紅白歌合戦・桜田淳子の軌跡~ステージ編~

第25回(1974年)「黄色いリボン」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:森田公一
前歌手:小柳ルミ子、堺 正章
後歌手:郷ひろみ、佐良直美

曲紹介:佐良直美(紅組司会)
コーラス&踊り:山口百恵・森 昌子

 前年の日本レコード大賞最優秀新人賞から、さらに実績を積み上げる形で紅白初出場。そのため”クック、クック…”でお馴染みの「わたしの青い鳥」は紅白歌合戦未歌唱です。当時の売上は意外と高くなくオリコン週間最高18位、年間では100位にも入っていません。この年は「三色すみれ」「黄色いリボン」が年間100位にランクイン、さらに花の中3→高1トリオがお茶の間へ浸透したことが紅白初出場に向けて追い風となりました。

 直後のステージが新御三家の郷ひろみ、彼らとの対決が強調されている展開ですが、カード的な対戦相手は「枯葉の宿」を歌う堺正章となっています。この年の前半は紅組3組目と白組4組目が一体のステージになるなど、少し対戦カードという意識を崩した演出になっていました。

 ステージに関しては過去に本編レビューで書いているので、こちらを参照してください。百恵さんと昌子さんの踊りはあまり揃っていなかったですが、コーラスは綺麗に決まっていました。

応援など

 当時16歳、早生まれの百恵さんはまだ15歳でしたが、現在と違って23時45分のエンディングにもしっかり参加。緑のドレスで「蛍の光」を一緒に歌唱、端の方で百恵さんや昌子さんと一緒でした。

 同年からしばらく恒例になったラインダンスにも、黒い網タイツ姿で参加。当時は特に何も問題になっていませんが、今だと坂道グループにやってもらってもクレーム事案になりそうです。その他、水前寺清子「てっぺんまごころ」のステージにも応援で参加(本編レビュー)。佐良直美梓みちよの紅組歌手全員が応援で参加する演出にも、黄色いステージ衣装のままで参加しています。あと中間発表で餅つきしている姿も映ってます。

第26回(1975年)「はじめての出来事」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:森田公一
前歌手:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、和田アキ子、(中間発表)
後歌手:西城秀樹、佐良直美

曲紹介:佐良直美(紅組司会)
踊り:岩崎宏美・キャンディーズ

 「はじめての出来事」は前年1974年12月発売のシングルですが、自身の最大ヒット曲ということで選曲される形になりました。オリコンでは唯一の週間1位獲得曲、この年の1月・2月には各歌番組で多く歌われていた物と思われます。初登場1位というチャートアクションが多くなるのは1980年代中盤以降、当時は滅多にこういう事例が起こらない時代です。

 1970年代後半の紅白は2回~3回にわたって中間審査を行うのが一般的でしたが、それ以前と同様ここで攻守交代というケースも多いです。同年は大きく分けて3ブロックに分かれていますが、このステージは2ブロック目のトップバッターという位置づけでした。

 真っ白なドレス、マイクを持つ左手の小指に薔薇の飾りがついた指輪をはめています。かわいらしい姿です。間奏からは初出場の岩崎宏美キャンディーズが登場。それぞれ「紅」「組」「勝」「利」と書かれた大きなラケットを掲げています。

 少しだけ速いテンポで2コーラス歌唱。本来ならもっと多く振り返られても良いステージですが、この年の紅白は実を言うとあまり保存状態が良くありません。淳子さんのステージは終始ノイズが入った状況で、1990年代に本編再放送される機会は少なめ。NHKの公開ライブラリーでもこの年の紅白は見られない状況が続いています。

応援など

 この年も百恵さん・昌子さんと一緒にいる場面が多いです。まず紅組トップバッター・岩崎宏美「ロマンス」の全歌手登場する場面で3人一緒です。淳子さんは前半ちょうど岩崎さんの真後ろという立ち位置、一緒に口ずさんでいる姿が確認できます。

