紅白歌合戦・都はるみの軌跡~ステージ編(1977~1984)~

第28回(1977年)「しあわせ岬」

ステージ

作詞:たかたかし 作曲:岩久 茂
前歌手:森 昌子、春日八郎
後歌手:森 進一、八代亜紀

曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 「今年が独身最後の紅白です。10年間の愛を実らせて、幸せになるのです。愛する人と結ばれるのです。都はるみさんが、心から歌います。「しあわせ岬」」和田アキ子由紀さおり他の紅組歌手が扇子で花道を作る入場シーン、曲紹介も含めて少し照れのある表情を見せています。

 白い生地に紫の花をあしらった着物姿、ムードたっぷりにはるみさんらしい演歌を歌います。作曲の岩久茂は元・青い三角定規のメンバー、作曲家としては唯一の紅白歌唱曲でした。

 なお冒頭紹介のあった結婚相手は作曲家の朝月廣臣、1981年には宮崎雅の名前で夫婦デュエット「ふたりの大阪」を発表しています。1982年の紅白歌合戦で歌われても不思議でない売り上げでしたがその年に離婚、名曲紅白ということもあって「涙の連絡船」が選曲される結果となりました。

応援など

 オープニング・入場行進の立ち位置はこの年「あ」行が奥で「ま」「や」「わ」行になるほど舞台中央に近くなる形。そのため例年より映る回数が多いと思いきや、森昌子の真後ろに被っていてやはり目立っていません。

 序盤のステージ登場は初出場の高田みづえ「硝子坂」、他の常連歌手と一緒に薩摩大根を手にして応援しています。入場行進は着物姿での登場でしたが、ここでは既に光り物の入るドレスにチェンジ。22時台には紅白連想ゲームに参加、「果物」の問題にアンカーとして「赤かった」と高らかに解答する場面がありました。

第29回(1978年)「なんで女に」

ステージ

作詞:千家和也 作曲:小林亜星
前歌手:島倉千代子、村田英雄
後歌手:森 進一、山口百恵
曲紹介:森 光子(紅組司会)

 両軍応援キャプテンのやり取りからステージに入る進行は前回と同じ、紅組歌手が花道を作るのも同様でした。ただ今回は赤い2個組の和傘が使用されています。「さあ、いよいよラストスパートです。紅組にはまだこんな強力な方が控えております。「なんで女に」、演歌ひとすじ都はるみさんです!」

 「北の宿から」のようなヒットはしませんでしたが、小林亜星が作曲を担当。意外にも亜星さん作品が紅白で歌われたのは、ショーコーナーを除くとこの2曲に水前寺清子「昭和放浪記」を加えて3曲しかありません。

 1コーラスが非常に短いため、当時の紅白ではあまりない3コーラス歌唱。曲が進むごとに前半部の声量を抑えるような構成で、特に3番では囁く場面まで見られました。対戦相手の森進一「さらば荒野へ」は1番が長く1コーラス半の構成、その点でもうまく対照を成した形となっています。

応援など

 相変わらずオープニングではるみさんの姿が映りません。この年は入場行進どころかステージに上がってからも「な」行以降の紅組歌手は1秒も映るシーン無し、着物で参加したかどうかさえも不明です。この年の紅白で最初に映ったシーンは前半5番手・初出場を果たした芹洋子の曲紹介。「一座高うはござりまするが…」と森光子の口上から始まる歌舞伎の挨拶を模した内容で、島倉千代子青江三奈由紀さおりとともに裃姿を披露しています。

 この年は和装での出番がなぜか多く、中原理恵の歌唱後も紋付袴姿で登場。水前寺清子岩崎宏美と同じチームで、ラッキー7北島三郎五木ひろし前川清相手に殺陣の演舞を披露。さらに袴はそのまま上の衣装だけを変えて、後半トップバッター水前寺清子「肥後の駒下駄」のオープニングにも登場。そこでは佐良直美とともにエスコートを担当しています。

第30回(1979年)「さよなら海峡」

ステージ

作詞:吉岡 治 作曲:市川昭介
前歌手:青江三奈、北島三郎
後歌手:五木ひろし、八代亜紀
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)

