色、そのまま燃えるアニメーションとズームアップ。この時期ポップス系でテロップ演出が施されるのは珍しくありませんが、演歌系では稀でした。

 例年光り物の衣装が目立っていますが、この年は衣装を広げると金色の羽根が表れる仕掛けを導入。間奏で大きな拍手を頂きました。歌は”好いとるばい”というフレーズが印象的な、故郷・熊本の言葉を歌詞に取り入れた内容。「海猫」もそうですがこの曲も埋もれさせるには勿体ない、完成度の高い曲となっています。

その他

 この年も対戦カードごとの入場、八代さんとのペアは3年連続で北島三郎。例年通りトップバッターの石川秀美のステージもそのまま応援参加。

 その後は『めでたづくしの澪つくし』コーナーに登場。島倉千代子岩崎宏美水前寺清子小柳ルミ子と一緒に、花嫁のかをるさんこと沢口靖子の世話役を担当しています。花婿である川野太郎らとの小芝居後、白組ベテラン陣と一緒に「銚子大漁節」の歌唱もありました。

 

第37回(1986年)「港町純情」

ステージ

作詞:水木かおる 作曲:鈴木 淳
前歌手:松原のぶえ、千 昌夫
後歌手:細川たかし、島倉千代子
曲紹介:斉藤由貴(紅組キャプテン)、目加田頼子(紅組司会)

 目加田「1年364日間、男と女は愛し合う世界。でも今日1日、男性は敵ですと言う八代亜紀さん。来年もいい年でありますように、赤く燃える情熱をこの歌に託して。八代亜紀さん、「源町純情」です」

 センチュリーレコードから日本コロムビアに移籍。この曲からサブスク・全曲集収録は再び多くなります。この年は黒を基調とした衣装、稲穂にもアンテナにも燃える髪飾りがインパクト強め。曲は聴かせる八代演歌、歌の途中で長崎からの夜景中継も入りました。

その他

 対戦カードごとのオープニング、この年は細川たかしと一緒に登場。真っ白な衣装に大きな飾り、ステージでなくても派手に着飾っています。その一方で紅白サバイバルゲームというじゃんけんゲームでは赤ジャージ姿、普段の衣装とは全く対照的。そのゲームでは4連勝していた加山雄三に勝利、森進一にも勝ちますが残念ながら近藤真彦に敗戦。

 ジャージ姿の後はセクシードレス姿、研ナオコ「Tokyo見返り美人」では露出度高めの赤いドレスで小林幸子岩崎宏美小柳ルミ子と踊る一幕もありました。そうかと思えば歌舞伎「京鹿子娘道成寺」のハーフタイムショーでは白拍子姿。この年も細かい段取りと着替え多めで、ステージ・OP・ED合わせて合計6着は必要でした。

 

第38回(1987年)「恋は火の川」

ステージ

作詞:池田充男 作曲:徳久広司
前歌手:(オープニング)、森 進一
後歌手:布施 明、岩崎宏美
曲紹介:和田アキ子(紅組司会)

 「さあ亜紀ちゃん、紅組の運命は全て亜紀ちゃんにか…あ、これ去年の応援だった。亜紀ちゃんの情熱で、白組を圧倒してください!頑張って!」「まっかせなさい!なーんちゃって。頑張って来ます」

 「今年の初めに喉の手術をなさいまして、魅力いっぱいの声が戻ってまいりました。この1年、生まれ変わったつもりで歌ってまいりました。そして紅白。「恋は火の川」。八代亜紀さんです!」

 アッコさんがバラエティー風の曲紹介と歌番組らしい曲紹介双方こなしてます。ただ前回の紅白で該当する場面は正直申し上げると思い浮かびません。歌の紹介は良かったですが、冒頭はちょっと空回り気味です。ただ亜紀さんが返した台詞はとてもチャーミング、普段はともかく紅白ではあまり見られないかわいさです。

