紅白歌合戦・小柳ルミ子の軌跡~ステージ編(1971~1979)~

第22回(1971年)「わたしの城下町」

ステージ

作詞:安井かずみ 作曲:平尾昌晃
前歌手:青江三奈、五木ひろし
後歌手:はしだのりひことクライマックス、藤 圭子
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)

 平尾昌晃が作曲家として大活躍した1971年、五木ひろし「よこはま・たそがれ」のゲスト指揮者として登場します。そのステージが終わった後に、紅組司会のチータが駆け寄って平尾さんを紅組側に無理矢理連行。同じく作曲担当・初出場となったルミ子さんのステージも指揮してもらいます。

水前寺「ルミ子ちゃんのお母さんは今日はどちらですか?」
小柳「えっ?」
水前寺「ルミ子ちゃんのお母さんは今日はどちら?」
小柳「福岡で見てます」
水前寺「福岡で、テレビの前で。ではお母さんのことを思いながら一生懸命頑張って歌ってちょうだい。「わたしの城下町」です」

 初出場歌手と司会者のトークは例年演奏が始まる前に行われますが、西郷輝彦のハプニングが象徴されるようにこの年は進行に全く余裕がありません。イントロでルミ子さんが中央の階段を降りる時にチータが話しかける演出、そのため最初の呼びかけが演奏で聴こえずルミ子さんが聞き返す場面が発生しています。

 チータの立ち位置はステージ上、階段を降りたばかりのルミ子さんの手をひいて前方にエスコート。2コーラスの歌唱は初出場らしい緊張の表情も見えますが、伸びのある綺麗な歌声は新人とは思えない素晴らしさでした。なお「わたしの城下町」はこの年のレコード売上1位を記録してレコ大最優秀新人賞を受賞。ワーナーミュージック・ジャパンの前身であるワーナー・パイオニアの邦楽第1号歌手としてこれ以上ないほどの実績を作っています。

 ステージ終了後にコント55号が応援で登場、坂上二郎が「わたしの城下町」を口ずさむシーンがありました。かなりデフォルメがかかった歌っぷりは、相方の萩本欽一に「キ◯◯◯じゃないんだから」と今では放送に乗せることが出来ないようなツッコミを入れられていました。コント55号はその後花嫁探しをテーマにしたコントを披露、そのままはしだのりひことクライマックス「花嫁」のステージに繋がります。

応援など

 この年は映像の保存状態が悪く、全編の映像は残っていません。アーカイブスの公開ライブラリーで前半と後半を見ることは出来ますが、その部分で特別目立った箇所はありませんでした。

第23回(1972年)「瀬戸の花嫁」

ステージ

作詞:山上路夫 作曲:平尾昌晃
前歌手:上條恒彦、(中間審査)、三波春夫
後歌手:水原 弘、平田隆夫とセルスターズ
曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 「瀬戸の花嫁」も1972年を代表する国民的ヒット曲で、瀬戸内海沿いにあるJRの主要駅ではご当地メロディーとしても使用されています。それ以外でも岡山・香川・愛媛では各所で聴くことが出来るメロディーで、この地域では小学生でも知っているくらいの曲ではないかと思います。ほとんど童謡に近い立ち位置と言っていいかもしれません。この年レコード大賞を受賞したのはちあきなおみ「喝采」でしたが、放送時の街頭インタビューでは「瀬戸の花嫁」が受賞すると思っていた人が多くを占めていました。

 平成以降の芸能活動の影響もあるでしょうか、この曲がヒット当時の1回しか紅白で歌われていないのはかなり意外な印象もありますが、平尾さんが亡くなった2017年・第68回の紅白ではこの時の映像が追悼で使用されています。

「さあそれでは、紅組女性軍は終盤戦、自信を持ってこの方をお送りします!」
「瀬戸は日暮れて夕波小波、テレビをご覧の皆さん、どうぞご一緒にお歌いください。「瀬戸の花嫁」、もちろん小柳ルミ子さんです!」

 白いワンピースで歌うルミ子さん、前年に続き階段からの登場です。首や手首の周りにある飾りが少し目立ちますが、歌う姿は大変清楚です。一列に並ぶ紅組歌手の応援は、さながら花嫁を送るシーンのようでした。1コーラス半、最後は伸びのある歌声でステージを締めています。

