紅白歌合戦・山口百恵の軌跡

 1970年代の紅白歌合戦を彩ったアイドルについてはこれまでも多く書いていますが、まだこの人について語っていませんでした。というわけでいまや伝説の歌姫と言って全く差し支えない、山口百恵の紅白歌合戦を振り返ります。

 活動時期が1973年~1980年という短さで引退後の復帰も一切無いので、紅白出場は6回しかありません。ただ数多くの名曲・名作・名パフォーマンスが示す通り、その内容は極めて濃いです。特に1978年・第29回は歴代でも数少ない10代でのトリ、そのエピソードも含めて伝説になっています。

 

山口百恵の紅白データ~6回分のまとめ

出場回
年齢
歌唱曲 作詞者
作曲者
発売日 曲順 主なデータ 主な受賞 他の発売曲
第25回
(1974年)
15歳
ひと夏の経験 千家和也
都倉俊一
1974/6/1 紅1/25
全体2/50
紅組トップバッター
1971年オリコン年間15位 ・日本レコード大賞大衆賞
・日本歌謡大賞放送音楽賞
・春風のいたずら
・ちっぽけな感傷
・冬の色
第26回
(1975年)
16歳
夏ひらく青春 千家和也
都倉俊一
1975/6/10 紅14/24
全体27/48
1975年オリコン年間32位 ・湖の決心
・ささやかな欲望
・白い約束
第27回
(1976年)
17歳
横須賀ストーリー 阿木燿子
宇崎竜童
1976/6/21 紅1/24
全体2/48
紅組トップバッター
1976年オリコン年間8位 ・日本レコード大賞作詩賞
・日本歌謡大賞放送音楽賞
・愛に走って
・パールカラーにゆれて
・赤い衝撃
第28回
(1977年)
18歳
イミテイション・ゴールド 阿木燿子
宇崎竜童
1977/7/1 紅13/24
全体26/48
1977年オリコン年間20位 ・夢先案内人
・秋桜
・赤い絆
第29回
(1978年)
19歳
プレイバックPart 2 阿木燿子
宇崎竜童
1978/5/1 紅24/24
全体47/48
紅組トリ
1978年オリコン年間15位 ・日本レコード大賞金賞
・日本歌謡大賞放送音楽賞
・乙女座宮
・絶体絶命
・いい日旅立ち
・曼珠沙華
第30回
(1979年)
20歳
しなやかに歌って 阿木燿子
宇崎竜童
1979/9/1 紅14/23
全体28/48
1979年オリコン年間55位 ・日本レコード大賞金賞
・日本歌謡大賞放送音楽賞
・美・サイレント
・愛の嵐
・愛染橋

 

第25回(1974年)「ひと夏の経験」

ステージ

作詞:千家和也 作曲:都倉俊一
前歌手:(オープニング)、西城秀樹
後歌手:中条きよし、アグネス・チャン
曲紹介:佐良直美(紅組司会)、水前寺清子
レビュー:第25回(1974年)NHK紅白歌合戦~その1~

 ドライアイスを駆使した、過去に例を見ないステージで魅了した西城秀樹の後のステージ。紅組司会の佐良直美と前回司会の水前寺清子がコミカルなやり取りを見せた後に、彼女の紅白初舞台が幕を開けます。

水前寺「あれ?どうしたの?あれは?」
佐良「いやぁ、消防のね、出初め式にはちょっと早いような気がするんですけどもね」
水前寺「まあ気の毒に、ひとりだけ煙に巻かれて」
佐良「…さて、ことわざにございます。目には目を、歯には歯を、ヒデキには百恵を。」
水前寺「フレー、フレー、百恵!」紅組歌手「それフレフレ百恵、フレフレ百恵!」
佐良「今年たくさんの話題を呼んだ人、初出場・山口百恵さん「ひと夏の経験」。」

 2人に挟まれる形で司会者マイクの前に待機する百恵ちゃんは満面の笑顔、これで多少緊張がほぐれたようにも見えます。紅組歌手が1列になってフレーフレーと応援する中、チータのエスコートでステージに向かいます。高校1年生ですが早生まれなのでまだ15歳、歌声は後世から見ると完成されていない印象ですが、表情には余裕がありサビにおける手の動きはカメラ目線まで完璧に決まっています。純白という単語がしっくりくる白いドレスも非常に絵になっていました。

