表記は歌手名に、楽曲の発表年・作詞者・作曲者も併記しています。また、アーティストごとにSpotifyへのリンクも掲載しています。なお個人的に紅白歌合戦歌唱曲(昭和)と題してプレイリストも作成してますので、興味があればこちらも御覧ください。

 基本的に本編レビューは1974年当時の感覚、解説は現在から見た後日談という設定で書いています。これは第14回をレビューした時と同様です。

 

・オープニング

 鐘の音が含まれるファンファーレから始まり、総合司会・土門正夫アナが開会宣言。「第25回、NHK紅白歌合戦!」。

 前回はパイプオルガン演奏に乗せて、外からNHKホールを映す中継から入る凝った演出でした。それと比べると今回は幾分シンプルな始まり。セットもここ何年かと比べて意匠を凝らした印象ではなく、かなりシンプルに作られています。6年前の第19回辺りに近い印象でしょうか。背景に凝った美術セットが存在しない分、ヘタすると11年前の第14回よりシンプルかもしれません。これも前年に起こったオイルショックの影響も、多少はありそうです。

 出場歌手の入場行進が始まります。紅組が下手側、白組が上手側。今回は久しぶり後方の客席からの入場と実況にありますが、確かに前回はステージからの入場でした。ただ前々回は普通に客席後方からだったのでそこまで久々でもないような…。なお今回会場のテレビ実況は相川浩アナ。初めての担当となります。

 先頭でプラカードを持つのは紅組がアグネス・チャン、白組が郷ひろみ。ともに今回2回目の紅白出場。その次に両司会が続き、ステージに登る階段近くにそれぞれ陣取ります。そのまま続いて入場する出場歌手が、司会者とガッチリ握手。例年通りあいうえお順の登場ですが、レコード大賞受賞の森進一さんと最優秀歌唱賞の五木ひろしさんは見たところ間に合ってないようです。前回はNHKホール初紅白ということもあって、移動が間に合わないことも見越して入場まで例年になく時間を取っていましたが…。今後こういった光景は増えていくのでしょうか。有楽町にあった東京宝塚劇場と比べると、渋谷のNHKホールは帝国劇場から距離がありますからね…。

 出場歌手が全員ステージに揃って、恒例のセレモニー開始。五木さんと森さんはギリギリ間に合い、駆け足でステージに登る姿が画面右下で確認できます。優勝旗返還は、前回の紅組司会・水前寺清子さんから坂本朝一大会委員長へ。果たして今回はどちらに渡るのでしょうか…。

 両軍司会、今回は司会ではなくキャプテンと紹介されます。白組が山川静夫アナウンサー、紅組が佐良直美さん。双方、自軍の出場歌手へポーズをとってお互い握手。まずは最初のやり取り。

山川「しかしですね、とうとう全国の皆さん、優勝旗が白組の方に帰ってまいりました」
佐良「何をおっしゃいます、全国の皆さま、また今年も紅組がいただく優勝旗をチラッと番組最初にお見せいたしました」
山川「何を言ってるんですか。佐良さん、”世の中は 三日見る間の 佐良かな”という言葉があります。これどんどん世の中が変わっていってるんですね。例えば川上さんから長嶋さんに。ニクソンさんからフォードさんに。そして紅から白に、とこうなるわけなんです」
佐良「山川さんの奥さんは変わってないですね」
山川「アラララ。そりゃね結婚問題はずるいよ、あなたも独身でそのままでしょう」
佐良「変わってないんですよ」
山川「そういうものは変わらないんですけどここで話題を変える、と」

 このタイミングで総合司会の土門正夫アナが割って入ります。このやり取りは前年の司会者コンビにもありましたが、軽妙なリズムの良さは間違いなく前任の宮田アナを上回っています。そのまま土門アナが審査員を紹介。これも紹介文そのまま掲載することにします。

