紅白歌合戦・いしだあゆみの軌跡

 昭和歌謡・映画・テレビドラマどのジャンルでも活躍したいしだあゆみさんは、2025年3月に76年の生涯を終えました。追悼の意味を込めて、この記事では彼女の紅白歌合戦史を振り返ります。

 

いしだあゆみの紅白データ~10回分のまとめ

出場回
年齢
歌唱曲 作詞者
作曲者
発売日 曲順 主なデータ 主な受賞 他の発売曲
第20回
(1969年)
21歳
ブルー・ライト・ヨコハマ 橋本 淳
筒美京平
1968/12/25 紅2/23
全体3/46
1969年オリコン年間3位 ・日本レコード大賞作曲賞
・日本有線大賞努力賞
・涙の中を歩いてる
・今日からあなたと
・喧嘩のあとでくちづけを
第21回
(1970年)
22歳
あなたならどうする なかにし礼
筒美京平
1970/3/25 紅19/24
全体38/48
1970年オリコン年間21位 ・昨日のおんな
・何があなたをそうさせた
第22回
(1971年)
23歳
砂漠のような東京で 橋本 淳
中村泰士
1971/5/10 紅16/25
全体31/50
1971年オリコン年間19位 ・止めないで
・おもいでの長崎
第23回
(1972年)
24歳
生まれかわれるものならば 橋本 淳
筒美京平
1972/11/10 紅9/23
全体17/46
オリコン週間最高43位 ・さすらいの天使
・まるで飛べない小鳥のように
第24回
(1973年)
25歳
ブルー・ライト・ヨコハマ (2回目) 1968/12/25 紅2/22
全体3/46
・愛愁
・愛の氷河
第25回
(1974年)
26歳
美しい別れ なかにし礼
加瀬邦彦
1974/8/1 紅21/25
全体41/50
オリコン週間最高74位 ・幸せだったわありがとう
・恋は初恋
・家路
第26回
(1975年)
27歳
渚にて 阿久 悠
中村泰士
1973/6/10 紅21/24
全体42/48
オリコン週間最高52位 ・待ちわびても
第27回
(1976年)
28歳
時には一人で 喜多條忠
筒美京平
1975/11/10 紅12/24
全体23/48
オリコン週間最高83位 ・とまどい
第28回
(1977年)
29歳
港・坂道・異人館 喜多條忠
大野克夫
1977/11/1 紅16/24
全体31/48
・ちょっと淋しい春ですね
第44回
(1993年)
45歳
ブルー・ライト・ヨコハマ (3回目) 1968/12/25 紅8/26
全体15/52
前半紅組トリ

 

第20回(1969年)「ブルー・ライト・ヨコハマ」

ステージ

作詞:橋本 淳 作曲:筒美京平
前歌手:青江三奈、布施 明

後歌手:千 昌夫、小川知子
曲紹介:宮田 輝(総合司会)

 「大阪から東京へ来るのに新幹線で3時間10分でございます。こういう時代、70年を明日迎えるというこの日。実は東京から横浜へ行くのに一歩一歩踏みしめて着実な努力によってこういう歌を歌ってきたと。いしだあゆみさんでございます。このあゆみは貴重ですよ~。「ブルー・ライト・ヨコハマ」」

 総合司会・宮田輝アナの見事な曲紹介が決まっていましたが、紅組司会の紹介で無いのは若干引っかかる部分でしょうか。この年は紅組白組に関わらず、宮田アナが両司会に代わってステージを紹介する場面がかなりあります。その紅組司会・伊東ゆかりは歌手席から階段を経てマイクに向かういしださんをエスコート。名シーンです。ただ演奏されるイントロは原曲より短く、途中駆け足になって歌い出しにはギリギリ間に合うタイミングでした。

 冒頭の入場は黒色のドレスですが、長いオープニングの段取りから2つのステージの間にステージ衣装に着替えています。残っている映像は白黒であるものの、衣装は黄色を基調にしたものと判明しています。原曲よりかなり速いテンポ、2分台前半の演奏時間ですが構成は歌以外を短くしたフルコーラス・アウトロアレンジあり。笑顔で歌う姿と、歌い終わった際にホッとしたような表情を見せたのが印象的でした。

