・審査員インタビュー

 中江陽三アナウンサーが審査員席の前に来ています。まずは手持ちの電源を一旦オフにして頂くよう皆さんにご案内。その後女優の杉村春子さんにインタビュー。以前同じように審査員として参加した時は、1回1回うちわの表裏で赤白と判定していたそう。ゴテゴテしていた当時と比べると今回は大変スマートになった、ここまでは実力伯仲で、どちらが有利かは「言っちゃあいけないでしょ」と冷静に話していました。
(解説)
 その杉村さんが審査員を務めたのは、これより16年前となる第9回。黒柳徹子が初めて紅組司会を担当して、自身のエピソードトークで頻繁に取り上げられる紅白です。裏番組でも歌謡番組をやっていた関係で本来の出番になっても歌手が到着していなかったり、挙句の果てに出てくる歌手を間違えて紹介することもあったりで、徹子さんの話を聴くだけでも相当バタバタしていたことがよく分かります。

 

ザ・ピーナッツ(16年連続16回目/第10回/1959/33)
「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」(1974/(外国曲)/(外国曲)/初)

 海外からも届いた多くの電報を紹介しながら、16年連続出場の大ベテラン登場。多くの持ち歌があるザ・ピーナッツですが、今回は第16回以来9年ぶりに海外のスタンダードナンバーをもってきました。宮川泰が指揮を務めるのはもうお馴染み、今回は江夏ルミ、ポピーズ・シャルマンの踊りも花を添えます。1960年代の紅白ではこうやって海外の曲をカバーする光景が当たり前のように見られましたが、今回はもう菅原洋一と彼女たちだけ、前回でも上條恒彦のみでした。ステージは抜群のエンタテインメント性で格の違いを見せつける内容でした。やはり見事なものです。(2分22秒)

(解説)
 「気になる噂」「愛のゆくえ」「お別れですあなた」といったオリジナル曲もリリースされていましたが、この年に入るとオリコンにもランクインしなくなりました。「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」は1941年に発表されたジャズナンバーですが、当時ベット・ミドラーが歌ってリバイバルヒットを記録。ビルボードのイージーリスニングチャートの1位を記録しています。
 翌年2月に記者会見を開いて引退発表、4月5日のNHKホールさよなら公演をもって解散引退。「可愛い花」でデビューした1959年すぐに大ヒットして紅白出場しているので、結果的に活動期間中は全ての紅白に出場した形となります。その後は一切公の場に表れず、そのまま2人とも2010年代に亡くなります。なお姉の伊藤エミさんは引退後すぐ沢田研二と結婚しますが、1987年に離婚します。

 

布施 明(8年連続8回目/第18回/1963/27)
「積木の部屋」(1974/有馬三恵子/川口 真/初)
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 衣装や演出について話題になることが多かったこれまでの紅白。今回も白の鳥打帽子をアクセントにしたカジュアルな衣装で、高いセンスを感じるのは相変わらず。ですが今回のステージで話題にしたいのはやはり楽曲と歌唱力。
 「積木の部屋」は久々に大ヒットを記録して、それこそ「霧の摩周湖」「恋」ばりの新しい代表曲になりました。ストーリー性を感じさせるドラマチックな内容も感動的ですが、やはり聴きどころはサビ終わりのハイトーン。見事なものです。ただこのステージの極めつけは半音上がるラストの1節、最後のフレーズをアカペラで歌うシーン。クライマックスの伸ばしは、本当にいつまでも出し続けられそうなくらい圧巻の内容でした。第21回・4年前の「愛は不死鳥」は羽根を広げるような衣装含めて伝説になっていますが、個人的にはこのステージの方がより語り継がれるべき名ステージでないかと感じるところです。(2分48秒)

