ちあきなおみ(5年連続5回目/第21回/1969/27)
「かなしみ模様」(1974/阿久 悠/川口 真/初)

 照明が作る影で模様が作られます。前回森進一のステージで空から降る雪をそれで表現していましたが、そこからの流用でしょうか。楽曲は体調不良で一旦活動休止してからの復帰シングル。1コーラス半の短さに抑えられたのが少し物足りないですが、まだ当分は紅白に出場し続けるはずなのでこの辺りは次に期待というところでしょうか。(2分14秒)

(解説)
 照明の影で模様を作る演出は、次の年にも三善英史「細雪」で雪を降らせる形で採用されました。まだこの当時、天井からの紙テープや紙吹雪はエンディング以外で登場しません。その次の第27回でようやく、西城秀樹が紙テープを降らせる形として登場します。紙吹雪を出場歌手のステージで使ったのは、それこそ大掛かりな舞台装置が使えるようになった第32回大トリ「風雪ながれ旅」が初めてだったかと思います。
 ちあきさんは前回がトリ2つ前、そしてこの年から3年連続でトリ前での歌唱となりました。演歌でなければトリもあり得た、と書きつつも次の「さだめ川」「酒場川」は船村徹提供のド演歌。その次が友川かずき提供の、現在まで語り継がれている伝説の「夜も急ぐ人」。ジャンルを問わず歌の世界を表現できる凄さを出せる彼女のような歌手は、長い歌謡史を紐解いても非常に稀有な存在と言えます。

 

三波春夫(17年連続17回目/第9回/1957/51)
「勝海舟」(1974/北村桃児/遠藤 実/初)
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 忠臣蔵を中心にこれまでも歴史・伝記物は何度か紅白で歌っていますが、幕末は今回が初。大河ドラマと三波さんが歌う楽曲のテーマが重なるのは、第15回1964年『赤穂浪士』の時の「俵星玄蕃」以来でしょうか。
 こういった浪曲歌謡を歌える人は三波先生以外おられないので、もはやこれまでの実績含めて売上だけでどうこう言える存在ではありません。ステージでは3分ですが、レコードだと10分近く録音されている長篇歌謡浪曲。是非レコードを買って、あらためてじっくり堪能したいです。(3分1秒)

(解説)
 このステージはもう文句なしの芸術ですね。学生だった当時の自分が初めて見た感覚でも、凄いステージと心から感じた内容です。それと同時に、三波先生の本領が発揮されるのは「東京五輪音頭」や「世界の国からこんにちは」よりもこういった浪曲歌謡なんだろうなぁと心から感じた次第。

 

島倉千代子(18年連続18回目/第8回/1955/36)
「襟裳岬」(1961/丘灯至夫/遠藤 実/13年ぶり2回目)
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 「歌手生活20年。舞台に上がる前には黙祷を欠かしません。歌に対して常にひたむきな努力を続ける島倉千代子さんの歌声をじっくりとお聴きください。歌は「襟裳岬」、お千代さん!」
 紅白史上初となる、同名異曲のトリ対決。襟裳岬から紅組・白組双方に沢山の電報が来ていることを両軍キャプテンが紹介して曲に入ります。2年連続トリ、前回は緊張の表情と目に涙も浮かべながらの熱唱が印象的でした。今回は緊張も伝わりますが、それよりも一つ一つの言葉をかみしめて歌うことを意識しているかのような。レコードで聴くより、そしてもしかすると13年前でトリで歌った時よりも。聴く側にも歌う側にも気持ちが伝わるような、非常に素晴らしいステージでした。(2分43秒)