 この年の曲でファン人気が高いのは「竜二」ですが、紅白で選曲されたのはいわゆる侘び寂び演歌「恋は火の川」。当時のレコード売上も後者のほうが上でした。ただトップバッターとしてはおそらく、紅白でもっとも重い曲調の楽曲という気がします。衣装は黒のベルベットのロングドレス、ウエストから下の赤い布は火の川をイメージしたものと、間奏のテレビ実況で解説がありました。

応援など

 あいうえお順で紹介されるオープニング、八代さんは真っ白な衣装で登場。ただ今回は初となる紅組トップバッター、ただステージはこれと異なる衣装なのでオープニングが終わらないうちに早々着替えで裏に移動。選手宣誓後のトップバッター紹介、アッコさんが「受けて立ちましょう、紅組の先頭は八代亜紀さんです!」と目を向けた先に本人の姿はありませんでした。

 この年はショーコーナーなどの出演無し、歌以外は要所での歌手席応援程度でしたが、それでも水色ドレス、スパンコール入り紫ドレスという具合にしっかり衣装は用意されています。

 

第40回(1989年)「下町夢しぐれ」

ステージ

作詞:石本美由起 作曲:岡 千秋
前歌手:パティ・キム、吉 幾三
後歌手:森 進一、小林幸子
曲紹介:三田佳子(紅組司会)

 ドレス姿で歌うスタイルが長年定着している八代さんですが、紅白ではこの年だけ着物での歌唱。台詞から始まる歌も今回のみ、演歌歌手であるはずですが八代さんとしては衣装だけでなく曲もかなり異質な内容でした。演歌の大御所である石本美由起、岡千秋が八代さんに提供したのはそれぞれ2曲のみです。

応援など

 裏番組の日本レコード大賞出演は無し、史上初の19時20分オープニングでは可能な限りの歌手が出演する「東京ブギウギ」の歌唱に参加します。ドレス姿中心の八代さんですが、この年はステージだけでなくオープニングも着物姿。ただ第2部オープニングは白いドレスでの出演、その後もピンク・青とお召し替えして最後は金色の衣装でした。

 

第41回(1990年)「花(ブーケ)束」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:服部克久
前歌手:伍代夏子、G-CLEF
後歌手:布施 明、坂本冬美
曲紹介:三田佳子(紅組司会)

 白や黒、あるいは淡い色の着こなしが多い八代さんですが、この年はひまわりをイメージしたような真っ黄色のドレス。「花(ブーケ)束」はロングセラーを記録したバラード、後年の全曲集でも収録される機会の多い曲です。コブシを回すような場面も無し、前年の「下町夢しぐれ」とは全く異なる内容でした。

 ただ惜しいことにこの年は歌い出しの演奏とキーが合わず、一節歌った後に珍しく神妙な顔を見せています。それでも間奏を経た後にしっかり合わせるのは流石の技術でした。なお当時の歌番組にイヤモニ装着は無し、現在のように常備されるのは2000年代中盤以降なのでまだまだ先の話です。

応援など

 この年のショーコーナーはほぼ海外からのマジック・イリュージョン系ゲストが中心、彼らのステージを見守る構図が主でした。それでもオープニングはピンク、中盤は白色という具合に異なる衣装はしっかり用意しています。

 

第42回(1991年)「舟唄」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:浜 圭介
前歌手:森山良子、アンディ・ウィリアムス、(中間審査)
後歌手:堀内孝雄、テレサ・テン
曲紹介:浅野ゆう子(紅組司会)

 この年は歴代紅白唯一の3部制、その第3部トップバッターとして登場したのが八代さんでした。「21世紀に伝えたい1曲、今年亡くなったお父様が一番好きな歌でした。今夜はお父様とご一緒にお歌いになられます。八代亜紀さん、「舟唄」」。