 自身のステージの後に組まれた紅組キャプテン・佐良直美はこの年も全員参加。後ろの方で参加していますが、やはりこちらでも隣に百恵さんが一緒です。

 前年トップバッターの山口百恵はこの年24組中14番目の登場、大ベテラン三橋美智也との対決でした。「夏ひらく青春」を昌子さんと一緒に元気に紹介、他の紅組歌手とともにステージでも応援します。

 その後は間に3ステージしかないので大急ぎで着替えて、ラインダンスに参加。さらに4ステージの間にまた着替えて、ハッピ姿で大きな神輿を担ぐ応援に参加します。華やかかつ賑やかな内容ですが、前年以上に一歌手あたりの段取りが盛り沢山。裏では相当バタバタしたのではないかと推察します。

第27回(1976年)「夏にご用心」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:森田公一
前歌手:西城秀樹、和田アキ子、(中間発表)
後歌手:郷ひろみ、研ナオコ

曲紹介:佐良直美(紅組司会)
コーラス:ちあきなおみ・由紀さおり・岩崎宏美
パフォーマンス:水前寺清子・都はるみ・青江三奈・森昌子・島倉千代子・佐良直美

 この年も前年同様出す曲出す曲が大ヒット、したがって曲順や段取りも前年と似たような形になりました。ただ今回は中間発表後に王貞治アグネス・ラムが登場するなど、事前の段取りが多くなっています。

 水色のかわいらしいドレスで登場、直前に登場したアグネス・ラムからレイが首にかけられます。コーラスにちあきなおみ由紀さおり岩崎宏美が参加するという超強力布陣、カジュアルな服装で都はるみ森昌子青江三奈水前寺清子が後ろで踊ります。紅白歌合戦以外ではまず見られない光景です。

 島倉千代子佐良直美が真っ赤な大きな布を用意、間奏でチータや青江さんも参加して一斉に広げます。紅組総出の応援ですが、後ろばかりが気になるかと言われると当然そんなことはなく。大ヒット曲ということで、淳子さんのかわいい振付もしっかり映っています。1コーラス歌った所で思わず”yeah”と歌う辺りが、ステージを楽しんでいる証。

 この曲はフルコーラスが極めて短く、2分25秒しかありません。ラストの繰り返し1回カット・若干テンポを速める構成で2分10秒ほどの演奏時間でした。同年の「泣かないわ」「ねえ!気がついてよ」よりヒットした曲であることは確かですが、テレビ番組での歌いやすさも選曲の要因の一つだったのではないかとも感じます。

応援など

 オープニング以外での最初の登場は紅組2番手、西川峰子「峰子のマドロスさん」の応援。水兵姿で他の紅組歌手と一緒に登場、歌う前に手旗信号のパフォーマンス。船長の佐良さんが笛で指示しますが、挨拶の際に帽子が落ちてしまいます。「淳子君、帽子が落ちた!帽子を拾いたまえ!」と佐良さんが咄嗟のアドリブ、「申し訳ありません」とマイク無しで謝る淳子さんが見どころです。

 淳子さんの3つ前が佐良直美の全員参加ステージでしたが、こちらにも参加。超ミニの継ぎ接ぎジーンズルックをファッションショー形式で紹介される場面もありました。この年披露した「ひとり旅」は、西部劇をテーマにした演出となっています。

 中盤では歌舞伎「京鹿子娘道成寺」をモチーフとした応援に参加。仁科明子の踊りの従者として登場しています。後半のラインダンスにも参加。この年も演出盛り沢山ですが、中盤以降は前の年と比べると多少の余裕はありそうな雰囲気でした。

第28回(1977年)「気まぐれヴィーナス」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:森田公一
前歌手:(オープニング)、郷ひろみ
後歌手:狩人、ピンク・レディー

曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 阿久悠・森田公一コンビの楽曲は紅白で4年連続となりました。デビュー初期は中村泰士の楽曲提供でしたが、「黄色いリボン」以降は森田さんの提供が多くなります。シングル表題曲を8曲手掛けていますが、このコンビはこれがラストとなっています。ちなみに森田さんはこの年「青春時代」が大ヒット、森田公一とトップギャランで歌手として初出場となっています。