 3年連続トリ前ですが、過去2年と違ってこの年は後攻。そのため北島三郎の「与作」歌唱後に間を空けず演奏開始という進行になっています。「歌、それは私の青春です。歌、それは私の命です。都はるみの歩んでゆく道に決して行き止まりはない、演歌ひとすじ15年。今夜もはるみ節が流れます。「さよなら海峡」、都はるみさん!」

 トリ前ですが、一足早く紅組歌手陣は応援席を後にして立ちの応援でした。長く赤いリボンを手にして、一列になっています。楽曲は吉岡・市川コンビの王道演歌。この曲はヒットしませんでしたが、同コンビの「大阪しぐれ」が翌年大ヒットしてミリオンセラーという結果になっています。

 熱のある歌唱と和服姿は例年通りですが、髪につけたかんざしはこれまでと比べて大きく目立っていました。

応援など

 この年は客席を通る入場行進からしっかり映っています。光り物も入った薄い生地のドレス姿です。ちなみにこの年はあいうえお順だとレコ大受賞のジュディ・オングと司会の水前寺清子の次という状況で、紅組歌手に「た」行「な」行「は」行が全くいません。そのため登場順はなんと島倉千代子の次でした。

 基本的にラインダンスなど大人数の応援に登場することはないのですが、この年は前半の「安来節」に参加。もっとも男踊り・女踊りの披露ではなく、金田たつえとともに歌う人としての参加でした。歌うパートはほんの1節のみでしたが、そこでもはるみさん特有のコブシはしっかり響き渡っています。

 佐良直美のステージは赤いカードを持ちながらコーラス参加、そのカードで大きなVの文字が作られるという演出でした。

 歌手席での応援は特別出演の美空ひばりまで参加。トリ前の曲順のため、終盤戦最初の小林幸子「おもいで酒」で後ろに駆けつけて応援する場面に彼女の姿はありません。

第31回(1980年)「大阪しぐれ」

ステージ

作詞:吉岡 治 作曲:市川昭介
前歌手:石川さゆり、北島三郎
後歌手:(中間審査)、三波春夫、水前寺清子
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)、吉田簑助

黒柳「はい、こちらもベテラン・都はるみさんです。さて大阪から文楽の吉田簑助さんがおいでくださいましたですけど、よくおいでくださいました、こんにちは」簑助「こんにちは」
黒柳「あなたが手にお持ちの物はなんですか?」
簑助「これは大阪の笹で、紅組に福があるように福を運んでまいりました」
黒柳「ありがとうございました。ところで、(文楽人形を指して)あなたはお名前は何とおっしゃいますか?」
簑助「山川静夫の恋女房です」
黒柳「まあ(笑い)それでは、都はるみさんの応援よろしくお願い致します。昭和55年度日本作詩大賞受賞曲、「大阪しぐれ」、都はるみさんです」

 日本文楽の吉田簑助が人形と笹を手に、応援ゲストとして登場します。21世紀以降だと石川さゆりのステージ演出辺りで出演するところですが、この時は曲紹介のみで留まっています(ジュディ・オングの後ろで書道家がダンサーのドレスに習字を披露する斬新な演出もあった年なので、参加してもらう発想は企画段階であったかもしれません)。曲紹介は日本作詩大賞をピックアップ、1994年以降はテレビ東京→BSテレ東が恒例ですが、1989年まではNHK総合での放送でした。

 「風雪ながれ旅」(こちらは第1回古賀記念大賞受賞がアナウンスされました)との演歌対決ですが、どちらも大ヒットに至るのは年明け以降です。もっとも「大阪しぐれ」は1980年の年末時点でも十分な大ヒット曲ですが、「雨の慕情」「とまり木」の方が売れていたせいか少し扱いが良くありません。ステージも原曲よりやけにテンポの速い演奏、これは演歌だと珍しいケースです。

 「風雪ながれ旅」は翌年以降大量の紙吹雪がつく紅白名物になりましたが、「大阪しぐれ」は後年の紅白でも歌われずこの時限りでした。100万枚以上売り上げた割に後年の知名度が低い印象ですが、理由を一つ挙げるとしたらやはり紅白で1度しか歌われていない上に当時の扱いも大したことなかった、それに尽きるような気がします。

 「北の宿から」以降観客の「ミヤコ!」コールはあまり聴かれなくなりましたが、この年から再び目立つようになっています。

応援など

 この年は日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞、移動中のため入場行進は不参加です。松づくしの余興は、この年も実演側でなく小林幸子と一緒に歌う側の参加でした。

