紅白歌合戦・西田敏行の軌跡~データ&応援編~

 2024年10月17日、急な訃報が飛び込みました。俳優の西田敏行さんが東京の自宅で逝去されたというニュースです。76歳でした。

 俳優としてはもちろんですが、歌手・タレントその他もろもろにおいてこの人ほど”エンターテイナー”という言葉がしっくり来る方は滅多にいません。その象徴が、あらゆる形で出演した紅白歌合戦歴に表れています。以前紅白名言集解説・52~実はこちらが紅白唯一の記録~で軽くまとめましたが、再掲・バージョンアップの上あらためて紹介します。

 

西田敏行の紅白歌合戦出演歴まとめ

出場回 放送年 出場形態 内容
第28回 1977年 応援ゲスト 初出場を果たした友人・松崎しげるの応援
第29回 1978年 白組応援団長 白組の盛り上げ役として冒頭からラストまで出演
第32回 1981年 白組歌手 大ヒットした「もしもピアノが弾けたなら」で歌手として初出場
第33回 1982年 白組歌手 名曲紅白で井沢八郎のヒット曲「あゝ上野駅」を歌う
第40回 1989年 特別審査員 次年度の大河ドラマ『翔ぶが如く』主演・西郷隆盛役
第41回 1990年 白組司会/歌手 歌手として「もしもピアノが弾けたなら」も歌う、白組優勝
第58回 2007年 ナレーション 阿久悠追悼VTRのナレーションを担当、自身の初出場ステージも振り返られる
第60回 2009年 ゲスト審査員 歴代司会者、映画『釣りバカ日誌』シリーズ最終作が当時公開
第62回 2011年 白組歌手 故郷・福島への祈りを込めて「あの街に生まれて」を歌う
第63回 2012年 特別出演 東北出身の有志とともに「花は咲く」を歌う

 

西田敏行の紅白歌合戦出演~応援編~

 それぞれの紅白歌合戦出演について1個ずつ振り返りますが、特別出演含めて5回出演した歌手編司会・白組応援団長の司会編はそれぞれ別記事で紹介します。ここではそれ以外の第28回(1977年)・第40回(1989年)・第58回(2007年)・第60回(2009年)のみについて書きます。

第28回(1977年):松崎しげるの応援

 紅白歌合戦の初出演は1977年、「愛のメモリー」で初出場を果たした松崎しげるの応援ゲストとしてでした。この年の西田さんは大河ドラマ『花神』で山県狂介役を好演、民放ドラマでは『特捜最前線』にレギュラー出演開始。ちょうど俳優としてブレイクし始めた頃でした。松崎さんとは売れる前から親交があり、表舞台では1975年にTBSテレビ『ハッスル銀座』で一緒に進行を担当した経歴があります。以下、当時のやり取りを全掲載。

(前ステージ、南沙織「街角のラブソング」ステージ終了後)
「とても素晴らしいですね。次はですね山川さん、松崎しげるのですね私の親友なんですよ」
「(白組司会・山川静夫アナウンサー)ご紹介致します。西田敏行さんが応援に駆けつけてくれました」(白組応援席・拍手)
「西田敏行でございます。今回はですね、この紅白歌合戦アタクシどうしても出てくれというお話があったんですが、よんどころない事情でご辞退申し上げました。アハハハ。そしたらば、必然的に松崎しげるが出てもいいんじゃないかということになりまして。何と言いましてもこの、長年の苦労でちょっと、顔の色も黒が目立ちますけども、ハハハ…」
「でもまあ、歌は絶対に保証いたします。本当にもうこの松崎しげるの歌唱力は、僕は太鼓判を押して皆さんにお薦めしたいと思います。本当に、ありがとうございます」
(松崎さんにお花を渡しながら)「でもなほんとマツ、本当に良かった。でも、マツがな、出られたから俺も、応援団出られたんだ。本当ありがとな。頑張ってくれよ!」
「(山川アナ)では(花を)お預かりしましょうか。顎を外さないように力いっぱい歌ってください、もちろん「愛のメモリー」松崎しげる!」

 笑いを交えた軽妙な喋りですが、短い時間で松崎さんの長所もしっかり盛り込む部分に巧さを感じます。友人のエールを受けた松崎さんはこのまま「愛のメモリー」を大熱唱。西田さんは終始当時の応援団長・三波伸介と肩を組み、体を左右に揺らしながら後ろで応援します。アウトロの超絶熱唱は凄まじいものでしたが、思わず後ろの西田さんも大喜びでジャンプ。隣の三波さんが止めに入るほどでしたが、友人の活躍が本当に嬉しかったからこそ出た動きだったように見えます。後年における『探偵ナイトスクープ』の涙も有名な西田さんですが、素直な感情が前面に出る部分もまた大変魅力的な方でした。

 この大きなリアクションが紅白でもっとも出ていたのが、第29回(1978年)の白組応援団長を担当した時です。これについては司会編の記事で大きくクローズアップしたいと思います。

 

第40回(1989年):ゲスト審査員

 翌1990年の大河ドラマ『翔ぶが如く』で西郷隆盛役を演じますが、その流れでの審査員出演でした。この時点で歌手2回・応援団長1回・応援ゲスト1回の紅白歴です。なお西田さんの大河ドラマ出演歴は紅白以上に多く計14回。複数人も含めた4度の主演は歴代最多記録となっています。

 第32回・第33回は歌手以外でも随所でコミカルな部分を出していましたが、この時期の紅白はあまりそういった演出になっていません。審査員がクローズアップされる場面も少なく、鳥羽一郎が歌う前に白組司会の武田鉄矢とやり取りがあった程度でした。なお紹介された大羽子板が本当に西田さんに贈られたかどうかは不明です。

