1962年・第13回の紅白歌合戦で颯爽と初出場した弘田三枝子は当時15歳。彼女は戦後生まれ初の紅白歌合戦出場歌手のひとりでした。洋楽オールディーズから歌謡曲に至るまで、高い歌唱力で聴衆を魅了し続けた彼女の芸能史は波瀾万丈の一言に尽きますが、1971年までの紅白出場期でも特に歌唱曲は大きく変化しています。通算8回の出場を、ここでは1つずつ振り返っていきます。
弘田三枝子の紅白データ~8回分のまとめ
出場回 年齢 |
歌唱曲 | 作詞者 作曲者 |
発売日 | 曲順 | 主なデータ | 主な受賞 | 他の発売曲 |
第13回 (1962年) 15歳 |
ヴァケーション | 漣 健児 (洋楽) |
1962/10/XX | 紅3/25 全体6/50 |
・子供ぢゃないの ・すてきな16才 |
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第14回 (1963年) 16歳 |
悲しきハート | みナみカズみ (洋楽) |
1963/7/XX | 紅1/25 全体1/50 トップバッター |
・マック・ザ・ナイフ ・私のベイビー |
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第15回 (1964年) 17歳 |
アレキサンダーズ・ ラグタイム・バンド |
(洋楽) | (未発売) | 紅16/25 全体31/50 |
・若い街角 ・ひとつぶの真珠 ・砂に消えた涙 |
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第16回 (1965年) 18歳 |
恋のクンビア | 三浦康照 和田香苗 |
1965/8/20 | 紅14/25 全体27/50 |
・ナポリは恋人 ・可愛いマリア ・夢みるシャンソン人形 |
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第18回 (1967年) 20歳 |
渚のうわさ | 橋本 淳 筒美京平 |
1967/7/10 | 紅17/23 全体34/46 |
・世界の国からこんにちは ・枯葉のうわさ |
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第20回 (1969年) 22歳 |
人形の家 | なかにし礼 川口 真 |
1969/7/1 | 紅13/23 全体26/46 後半紅組トップ |
1969年オリコン年間18位 | ・日本レコード大賞歌唱賞 | ・私が死んだら |
第21回 (1970年) 23歳 |
ロダンの肖像 | なかにし礼 川口 真 |
1970/8/25 | 紅8/24 全体15/48 |
オリコン週間最高33位 | ・燃える手 ・できごと |
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第22回 (1971年) 24歳 |
バラの革命 | 島村葉二 いずみたく |
1971/3/10 | 紅22/25 全体44/50 |
・裏庭の出来事 |
第13回(1962年)「ヴァケーション」
ステージ
日本語詞:漣 健児 作曲:Connie Francis, Hank Hunter
前歌手:大津美子、飯田久彦
後歌手:芦野 宏、中原美紗緒
曲紹介:森 光子(紅組司会)
映像が全く残ってないので何とも言えませんが、初出場を果たした彼女は当時15歳と10ヶ月。ソロ歌手では河野ヨシユキ・オユンナ・森 昌子・松浦亜弥に次ぐ歴代5位の記録です。そして何より特筆すべきは、中尾ミエとともに戦後生まれの紅白歌合戦出場歌手第1号ということ。彼女の存在自体が、当時の人々にとって新しい時代の象徴だったのは間違いありません。
「ヴァケーション」は現在まで歌い継がれているオールディーズナンバーで、一文字ずつアルファベットを連呼する歌い出しに大きなインパクトのある曲です。映像は残っていませんが音声は残存、かなり速いテンポの演奏をバックに超パワフルな歌声を披露しています。
第14回(1963年)「悲しきハート」
ステージ
日本語詞:みナみカズみ 作曲:John Francis Schroeder
前歌手:(オープニング)
後歌手:田辺靖雄、仲宗根美樹
曲紹介:江利チエミ(紅組司会)
レビュー:第14回(1963年)NHK紅白歌合戦~その1~
「パンチの効いたミコちゃんちょっと出てきて!」「ミコちゃん、「悲しきハート」でもってバンバンとハッスルして」「バンバン!、とね!」。
紅組司会・江利チエミの呼びかけに明るく応えるミコちゃん、既に16歳とは思えない貫禄を身に着けています。冒頭から観客に手拍子を求める動きは、既に数多くの現場を経験している慣れもあるように見えました。堂々のトップバッターというわけですが、これは即ち映像として現存している紅白歌合戦最古のステージになります。
応援など