 この曲はいしださんだけでなく、第20回単位でもとりわけ振り返られることが多いステージです。特に彼女を含めた4姉妹をモデルにした2003年の連続テレビ小説『てるてる家族』では、上原多香子が演じる夏子の紅白初出場シーンでこのステージが再現されました。同時期にこの曲をカバーしたシングルCDもリリースされています。

 

応援など

 いしださんが紅白で初めて歌ったのは、実を言うと「ブルー・ライト・ヨコハマ」ではなく「黒ネコのタンゴ」です。伊東ゆかり中尾ミエと一緒に、オープニングで白組をこき下ろす内容の歌詞で歌っていました。

 歌唱後すぐにはステージ裏にはけず、その衣装のままで歌手席で応援。奥村チヨのステージでは、やや恥ずかしかったのか一人だけ遅れてポーズを小さく決めておりました。黛ジュンのステージでは横にいるザ・ピーナッツの2人から話しかけられる場面が映り、水原弘が歌手席を回るステージではこれまた横にいる岸洋子に話しかけたり水原さんの指をさしたり…。

 というわけで気がつけばエンディング、歌手席に注目すると一切ステージ裏にはけることなく最後までずっと出演。「蛍の光」では初出場の感動でしょうか紅組優勝を果たした司会者伊東ゆかりの涙のせいでしょうか、大粒の涙が流れて号泣している美しいいしださんの姿がワンショットで映っています。芸能界デビューは1960年でいしだあゆみとしての活動は1964年が最初。紅白歌合戦出場まで長い道のりであったこともまた確かなことでした。

 

第21回(1970年)「あなたならどうする」

ステージ

作詞:なかにし礼 作曲:筒美京平
前歌手:都はるみ、舟木一夫
後歌手:フォーリーブス、奥村チヨ

曲紹介:美空ひばり(紅組司会)

 この曲も大ヒットで、いしださんの曲では「ブルー・ライト・ヨコハマ」の次に高いレコードセールスを記録しています。1989年にはCMソングとしても採用、さらに柏原芳恵がシングル曲としてカバーもするリバイバルヒットが発生しました。

 なにせこの第21回はほぼオンエアされたことのない白黒映像と画面に傷みのあるカラーキネコという保存状況、いまだに完全なる全容が分からない紅白となっています。それでもこのいしださんのステージは比較的取り上げられる機会多め、というより民放を見渡してもこの時期映像資料が少ないので仕方なくこの紅白を使っているというのが正しいでしょうか。というわけでステージは前年同様ややテンポ速め、ただ元々が1コーラス半なので必然的にフルコーラスになるという構成でした。前年もそうでしたが、リズムをあえて一瞬変える歌の節回しにライブならではの醍醐味を感じます。

 なぜか客席通路に紅組歌手が登場、小川知子・黛ジュン・辺見マリといった面々が挨拶しながら紅組応援を促しています。この辺りの演出は前後の流れを見ないとちょっと意図が見えにくい部分もあります。

 

第22回(1971年)「砂漠のような東京で」

ステージ

作詞:橋本 淳 作曲:中村泰士
前歌手:アイ・ジョージ、伊東ゆかり、(中間審査)
後歌手:村田英雄、本田路津子
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)
レビュー:第22回(1971年)NHK紅白歌合戦~その6~

 「ハワイなんてのはねとっても空が澄んでていいらしいですけどもね、東京はなんとなくゴミゴミっとしておりますね。でもそのゴミゴミっとした東京の中でもいろんな恋愛なさったり失恋なさったりした方もね、たくさんいらっしゃると思うんですけども、いしだあゆみさんはこうおっしゃいます。「砂漠のような東京で」」

 第22回も保存状況が良くない紅白の一つですが、2024年に4Kリマスター化して初の再放送がされました。ただ中盤はそもそもの映像状態が非常に悪く、先述の放送では若干画面をズーム化してのオンエアでした。音声もややザラザラしています。

 笛の音が特徴的なイントロですが、紅白歌合戦の演奏は交響楽団なので少し異なる雰囲気です。むしろ原曲要素にあまりないピアノが目立っていて、おそらく当時何度も披露していたであろう歌番組とも差別化されていたのではないかと思われます。

 この曲もフルコーラス歌唱。元々3分前後の曲とは言え、初出場から3年連続フルコーラスは紅白だと異例のことです。

応援など

 全編再放送でこの年の紅白もようやく応援や歌手席の様子も掴めるようになりました。オープニングは黒を基調にしたシースルー気味のドレスを着ています。紅組2番手のピンキーとキラーズで帽子を使った踊りに参加、変な振り付けにやや笑いが堪えきれない様子でした。

