紅白歌合戦・堀内孝雄の軌跡~ステージ編(1988~1995)~

 谷村さんはアリス時代を含めて19回、同じく堀内さんは20回出場しています。それぞれ前編・後編分ける形でステージレビューをしていきます。なおアリスについては紅白歌合戦・バンド出場歌手の歴史(平成の再結成組編)の記事でステージ内容は記述済なので、ほぼリンク紹介のみになることをあらかじめご了承ください。

 

第39回(1988年)「ガキの頃のように」

ステージ

作詞:荒木とよひさ 作曲:堀内孝雄
前歌手:細川たかし、ケー・ウンスク
後歌手:松原のぶえ、新沼謙治
曲紹介:加山雄三(白組司会)

 「紅白初出場の堀内孝雄さんです。アリス時代の仲間・谷村新司さんの応援です」。谷村さんが応援コメントを残した後、加山さんが「嬉しいでしょう。堀内孝雄さんで、「ガキの頃のように」。頑張ってください」と曲紹介。若大将の司会記事でも触れましたが、堀内さんは初出場の時に粋なはからいをしてくれた加山さんにいたく感謝しているとインタビューで話していました。

 やや暗めの照明の中、アリス時代ではあまり想像できないようなタキシードの正装で歌います。1コーラス披露後に客席から大きな拍手、それに対して深くお辞儀で返す堀内さん。

 1番が長めなので2コーラスではなく1コーラス半の歌唱でした。よく響く威勢の良い歌声は若い頃から同様、最後は「ありがとうございました!」と高らかに挨拶。新しい常連歌手として長く紅白に出場し続けることを、この時点で想像できた人もおそらく多かったのではないでしょうか。

応援など

 あいうえお順や曲順とは異なるオープニングの歌手入場、堀内さんはやはり谷村新司と一緒の登場でした。後半の歌手席は最下段の端で加山雄三の隣、エンディングでは新沼謙治と一緒に「蛍の光」を歌う場面が映っています。

第40回(1989年)「冗談じゃねぇ」

ステージ

作詞:荒木とよひさ 作曲:堀内孝雄
前歌手:BAKUFU-SLUMP、佐藤しのぶ、(チアリーダーのパフォーマンス)
後歌手:坂本冬美、鳥羽一郎
曲紹介:武田鉄矢(白組司会)

 この年初登場・その後しばらく紅白歌合戦の常連ダンサーとして登場するUCA(国際チアリーダーズ協会)がパフォーマンス。「紅組勝利」と書かれた垂れ幕をデカデカとアピールするラストに白組司会・武田鉄矢もお手上げ、「この若い女の子が、スカート履いて足上げて!」と嘆いています。チアリーダーの人数は通路も含めて100人近く、「女性陣がですね数で勝負しようとしておりますからね、白組頑張りましょう。さあ、男の気持ちを代表する堀内孝雄さんでございます。せーの、「冗談じゃねぇ」!」

 北島三郎チョー・ヨンピル谷村新司聖飢魔Ⅱなど白組歌手が勢揃いする中で曲紹介、チアリーダー勢が退場するまで声を挙げる上にオーケストラセットの入場もあるので、イントロが些か落ち着きありません。ただその中でも堀内さんはステージに集中、紅白らしい緊張の表情を浮かべています。

 歌に入ると熱唱ですが、構成は間奏無しの1コーラス半というやや物足りないものでした。曲順は演歌のトップバッターで対戦相手もデビュー3年目の坂本冬美、完全に「演歌の新人」扱いされている状況です。

 「サンキュ!どうもありがとう!」、アウトロで高らかな挨拶をすると同時に客席から大きな拍手。この挨拶も、平成後期に至るまで紅白に欠かせない名物となります。

応援など

 アリス海援隊は活動時期も近く、古くからの盟友でもあります。この年武田鉄矢は白組司会と同時に第2部トップバッターも担当しますが、曲紹介を買って出たのは堀内さんと谷村新司でした。谷村さんの後に「武田鉄矢さんで「声援」!」、かなりの早口でギリギリ歌い出しに被らずに済む結果となりました。

 その後は終盤、吉幾三の曲紹介に登場。次男坊の一員として吉さんだけでなく細川たかし伊藤多喜雄も一緒に登場。ちなみに堀内さんは3人兄弟、武田さんが5人、細川さんが7人、吉さんが9人、そして多喜雄さんはなんと12人兄弟らしいです。

