紅白歌合戦・橋幸夫の軌跡~ステージ編~

 NHKの映像は第14回(1963年)・第16回(1965年)以降のみ現存でそれ以前は音声のみ、その音声もNHKの公開ライブラリーで見られるのは第6回(1955年)~第10回(1959年)までです。1990年代の年末にアナログBSで放送された昭和の紅白歌合戦も、第18回(1967年)・第21回(1970年)・第22回(1971年)は現存する画質が非常に悪いため一度も再放送されていません。個々のステージが特集で振り返られるのみです。

 今回NHKで再放送されていない古い紅白歌合戦の音声をお持ちの方に掲載許可を頂きまして、橋さんに関しては第12回のステージを除いて書けるようになりました。長年の紅白ファンにもあまり広く知られていない事実もあるかと思いますので、それらも合わせて記載します。

第11回(1960年)「潮来笠」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:笈田敏夫、宝とも子
後歌手:花村菊江、高 英男
曲紹介:高橋圭三(白組司会)

 「潮来笠」でデビューしたのはこの年の7月、年齢はまだ17歳。データ編でも書きましたが、男性歌手がこれだけ若年・早期でヒットしたのは当時全く前例のないことでした。

 当時の白組司会はNHKアナウンサーで、フリーになって以降は日本レコード大賞の司会でお馴染みとなる高橋圭三

 「皆さん、ここにですね、爆発的人気者・ラッキーボーイが一人おりまして。ちょっとこの辺で出すの、惜しいんですけれどもね。まあいっぱいあるから、出します、ね。高校2年生・弱冠17歳、橋幸夫くんでございます。もちろん「潮来笠」!」

 着流し姿で歌う写真は後年の雑誌にも掲載されていますが、衣装の色は当時入った実況によると「白と水色の鮮やかな和服姿」。帯の下には橋幸夫という名前も入れられています。茨城県の潮来水郷をテーマにして作られた物と思われます。三度笠を手にして登場、1コーラス歌唱後の間奏でそれを客席に投げるパフォーマンスあり。あと右手には菖蒲の花を持っていました。

 この年は同じ潮来を題材にした花村菊江「潮来花嫁さん」も大ヒット、紅白では初出場同士・同地域のご当地ソング同士の対決となりました。

第12回(1961年)「南海の美少年」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:江利チエミ美空ひばり
後歌手:宮城まり子、春日八郎
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 1960年代の紅白は、トップ・トリの他に中盤攻守交代における前半トリ・後半トップも重要な位置づけを占めています。この年は2回目の出場にして、白組後半トップバッター・美空ひばりの対戦相手として大抜擢されました。

 楽曲は島原の乱の英雄・天草四郎をテーマにした内容です。各年ごとのヒット曲を集めたコンピレーションCD『青春歌年鑑』の1961年版でも、橋さんのヒットとして選ばれたのはこの曲でした。ステージは音声・写真・書籍掲載など全く資料が見当たらないので、詳しくは省略します。

 

第13回(1962年)「いつでも夢を」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:朝丘雪路江利チエミ
後歌手:及川三千代、佐川ミツオ
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 第4回日本レコード大賞受賞曲ですが、これを白組司会・宮田輝は曲紹介で「今年のディスク大賞」と表現しています。レコ大が大晦日恒例の生放送になるのは1969年以降、まだ当時は賞そのものの知名度が低かったことを如実に表わしています。直前に江利チエミが歌った曲が「虹のかなたに」(Over The Rainbow)、したがって曲紹介は舶来物に対する国産品の良さを殊更にアピールするような内容でした。

 吉永小百合とのデュエットで大ヒットした曲ですが、当時は紅組白組の歌手が共演して歌う発想は有り得ないことでした(デュエット曲のヒットはこの時期でも非常に多かったのですが)。この年吉永さんも紅組から出場しますが、歌唱曲は「寒い朝」。これも和田弘とマヒナスターズとのデュエット曲で、マヒナはグループ単体のヒット曲「泣かせるね」を歌唱しています。おそらく吉永さんと一緒に歌った映像は、1968年に放送されたTBSの『日本レコード大賞10周年特番』くらいしか存在しないと思われます(こちらもCSのTBSチャンネルで再放送の実績あり)。