「西田さん!わが友西田敏行さん。見てくださいこれね、愛媛県松山市の主婦のグループが作った大羽子板。ちゃんと西田敏行さんのね、この西郷隆盛がいるんですよ。これを一つプレゼントしたいというふうに思ってますので、審査の方よろしくお願い致します」
「本当に?」「はい、分かりました」

 

第58回(2007年):ナレーション

 作詞家・阿久悠が逝去した2007年、この年の紅白ラスト4組は「あの鐘を鳴らすのはあなた」「北の螢」「津軽海峡・冬景色」「契り」といった彼の作品で締める形でした。その前の追悼映像のナレーションを、西田さんが担当しています。映像では「勝手にしやがれ(第28回紅白)」「ペッパー警部」「もしもピアノが弾けたなら(第32回紅白)」「わたしの青い鳥」「ロマンス(第26回紅白)」「ジョニィへの伝言(第25回紅白)」「UFO」「時の過ぎゆくままで(第26回紅白)」「あの鐘を鳴らすのはあなた(第42回紅白)」「北の螢(第35回紅白)」「契り(第33回紅白)」「津軽海峡・冬景色(第28回紅白)」が紹介されていました。

「今年8月、歌謡界の巨人が天国へ旅立ちました。阿久悠さん。アタクシ、西田敏行もこの代表曲(「もしもピアノが弾けたなら」)を頂きました。阿久さんの作品には、夢があります。優しく、あったかい人間味に溢れてます。そして凄いのは、その膨大な作品数です。売り上げたシングルの枚数も全作詞家で断然トップ。ピンク・レディーも、ジュリーも阿久さんにたくさん良い歌をもらいました。そんな阿久悠さんの真骨頂は何かと聞かれたら、私はやっぱり情感溢れる大人の歌と答えます。今年の紅白、阿久悠さんをもう一度味わってみませんか?彼が教えてくれた歌の絆を、確かめるために。彼が僕らにくれた、歌の力を受け取るために。」

 

第60回(2009年):ゲスト審査員

 20年ぶり2回目の審査員出演ですが、見せ場は当時と比べて断然多くありました。まずは審査員紹介の場面、両手でピースサインした所で観客から”浜ちゃーーん!”という大きな声が挙がります。代表作の1つである映画『釣りバカ日誌』シリーズは、この年20作目でファイナルを迎えました。

 前半紅組ラスト川中美幸が歌う前に「ふたり酒」の曲紹介を担当。「もう一度夫の顔をよく見て、妻の顔をよく見て、仲良くしようと思っていただきたい」と、釣りバカ日誌のみち子さんも絡める形で夫婦愛を称える曲紹介。なお2人は紅白出場歌手として、同じ第32回初出場の同期でもあります。

 さらに後半、五木ひろしが歌う前に『釣りバカ日誌』で長年共演した三國連太郎とのツーショットが実現。ここでは24歳年上、当時86歳だった三國さんを介助するような役割でした。

 第40回では審査員席を映す機会もほぼ無かったですが、この時期になると映る機会は多いです。観客総立ち演出だったアリス「チャンピオン」のステージなど、ノリノリの笑顔を見せる場面も多々ありました。

 そして極めつけは小林幸子の登場前、堺正章武田鉄矢と繰り広げる漫才のようなやり取り。この年司会の中居正広仲間由紀恵も交えたトークの内容は以下の通りでした(第60回(2009年)NHK紅白歌合戦~その7~より再掲)。

中居「誰が一番この中で偉いんですか?」
武田「それは…(笑)」
西田「偉いと言えばね、堺さんは孫悟空だったしねぇ。」
堺「で、この人、豚ですから」
西田「猪八戒。ちょっと落ちますけど。この人(武田)何なんだろうねぇ」
堺「妖怪ですよ」
西田「妖怪だ(笑)」
武田「妖怪とは何なんですか、大晦日の夜に…」
中居「3人は仲良いんですか?」
堺「(即答で)仲悪いですよ」
西田「特にね、この人(堺)とこの人(武田)とっても仲悪い」
堺「だってグループサウンズとフォークですから」
武田「もうお父さんの自慢ばっかりですよ、こちらの方は!」
西田「私は新劇ですから」
中居「でもやっぱり司会にね、色んな思い出あると思いますけど…」(せんとくん登場に会場ざわつく)
堺「もうああいうのが出てきたら負けですよ我々は」
仲間「平城遷都1300年ということでせんとくんが応援に駆けつけてくださったんです。そして万葉集も1250年ということで、小林さんが歌われる歌はですね、万葉集の中から恋の歌を選んで曲をつけたものなんだそうです。楽しみですね。皆さんが司会をされていた時、小林さんの衣装ってどうでしたか?」
武田「僕はね40回だったんですけど、小林さんが衣装からセットになっちゃったっていうね。」
中居「革命期ですね」
堺「そうそうそうそう、見覚えありますよ、小林さんがどこにいるかわかんないんですから」
西田「顔探しちゃいましたね」

 最後に、活動休止前の絢香が「みんな空の下」を歌った直後にコメントも求められました。「感動を頂きました。生きる力を頂きました。素晴らしかったですね。なんか、すみません泣いちゃって…。」「「歌の力」って「生きる力」ですよ。本当にありがとうございます。皆さん本当に、ありがとう…。」、当時司会を担当していた『探偵ナイトスクープ』ばりの涙をお茶の間に見せていました。

 

コメント

  1. 絶対記事にしてくださると待っていました。
    紅白にいろんな立ち位置で出場された、まさにエンターティナーでしたね。

タイトルとURLをコピーしました