歴代紅白歌合戦歌唱曲・演奏時間&構成表(第40回・1989年第1部)

 第39回・1988年(昭和63年)から期間が空きましたが、本日から歴代紅白歌合戦歌唱曲・演奏時間&構成表の記事作成を再開します。

 平成最初の紅白、第40回は史上初の2部制。年号が変わると同時に、番組内容が大きく変化しました。ただ19時20分開始の前半を「昭和の紅白」、21時開始の後半を「平成の紅白」とする2部構成は翌年以降と大きく異なります。特に第1部は完全に昭和を懐かしむ番組内容で、紅組・白組の対決も対象外となっていました。

 

演奏時間&構成表 1(第40回・1989年)

 演奏時間・構成は紅白歌合戦で実際に披露したステージを指しています。フル再生時間はSpotifyの音源基準、オリジナル未配信曲は手持ちのCDからインポートしたiTunes音源を基準としています。

曲順 楽曲 アーティスト 演奏時間
構成
フル再生時間
構成
1(企1) 東京ブギウギ
(1948年)
出場歌手有志 1分42秒
1コーラス
3分7秒
2コーラス+ラスト
2(白1) かえり船
(1946年)
田端義夫 2分34秒
2コーラス
3分26秒
3コーラス
3(紅1) 君の名は
(1953年)
織井茂子 2分25秒
2コーラス
3分26秒
3コーラス
4(紅2) 愛燦燦
(1986年)
雪村いづみ 3分18秒
2コーラス
5分6秒
3コーラス+ラスト(原曲)
5(紅3) 未練の波止場
(1957年)
松山恵子 2分15秒
2コーラス
3分55秒
3コーラス
6(白2) お富さん
(1954年)
春日八郎 1分58秒
3コーラス
2分37秒
4コーラス
7(紅4) 南国土佐を後にして
(1959年)
ペギー葉山 2分50秒
2コーラス
4分0秒
3コーラス
8(白3) 王将
(1961年)
村田英雄 2分13秒
2コーラス
3分17秒
3コーラス
9(紅5) ヒット・メドレー ピンク・レディー 4分10秒
ペッパー警部
(1976年)
0分55秒
冒頭+Aメロ
3分13秒
2コーラス
UFO
(1977年)
1分9秒
冒頭+1コーラス
3分11秒
2コーラス
サウスポー
(1978年)
1分55秒
1コーラス
3分35秒
2コーラス
10(白4) ヒット・メドレー ザ・タイガース 4分15秒
花の首飾り
(1968年)
2分11秒
1コーラス半
3分57秒
2コーラス半
君だけに愛を
(1968年)
2分2秒
冒頭+1コーラス
3分15秒
冒頭+1コーラス半
11(紅6) 誰よりも君を愛す
(1960年)
松尾和子
和田弘とマヒナスターズ
2分23秒
2コーラス
3分39秒
3コーラス
12(白5) 北国の春
(1977年)
千 昌夫 2分34秒
2コーラス
4分2秒
3コーラス
13(白6) 東京五輪音頭
(1963年)
三波春夫 2分29秒
3コーラス
3分25秒
4コーラス
14(白7) 青い山脈
(1949年)
藤山一郎 2分23秒
3コーラス
3分20秒
4コーラス
15(紅7) アンコ椿は恋の花
(1964年)
都はるみ 3分46秒
3コーラス
4分4秒
3コーラス

各ステージ・補足

 オープニングは「東京ブギウギ」の演奏からスタート、緞帳が上がると出場歌手が登場して一緒に歌うという内容でした。裏番組の日本レコード大賞に出演していない歌手中心なので多くは演歌・歌謡曲系ですが、その中で聖飢魔IIのメンバーが異彩を放ちまくっています。

 平成の紅白で最初に演奏された出場歌手のステージは、1946年に大ヒットした田端義夫の「かえり船」。1番と3番の2コーラス歌唱です。アナログ音源と比べてややゆったりめのリズムでした。直前に「時代の証言者」として女優・有馬稲子が登場。終戦直後に釜山から下関へ引揚げた当時の思い出を2分40秒ほどスピーチしてから歌に入っています。

 織井茂子は初出場の第4回以来、36年ぶりに紅白で「君の名は」を歌います。1番と2番の歌唱、アナログ録音の原曲より相当テンポを遅くしての演奏でした。こちらは作家・村松友視が昭和20年代後半の話を1分20秒ほど、その後に佐田啓二と岸恵子が共演した『君の名は』の映像が流れてから歌に入っています。

 続いてはこの年に逝去した美空ひばりを追悼。訃報のニュース原稿を読み上げた後に「リンゴ追分」「港町十三番地」「悲しい酒」の歌唱映像オンエア、これだけで10分近く尺を使っています。ステージはデビュー期からの盟友・雪村いづみがカバーする「愛燦燦」。天国のひばりさんに向けて贈る絶唱でした。1番と3番の歌唱、ラストサビは繰り返しがない代わりに”ああ 未来達は”から始まる最後の箇所を採用しています。