 18回目の出場で、過去曲をあらためて紅白で歌うのはこれが初めてでした。藤色のドレス姿、天井からドライアイスが降り注ぐ演出です。少しテンポが速めですが、絶品の内容であることは12年前と変わらず。当時無かった合唱が雰囲気をより盛り上げます。フルコーラスではないものの12年前になかったラストの”ルルル…”もあり、極めて贅沢なステージでした。この年の紅組トリは和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」でしたが、「舟唄」という線ももしかするとあったのではないでしょうか。

応援など

 着物姿で登場するオープニング、前半は終始和服でしたが最後の全員合唱だけでなく途中でも衣装替えありで3着用意していました。後半も14年ぶり紅白出場の南沙織が歌い終わった後に当時の出場歌手として駆けつけますが、ここでもまた別の着物を用意しています。

 和服ということで島倉さんは他の歌手と比べても衣装替えは少ないイメージですが、この年に関して言うと歌唱前・歌唱中・歌唱後としっかり3着用意されています。もちろん全てドレスとは異なる、演歌歌手らしい着物でした。なおラストはドレス姿、「蛍の光」では司会者の真後ろに陣取っています。

 

第43回(1992年)「愛の終着駅」

ステージ

作詞:池田充男 作曲:野崎真一
前歌手:梓みちよ、デューク・エイセス
後歌手:小林 旭、(全員合唱)
曲紹介:石田ひかり(紅組司会)

 1977年に日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した際の曲ですが、この年の紅白歌合戦は「おんな港町」で紅組トリでした。したがって15年越しの紅白初歌唱となります。曲紹介は冒頭の軽い内容のみ、イントロでの喋りが無い部分に時代が進んだことを感じる面もあります。

 2コーラス、黒のドレスに水色の布を加えたような衣装です。若い時のダイナミックさよりも、あくまで聴かせることに重点を置いたような歌唱でした。前半第1部トリ、要所での曲順ではありますがこの当時の観点から考えると、現役のヒット演歌歌手という扱いでは無くなった回でもあります。

応援など

 ステージでの歌唱後に「TEARS ~大地を濡らして~」の全員合唱がありましたが、ソロパートは無し。ここでも扱いの低下が目立ちます。なお紅組前半トリと全員合唱の僅かの間に、衣装はしっかり変えていました。

 後半も目立った場面はなく、エンディングで着物を着ていた程度です。なおこの年「誰も知らない素顔の八代亜紀」と高らかに替え歌で歌った嘉門達夫が出場していますが、舞台袖に多くいた出場歌手の中に八代さんの姿はありませんでした(さすがに紅白でこのパートは採用していません)。見返すと白組と比べて紅組は出場歌手が全員集まるシーンがやや少なめ、チェッカーズの解散ステージで白組圧勝の回でしたがそれが無くても白組の方がチームワークを感じる場面は多めでした。

 

第44回(1993年)「もう一度逢いたい」

ステージ

作詞:山口洋子 作曲:野崎真一
前歌手:GAO、J-WALK、(1993ステージショー)
後歌手:鳥羽一郎、由紀さおり・安田祥子
曲紹介:石田ひかり(紅組司会)

 第1部トリからさらに格下げで第1部トリ2つ前、「男の港」を歌う鳥羽一郎との港歌対決が組まれています。「もう一度逢いたい」は17年ぶりの紅白歌唱、偶然にも2年連続レコ大最優秀歌唱賞受賞曲が歌われる選曲になっています。

 花柄の雨合羽のような衣装、これまでの紅白歌合戦とは一線を画する服装になっています。ただ2番以降はそれを脱ぎ捨てて装飾品多めの水色ドレスになりました。1970年代の紅白は定位置が決まっていて動くこともままならなかったですが、その制限がないこの年は衣装を脱ぐ際に舞台下手側に大きく動くアクションあり。振付もビシッと決まっています。当然