 そもそもが15歳で歌わせるには随分刺激的な歌詞ですが、とは言え20代で歌うには既に経験を重ねている状況のはずで逆に説得力も無く。そう考えるとこの時代に、売れるべくして売れた曲であるとしみじみ感じる部分もあります。

応援など

 桜田淳子森昌子の3人で花の中3トリオと呼称されたのは1973年、学年が1つ上がったこの年は花の高1トリオと呼ばれていました。百恵さんと同様に淳子さんも初出場、「黄色いリボン」のステージに昌子さんと参加して3人一緒にダンス&コーラスを披露しています。

 中間審査の余興では餅つき、すぐ後に始まる水前寺清子「てっぺんまごころ」でも応援で参加。祭りの法被のような衣装で、昌子淳子に小柳ルミ子とチームを組んで参加。チータのステージでは、赤いハチマキに「ろ」と書かれた扇子を頭につけています。

 さらに後半では随分な衣装でラインダンスにも参加。当時15歳、令和に例えると乃木坂46櫻坂46あたりの新メンバーにやってもらうようなものです。今なら確実にその手の団体からSNS中心に抗議が来そうですが、はたして当時はどうだったのでしょうか。

 終盤はクリーム色の清楚な衣装で紅組応援に参加。「蛍の光」は高1トリオと一緒ですが紅組側一番端の立ち位置で映るシーンはやや少なめ。ただ最後に餅つきをするウサギのセットの横で1人映る場面はありました。

 

第26回(1975年)「夏ひらく青春」

ステージ

作詞:千家和也 作曲:都倉俊一
前歌手:伊東ゆかり、菅原洋一
後歌手:三橋美智也、西川峰子
曲紹介:佐良直美(紅組司会)、桜田淳子、森昌子

 ベテランがズラリと並ぶこの年中盤の紅白ですが、百恵ちゃんと「私鉄沿線」を歌う野口五郎だけは前半でなく中盤の曲順となりました。直前に大分県の別府から来たアヒルによる余興を経て、曲紹介に入ります。「それではお待たせ致しました。花の高2トリオの3人目はもちろん!」「(淳子・昌子の2人で)山口百恵ちゃん!」

 「青春の代名詞・それは山口百恵。不朽の名作『伊豆の踊子』を経て数々の映画・テレビドラマに大活躍だった今年の百恵ちゃん。歌は「夏ひらく青春」!」。スムーズな曲紹介ですが、一瞬佐良さんが用意しているメモ書きを見ながら喋るシーンが映りました。この年大ヒットした映画は『伊豆の踊子』『潮騒』でドラマは『赤い疑惑』、いずれも三浦友和との共演作です。

 白いドレスで1コーラス半。前回よりも着実に説得力を増した熱唱ですが、全体的にこのステージは応援色の方が強め。キャンディーズアグネス・チャンといった若手アイドルがすぐ後ろで赤い鉢巻をして肩を組み、何人かが紅組勝利と書かれた長い旗を持つような状況。既に大人気の存在とは言えまだ別格級の雰囲気ではなく、この年の実績だけを見るとどちらかと言えば歌手より女優の印象が強かった時期だったのかもしれません。

応援など

 薄い色のドレスを着て登場するオープニングの彼女。この年も高2トリオは仲良し、早速岩崎宏美「ロマンス」の応援でスリーショットが映ります。「はじめての出来事」を歌う桜田淳子が登場する場面では、森昌子とともに比較的目立つ歌手席前列で拍手していました。

 前年に続きラインダンス参加、黒主体の衣装が赤主体になっています。その他高2トリオなど多くいる10代の紅組歌手と一緒に、浅草紅みこしの神輿を担ぐ場面もありました。

 

第27回(1976年)「横須賀ストーリー」

ステージ

作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童
前歌手:(オープニング)、野口五郎
後歌手:細川たかし、西川峰子
曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 阿木燿子・宇崎竜童夫妻の第1弾シングルとして発売されたのが「横須賀ストーリー」(一応アルバムでこれ以前に提供曲の歌唱はあり)。レコード売上は自身最大の枚数となり、その後の楽曲も概ねこのコンビが主体となります。いわば歌手・山口百恵を覚醒させたような作品です。

 「さて、紅組女性軍のトップバッターは、今年も大活躍。たくさんの話題を投げかけたこの人、山口百恵さん。歌はもちろん「横須賀ストーリー」。紅組の先制パンチ、白組は最初からもうこれっきりです!」

