紅白歌合戦・バンド出場歌手の歴史(怒涛の1980年代編)

 今回は1982年~1989年の紅白歌合戦に初出場したバンドについて書きます。なおチェッカーズについては既に執筆済なので、こちらを参照してください。

シュガー

第33回(1982年)「ウエディング・ベル」

作詞・作曲:古田喜昭
前歌手:水前寺清子、三波春夫、(企画コーナー)
後歌手:サザンオールスターズ、研ナオコ
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 「今日、色々な所で、ご覧くださってる皆様、お楽しみ頂いてるでしょうか?歌手の皆さんは、みんな、一生懸命です。あたくしも、頑張っています。山川さんも頑張っています」。3年連続で恒例となった手話を交える喋りを経て、次のステージを紹介。「さて次はシュガーですけれども、この3人はあの何て言いますか非常に新しい、娘心を現代的にユーモアラスにアレンジした歌で大ヒット致しました。ところが3人は歌と同時に楽器も演奏するものですから、何とか間違えないで皆様にお送りできるそれが今日の私たちの喜びをお伝えすることだと言っております。ご用意がよろしければ。「ウエディング・ベル」です、どうぞ」。手話と比べると、通常の喋りはやはり徹子さんらしい早口です。

 さて「ウェディング・ベル」で初出場したシュガーは女性3人組ですが、全員が楽器を担当しています。メインボーカルの笠松美樹がキーボード、ギターの長澤久美子とベースの毛利公子もそれぞれコーラスを担当。ガールズバンドという位置づけではなく、それどころかコーラスグループという解釈もあるようですが、メンバー全員が楽器を担当する女性のみのグループが紅白歌合戦に出場するのは彼女たちが史上初です。女性ボーカルのバンドを含めても3組目、そもそもガールズバンド自体がまだ日本にほとんどいない時代です(海外ではザ・ランナウェイズが1970年代後半にヒット)。「ウエディング・ベル」は3人の綺麗な歌声に反する極めてシニカルな歌詞が大ウケして大ヒット、1982年オリコン年間13位のセールスを記録しています。

 メンバー3人はオリーブの髪飾りのような物を頭に被せて登場、歌唱中にバンドセットごと前に移動するシーンがあります。全体の演奏はスリーピース体制ではなく、セットの後ろに男性のドラムやサックスのサポートもついています。2コーラス、アーメンのハモリで演奏を終えた所で「どうもありがとう!」と声を揃えて挨拶、直後なぜかゲスト審査員の真野響子が笑顔で拍手する場面から客席にズームアウトするカメラワークでした。ちなみに真野さんは当時結婚4年目、翌年に一人娘で女優として現在も活動中の柴本幸を出産しています。

 なおオープニングは赤ブレザー姿で、なんと当時の大御所・三波春夫村田英雄と腕を組みながらの入場でした。和服での踊りにも参加していると思われますが、演歌やアイドルのスターが揃う中ではやや目立たない形になっています。歌手席やエンディングなどでは、3人とも黒いタキシードに赤い蝶ネクタイという姿でした。

 シュガーは1987年に解散しますが、メンバーはその後もソロで活躍。ただ毛利さんは1990年の出産時に原因不明の形で死去、当時まだ29歳の若さでした。

アルフィー

第34回(1983年)「メリーアン」

作詞:高見沢俊彦、高橋 研 作曲:高見沢俊彦
前歌手:梅沢富美男、早見 優
後歌手:中森明菜、近藤真彦
曲紹介:鈴木健二(白組司会)

「愉快なアルフィーの3人を続いてご紹介いたします。初出場でございますが、実は2回目でございます。何年か前に女性歌手の伴奏を頼まれてやって参りました。親戚中に紅白に出るからと言って電話を致しまして、あちこちからタキシードを買い集めてやってまいりました。」
「ところがどういう手違いか中の1人が、ここへ来ないで家にいたのでございました。おまけにあとの2人はどうぞここで演奏して下さい、と言われましたらそこがなんと、舞台装置の裏でございまして顔が全然映りませんでした。」
「初出場の感想はと私が求めましたら3人が答えました、今度は顔が映るんでしょうか?ということでございます。よろしいですか?いい、さあレッツゴー、メリーアン!」

