水前寺清子(10年連続10回目/第16回/1963/29)
「てっぺんまごころ」(1974/星野哲郎/安藤実親/初)
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 後半戦トップバッターは佐良さんの盟友・チータ。紅組歌手全員で出迎えます。小柳ルミ子森昌子桜田淳子山口百恵は頭にそれぞれ「ま」「ご」「こ」「ろ」と書かれた赤い扇子をつけて応援。小柳さんが右に陣取っているので画面的には「ろこごま」、つまり右から読む状況ですね。ただ振袖姿から着替える人が多いこともあるでしょうか、間奏で映る紅組歌手席には雑談していると思われる青江三奈森山良子南沙織しかいませんでした。
 ステージは歌声・動き双方に伸び・キレがあって大変良し。チータのステージで必ず起こる騒々しいほどの叫び声は、今回いつもより若干おとなしかった気がします。(2分6秒)

(解説)
 佐良さんとチータは盟友中の盟友で、1971年から1977年まではこの2人で紅組司会を分け合う形でした。お互いの曲紹介には必ず力がこもっています。それ以前でも第20回では蛍の光で隣同士歌っているので、本当に佐良さんがデビューした1967年当時からの仲だろうなぁと思うところです。
 出場歌手が多数集まった直後のステージは、特に着替えに時間がかかる紅組だと歌手席がガラガラになることが時々あります。このステージでは、見事にそれが映り込んでしまう形になりました。なお空いたスペースは、ドレス姿の女性コーラス隊が埋めています。

 

北島三郎(12年連続12回目/第14回/1962/35)
「寒流」(1974/星野哲郎/福田マチ/初)

 久しぶりに大きなスケールに出会ったという曲紹介。確かにここ最近の歌唱曲を振り返っても、2年前トリを務めた「冬の宿」は三拍子バラードでその前の「北海太鼓」は軽めの曲調。歌い出しから、サブちゃんの伸びのある歌声が響き渡る楽曲は確かに久しぶりですね。ヒットはしませんでしたが、良い曲です。こういうステージでトリを取る姿を、また紅白で見たいです。(2分34秒)

(解説)
 来年の年男、うさぎ年生まれと実況で紹介されます。すなわち1939年生まれということですが、現在のプロフィールでは1936年生まれなので計算が合いません。つまりはまあ、そういうことなのだと思います。
 スケールの大きな歌は現在から見るとサブちゃんの代名詞みたいなものですが、当時は必ずしもそうではなかったようです。「風雪ながれ旅」も「まつり」も、原譲二のペンネームで自ら作曲した一連の楽曲も、全てこの紅白よりずっと後に作られた作品。そう考えると、やはり本来歌いたかった歌はこの「寒流」みたいな曲だったのだろうとしみじみ感じるところです。オリコン売上だけで見ると、都はるみ同様サブちゃんもこの当時は低迷期。ただ次年以降の本格演歌「残雪」「歩」で多少回復している辺り、この路線は正しかったのだろうと思います。

・海外からのゲスト紹介

 海外から紅白のステージで演奏するため来日してくれたゲストを紹介。紅組はフランスからクロード・チアリ。白組はテナーサックスのサム・テイラー。それぞれ、日本語で挨拶してもらいます。
 「皆さんこんばんは、クロード・チアリです。どうぞよろしくお願いします。フランスにジャンヌ・ダルク、紅組に佐良直美。紅組、絶体絶命!まさかのハプニングに会場騒然、山川アナ大喜び。気を取り直して、「紅組の勝利、絶対間違い無し!」
 「皆さんこんばんは。サム・テイラーです。どーも、どーも。(力いっぱいの大声で)オトコカテ!」
 というわけで曲紹介。サム・テイラーの愛称はザ・マンということで山川アナ「ざまんみやがれ」「そんなシャレはくろうとチラリとかわします」と佐良さんが綺麗に返して次のステージに入ります。

(解説)
 クロード・チアリさんは1944年生まれのギタリスト。1964年にギターソロ曲「夜霧のしのび逢い」が世界的に大ヒットして知名度を上げます。初来日は1967年。1975年に元モデルの女性と結婚して日本に永住…ですのでおそらくこの時点で日本語は流暢、絶体絶命のくだりは間違いなくアドリブだと思います。1985年に日本帰化、今は本名まで智有蔵上人に改名しています。娘のクリステル・チアリも有名で、日本に走る鉄道の英語車内放送の多くを担当しています。
 サム・テイラーは1916年生まれ、1950年代に「ハーレム・ノクターン」で有名になります。こちらも親日家で、1970年前後に日本の歌謡曲を演奏したレコードも発売済。