「お気の毒に、白組は最初から「悲しきメモリー」ですか。そこへいくと美しい女神が微笑んでおります。「気まぐれヴィーナス」、でも今夜だけは気まぐれではありません(ここでイントロ開始)紅組を勝利を導いてくれるのです」
「紅組のトップバッター、そして紅組のヴィーナス桜田淳子さんがこう言ってます。白いトマトは熟らないトマト、赤いトマトで紅の勝ち!」

 4年連続紅組司会の佐良直美がイントロでテンポ良く紹介した後の歌い出し、”♪去年のトマトは白くてダメだったわ ”。これは当然歌詞間違いではなく、紅白での紅組優勝を強く意識した意図的な変更です。昭和の紅白歌合戦は今と違って対決ムードが非常に強かったですが、この年はその中でも特に両組の対戦が強調された演出でした。第14回(1963年)他の村田英雄や第33回(1982年)の水前寺清子など、自組応援の歌詞を取り入れた例は他にもありますが、トップバッターの歌い出しからこうやって歌詞を変えてくる例は確認できる限りこれ以外にありません。

 白いドレス、脚を強調する振付もあるのでスカートはミニです。金色の薔薇の飾り、ハイヒールも金色。トップアイドルらしい勢いのある、上々のステージでした。

応援など

 当時のオープニングはあいうえお順の入場行進で始まり、ステージ上では2列で整列という形になりますが、日本レコード大賞出演者は舞台裏から遅れて参加するケースが多いです。ちょうど淳子さんのいる所に「秋桜」で歌唱賞受賞の百恵さんが合流、小柳ルミ子とともに、総合司会の相川浩アナウンサーが挨拶する後ろで談笑するシーンがカメラに映っています。なお衣装は直後に登場するステージと同様でした。

 トップバッターの仕事を終えた後も出番はあります。まずは紅組3番手、太田裕美「九月の雨」のステージにキャンディーズ山口百恵しばたはつみと一緒にダンサーで参加。真っ赤なロングコートに赤いビニール傘をグルグル回しています。その後はしばらく歌手席で応援。

 中盤は例のごとくラインダンスに参加。その後は薄桃色の服に着替えて再び歌手席で応援。「みなとブルース」を歌う青江三奈の曲紹介では港の光景を音で表現する特殊効果班として水前寺清子由紀さおり高田みづえと参加。

 全員が高校卒業したということでこの年花のトリオは解散となりますが、トリ2つ前の森昌子が「なみだの桟橋」を歌う場面では歌手席のひな壇でなくその横で山口百恵とステージを見守ります。間奏で後ろに移動して声をかけますが、昌子さんの歌唱はその2人をかき消すほどの大熱唱でした。ちょうど中島みゆき提供の「しあわせ芝居」で新境地を見せ始めた時期ですが、百恵さんもこの年は中盤「イミテイション・ゴールド」歌唱でラインダンス免除。歌手としてずば抜けた才能を持つ2人に対して複雑な想いも、仲良しだっただけにもしかしたら多少あったのかもしれません。

第29回(1978年)「しあわせ芝居」

ステージ

作詞・作曲:中島みゆき
前歌手:芹 洋子、角川 博
後歌手:西城秀樹、(中間発表)、ツイスト
曲紹介:森 光子(紅組司会)
踊り:フォリーズ 振付:山田 卓

 故郷の秋田からなまはげの差し入れが届きます。その顔を持つのはやはり、百恵さんと昌子さんでした。紅組司会・森光子の曲紹介では、憧れの長谷川一夫との共演も取り上げています。ちなみにその『おはん長右衛門』は、淳子さんにとって初の舞台出演でした。以降少しずつ芸能活動の主軸は、歌手から女優へと移り変わっていきます。