 ソロ曲もこの年は「江梨子」「中山七里」「若いやつ」などヒット曲が複数ありましたが、デュエット曲の「いつでも夢を」をソロにしてでも選曲した部分に当時の圧倒的な人気がうかがえます。映像が残っていないので衣装は分からないですが、構成は1コーラス半。吉永さんが歌う2番がそのままカットされています。

第14回(1963年)「お嬢吉三」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:村田英雄、畠山みどり
後歌手:西田佐知子、フランク永井
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 歌舞伎の『三人吉三廓初買』を題材にした楽曲です。歌う前に当時人気のコメディアンである三木のり平八波むと志千葉信男が三人吉三に扮して、白組応援コントを繰り広げました。

 このステージは本編レビューで書きましたので、こちらをご覧ください。どちらかと言うと本人のステージより、事前のコントの方が見どころだったのではないかな…と感じます。

 

第15回(1964年)「恋をするなら」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:ダーク・ダックス、吉永小百合
後歌手:
ザ・ピーナッツ、坂本 九
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 股旅物や歴史物などこれまでのヒットは「和」を意識した内容が多く、時々青春歌謡が入ることもありましたが、この曲はエレキギターの音をバリバリに入れた内容でした。後年「リズム歌謡」と呼ばれるジャンルですが、作詞作曲がこれまでの楽曲同様佐伯・吉田コンビで共通している部分にその凄さが表れているような気がします。海外では既に普及していた音ですが、日本の歌謡曲に取り入れたのはグループサウンズよりもビートルズ来日よりも前、この曲が最初ではないかと思われます。

 紅白歌合戦でもエレキギターが登場するのは史上初で、少なくとも映像が残っている第14回(1963年)でそういったシーンは全くありません。したがって音響のバランスは完全なる発展途上で、Bメロでは歌声より演奏音の方が大きいという場面もありました。テンポも原曲と比べてかなり速く、やや走り気味にも聴こえます(時間がかなり押してた可能性もありそうですが)。

第16回(1965年)「あの娘と僕」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:北島三郎、こまどり姉妹
後歌手:美空ひばり
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 22歳でのトリは、現在でも第20回(1969年)の森進一と並ぶ白組最年少記録です。双方ともビクターレコード所属というのが面白いです。ちなみに作曲家歴代3位の紅白歌唱曲数となっている吉田正作品のトリは、意外にも橋さんが歌った2曲のみ。

 まだ当時はいわゆる「紅白のトリらしさ」が完全に確立されていない時期だったと思われます。ステージ上が人で埋め尽くされるトリはこれ以降、同組歌手が歌手席から降りて応援するシーンを除くと第44回(1993年)の北島三郎「まつり」までありません。宮田輝の曲紹介も「いよいよもう1組でございます。白組に清き一票を是非お願い申し上げます。まだ出ない人、橋幸夫さんでございます、どうぞ!」と、トリにしてはえらくあっさりした内容でした。

 この年もいわゆるノリノリのリズム歌謡です。イントロが始まってすぐに、体操着姿のダンサーが登場。ほどなく白組歌手、そして応援で登場した柳家金語楼渥美清谷幹一といった面々も入ってきて一緒に踊り出します。ダンサーはともかく、白組歌手に関してはその場のノリで勝手に入ってきた可能性もありそうです。金語楼師匠は当時64歳でしたが、非常にキレのある動きと笑顔で一番目立っていました。

 

第17回(1966年)「霧氷」

作詞:宮川哲夫 作曲:利根一郎
前歌手:春日八郎、島倉千代子
後歌手:江利チエミ園 まり

曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 第8回日本レコード大賞受賞曲ですが、この年は「雨の中の二人」の方がヒットしていました。ちなみに他のレコ大候補曲は「君といつまでも」「絶唱」「星のフラメンコ」「バラが咲いた」「逢いたくて逢いたくて」、いずれもこの年もしくは前年の紅白歌合戦で披露されています。