・文化勲章受章者で日本画家の橋本明治さん。
・長い女優生活で、今年は文化功労者にも選ばれました杉村春子さん。
・一年間『勝海舟』ありがとうございました。海舟の父・勝小吉を見事に演じられました歌舞伎俳優の尾上松緑さん。
・白組男性チームが何となくざわめいています。そのはずでございまして。女優の栗原小巻さん。
・ヨットさえあれば太平洋はおろか、世界の海もなんのその。ヨットマンの堀江謙一さん。
・この爽やかな顔が今年一年茶の間を楽しませてくれました。連想ゲームでお馴染み、檀ふみさん。
・九州場所で初優勝、大関先陣争いのトップに立ちました。魁傑将晃さん。
・来年は沖縄で海洋博覧会が開かれます。そのコンパニオン、新垣留美子さん。
・そして審査委員長はNHK放送総局の根本(良雄)副総局長が務めます。
・そして全国の皆さまの代表として審査員になって頂きました方々お立ちを願います。八王子のイデアケミさん他40人の皆さんでございます。以上の皆さんに厳正な審査をお願い致します。

 お馴染み選手宣誓、例年通り両軍キャプテン、佐良直美と山川静夫が一緒に。

宣誓
わたしたちはアーティスト精神にのっとり、
正々堂々、敵をノックアウトするまで戦うことを誓います
昭和四十九年十二月三十一日
第25回紅白歌合戦白組代表 山川静夫
紅組代表 佐良直美

 今回は両軍の最年長者がお互いにエールを贈り合う形。白組の三波春夫さんが紅組に、紅組の島倉千代子さんが白組にそれぞれ音頭を取り、両軍歌手がフレフレと声を挙げます。島倉さんの声掛けと同時にチータが、「紅組もがんばろう」と書かれた布を持ってきて広げます。

 出場歌手が歌手席に向かう間の繋ぎとして、スクール・メイツ150人がステージで踊ります。これも恒例…と言いたいところですがそういえば前回はオーケストラ紹介と込みで踊る形でした。パフォーマンス中に、相川アナの実況で今回の紅白の中継体制について軽く説明。用意されている中継カメラは7台で、そのうち2台は手持ちのハンドカメラのようです。きめ細かい放送、というフレーズがありましたが、果たしてどうなるでしょうか。

 

(審査員についての解説)
橋本明治さんは紹介にあった通り、この年文化勲章受章。日本画家が紅白審査員を務めた例は非常に少なく、他に第62回(2011年)の松井冬子さんのみ。

杉村春子さんも紹介にあった通り。細かくは後述しますが、第9回でも審査員を務めています。文化功労者は東山千栄子さん、初代水谷八重子さんに続く形で女優では当時3人目。

尾上松緑さんも紹介通り、この年の大河ドラマ『勝海舟』で父親役の勝小吉を好演。1963年には大河第一作『花の生涯』主演を務めています。2代目、現・4代目の祖父にあたります。

栗原小巻さんはその年に出演した大河ドラマ『三姉妹』の縁で1967年・第18回以来2度目の審査員。当時まだ29歳、若手女優で2度目の紅白審査員を務める例はこれが初。当時はサユリストに対するコマキストという言葉が存在したほどの、大人気女優でした。

堀江謙一さんはこの年、マーメイドⅢ号で日本初の小型ヨット単独無寄港世界一周に成功。世界でも2人目の快挙だったそうです。

檀ふみさんは当時20歳。この年慶應義塾大学に入学。前年に芸能界デビューしていきなり連想ゲーム紅組3枠のレギュラー、これは1988年3月まで続きます。

魁傑将晃さんはこの時期多くいた大関候補のひとり。翌場所も11番勝って大関昇進しますが、その後は怪我で2度大関から陥落します。現役時代から八百長嫌いで有名で、理事長を務めた時には本気でこの問題に向き合ったのが印象深いです。