 その後は一旦ステージ衣装に着替えた後、歌手席で待機。紅組16番手の曲順ですが、11番手で歌うトワ・エ・モワの時点で既に準備を終え歌手席で座っている姿が映っています。たださすがに中間審査とハワイアン踊りを挟むとは言え、直前で歌う伊東ゆかりのステージにおける立ち上がっての紅組歌手応援は不参加でした(一番後ろで映らない範囲にいた可能性もありますが)。

 この時期の衣装はまだ本番用とそれ以外用の2着というのが基本で、歌い終わった後はすぐ歌手席に戻って紅組応援。直後の本田路津子やトリ前の水前寺清子の応援でステージに出た時も、歌う時の衣装のままです。この年も蛍の光は紅組側一番端にいたおかげで、1人のみのアップではないもののかなり鮮明に映っていました。

 

第23回(1972年)「生まれかわれるものならば」

ステージ

作詞:橋本 淳 作曲:筒美京平
前歌手:山本リンダ、尾崎紀世彦
後歌手:青い三角定規、南 沙織
曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 肝臓病を患った影響でしょうか、この頃から歌手活動が若干落ち着き始めます。レコード売上でオリコン20位以内に入らなくなり始めたのはこの年、ただその後も歌手としての人気継続は紅白の連続出場回数が証明しています。曲紹介は歌手席ではなく佐良直美による客席インタビューから繋げる珍しい形。「小さい頃ね、大きくなったら何になりたいと思いました?」「そのようになれました?」「今度生まれてくる時は何になりたいと思いますか?」「わかんないですかまだすぐには?ではこの方に聴いてみましょう。いしだあゆみさん「生まれかわれるものならば」」

 肩を出した紺色のドレス、肩紐は左のみで大人の雰囲気をまとったセクシーさです。この曲も原曲が短いのでフルコーラス、出場だけでなくフル歌唱も4年連続となりました。

応援など

 オープニングもまた肩を出したドレス、なぜか首に赤いレイをかけています。映像を見返すとこの年紅組の入場行進あ行の歌手は天地真理以外全員肩を出したドレス、ここだけ冬とはあまり思えない季節感が出ている状況です。

 この年は歌手席の場所がステージ端の奥の方に配置されていて、応援の様子がほとんど分かりません。したがって紅組歌手の全員応援ステージか中間審査あたりで確認するしかない状況ですが、この年もエンディングまでステージ衣装のままでした。「瀬戸の花嫁」を歌う紅組16番手・小柳ルミ子のステージでやや目立つ場所に映っていますが、「蛍の光」もルミ子さんの隣、美空ひばりの真後ろという立ち位置です。

 

第24回(1973年)「ブルー・ライト・ヨコハマ」

ステージ

作詞:橋本 淳 作曲:筒美京平
前歌手:小柳ルミ子、布施 明

後歌手:西郷輝彦、森 昌子
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)

 4年前の初出場で歌った曲を再歌唱、この年はNHKホール開催初年度ということで中堅以上の歌手はほとんど過去曲の選曲でした。曲順は初出場の時と全く同じ紅組2番手・全体3番手。同じ曲が全く同じ曲順で歌われるのは、トップバッターとトリ近辺以外例がありません。なおこの年は映画『日本沈没』に出演、歌手だけでなく俳優としても評価され始めるターニングポイントの年になっています。

 「今度はちょっと雰囲気を変えましてロマンティックにまいりたいと思います。皆さんひとつあの小舟なんかに揺られてるような気分で聴いてくださいね。目を閉じますとブルーのライトが灯ります。そしてあなたの手のひらの上に、素敵な女性があなたに微笑みかけます。いい歌っていうのは、本当にいつ聴いてもいいものです。「ブルー・ライト・ヨコハマ」、いしだあゆみさん!」

 4年前と比べるとゆったり、イントロのカットもありません。原曲と比べると弦楽器の要素が増えて、幾分ゴージャスになっています。僅か4年ですが歌は当時と比べて貫禄も感じる雰囲気、そして固定マイクではなく両手でコードマイクを持って歌う部分に時代の進化も感じます。もちろんフルコーラス歌唱、これでついに初出場から5年連続フルコーラス達成となりました。

