紅白歌合戦・西城秀樹の軌跡~ステージ編(1974~1982)~

 西城秀樹も映像ソフトは大変充実していて、NHK・フジ・TBSからそれぞれ商品が発売されています。ただレコ大やベストテンなどをまとめたTBS版は、Amazonで検索する限り在庫切れのようでした。それだけ彼の人気が現在も高いということです。というわけで紅白歌合戦の出演シーンを振り返る記事、前半は第25回(1974年)から第33回(1982年)まで紹介していくことにします。

第25回(1974年)「傷だらけのローラ」

ステージ

作詞:さいとう大三 作曲:馬飼野康二
前歌手:(オープニング)
後歌手:山口百恵、中条きよし
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 西城秀樹の初出場は、白組司会・山川静夫にとって初めての曲紹介でもありました。テレビ実況ではさらに、「初出場です。メンバー中最も背が高い1m82cm」とアナウンス。190cm台の出場歌手もその後出ていますが、これ以前に180cm台の歌手はほとんどいなかったのではないかと思われます(未確認ですが、日本人の平均身長の推移を考えると…)。

 こちらの本編レビューやデータ編でも書きましたが、仮面のようなアイマスクをして登場した歌手は過去にいません。カメラの回転やドライアイスの使用も既に書いた通りです。そもそもこれだけアクションを駆使してパフォーマンスする歌手自体、日本の音楽界では西城秀樹が初めてだったのではないかと思われます。また当時の紅白は2分台前半が主体でしたが、このステージの演奏時間は2分46秒。1974年の紅白では10位以内に入る持ち時間でした。

応援など

 オープニングはあいうえお順で登場する入場行進の際に一瞬だけ映ります。銀色のスーツで北島三郎堺正章の間、郷ひろみは先頭でプラカード持ち担当でした。その後のセレモニーには不参加、すぐに本番の衣装替えに入ります。

 その後は白いスーツに着替えて歌手席、白組3組目の三善英史のステージで早くも応援している姿が確認できます。初の新御三家揃い踏み、郷ひろみ「花とみつばち」では野口五郎と一緒に後ろでダンス。

 番組中盤では中間審査の後になぜか餅つきのパフォーマンス。祭りのハッピを着ている姿が確認できます。その後は村田英雄「皆の衆」で手拍子するシーンもあり。ただ既にスターとは言えやはり初出場なので、全体的にステージ以外で目立つシーンは少なめ。「蛍の光」もまだ後方でチラリと映る程度です。

第26回(1975年)「白い教会」

ステージ

作詞:たかたかし 作曲:馬飼野康二
前歌手:和田アキ子、(中間審査)、桜田淳子
後歌手:佐良直美、殿さまキングス
曲紹介:山川静夫(白組司会)
踊り:スクールメイツ

「情熱という古い言葉が、ヒデキの飛び散る汗に表れ、いま新しく蘇ります。青春の情熱を叩きつける今いちばん熱い歌手、西城秀樹さん「白い教会」。」

 桜田淳子の歌唱後すぐに演奏開始。オープニングはパイプオルガンの演奏から始まります。歴代の紅白歌合戦でもあまり使用されていないNHKホール備え付けの楽器ですが、1970年代の落成直後は比較的使われる機会も多くありました。ステージはセットでなく照明のみで十字架を表現、曲名テロップにも会の頂点に十字架が付加されています。暗転にスポットライトが当てられるステージ、100人近いスクールメイツのメンバーが光のろうそくを使ったパフォーマンス。白いマントに身を包むヒデキは、イントロが始まるとバッと脱ぎ捨てて十字のポーズ。神々しいオープニングです。衣装そのものは特に派手ではないですが、首にかけた十字架のネックレスが大きなアクセントになっています。

 楽曲は前年の「傷だらけのローラ」同様、激情型のバラードです。まだ2回目ですが、舞台上手側に専属バンドを引き入れているのも確認できます。ただこの年は全体的に白組オケの音が大きく、ラストは太鼓の音がやや過剰気味にも聴こえます。西城さんは声と動きに力があるので成立していましたが、並の歌手だとおそらく声が演奏に負ける状況だったのではないかと想像できます。