 紅白歌合戦ならではの速いテンポでの演奏、これが楽曲により切迫感を増す結果になっています。清楚な白いドレスは2年前と同様ですが、表情や歌声何よりやや抑え気味な照明の使い方は当時と全く異なる内容。紅組応援の色が濃かった前2年と比べても、ステージは本来の歌がメインになっているように見えます。

 「気の毒に。1曲歌ってもうこれっきりとは」と白組の山川静夫アナウンサーに返されはしましたが、トップバッターとしてはあまりにも豪華かつ会心の内容で、なんだかあまりにも勿体無い印象もあるほどでした。ただこの年は紅白終了後そのままTBS系で放送された民放持ち回りの『ゆく年くる年』司会という大役、トップバッターになったのはこの事情もあったのではないかと推測します。

応援など

 歌い終わってから僅か2分、早くも西川峰子「峰子のマドロスさん」応援に駆り出される百恵さん。他の紅組歌手5名(桜田淳子森昌子藤圭子など)と一緒に水兵姿で登場して、手旗信号を披露します。なお髪のセットの影響でしょうか間に合わなかったのかは不明ですが、1人だけ帽子を被っていませんでした。登場時には満面のスマイル、「横須賀ストーリー」で歌う時と全く異なる表情を見せています。

 紅組司会・佐良直美が歌う「ひとり旅」のステージは紅組歌手がジーンズスタイルで応援する演出でした。その前にファッションショー的な演出あり、百恵さんの紹介は「スリムのジーンズにジーンズのジャンパー、かわいく迫ってみました」。サングラスをかけての登場、クールに外す動きもサマになっています。

 上述した通り、この年は民放の『ゆく年くる年』司会を担当。そのため大トリ~エンディングを見渡す限り百恵さんの姿は確認できず、放送が終わる前に移動したものと思われます。

 

第28回(1977年)「イミテイション・ゴールド」

ステージ

作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童
前歌手:和田アキ子、加山雄三
後歌手:水前寺清子、北島三郎
曲紹介:佐良直美(紅組司会)
踊り:サクセス

 「全国に一体、どれだけのファンがいるんでしょう。百恵ちゃんの前に百恵ちゃん無し、百恵ちゃんの後にも百恵ちゃん無し。毎年毎年充実した年を重ねていく彼女、先がまだまだ楽しみです。歌のタイトルはイミテイションでも中身は本物、「イミテイション・ゴールド」!」

 この年は本来着る予定だった衣装が盗難に遭ったらしく、オレンジ地に黒のフリルが入るドレスは当時の最新曲「赤い絆(レッド・センセーション)」の物だったそうです。なお紅白で衣装が盗まれた事案は、第14回(1963年)で「見上げてごらん夜の星を」を歌った坂本九も遭遇しています。

 ステージに関しては全く申し分なく、表情にもいよいよ説得力が増してきました。あどけない3年前の初出場を思うと、成長のスピードに驚愕します。黒い衣装で踊る4名はこの曲をテレビでパフォーマンスする際に従えていたサクセスの面々。スクールメイツやポピーズなどと異なるいち歌手の専属ダンサーを紅白に持ち込んだステージは、確認できる限りおそらくこれが初めてです。

応援など

 「秋桜」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞した百恵さん、オープニングは入場行進に間に合わず舞台袖からの登場。総合司会の相川浩アナが進行する後ろで、桜田淳子小柳ルミ子他と談笑する姿が見えました。チラッと映る程度ですが、この時の衣装はレコ大で着た白いドレスのままのようです。

 そのまますぐ舞台袖にはけ、紅組3番手太田裕美「九月の雨」のステージで踊りに参加。おそろいの真っ赤なレインコートのような衣装ですが、上述の事情もあるせいか他に参加した5名(桜田淳子キャンディーズしばたはつみ)と比べると心なしか笑顔が少ないように見えます。

 後半、ラインダンスは不参加ですが2組後の由紀さおりのステージで「紅組勝利決定 う、ふ、ふ。」と書かれた大きな布を広げる役目を任されます。一緒に出演したのはちあきなおみ八代亜紀青江三奈でした。

 紅白各6組ずつを残しての中間審査後、白組によるボクシングショーがありました。紅組歌手を人形に見立ててプロボクサーがパンチするという内容ですが、和田アキ子佐良直美がパンチで倒されるのに対して百恵さんの人形はあろうことか抱きつかれるという展開。その様子に本人ドン引きの表情、かなり戸惑っている様子でした。1977年昭和真っ只中とは言え、このセクハラ演出は当時の女性からしても良い気分はしなかったものと思われます。