 白組司会の鈴木健二アナが、流暢なエピソードトークを展開します。これは第27回(1976年)、由紀さおりが「つかの間の雨」を歌った年でした。ピアニストの世良譲が参加したステージで、バンドセットの登場は無い上に照明もほぼ暗転状態という演出は、仮に舞台裏でなくても顔は間違いなく映らないカメラワーク。なお自宅にいたのは桜井さんで、実際には手違いではなくNHKから”ベースはいらない”と言われたらしいです。結成4年目、レコードが出せなくなりバックバンドの活動が中心の頃でした。

 そんな長い苦労を経て大ヒットしたのが1983年の「メリーアン」。セールスは1983年オリコン30位ですが、それ以上に『ザ・ベストテン』年間9位という人気が目立つ結果になっています。

 紅白歌合戦のステージですが、黒主体の衣装で近年のイメージから考えると非常に地味です。桜井さんは何も変わっていませんが、高見沢さんは髪の毛も黒く、髪は多少長いものの見た目は全然違います。ギターもごく普通のデザインで、派手という印象からはほど遠いです。坂崎さんに至ってはアフロヘアーにサングラス、1990年代以降とはまるっきり別人で、あらためて本人が見ると間違いなく自虐トークに展開しそうなルックスです。

 演奏はダブルドラムとキーボードのサポート、もちろんアテブリではなく迫力たっぷりの生演奏です(ギターの音はやや小さめですが)。この年の8月に初の日本武道館単独公演、「メリーアン」のヒット前から開催は決まっていたので、ライブバンドとしての評価の高さは紅白歌合戦のステージでもしっかり見せる形になっていました。

 鈴木アナは当時のアルフィーを、「とにかく愉快な3人」と面談時に認識したようです。オープニングに全歌手が紹介される場面があるのですが、その内容も「紅白は有名な方ばかりが出演いたします。僕たちのような民間人でも出演できるのでしょうかと言った愉快なアルフィーでーす!」。これを聞いた桜井さんは思わず笑い、坂崎さんは何とも言えないリアクションを顔で表現していました。

 3つある企画ステージは2つ参加。『紅白俵つみ合戦』では赤い法被を着て米俵を積む様子が確認できます。『日本の四季メドレー』は三波春夫村田英雄先導のもと神輿を担いでいます。他では見られないシーンですが、ただソロ歌手と比べるとどうしても扱いの悪さは否めない所でした。

 そんなこともあって、アルフィーの紅白歌合戦は現在もこの年のみとなっています。1984年・101公演に1985年・110公演という具合で基本的に1年中ライブをするアーティストなので、リハーサルで3日間拘束される紅白歌合戦は休むという選択を選んだのが実情だと思われます(この年以降はほぼ毎年29日前後の大阪城ホールでライブ納めが恒例)。ライブアーティストとしてのTHE ALFEEは現在も健在、40年近く応援を続けているファンも多くいるようです。

 なおアルフィー、ALFEE、Alfee、THE ALFEE、ALFIEなど時期や媒体によって表記が変わることの多いバンド名ですが、1983年の紅白テロップは終始「アルフィー」の表記でした。

C-C-B

第36回(1985年)「Lucky Chanceをもう一度」

作詞:松本 隆 作曲:筒美京平
前歌手:チェッカーズ、柏原芳恵
後歌手:岩崎宏美、山本譲二
曲紹介:鈴木健二(白組司会)

 1983年にメジャーデビューしたC-C-Bは、この年「Romanticが止まらない」で大ブレイク。主題歌になったドラマのヒットだけでなく、様々な色に染められた髪型やドラムが歌うという特異性も歌番組で大きな話題になりました。「スクールガール」「Lucky Chanceをもう一度」もヒットさせて堂々の初出場となります。

 なお選曲については、裏番組でタイアップのドラマ『毎度おさわがせします』第2シリーズが放送されたために(直接的な主題歌は「空想Kiss」)、「Romanticが止まらない」ではなく「Lucky Chanceをもう一度」に決まったという経緯があります(民放ドラマ主題歌だから見送られたという説もありますが、これは「太陽がくれた季節」などの前例があるので違うはずです)。ただその割に、出演は21時40分前後で番組と被る時間帯でした。

 さてこちらも白組司会・鈴木健二が目立っています。歌前に登場する渡辺英樹関口誠人にインタビューするシーンがありました。

鈴木「髪をこのように染めておりまして、いかにも若者・現代風というふうにお思いになるかもしれませんが、実はこうです」
関口「はっきり言って、今日は地味です」
鈴木「なぜ?」
関口「鈴木さんのその服で、私たちが目立つわけないでしょ!」