 大量のダンサーが曲を盛り上げる演出は前年の菅原洋一やその前の上條恒彦、小道具を使う踊りも一応前例はあります。セット代わりに照明で代用する演出も、この年は雪を降らせる三善英史「細雪」で使用されています。そのため紅白史上初という試みは無かったですが、総合的に見るとやはりこの年も目新しいステージであることは間違いありません。

応援など

 オープニングは前年のステージ衣装に近い黒づくめ、帽子に大きな羽根をつけています。高身長なので衣装まで合わせるとかなりの高さ、スーツにも光り物を入れているのでかなり目立っています。よく見るとメインのステージより派手な印象です。

 この年もハッピを着用しているシーンあり。三波春夫「おまんた囃子」が白組歌手全員参加お祭り騒ぎのステージでした。

第27回(1976年)「若き獅子たち」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:馬飼野康二
前歌手:内山田洋とクール・ファイブ、佐良直美
後歌手:和田アキ子、(中間審査)、桜田淳子
曲紹介:山川静夫(白組司会)

「続いての白組は、白銀のたてがみを美しくなびかせる若獅子の登場です。ブロウアップ・ヒデキ、ヒデキの爆発です。今日は全国のライオンズクラブの皆さんが、頼もしい味方についております。何しろ歌がヤングライオン、「若き獅子たち」西城秀樹さん!」

 男女のコーラス隊が両脇に迎える形で中央奥から入場。紺色の衣装で熱唱します。こちらもサビで思いっきり歌い上げるバラードですが、過去2回と比べると若干の余裕もあるようです。ハイライトはやはりサビ2回目、自身が右手を掲げるアクションを合図に天井から白いテープが降る演出。データ編でも書いた通りこの演出がステージで採用されるのは紅白史上初めてですが、あたかもヒデキがスタッフを動かしたように魅せるパフォーマンスが見事でした。この時代、ひろみやゴローはおろかジュリーでさえも紅白でやっていない演出です。度肝を抜かれた視聴者も、放送当時多かったのではないでしょうか。

 なおライオンズクラブを引用した曲紹介については、全国のライオンズクラブ会員から「いつ俺がヒデキの味方をすると言った!」とかいうクレームの電話が多くあったらしいです(山川静夫アナのエッセイより)。またプロ野球のライオンズは現在の西武ではなくまだ福岡野球時代、太平洋クラブからクラウンライターに命名権が映った時期で成績も低迷。紅白の曲紹介で使えるような状況では全くありませんでした。

応援など

 郷ひろみ「あなたがいたから僕がいた」のステージに参加。ただ2年前の新御三家揃い踏みではなく、新沼謙治布施明なども加えた曲と特に関係のない振付でした。

 番組中盤では北島三郎とともに、東京浅草小鈴会のはしごパフォーマンスに参加。左手と左足のみがはしごにかかった状態で、3メートル近くの高さで様々なポーズを披露しています。

 番組終盤は帽子も含めて真っ白なタキシード着用でした。この年のエンディングの白組側は黒い衣装が多かったので、引きの映像だと特に目立っています。

第28回(1977年)「ボタンを外せ」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:馬飼野康二
前歌手:野口五郎、岩崎宏美
後歌手:
キャンディーズ、(中間審査)、森田公一とトップギャラン
曲紹介:山川静夫(白組司会)

「好勝負が続きます。今度は西城秀樹さんとキャンディーズの、これも見逃せない一番となりました。飛び散る汗、素晴らしいアクション、そしてあのリズム感。ヒデキが1回のコンサートを終わると、なんと5kmのマラソンをしたと同じエネルギーを消耗するそうです。その若者にキャンディーなどなめてる暇はありません。力いっぱいぶつけます。「ボタンを外せ」、ヒデキ頑張れ!」

 この年は「ブーメランストリート」という分かりやすいヒット曲がありましたが、選曲されたのは当時そこまでヒットしなかった「ボタンを外せ」でした。野口五郎郷ひろみ岩崎宏美など、1977年の若手勢は最大ヒットが選曲されないケースが案外多くあります。個人的にはすごく好きな曲ですが、後年のシングル曲を集めたベストでも収録されないことが多い曲だったりします。