(解説)
 この翌年、「シクラメンのかほり」が更に大ヒットしてレコード大賞まで受賞しました。ですがそのヒットを呼び起こした一つの要因に、「積木の部屋」の大ヒットがあったことは間違いありません。個人的にこのパフォーマンスを初めて見た時は、あまりの歌声の素晴らしさに感動しました。オリコン年間売上では9位に入る大ヒット、その割に意外と語られていない気がするのは、やはり翌年のヒットが凄すぎたからでしょうか。当然、この年以降は衣装に言及されることはなく、歌唱力の布施明と呼ばれるのが一般的になります(インパクトの強い衣装の年は「君は薔薇より美しい」を歌った1979年・第30回でもありましたが)。
 作曲家の川口真が手掛けた作品は他に「人形の家」「円舞曲」「さよならをもう一度」など。ドラマチックなメロディーを書かせると右に出る者がいないというのが、作品を見てもよく分かります。
 後半で転調する編曲は、1990年代以降五木ひろしのステージで多用していましたが、この頃はまだ珍しい演出。前例として挙げられるのは1971年・第22回の岸洋子「希望」くらいだったでしょうか。最後をアカペラにする編曲は1960年代紅白でもチラホラ見られましたが。

 

いしだあゆみ(6年連続6回目/第20回/1964/26)
「美しい別れ」(1974/なかにし礼/加瀬邦彦/初)
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 作詞・作曲コンビは前半でルミ子さんが歌った「冬の駅」と全く同じ。旅情をテーマにした楽曲であることも共通しています。違いがあると言えばこちらの方が2ヶ月早く発売されたことと、向こうが列車で愛する人のもとに自ら向かうのに対して、こちらはカナダ行きの飛行機を見送るという部分でしょうか。いずれにしてもテーマがハッキリしていて切ない内容、あゆみさんが歌うこちらの楽曲も情感たっぷりで大変良いです。そう考えると、「冬の駅」と違ってあまりヒットしなかった理由がよく分かりません。(2分25秒)

(解説)
 ヒット戦線からは1972年辺りから離れますが、歌手としての評価や当時ステータスの一つでもあった全員集合他のバラエティ番組出演はおそらくまだ多め。紅白も3年後の第28回まで出場し続けます。ヒットするのは基本ほぼ間違いなく良い曲ですが、良い曲が必ずしもヒットするわけではありません。このステージを見ると、あらためてヒットすることの難しさを感じるところです。

 

春日八郎(5年ぶり16回目/第5回/1952/50)
「雨降る街角」(1953/東条寿三郎/吉田矢健治/初)

 5年ぶりの紅白復帰、選んだ楽曲は本人が大好きだという1953年のヒット曲「雨降る街角」。北島三郎五木ひろしがギター伴奏で応援しますが、あろうことか実況の相川浩アナが「ギターは北島三郎さんと五木寛之さんですと思いっきり間違えます。確かに五木ひろしの芸名の由来にはなっていますが…。ステージは春日節が響き渡る心地良い内容。聴かせる演歌と言えば、やはりこの人です。(2分11秒)

(解説)
 この実況間違いはひろしさんの耳にも入ったようで、後年まで山川アナから間違えて紹介されたと話していたとか何とか。相川浩アナは第26回から第29回まで総合司会を担当していますが、テンション上がってオープニングの選手宣誓のくだりを危うく抜かしそうになるなど、紅白ではそこそこやらかしています。ただ後年の生方恵一アナみたいに、よりにもよってこの場面でこれは…というのは幸いありませんでした。なお夏の紅白と当時から呼ばれていた『思い出のメロディー』では、通算12回の司会を担当する番組の顔でした。

 

青江三奈(7年連続8回目/第17回/1966/29)
「銀座ブルーナイト」(1974/橋本 淳/吉田 正/初)
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 ご当地ソングと言えばこの人、紅白でも伊勢佐木町・池袋・大阪空港・長崎…と続いていきました。今回は銀座がテーマ、でもどちらかと言うと夜の街の方が似合うというのは昔と同様。変わったと言えば、これまた実況にも言われていますが髪型。全体的にちょっとボリューミーになったでしょうか。2コーラス、しっかり青江節を堪能することが出来るステージでした。(2分14秒)

(解説)
 1960年代ブレイク組は概ね1970年代に入ると世代交代の波に飲まれている状況で、この人も1971年以降急にレコード売上が下がりました。山本リンダ梓みちよみたいに一気にヒット曲を出さないと、なかなか第一線に返り咲けない状況です。都はるみでさえも「北の宿から」が大ヒットするまで売上的には低迷していました。とは言え青江さんが1960年代後半に残した実績と獲得した人気は絶大で、紅白出場は最終的に1970年代を超えて第34回まで何とか続きました。
 この人も年齢をサバ読みしていて、1945年生まれのプロフィールですが実際は1941年生まれ。それが判明したのは、2000年に亡くなった時。ただいずれにしても、還暦を迎えず亡くなったのはあまりにも早すぎました。