(解説)
 同じ曲の対決は1955年・第6回の「インディアン・ラブコール」(宝とも子浜口庫之助)、1984年・第35回の「浪花節だよ人生は」(水前寺清子細川たかし)がありますが、同名異曲対決は後の紅白を振り返ってもこの時が唯一。ましてやトリでとなると、今後実現する可能性は限りなく0%に近いのではないかと思われます。
 島倉さんの選曲は、もちろん大トリで歌われる森進一の同名異曲を意識したもの。当初は紅白未歌唱のデビュー曲「この世の花」を歌う意向だったようです。「襟裳岬」は13年前でもトリで歌っているので紅白2度目のトリ歌唱、これは第15回・第16回の美空ひばり「柔」以来2例目で時期が空いてという形だと史上初。その後も昭和の間は原則その年発表の曲がトリなのでなかなか出てこなかったですが、平成以降は第41回の「おふくろさん」を皮切りに「帰ろかな」「風雪ながれ旅」「千曲川」「あの鐘を鳴らすのはあなた」「まつり」…と言った具合に多数登場します。

 

森 進一(7年連続7回目/第19回/1966/27)
「襟裳岬」(1974/岡本おさみ/吉田拓郎/初)
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 「青春の旅は遠く悲しく、いつか思い出の海へと帰っていきます。1974年のさすらいの記憶をこの1曲にこめて。森進一、白組の「襟裳岬」を聴いて頂きましょう!」
 1974年を象徴する、歌謡曲とフォークの垣根を超えた傑作は先日日本歌謡大賞を受賞。そして3時間ほど前に決まった日本レコード大賞受賞というアナウンスも入りました。いよいよ大トリ、まさしく満を持して登場のステージになります。曲紹介の文面も、トリとしてはここ何年かの中でも一番雰囲気のある素晴らしいものでした。
 白組トリは3年連続の第22回以来3年ぶりですが、大トリは初めて。混声の合唱団も加わって雰囲気も抜群。2コーラスにラストのフレーズもたっぷり伸ばして大熱唱。演奏時間も、このステージが一番長くなるというもっとも綺麗な形。森さんの歌手生活における一つの集大成。今後何十年と語られる名ステージになることは間違いないですが、少しだけ気になったのは前半。1番がずっとアップ~上半身のみのショットで、それが終わるとなぜか白組歌手全員が周りに集まって輪が解けた後の表情は半笑いだったり肩をポンと叩いたり。年齢的にまだ若く先輩歌手が多いと言えども、そこだけは若干気になりました。歌唱中何かあったのでしょうか…。(3分10秒)

(解説)
 作曲した吉田拓郎は、ここで語るまでもないほどの功績を持つ、フォークソングを商業的な音楽ジャンルとして大成させたミュージシャン。歌手としての紅白出場は20年後の第45回のみで、もう二度と出ないというコメントを後年残していますが、「襟裳岬」以降歌謡曲方面への楽曲提供は多く見られました。吉田拓郎と、翌年「シクラメンのかほり」を布施さんに提供する小椋佳昭和40年代に歌謡曲と対極の位置で発展したフォークソングは、この頃になるとむしろ従来の歌謡界と親和性を持つようになります。ちなみに日本のロックはこの当時まだ大衆への反発心が原動力となった部分も大きかったですが、これもツイストの登場以降大衆化が著しくなっていきます。
 イントロで全身映りますが、よーく見ると…ファスナーが空いてるのが微妙に確認できます。画面ではさすがにチラッとしか映らないですが、歌手席やスタッフからだとはっきり見えたのでしょう、大慌てで急遽上半身を映すカメラワークに切り替えたのがよく分かります。70回の歴史上、実はもしかすると他に例があるかもしれませんが、少なくとも大トリでここまではっきり分かったのはこれが唯一です。
 2番で白組出場歌手が肩を組んで応援しています。これまたこの紅白以前では見られなかった光景で、その後は直々見られる紅白ならではの風景になります。第35回辺りまでこの様子は確認できますね。後年については分かりませんが、この回についてはおそらく台本ではなく自然に発生した光景と考えて良さそうです。

 

・エンディング

 最後の得点集計も中江陽三アナが進行。審査員にボタンを押してもらって、すぐに発表に映ります。電光掲示板で示された結果は、およそ3ポイント差で紅組優勝でした。これで紅組は、第10回以来となる15年ぶりの3連勝。通算成績も紅組の14勝11敗で一歩リードしました。
 佐良さんとチータが抱き合って喜びます。坂本朝一大会委員長から、25本目の赤いリボンが加わった優勝旗が授与されます。「佐良さんの最後の着物でだいぶ響いたんじゃないかと」「私も和服にしようかと思ったんですけども、タキシードにしたのが間違い」と、山川節は最後まで順調でした。今回は結局総合司会と表記された進行役がいないので、最後の蛍の光は山川静夫アナがそのまま紹介します。指揮は第1回から紅白に携わる藤山一郎が担当。寅年から兎年へ、ステージ下手には餅をつく2匹のウサギの置物が用意されています。あと15分ほどで1975年、来年は良い年であることをあらためて願いたいですね。