 花の中三トリオが登場するまで、南沙織天地真理と一緒に三人娘と呼ばれる機会が多くありました。1週間前には、日本武道館で「三人娘・夢のクリスマスプレゼント」と題した合同コンサートが開催されています。天地さんの初出場でこの年初めて3人が勢揃い、「瀬戸の花嫁」のステージは後半バックで口ずさむ彼女の笑顔も印象的でした。

応援など

 東京宝塚劇場はレコ大会場の帝国劇場と距離が近く、どちらも有楽町での開催となっています。レコ大出演はありますが、大賞を受賞したちあきなおみも含めてオープニングは入場行進からしっかり参加。かわいらしい赤いワンピース姿です。

 スパーク三人娘や花の◯◯トリオと比べて、上記の三人娘が紅白で揃うシーンはあまり多くありません。紅白歌合戦ではこの年の南沙織「純潔」のステージに、天地さんと一緒にパンダの着ぐるみで参加したのが唯一でしょうか。なおこのステージは過去に名言集記事で紹介しているので、こちらをご参照ください。

第24回(1973年)「漁火恋唄」

ステージ

作詞:山上路夫 作曲:平尾昌晃
前歌手:(オープニング)
後歌手:布施 明、いしだあゆみ
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)
踊り:スクール・メイツ

 NHKホールで開催された初の紅白、一番最初のステージとして選ばれたのがルミ子さんでした。データ編でも紹介しましたが、このステージは過去に名言集の記事で相当詳しく書いています。そちらをご参照ください。なお18回の出場中、和服での歌唱はこの時のみでした。

応援など

 歌唱後は黄色いワンピース姿で終始歌手席の応援に参加。和田アキ子「笑って許して」のステージでは他の紅組歌手と一緒に”アッコ!”と合いの手を担当。大きな団扇を振っているシーンが映っています。

第25回(1974年)「冬の駅」

ステージ

作詞:なかにし礼 作曲:加瀬邦彦
前歌手:チェリッシュ、フォーリーブス
後歌手:堺 正章、桜田淳子

曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 NHKの番組きっかけでブームになった「愛国駅から幸福へ」。北海道・愛国駅の当時の駅長が歌う前に登場、紅組応援のメッセージを残します。ルミ子さんに切符を渡し、それを手にしながら歌うステージでした。星空をイメージしたような黒い衣装は、電飾のような飾りが終始全身から光り輝いています。その他楽曲が歌われた背景などは本編レビューにも記していますので、こちらを参照ください。

応援など

 前年までとは打って変わって、この年は歌以外での出番が非常に多いです。

 水色のドレスでまずはオープニングに参加。トップバッター・山口百恵の応援に参加後、メインのステージ準備のため裏にスタンバイ。紅組4番手で歌唱後、この衣装のまま佐良直美(6番手)、梓みちよ(7番手)のステージに参加。佐良さんのステージでは振付あり、梓さんは「二人でお酒を」なので後半全員胡座をかきながらの応援でした。

 さらに、山本リンダ(11番手)のステージではダンスの応援。共演するのはザ・ピーナッツ梓みちよ、ナベプロの大先輩。一緒に白シャツ+赤ホットパンツのセクシーな踊りを披露、途中白組歌手を挑発するシーンもありました。

 13組ずつ終えて中間発表・ハッピ姿でもちつきの余興直後に、水前寺清子の応援にも参加。花の高一トリオの3人と一緒に、頭に扇子を身に着けてノリノリで応援。

 そして17組ずつ終了後にはこの年から恒例となったラインダンス。当然エンディングでは別の衣装に着替えているので、この年は2時間45分で衣装替え5回という大変な忙しさでした。