 真っ白なロングドレスで登場、髪飾りや手袋もこの年は白に統一されています。ダンサーも白いスカートを広げる振付で、純白のイメージを非常に強調した内容でした。

 この年の紅白は中島みゆき提供曲が多く、小柳ルミ子「雨…」や研ナオコ「かもめはかもめ」もありました。ただスローな曲調と1コーラスの長さが理由で構成が難しく、結果このステージと「かもめはかもめ」は1コーラス半で2分台前半とやや物足りない内容になっています。

応援など

 この年日本レコード大賞金賞受賞、そのためオープニングの入場行進には姿が見えません。他のレコ大出演歌手も同様で、番組の参加はトップバッターの応援からでした。当然衣装はレコ大出演の時と全く同じです。

 中盤以降は、まず佐良直美のステージでコーラス参加。ラインダンスも例年通り参加。その後は赤いハッピ姿で、大太鼓を叩くシーンがありました。

第30回(1979年)「サンタモニカの風」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:萩田光雄
前歌手:渡辺真知子、角川 博
後歌手:野口五郎、岩崎宏美
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)
踊り:PLレザンジュ

 アメリカの西海岸・サンタモニカをイメージしたということで、衣装の色がこれまでになくカラフルです。青紫を基調にしたヒラヒラの服装、大きな黄色い帽子が強いインパクトを放っています。この時期の紅白だけでなく各歌番組に登場していたバトンチーム・PLレザンジュが踊りで応援。そのためテンポが原曲よりかなり速くなっています。

 大ヒットではありませんが、オリコン年間99位なのでそれなりのレコード売上は記録しました。ただ10万枚以上を売り上げるヒット曲らしいヒット曲は、これが最後になっています。

応援など

 比較的白色や黄色といった衣装が多い淳子さんですが、この年のオープニングは黄緑色のドレスに帽子も着用。少し派手になっています。その後は両腕に緑のモフモフをつけて、榊原郁恵「ラブジャック・サマー」でダン池田とコンガを演奏。

 自身のステージ終了後は、一旦この衣装のまま歌手席に移動。衣装の色が強いので、引きの映像でもかなり目立っています。1回目の中間発表後に舞台裏へ下がり、再登場したのはサーカスが歌う前に入った余興のマジック。木の葉のこあき竹城が大きな箱に真っ白な服装のタモリを入れて、呪文を唱えると真っ赤な衣装の淳子さんが登場するという内容でした。その後、山口百恵が歌った後にもラインダンスの一員として登場。

 白組組体操と三波春夫のステージ中に、大急ぎでオープニング衣装に着替えてこの次に歌う水前寺清子を応援。この年の紅組司会はチータですが、出場歌手全員が自発的に盛り立てる雰囲気が大晦日に作られていました。これについてはいずれ書く機会があると思うので、その時に詳しく取り上げる予定です。

 以降は歌手席の応援です。森昌子が歌う際には、淳子さん・岩崎宏美山口百恵が立って拍手するスリーショットが間奏に挿入されました。

第31回(1980年)「美しい夏」

ステージ

作詞:康 珍化 作曲:馬飼野康二
前歌手:太田裕美、布施 明
後歌手:加山雄三、研ナオコ
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 前半で歌うことが多い淳子さんですが、この年からは中盤に回ります。歌前に春風亭小朝が紅組応援の謎掛け。2つ披露したところで演奏開始。ところがこの短いタイミングで3つ目をぶっ込む小朝さん。「桜田淳子さん、特効薬とときます。その心は聴けば聴くほどハッピーになる」、徹子さんの曲紹介の時間が無くなってしまいました。タイトルだけ無理やり読み上げますが、思いっきり歌い出しと被る形。言うまでもなく紅白歌合戦、さらには歌番組史上に残る名司会者である徹子さんですが、紅白に関して言うとこのように歌と被ってしまう場面は他にも結構あります。