応援など

 紅組2番手なので衣装はオープニングから着替えずそのままです。ショートから耳を隠したような髪型に変化したことが、大きなポイントになっています。

 衣装を変えて紅組6番手から7番手の間辺りで歌手席に復帰。クリーム色を基調にした色彩ですが、光り物の飾りがかなり目立つ衣装になっています。目立つ場面はこの年やや少なく、佐良直美のステージとエンディングくらいでした。

 

第25回(1974年)「美しい別れ」

ステージ

作詞:なかにし礼 作曲:加瀬邦彦
前歌手:ザ・ピーナッツ、布施 明

後歌手:春日八郎、青江三奈
曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 「今日も東京国際空港から世界各国へ向けて、63便の飛行機が飛び立ちました。そしてそこには、様々な別れの光景が繰り広げられていました。「美しい別れ」、いしだあゆみさんです」

 濃いめのピンク一色のロングドレス、ただ衣装のポイントは両手に同じ色のロンググローブをしている部分です。こういうさりげないセンスの良さもいしださんの魅力ですが、一つひとつの言葉を丁寧に歌う歌唱もまた然りで極めて上品。ストーリー性のある歌詞も含めて、当時あまりヒットしなかったことを考えるとこれは隠れた名曲かつ名ステージではないかと感じます。ただ構成は2番Aメロカット、さすがにフルコーラス歌唱にはもうならない様子でした。

応援など

 オープニングからしばらくはクリーム色の衣装。トップバッター山口百恵のステージでは、水前寺清子の横で歌手席最前列という目立つ位置で応援。格的には司会の佐良直美とチータに続き、青江三奈とほぼ同格といったところで、小柳ルミ子が歌う前には硬券切符の駅名標みたいなものを青江さんと一緒に持つ場面も。佐良直美のステージで動き回ったり梓みちよのステージであぐらをかいたりなど、これまでの紅白と違って歌以外の出番が激増していますが、後者では他の歌手と同じように指を鳴らすのではなく間違えて?手拍子をしています。

 中盤あたりで姿を見せなくなりますが、再登場したのはなんとラインダンスのメンバーとして。網タイツ姿で踊りますが、最後決めるところで脚のバランスを崩して転倒。隣りにいた松井悦子(チェリッシュ)が介抱するような形でなんとか退席、これには直後に喋る佐良さんもちょっと笑いを堪えられない状況でした。

 終盤の曲順なので、歌い終わった後はそのまま歌手席で応援後にエンディングまで出演。紅組の優勝に喜んでいます。なおエンディングの立ち位置はザ・ピーナッツの2人の間、「蛍の光」では1人が左隣もう1人が真後ろという状況でした。

 

第26回(1975年)「渚にて」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:中村泰士
前歌手:八代亜紀、春日八郎

後歌手:北島三郎、都はるみ
曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 この曲は1975年ではなく1973年に発表された楽曲、つまりは演出の都合で2年前の紅白で歌えなかった曲です。ヒットはしなかったものの現在もファンや歌謡曲好きから評価の高い曲で、作詞をした阿久悠もなぜかヒットしなかった曲の1つとしてこの曲を挙げておられたとか。

 終盤の曲順ですがステージ準備にやや時間がかかるため、一旦この年応援団長のハナ肇三波伸介の2人が客席で場を繋ぎます(ハナさんはこの年紅組側の応援で出演)。準備が出来次第すぐ曲紹介に乗せて演奏開始。「それでは紅組の誇るベストドレッサーをご紹介いたしましょう。幾多の恋が生まれ、そして幾多の恋が消えていきます。それはまるで寄せては返し、返しては寄せる波のようです。「渚にて」、いしだあゆみさんです」

 鮮やかなに動く女性ダンサー(ポピーズ・シャルマン)6名、用意されたのは4台もの大きなハープと演奏者。呟くように歌ういしださんの歌唱は円熟味を増し、ベストドレッサーとまで形容された衣装は白いスカート、上半身は黒の生地にそれと合わせたようなロンググローブ。大きな造花の飾りをつけた首輪を身に着け、最後は衣装と合わせたような鮮やかなお辞儀。現在からの観点だけでなく、当時の出場歌手を見渡しても最上級の品格の良さ。和田アキ子とのエピソードを筆頭に性格の良さを示す話は枚挙に暇がない方ですが、それがまさに所作となって表れているような名ステージです。