第26回(1975年)「花車」

ステージ

作詞:麻生香太郎 作曲:森岡賢一郎
前歌手:三波春夫、(中間審査)、森 進一
後歌手:沢田研二、梓みちよ

曲紹介:佐良直美(紅組司会)
踊り:スクール・メイツ

 この年からしばらくは終盤での出番です。1970年代の紅白は中間審査が番組内で2回行われることが多かったですが、2回目審査以降のラスト6組は大半が実績・歌唱力を兼ね備えたベテランのステージになっていました。ルミ子さんは当時まだデビュー5年目の23歳ですが、もうこの時にはアイドルでなく実力派歌手という扱いが一般的だったのではないかと思われます(南沙織と違って日本調の曲を歌う機会が多かった、というのもありそうですが)。

 曲紹介ではそのシンシアが登場。白組に届いた北海道の牛乳に対して、沖縄からの桜が届いたという名目で日本航空のスチュワーデス(今で言うフライトアテンダント)にマイクを向ける役目を果たしています。

 「花車」を歌うルミ子さんは青いドレスで、白く大きなファーを身に着けています。空輸された桜の花は、ルミ子さんの横にそのまま置かれました。1コーラス半、切ないバラードを歌い上げています。階段から登場する際に8人の女性ダンサー(おそらくスクール・メイツ)がエスコート、前半だけ桜の枝を持ちながらダンスするというステージ演出でした。

 これまでの4曲と比べてあまりヒットしていないせいか、若干地味な内容にも見えます。ただそれ故に、本来の歌声が他の年以上に印象に残るステージだったようにも感じました。

応援など

 少しずつステージも含めて衣装が派手になっています。オープニングも、この年は首にかける毛皮の生地が目立っていました。

 この年は前年と比べて歌以外の出番は少なめ。紅組キャプテン・佐良直美のステージ参加と、ラインダンスで少し映る程度でした。エンディングもこの年はステージ衣装のままなので、着替えの回数は格段に少なくなっています。

第27回(1976年)「逢いたくて北国へ」

ステージ

作詞:橋本 淳 作曲:井上忠夫
前歌手:二葉百合子、春日八郎
後歌手:北島三郎、青江三奈

曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 終盤でトリ3つ前、歴代の紅白出場では一番遅い出番です。当時放送中の連続テレビ小説『火の国に』から鈴鹿景子山内賢が守り矢を持参して紅組応援に駆けつけますが、時間が無かったのか紹介もそこそこですぐに演奏開始。

「昭和47年・「瀬戸の花嫁」以来数々のヒット曲に恵まれ、その歌とともに美しく大きく成長していく小柳ルミ子さん。今年は「逢いたくて北国へ」」。

 「わたしの城下町」が無視されているような曲紹介も気になりますが、演奏も原曲と比べてかなり速いテンポになっています。元々切迫感のあるメロディーですが、紅白のステージはその要素がかなり強調されている印象でした。終盤になると演歌やバラードが多くなるのでテンポアップは難しく、ここで一気に時間を取り戻すという意図もおおいにありそうな雰囲気です。そういえば1970年代前半にヒットした一連の楽曲は概ねスローテンポで、「逢いたくて北国へ」は当時のルミ子さんだとやや異例の曲調でした。それもあって、シングルの売上は1975年以降の中だと「星の砂」「お久しぶりね」に次ぐ高い数字を記録しています。

 衣装もこの年は一気に派手になります。頭に巻いた飾り、サビで右手を広げるとヒラヒラの生地が大きく広がります。ジュディ・オング「魅せられて」の先駆けに近い部分もありますが、大元はおそらく同事務所の先輩・布施明が第21回(1970年)で披露した「愛は不死鳥」の衣装ではないかと思われます。テンポアップは時間が無い故だと推測できますが、もしかすると本人の希望もあったのかもしれません。それくらいステージの雰囲気によく合っています。

 1番歌唱後、サビを繰り返して最後はAメロという構成。ラストで首を傾け、衣装を強調するかのように右腕を上げながらのロングトーンは見応え・聴き応えともに抜群の内容でした。

応援など

 この年の紅組はステージでコーラス・ダンサーとして登場する場面が多いです。まずは紅組4番手・南沙織「哀しい妖精」のステージに由紀さおり梓みちよと一緒に登場。トリオ漫才みたいな以下のやり取りを披露後、コーラスとして参加しました。