 白組司会を務めた当時の鈴木アナは、1曲紹介するごとに曲に合わせた衣装を変えるという演出を自らの発案でこなしていました。「NHKのピエロ」と本人が自嘲するほどの内容でしたが、C-C-Bの曲紹介では派手な柄物のスーツにピンクのとさかのような髪が含まれたカツラを被っています。おそらく本人たちも直前まで知らなかったはずで、渡辺さんは出てくるや否や首を傾げて苦笑い。関口さんもインタビューで堪えきれずという表情でした。

鈴木「なぜあなた達は髪を染めようとしましたか?」
関口「あの一応レコード会社の中でですね、僕たちのプロモーションをしようかなと思って、なるだけ派手にしてみたんですけれど」
鈴木「それじゃもう、目立ったからいいじゃないですか」
関口「そうですね。だからあの来年はちゃんと、男の黒髪に戻します」
鈴木「今までどんな音楽を目指してきましたか?」
渡辺「やっぱりハーモニー中心で来ましたけど、やっぱり目立たなきゃいけないんで、みんな僕たちのことを動くテストパターンと、こういう風に呼んでます」
鈴木「さあそれでは、準備をしてください!」

鈴木「メンバーを結成してから一年半でございますが、その間に人気が急上昇してまいりました。話をしておりますと、実にマジメな若者たちでございます。いいですか?では、「Lucky Chanceをもう一度」、C-C-B!」

 笠浩二のボーカルが何かと取り上げられがちなバンドですが、この曲は関口さんの歌い出しで笠さんは中盤のみの歌唱です。渡辺さんがコーラスとハーモニー、米川英之田口智治はほぼ演奏に専念という形でした。田口さんは両手でキーボード2台を演奏、これも紅白歌合戦始まって以来のパフォーマンスです。

 曲紹介は鈴木アナに一本取られた状況でしたが、それでも衣装はかなり派手でした。関口さんはありったけのラメを髪や衣装につけ、間奏では田口さんや渡辺さんの衣装が電飾で光るというパフォーマンスも入れています。ただ電飾に関してはセットのネオンも動きが多かったため、あまり目立っていなかったのが正直な印象でした。

 ちなみにメイクなどを派手にしたのは本番のみで、オープニング登場はピンクの笠さん以外全員が黒色の髪で地味目の衣装でした。三波春夫のステージでは安全地帯のメンバーとともに見送り、こちらでは水色のスーツを着用しています。また渡辺さんはこの年日本一になった阪神タイガース優勝企画に参加、ここでもジュリーにツッコミを入れています(既にレビュー済)。

 翌年は公約通り派手な衣装を封印して髪を黒く戻します。1985年ほどでは無くとも十分ヒット、人気アンケートも11位でありながら歌唱力重視の演出意向のもと落選。ベテラン優先で真っ先に割を食う形になりました。バンドは1989年まで継続、後年一発屋と呼ばれる機会も多い彼らですが、実際には最後までヒットを残す形での解散になっています。

安全地帯

第36回(1985年)「悲しみにさよなら」

作詞:松井五郎 作曲:玉置浩二
前歌手:菅原洋一、松田聖子
後歌手:原田知世、沢田研二
曲紹介:鈴木健二(白組司会)

 1984年の「ワインレッドの心」を筆頭に多くの名曲・大ヒット曲を残している安全地帯も、紅白歌合戦の出場はなぜか1回のみでした。「ワインレッドの心」は1984年オリコン2位・数多くの賞レースにも出演しましたが紅白は辞退。この年もオリコン年間9位・『ザ・ベストテン』年間1位でありながら当初の内定リストに入っていなく「ご意見を伺う会」を経ての出場でした(さすがにアンケート6位なので真っ先に当選でしたが)。

 ステージは松田聖子→安全地帯→原田知世沢田研二と続く4曲連続のコーナーの2番目に登場。聖子さんが結婚後の芸能活動休止中で唯一のテレビ出演、その対戦相手として非常に注目される中のステージでした。ただイントロでの曲紹介は無し、コーナー開始前に「いま一番人気の安全地帯」と軽く触れられる程度です。