第41回(1990年)「恋唄綴り」

ステージ

作詞:荒木とよひさ 作曲:堀内孝雄
前歌手:アレキサンドル・グラツキー、福士りつ
後歌手:大津美子、橋 幸夫
曲紹介:西田敏行(白組司会)、オール阪神・巨人

 前半から白組応援に参加しているオール阪神・巨人とのトーク後に曲紹介。「今年はね、素晴らしくいいことがたくさんあった方をこれからご紹介したいと思います。もう、素晴らしいです。「恋唄綴り」、堀内孝雄さんです!」

 紅白歌合戦の裏番組になってしまった日本レコード大賞がこの年ポップス・ロック部門と演歌・歌謡曲部門に分かれましたが、「恋唄綴り」は演歌・歌謡曲部門の大賞受賞曲でした。数字的にもオリコン年間CD売上が1990年20位・1991年38位。大ヒットかつロングセラーで、代表曲の一つとして挙げられる楽曲です。ただ紅白で繰り返し歌われる機会は残念ながら全く無く、第41回のみの歌唱となっています。

 終盤でも全くおかしくない曲順は第2部の20組中7番手、前後のステージも民謡やら懐メロやらの異ジャンルだらけで少し微妙な扱いです。ただ前年まで1コーラス半だった構成はめでたく2コーラス、間奏もしっかり演奏されています。

 イントロで起こる拍手に「ありがとうございます」、大きなアクションを交えて1番終了後即座に「サンキュゥ!」「どうもありがとう!」、2番終了後にも声をあげてラストは「ありがとうございましたァ!」。レコ大受賞の喜びを体現したような、非常にテンションの高いパフォーマンスが印象的でした。

応援など

 前半は日本レコード大賞出演のため歌手入場のオープニングなどは全て不参加です。前述の通り、演歌・歌謡曲部門で大賞を受賞したのは堀内さんでした。

 番組には後半から参加、植木等の「スーダラ伝説」に後方で参加している姿が確認できます。ただ応援や他歌手の曲紹介で登場する場面はなく、ステージ以外で見られたのはエンディングくらいでした。

第42回(1991年)「愛しき日々」

ステージ

作詞:小椋 佳 作曲:堀内孝雄
前歌手:アンディ・ウィリアムス、(中間審査)、八代亜紀
後歌手:テレサ・テン、さだまさし
曲紹介:堺 正章(白組司会)

 この年は歴代の紅白歌合戦唯一の3部制で、21時以降は中間審査を挟んで紅白各9組が第2部・第3部に分かれていました。その第3部の白組トップバッターが堀内さん、八代亜紀「舟唄」のステージと入れ替わりですぐに演奏が始まります。「演歌でもポップスでもない新しいジャンルを生み出した堀内孝雄さん。カラオケでも素晴らしい人気のこの曲、「愛しき日々」」、堺さんの曲紹介もイントロに乗せて行われる形でした。

 1986年に紅白歌合戦の裏番組、日本テレビ系時代劇『白虎隊』主題歌として大ヒットした楽曲です。日テレの大型時代劇はこの年も「恋文」を主題歌とした『源義経』が放送されていましたが、それにも関わらずという選曲になりました。1986年と1990年でレコード・CD売上市場規模が全く異なるので同列視は不可能ですが、数字的には「愛しき日々」より前年の「恋唄綴り」の方が枚数を売り上げています。2年連続「恋唄綴り」あるいは「さよならだけの人生に」の歌唱も十分考えられましたが…。

 星空メインの背景は、円型のセットを大きな満月に見立てたような演出に見えます。構成は1番・2番を歌った後サビ2回繰り返しで間奏無し。この曲は一般的な演歌・歌謡曲と違う独特の構成なので、テレビサイズだとやや短く聴こえるのが難点でしょうか。この年は「サンキュー!」無し、「ありがとうございました!」の締めでした。

応援など

 この年も『GENTS』のアルバム大賞(歌謡曲・演歌部門)で日本レコード大賞に出演していますが、紅白のオープニングには参加していました。ノミネート歌手が紅白とレコ大の会場を往復するケースは、この年から増加します。