応援など

 グレーのドレスで登場するオープニング、ここ数年と比べると派手さはありません。紅組前歌手が応援する佐良直美のステージで、ワンショットがありました。

 中盤では前年に続いてラインダンス参加。前年より時間は短くなったものの動きはやや激しく、ちょっとしんどそうな表情です。ただ2年連続転倒はさすがに無く、なんとかこなしました。応援企画の多い回ですが、出場時間帯のバランスもあって他の歌手と比べると出番は幾分少なめです。

 歌唱後はステージ衣装のままエンディングまで参加。大トリ・島倉千代子を迎える紅組歌手の列は先頭でした。ただ「蛍の光」は後列の配置、映る場面は前年までと比べるとこちらも少なめ。

 

第27回(1976年)「時には一人で」

ステージ

作詞:喜多条忠 作曲:筒美京平
前歌手:伊藤咲子、田中星児

後歌手:橋 幸夫、森 昌子
曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 田中星児が倍速のようなスピードで「ビューティフル・サンデー」を歌った後、後ろから黒い服で颯爽と登場。照明も明るいステージから暗転に近い状態になり、雰囲気がガラリと代わります。最初のサビを一旦歌った後の間奏で曲紹介。「男の嘘を聞いてるのも楽しいもの。でも一人でいるのもまたオツなものです。「時には一人で」、いしだあゆみさん」

 いつもと違うステージはとてもアダルティーな雰囲気、それとよく合う衣装もやはりハイセンス。梓みちよ「メランコリー」を手掛けた喜多條忠の作詞、乃木坂と赤坂が登場するのは「メランコリー」よりこの曲の方が10ヶ月ほど早めです。

 2番に入ると紅組歌手が歌手席からステージ後ろに降ります。そして「白なんて 白なんて」といしださんには珍しくサビを挑発的な歌詞に変えます。この時期の紅白歌合戦は男女対抗ムードがかなり高めですが、その演出にしっかり乗った形でした。

応援など

 柄は派手ですが、見ようによっては若干下着にも見えなくもないセクシーな衣装で登場するオープニング。歌手席で少し参加した後、応援の衣装に着替えます。

 次に登場したのは和田アキ子のステージ。黒タイツのような衣装に赤い傘を用いて踊るという、やや気の毒な役回りです。8人で参加、左から3番目の位置、遠めのショットで見る限り振り付けを間違えたと思われる箇所がありました。なお紅組で1つ前のステージは佐良直美の応援でカジュアルなジーンズ姿、どちらに参加するかをくじ引きで決めた可能性もありそうです。

 応援合戦の前置きでは顔出しパネルの後ろでパフォーマンスするなど、冷静に見るとよくOKしたなぁと思える場面が結構あります。ラインダンスも然りでこれも3年連続参加、2年前ほど派手ではないもののこの年も最後で動きについていけなくなる場面がありました。ただ大急ぎで着替えて、4分後に八代亜紀の応援に合流するのはさすがの責任感。その時の衣装はオープニングと同様、このために着やすい衣装を用意していたとすれば流石としか言いようがありません。

 

第28回(1977年)「港・坂道・異人館」

ステージ

作詞:喜多条忠 作曲:大野克夫
前歌手:由紀さおり、村田英雄

後歌手:フランク永井、青江三奈
曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 ちょうど神戸を舞台にした連続テレビ小説『風見鶏』が放送中ということで、歌う前に番組出演者の応援が入ります。登場したのは岸部シロー蟇目良、そして特に番組とは関係ありませんが桂三枝。なおヒロインの新井春美は審査員としての出演でした。ひと通りの段取りが終わった所ですぐに演奏開始。「ソフトに甘く軽やかな、この人の歌には淡い夢とロマンがあります。そして異国情緒がよく似合います、「港・坂道・異人館」いしだあゆみさんです」

 ステージ衣装は紫色のスカートと、葡萄のイヤリングが目をひきます。2コーラス、曲紹介にあった通りの上品なステージでした。

 この頃になるともう歌手より俳優活動の方がメインになりつつあり、ドラマでは『祭ばやしが聞こえる』、映画では『青春の門 自立編』に出演。特に後者ではいくつかの助演女優賞を受賞。とは言え音楽方面でもティン・パン・アレーとアルバム『アワー・コネクション』を共同制作、精力的な活動を見せていました。

