紅白歌合戦・青江三奈の軌跡~ステージ編(1976~1990)~

第27回(1976年)「女から男への手紙」

ステージ

作詞:荒木あい子 補作詞:阿久 悠 作曲:井上忠夫
前歌手:小柳ルミ子、北島三郎
後歌手:布施 明、ちあきなおみ

曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 「前略山川静夫様。今年の紅白歌合戦は紅組の勝ちに決まったようですね。直美。女から男への手紙、青江三奈さんです」。

 十二単のような物を着て、佐良さんが赤い布を持って平安時代風に曲紹介。この衣装は青江さんの曲紹介のみで使用されました。なおこの後のちあきなおみ「酒場川」は画面に出て来ず、両組トリの紹介で着物姿になっています。

 青江さんの衣装は赤いロングドレス、上半身はこの年もキラキラと光り物がチカチカしています。歌はヒットしなかったもの日本語の美しさとストーリー性のある歌詞が絶品、いわゆる紅白歌合戦における「隠れた名曲」といったところでしょうか。青江さんの作品はサブスクで1960年代後半~1970年代前半のアルバムが次々に解禁されていますが、この年近辺はシングル曲でさえも未だ解禁されていない曲が多め。この曲もその一つで、早期に聴けるようになることをあらためて願いたいです。

応援など

 ピンクのドレスでオープニングに登場後、紅組キャプテン佐良直美のステージではスーツ姿。ドレスだけでなく、こういった格好もよく似合っています。

 応援合戦など段取りの多い年ですが、ラインダンスは当然不参加。歌舞伎を模したショーでも脇で応援しているのみで、目立つ場面は多くありません。

 曲紹介の通り、この年は紅組が優勝。司会の佐良さんと喜び合うシーン、握手する場面が映っています。

 

第28回(1977年)「みなとブルース」

ステージ

作詞:たかたかし 作曲:花 礼二
前歌手:いしだあゆみ、フランク永井
後歌手:内山田洋とクール・ファイブ、小柳ルミ子

曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 「別れの中で、港の別れほど悲しいものはありません。今日も女の涙を残して、また船が出ていきます。」

 「伊勢佐木町ブルース以来、一連のブルースを歌い続けてきた青江三奈さん。一段と円熟味を増して、女心をブルースに託します。「みなとブルース」」。

 由紀さおり水前寺清子桜田淳子高田みづえが効果音で海と鴎の音を表現しています。これは3年前の内山田洋とクール・ファイブ「海鳴り」(ステージレビュー)でも見られた演出でした。

 ブルースも港町も過去の紅白歌合戦で歌ってる青江さんですが、この「みなとブルース」は特定のご当地ソングではありません。ストーリー性の高い歌謡曲という趣で、各コーラス終盤の徐々にクレッシェンドする演奏が臨場感抜群です。この年も光る衣装、髪飾りにまでスパンコールが入るという徹底ぶりでした。

応援など

 赤いドレスで登場するオープニング。ただこの年は先に入場した歌手が舞台端に向かう段取りで、司会者の真後ろにいることの多い例年より映る場面は少なめです。そのまま初出場の高田みづえも、他のベテラン歌手と一緒に薩摩大根を持ちながら応援。

 由紀さおりのステージでは「紅組勝利決定 う、ふ、ふ。」と書かれて大きな布を広げる役目を任されます。一緒に出演したのはちあきなおみ八代亜紀山口百恵でした。

 

第29回(1978年)「ふられぐせ」

ステージ

作詞:千家和也 作曲:千葉 毅
前歌手:西川峰子、菅原洋一
後歌手:春日八郎、八代亜紀
曲紹介:森 光子(紅組司会)

 前年に両組の応援団長も担当した中村メイコ三波伸介の『お笑いオンステージ』コンビが直前に出演。紅勝つ白勝つと夫婦で口喧嘩したものの、毛糸を巻く三波さんがメイコさんにつられて「白まけたよ」と口にして紅組勝利という、あまりにもくだらないオチでしたが、それに続く形で「白負けた紅勝った、そして青が歌います」と曲紹介の入りは綺麗に決まりました。

 「今年は演歌が不調だと言われることが一番辛い、しみじみ言ってた青江三奈さんです。今夜このステージでその悔しさを思い切りぶつけてください!「ふられぐせ」です」

 秋本薫が演奏するテナーサックスがムードたっぷりで、まさしく聴かせる演歌歌謡の真骨頂というステージでした。露出度高めのスパンコールがギラギラ光るピンクのドレスも安定しています。もっとも青江さんの新曲はこの時期になるとオリコン週間100位に入らなくなっていて、第25回で歌った「銀座ブルー・ナイト」以降は1982年の「夢灯り」までランク外という状況でした。それでも紅白歌合戦に出場が続いたのは、確かな歌唱力と人気に実績・おそらくコンサートの動員力なども大きく評価されていたのではないかと思われます。