 楽曲はここ2年のリズム歌謡とは全く異なるバラードです。ムード歌謡、とも呼ばれていたようです。聴かせる楽曲ですが、後世から考えるとメロディーや構成のメリハリが少し弱い印象もあります。ただ分かりやすい盛り上がりが存在しない分、非常に高い歌唱力を要することも間違いありません。ステージも原曲より少しテンポが速いのが気になる程度で、若干あっさりした内容でした。

第18回(1967年)「若者の子守唄」

作詞:サトウハチロー 作曲:鈴木邦彦
前歌手:フランク永井、島倉千代子
後歌手:(中間発表)、西郷輝彦、江利チエミ
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 サトウハチローは「ちいさい秋みつけた」など戦前から多くの童謡を手掛け、歌謡曲では「リンゴの唄」「長崎の鐘」が著名な詩人です。鈴木邦彦は新進気鋭のポップス系作曲家で、この時期はグループサウンズや黛ジュンのヒット曲を多く手掛けていました。おそらく当時かなり異色の組み合わせと言われていたのではないかと思われます。

 レコードでは津々美洋とオールスターズ・ワゴンが演奏を担当していますが、紅白ではこの年「ブルー・シャトー」でレコ大を受賞したジャッキー吉川とブルー・コメッツが演奏&コーラスを担当。映像がないので分からないですが、井上忠夫のフルート音がはっきり聴こえます。

 フルコーラスは4コーラスですが、そのうち3コーラスを歌唱。前半トリで直後に中間審査&攻守交代、大事な曲順を任されています。この年はどちらかと言うと「恋のメキシカン・ロック」の方が著名で、こちらは後年清水アキラのモノマネでリアルタイム世代以外にもよく知られる楽曲になりました。

 

第19回(1968年)「赤い夕陽の三度笠」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:森 進一、黛ジュン
後歌手:
美空ひばり
曲紹介:坂本 九(白組司会)

 記念すべき通算100枚目のシングルレコード表題曲です。この年白組トリに選ばれた理由としては、おそらく通算100枚目という点が大きかったのではないかと思われます。1960年代はまだアルバム(当時はLP)が今よりも普及していない時代、橋さんに限らず年10枚以上シングルを出すのは特に珍しいことではありませんでした。ちなみに吉田正と同様橋さんの師匠の佐伯孝夫は、作詞家別紅白歌唱曲数3位にランクインしていますが、発表年の新曲として歌われるのはこれが最後になります(以降は過去曲としての選曲のみ)。

 黛ジュン「天使の誘惑」のステージ終了後、演奏に合わせて殺陣が始まります。2階から階段を降りて登場するのは股旅姿の橋幸夫、客席に三度笠を投げ捨てます。見事な剣さばきを披露、敵は全員倒れますが「バカ野郎、今のはみんな峰打ちだよ!」。その後イントロが始まって白組司会・坂本九が曲紹介。「白組紅白、歌い締めは若き大御所・橋幸夫さんです」と、3年前と同様ややあっさりした内容。司会者用のコードマイクではなく歌手用の固定マイク使用で、九さんの紹介後に同じマイクで橋さんが歌うという珍しい光景が見られました。

 間奏中にも曲者が出現、浪人姿の舟木一夫が登場して殺陣披露。ただあっさり倒されて白組側に引き揚げます。その間に橋さんは中央に移動してセンターマイクを使用、最初に使っていた固定マイクは尺八の演奏に活用されました。

 ステージで殺陣を導入するのは紅白史上初めてのことで、あらためて見ると細かい演出や移動などに苦労した跡がうかがえます。トリの相手は歌謡界の女王・美空ひばりでしたが、演出の甲斐あってか最終的には白組優勝という結果で落ち着きました。

 なおこの年辺りから出場歌手が自分のステージ以外に登場するシーンも目立つようになります。トップバッターの三田明「薔薇の涙」のステージでは御三家揃って客席に薔薇を投げる演出に参加、また舟木一夫「喧嘩鳶」では森進一布施明と一緒に重い纏を掲げるパフォーマンスもありました。