・1970年代は、有名人でなくてもこういった特別審査員に選出される例はいくつかありました。全日空の機長、初の婦人消防官、果てはブラジル代理大使令嬢なんてのもありました。沖縄海洋博は1975年7月から1976年1月まで行われましたが、後年の入場者数などを見る限りあまり成功したとは言い難かったようです。

・一般審査員は1960年代、1980年代の紅白では1人ずつ業績・名前が読み上げられていましたが、この年はざっとまとめてという形。また第26回以降恒例となるお茶の間400人の電話投票も、この回はありませんでした。

 

(その他オープニングについての解説)
 総合司会の土門正夫アナは第14回から第16回まで実況担当。普段の担当は主にスポーツ実況で、オリンピックも多数担当しています。定年を過ぎてフリー転向後も、主にサンテレビの阪神戦実況を担当していました。この紅白以前には北出清五郎鈴木文彌など、スポーツメインのアナウンサーが紅白に携わることは珍しくなかったのですが、これ以降スポーツ畑のアナが紅白の司会を担当する機会は訪れていません。

 第20回が行われた1969年以降、大晦日の日本レコード大賞生中継が恒例となります。会場の帝国劇場は丸の内にありました。そのため東京宝塚劇場時代は基本21時開始でも間に合っていましたが、NHKホールに移ってからは移動距離が長くなります。第24回は移籍後初紅白ということもあって、入場行進まで6分時間を持たせていて、審査員紹介もそれまでに済ませましたが、この年からは普通に21時スタート。そのためレコ大受賞歌手が移動に間に合わず入場行進に参加できない状況が発生します。ちなみにこの回五木ひろしさんと森進一さんがステージに到着したのは21時2分でした。

 プラカードを持つ人は年によって変わりますが、この回みたいに出場歌手が持つ例はあまり多くありません。第20回はあいうえお順最初のアイ・ジョージ青江三奈が持っていましたが、それ以外は当年の司会・応援団長もしくは鼓笛隊が持つ例が多いです。平成以降客席からの入場行進はなくなりましたが、近年一度復活した第67回(2016年)では星野源と松田聖子が持っていましたね。優勝旗を持つというケースは第23回(1972年)の沢田研二がありましたが。

 返還された優勝旗を受け取ったのは坂本朝一放送総局長(当時)。この2年後に、NHK生え抜きでは初となる会長に就任します。

 オープニングトーク、「川上さんから長嶋さんに」は、読売ジャイアンツの監督が川上哲治さんから長嶋茂雄さんに交代したこを指します。長嶋選手が現役引退したのも1974年でした。「ニクソンからフォード」は、アメリカ大統領がリチャード・ニクソンからジェラルド・フォードに交代したことを指しています。なお佐良さんはこの年近辺からずっと結婚していないことをネタにされていました。結果的には、そのまま現在まで未婚を通す形になっています。

 紅白対決ムードが今よりはるかに高い1970年代の紅白ですが、この年はお互いエール交換がありました。もっとも続いたのは翌年の第26回までで、その後はすぐに無くなってしまいます。

 スクールメイツのオープニングダンスは第19回(1968年)から恒例になりました。これは、舞台装置が大掛かりになって常設の歌手席が廃止される第32回の前、第31回(1980年)まで続きます。

 

 

西城秀樹(初出場/第25回/1972/19)
「傷だらけのローラ」(1974/さいとう大三/馬飼野康二/初)

