三善英史(2年連続2回目/第24回/1972/20)
「愛の千羽鶴」(1974/松本 隆/竜崎孝路/初)
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 「白組のチームワークの良さをちょっとご覧頂きたいと思います」と、横に控えている美川憲一前川清にマイクを向けます。「お名前をどうぞ」「美川」「前川」「山川」会場拍手。思わずもう一度「美川」「前川」「山川」、ここで堺正章が割って入ります。「ちょっとちょっと、あなたどなたですか」「私、堺です」「私、司会ですけど」さらにステージに控えてる3人。「三橋です」「三波」「三善」、そのまま曲に入ります。チームワークと名前のゴロをテンポ良く組み合わせたやり取りは、今回山川アナに司会が代わったから実現できた面白さではないでしょうか。
 横に控える三橋美智也三波春夫が、カラフルなレイを三善さんの首にかけます。少し背の低い三橋さんは、わざわざ足場を用意しています。白組の歌手席にも、いつの間にかポンポンの小道具が用意されていますね。聴かせるステージでした。(2分24秒)

(解説)
 山川静夫アナの真骨頂が出場歌手を巻き込むテンポの良い曲紹介。宮田アナがグイグイ引っ張っていく蒸気機関車型なら自分は山手線型の司会を目指すと話していましたが、これはその象徴と言える部分ではないかと思います。「わたしサカイ」「わたし司会」のくだりはおそらく相当気に入っていたようで、マチャアキが出場する第27回まで3年連続、さらに自身が総合司会・彼が白組司会を務めた平成3年の第42回にまで使い回していました。
 曲紹介にもありましたが、三善さんは次の年の大河ドラマ『元禄太平記』に清水一学役で出演しています。ただレコード売上はデビュー曲「雨」をピークに、ほとんど出すたびに落ちていく状況でした。この「愛の千羽鶴」でオリコン最高64位、週間TOP100圏内に入るのは翌年が最後になります。したがって紅白の連続出場も次の年まででした。

~演奏バンド紹介~

 両司会がそれぞれ演奏するバンドを紹介します。白組は人格が円満でオノマン、というわけで小野満とスイング・ビーバーズ東京放送管弦楽団。紅組はいつまでも若さを失わない、名前とは裏腹に腹の出ない原信夫とシャープス・アンド・フラッツ東京放送管弦楽団。小野満には青江三奈由紀さおり、原信夫には島倉千代子都はるみからそれぞれ花束が渡されます。

 次に登場するチェリッシュフォーリーブスを一気に紹介。このやり取りも見事でした。
山川「さて佐良さん、どんどん進めましょうか。おたくの方は今度は?」
佐良「今度は人数でまいります。2人組です」
山川「2人組?私の方は倍の4人でいきます」
佐良「あら、でもね、これはね。現在ではその4人の方が強いかもしれません。でも私が言っている強さは将来性ですから。将来こちらは男女ですからいくらでも増えることはできます。でも男4人では逆立ちしてもいつまで経っても男4人です」
山川「これは一本やられましたけど、私の方は麻雀やるとすぐパッと4人集まるので便利ですよ」
佐良「いえいえ、こちらは2人ですからこいこいが出来ます、「恋の風車」チェリッシュ!」

(解説)
 今ではすっかり事前収録と化した演奏ですが、ひと昔前まではバンドの生演奏でした。当時は打ち込みで音楽を作る技術も無く、『夜のヒットスタジオ』などの音楽番組も生演奏が当たり前の時代。第33回(1982年)までは紅組、白組でそれぞれバンドも分かれていました。小野満とスイングビーバーズは第18回(1967年)から、紅組を担当した年を含めると第34回(1983年)まで連続して担当。原信夫とシャープス・アンド・フラッツはこの年3年ぶりに復帰しますが、次年以降はダン池田とニュー・ブリードに紅組演奏の座を譲ります。また、紅組歌手がバンドマスターに花束を渡す演出はこの年から始まりました。
 佐良さんと山川アナのここでのやり取りも見事だったので全掲。このように2つ続くステージを一気に紹介する場面は、当時紅白史上初めての試みでした。

 