 1977年の紅白は演奏テンポの速いステージが特に多かった回ですが、「ボタンを外せ」はその最たるものでした。ただこれはヒデキのステージに関するというとマイナスではなくむしろプラス。白い衣装はマイクを持たない右腕だけノースリーブ、キレキレのアクションには色気までプラスされていて、もはや無敵状態です。このステージの後に初めて聴いた原曲が、かえって違和感を憶えるほどでした。

 2コーラス歌唱、ラストの”ボタンを外せ”連呼ではドライアイスの爆発演出に紙テープが舞いました。現在のような爆音はありませんが、これ以前の紅白で似たような演出はありません。「傷だらけのローラ」のドライアイスとともに、現在まで続く歌番組定番演出のはしりの一つとして語り継がれるべき内容です。大阪球場などのコンサートでは既に取り入れられていたのではないかと思いますが…(ちなみにレーザー演出とペンライトはこの時が初めてだったようです)。

 間奏で客席から拍手、そして演奏終了後にはファンファーレが鳴り響きます。中間審査前で本来ならキャンディーズの後に鳴る場面、スタッフもしくは演奏するオーケストラがミスしたものと考えられますが、思わずこれを演奏したくなるほどの内容であったこともまた確かです。

 ちなみにキャンディーズは当時既に解散が決定していて紅白ラストステージ、後楽園球場での解散コンサートは伝説として語り継がれていますが、彼女たちの次に後楽園でコンサートを開催したのはヒデキでした。

応援など

 この年から白組応援合戦で組体操が恒例になります。白ランニング白ズボン白鉢巻姿、郷ひろみがヒデキと野口五郎の太ももに乗って組になるポーズを披露する場面がありました。

 それ以外は白組歌手の一員として応援・あるいはパフォーマンスに参加するという形です。番組中盤は白タキシード、オープニングとエンディングは黒地に赤チェックの柄がタスキみたいに入ったスーツでした。

第29回(1978年)「ブルースカイブルー」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:馬飼野康二
前歌手:角川 博、桜田淳子
後歌手:(中間審査)、ツイスト、庄野真代

曲紹介:山川静夫(白組司会)


 ステージの後方で両手を掲げるオープニング、演奏が始まると同時にステージ上手側から大量のドライアイス投入。白い煙で顔が隠れるか隠れないかギリギリのラインでした。これは楽曲に合わせた演出で、雲の上を飛ぶ飛行機から見える景色をイメージした内容になっています。ドライアイスはステージから客席側に溢れ審査員席を直撃、紅組の歌手席では向かってくるドライアイスを避けるために?プラカードをパタパタさせている様子が引きの映像で確認できます。ちなみにこの年の特別審査員には飛行時間25085時間という日本記録を更新した全日空機長の森和人が選ばれていて、中間審査前のアナウンスはちょうどこのステージを受けて記録を紹介する形となっています。

 ラストではドライアイスがパタッとやみ、演奏テンポが一気に速くなります。一昨年の「若き獅子たち」と同じ構成ですが、これは相当なリズム感とセンスが要求されます。紅白歌合戦でこの構成を採用したのは、ヒデキと翌年「関白宣言」を歌うさだまさしくらいで極めて少数です。

応援など

 暗転状態に本人の衣装がド派手だったので目立ってはいませんが、この年も郷ひろみのステージにダンスで参加しています。

 この年はツイスト世良公則原田真二角川博と、広島県出身の初出場が非常に多い年でした。当時放送中の連続テレビ小説『わたしは海』も広島が舞台、出演者を紹介する桂三枝の手引きで4人に「しろしま」と言わせた後、審査員にしゃもじを配っています。

 応援合戦では軍艦マーチの行進で太鼓担当として参加。ただ演奏は白組オーケストラがやっているので衣装以外はほとんど何も練習していません。対抗する紅組が明らかに練習が必要な御諏訪太鼓演奏だったので随分不平等です。組体操にも参加していますが、ピラミッド担当でないためこちらはほぼ映らずでした。

第30回(1979年)「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」

ステージ

訳詞:あまがいりゅうじ 作曲:J. MORALI
前歌手:金田たつえ、ゴダイゴ、(中間審査)
後歌手:ジュディ・オング、細川たかし

曲紹介:山川静夫(白組司会)