この時期は歌以外で出場歌手が目立つ場面は少なく、歌手席も舞台端にあるパイプ椅子でセットと一体化されておらず映る機会は多くありません。そのため映り込みでいかにインパクトを残せるかという状況ですが、前半では江利チエミ「踊り明かそう」のステージで一緒に英語で歌う歌手席のミコちゃんを確認できました。後半ではなんとスパーク三人娘のステージに乱入して「キューティ・パイ」を一緒にダンス。それ以外でもかなり天真爛漫に楽しむ様子が映り込んでいて、紅組歌手の中で一番この場を楽しんでいる印象もありました。
第15回(1964年)「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」
ステージ
作詞・作曲:Irving Berlin
前歌手:ペギー葉山、フランク永井
後歌手:植木 等、青山和子
曲紹介:江利チエミ(紅組司会)
「いつもハッスル、もうとってもハッスルしている弘田三枝子さんです」。
その明るい性格は既に広く知れ渡っていましたが、この年は東芝からコロムビアへのレコード会社移籍で少しゴタゴタします。その影響をもっとも受けたのがこの紅白歌合戦の選曲で、コロムビアは移籍後12月に発売されたばかりの新曲(おそらく「はじめての恋人」か「砂に消えた涙」)を、一方NHKは東芝にいた頃の曲(「若い街角」「恋と涙の17才」「ひとつぶの真珠」など)を推したそうです。結局はその折衷案として、第8回(笈田敏夫)・第9回(水谷良重・東郷たまみ・沢たまき)で歌われたジャズのスタンダードナンバー「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」の歌唱となりました。現在ではもちろん、当時でもおそらく考えられなかった選曲ではないかと思われます。ただシングル曲ではないものの、LP『スタンダードを唄う』収録の1曲としてレコーディングは既にされていました。
若さと勢いで押した印象もあった前2年と違い、この曲のオープニングはピアノ演奏のみバックで聴き入る歌声が耳に残ります。スローに聴かせる彼女の歌声は紅白だと貴重ですが、本編に入ってからは類稀なリズム感と声量がひたすらスパーク。フィナーレまで突っ走る歌声はまさに彼女の真骨頂、音声だけでも「天才」という単語が紅白史上もっともしっくりくる凄まじい内容でした。
第16回(1965年)「恋のクンビア」
ステージ
作詞:三浦康照 作曲:和田香苗
前歌手:岸 洋子、アイ・ジョージ
後歌手:ジャニーズ、吉永小百合
曲紹介:林美智子(紅組司会)
「さあここで紅組は強力パンチを繰り出します。ファイティング原田さんもノックアウトされそうな曲です。ミコちゃ~ん!弘田三枝子さん「恋のクンビア」!」。
この年のポップスはまだ洋楽カバーが中心ですが、「恋のクンビア」は三浦康照・和田香苗コンビのオリジナル曲。他の代表曲は紅白で歌われたものだと、冠二郎「炎」があります。
クンビアは南米コロンビアで伝わるラテン音楽の一種で、この手の曲はJ-POPでもたびたびブームになります。ただ1965年のヒット界隈で考えるとかなり異質なサウンド。それを彼女らしい節回しで歌うのですから、気がつけば自然に名ステージになるわけです。なお歌い終わった後、白組司会の宮田輝はこうコメント。「聴いてましてもなんかこうセカセカして来ましてね」。
応援など
新婚したばかりだったペギー葉山の曲紹介では、司会の林美智子に耳打ちする役として吉永小百合と一緒に登場。また田代美代子がいないのに「愛して愛して愛しちゃったのよ」を歌う和田弘とマヒナスターズに向かって、立ち上がり率先して野次を飛ばす一幕もありました。
第18回(1967年)「渚のうわさ」
ステージ
作詞:橋本 淳 作曲:筒美京平
前歌手:扇ひろ子、バーブ佐竹
後歌手:荒木一郎、黛ジュン
曲紹介:九重佑三子(紅組司会)
前回第17回は出られずでしたが、この年2年ぶりに復帰。1966年以降は洋楽カバーから離れて和製ポップスのリリース、その中でこの年は各社競作の「世界の国からこんにちは」に日本コロムビア盤代表として吹き込み・リリースもありました。
「渚のうわさ」はレコード30万枚近く売り上げる大ヒット。オリコンでの集計開始が翌年年始以降なので、具体的な数字は惜しくも出ていない状況です。ただこの曲の歌謡史においてより重要な部分は、作曲家・筒美京平の初ヒット作であること。通算64曲・歴代2位の記録を持つ彼の紅白歌合戦初歌唱作品でもあります。ステージは1コーラス半、いわゆる彼女らしい節回しはサビ最初に出る程度でかなり抑えめ。穏やかな渚の風景をそのままイメージしたようなパフォーマンスです。
応援など
全編放送が無いので断片的ではありますが、この年も山本リンダ「こまっちゃうナ」でダンス、島倉千代子「ほれているのに」でコーラスなど積極的な活躍でした。
第20回(1969年)「人形の家」
ステージ
作詞:なかにし礼 作曲:川口 真
前歌手:三波春夫、(応援合戦)、橋 幸夫
後歌手:佐川満男、黛ジュン
曲紹介:伊東ゆかり(紅組司会)