 終始不参加を貫いたラインダンスは前年で廃止されましたが、体の露出が少ないフレンチカンカンには参加しています。もっともダンスの難しさや体力の負担はこちらの方がはるかに上、演出方針の刷新もあって1年限りのコーナーになりました。

第32回(1981年)「浮草ぐらし」

ステージ

作詞:吉岡 治 作曲:市川昭介
前歌手:小林幸子、内山田洋とクール・ファイブ
後歌手:森 進一、八代亜紀
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 トリ前の4ステージは、歌う前に全員登場して続けざまの演出になっています。「ミヤコ!ミヤコ!」「アキちゃん!」と、客席でははるみさんと八代亜紀のファンでコール合戦が起こりました。

 五木ひろし森進一も含めた4人のトップを切る形のステージです。「頑張ります」という口と手の動きで、気合いを入れています。楽曲はこの年元旦発表でヒットした「浮草ぐらし」、オリコン年間6位の「大阪しぐれ」が選曲されればトリではないかという予想もあった年でした。

 一途な女性の愛と風流なメロディーがマッチした、演歌好きにはもってこいの名曲です。前年はテンポ速い2コーラスでやや物足りない印象でしたが、この年は原曲と大きく変わらないテンポで2コーラス半の構成となっています。

 「デビューの時は平気だったのに、この2, 3年歌うことが怖くなりました。高校1年の時お母様から贈られた小さい袋に入ったお地蔵様、今日も懐に入れて歌います。「浮草ぐらし」、都はるみさんです!」。放送当時は何気ない内容の曲紹介ですが、3年後の出来事を想像するとやや重く聴こえます。もうこの時点で近いうちの引退を、心の中では決めていたのかもしれません。

応援など

 紅組歌手全員が赤ブレザーで入場するオープニング。島倉千代子が生まれて初めてのブレザー姿とアナウンスされますが、はるみさんのこの姿も紅白では当然史上初です。トップバッター応援後の衣装は黒いドレスでした。

 デュエットソングを題材にしたハーフタイムショーでは、田原俊彦と「銀座の恋の物語」を歌います。客席でも「はるみちゃん!」とコールする男性と、トシちゃんにキャーキャー叫ぶ女性のデュエット?が発生している様子です。

 紅組白組別個で設けられたもう一つのショーは、明治時代の芸者をイメージした内容のコーナー。「深川」を一節ソロで歌う場面と、挨拶をする場面が用意されています。

第33回(1982年)「涙の連絡船」

ステージ

作詞:関沢新一 作曲:市川昭介
前歌手:八代亜紀、五木ひろし
後歌手:森 進一、(エンディング)
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 「名曲紅白」、初出場の時に歌った「涙の連絡船」で紅組トリとなりました。背景としてはマイナー調のスタンダードナンバー「影を慕いて」で大トリというのが最初にあり、これと合わせた選曲で島倉千代子「この世の花」と比較検討した結果同じマイナー調の「涙の連絡船」が選ばれた、という経緯があったようです。

 「17歳で紅白歌合戦に出場した時の、懐かしい思い出の曲です。それから17年間色々なことがありました。その間に味わった色んな事を、いま全てを聴いてください。今年の紅組最後の歌、「涙の連絡船」都はるみさんです」

 「北の宿から」の歌い出しがオープニング曲として演奏されます。会場暗転、セットが赤く光る中で階段奥からせり上がりで登場。ステージが真っ赤に照らされ、階段を降りた後にドライアイス演出が入ります。海の波をイメージした白い煙は量が非常に多く、真っ赤な照明と合わせるとやや荒れ気味の航海でしょうか。少なくとも順風満帆な様子には見えませんでした。

 コーラスも若干過剰なくらいに入り、トリで歌うにあたってかなり力の入った編曲になっています。歌唱はそれ以前の2回と比べると緊張がかなり目立つ様子で、声の揺らぎがそれによって増幅されているように聴こえます。「ありがとうございました」と歌い終わりに挨拶する表情は、歌い切ったというより緊張から解放されたといった方が適切かもしれません。前年の紅白から通しで見ると、その時の徹子さんの曲紹介がより説得力のある内容に思える状況でした。