 バンドセットに数名のキッズダンサーも投入したゴダイゴのステージ、得点集計スタジオへ中継を繋げる間に歌手席にいる両組の歌手が全員舞台に移動。わざわざ数秒のために鼓笛隊もステージの階段上に上げています。白組優勢の結果が出た後すぐに、ポンポンを持つPL MBAのダンサーが入場、カメラは審査員席に真っ白な牛乳と真っ赤なトマトジュースを配る歌手の姿。ゴダイゴ終了から次の曲紹介までおよそ1分40秒で入れ換え完了、イントロとともに曲紹介。曲名テロップは「ヤングマン(Y.M.C.A.)」と訳詞者・作曲者が画面上部にクレジットされています。

 階段にいるPLレザンジュは冒頭から全力で応援、舞台下手側からは男性ダンサー・ジャパニーズさらにスクールメイツも加わります(2番サビで手書きテロップ表示)。また客席通路には『おかあさんといっしょ』の「ブンブンたいむ」キャラクター3体も登場、人海戦術の極限をいくような演出となっています。

 2分40秒で2コーラス半を納めるため、演奏はイントロから超高速テンポです。白組歌手はYMCAだけでなく右腕を前に往復させる動きなどにも参加していますが、そのリズムについていけない大御所の方もいらっしゃる様子でした。

 ヒデキはドーム状のセットから走って登場、スタンドマイクの前に滑り込みます。そして後ろの巨大なドームは反時計回りに180度回転、後ろの骨組みが見える状態になりました。後年の特集番組でも、これが紅白史上初めてセットが動いた場面であると紹介されています。

 2コーラス後のコールは”白!組!優!勝!”、PLレザンジュは高校野球の応援のように白いポンポンで白の文字を作ります。ジャパニーズの4人はそれぞれの文字が書かれた丸いプラカードを掲げ、紅白歌合戦でしか見られない超演出を存分に見せる形となりました。

 この「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」はVillage Peopleの世界的ヒット曲のカバーですが、日本でもヒデキの歌唱で国民的大ヒットとなりました。1978年~1989年まで放送されたTBSテレビ『ザ・ベストテン』では、番組唯一の9999点獲得曲となっています。外国曲なので日本レコード大賞はノミネート対象外でしたが、日本歌謡大賞・FNS歌謡祭ではグランプリを受賞しています。レコ大を受賞したのはジュディ・オング「魅せられて」、中盤に設けられたこの対決は間違いなく放送前から最も力を入れていた場面だと思われます。

応援など

 応援で目立った箇所は御諏訪太鼓を叩くシーンくらいでした。他の出場歌手のステージでダンスなども特にありませんが、この年は歌唱後になんと青い紋付き袴を使用。特別出演の藤山一郎美空ひばりが歌う場面などで、笑顔で手拍子する姿がバッチリ映っています。

第31回(1980年)「サンタマリアの祈り」

ステージ

作詞:なかにし礼 作曲:川口 真
前歌手:海援隊、高田みづえ
後歌手:岩崎良美、沢田研二

曲紹介:山川静夫(白組司会)

 年末の「眠れぬ夜」を含めると6枚のシングルを発売、その中にはスティーヴィー・ワンダーのカバー「愛の園」やモスクワ五輪JOC応援ソング「俺たちの時代」もありました。ただ賞レースではこの曲を歌うことが多かったようです。川口真の提供はこの曲のみ、なかにし礼作詞も1988年しかないのでヒデキが歌う曲としてはややレアな部類です。

 2年前の「ブルースカイブルー」同様、この年もドライアイスが終始舞台上手側から放出されるステージでした。水色~青緑の中間といった色彩の衣装は、この時よりも鮮やかです。ただクライマックスのタメる部分で演奏とリズムが合わず、ロングトーンで歌いながら器用に調節して合わせるという形でした。事前のリハと合っていなかったか、どちらのミスなのかあるいは本番で突如譜面が変更になったか細かい部分は不明ですが、かなりの力技で軌道修正するシーンは他の歌番組でもなかなか見られない名場面ではないかと思っています。