応援など

 真っ赤なドレスで全員合唱「山に抱かれて」に参加する八代さん。振り返るとここまで赤い衣装で登場するのは、アトラクションを除くと無かったような気がします。

 応援合戦では「スティーム・ヒート」に乗せた小気味良い踊りを他の13人の紅組歌手と披露。蝶ネクタイとシルクハットのモーニング姿がよく似合っています。

 

第50回(1999年)「舟唄」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:浜 圭介
前歌手:Sans Filtre、globe、(ショーコーナー)
後歌手:かぐや姫、長山洋子
曲紹介:久保純子(紅組司会)、山田五十鈴

 宝塚と歌舞伎をミックスさせたショーコーナーのラストで当時86歳の森繁久彌が色々喋ろうとして話を遮られた後、これまた82歳の山田五十鈴が「舟唄」を紹介するために登場します。

 「さあこちらには芸能生活来年70周年を迎える山田五十鈴さんです。」
 「もうね、ウチでね紅白毎年見てるんですよ。だけどももう…去年も紅組勝ったでしょ。今年もどうしても勝ってもらいたいと思って。いま駆けつけて来ましたの。」
 「ありがとうございます、八代亜紀さんの応援」
 「そうアタシ八代さんが大好きなんですよ。特にね「舟唄」が大好きなの。今日は何を歌ってくださるのかしら」
 「舟唄なんです、聴いて頂きましょう」
 「まあ、嬉しいわ…」

 日本を代表する大女優である山田さんは翌年に女優として史上初の文化勲章を受章。直前の先人に対する敬意も何もなかった森繁さんと比較すると、至ってスムーズなやり取りです。ただどうしても紅組に勝って欲しい理由は、八代さんのファンであること以外よく分かりません。

 いずれにしてもこの年第50回という節目に際して、名曲で6年ぶり復帰となりました。それ自体は妥当ですが入れ替わりで落選したのは同レーベルで新曲もヒットしていた田川寿美、この頃から紅白における新しい演歌への需要が少しずつ下がり始めます。

 赤いロングドレスで聴かせるステージ、歌声はいよいよ円熟味を増したという内容でした。照明以外何も目立った演出は無し、聴かせるステージの極致をいくアクトはまさに歌が主役といったところで見事です。第30回・第42回と異なりアレンジ無しでシンプルに締める演奏もまた、素朴さに拍車をかけていました。

応援など

 同じ熊本県出身の原田悠里がこの年初出場、女性演歌陣総出でステージを応援します。八代さんを含めてハッピを着て応援したのは10人。由紀さおり・安田祥子を除いて全て演歌、裏の日本レコード大賞出演や出番を控えて不参加の歌手もいます。なおこの年の紅組は27組中12組が演歌、近年の少なさと比較して隔世の感があります。

 黒い着物姿で登場したオープニングですが、前半最後の全員合唱はドレス姿です。前半ラストの全員合唱が組まれたのは6年ぶり、偶然にも八代さんの出場と重なりました。

 エンディングは紫と青緑、これまでにないほどカラフルな着物姿です。本番後の年越し番組にも参加していました。

 

第51回(2000年)「なみだ恋」

ステージ

作詞:悠木圭子 作曲:鈴木 淳
前歌手:松田聖子、布施 明
後歌手:前川 清、ピンク・レディー
曲紹介:久保純子(紅組司会)、hitomi、花*花

 この年hitomi花*花が登場、初出場の感想を話してもらいます。その流れで27年前に歌った初出場の曲「なみだ恋」を歌唱。体のラインが見える紫色のドレス、遠目から見ても分かるスパンコールの光がやはり派手です。

 まだブレイク1年目の初出場は慌ただしい雰囲気で2コーラスのみ、あっという間のステージでしたがこの年は原曲通りのテンポでじっくりフルコーラス。歌い出しの発声に、27年間の変化を感じさせる部分もあります。演出はこの年も至ってシンプル、もっとも歌に集中して見ることが出来たのはこの2年間という印象もあります。