「さて、お待たせ致しました。白組は切っ先鋭く攻めかかりたいと思います。青春とか、若さというものをもし形に例えるならばこんな形をしているんではないかと思います。それは、大型新人・西城秀樹さん。この大晦日の名残りの空高くヒデキの歌声が響き渡ります。「傷だらけのローラ」」。
 記念すべき最初の曲紹介、本当に白組司会が代わったことを実感しますがステージもまさしく新しい時代そのもの。怪傑ゾロを思わせる黒尽くめの姿で登場したヒデキは、仮面を取りマントを脱ぎ捨て帽子を投げ捨てるパフォーマンス。衣装もよく見るとシースルーで、過去の白組歌手には存在しないレベルのセクシーさです。メンバー中もっとも高い、1メートル82センチの体いっぱいを使って表現する「傷だらけのローラ」は、まさにこれまでのヒデキの集大成。固定カメラを回転させる演出も初めて見ましたが、極めつけはやはりラストサビのドライアイス演出。いやはや。こんなの初めて見ましたよ。これまで見た紅白トップバッターの中で、間違いなく一番のインパクトでした。(2分46秒)

(解説)
 顔を黒塗りする演出は第16回で「スワニー」を歌った雪村いづみさんの例がありますが、こうやって仮面を被って登場するのはこの時のヒデキが初めて。衣装を途中で脱ぎ捨てる演出もこれ以前はフォーリーブスであったくらいで、まだ全く見慣れた光景ではありません。カメラを回転させる演出もこれ以前の紅白ではなかったですね。そしてドライアイス、これは紅白どころか当時のテレビ・ライブでも全くなかった演出で、まさにこの瞬間が初だったようです。本人がアメリカで見たティナ・ターナーのショーの演出を参考にした演出だと語っていました。
 後年の紅白では、1998年の第49回でも歌われています。編曲を大きく変えていますが、当時とはまた違う形のカッコ良さを魅せたステージを展開していました。脳梗塞の発症がなければ、おそらく現在でも健在どころかバリバリ日本武道館辺りでもワンマンライブや全国ツアーもやっていたことでしょう。本当に早逝したのが、強く惜しまれます。

 

山口百恵(初出場/第25回/1973/15)
「ひと夏の経験」(1974/千家和也/都倉俊一/初)
 Spotify

 そのヒデキのステージに、紅組側の佐良さんやチータもビックリ。しかしやり取りに関しては決して負けていません。
水前寺「あれ?どうしたの?あれは?」
佐良「いやぁ、消防のね、出初め式にはちょっと早いような気がするんですけどもね」
水前寺「まあ気の毒に、ひとりだけ煙に巻かれて」
佐良「…さて、ことわざにございます。目には目を、歯には歯を、ヒデキには百恵を。」
水前寺「フレー、フレー、百恵!」紅組歌手「それフレフレ百恵、フレフレ百恵!」
佐良「今年たくさんの話題を呼んだ人、初出場・山口百恵さん「ひと夏の経験」。」

 純白の衣装で登場。ものすごくかわいく、美しい姿です。ただいわゆるアイドルらしい歌声と少し違うアルトの声質は、これまでヒットした方々と一線を画している気がします。”誰でも一度だけ経験するのよ”の歌詞にある右手の動きも、かなりインパクト強め。まだ決して高いとは言えない歌唱力ですが、彼女の目と表情に妙な非凡さが秘められているように見えるのは私だけでしょうか。今のところ最大ヒット曲はこの「ひと夏の経験」か、年をまたいだ大ヒットになりそうな「冬の色」になるかと思いますが、これだけでは到底収まらない予感がしています。(2分21秒)

(解説)
 上の文面は、正直申し上げますと後世において伝説的な存在のまま引退したからこそ書ける内容です。ただ当時から見ても超大物になる予感を感じていた人は、決して少なくはなかったのかなとも思います。それでも4年後の紅白でトリを務めることを予想できた人は、ほとんどいなかったのではないかとも感じますが。
 ちなみにちょうどこの12月28日から三浦友和さんと初共演した映画『伊豆の踊子』が封切り、TBSでは赤いシリーズ第1作『赤い迷路』が放送開始。「冬の色」のB面収録曲がその映画主題歌「伊豆の踊子」で、映画のヒットがレコードのヒットに結びついた面もおそらく大きかったのではないかと思います。ただ一連の阿木耀子・宇崎竜童コンビの楽曲の印象が鮮烈過ぎたせいか、今となれば数字的なヒットの割に振り返られる機会が少ない印象も少しだけあります。