 沖縄からの中継を挟んで歴代司会者6名のスピーチ、これは1人1分計6分の予定が5分も押すという過去最大級の押し具合でした。そのためこの後に紅組・白組3名ずつに分かれる曲紹介がややカット気味です。松山恵子は32年前の初出場の時に歌った「未練の波止場」、当時はおそらく不可能だった直径2メートル半の特大スカートが目を惹くステージでした。1番と3番の歌唱。なおコーナーを挟む形ですが、3組連続同じ組の曲順はこの時が初めてです。

 春日八郎も初出場を果たした国民的ヒット曲「お富さん」を歌唱。往年と比べて声量が落ち気味にも聴こえますが、実際この頃は体調も良くはなかったようです。僅か2年後に、67歳で逝去されました。3コーラス歌唱ですが、1コーラスが短いので演奏時間は2分を切っています。なお曲紹介は第1回・第2回白組司会の藤倉修一アナがメインで担当、紅白司会としてはおそらくこれが音声・映像ともに唯一残っている曲紹介ではないかと思われます。

 ペギー葉山は1959年の大ヒット曲「南国土佐を後にして」の1番と3番を歌唱。中村メイコの曲紹介でしたが、自身も第17回(1966年)で紅組司会を担当していました。

 村田英雄は紅白で4回目、第20回以来20年ぶりとなる「王将」の歌唱です。当時まだ60歳ですが、糖尿病の影響もあってかなり痩せて見えます。1番と3番の歌唱でした。なおペギーさんと村田先生のステージは前歌手が終わってすぐの演奏開始、「王将」に至っては演奏が終わらないうちに総合司会・松平定知アナが次の進行への段取り。相当押していることがあらためてよく分かる光景です。

 ピンク・レディーは1978年・第29回の辞退組でこの年2回目の再結成。この年の第1部目玉ステージの1つでした。「ペッパー警部」「UFO」「サウスポー」はいずれもヒット当時に紅白で歌っていなかった代表曲。「ペッパー警部」がAメロまで、「UFO」が2回目のAメロカットに対して「サウスポー」は1コーラスをイントロからフルで披露。3曲の中で最も扱いが良かったのは「サウスポー」でした。

 全盛期は長髪を理由に選ばれなかったと言われるザ・タイガースは、この年が唯一の紅白出場。「花の首飾り」を2番途中まで、「君だけに愛を」を1コーラスといずれも半分近くまで演奏。ヒット当時よりも扱いが良いと思えるステージ、これは2010年代の再結成でもしばしば見られる光景になりました。(ステージレビュー→紅白歌合戦・沢田研二の軌跡

 大阪で開催される花の万博会場からの中継と、ピアニスト・中村紘子のスピーチを経て松尾和子・和田弘とマヒナスターズの「誰よりも君を愛す」。29年前の発表時は松尾さんのソロ歌唱でしたがこの回はデュエット、マヒナスターズは史上初めて紅組・白組両方からの出場を達成。1番と2番の歌唱でした。

 当時NHKプロ野球解説者だった川上哲治がプロ野球の景品史などを語った後で、当時ほぼ実業家で歌手活動休止中だった千昌夫が「北国の春」を歌唱。紅白では当時最多の5度目でした。なぜか後ろに髪を結っている資産家風の風貌ですが、2年後にはバブル崩壊で大借金を抱える形になります。構成は過去4回と同様1番と3番、演奏時間はこれまでと比べて一番長めです。

 1964年開催の東京オリンピックの映像、会場に招待された金メダリストの紹介を経てのステージはもちろん三波春夫の「東京五輪音頭」。五輪前年の紅白で「蛍の光」の代わりにエンディング歌唱となりましたが、三波先生が紅白でこの曲を歌ったのはこれが唯一です。4コーラスありますが、歌は4番カットで1番~3番まででした。

 第1部両組トリの前には、紅白歴代名場面集もオンエアされました。内訳は第24回(1973年)水原弘「君こそわが命」(1978年逝去)、第29回(1978年)山口百恵「プレイバックPart 2」(1980年引退)、第32回(1981年)森昌子「哀しみ本線日本海」(1986年引退)、第20回(1969年)坂本九「見上げてごらん夜の星を」(1985年逝去)。おそらく九さんは存命であれば、この回に限らず平成前期の紅白で間違いなく何度か復帰出演があったものと思われます。

 「心に残る昭和の歌」というこの年に行われた世論調査で1位になったのは、藤山一郎「青い山脈」でした。1番・2番・4番の3コーラス。78歳の出場は当時最年長、白組歌手としては20年以上破られない記録となっています。

 第1部の大トリは5年前の紅白以来のステージ、都はるみの「アンコ椿は恋の花」でした。この紅白限定の復帰という触れ込みでしたが、翌年すぐに歌手活動再開を宣言します。キーは若干下げているものの唸りや動きは発表当時よりも全開、復帰を待っていたファンや視聴者に届けるかのような圧巻のフルコーラスでした。(ステージレビュー→紅白歌合戦・都はるみの軌跡

 

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