応援など

 オープニングで身に着けている衣装は、第23回歌手席用とほぼ同じデザイン・色合いの肩出しドレス。生地こそ異なりますが、色気のある衣装であることは共通しています。この回はステージ以外終始この服装で通していました。

 初出場を果たした高田みづえのステージでは、ベテラン歌手の1人として薩摩大根を持ちながら応援。もうこの時点で9回目、紅組歌手では由紀さおりと並んで6番目の出場回数になっています。歌い終わった後、みづえさんに大根を渡していたのはいしださんでした。

 連想ゲームの余興には参加したものの、全体的に他ステージ参加の数は少なめ。紅組歌手も若手が増えたため、ラインダンスの出演もこの年は無しでした。

 

第40回(1989年) 特別審査員として出演

 この年放送の連続テレビ小説『青春家族』で清水美砂とともにW主演、その関係で第40回NHK紅白歌合戦に審査員としての出演となりました。出場歌手経験のある審査員はこの時点で第26回(1975年)の吉永小百合のみ、当時としては非常に珍しい事例です。なお同年には白組歌手経験のある西田敏行も審査員として出演しました。

 この年は審査員にコメントを求める場面が少ないので特筆すべき点はあまり無いですが、小林浩美が経験したスポーツを司会の三田佳子に間違えられた際(ソフトボールをフットボールと誤認)、横で小林さんをなだめる場面がありました。

 

第44回(1993年)「ブルー・ライト・ヨコハマ」

ステージ

作詞:橋本 淳 作曲:筒美京平
前歌手:由紀さおり・安田祥子、南こうせつ

後歌手:渡 哲也、(ニュース)、Dreams Come True
曲紹介:石田ひかり(紅組司会)

 16年ぶりに歌手として紅白出場、歌う前に審査員の市川團十郎に司会の石田ひかりがコメントを求めます。「昭和44年に何か思い出はございますか?」「私が新之助から海老蔵を襲名した年です」「24年前?」「いや、3年前です」「23年前ですか?」「いや、3年前です…冗談です」「ビックリした…大変失礼をしてしまったかと思ってしまいました」。その海老蔵襲名の年、つまり言うといしださんが初出場した年に特別審査員を務めていましたが、そもそも司会業に慣れていない石田さんにこんな冗談を事前の段取り無しに言うのは悪手そのものでした。「それではいしだあゆみさんに歌って頂きたいと思います、「ブルー・ライト・ヨコハマ」です」、おかげで曲前のムードはあまり良くありません。

 とは言え24年前と比べると確実に舞台演出は進化していて、ネオンサインのような長い棒状のセットが直前の転換で加わっています。そして客席ではペンライトが配られて左右に振ってもらう演出、これは紅白だと前年が初の採用でした。

 もうこの時期は完全に俳優としての活動で、歌手としては新曲を出していない状況です。そのため声量は当時より下がっていますが、笑顔で丁寧な歌唱はそのままでした。青色の肩を出したロングドレスにロンググローブ、これも自身が出場した当時の紅白を思い出させるものです。もちろん過去2回歌った時と同様フルコーラスでした。なおこの時点で最後の歌手活動は1986年発売のデュエット曲「わかれ道」、その相手は奇しくも直後に白組で歌う19年ぶり紅白復帰の渡哲也でした。

応援など

 オープニングから出演、ただもうこの時期になると歌手席は存在しないのでその後は一旦出番まで裏に引っ込みます。この年紅組歌手は真ん中から端に向かって複数列であいうえお順の立ち位置、そのためオープニングは映る場面かなり多めでした。

 歌い終わった後はそのまま「山に抱かれて」の全員合唱に参加。北島三郎とペアを組んで歌う場面が用意されますが、サブちゃんの過剰な歌唱に笑い堪えられず。

 その後はオープニングの衣装に戻って、ケー・ウンスクの曲紹介で再登場。「おかげさまでとっても楽しかったです、どうもありがとうございました」と16年ぶりの紅白に感謝を述べていました。そのままエンディングまで参加、「蛍の光」ではそのケーさんにマイクを向けている姿が確認できます。

 

おわりに

 5年連続フルコーラス歌唱、意外とセクシーな衣装など振り返ると隠れた紅白記録も色々あるいしださんですが、上品な人柄の良さがそのまま歌とステージに表れていたことは今後も人々の記憶に永遠に残るものと思われます。間違いなく昭和歌謡を代表する歌手でした。あらためてご冥福をお祈り致します。

 

 

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