チェリッシュ(2年連続2回目/第24回/1971/23~25)
「恋の風車」(1974/林 春生/筒美京平/初)
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 2年連続の出場。松崎好孝は前回ギターを弾きながらでしたが、今回は2人揃ってステージに立ちながら。ただ松井悦子だけがアップで映るのは相変わらず。もっともトワ・エ・モワみたいに男性ソロパートが存在しないので、多少仕方ない面もありますが…。手作りの大きな風車を手で回すのは和田アキ子梓みちよ小坂明子八代亜紀。ここまで3組、紅組は例年以上にチームプレイが目立ちます。(2分22秒)

(解説)
 将来いくらでも増えることはできます、と曲紹介にありましたが果たして2人は3年後に結婚。2人の子どもに恵まれています。さすがに子どもを含めてチェリッシュ、というわけにはいかなかったですが、男女デュオとしての音楽活動は現在も継続中。
 「恋の風車」はヒット曲で、オリコンの年間ランキングでも30位に入っています。ただこの年辺りからセールス低下は始まっていたようです。紅白出場も次の年が最後でした。
 1980年代以降の紅白なら大掛かりなセットで用意されていると思われる風車ですが、当時はそういう技術もおそらく発想もなかったので、手でグルグル回しています。
 この時代のマイクは原則コードつきですが、よく見ると悦子さんが使うマイクから伸びているコードは途中で切れてます。1985年まで使われたハンドマイクは、実はコードレスでなく短い線が付着していました。とは言え1974年時点だと、その線は1mくらいの長さとなっています。こういったマイクを使用するのも、この年の紅白が最初でした。

 

フォーリーブス(5年連続5回目/第21回/1968/21~25)
「急げ!若者」(1974/千家和也/都倉俊一/初)

 青山孝のソロで始まり、3人が後ろで踊る歌い出し。ミュージカルを思わせるオープニングです。踊りが格好良くても楽曲が正直…と感じる部分もあったこれまでのステージですが、今回は楽曲も文句なしにカッコ良いです。照明を暗めに設定している演出も素晴らしいですね。北公次のバク転は今回もなかったですが、これだけ魅せてくれると文句のつけようがありません。5年連続、すっかり常連と言って良い存在になっていますが、これまでで一番良かったのではないでしょうか。
 ステージには時々動き回るカメラマンが映り込みます。メンバーの動きが激しく一定しないこういう場面では、今回導入されたハンドカメラの撮影は効果的。ただ常設のカメラと比べると、画質がやや落ちる印象があります。そこは今後の技術進歩に期待というところでしょうか。(2分28秒)

(解説)
 ダンスしながら歌うグループはいまや珍しくもなんともないですが、当時は彼らくらいしか存在していません。ジャニーズ事務所が強大化するのは1980年代以降のこと、この時は彼らと郷ひろみさんが二枚看板でした。
 この曲を作曲した都倉俊一は後にピンク・レディーを手掛けます。それは楽曲だけでなく激しい振付も含めて社会現象になりましたが、この曲に代表される彼らのパフォーマンスは最終的にそこに繋がっているような気がします。
 先ほど書いたように当時のマイクはワイヤレスでも長いコードつきで、イヤホンマイクも当時はありません。冒頭青山さんのソロは画面から見て右側で彼だけが歌い、あとの3人は中央後方でダンス。その後4人横並びで、ステージに置かれたマイクを手に取って踊り歌うという構成でした。ですのでおおよその立ち位置は決まっていて、アクション自体は激しいとしても舞台ではまだ前後に動く程度。複数メンバーがステージ中で自由自在に踊るという点では、まだまだ発展途上の段階です。

小柳ルミ子(4年連続4回目/第22回/1971/22)
「冬の駅」(1974/なかにし礼/加瀬邦彦/初)
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 1974年ちょっとしたブームになった愛国から幸福ゆきの切符。その舞台になった北海道から愛国駅の駅長・工藤晋さんが登場。もちろん愛国の駅では全員が紅組を応援しているとのことでした。北へ向かう玄関口・上野駅の駅員全員からの電報も届いているそうです。
 今回のステージはダンサーなどが存在せず、照明も抑えめでかなりシンプル。その分、黒いスパンコールが光る衣装が大変目立ちます。「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」に代表される清楚なイメージから、楽曲だけでなくルックスも少し大人っぽさを増してきたような気がします。後進のアイドルがどんどん出てきていますが、この歌の上手さだと数年後には今の由紀さおりちあきなおみいしだあゆみなどのポジションにピッタリ収まりそうです。(2分37秒)