第20回(1969年)「京都・神戸・銀座」

作詞:橋本 淳 作曲:筒美京平
前歌手:島倉千代子、三波春夫、(応援合戦)
後歌手:弘田三枝子、佐川満男
曲紹介:宮田 輝(総合司会)

 橋本淳・筒美京平は当時のゴールデンコンビ、同年の紅白ではいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」も該当します。楽曲はポップスというよりは歌謡曲といった方がしっくり来る曲調です。

 照明が暗転する中にスポットライトが当たる、2コーラス歌唱でした。複数の場所を歌うご当地ソングあるあるですが、このステージでも実際に歌われたのは1番の京都と3番の銀座のみ。大阪が見事にスルーされています。

 

第21回(1970年)「いつでも夢を」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:佐川満男、黛ジュン
後歌手:佐良直美、鶴岡雅義と東京ロマンチカ
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 近年でも週刊誌で取り上げられたステージです。この年は本来「俺たちの花」を歌う予定でしたが、本番の流れで急遽「いつでも夢を」に変更というサプライズが発生。この背景には、本人の婚約発表が大きく関わっています(翌年1月の結婚も既に発表済)。

 宮田輝がバンドマスターの宮間利之に、「これに変えたい」「これでやってくださいよ」と持ちかけます。橋さんは着物ですよと抗議しますが、「着物だってなんだって良いですよ、中身が良けりゃ」と聞く耳を持ちません。正月休みや奥さんの話題などで繋いだ後、そのまま「いつでも夢を」の演奏が始まります。

 譜面を配るシーンもありますが、いくらプロと言えども突然演奏するのは難しいものです。当時は各音楽番組での生演奏が当たり前の時代で、すぐ対応は出来たと思われますが…。本番中は突然の変更という形でそのまま伝えられていましたが、近年になって事前に打ち合わせがあったことを明かしています(よく考えればそうでないと無理なはずなのですが)。

 曲に合わせて全員手拍子、白組歌手も舞台に登場して一緒に応援。途中側にいる水原弘坂本九にマイクを向ける場面もありました。水原さんは当時愛妻家として有名で、紅白でもたびたびいじられていました。九ちゃんは翌年柏木由紀子と結婚、翌年の紅白で奥さんがサプライズ出演する演出が加わっています。

 2コーラス歌唱&ラストサビ繰り返しの構成、最後はウェディングマーチの演奏まで加わっています。今も昔も出場歌手の結婚は紅白でも曲紹介などでたびたび触れられますが、ここまで大々的な演出になったのはこれが唯一です。

 なおこの年本来歌う予定だった「俺たちの花」は前年同様のゴールデンコンビですが、ヒットはオリコン100位圏外でした。歌唱曲変更に際して宮田アナに「俺たちのナントカよりも…」呼ばわりされていましたが、当時の制作陣にとっては若干カチンと来る場面だったかもしれません。

第22回(1971年)「次郎長笠」

作詞:藤田まさと 作曲:吉田 正
前歌手:都はるみ、三波春夫
後歌手:真帆志ぶき、布施 明
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 藤田まさと・吉田正コンビではこの年鶴田浩二「傷だらけの人生」を大ヒットさせています。ただ任侠のイメージが強い楽曲はNHKに好まれず、紅白にもはっきりと落選理由として述べられていました。「次郎長笠」はこの年に橋さんが発表した曲ですが、他の曲よりも優先して選曲された理由にはこういった背景が存在しているのかもしれません。

 ステージでは3年ぶりに、間奏で殺陣演出が入りました。本人も股旅姿での歌唱です。

 

第23回(1972年)「子連れ狼」

作詞:小池一雄 作曲:吉田 正
前歌手:フランク永井、島倉千代子
後歌手:都はるみ
、沢田研二
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 1968年のオリコンチャート発表以降では、この「子連れ狼」が圧倒的なレコード売上になっています。劇画『子連れ狼』テーマソング、同年公開の映画の挿入歌としても使用されました。なお作詞は『子連れ狼』の原作者で、当時は小池一夫ではなく小池一雄の表記でした。