 宮殿風のセットが組まれ、玄関から松田聖子とダンサーが退場すると同時にSEが流れます。その後入れ替わりで玉置さんが登場、セットが両側に開いてバンドメンバーが現れるという演出でした。全体的に暗めの照明で、雰囲気バッチリです。ただ黒魔術風の踊りを両サイドに3人入れる演出は、少し余計だったかもしれません。

 TVサイズだと1コーラス半で終わることも多かったのではないかと思われますが、紅白は2コーラスでラストサビも入るという構成でした。もちろん生演奏で、演奏時間も当時の初出場ではあまりない3分超。国民的大ヒット曲・人気を考えれば厚遇ではなくむしろ当然とも言える演出ですが、確かに時間の制約が多い番組側にとってはやや扱いにくいのかもしれません。

 応援出演はC-C-B同様少なめで、三波春夫のステージ冒頭に登場したくらいです。なお真っ先に登場して先生にマイクを渡したのは、キャバレーの従業員みたいな服装の玉置さんでした。あとはエンディング、全歌手が狭い真ん中の通路からエプロンステージに移動する中で、ひとり粋に扇子を振りながら端に移動する玉置さんがバッチリ映っています。

 翌年の「プルシアンブルーの肖像」「Friend」も十分ヒットしていますが前2年ほどではなく、そこがアンケート6位ながら落選する理由になったのかもしれません。とは言え特に当時の若い視聴者にとって納得できない人選であったことは、間違いないと思われます。なお玉置さんはソロで第47回(1996年)に「田園」で出場、第71回(2020年)にも同曲で特別出演しています。歌唱力の高さは当時から折り紙付きでしたが、安全地帯の時は今ほどその上手さが力説されていなかった印象もあります。

竜童組

第38回(1987年)「八木節イントロデュース」

作詞・作曲:宇崎竜童
前歌手:加山雄三、松田聖子
後歌手:佐藤しのぶ、(応援合戦)、五輪真弓
曲紹介:加山雄三(白組司会)、吉 幾三

 第38回は多ジャンルから出場歌手を選出するという方針で、オペラの佐藤しのぶやシャンソンの金子由香利などが初出場となりますが、民謡から呼ばれたのは彼らでした。1985年結成以降、ロックに和楽器を取り入れた音楽は海外のコンサートなどでも話題になっていましたが、さすがに紅白出場は当時誰も予想していなかったようです。「八木節イントロデュース」は1stアルバム『竜童組』の1曲目に収録、紅白では江利チエミが第10回(1959年)と第19回(1968年)で披露している群馬県民謡ですが、ステージはそれらと大きく異なる内容でした。

 曲紹介のくだりはこちらを参照して頂くとして、ステージは舞台袖から竜童さんが登場してまずは挨拶。踊りを交えたパフォーマンスを披露します。”三角野郎”の歌詞が”Rock’n Roll野郎”になるなど、「八木節」ベースに歌詞が少し改変されているようでした。

「さて、それでは!日本でもっともファンキーな祭りの掛け声!Everybody, ワッショイコール!いくぜ!」

 1コーラス終了後、竜童さんの掛け声から始まる「ワッショイ」と「ハァ~~~~」のコール&レスポンス。これは紅白歌合戦で初となるコール&レスポンス演出です。こういった演出は本番前にスタッフ指導のもと練習するのが恒例ですが、当時それがあったのかどうかは不明です。観客の表情は、必ずしも全員がノリノリという印象では無さそうです。ただ会場の掛け声は、しっかりテレビ放送でも乗っていました。

 もう1コーラス終わった後、ラストは三三七拍子を交えた締め。これについてはさすがに紅組司会のアッコさんから、「三本締めなんかしちゃって、白組はもうおひらきですかね?」とツッコミを入れられてしまいました。

 ステージは10人体制、ただ正式なメンバーの把握はやや難しいです。もっとも40組57名の出演のアナウンスから逆算すると、やはり10名で正しいようです。実際オープニングの紹介も全員が紫色の衣装で登場、宇崎さんが若大将とガッチリ握手を交わしていました。

 いわゆるロックと和の融合は、1980年代中盤から始まったのではないかと思われます。伊藤多喜雄も同時期にデビューしてバンドスタイルと民謡の並立を指向、第40回(1989年)の紅白歌合戦に初出場しました。また2014年には和楽器バンドがメジャーデビュー、日本のみならず海外でも大きな実績を残しています。