応援など

 本番のステージ以外は白スーツが中心でした。応援合戦では忍者姿を披露しています。

第32回(1981年)「ジプシー」

ステージ

作詞:森雪之丞 作曲:鈴木キサブロー
前歌手:三波春夫、川中美幸
後歌手:
小柳ルミ子、菅原洋一
曲紹介:山川静夫(白組司会)
演奏:ポップンロールバンド

「熱唱というのは彼のためにある言葉でしょうか。今年もまたエネルギーを振り絞って歌う西城秀樹さん。飛び散る汗にあらわれて、この紅白のステージがきらびやかに彩られます。西城秀樹さん「ジプシー」!」

 1階席入り口付近からドライアイス噴射、西城さんがそこからステージに向かって客席を駆け抜けます。東京宝塚劇場時代は坂本九三沢あけみなどが客席内で歌う場面もありましたが、NHKホール移籍後のステージで通路に歌手が登場する演出はこの時のヒデキが初でした。6年ぶりに専属バンドが紅白で登場、ポップンロールバンドと名づけられています。

 これまでの紅白では激しい楽曲といってもバラードを歌うことが多かったですが、この曲はバンドスタイルの演奏がよく合うアップテンポのナンバーです。ただドライアイス演出は登場シーンだけでなく、間奏でも入りました。

 この年も後半にハプニング、2番の歌詞を間違えて歌っています。まだ歌詞テロップのない時代、歌い出しを間違えてもそのまま通せば問題なかったかとは思いますが、結果的には2番ワンフレーズを歌った直後すぐ1番に戻るという結果になっています(”見えない糸が”と”悲しい恋が”が混ざって”見えない恋が”と歌ってしまいました)。マイクスタンドを使っての歌唱、ラストはスタンドからマイクを外してパフォーマンスを披露しますが、こちらもあまりカッコ良く決まらなかった様子です(幸か不幸か、カメラワークがアップだったので映りはしなかったですが)。全般的には文句なしに格好良いステージでしたが、その分失敗が目立つ内容でもありました。

 この年は頭に鉢巻のような物を巻いているので、髪の毛の印象が前年までと違って見えます。翌年トレードマークのロングヘアーを切って短くしますが、この時からそれを見越したファッションだったのかもしれません。

応援など

 この年に大ヒットした「愛のコリーダ」を、ポップス系若手出場歌手中心に歌うステージが設けられました。白組からは新御三家とたのきんの2人が選抜、YMCAを担当したあまがいりょうじの日本語詞でダンスを交えながら歌っています。

 出場歌手全員が参加するデュエットショーでも歌う場面がありました。新御三家と紅組実力派3人(青江三奈小柳ルミ子松村和子)で一緒に「新宿そだち」を歌っています。

第33回(1982年)「聖・少女」

ステージ

作詞:松本 隆 作曲:吉田拓郎
前歌手:近藤真彦、高田みづえ
後歌手:松田聖子、郷ひろみ

曲紹介:山川静夫(白組司会)

「来年は奇跡的な年にしたいとヒデキは言っています。軽やかなステップを踏んでヒデキのリズムに乗ってください。「聖・少女」、西城秀樹さん!」

 力強く白組司会・歌手勢に「行ってきます!」と宣言してステージに走るオープニング。白組歌手全員が歌手席から舞台に降りて参加するステージでした。サビの独特の振付は、全員が動きをマスターして一緒に踊っています。なおNHKから紅白歌合戦のステージが収録されたDVDが発売されているのは冒頭紹介した通りですが、後ろで参加した一部出場歌手の権利関係でこの年と次の年のステージは未収録となっています(1979年はそれに該当する歌手がいないので収録済)。3年前のYMCAほどではありませんが、この紅白も演奏テンポは原曲と比べてかなり速めでした。

 歌い終わり、細川たかしと握手するシーンが映ります。この年「北酒場」で日本レコード大賞を受賞していますが、後半でこの曲を歌うステージも似た内容の演出でした。もちろん西城さんも白組歌手の一員として参加していますが、立ち位置は「聖・少女」の時の細川さんと同じ場所で映り込むシーンが非常に多かったです。

応援など

 若手歌手主体の企画コーナー、この年はビートルズ・メドレーでした。「イエスタデイ」では岩崎宏美と美しいハーモニーを聴かせています(歌詞は日本語でしたが)。それ以外はデュエットショー、紅白玉合戦(ジャージ姿)、ハーフタイムショー(股旅姿)に参加しています。

 

 第34回(1983年)以降については次の記事、木曜日の更新を予定しています。

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