 

あべ静江(初出場/第25回/1973/23)
「みずいろの手紙」(1973/阿久 悠/三木たかし/初)

 クロード・チアリのギターが美しく響く中で冒頭のセリフ。「全国の皆さま、お元気ですか?そして今年も紅組が勝つと、言ってくださいますね」と紅組応援の内容に差し替えます。初出場の割にそれらしい扱いをされていないのはやや微妙ですが、ステージは文句なしに素晴らしい内容。伸びのある歌声もかわいいルックスも良いですが、やっぱり楽曲がこの上ないほどに素晴らしいです。(2分24秒)

(解説)
 あべさんの紅白出場はこの回のみ。「コーヒーショップで」「みずいろの手紙」はヒットしましたが、その後はあまり続かず。徐々に女優活動とバラエティー番組出演にシフトしていきます。
 阿久悠・三木たかしの組み合わせは歌謡史に残る名コンビですが、「みずいろの手紙」はその一番初期の作品。その後生まれた名曲は「津軽海峡・冬景色」「ブーメランストリート」「思秋期」「北の螢」「追憶」…といった具合。同じ組み合わせで3曲も紅白のトリに選ばれるという例は滅多にありません。

 

にしきのあきら(5年連続5回目/第21回/1970/24)
「花の唄」(1974/千家和也/井上忠夫/初)
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 こちらはサム・テイラーがテナーサックス演奏で応援。ここ何回かはアップテンポでターンを見せる華麗なステージが定着していましたが、今回は初出場の時以来となる聴かせるバラード。こちらもテナーサックスの演奏中心のカメラワークでにしきのさんが目立たないですが、まあ何回も出ていて今回特にヒットした曲でもないので、良いでしょう。(2分20秒)

(解説)
 にしきのさんも1973年以降、オリコンTOP100に入るかどうかくらいしかレコードが売れなくなっています。結局連続出場は翌年の第26回でストップしました。紅白出場が途切れた後しばらくは色々大変な状況でしたが、美川憲一さんとはまた少し違う形で1990年代に復活。スターと呼ばれる芸能活動は、現在まで継続しています。
 なおこちらもデビュー当時から年齢のサバを読んでいて、本当は1948年生まれの26歳。確かに20歳と22歳では、印象も多少変わりますからねぇ…。

・左とん平の応援

 刑事に扮した左とん平がステージ脇に登場。白いコートに葉巻を咥えたスタイル、モデルはやはり刑事コロンボでしょうか。ちょうどサックス演奏が終わったばかりのサム・テイラーに、例の「ヘイ・ユー! ホワッチャー・ネーム?」で名前を尋ねます。ちょっと怒り気味に「サム・マン・テイラー!」と答えて舞台袖に向かいます。とん平さんは「なんで洋服屋がここに来てんだ…?」と呟きながら、ステージに入ります。
 多くの人が集まっている舞台に戸惑い気味。そこに佐良直美がやってきて、「ここはどこですか?」「紅白歌合戦ですよ」と答えます。
 「これが有名な紅白歌合戦?うちのカミさんが好きでしてねー」「ちょっとメモしとかないといけないんですけども」「こちらが男性軍で、こちらが女性軍、小巻さんなんであそこ(審査員席)にいるんですか?」と、とん平節全開。苦笑いしながら佐良さんが質問に答えます。既に次のステージに向けてバンドセット上でスタンバイしているペドロ&カプリシャスのメンバーは笑顔でリラックス、この場を楽しんでいるようです。
 「あなたも女性軍に入るんですね。そこにちょっと疑問を感じるんですけども…」そこに、よりにもよって和田アキ子がステージに登場。以下やり取りのみを掲載。

左「最後にちょっとお聞きしたいことがあるんですけど、この方も女性ですか?」
佐良「あなた知らないんですねこの方はね、女子プロレスラーで今売り出し中のマッタ和田アキさんという方ですよ」
左「(アッコに向かって)…すいません、あなた男性ですか女性ですか?」
アッコ「あら、わたし女性ですよー」左「やっぱり男性ですか」アッコ「違いますよ、女性ですよ!いい加減にしてくださいよ!」(アッコとん平をどついて綺麗に一回転)アッコ「あんた一体何者だ!」「あっ、刑事コロンダ!」