男闘呼組

第39回(1988年)「DAYBREAK」

作詞:大津あきら 作曲:Mark Davis
前歌手:少年隊、工藤静香
後歌手:中森明菜、近藤真彦
曲紹介:加山雄三(白組司会)、細川たかし、新沼謙治、サンプラザ中野

 ジャニーズ事務所設立以来初のロックバンド、テレビでのパフォーマンスは既に前年からこなしていました。この年8月「DAYBREAK」で満を持した形のデビュー、当時では珍しいカップリング違い4種発売ではありますが合算でのセールスはオリコン年間4位、大ブームを起こした光GENJIの3曲に次ぐセールスを記録します。それでもさすがに1年目ということもあって当初は選ばれませんでしたが、「抱きしめてTONIGHT」の大ヒットで2年ぶり復帰が発表された田原俊彦が意地の辞退宣言。そのため同事務所の後輩である彼らが代役として初出場となります。最初から選ばれても不思議でないヒットでしたが、21組中ジャニーズで5組というのは…という点はやはり考慮されたのではないかと思われます。

 グループ名がグループ名だけに、曲紹介では「男の中の男」と呼称されます。バンドスタイルなので若干準備がかかるため、やや長めに白組歌手陣とのやり取りがあります(内容は若大将の司会記事で触れているので省略)。本来はイントロからAメロに入るアレンジですが、この紅白はサビ1コーラスからイントロに入る形でした。歌番組ではアテブリも多いと言われる彼らですが、ステージはサポートも含めて生演奏のようです。

 キーボードの前田耕陽以外は全員が演奏しながらボーカルという印象ですが、核はCメロのソロを担当する成田昭次のようです。艶があって伸びのあるボーカルが絶品でした。ただ直後、その成田さんが歌詞を間違えるハプニング発生。横にいた岡本健一が思わず彼を見て微笑、その後に映る成田さんは表情が顔に出ている様子でした。とは言え力強いパフォーマンスは間違いなく、男の中の男と言われるのは伊達ではないという内容はしっかり見せていました。

 既に他の歌手のレビューでも書いてある通り、この年はステージ以外における歌手の見せ場が少ない年です。オープニングの入場行進で颯爽と紙テープを飛ばし、女子ファンから大声援を受けたのが唯一の見せ場でした。

第40回(1989年)「TIME ZONE」

作詞:大津あきら 作曲:Mark Davis
前歌手:少年隊、工藤静香、(一般審査員紹介)
後歌手:中山美穂、光GENJI
曲紹介:武田鉄矢(白組司会)

 バンドの準備のため、一般審査員16名の紹介が一旦挟まれた後のステージです。「男の闘志を呼ぶと書いて男闘呼組、「TIME ZONE」!」と実にシンプルな曲紹介でした。

 前回は成田さんが目立っていましたが、この曲は高橋一也が冒頭ソロパートを担当。サビは成田さんが中心になっています。キーボードなのでどうしても動きに制約のある前田さんは損している印象もありますが…。なお岡本さんはコーラスがメイン、オープニングなどではおろしていますが、ステージでは長く伸ばしていた髪を後ろでくくっていました。

 「TIME ZONE」は1989年オリコン16位の売上ですが、その年下半期以降は人気が落ち始めた時期でもありました。翌年はシングルリリースが1月の「DON’T SLEEP」のみ、忍者と入れ替わりで落選となります。バンドは1993年に解散しますが芸能活動は4人とも継続、特に高橋さんと岡本さんは現在でも俳優として見る機会が多くなっています。

爆風スランプ

第39回(1988年)「Runner」

作詞:サンプラザ中野 作曲:Newファンキー末吉
前歌手:吉 幾三、岸千恵子
後歌手:島田歌穂、タイム・ファイブ
曲紹介:加山雄三(白組司会)

 歌う前に登場するサンプラザさん、紅白ということで表情には見せませんが多少緊張気味。「もちろん」という所を、噛んで「もろ」と言ってしまいます(やり取りは既に加山さんの記事で紹介済)。