応援など

 白いドレスで登場するオープニング。手拍子をしながら、スタインソングのメロディーを口ずさむ場面が映っています。前半は5番手・初出場の芹洋子で5人揃って裃姿。「そして、その歌は…」という具合に、口上を披露していました。

 和田アキ子のステージではタイトル通りコーラス・ガールとして参加。八代亜紀庄野真代と同じマイクを共用しています。前年の「う、ふ、ふ。」と同じく、紅組ラインダンスに近い時間帯の出演でした。

 この年はいくつかのステージで直前の歌手が対戦カードの書かれたプラカードを持つ演出がありました。八代亜紀の曲紹介では、森さんの横で歌ったばかりの青江さんがプラカードを持っています。

 

第30回(1979年)「盛岡ブルース」

ステージ

作詞・作曲:つのかけ芳克
前歌手:森 昌子、村田英雄
後歌手:北島三郎、都はるみ
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)

 「さあ、盛岡の皆さまお待たせ致しました。なんですか盛岡の方は今年の冬雪が無くてとっても温かいそうですね。紅組はですねブルースの女王を迎えたいと思います。江戸は深川下町育ち、ただいまヒット中ベテラン青江三奈、「盛岡ブルース」!」

 歌手席からスタンバイ、紅組歌手が全員拍手で迎えます。「この曲は今年1月7日放送の『NHKあなたのメロディー』から生まれました。曲を作られたつのかけさんは盛岡市の隣、岩手郡滝沢村の方でございます」と、テレビ実況の解説がイントロで加えられました。

 衣装が光り輝いているのは毎年のこと、髪の色も年によっては金色になりますが、金色の要素を多く入れたのは「長崎ブルース」の第24回以来でした。生地は薄紫色ですが、それだけにゴールドが目立つ衣装となっています。岩手県について歌うご当地ソングは4曲ほどありますが(参照)、盛岡を歌ったのは紅白だとこれが唯一。情感あふれる名歌唱です。なおつのかけさんはその後1993年にも、和田弘とマヒナスターズに「ふたりの盛岡」を提供しています。

応援など

 ステージでなくても光り輝く衣装をよく身に着けていますが、この年のオープニングは生地ではなくリボンが光っていました。冒頭司会者紹介、水前寺清子石川さゆりとともにリフト。何度と無く書いていますが、この年の紅組は紅白史上でもっとも団結力を前面に出していました。

 前半は安来節の応援に参加。太田裕美八代亜紀島倉千代子渡辺真知子石川さゆりと一緒に女踊りを披露。その後は佐良直美が歌う「世界は二人のために」のステージにコーラスで参加、赤紫色の衣装を着ています。

 

第31回(1980年)「酔心」

ステージ

作詞:千家和也 作曲:千葉 毅
前歌手:森 昌子、村田英雄
後歌手:森 進一、小林幸子
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 2年前の歌唱曲「ふられぐせ」と同じコンビ、対戦相手・曲順は2年連続でトリ2つ前・村田英雄となりました。常連でありながら巡り合わせ悪くトリで歌っていない部分は、青江さんと村田先生の共通項でもあります。この年の村田先生は「夫婦酒」、酒演歌対決となりました。

 「さあ、青江三奈さんです歌って頂きましょう「酔心」です。フアンレターで一番多い質問は、小さい時からそういう声でしたかというようなことでございますけれど、お答えは「はい小学生の頃から」だそうです。音楽の点は悪かった、その時人と違うと心配したお声がいま個性となりました。青江三奈さんです!」

 村田先生がアウトロの演奏終了を待たずに舞台から掃け、そのまま徹子さんにカメラが向きます。それに気づいた徹子さんも少し早いタイミングで喋り始め、紅組演奏チームもすぐさまイントロ突入。数秒時間を巻いたように見えました。

 この年は生地全体がスパンコールまみれ、下から上に動かすカメラワークでその鮮やかさを映し出しています。「今年はデビュー15周年。初心忘るべからずで頑張りますと語る下町育ち」と間奏でテレビ実況が入りました。鮮やかな衣装でお酒の歌、ムードたっぷりのバーで歌うママさんのようです。もっとも全国津々浦々探しても、青江さんほど歌の上手くて華のある方は当時もほぼいなかったとは思いますが…。

 

応援など

 オープニングは真っ白な衣装で登場。団体参加の応援合戦は過去出場することが少なかった青江さんですが、この年は松づくしにもフレンチカンカンにも参加。特にフレンチカンカンは体力勝負なので、いつも以上にハッスルしている青江さんが見られた紅白歌合戦となりました。

 