 レコ大放送終了後の21時以降は当然ながら紅白がメインです。自らのステージ以外ではエンディング、中間審査、細川たかしの「応援歌、いきます」で乾杯するステージに登場しています。

第43回(1992年)「都会の天使たち」

ステージ

作詞:荒木とよひさ 作曲:堀内孝雄
前歌手:鳥羽一郎、松原のぶえ、(紅白判定機)
後歌手:
川中美幸、前川 清
曲紹介:山川静夫(総合司会)、堺 正章(白組司会)、石田ひかり(紅組司会)、など

 桂三枝博士が持ってきた「紅白判定機」たる機械にオール阪神・巨人今いくよ・くるよ宮川大助・花子の吉本軍団が紅勝て白勝ての大騒ぎ、判定機の中から最終的に出てきたのはジミー大西という非常にバタバタしたコントの後に司会陣が登場。紅白史上初の合同ステージ、紹介を担当したのは総合司会の山川静夫アナでした。騒がしい吉本軍団(特に女性陣)を抑えた後に、「ここでね、今日のね、ただ1曲。紅白が仲良く、歌う歌をやりますから。それでね、ケー・ウンスクさんと堀内孝雄さん。仲の良いデュエットで、「都会の天使たち」をお願い致します。どうぞお願い致します」と進行。

 ケー・ウンスクは紅白歌合戦同期で、初出場の年は対戦相手でもありました。また「すずめの涙」「悲しみの訪問者」など、荒木とよひさ作詞のヒット曲が複数あることも共通しています。作曲と、『はぐれ刑事純情派』の主題歌という点で考えると堀内さんは例年同様の活動です。ただやはりデュエットという点では一味違いました。ちなみに堀内さんがミュージックステーションに出演した最後の曲で、実質的に番組で演歌・歌謡曲が歌われる機会はこれ以降ありません。

 仲睦まじく歌われるデュエットは、2人が見つめ合って歌うことも多いパフォーマンスです。紅白でもデュエットが歌われる機会はいくつかありましたが、2人の間の距離は歴代でもっとも近いように見えます。1コーラス半、ラストサビではケーさんが自ら堀内さんの腕を掴む積極的アピール。少し照れくさそうな様子の堀内さんと対照的に、ケーさんは非常に嬉しそうな笑顔でした。

 握手をした後、渾身の「サンキュー!」を披露する堀内さん、ケーさんは「ありがとうございました」と感無量の挨拶。記録だけでなく記憶にも強く残る、1990年代紅白を代表する名ステージでした。

応援など

 この年も「都会の天使たち」がレコ大ノミネートのため、オープニング以外前半の出演はありません。前半ラストの全員合唱「TEARS ~大地を濡らして~」も不参加でした。後半もエンディング以外顔が全く映らず、ステージ以外でほとんど目立つ場面無しです。

第44回(1993年)「影法師」

ステージ

作詞:荒木とよひさ 作曲:堀内孝雄
前歌手:TUBE、ケー・ウンスク
後歌手:中村美律子、THE BOOM

曲紹介:堺 正章(白組司会)

 奇しくも前年デュエットしたケー・ウンスクが対戦相手、前のステージが終わってすぐの演奏開始でした。「さて続いての白組は堀内孝雄さんですが、今年嬉しかったことは高山さんが花開いたこと、そしてこの曲がもう一つ大きく花開いたことでございます。では歌って頂きましょう「影法師」、堀内孝雄さんですどうぞ!」

 20年以上の親交がある高山厳が「心凍らせて」の大ヒットで初出場、堀内さんがステージに向かう前にガッチリ握手。マイクを持っていたので本来は応援コメントもあったのではないかと思われますが、演奏開始のタイミングから察するに相当時間が押し気味。残念ながらカットされたのではないかと推測されます。

 さすがに生演奏とは言え直前の歌パート変更は無かったと思われますが、この年ラストを迎える日本歌謡大賞受賞の大ヒットでありながら間奏無しの1コーラス半。オリコン年間売上ではこの年男性演歌・歌謡曲でもっともヒットした曲ですが、そのデータと比べると甚だ扱いが悪いようにも感じます。曲順もトリ近辺ではありませんでした。

 星空をバックにしたステージ演出と、「サンキュー!」の挨拶は例年通り健在でした。ちなみに直後にゲストで登場した桂三枝も、対抗するように「こんばんは!」と大きな声で挨拶しています。