 オープニングは黒ドレスですがコーラス参加は赤ブレザー、さらに黒いタイツのような衣装に着替えて紅組7番手・和田アキ子のステージ参加。赤い傘や帽子も着用して、「雨のサタデー」のダンサーを他の7人と一緒に務めます。スターが着るような衣装では無いというのが正直な印象ですが、当時は梓みちよいしだあゆみといったベテランもしっかり参加していました。

 さらに紅組9番手・研ナオコのステージに赤ブレザーで参加。歌っている研さんを囲むように紅組歌手がグルグル回る振付ですが、その中の1人として参加しています。後半では例のごとくラインダンスにも参加していますが、自身のステージはこれより6組後(紅組だけで言うと3組後)でした。

第28回(1977年)「星の砂」

ステージ

作詞:関口 宏 作曲:出門 英
前歌手:青江三奈、内山田洋とクール・ファイブ
後歌手:沢田研二、(中間審査)、石川さゆり

曲紹介:佐良直美(紅組司会)、中村メイコ(応援団長)

 八重山列島・石垣島を舞台にした初めての歌謡曲です。歌詞が生まれたきっかけは、フジテレビの番組でした。当時の関口さんはまだ俳優活動も精力的でしたが既に『スター千一夜』の司会を担当、少しずつ司会業が増え始める時期にありました。

 歌う前には石垣島から空輸されたブーゲンビリアが届きます。オレンジの制服を着たスチュワーデスは南西航空所属、「那覇・東京と乗り継いでまいりました」と応援団長の中村メイコが紹介。南西航空は1993年に日本トランスオーシャン航空に社名変更、羽田への直通便が初就航となったのも同じ年でした。小型旅客機しか離着陸出来ない小さな空港も2013年に新石垣空港が開港、コロナ前の2019年の就航者数は1977年と比べ物にならないほど多くなっています。「最南端の七色の海に育った小さな星の砂も、今宵は日本中の空に飛び散って満天の星になり、小柳さんを祝福することでしょう」と書かれた、直筆の手紙も同封されていました。

 作曲の出門英はヒデとロザンナのヒデで、ちょうどルミ子さんのレーベルに移籍したタイミング。作曲家としての初ヒット曲となります。ヒットの要因は神秘的な歌詞も勿論ですが、変則的な構成も大きな要素を占めていたのではないかと思われます。このステージにおけるサビ→Aメロ→Bメロ→Aメロ→Bメロ→間奏(スキャット)→Cメロ→サビという構成は、一般的な歌謡曲とは大きく異なる内容でした。

 構成だけでなく歌詞・メロディーも今までの歌謡曲とはひと味もふた味も違う内容で、歌いこなすには非常に高い技術を要します。ブーゲンビリアを手にしながら歌う姿は、18回の紅白歌合戦でも屈指の熱唱です。全力で歌い上げる箇所が続く終盤から、ピアノの演奏のみが響く準アカペラ、ロングトーンから徐々に盛り上がるエンディングは見事な内容でした。

 曲順は2回目の中間審査直前、対戦相手はレコード大賞を受賞した沢田研二「勝手にしやがれ」(ステージレビュー)。さすがに分の悪さが否めない対戦相手でしたが、当時のヒット・話題性やキャリアを考えるとこれ以外の選択肢はあり得なかったのではないかと思われます。実際、ジュリーとともにこの年はトリの候補にも挙げられていました。

応援など

 この年のステージ以外のハイライトは、何と言っても梯子の上に昇るパフォーマンス。高さにして9段分、4メートル近くの高さで梯子乗りを披露した歌手は白組男性だと何人かいますが、女性では現在もルミ子さんただ1人の快挙です。高い運動神経は1980年代のステージでおおいに活かされますが、紅白で初めて見せたのはこのシーンでした。

 他の出番はあまり多くないですが、この年は「星の砂」の大ヒットと梯子乗りで十二分の名場面を見せています。恒例のラインダンスはこの年も勿論参加、13人の中で真ん中の立ち位置で1人だけターンを披露する振付が加えられています。

第29回(1978年)「雨…」

ステージ

作詞・作曲:中島みゆき
前歌手:八代亜紀、五木ひろし、(中間審査)
後歌手:北島三郎、森 昌子
曲紹介:森 光子(紅組司会)