 なお衣装が盗難に遭ったのはステージ用だけでなくそれ以外もおそらく同様、歌唱後も所定の応援以外全て「赤い絆」の1着で通しています。

 

第29回(1978年)「プレイバックPart 2」

ステージ

作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童
前歌手:都はるみ、森 進一
後歌手:沢田研二、(エンディング)
曲紹介:森 光子(紅組司会)

 「この方を見るために、この方の歌を聴くために今まで待ち焦がれていた方が全国でどのぐらいいらっしゃるでしょう。さあ、紅組の締めくくりは今年この方にお任せしました!「プレイバックPart2」、山口百恵ちゃんです!」

 演歌不振・ニューミュージック全盛・ピンク・レディーまさかの辞退。苦境に立つ1978年の紅白歌合戦、トリとして白羽の矢が立ったのが彼女と沢田研二。どちらも歌謡界でトップを走る大スター、全く文句のつけようのない人選でしたが、19歳・10代での抜擢は史上初の出来事。それどころかこのランキングを見ても分かる通り、現在でも10代でトリを務めた歌手は山口百恵が唯一。おそらく今後もよほど桁違いの天才歌手が登場しない限り、更新されることは無いと思われます。

 森光子の曲紹介でステージに向かう彼女、紅組歌手総出の声援に笑顔を見せますが歌い出しに入ると表情は一変。一気にモードに入ります。”緑の中を走り抜けてく真紅なポルシェ…”、いまだに”真紅なクルマ”と紅白で歌ったという話が一部で伝えられていますが、こと第29回NHK紅白歌合戦でははっきりと”ポルシェ”と歌った映像が残っています。もっとも紅白以外のNHKの番組ではクルマと歌唱、紅白だけが特別だったということもまた間違いないようです。

 舞台照明、鮮やかな桃色の衣装、歌う時の表情・動きに至るまで、まさに一挙手一投足が芸術そのもの。それを隙無く映すカメラワークに適切なスイッチの切り替え。おそらく何度もスタンバイを重ね、制作側もこのステージに強い思いをかけていたことがあらためて見ても伝わります。原曲よりかなり速いテンポでBメロは尋常ではない早口パートですが、それが余計に切迫感・説得力を増しています。決めポーズで見事に締めた直後にまた満面な笑顔で挨拶するところも、ステージとのギャップが大きく出てより印象的なシーンになっていました。1978年の紅白は特に中盤のニューミュージックより後が非常にヒット曲少なくなかなか厳しい状況でしたが、このトリ対決だけでお釣りが来るような大変価値のある回でもあります。

応援など

 この年も日本レコード大賞はもちろん出演、したがってオープニングには一切映っていません。トップバッターのステージまでには合流、レコ大衣装のまま榊原郁恵を応援。

 桜田淳子の曲紹介で森昌子となまはげの顔を持つシーンの後、初出場・渡辺真知子のステージでは同郷のよしみでスピーチを担当。この辺りまではレコ大でも身につけた紫色と黒色の衣装で登場でした。

 「彼女も私も横須賀育ち。それも、カタカナで書くヨコスカ。住んでいた町の名前も、学校も友達もみんな違うんだけれど、でもやっぱりヨコスカ育ちどうし、なんとなく分かりあえる部分があって、彼女の歌を聴くたびにヨコスカの青い空を思い出します。」

 トリではありますが中盤のラインダンスには参加。上着や帽子があるので露出は抑えめですが、この年はカメラワークがやや悪く映ったのはほんの一瞬でした。2回目の中間審査直後には赤い法被+白鉢巻姿の紅組歌手6人による太鼓の演舞にも参加、こちらはメインどころの役割なので映るシーン多めです。

 トリを務める歌手は例年司会者近くの舞台真ん中にいることの多いエンディングですが、この年の百恵さんは後列で一瞬映るのみ。相手の沢田研二も同様にほぼ映らず、1960年代以前から出場しているベテラン組に前列を譲る形となっています。

 

第30回(1979年)「しなやかに歌って」

ステージ

作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童
前歌手:小柳ルミ子、沢田研二
後歌手:(応援合戦)、三波春夫、水前寺清子
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)
踊り:PLレザンジュ

