紅白歌合戦・加山雄三の軌跡~データ&エピソード編~

 紅白歌合戦の出場歌手を振り返る記事、ここ最近紅組歌手の特集が増えてきたので今回は白組からピックアップしたいと思います。そろそろ司会についても書きたい所なので、色々考えた結果今回は加山雄三を取り上げることにしました。

 多く語られるのは白組司会のあの件だと思いますが、歌手としても17回の出場回数は歴代でも上位に入ります。いつものようにまずはデータ&エピソード編ですが、記事はステージ編司会&その他編という形で回ごとに取り上げる予定にしています。

加山雄三の紅白歌合戦エピソード

国民的ヒットの初出場は応援にも力を入れる

 若大将の初出場は第17回(1966年)。歌唱曲は現在までよく知られている代表曲の「君といつまでも」です。「夜空の星」「旅人よ」「お嫁においで」「蒼い星くず」「夜空を仰いで」など、彼の代表曲はかなりの数がこの年に集約されています。また『エレキの若大将』に代表される若大将シリーズを筆頭に、俳優としても人気絶頂期でした。

 そのため初出場でも他の歌手とは扱いが全く違います。司会者が紹介した後に歌手が登場して歌い始める、というのが従来のスタイルですが、「君といつまでも」のイントロの演奏に合わせて最初に登場したのは、なんと応援ゲストの渥美清でした。

 細かい内容はステージ編で書きますが、1960年代の紅白で曲紹介コーナーにここまで力を入れた例は他にありません。それだけ、当時の若大将が国民的スターであったということがうかがえます。石原裕次郎・高倉健・鶴田浩二・小林旭といったヒット曲も多いスターは当時軒並み紅白を辞退、また当時の映画界はテレビ界よりはるかに人気・格調ともに高い時代でした。

シンガーソングライターの先駆け

 若大将は俳優としても多大なる実績を残していますが、より大きな功績を残したのはやはり音楽面だと思います。

 紅白歌合戦では持ち歌を14曲披露していますが、その全てが本人のペンネーム・弾厚作の作曲です。まだまだ自ら作曲して歌う歌手が林伊佐緒くらいしか存在しなかった時代、映画に出演しながら常時自分で作曲した曲を歌う彼の登場は極めて異例でした。

 また1965年のエレキギター・ブームから『エレキの若大将』を経て、エレキギターを取り入れた楽曲をヒットさせたという功績も非常に大きいです。若大将ブームの直後にグループサウンズのブームが巻き起こりますが、その初期に大ヒットしたザ・ワイルドワンズの名付け親は他でもない若大将です。同時期にビートルズのメンバーと会食したのも、重要なエピソードでしょうか。その点では、日本歌謡界・J-POP界の歴史を語る上でもっとも重要な人物と言って良いかもしれません。

ギターもピアノも英語カバーもこなすマルチプレイヤー

 第30回(1979年)・第48回(1997年)・第61回(2010年)ではギターを弾きながら歌います。第30回・第48回は白組歌手有志、第61回は専属バンドを引き連れて演奏するステージでした。

 第38回(1987年)・第51回(2000年)の「海、その愛」はピアノ演奏から入る歌い出し、途中からピアノを離れてマイクを持ちながら歌うという演出でした。ピアノを弾きながら歌う歌手は他にもいますが、途中から演奏をやめて立って歌うパフォーマンスは「海、その愛」を歌う若大将のみです。

 第39回(1988年)では「マイ・ウェイ」を歌唱しました。布施明が日本語詞で3度歌唱している曲ですが、英語で歌われたのはこの時が唯一となっています。紅白歌合戦で若大将が持ち歌以外を披露したのは、この時のみです。

大物は応援も断らない

 初出場の時点で大スターなので、歌以外の登場は本来無くても良いくらいでしたが、初出場した第17回の紅白で既に他の白組歌手と混じって客席での応援に参加するシーンが確認できます。

 1970年代後半に再出場してからも、観客席で白組を思いっきり応援しています。第29回(1978年)では音声ハプニングで、郷ひろみのステージに大声を挙げている所がマイクに思いっきり入る場面もありました(名言集で紹介済)。

 そういった部分が『加山雄三ショー』への起用、ひいては1986年~1988年の紅白歌合戦白組司会への抜擢に繋がったのかもしれません。

仮面ライダー事件

 若大将の紅白歌合戦で最も知られているのは、やはり少年隊が歌う「仮面舞踏会」を「仮面ライダー」と間違えた件でしょう。1986年の当該シーンは勿論ですが、次の年でも自虐を込めた曲紹介でこれを流用、しまいには間違えられた本人たちが「仮面ライダー」を歌う悪ノリにまで発展しました。