応援など

 先述した通りこの年初出場を果たした高山厳とはアマチュア時代から長く親交があり、彼の曲紹介にも登場します。高山さんのお子さん4人からの手紙を堺さんが朗読しますが、堀内さんが封筒を持っています。

 「影法師」は大ヒットしましたがレコ大出演は意外にも無し。そのため全員合唱「山に抱かれて」は参加しています。TUBE前田亘輝と2人で歌うシーンがありました。

第45回(1994年)「夢の道草」

ステージ

作詞:たきのえいじ 作曲:堀内孝雄
前歌手:山本譲二、伍代夏子
後歌手:(ディズニーショー)、森口博子、SMAP

曲紹介:古舘伊知郎(白組司会)

 平成以降に初出場から2年連続出場した白組演歌・歌謡曲歌手は堀内さんよりキャリアの長い冠二郎のみ、したがってこのジャンルで堀内さんは一番の若手でした。「夢の道草」は「恋唄綴り」「影法師」ほどではないと言っても十分なヒットでしたが、紅白ではあえなく前半5番手という曲順に回されます。

 「あの歌終わりのサンキューとは何なのか。1万ボルトでしびれて演歌に転向、音楽の国境越えを果たした男の深呼吸なのか。彼の歌には髭と泪と男と女がよく似合う。大人の愛のほろ苦さ、もう引き返せない。歌は「夢の道草」。」伍代夏子が歌い終わってすぐに始まる演奏、古舘伊知郎によるイントロの曲紹介はなかなかクセが強めです。

 この年は1コーラス半ではなく2コーラス、間奏もじっくり時間が取られました。そのためいつもの「サンキュー!」は間奏に入っています。ラストは左に右に挨拶したあと「ありがとうございましたー!」、ただそれ以上にインパクト強かったのはドライアイス噴出・セリ上がりで登場したミッキーマウスとミニーマウスでした(ちなみにディズニーはこの年が紅白初登場)。

応援など

 ここまで応援で目立つシーンがあまり無かった堀内さんですが、この年はセット転換に伴うX JAPAN登場前の余興に登場。和傘をさした和服姿で見得を切る堀内さん、「平成演歌の口ヒゲ王、アリスの国から飛び出した堀内孝雄たぁ、俺のことだ~」と古舘さんに紹介されています。歌舞伎風に読み上げるそのおかしな内容に、堀内さんは素で笑いの表情を浮かべていました。

第46回(1995年)「東京発」

ステージ

作詞:たきのえいじ 作曲:堀内孝雄
前歌手:EAST END×YURI、trf、(審査員紹介)
後歌手:長山洋子、冠 二郎
曲紹介:古舘伊知郎(白組司会)

 この年はややCDセールスを落とした年ですが、それでもアリス時代のキャリアを考えると前半3番手という曲順はあまりにも早い印象でした。この頃から白組演歌陣の新陳代謝が進まなくなり、年齢・キャリア・紅白初出場年いずれも堀内さんを下回る演歌歌手は1回きりだった香田晋加門亮くらいしか出てこなくなります。これは第51回(2000年)初出場の氷川きよし初出場まで続きました。

 「東京という曲は沢山ございますが、”発”と聴くと何かドラマを感じてしまいます。そのドラマを堀内孝雄さんが演出します」。イントロと曲紹介をバックに、堀内さんはこの年のみ備え付けられたエレベーターのセットに乗って登場します。

 この年も2コーラス歌唱ですが、間奏はやや短めです。対戦相手で1990年代初出場の長山洋子が大ヒット曲にも関わらず1コーラス半でしたが、堀内さんについて言うと一応のキャリアが重視された形でした。ラストのフレーズを2度繰り返した後はいつもの「サンキュー!」。その瞬間、客席からは待ってましたというばかりの大拍手が起こっています。ラストは「ありがとうございましたー!」で締めました。

応援など

 前年同様、この年もセット転換の繋ぎで発生した変な前置きにつきあわされます。この年は米俵を持った裃姿、米米CLUBの曲紹介でした。なおその内容は紅白歌合戦・米米CLUBの軌跡に記述しています。それ以外では、小沢健二「ラブリー」を歌う後ろで手拍子応援などがありました。

 

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