 前年とは対照的な真っ黒の衣装です。光り物や毛皮っぽい物、金色の髪飾りもあるので衣装代は決して安くないと思いますが、曲も含めていささか地味なステージという印象はあります。1コーラス半の歌唱、間奏のテレビ実況も『アニーよ銃をとれ』で芸術祭賞という女優としての功績でした。

 なお康珍化が作詞した曲は1980年代を中心に紅白で合計17曲歌われていますが、その最初の曲でもあります。作詞家としてのデビューは前年のアン・ルイス「シャンプー」でした。

応援など

 前半は特に目立つ場面なく、各6組ずつ歌い終わったところの応援合戦でまず登場。紅組歌手11人とともに、松づくしのパフォーマンスに参加します。

 自身のステージの4つ後に、ラインダンスに代わる余興としてフレンチカンカンに参加。セクシーさが無くなって参加しやすい衣装にはなりましたが、運動量が相当増えて振付も複雑になりました。

 さらに間を置いて、今度は水前寺清子「三百六十五歩のマーチ」のステージにもチアリーダーとして参加。先日記事にした高田みづえ、さらに小柳ルミ子石野真子も一緒です。大晦日のために3つも細かい動きを憶える、と考えると当時の紅白歌手は1960年代と比較しても現在と比較してもずいぶん負担が大きかったものでした。

第32回(1981年)「This is a “Boogie”」

ステージ

作詞:実川 俊 作曲:小田裕一郎
前歌手:榊原郁恵、西田敏行
後歌手:加山雄三、ロス・インディオス&シルヴィア
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)
踊り:パッション・レディーズ、ギャラクシー

 『ピーター・パン』主演で名を馳せた榊原郁恵、『おんな太閤記』『池中玄太80キロ』が大ヒットの西田敏行、そしてこの年10年ぶりの『帰ってきた若大将』が公開された加山雄三。俳優での実績が顕著な歌手のステージが連発します。榊原さんの前も「ルビーの指環」が国民的ヒットになった寺尾聰、そして淳子さんも主演したドラマ『玉ねぎむいたら…』が大好評でした。

 歌唱曲は「This is a “Boogie”」、ヒットはしていないですが個人的には好きな楽曲です。ちなみにテロップでカタカナ表記されない3単語以上の英語タイトルの曲が紅白で歌われるのはこれが初でした。この年は元旦にリリースされた中島みゆき「化粧」のカバーがロングセラーになっていますが、残念ながら現在まで紅白で披露されたことはありません。

 ステージは西田さんが「もしもピアノが弾けたなら」を歌唱後すぐに演奏開始。本来ならそのまま入れ替わる所ですが、彼女をエスコートした後もしばらく居残って踊っています。イントロをペアで踊った後、淳子さんは華麗なステップを踏みながらノリノリで歌唱。バラードもいいですが、紅白に関してはやはりこうやって楽しそうに歌う姿の方がしっくりきます。なお余談ですが、西田さんとは1983年にTBSで『西田敏行・桜田淳子のもちろん正解』というバラエティ番組でコンビを組んだ時期もありました。

 西田さんは淳子さんが押し出すような形で1コーラス終了後に退場。その後は男女のダンサーが一斉に登場して盛り上がる内容でした。2分55秒の曲ですが、ラストサビ繰り返しカット+イントロやや長めのアレンジで演奏時間は2分44秒。原曲よりテンポが速くなっているのも、ステージにおいてはプラスに作用しています。

応援など

 オープニングは紅組歌手全員が赤ブレザーで登場する演出。トップバッターの河合奈保子を応援した後、近藤真彦が歌っている間に全員がそれぞれの衣装に着替えるという慌ただしさでした。

 この年以降は個々のステージに歌手が出ることが少なくなり、企画コーナー出演に絞られます。紅組白組合同の企画コーナーも作られ、この年は「愛のコリーダ」を日本語で歌うショーが設けられました。淳子さんは岩崎宏美松田聖子などと一緒に、紅組6名白組5名の代表として参加しています。