(解説)
 ブームになった愛国駅は北海道帯広市南部、国鉄広尾線にあった駅。前年に放送されたNHKの紀行番組『新日本紀行』きっかけで、2駅先の幸福駅とともにブームになったようです。この年11月には芹洋子さんの歌唱で「愛の国から幸福へ」という楽曲まで誕生しました。もっとも当時の国鉄は赤字が増加傾向で、労使関係も悪化してストライキも頻発。かなりの赤字路線だった広尾線はこのブームで一旦は収支改善されましたが、結局1987年2月に廃止となります。愛国駅自体も、実は1974年12月の時点で無人化されていたみたいですね。
 「冬の駅」は大ヒット曲で、オリコン週間1位も獲得しています。10月発売なので年間ランキングでは順位割れしていますが、大体年間10位クラス、売上枚数は後年の「星の砂」を上回っています。
 衣装がこの年から少し派手になってきました。ここからどんどんパフォーマンスも含めて過激になり、最終的にはダンシング・ルミ子化するのですが、それはまだもう少し先の話。

 

堺 正章(4年連続4回目/第22回/1965/28)
「枯葉の宿」(1974/阿久 悠/井上忠夫/初)
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 間髪入れずに演奏・曲紹介が始まります。今回は前回より各3組も出場歌手が増えているので、例年以上にステージの進行が早いです。前回・前々回は小粋なジョークが入ったマチャアキのステージですが、今回は演歌に近いバラードということもあってか、特に何事もなく2コーラス歌い切る形でした。(2分12秒)

(解説)
 前年の「街の灯り」まではヒットしていますが、この年からオリコン100位圏内にも全く入らなくなっています。それでもドラマやバラエティなどテレビでの人気は非常に高く、これ以降も第27回まで連続出場します。良い曲ですが、ひたすら聴かせるタイプの楽曲なのでマチャアキのキャラクターとは少し違うような…。
 曲紹介ではこの年結婚したことが触れられました。ただし1980年に離婚しています。その後再婚しますが、色々あって2001年に離婚、その後2011年に3度目の結婚を果たしています。

桜田淳子(初出場/第25回/1973/16)
「黄色いリボン」(1974/阿久 悠/森田公一/初)
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 淳子ちゃんの衣装は、今回歌う曲のタイトル通り黄色を基調にした内容。黄色いレイを首にかけて歌います。同じようにステージに登場してダンス&コーラスを担当するのは、花の高1トリオの仲間である森昌子山口百恵。衣装もそれぞれ黄緑と白で、かわいさがより映える結果になっています。
 間奏では3人揃って白組キャプテンの山川静夫アナにレイをかける光景も。初々しさが良いですね。微妙に揃っていなくて決して完成度高くない2人の踊りも、また良き。(2分10秒)

(解説)
 大人気で文句なしの初出場ですが、意外とこの時期までレコード売上は高くなかったようで「黄色いリボン」もオリコン最高10位に留まっています。もっともこの年12月発売の「はじめての出来事」は大ヒット、オリコン週間1位も獲得しました。歌手としてのピークを迎えるのはむしろここから。と言うよりこの紅白のステージでさらに人気が上昇したという面もあったかもしれません。
 デビューして5センチ身長が伸びたと話す歌前の淳子さん。当時まだ16歳、確かにそれくらい成長しても不思議ではありません。この年齢で、個人でそれだけの人気を集めるアイドルは今なかなかいないです。2020年時点では乃木坂46の岩本蓮加、日向坂46の上村ひなの辺りが同い年です。

 

郷ひろみ(2年連続2回目/第24回/1972/19)
「花とみつばち」(1974/岩谷時子/筒美京平/初)

「皆さん、交通信号をご覧ください、黄色は注意、赤はストップ青がゴー、郷ひろみさん「花とみつばち」ゴー!」
 紅組が高1トリオなら白組は新御三家、西城秀樹野口五郎がバックで一緒に踊ります。前回の「男の子女の子」もそうでしたが、今回もレコードと比べて演奏テンポが相当速いです。その分2コーラス半のフルコーラスでした。
 客席からの声援が非常に大きいです。2番途中では観客(もしかすると歌手席?)の男性の掛け声がマイクに入っていました。さすがに先輩のフォーリーブスほどではありませんが、歌の合間に一回転するシーンも何度もあって、身のこなしも鮮やか。まだまだカッコ良いと言うよりかわいいと言った方が適当な表現ですが、5年後10年後くらいになると相当カッコ良い二枚目になりそうな予感がします。(2分29秒)