 全貌は既に紅白歌合戦名言集で記事にしているので、そちらを参照してください。

 とは言え『加山雄三ショー』ともども白組司会としては好評で、3年連続歌手兼任での司会を見事に務めあげました。アナウンサー以外で3年連続白組司会を務めあげたのは、若大将が初めてです。

平成以降も節目節目で紅白に登場

 第48回(1997年)には還暦を記念してという形で9年ぶりの紅白復帰。還暦記念での紅白復帰・白組歌手有志のバンド演奏が加わるステージは歴代でも唯一の事例です(ギター・ベースまでは他にもありましたが、ドラムが含まれるのはこの時のみ)。

 世紀の節目となった第50回(1999年)~第52回(2001年)にも3年連続で出場します。

 第61回(2010年)は芸能生活50年を記念しての出場、白組歌手有志の応援も入るステージでした。73歳でこの年発表された「座・ロンリーハーツ親父バンド」をメドレーのうちの1曲として歌いますが、これは紅白歌合戦でその年発表の新曲を歌った最年長記録となっています。また紅白で新曲を歌うのが30年ぶりというのも、史上最長ブランク記録になっています。

 ちなみに紅白での再出場5回も、雪村いづみ森山良子山本譲二と並ぶ最多記録です。

加山雄三の紅白データ~17回分のまとめ

 1978年に初歌唱となった「海、その愛」は、1976年に発売された同名アルバムの収録曲でした。紅白でアルバム曲が歌われた事例は既に第24回(1973年)の上條恒彦「シャンテ」があるとは言え、当時としては異例の選曲です。また「ぼくの妹に」は、同作品からのシングルカットでした。

出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主なデータ主な受賞他の発売曲
第17回
(1966年)
29歳
君といつまでも岩谷時子
弾 厚作
1965/12/5白組15番手/25組中300万枚を超えるレコード売上・日本レコード大賞特別賞・夜空の星
・蒼い星くず
・夕陽は赤く
・お嫁においで
・夜空を仰いで
・旅人よ
第18回
(1967年)
30歳
別れたあの人岩谷時子
弾 厚作
1967/9/15白組20番手/23組中・二人だけの海
・幻のアマリリア
第27回
(1976年)
39歳
ぼくの妹に岩谷時子
弾 厚作
1976/7/20白組20番手/24組中オリコン週間最高26位・泣くがいい
第28回
(1977年)
40歳
もえる草原岩谷時子
弾 厚作
1977/8/5白組13番手/24組中オリコン週間最高63位・夕映えの恋人
・母よ
第29回
(1978年)
41歳
海、その愛岩谷時子
弾 厚作
1976/5/20白組10番手/24組中1976年オリコンアルバム売上年間30位・冒険者たち
・フィジーにおいで
・光進丸
第30回
(1979年)
42歳
旅人よ岩谷時子
弾 厚作
1966/10/15白組12番手/23組中
第31回
(1980年)
43歳
湯沢旅情安麻呂
弾 厚作
1980/11/21白組13番手/23組中・その日海からラプソディ
第32回
(1981年)
43歳
若大将ヒット・メドレー
夜空を仰いで
お嫁においで
君といつまでも
岩谷時子、弾 厚作
弾 厚作
1966/10/15
1966/6/15
(2回目)
白組13番手/22組中・この愛いつまでも
・海よ永遠に
第33回
(1982年)
45歳
君といつまでも岩谷時子
弾 厚作
(3回目)白組9番手/22組中・Tell Me Why
出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主なデータ他の発売曲
第37回
(1986年)
49歳
フェアウェル(今は別れの時)岩谷時子
弾 厚作
1977/2/20白組13番手/20組中・絆
第38回
(1987年)
50歳
海 その愛岩谷時子
弾 厚作
(2回目)白組9番手/20組中
第39回
(1988年)
51歳
マイ・ウェイ(外国曲)(カバー)白組13番手/21組中・さらばオーシャン
・ちょっとだけストレンジャー
第48回
(1997年)
60歳
若大将’97スペシャル
夜空の星
ブラック・サンド・ビーチ
蒼い星くず
岩谷時子
弾 厚作
1965/12/5
1965/12/5
1966/4/5
白組後半10番手/15組中・今ならきっと
第50回
(1999年)
62歳
君といつまでも岩谷時子
弾 厚作
(4回目)白組前半トリ前
第51回
(2000年)
63歳
海、その愛岩谷時子
弾 厚作
(3回目)前半大トリ・LOVE AGAIN
・YES
第52回
(2001年)
64歳
旅人よ岩谷時子
弾 厚作
(2回目)前半大トリ
第61回
(2010年)
73歳
若大将50年!スペシャルメドレー
夜空の星
座・ロンリーハーツ親父バンド
岩谷時子、さだまさし
弾 厚作
(2回目)
2010/4/7
白組後半4番手/10組中オリコン週間36位
YouTube公式MV100万再生

 

 

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