(解説)
 『刑事コロンボ』は1968年にアメリカで放送開始した海外ドラマ。日本では1972年からNHKでレギュラー放送を開始して人気を博しました。
 左とん平は俳優ですが、当時はコメディリリーフとしての起用が多かったそうです。1973年にトニー谷のギャグを英語にした「ヘイ・ユー! ホワッチャー・ネーム?」のギャグが大当たり、「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」として発売されたレコードもヒットしました。
 和田アキ子を女子プロレスラーとして紹介したマッタ和田アキという名前は、おそらくこの年15歳で女子プロレスデビューして話題になったマッハ文朱をもじった内容。翌年以降レコードデビューもして、女子プロレス人気の先駆け的存在となりました。

 

ペドロ&カプリシャス(初出場/第25回/1971/25?~??)
「ジョニイへの伝言」(1973/阿久 悠/都倉俊一/初)
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 コント終了から間髪入れず演奏が始まります。騒がしいバタバタした舞台の後だと歌いにくいものですが、今回の場合かえってリラックス出来たのではないかとも思えます。
 ヘンリー広瀬のフルートから始まり、ボーカルの高橋まり中心に、間奏で各メンバーの顔も余すところなく映すカメラワーク。「みずいろの手紙」と同様、こちらも楽曲特に歌詞の良さが光りますが、ボーカルの魅力は先ほどのあべ静江以上でしょうか。これだけ声量があってなおかつ澄んでいる、ソプラノではないアルトの声質の歌手も過去あまりいなかったのではないかと思います。男性ではフランク永井という偉大な方がいますが、女性だと…それこそ美空ひばりちあきなおみ位しかいないかもしれないですね。もしかすると、今後は歌謡曲よりもフォークソング方面の方に優れた歌手が集まる時代になっていくのかもしれません。(2分37秒)

(解説)
 ボーカルの高橋まりは、1978年にバンドを脱退して高橋真梨子としてソロ活動を始めます。またフルートのヘンリー広瀬も同時期に脱退、彼女のプロデュースに関わって1993年に結婚します。ソロ歌手としての活躍は極めて長文になるので、ここでは書きません。ペドロの曲だと「五番街のマリーへ」は2015年・第66回で歌われますが、「ジョニイへの伝言」は今のところまだ再び紅白で歌われる機会は訪れていません。
 なおペドロ&カプリシャスの活動は現代もリーダー・ペドロ梅村(パーカッション担当)のもと続いていて、現在のボーカルは6代目のようです。それ以外も当時と完全にメンバーが入れ替わっていて、ギターやドラムなど他のパートについては現在調査中です。

 

村田英雄(2年ぶり13回目/第12回/1958/45)
「皆の衆」(1964/関沢新一/市川昭介/10年ぶり2回目)
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 2年ぶりの紅白復帰、楽曲は1964年以来10年ぶりとなる「皆の衆」。白組歌手が総出で、フォーリーブスのメンバーは纏を持って、間奏以降は客席の上手側通路に昇って持ち上げます。もう片方の階段は殿さまキングスの宮路おさむが昇りますが、一人だけというのはちょっと淋しいような…。それにしても明らかに新しい時代の音楽であるペドロ&カプリシャスの後に聴くと、相当なギャップがありますね。
 2番はちょっと聞き慣れない歌詞です。”女なんかに負けられぬ””男度胸でどんと押していけば”、村田先生が白組応援の歌詞に変えるのは過去何回もありますが、ここまで大胆にガラリとやるのは初めてかもしれません。もっとも”白組勝つぞ”や”紅組負ける”とかそういう露骨な文面ではないので、会場としてはちょっと聞き慣れない程度で拍手は起きなかったですが…。(2分3秒)

(解説)
 村田先生の曲としてはおそらく「王将」の次くらいに有名な曲だと思いますが(「人生劇場」「無法松の一生」が次点でしょうか)、紅白で歌われたのはこの2回のみ。ちなみに私は、清水アキラさんのモノマネで1990年代にこの曲を知りました。なお前年は糖尿病治療のため出場はお休み。たまに27年連続出場と紹介されている文面も見ますが、正しくは12年連続、1年おいて14年連続の出場です(全て合わせると1989年・第40回が2年ぶりなので、確かに出場回数は27回です)。
 白組歌手の中に前半の応援で出てきた三波伸介さんも普通に混じってます。前の年から続けて見る立場からすると全く違和感ないのですが、それを知らずに初めてBS再放送で見た時に「なんで我が物顔で白組側で大声張り上げているんだろうこのオッサンは」と思ったのはここだけの話(ちなみに1970年代の紅白を初めて見たのはこの第25回再放送です)。1982年に50代で亡くなっているので、1990年代後半になると当時の中高生には彼の偉大さが知られていません。となると今はどうでしょうか。こうやって当時の素晴らしさを文面なり何なりで伝えることも、自分の責務ではないかとあらためて感じる今日この頃です。