 後半のハーフタイムショー、紅組歌手が黒い着物姿で踊るコーナーにも参加。ただ「深川」「おこさ節」を歌うシーンはないので、あまり目立ってはいません。他にも2つコーナーがありましたが、そちらは自身のステージとの兼ね合いもあって不参加でした。

第33回(1982年)「セーラー服と機関銃」

ステージ

作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお
前歌手:小柳ルミ子、西田敏行、(紅白玉合戦)
後歌手:沢田研二、川中美幸
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 「皆さまご承知のように桜田淳子さんは、山口百恵さん、そして森昌子さんとご一緒にデビューなさいました頃は本当にセーラー服の少女でした。それが今、結婚はどうですかと聞かれる年頃になりました。「セーラー服と機関銃」です」

 伝説の「セーラー服と機関銃」です。歌番組・レコーディング通してこの曲を歌ったのはこれ1回きり…かと思いきやそうでもなく、NHKの番組で一度歌っていたシーンがあるらしいです。真っ白なコートに身を包み、スーツ姿の男性ダンサーが盛り上げる舞台は完全に大人の雰囲気。少なくとも清楚という印象ではありません。

 間奏でコートを脱ぎます。2番途中で男性ダンサーは舞台袖に掃け、代わりに赤ブレザー白ミニスカートのスクールメイツが大量に登場。一緒にサビを歌っていますが、マイクがないので歌声は入っていない様子(コーラスの声はあり)。ただ短い間でも、見せ場の多いステージを展開していて上々の内容であることは間違いありませんでした。

 元々淳子さんは美声というより素朴な歌声で、そこまで正確な音程で歌うイメージではありませんが、このステージに関しては高音やロングトーンで相当苦労している様子が見えます。スターとしてのオーラは十分ですが、残念ながら番組や本人にとってプラスになった印象は淳子さんに限らず、「なごり雪」を歌う榊原郁恵や「ああ上野駅」の西田敏行などのステージを含めてもあまりありませんでした。実際視聴率も低下、特にこういった形でその年のヒット曲を他の歌手に歌ってもらう選曲は40年経った現在でも発生していません。

応援など

 ランダムな順番で登場するオープニング、淳子さんは北島三郎西田敏行と一緒に登場しました。実況した総合司会の生方恵一アナウンサーに、「北海道と福島のいい男、仲を取り持つ秋田美人といったところでしょうか」と言われています。赤ブレザーの衣装、トップバッター終了後急いで着替えるという段取りは前年と同様でした。

 企画コーナーはまず日本語で歌うビートルズ・メドレーに参加。 「A Hard Day Night」を、”♪たとえどんなに風が吹いても~”と歌っています。デュエットソングショーにも参加しましたが、ここでは目立った出番無しでした。あとは紅組応援のハーフタイムショーにも和服姿で出演していますが、実力派のベテランと若手アイドルの中間という立ち位置のためこちらも映る場面が非常に少ないです。なおエンディングはステージ衣装のままで参加でした。

おわりに

 その後は1983年を最後に新曲リリース終了、完全に女優活動にシフトします。データ編でも書いた通り、『澪つくし』出演の絡みで第36回(1985年)の紅白にゲスト出演したのが最後です。

 舞台『細雪』、NHKでは『独眼竜政宗』など順調にキャリアを積みますが、1993年の映画『お引越し』を最後に出演が途絶えてしまいます。はっきりした原因は一つありますが、ここでは書きません。なお2000年代以降は散発的に活動、ベストアルバム発売やファン向けのイベント出演も何度かあります。

 芸能活動休止の経緯もあってか、同時代のスターと比べて若干振り返られる機会が少ないのは個人的に残念だと感じています。確かに百恵さんなどと比べると歌の大ヒットは少ないですが、紅白歌合戦に出場した当時は間違いなく幅広い人気を獲得していました。ストリーミングは既に早い段階で解禁済、もし良ければ是非あらためて耳にしてはいかがでしょうか。なお「セーラー服と機関銃」はレコーディングされた様子がないので、そこだけはあしからず…。

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