第32回(1981年)「あなたにゆられて」

ステージ

作詞:北川文化 作曲:森田公一
前歌手:ロス・インディオス&シルヴィア、沢田研二
後歌手:村田英雄、研ナオコ
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 紅白玉合戦という運動会みたいなコーナーを挟む形で演奏開始。いまの紅白なら真っ先に不要だと言われそうな光景ですが、当時は芸能人運動会が当たり前のように放送されていた時代。そう考えると違和感はありません。ジャージ姿に歌手によっては大きな玉を入れるカゴを持ってたりしますが、直後に歌う青江さんは当然不参加です。

 「横浜のナイトクラブで今売れっ子の脚本家ジェームス三木さんが歌手をしてらした時のかわいい少女がいました。その少女歌手が青江三奈さんです。デビューして16年、下町っ子の魅力は変わりません。「あなたにゆられて」です」

 この年もピンクのドレスに光り物が多く散りばめられています。歌っている間に後ろの大きなセットが回転、この演出が本格化したのはまさに第32回以降でした。歌は”ゆらりゆられて”という歌詞が実にしっくり来る女心をテーマにした楽曲。2コーラスで2分11秒はやや短め、嵐の後のささやかさという点で考えると『8時だよ!全員集合』『ドリフ大爆笑』でコントした後の歌のコーナーみたいにも思えます。

応援など

 オープニングは全員が赤ブレザーで登場。いつも通り紅組先頭で登場する青江さんは、客席に向かって手を振っています。なお下は白い生地である点以外は比較的自由で、青江さんはズボン着用、後ろにいる石川さゆりはスカート姿でした。

 中盤のデュエットソングショーでは新御三家相手に「新宿そだち」を歌唱、松村和子小柳ルミ子と即席で3人組を結成していました。「新宿そだち」は1968年大木英夫・津山洋子のデュエットで大ヒットした曲ですが、ピンキーとキラーズがようやく男女混合初出場だった時代だったので紅白には縁が無し。このコーナーで披露された曲は橋幸夫がソロで歌った「いつでも夢を」と同じく和田弘とマヒナスターズ単体の「愛して愛して愛しちゃったのよ」以外いずれも紅白初歌唱です。

 

第33回(1982年)「伊勢佐木町ブルース」

ステージ

作詞:川内康範 作曲:鈴木庸一
前歌手:ロス・インディオス&シルヴィア、加山雄三
後歌手:フランク永井、島倉千代子
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 名曲紅白、「愛の讃歌」「コモエスタ赤坂」「君といつまでも」「伊勢佐木町ブルース」「有楽町で逢いましょう」「この世の花」「北国の春」と7曲連続で過去曲。ショーコーナーを挟んで10曲連続過去曲の曲順は、懐メロが多くなった平成以降でもなかなか見られない構成です。青江さんの「伊勢佐木町ブルース」は14年ぶりの歌唱ですが、1982年ともなりますと当時より雰囲気は緩くなっています。「このお色気でどうぞ男性をノックアウトしてください。ため息紅白初出場でございます。青江三奈さん「伊勢佐木町ブルース」です、どうぞ」、曲紹介が示す通り14年前にカズーで代用されたパートは青江さんの肉声になりました。

 ただキーは当時より少し下がり、テンポもやけに速くなっています。円熟味と色気は確実に増していますが、1分56秒の演奏時間はやはり短すぎるという印象はありました。衣装だけでなく髪にも光り物を施していますが、色もいつの間にか黒色になっている様子です。

応援など

 オープニングは人気俳優・中村雅俊を囲む4人の女性歌手という構図。石川さゆり牧村三枝子川中美幸と一緒に登場します。赤ブレザーは前年と同様、この年は白ズボンではなくスカートを着用。蝶ネクタイもしています。ピンクのドレスで歌手席応援後、水前寺清子「大勝負」のステージで薙刀演舞。

 前回参加していない紅白玉合戦はこの年参加、上下ジャージ姿の青江さんが映っています。一方デュエットソングショーは登場こそしているものの歌の出番は無し、紅組4番目のキャリアになっていますがそろそろ連続出場が危ぶまれていることを象徴する扱いにも見えます。

 一方前回姿が見られなかった和物のショーコーナーには参加。黒い着物姿で都はるみと一緒に「木遣りくずし」を歌っています。

 

第34回(1983年)「大阪ブルース」

ステージ

作詞:水木かおる 作曲:鈴木邦彦
前歌手:都はるみ、村田英雄
後歌手:サザンオールスターズ、(ショーコーナー)、松田聖子
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 「できたてのこの曲を皆さまに聴いて頂けてこんな嬉しいことはございません。18年前初めて紅白に出た時で、今も出ていらっしゃる方はもう3人しかいないのは寂しいけれど、また励みにもなります。中年過ぎのご夫婦に圧倒的人気です青江三奈さん「大阪ブルース」です」