「紅組女性軍・後半のトップバッター。女性ならばやけつくような恋をしてみたい。そんな女心を堂々と歌い上げます。弘田三枝子さん「人形の家」」。
オリコン週間1位獲得、日本レコード大賞歌唱賞受賞の大賞候補。後半戦トップバッターは前回までだと江利チエミの定位置、重要な曲順を任されています。
歌手席からステージに向かう階段上で歌唱、暗転に近い状況の中で紅組歌手席の横で彼女にスポットライトが当たります。2コーラスフルで聴きたいところですが2番は前半カットで1コーラス半、とは言え歌声は文句のつけようのない圧巻の内容。最後のロングトーンでは少し音程を動かすアレンジつき、見事なものでした。
応援など
この年から日本レコード大賞は大晦日放送になりました。帝国劇場と東京宝塚劇場は至近距離ですが、それでも僅かな移動時間で大急ぎ。その際に思いがけず美空ひばりと一緒に車に乗った顛末は、各所でエピソードトークとして語られています。そのためオープニングの衣装は日本レコード大賞と同様、前半はこの衣装のまま歌手席で紅組を応援していました。
この年もう一つのハイライトは応援合戦、伊東ゆかりとザ・ピーナッツとともにポピュラーソングメドレーを披露。1969年当時に流行した洋楽5曲の歌唱でしたが、こちらも圧巻も圧巻。「LOVE ME TONIGHT」の準アカペラからアップテンポの畳み掛け、「LET THE SUNSHINE IN」では当時日本の歌手で披露した人はほとんどいないであろうフェイク。2組とも1960年代前半オールディーズを多数レコーディングした同士、チームワークも抜群でした。
その後に白組応援(ザ・ドリフターズ)、橋幸夫を挟んですぐ自らのステージ、曲紹介するのは紅組司会の伊東さん。間奏では笑顔で拍手、弘田さんに向けてエールを贈る伊東さんの様子も映っています。終盤・エンディングでは比較的シンプルな服装で登場、これもこれでまた存在感を出す形になっているように感じました。
第21回(1970年)「ロダンの肖像」
ステージ
作詞:なかにし礼 作曲:川口 真
前歌手:佐良直美、鶴岡雅義と東京ロマンチカ
後歌手:美川憲一、ピンキーとキラーズ
曲紹介:美空ひばり(紅組司会)
「人形の家」と同じ制作陣、前年に続いてのバラード大熱唱でした。歌い出しで”ミコいいぞ!”と観客席から送られています。1コーラス歌った後、2番は後半のみの歌唱という構成も前年とほぼ同様でした。
ただ髪型やメイクは、前年と大きく異なっている印象もあります。参考までに、自らのダイエット経験を踏まえた『ミコのカロリーBOOK』を出版してヒットしたのもこの年でした。
第22回(1971年)「バラの革命」
ステージ
作詞:島村葉二 作曲:いずみたく
前歌手:真帆志ぶき、布施 明
後歌手:鶴岡雅義と東京ロマンチカ、佐良直美
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)
レビュー:第22回(1971年)NHK紅白歌合戦~その7~
「さてこちらは素敵な彼女でございます。彼女にピッタリの歌「バラの革命」、弘田三枝子さんどうぞ!」
ティーンの頃は前半で歌うことの多かった紅白歌合戦ですが、デビュー10年でベテランの域に達した1971年ともなると終盤での歌唱がしっくりくるようになります。時間が押しているため1ステージごとの余韻は無く次々と進行、歌の前後ともにカメラの切り替える間もない状況でしたが、それがまたしっくり来る貫禄のステージでした。ファッションで魅せる歌手という側面もある彼女、ややシースルー気味の赤生地に金色のロングスカートという衣装も大変映えています。紅白8回目という実績に相応しい、素晴らしい歌唱のステージでした。
応援など
応援の方は1960年代と比べて目立つシーンは少なくなりましたが、序盤ピンキーとキラーズのステージでは他の歌手と一緒に軽く踊る場面が見られます。衣装の色はなんと金色、動きはともかく色彩的には赤い服のピンキーよりも目立っています。終盤では歌う衣装のまま水原弘のステージに参加、”歌手かモデルかホステスか”の歌詞でホステス呼ばわりされていました。
なおこの年は巻き気味の髪型で、第16回に近いですがメイクで大きな違いを見せています。「人形の家」を歌った2年前と比べても、大きく異なる印象は正直ありました。
おわりに
1971年の時点でレコードセールスは大きく落ち、翌年は大きな入れ替わりの波に飲まれる形で落選。その後は海外に目を向けるなど活動内容の大きな変化もあって、紅白歌合戦とは距離を置く形となります。あの桑田佳祐や山下達郎が憧れた存在である彼女、「チャコの海岸物語」の2番に登場するミーコは彼女の愛称がモチーフになっているのは有名なエピソード。
リアルタイムを知る人、1960年代オールディーズ~昭和40年代歌謡曲を愛好する人にとって、彼女が欠かせない存在であることは言うまでもありません。あらためて、もっと再評価されてほしい歌手の一人です。
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