 

中条きよし(初出場/第25回/1968/28)
「うそ」(1974/山口洋子/平尾昌晃/初)
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 初出場の中条きよしに周りに紅白10年歌手が勢揃いします。フランク永井三波春夫村田英雄春日八郎三橋美智也北島三郎橋幸夫。まだ8回ですが菅原洋一もいます。紅組が今回10回を迎える水前寺清子都はるみを含めて4組なので、やはり白組はベテランが少し多いです。「紅組に贈る真っ赤なうそ」と曲紹介。
 1974年を代表するヒット演歌をシンプルに2コーラス。間奏では歌手席の様子が映し出されています。オシャレな帽子を被るジュリーの衣装が、過去2年と比べても非常にカジュアルで異彩を放っています。
 歌の方はやはり初出場ならではの緊張を感じます。新人と紹介はされていますが、彼の場合ヒットするまで芸名を変えて苦労したという経緯があります。それだけに、このステージで歌う喜びもひとしおといった所でしょう。(2分7秒)

(解説)
 中条さんはこの年「うそ」がオリコン年間3位、セールス150万枚超えの大ヒット。その次の「うすなさけ」「理由」も年間50位には十分入るくらいの売上ですが、翌1975年の「火遊び」「よる」「深夜劇場」までヒットは続かず結局紅白出場はこの1回のみ。売上だけでみると、彼よりヒットしていないのに連続出場した人がベテラン以外でもチラホラいるのですが…。
 歌手としての新曲リリースは現在まで続いていますが、1980年代以降は必殺シリーズをきっかけに、主に時代劇俳優での活躍が目立っています。

 

アグネス・チャン(2年連続2回目/第24回/1972/19)
「ポケットいっぱいの秘密」(1974/松本 隆/穂口雄右/初)
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「男は真っ赤なうそをついて、女の人をだますようですね。でもどんなに悪い男の人でも、まさかこんなに純情可憐な人は騙せませんね。アグネス・チャンさん「ポケットいっぱいの秘密」。」
 メイド服のようなかわいいドレスで登場。彼女にはまさにピッタリの衣装です。テニスルック姿で踊る面々はあべ静江南沙織天地真理山本リンダ。こちらもかわいく仕上がっていますが、天地さんが時々真顔になっているのはやや気になります。そういえばカントリー調の曲が紅白で歌われるのは最近あまりなかったような気しますね。小坂一也の「青春サイクリング」が1957年の第8回。あまり古い時代は分からないですが、1960年代中盤以降はちょっと記憶がありません。
 紅組の歌手席にはポンポンが配られます。ステージの向こうでスタッフが投げ渡している姿が見えますね。幟や旗は別として、こういう小道具が歌手席に取り入れられるのも初めてではないでしょうか。ちなみに彼女が歌うマイクのカバーも、ピンクになっています。今回の紅白、こういう細かい部分で新しい試みを入れる場面が結構多く見られるかもしれません。(2分27秒)

(解説)
 冒頭の曲紹介、当然直前のステージを受けた形での内容です。確かに当時の彼女はそういう雰囲気でした。上智大学に進学した年ですが、同様に南沙織さんも上智大学に進学しているので、結果的に大学の同級生がバックで応援するという珍しい形になっています。
 本文でも書いた通り、歌手席に小道具が入れられるのはこの年から。翌年以降、歌手席の力の入れ具合はどんどんエスカレートしていきます。また紅組用と白組用でそれぞれピンクと白のマイクが用意されましたが、これはこの年限りだったようです。
 「ポケットいっぱいの秘密」の作詞は松本隆、作曲は穂口雄右。穂口さんは次回以降紅白に登場するキャンディーズで多大な功績を残します。松本さんはこの曲が作詞家としての初ヒット、紅白でクレジットされるのもこれが初めてでした。