(解説)
 結局総合司会は公式で言うと土門正夫・中江陽三の2人体制という形になっています。ここだけどうもハッキリしない部分はありますね。
 結果は3年連続紅組勝利でした。流れとしては白組で結果も接戦でしたが、やはり大トリのあのポカが勝敗に大きく響いたのかなとはつい思ってしまうところです。なお最後の衣装にタキシードを選んだ山川アナ、次の年は和服にして見事4年ぶりに白組勝利という形になりました。
 第25回まで何かしらの形で全ての紅白に携わっている藤山さんは、亡くなる前年の第43回までずっと出演します。ただ年によっては「蛍の光」指揮を担当しないこともあって、特別出演の肩書だった前年は渡辺はま子と一緒に中心で一緒に歌う形でした。指揮者の表記は当時なかったですが、オープニングに流れるテロップで音楽担当:服部克久とありましたので、おそらくその服部さんだったのではないかと思います。

 

~総括~

・この年は出場歌手の数が、前年あった特別出演込みで考えると各2枠ずつ増えています。そのため前年まであまりなかったイントロでの曲紹介、続けざまに次のステージが始まるという光景が多く発生しました。

・その割に意外とステージでの演奏時間は確保されていて、1分台は1つだけで大トリを筆頭に3分台もチラホラ。前年、もしくはこれ以降の1970年代後半と比べても、ステージに割り当てられる時間はかなり長いです。応援も心なし少なめで、いくつかスベったものもありますが概ね面白かったです。何より押し付けがましい印象があまりなかったのが良かったです(他の年だと紅勝て白勝ての応援に無理があって辟易することも結構あるので…)。テンポの速い演奏も1970年代の紅白では多数ありますが、この年は比較的他と比べるとそういったケースは少ない気がします。

・当時はやはり宮田輝アナとのスタイルの違いが、マスコミにも色々言われたとは思いますが、個人的にはやはり蒸気機関車型の宮田さんよりも、山手線型で小気味良く進む山川さんの司会の方が好きです。というより、自分の中の紅白司会の理想像が誰かと言われるともう完全に山川アナになりますね。これは昔の紅白を見る以前、リアルタイムで第42回・第43回の総合司会を見ていても幼心になんとなく感じていたことです。波長が合う、ということなんでしょうね。

・1970年代後半、紅組はラインダンスで白組は組体操、その他コーラスや踊りなどもろもろ出番が多くなって出場歌手の負担はどんどん増えていきます。そう考えるとこの回辺りまでは、着替えが多少多い程度で、見てる方は比較的落ち着いて楽しめたのではないかと思います。

・佐良・山川コンビの司会は4年続きました。第28回までいくとマンネリという声も生まれましたが、やはり70年代紅白屈指の組み合わせは山川アナと、佐良さんもしくは第30回のチータではないかと思います。

・ただテレビ実況に関して言うと、他の年と比べてこの回は喋りの量が多かったです。そのせいではないと思いますが、相川浩アナは翌年から総合司会に転身、実況は金子辰雄アナの担当がしばらく続きます。

1970年代の紅白は第25回か第30回が個人的に一番完成度が高いのではないかと感じています。ただ振り返るとやはり、極めて完成度が低いと思ってしまう紅白はこの時期一つもありません。多少の課題や問題点はありつつも、実際の音楽・芸能シーン(一部ジャンルは例外ですが…)と番組が非常に上手くリンクしていた時代だったことは間違いないでしょう。ただ1980年代になると少しずつ多様化が進み、歌手の選出も難しくなってやがては紅白も含む音楽番組そのものが岐路に立たされる時代がやってきます…。