 この年は衣装の光が抑えめである代わりに、背景のセットがネオン街を思わせるかのようにギラギラ具合。このセットは青江さんのステージのみ使用でした。黒髪にカールを巻くパーマ、これは第25回のスタイルにやや近いでしょうか。歌は1コーラスが短く、2コーラスの演奏時間は2分2秒でこの年の紅白最短でした。次の年は日本を飛び越えて韓国を題材にした「大田ブルース」が話題になりますが、残念ながら連続出場はこの年でストップします。

応援など

 この年は出演順に1人ずつ司会者が歌手を紹介するオープニング。「18年前初めて紅白に出ました。その時ご一緒だった方で今日ここにいらっしゃるのは女性軍では3人だけです青江三奈さんです!」。トリの話があった頃は美空ひばり越路吹雪江利チエミペギー葉山などベテランが抜けて寂しくなるという話だったようですが、1983年になると自身がその立場になっている様子です(この時の3人は島倉千代子水前寺清子都はるみ)。

 「ビギン・ザ・ビギン」のショーでは赤い衣装で登場、島倉千代子水前寺清子と一緒のマイクで歌うシーンがあります。「紅白俵つみ合戦」で黄緑色の着物姿で踊った後、「日本の童謡メドレー」では農家の母親スタイルで水前寺清子と「冬の夜」を歌唱。この年はいつにも増して、チータと一緒に出演する場面が多い回でした。

 最後は紅組トリを務めた水前寺清子のステージで、黒子として衣装替えを手伝い。親友としての絆を感じさせる名場面となっています。エンディングでは白いドレスに着替えての参加、銀杯受賞とトリの感激で涙を流すチータの横に寄り添っていました。

 

第41回(1990年)「恍惚のブルース」

ステージ

作詞:川内康範 作曲:浜口庫之助
前歌手:EVE、西田敏行
後歌手:アレクサンドル・グラツキー、福士りつ
曲紹介:三田佳子(紅組司会)

 平成の紅白は昭和と異なり、過去曲での出場が多くなりました。特に第40回~第44回はその傾向が顕著で、この曲を歌ってもらうために○○年ぶりの復帰というケースが多くなります。7年ぶり紅白復帰の青江さん、その理由は12月2日に逝去した作曲家・浜口庫之助氏の追悼でした。テナーサックス演奏に、松本英彦を迎えています。

 久々の紅白歌合戦は第25回を黒髪にしたようなヘアースタイル、ただ追悼ということもあって往年のスパンコール満載の衣装は控えています(それでも柄などは多少派手ですが)。松本さんのテナーサックスはイントロ・アウトロだけでなく間奏も1コーラス分そのまま、演歌というよりジャズのステージといった趣の方が強めでした。1990年代の青江さんは演歌・ブルースだけでなくジャズにも注力していた時期、1993年にはジャズの名曲を集めた『The Shadow Of Love』がリリースされています。

 演奏時間だけでなく、見応えという点でも初出場を果たした第17回より格段に進化。これは本人のステータスだけでなく、時代が進んだことを象徴しているように見えます。なお青江さんが逝去されたのは2000年ですが、松本英彦氏の逝去も同じ年で青江さんの4ヶ月前でした。

応援など

 この回は曲間に出場歌手が参加するアトラクションは無く、ほぼ海外のパフォーマー頼りです。オープニングは白、エンディングは黄色のドレスに着替えていますが、他の衣装は特に見られずでした。

 

おわりに

 歌の上手さや曲についてはもちろん印象的ですが、あらためて振り返ると衣装の派手さも印象的でした。ここまで光り物が目立つ衣装を毎年身に着けているのは、振り返ると青江さんくらいではないかと思います。

 女性演歌は着物がステータスと思いがちですが振り返ると必ずしもそうでなく、青江さんに八代亜紀、平成以降も天童よしみ水森かおりはドレスアップ主体で着物姿はほぼ見られません。そう言えば水森さんは現在ご当地ソングの女王として名高いですが、青江さんも紅白で伊勢佐木町・池袋・伊丹国際空港・長崎・日本列島港町・銀座・神戸・盛岡・大阪といった具合でかなり多くの場所を歌っています。

 2000年の逝去はまだ還暦に満たない若さでした。おそらくは21世紀に入ってからも懐メロに留まらない一定以上の活躍はあったはずで、非常に惜しまれる形となります。NHKでは訃報に際して、紅白歌合戦も含めた過去映像を集めた特別番組が組まれました。そういえばここ最近は訃報に際してこういった番組があまり無いような気がします。確かにDVD・ブルーレイなど映像をまとめた商品は多くなり、インターネットで過去映像も探しやすくなっていますが…。

 

 

 

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