応援など

 例年あいうえお順で登場のオープニングは、ついに順不同となりました。一番最初に登場するはるみさん、水前寺清子田原俊彦近藤真彦と一緒にテンション高く登場します。なおこの年も一番最初はお揃いで赤ブレザー着用、トップバッター応援後は白いドレスに着替えてます。

 デュエットソングショーでは桑田佳祐と「一杯のコーヒーから」を歌唱。「チャコの海岸物語」を歌った時のメイクを落とし切れず、歌詞も若干飛ぶ桑田さん。歌い終わって桑田さんと別れた後に、少し首を傾げる場面が映っています。

 後半のハーフタイムショーは大江戸歌絵巻、和服姿で「お江戸日本橋」「ギッチョンチョン」「木遣りくずし」を歌い踊る内容です。はるみさんは「木遣りくずし」の歌唱を担当、扇子を手にしながら青江三奈と同じマイクで歌います。

第34回(1983年)「浪花恋しぐれ」

ステージ

作詞:たかたかし 作曲:岡 千秋
前歌手:杏里、新沼謙治
後歌手:村田英雄、青江三奈
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 「さあそれではここで皆さまにお送り致しましょう。都はるみさんと、そして岡千秋さんのお2人のデュエットです。もちろん「浪花恋しぐれ」です、どうぞ」

 「都はるみさんは、新宿で弾き語りをしていらした岡千秋さんの声にしびれてどうしても一緒に、岡さんはセリフの関西弁が難しくて2ヶ月特訓、体重も5kgも減りました。でもこの2人の熱意がヒットに繋がりました。岡さんの作曲です。「浪花恋しぐれ」です、どうぞ!」

 トワ・エ・モワチェリッシュなど、男女デュエットのグループが出場した例は1970年代にもありますが、ソロ歌手が異性のデュエット相手を呼ぶステージはこれが初めてでした。同年ははるみさんだけでなく、菅原洋一シルヴィアと一緒に「アマン」を歌唱しています。

 一旦閉めたステージの黒い緞帳を、演奏開始とともに再び開けます。セット両端に階段が用意されていて、はるみさんは画面左側・岡さんは画面右側からそれぞれ降りて登場します。紋付袴姿の岡さんは当時33歳ですが、全くそうは見えない貫禄が既にありました。”芸のためなら女房も泣かす”の歌い出し、確かに彼に似た歌声を持つ男性演歌歌手は他にいません。

 1番~セリフは岡さんのソロ歌唱、はるみさんは芸一筋に生きる亭主を見ているかの表情で待ちます。2番~セリフははるみさんパート、ステージを横目に見つつ岡さんの方向に体を向けての熱唱です。ラストは2人での共唱、結果3コーラス+セリフ2つ。セリフは若干カットされる場面もありましたが、演歌では当時異例の3分50秒にわたる贅沢なパフォーマンスでした。

 岡さんはこの曲を機に知名度が大きく上昇、作曲家としてもヒットを多く残し始めるようになりました。翌年五木ひろしに提供した「長良川艶歌」は「浪花恋しぐれ」以上に大ヒットして日本レコード大賞受賞、名実ともに演歌界を代表する大作曲家となっています。

応援など

 「いい歌が歌えた年でした。寅さんのマドンナも大好評。紅組の大黒柱です都はるみさん」。オープニングは全歌手が壇上に登場、1人ずつ司会者によって紹介される演出でした。

 この時期は両軍司会と別に、出場歌手の中からチームリーダーが選出されています。ほぼ毎年紅組・水前寺清子、白組・北島三郎ですがこの年は例外、チータがトリで歌うこともあってなんとはるみさんがチームリーダーに選ばれています。紹介後、「はい、頑張ってやります!皆さんどうぞ頑張ってやりましょう!」と紅組歌手を盛り上げます。

 「ビギン・ザ・ビギン」のショーコーナーは出場歌手全員参加。紅組歌手は赤・青・黄色の衣装に大別されていますが、はるみさんは黄色い衣装で歌います。踊りだけでなく、前半でソロパートもありました。「紅白俵つみ合戦」では黄緑色の着物で踊りに参加、この年の紅白歌合戦出場歌手はステージ以外でも振付など細かい段取り・練習量が特に多い年になっています。「日本の四季メドレー」でも「たき火」を歌唱。『おしん』に登場する母親みたいな格好で、他の歌手と手を繋ぎながら火の周りをグルグル回っています。