 若草児童合唱団の合唱が印象深い楽曲ですが、やはり当時でも23時台に彼らを出演させるわけにはいかなかったようです。ステージでコーラスを担当したのは、キャンディーズを筆頭とするスクールメイツの面々でした。「伊勢佐木町ブルース」のため息事件ほどではないですが、多少の違和感を感じた視聴者は当時多かったかもしれません。

 ステージは雰囲気タップリ、紫の着流し姿で2コーラス。ただテンポは原曲と比べてやや速めでした。進行がやや押し気味だったのでしょうか、大きく話題になった割に曲紹介もやや短めです。

第24回(1973年)「潮来笠」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:美川憲一、和田アキ子
後歌手:(中間発表)、フォーリーブス、金井克子
曲紹介:宮田 輝(白組司会)

 NHKホール初年度の紅白、中堅~ベテラン勢はほぼ全員が過去曲の歌唱でした。14年連続出場でベテランの域に入る橋さんも同様で、初出場以来13年ぶりに「潮来笠」を歌唱します。

 和田アキ子が「笑って許して」を歌った後、股旅姿の白組歌手8人と月の家圓鏡(後の8代目橘家圓蔵)が登場。圓鏡さんがちょっとした小咄を披露した後、三度笠で「乞うご期待!潮来笠」の文字を作って橋さんを出迎えます。

 初出場時は1番+2番の構成でしたが、この年は1番+3番の構成。後半歌う箇所が変更になっています。

 

第25回(1974年)「沓掛時次郎」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:美川憲一、山本リンダ
後歌手:森山良子、渡 哲也
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 1961年発表の曲ですが紅白初歌唱、また白組歌手も絡めた股旅寸劇が入るようになりました。詳しくは本編レビューで既に書いているので、そちらをご覧ください。

 前年まではステージ以外、歌唱後を除くとタキシードもしくはスーツ姿での登場でしたが、この年はステージ前後の2着もそれぞれ茶色・水色の和装で通しました。大トリで森進一ファスナー事件が発生しますが(本編レビュー)、間奏で他の白組歌手と一緒に森さんに声をかけて、腕をポンと叩く橋さんの姿が確認できます。

第26回(1975年)「木曾ぶし三度笠」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:三橋美智也、西川峰子
後歌手:由紀さおり、野口五郎
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 歌前の菊池剣友会の殺陣に、堺正章ガッツ石松が加わります。ガッツさんはこの年5度目の防衛に成功したバリバリの世界ライト級チャンピオンですが、当時からマチャアキとコミカルなやり取りを見せていました。

 その後に山川アナの口上でステージに入ります。「木曾ぶし三度笠」も1960年12月発売、デビュー当時のヒット曲です。曲中「木曽節」のくだりも入りますが、紅白ではこれ以前に第15回(1964年)の江利チエミと第19回(1968年)の三沢あけみによって歌われています。

 2コーラス歌唱、ステージは間奏でガッツさんのカットが入るくらいで、特筆すべきことはあまりありません。そのカットもどちらかと言うと、横で一緒に手拍子していた殿さまキングス宮路オサムの方が目立っていました。

 

第27回(1976年)「俺ら次郎長」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:田中星児、いしだあゆみ
後歌手:森 昌子、三橋美智也

曲紹介:山川静夫(白組司会)

 股旅姿の4人が殺陣を披露。山川静夫の口上で前川清五木ひろし森進一を紹介、オチ担当は堺正章でした。

 楽曲は清水の次郎長を題材にした楽曲で、やはり紅白初歌唱の過去曲です。この時期は春日八郎も「別れの街角」「赤いランプの終列車」「あん時ゃどしゃ降り」の3連発でしたが、発表年に紅白出場しながら歌われなかった曲が続いた例は橋さんのみです。

 この年1番を歌った後、演奏を止めて菊池剣友会の殺陣が本格的に入りました。橋さんも参加して、見事な腕を披露しています。剣の音をSEではなく”ビシッ、ビシッ”と口で表現する場面では、観客席から微かに笑い声が聴こえました。

 もう既にコードマイクが全盛になって久しい時代になっていますが、殺陣披露の演出がある関係でこの年はセリから上がってくる旧式の固定マイク使用の歌唱でした。これは第24回で特別出演した渡辺はま子・藤山一郎と、三波春夫が使用して以来3年ぶりとなります。