 終盤6組ずつのトップバッターとして登場、この曲はSMS Recordsへのレーベル移籍後第一作でもありました。この年は中島みゆき提供のヒット曲が多く、紅白でも桜田淳子「しあわせ芝居」、研ナオコ「かもめはかもめ」と合わせて3曲が披露されています。

 ”冷たい雨、雨、雨、雨…”と、雨のフレーズを4回連呼するサビ前半が特徴的な楽曲です。ステージは途中から雨をイメージした紙テープが降りる西城秀樹「若き獅子たち」に近い演出(当時のステージ)、その後に紅組歌手6人のダンスが加わります。中原理恵岩崎宏美などが参加している様子ですが、レインコートで顔がやや隠れ気味なので全容はやや把握し辛いです。ここ2年のような歌い上げるシーンのない切なく聴かせる楽曲ですが、本人の衣装は金色のドレスでまあまあ派手でした。

応援など

 ステージ以外の衣装は黒地に金色の飾りが目立っていて、裃のような形状になっています。さすがにデビュー当時と比べると派手さが目立つようになり始めました。トップバッター・榊原郁恵「夏のお嬢さん」のステージでは、西川峰子と2階席前方へ移動して一緒に大漁旗を広げます。

 中盤でのラインダンスは参加している物と思われますが、この年はシルクハット着用の上にカメラワークが悪く顔がほぼ映っていません。前後にあった応援にはいないので、おそらく参加はしているはずですが…。エンディングも他の歌手の後ろに隠れる立ち位置でした。こうやって振り返ると、ルミ子さんはステージ以外でよく映る年と全然目立っていない年が結構分かれているような気がします。

第30回(1979年)「恋ごころ」

ステージ

作詞:竜真知子 作曲:井上堯之
前歌手:サーカス、布施 明
後歌手:沢田研二、山口百恵
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)

 1979年は新人だけでなく、中堅~ベテラン陣のヒットも非常に多い豊作の1年でした。ただルミ子さんに関してはデビュー以来初めてとも言える不振の年で、「スペインの雨」がオリコン週間最高65位。「恋ごころ」に至っては100位がやっとという状況でした。紅白は何とか新曲が選曲されましたが、周辺の歌唱曲は「アメリカン・フィーリング」「君は薔薇より美しい」「カサブランカ・ダンディ」「しなやかに歌って」と大ヒット曲だらけ。曲順も終盤から中盤に回され、例年になくしんどい状況です。

 ステージは故郷である福岡県の太宰府・観世音寺の映像からスタート。セットは星空を模した内容になっています。ややメイク濃いめで、髪型のセットや網目状の飾りもかなりボリューミー。特に髪の毛は相当固めている様子です。派手な衣装ですが、楽曲は演歌一歩手前の聴かせるバラードでやはりちょっと地味です。構成も1コーラス半で、周辺のヒット曲と比べるとやはりどうしてもインパクトに欠ける内容でした。ただこの年の低迷が、翌年以降のイメージチェンジ・快進撃に大きく繋がる形になります。

応援など

 オープニングはエレガントな黒い衣装で登場。トップバッターの石野真子「ジュリーがライバル」では、他の歌手と一緒に踊る姿が映ります。

 その後は早くも紅組3番手・太田裕美のステージでコーラスを担当。赤いドレスに着替えています。山口百恵サーカスの2人と一緒にダンスも披露。ただその後は本番の髪型セットに時間をかけた影響で、余興や歌手席にも顔を見せない形になっています。

 ジュリーと百恵の対決後、シルクハット着用のラインダンスは6年連続で参加。ただ多くの歌手が大急ぎで着替えてすぐ後の紅組キャプテン・水前寺清子のステージに応援で登場する中、ルミ子さんは不参加の様子でした。その後佐良直美が歌う時にはステージ衣装のまま歌手席に戻っているので、おそらく単純に間に合わなかったものと推測されます。以降もエンディングまで同じ衣装で参加。チータ中心の団結力がとにかく印象的なこの年の紅組でしたが、その中で考えると残念ながらやや目立たない結果となりました。

 

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