 いまや日本の名曲と言っても差し支えない「Runner」ですが、当時の彼らはバンド名くらいなら知っていてもまだヒットしていない頃。ヒットチャートのTOP10に登場したのは年が明けてからで、どちらかというと紅白歌合戦のパフォーマンスが話題になって大ヒットしたという曲です。平成以降「千の風になって」などこういった事例はたびたび見られるようになりますが、昭和でこういった現象が起こるのは大変珍しいことでした(そもそも先読みするような紅白出場がほとんどありません)。多ジャンルの選出は前年から続いて、この年はロック代表として彼らが選出されたという形です。NHKでは紅白より前に、音楽番組『ジャストポップアップ』での演奏が話題になったというエピソードもあるようです。

 キーボード2名のサポートもありますが、基本はほぼメンバー3人の生演奏とサンプラザさんのまっすぐな歌声。まだ国民的ヒット曲とは言えない状況でしたが、2コーラス半でカット僅か・3分30秒近いパフォーマンスは楽曲の魅力を伝えるにあたって大変素晴らしい構成でした。やや過剰に思えるドライアイス噴射演出も、熱のある演奏・歌声と非常によく合っています。この年の紅白歌合戦は非常にシンプルな演出ですが、その方針も「Runner」のパフォーマンスにマッチしていました。

 前述した通り爆風スランプはこの「Runner」でブレイク、さらに「リゾ・ラバ -Resort Lovers-」も大ヒットして2年連続紅白出場に至ります。なおベースの江川ほーじんはこの曲限りで脱退のため紅白出場はこの時のみ、「Runner」は彼の姿をなぞらえて作られたというエピソードが存在しています。

 サンプラザさんは他の歌手の曲紹介などにも積極的に出演、元々テレビでも目立つパフォーマンスを多くやっていたので納得できる所でしょうか。歌手席の応援も、やはり彼のルックスは遠目からでも目立っていました。

第40回(1989年)「大きなたまねぎの下で~はるかなる想い」

作詞:サンプラザ中野 作曲:嶋田陽一
前歌手:アラン・タム、キム・ヨンジャ
後歌手:佐藤しのぶ、堀内孝雄
曲紹介:武田鉄矢(白組司会)、デーモン小暮

 2年連続出場した紅白歌合戦で選曲されたのは、10月にリリースされたバラード曲でした。1985年にリリースされたアルバム曲のリメイク、こちらも彼らを代表する名曲です。日本武道館を題材にした楽曲、現在は地下鉄東西線の九段下駅で流れる駅メロとしても定着していると言って良いでしょうか。

 曲紹介にはデーモン小暮閣下も登場。ああ見えても総理大臣(当時は海部俊樹)と同じ大学を出てると紹介しますが、横にいる武田さんからは「デーモン閣下も同じ大学だったと聞きましたけど」「プロフィールにちゃんと書いてありましたよ」とツッコミを入れられます。ステージは真っ白な衣装でキーボードのサポート2名参加、ベースはバーベQ和佐田に代わっています。なお聖飢魔IIの曲紹介にも、サンプラザさんが同様に出演していました。

 前年同様歌声は熱かったですが、曲調が全く違うのでロックという印象ではありませんでした。なおオープニングでは、1組ずつ紹介される際にサンプラザさんとハゲヅラを被ったパッパラーさんがキスをしています。

 翌年の長期休養の間に新しいバンドが多数ブレイクしたこともあって3年連続出場は実現せず、その後もヒット曲はあるものの紅白出場はこの2回のみとなっています。なお2回ともテロップの表記は、「爆風スランプ」ではなく「BAKUFU-SLUMP」でした。

TM NETWORK

第39回(1988年)「COME ON EVERYBODY ’88 FINAL MEGA-MIX」

作詞・作曲:小室哲哉
前歌手:タイム・ファイブ、益田宏美
後歌手:佐藤しのぶ、加山雄三
曲紹介:加山雄三(白組司会)

 1980年代後半はEPICソニーから新しい機軸のミュージシャンが続々ブレイクしましたが、その1組がTM NETWORKです。「Get Wild」「Love Train」など多数のヒット曲があるものの紅白出場はこの年のみ、というより他の年は辞退していたというのが実際の所だと思われます。事実、楽屋もNHKホールではなく自分達で用意したバスを使ったというエピソードが残っています。さすがにオープニングは出演していますが(爆風スランプと一緒に入場)、他の場面に出演した様子は一切ありません。エンディングは後ろの方で白組勝利の瞬間の際に、一瞬だけチラッと映っていることが確認できます。