 

フランク永井(18年連続18回目/第8回/1955/42)
「おまえに」(1966/岩谷時子/吉田 正/初)
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 期せずして吉田正メロディー対決となった今回、紅白で初めて歌われる「おまえに」は1966年発売のシングル「大阪ろまん」のB面。1972年にA面で再リリース、実況によるとご本人の愛唱歌ということ。シンプルに2コーラス、低音で聴かせるラブソングでした。(2分13秒)

(解説)
 この曲は吉田正が愛する妻に向けて作った曲。かなり思い入れの強い楽曲であるのは事実のようで、当時コンサートでは必ず歌っていたのだとか。それが実を結んだのは1977年、有線やカラオケの普及によりリバイバルヒット。当然その年の紅白でも歌われて、国民的に広く知られる代表曲の一つになりました。結果的には1981年・第32回も含めて、計3度紅白で歌われる形になります。
 現在紅白歌合戦で歌われた曲数が最も多い作曲家は弦哲也ですが、当時は吉田さんがブッチギリでトップ。現在でも弦さんと筒美京平に次ぐ、通算3位の位置につけています。この年の3曲で、紅白歌唱曲は合計52曲に達しました。フランクさんや橋幸夫を筆頭に、1950年代から1960年代にかけてビクター専属歌手に提供したヒット曲の数は極めて多いです。

 

由紀さおり(6年連続6回目/第20回/1965/26)
「挽歌」(1974/千家和也/浜 圭介/初)
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 前年は「恋文」でレコード大賞最優秀歌唱賞受賞、今回も「挽歌」がロングセラー。トリ2つ前という最終盤で歌うのは初めてですが、満を持してこの曲順に持ってきたという言葉がまさにしっくり来ます。「襟裳岬」の話題性がなければ、トリに選出されていたかもしれないですね。
 1コーラスが比較的長い楽曲ですが、じっくり2コーラス聴かせる構成。アイドルやフォーク以外の、中堅以上の歌謡曲路線の女性歌手がなかなか正当に評価されない時代に入っていますが、この人と次に出てくるちあきなおみに限っては文句なしの例外でしょう。(3分0秒)

(解説)
 上記のように書きましたが、当の由紀さんも翌年以降はセールス低下に悩まされます。とは言え楽曲提供やバックバンドの人選には意欲的で、伊勢正三(かぐや姫→風)提供の曲をフォークを歌ったり、ブレイクする前のアルフィーをバック演奏に抜擢したのはよく知られるところ。また、ドリフの番組に代表されるコメディエンヌの才能も大きく評価されたことで知られています。1990年代に姉の安田祥子さんとの共演で再び紅白常連になりましたが、持ち前の歌唱力だけでなくそういった親しみやすさも返り咲いた要因の一つと言えそうです。

 

沢田研二(3年連続3回目/第23回/1967/26)
「追憶」(1974/安井かずみ/加瀬邦彦/初)
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 黒を基調にした衣装で、照明もかなり抑えめにして思いっきり聴かせる演出。前回の「危険なふたり」、初出場の「許されない愛」とまた違った一面を見ることが出来ます。間奏では、背中からいきなり白い鳩を登場させる斬新な演出。紅白のステージでマジックを披露するのも、これが初めてではないでしょうか。演出だけでなく、バラードで聴かせる歌声も素晴らしい内容でした。(2分26秒)

(解説)
 この当時のジュリーの専属バンドはザ・いのうえバンド、後の井上堯之バンドですが、この紅白に関して言うとおそらく彼らの演奏ではない模様。歌い出しの遠景ショットで、白組演奏の小野満さんがタクトを振っていることが確認できます。
 マジックも後の紅白では、ステージなり余興なりで多く見られる演出になりましたが、実際紅白のステージでとなるとこの時のジュリーがやはり初めてのようです。余興では第23回・1972年でチラホラ見られましたが、どれもあまり成功したとは言い難い結果でした。