(解説)
 高1トリオはその後の紅白でも、ステージだけでなく応援で3人一緒というシーンも目立ちました。一方新御三家は、意外とそういう印象がありません。一応第27回・第29回の郷さんのステージでもバックで踊っていますが、他にも踊ってる歌手がいたのであまり目立っていないんですよね。もっとも元祖御三家が3人揃うシーンはほとんど皆無だったので(2人だけというのは何回かありますが)、それと比べると多くなった方なのかもしれません。
 まだこの時代は今のようにカッコ良いイメージではないですが、ターンはもうこの頃から取り入れられているようです。さすがにジャケットプレイはまだまだ先の話ですが。
 1970年代の紅白は、曲のテンポを速めるステージが特にアイドル・ポップス系で多発しましたが、この年は他と比べるとやや少なめ。ただこのステージに関してはかなり速めで、個人的には紅白を見てから初めて原曲を聴いた時にビックリしました。もっともテンポそのままで色々演奏がカットされるよりは、速くなる方が私は好きです。実際テンポを速めたことでかえってカッコ良くなるステージは、結構多いです。

佐良直美(8年連続8回目/第18回/1967/29)
「花のフェスティバル」(1972/さがゆうこ/佐良直美/初)
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 先ほど登場した3人は新御三家トリオ、チータの横に笑顔で座っている3人は花の高1トリオ。というわけで佐良直美と水前寺清子島倉千代子、3人揃って「花のババァトリオ」。オチがついたところで、次のステージを佐良さんの代わりにチータが紹介。前回司会を務めた彼女のステージは佐良さんが紹介したので、そのお返しといったところでしょうか。
 今回選曲された「花のフェスティバル」は1972年9月発売のシングル「別れ話は背中にしてね」のB面。選曲理由はよく分からないですが、歌詞の中に”赤白の”という表現があります。1972年の紅白は「オー・シャンゼリゼ」を歌っていたので、1974年の曲でなくても選曲しやすい面はあったかもしれません。そういえば、夏頃に『夜のヒットスタジオ』でもこの曲を歌っていました。
 ステージは、まず最初に新御三家の3人が佐良さんに花束を渡します。その後紅組出場歌手全員がステージに登場して踊り始めます。ここ2年佐良さんのステージは白組司会の宮田アナを引っ張り出す演出が恒例でしたが、今回も山川アナをステージ真ん中に引き連れてます。ただ2番をサビまで一緒に踊らせるというのは新しい試み。意外と山川アナのステップがリズム良く決まっていました。
 紅組歌手は一列になって、途中電車ごっこをするような体勢にもなったりしています。バックダンサーも10人ほど加わって、非常に賑やかなステージを展開していました。(2分20秒)

(解説)
 島倉・チータ・佐良で花のババァトリオとのことですが、当時の年齢はお千代さんが36でチータ・佐良さんはまだ29。29歳は、2020年換算だとAKB48の柏木由紀、大家志津香の年齢です。今の紅白だと、それこそメンバー全員30歳を迎えたPerfumeに言ってるようなものです。というより当時紅組の30代はお千代さんの他にザ・ピーナッツの2人と梓みちよさんしかいなくて40代以上は皆無です。今はですね、えっと…。
 この年辺りになると佐良さんはヒット曲が出なくなっていて、実際司会に選ばれてなければ落選も考えていたと話していました。1976年は「ひとり旅」がヒットしていますが、それくらいでしょうか。歌唱力とテレビでの人気、あとやはりこの司会で分かる通り抜群の仕切りの上手さと人望、これで紅白に出場し続けていたという面はあったような気がします。歌手としてのステージもこなしながら紅組司会を複数回こなす佐良直美と水前寺清子、この2人は文句なしに1970年代紅白歌合戦の紅組の顔でした。
 当時は紅組と白組の間でどういう演出をやるかはお互い知らされていない(と思われる)対決ムード。ですので山川アナが引っ張り出されるのも本人には当然知らされていません。なかなか見事なステップは本人の著書によると、仙台放送局勤務時代にキャバレーで踊っていたのが役に立ったということです。