応援など

 ジャズ歌手としても実績を残している八代さんですが、紅白で歌う機会はほとんどありませんでした。唯一あったとすればこの年のディズニーコーナー、「シング・シング・シング」を和田アキ子天童よしみ坂本冬美と一緒に歌うシーンだったでしょうか。英語詞を見事に歌いこなしてます。またミュージカル『ライオンキング』のコーナーにも、コーラスとして参加しています。前半は「上を向いて歩こう」の全員合唱もあり(堀内孝雄と一緒のマイク)で使う衣装は計4着、久々に大忙しの紅白歌合戦でした。

 

第52回(2001年)「これからがある」

ステージ

作詞:もず唱平 作曲:伊藤雪彦
前歌手:藤あや子、山本譲二
後歌手:鳥羽一郎、Every Little Thing
曲紹介:有働由美子(紅組司会)

 この年は新曲メインの選曲ですが、出場歌手は完全なるベテラン優先。「これからがある」はオリコン週間100位にも入っていませんが、結果的には紅白で11年ぶりにその年発表の曲を歌う形となりました。第39回以来歌手席は久しく途絶えていましたが、この回は前半演歌の4ステージ限定で復活。松浦亜弥MAXなど、当時いなかったメンバーが揃っています。曲紹介に本人のメッセージが含まれるこの回の演出、八代さんのメッセージは以下の通りでした。

 「今夜は元気印の私の歌で思いっきり楽しんで頂きたいと思います。来年は明るい1年でありますように

 白いドレスは光り物多め被り物も大きめ、往年と同様の派手な衣装です。もちろん小林幸子美川憲一のような奇抜さはありませんが、八代さんの紅白は最後まで派手なドレスアップが印象的でした。「これからがある」は未来指向の歌詞が胸に残る楽曲、逆にこれがなぜオリコンに全くランクインしなかったのが分からない魅力に溢れたナンバーです。歌手席応援も温かさ抜群、ただ紅組だけでなく白組歌手も傘柄が描かれた黄緑色の小道具で応援するのは昭和だとあり得ない光景でした。

応援など

 この年は前回と比較すると出番は多くありません。2年前の原田悠里と同様、熊本県出身の島津亜矢の初出場を祝うシーンがありました。石川さゆりも含めてこの年は熊本県出身の演歌歌手が4名出場、紅組は27組中15組という具合で演歌の割合が極めて高い年でもあります。

 目立つ場面はありませんでしたが、この年はザ・ドリフターズの紅白限定少年少女聖歌隊にも参加。言うまでもなく彼女も1970年代当時の他の歌手と同様、『8時だよ!全員集合』などのゲストでよくコントに参加していました。

 

おわりに

 歌唱力や歌の素晴らしさはもちろんですが、ドレスアップで魅せる姿もまた紅白歌合戦の華でした。当時も衣装代は相当かかっていたそうで、特に身に着ける貴金属が相当なお値段だったと言われています。

 2012年にはジャズのカバーアルバム『夜のアルバム』が大ヒット、それ以外でも演歌というジャンルに拘らない活動を展開していました。1994年には『とっても!ラッキーマン』というアニメの主題歌まで手掛けています。特別出演でも良いのでもう1回は紅白に出て然るべき大功労者ですが、残念ながらそれは叶わずという形になりました。

 昭和後期~平成にかけて連続出場した歌手は現在概ね70代以上、多くは今でも現役バリバリで八代さんもその印象でしたが、残念ながらチラホラこういった訃報が出てくる時期に入ってしまったようです。昨年の谷村新司に続く形、また演歌でも先日の冠二郎に紅白出場はありませんが小金沢昇司など相次いでいます。こればかりはもう避けられないことなので今後どうしてもチラホラ出てくるとは思いますが、それにしても八代さんはもう少し見たかった、世を去るにはまだ早いというのが正直な所です。あらためて冥福をお祈りするとともに、八代さんの偉大な功績が末永く語られることをあらためて願います。長い間本当にお疲れ様でした。

 

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