 ラストはオープニングに登場した4人が再登場。相変わらずマチャアキがボケます。「紅組一家に殴り込みだ」と威勢良い面々ですが、紅組側に駆け込んだのは橋さんだけ、というオチがつきました。

第41回(1990年)「いつでも夢を」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:堀内孝雄、大津美子
後歌手:マルシア、チョー・ヨンピル

曲紹介:杉浦圭子(現地リポーター)

 この年はブラジル・サンパウロにあるオリンピア劇場からの生中継でした。現地に杉浦圭子アナウンサーを派遣、そこから橋さんとマルシアのステージを生中継。ちなみに現地には小野田寛郎さんも参加、紹介されて挨拶するシーンもありました。現地の日系1世~4世が選んだ21世紀に残した歌ベスト3は「乾杯」「北国の春」「君といつまでも」、橋さんの歌う曲が入っていませんが、一応1世と2世から大きな支持を受けましたと紹介されています。

 ステージは2コーラス、2番からは現地の椎の実学園に通う少年少女のコーラスが加わりました。橋さんも1番はメインステージ、2番は子どもたちの目の前で一緒に歌っています。

第49回(1998年)「いつでも夢を」

作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正
前歌手:前川 清、伍代夏子
後歌手:(ニュース)、ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツ スペシャルバンド

曲紹介:中居正広(白組司会)、宮本隆治(総合司会)

 橋さんの恩師である作曲家・吉田正を偲んでのステージです。宮本アナのアナウンスには、吉田氏が生前に遺した言葉も含まれていました。没後間もなく、作曲家では3人目となる国民栄誉賞を受賞しています。

 「いつでも夢を」を紅白で歌うのは4回目ですが、白組歌手だけでなく紅組歌手もステージに参加するのは初めてです。元々橋さんが歌うパートは1番ですが、2番は石川さゆり西田ひかる持田香織由紀さおりと歌い継ぐ形でした。Every Little Thingの持田さんがこういった曲を歌うシーンは非常に貴重ではないかと思われます。2番後半以降は出場歌手全員が声を出して一緒に歌う演出でした。全員が手拍子する中で、当時JUDY AND MARYYUKIが波のように腕を動かすシーンが異彩を放っています。

 前半大トリは紅組も白組も関係ないという演出ですが、本人はあくまで白組歌手としての出場。後半で白組歌手が赤穂浪士に扮して応援するシーンでは、大高源吾役としてしっかり参加していました。

おわりに

 「いつでも夢を」はその後もたびたび話題になり、2005年のアンケート企画「スキウタ」では吉永小百合&橋幸夫の名目で紅組22位にランクイン。2013年の連続テレビ小説『あまちゃん』でも宮本信子が演じる天野夏の憧れの歌手として、この曲がたびたび劇中で披露されていました。ただ本人の紅白再出演は現在までありません。なお「いつでも夢を」は第68回(2017年)に全員歌唱で1コーラス半(本編レビューあり)披露ありました。偶然にもこの年はゲスト審査員で宮本信子も出演しています。

 紅白史とは別として橋さんが歌うジャンルの広さも特筆すべき事項で、特に1960年代は股旅・演歌から青春歌謡・リズム歌謡まで自由自在でした。橋さんだけでなく、彼の師匠で多く作曲を提供した吉田正もその点では共通しています。平成以降も「盆ダンス」「ゆるキャラ音頭」など、時期によってはかなり個性の強い楽曲が見られます。60周年記念曲として発表された楽曲はテリー伊藤プロデュース&作詞作曲の「恋せよカトリーヌ」、なかなかのアクの強さです。

 もし2022年の紅白歌合戦に出演するとしたら間違いなく「いつでも夢を」になると思いますが、この曲以外にもヒット曲は非常に多く、ジャンルも広範囲に及びます。正直もう少し振り返られてもいいくらいだと思いますが…。終わりにSpotifyのプレイリストも貼り付けましたので、もし良ければ是非この機会に聴いて頂ければと思います。ありがとうございました。

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