 チームリーダーとして一番の大仕事は、最終審査でカゴの中に入っているボールを投げる場面でした。初司会の鈴木健二による獅子奮迅の活躍もあって結果は白組の圧勝、10個投げ終わった所で球が無くなり叫び声を挙げています。なおこの時の衣装は着物でなく黒いドレス姿でした。

第35回(1984年)「夫婦坂」

ステージ

作詞:星野哲郎 作曲:市川昭介
前歌手:小林幸子、森 進一
後歌手:(エンディング)

曲紹介:森 光子(紅組司会)

 紙吹雪が大量に舞った白組トリ・森進一の「北の螢」。まだ降り止まない中、白組司会・鈴木健二がステージ中央に登場して紅組司会・森光子に話しかけます。

「森さん…。来てほしくない時がとうとう来てしまいましたね。わたくし森さんにお願いがあります。もう司会者としての言葉はこの後いりません。森さんの長い間の人生経験から、人生の先輩として、都はるみさんに言葉を贈ってください。そして森さん、今夜の森さんとても素敵でした。ありがとう、ありがとう、とても素敵でした…。さあ、都はるみさんに、贈る言葉をお願いします!どうぞ」

「デビューして20年、満開のまま散りたいという都はるみさん。都はるみさんは、デビュー20年そして紅白出場も20回です。そして今夜のこの紅白を、最後の花道として、歌手生活に別れを告げます。あと…(ここで演奏開始)10何分間で北村春美さんです。20年間ありがとう、さよなら。全国の皆さん、「夫婦坂」です!」

 尋常ならざる量の拍手が客席から起こります。「ミヤコ!ミヤコ!」のコールもありますが、それがかき消されるくらいの音の大きさです。舞台は暗転、はるみさんにスポットライトが当たります。カメラワークもほとんどが表情のアップで、引きの映像は極めて少なめです。衣装でさえも1番歌い出しで映る程度でした。

 1コーラスが終わらないうちに拍手が起こります。はるみさんが出場する前、テープが投げ込まれたという1950年代後半に近い熱狂度でしょうかあるいは後年のチェッカーズ解散ステージ並みでしょうか。客席はそれくらい過熱している状況です。

 目の奥には大粒の涙が見えます。2コーラス目(3番)では一瞬詰まりそうになりますが、歌えなくなるような場面はありません。ラストコンサートは前日に開催、いくら引退を決意したとは言え、舞台で歌う以上はまだプロフェッショナルの歌手としての堅持があります。歌い終わり、後ろに下がり挨拶するまではじっとステージを見つめますが、頭を下げた後はしばらく顔を上げることが出来ません。照明が明るくなり、大トリ用に編曲したフィナーレの中、後ろには紅組だけでなく白組の歌手もステージ上に集結する状況です。

 水前寺清子が心配そうに体を支え、森光子が同様に顔をのぞきこみます。この年デュエットした五木ひろしは背中の帯を叩いて大きな拍手しますが、森進一北島三郎もやはり心配そうな表情を見せます。演奏が終わり、客席からは”アンコール”の声が一斉に響き渡ります。元々3分間の空白を台本上用意していたように想定内の出来事ではありましたが、紅白歌合戦でアンコールが沸き起こったのは今も昔もこの時以外ありません。

アンコール~エンディング

 「皆さん、皆さん!ご静粛に願います!皆さん、ご静粛に願います!私の話を聞いてください!」鈴木アナがステージ中央に飛び出して、客席に静止を求めます。決死の願いに、観客も声援・手拍子を止めて一旦耳を傾けます。

 「はるみさんのために拍手と涙をありがとうございました。全国の家庭でも、おそらくこういう光景があろうかと思います。その拍手と涙は、はるみさんのアンコールを期待している声だと私は理解いたしました。会場大拍手。「しかしです皆さん、皆さん。私どもは一度そのことをはるみさんにお願いしました、しかしはるみさんは今の夫婦坂で燃え尽きたいとそうおっしゃって、全てを拒否なさいました。練習もしてません。キーも合わせてありません。ということはプロ歌手としては歌わないということです。」