 ステージも間奏含めガッツリフルコーラス、演奏時間は5分16秒を記録しました。第30回(1979年)で「関白宣言」を歌うさだまさしでも4分台だったので、昭和の紅白では最長時間となっています。もっともこの記録は、第41回で長渕剛があっさり抜く形になりましたが…。またメドレーではない1曲で”’88 FINAL MEGA-MIX”とサブタイトルが付加されるのも当時史上初でした。

 もちろんステージは、実際のワンマンライブさながらと言って差し支えない大迫力の内容でした。宇都宮隆のボーカルや動きも非常にキレキレで、まさに全盛期のTM NETWORKを体現しています。もっとも彼は実際のコンサートでも歌詞を間違えることが多いようで、紅白も例外ではなく2番ラストの歌詞を間違えて舌を出すリアクションを見せていました。何もこんな所までライブと同じにしなくても…と思ったファンは、結構多くいたのかもしれません。サポートミュージシャンも数名、その中にはB’zのメンバーとして同年メジャーデビューした松本孝弘も含まれています。

 小室さんの紅白は1990年代以降がむしろ本番で、第45回(1994年)~第51回(2000年)まで自身がプロデュースした楽曲を紅白に多く送り出しています。自身もH jungle with tで1回、globeとして3回、ゲストミュージシャンとして2回と6年連続出演する形になりました。TM NETWORKは1994年に一旦終了しますが、その後活動再開。今年もライブツアーが開催される予定になっています。

聖飢魔II

第40回(1989年)「白い奇蹟」

作詞:デーモン小暮 作曲:エース清水
前歌手:沢田研二、小比類巻かほる
後歌手:杏里、市村正親
曲紹介:武田鉄矢(白組司会)、サンプラザ中野

 メタル系バンドとしては史上初の紅白出場、当時大きな話題になりました。もっとも「蝋人形の館」「EL・DO・RA・DO」辺りの選曲はやはり難しいようで、歌唱曲「白い奇蹟」は小教典(シングル)曲とは言えバラード、したがって悪魔的パフォーマンスはやや難しい部分があったようです。

 とは言えオープニングはドライアイスが噴射される中でステージ下のオーケストラピットから登場、激しいギター演奏になぜかゴジラの鳴き声まで入る中、「どいつもこいつも愛の歌を歌いおって!フハハハハ……、聖飢魔II!」と激しいオープニング。もっとも曲は先ほども記述した通りのバラード、サポートメンバー(もちろん彼も悪魔の姿です)のキーボード演奏をきっかけに朗々と閣下の伸びのある歌声が展開されます。

 床や天井から舞うドライアイスの演出が非常にしっくり来る大変スケールの大きなステージは、間奏で早くも会場の拍手が入る素晴らしさでした。ただ邪悪な雰囲気は一切ありません。「また逢おう!フハハハハ…」の一言で締められますが、紅組側の感想もほぼ同様でした。ただ内藤さんの一言はさすがに禁句のような気はします。

紅組司会・三田佳子「なんだかあのー、見かけは怖いですけれどね、中身はすごいロマンティックなグループのように感じましたけど」
佐藤しのぶ「なんですか聖飢魔IIさんは普段でもああいうお顔なさっていることをうかがって、ビックリしてるんですけど」
内藤やす子「なんか…お化粧することがポリシーみたいですよ」

 この年から紅白が2部制となり、「昭和の紅白」と題して放送されたオープニングは「東京ブギウギ」歌唱でしたが、演歌中心のベテラン歌手の中にしっかり紛れ込んでます。こういうのに参加するバンド系歌手は異例も異例です。なお2部の「平成の紅白」開始の際に1組ずつの紹介あり、「愉快痛快、聖飢魔II!」という『怪物くん』みたいなキャッチフレーズがつけられていました。

 曲紹介は先述した通り、大学の先輩のサンプラザ中野が白いトレーニングウェアと鉢巻姿で登場。電報ではなく当時新しい商品であったFAXによる、「南極の氷はみんな真っ白、白組頑張れ」という昔と何も変わらないメッセージにズッコケた後、「聖飢魔II、頑張るのだ!」と応援します。

 聖飢魔IIは1999年に予定通り活動終了しますが、閣下は現在も例の姿で活動しています。角界に大変精通している閣下はNHKの大相撲中継にもゲスト出演、初出演した際は「紅白よりも緊張した」と話していました。

 

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