 「今年はこの人の年でした。歌はもちろんですけれども、三浦友和さんとの愛を告白したいじらしい乙女心も見せてくれました。今日もしなやかに歌います。山口百恵さん!」

 真っ白なドレスで登場する百恵さん、この年の歌唱曲「しなやかに歌って」はこれまで出場した紅白とは異なる雰囲気のミディアムバラード。自然体かつ前向きな歌詞で、これまでのステージであまり見せなかった笑顔が終始見られるステージでした。後半から登場する踊りのメンバーはバトンの演舞でお馴染みのPLレザンジュ、振り返るといわゆる”アイドルらしいステージ” ”アイドルらしいバックダンサー”を百恵さんの紅白ステージで見られたのはこの回のみ。レコードで発売されたのは9月1日ですがいわゆる恋人宣言をしたのは10月20日。おそらく制作側も、新たな旅立ちの門出にこの曲を贈ったという意図があったのではないかと思える内容の曲でした。

 茶色を基調としたワンピースドレスに黒ブーツ、花の飾りが入る帽子。この年の紅白でも群を抜いたオシャレさです。元々比較的テンポの速い曲ですが紅白は例のごとくさらに速め、そのためチアガールの動きはかなり激しい物がありました。歌唱はリズム・声ともにバッチリで、7回目ともなるとさすがに安定感のある内容です。

応援など

 いわゆる「時の人」でもあったため、カメラに映る機会は他の年と比べても格段に多いです。濃い赤色のドレスで登場する百恵さんはレコ大会場からの移動に間に合う形なので入場行進の最後尾、何度もカメラに抜かれていました。ただ太田裕美のステージ後ろで踊る場面では、それほど多く映っていません(他に小柳ルミ子サーカスの女性メンバー2名が参加)。

 安来節ではどじょうすくいの男踊りを披露、コンビで組むのは前回の太鼓演舞と同様研ナオコ。こちらはフロントということもあって自然に映る機会が多くなります。その後は歌手席に戻って応援。

 さだまさし「関白宣言」はこの年の紅白でも特に話題になったステージですが、3番サビ、”愛する女は 生涯お前ひとり”と歌うくだりで画面に映ったのは百恵さんのアップでした。

 ステージ終了後は歌の衣装のまま紅組歌手席で応援に参加、水前寺清子の司会を盛り立てます。なお歌の直後に行われた関係上、恒例のラインダンス参加は無しでした。佐良直美のステージではコーラスに参加、森昌子のステージでは桜田淳子岩崎宏美とのスリーショットで歌手席を応援する様子がカメラに抜かれています。

 

おわりに

 1980年に惜しまれつつ引退しましたが、40年以上経った現在でも人々の心に強く残っている歌手であることは疑いようがありません。その後の紅白でも以下の表にある通り、複数回持ち歌が歌われています。

楽曲 歌唱者 歌唱回 発表年
いい日旅立ち 谷村新司 第41回(1990年) 1978年
いい日旅立ち 水森かおり 第72回(2021年) 1978年
秋桜 さだまさし 第43回(1992年)
第48回(1997年)
第74回(2023年)
1977年
曼珠沙華 藤あや子 第54回(2003年)
第66回(2015年)
1978年
プレイバックPart2 平原綾香
夏川りみ
第56回(2005年)
[ショーコーナー]
1978年

 当然ながらカムバックを求める声は非常に多く、週刊誌等では紅白で一夜限りの復活という文字が現在まで何度となく躍っています。実際にNHKがオファーしたという話もあるそうです。ただ作詞活動(アン・ルイス「ラ・セゾン」など)やコメント発信などを除き、メディア出演は一切無く引退状態を貫いています。

 なお夫の三浦友和は1987年・第38回に『独眼竜政宗』からの応援でゲスト出演が1度ありました。息子の三浦祐太朗と三浦貴大も歌手・俳優でそれぞれ活躍中、2022年には孫も生まれたそうです。それだけ歌手として活動した期間は遠い昔になっていますが、そうとはまるで思えない人気は現在も健在。2021年には伝説のラストコンサートがNHKでリマスター放送され大きな話題になりました。

 今後も百恵さんの存在は永遠だと思われます。ただ引退したこともあって権利関係がやや厳しく、CS他におけるテレビ再放送で許諾が降りずNHKプラスでも該当部分だけ配信されないことがある点は如何ともしがたいところであります。

 

 

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