 「しかしです、私に1分間時間を下さい!今交渉してみます!交渉してみます!ちょっと待ってください!」鈴木アナがはるみさんの元に駆け寄ります。

 「はるみさん!はるみさん!あなたが燃え尽きたのはよく分かる!だけどもこういう状態です。1曲歌う気力がありますか?1曲歌う気力がありますか?お願いします、お願いします…」しかし放送時間と睨めっこ状態のディレクターに余裕はなく、なし崩し的に「好きになった人」が演奏されたのは交渉を始めてから僅か10秒後のことでした。1分間の交渉は鈴木アナの頭にあってもスタッフには伝えていなかったようで、これは後年『紅白50回 栄光と感動の全記録』に掲載された鈴木さんへのインタビューでも失敗だったと語っています。

 「お待たせしました。これが都はるみさんの最後の曲です!皆さんどうぞ一緒に歌ってあげてください。練習も何もしてない、その点ご容赦願います。お許しください、どうぞ!さあ、はるみちゃんいこう!」

 涙が止まらない中、舞台に集まっている歌手全員が「好きになった人」を歌います。その歌手たちの温かさに、はるみさんは余計に歌えない状況になります。水前寺清子石川さゆりなど紅組歌手も涙が止まらない状況で、八代亜紀も思わず泣きながら横に駆け寄ります。

 演奏は続き、2番に入ると無理やりながらも自ら歌い始めました。会場やテレビの前の視聴者は大騒ぎといったところですが、「夫婦坂」で内心燃え尽きたであろうはるみさんにとってはやや不本意な状況だったかもしれません。実際、アンコールで歌う演出について本人は元々頑なに拒否していて、涙を流しつつも何とも言えない表情を浮かべているようにも見えます。

 「もっともっと、たくさんの拍手を、ミソラ……都さんに、お送りしたいところですが、何分限られた時間です。審査の、得点の集計に入りたいと思います」。ワイドショー化・ゴシップ化が著しかったこの年の紅白歌合戦、年明けのマスコミを本番のステージ以上に賑わせたのは総合司会・生方惠一アナによる痛恨のミスでした。この顛末については紅白名言集解説・35~ミソラ事件~の記事を参照してください。

 カゴからのボール投げで決まる最終審査は3個目で早くも終了、31対2という記録的大差で紅組優勝となりました。前年から設けられた個人賞の金杯・銀杯は勝者である紅組歌手からの選出、言うまでもなく金杯を受賞したのははるみさんでした。

 後年にBSで再放送された際に「蛍の光」がカット、本番終了後の映像が放映されています。花束を受け取った後、「一緒に皆さん贈ってやってください。都はるみはもう二度と、皆さんの前で歌う機会ありません」と白組キャプテン・北島三郎が音頭を取って「アンコ椿は恋の花」を会場全員で合唱。なお「蛍の光」の映像は、NHKアーカイブスの公開ライブラリで全編含めて視聴可能となっています。

 鈴木健二アナの行動については批判もありましたが、何が起こるか分からないあの場面を納められる司会者も彼くらいしかいないのもまた事実です。これについてはいずれ、鈴木アナ個別の記事を作る機会ができればその時に書きたいと考えています。

応援など

 出場順に男女ペアで登場するオープニング、トリのはるみさんは森進一と一緒です。「はい、頑張って歌います。紅組を勝たせてください、勝ちます!」と挨拶、着物姿での登場です。

 各5組ずつ披露後のショーコーナー「豊年こいこい節」では、花笠を被っての刈り取りをイメージした衣装と踊りを披露。八代亜紀島倉千代子牧村三枝子他と一緒にダンス、ここでは一人だけ特別目立つ場面はありません。水前寺清子「浪花節だよ人生は」で紅組歌手全員がダンスするシーンにも、普通にその中の1人という形で出演しています。

 ただ大トリに近づくにつれて、扱いは大きくなります。後半のショーコーナーでは、同郷の紅組司会・森光子と「祇園小唄」をデュエットする場面が用意されます。紅組歌手全員が和服姿で踊る中で終始歌唱を担当、そういえば第32回・第33回と違ってこの年は白組より紅組の方が後でした。来たるべきクライマックスに向けて、その期待を押し上げるには十二分の内容だったのではないかと思います。

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