紅白歌合戦・バンド出場歌手の歴史(1975年~1980年)

 グループサウンズをメインにした黎明編、1970年代前半主体のフォークグループ編に続いて、今回からはいよいよバンド編らしい内容の記事になります。1975年~1980年に初出場したアーティストについて書いていきます。なお第28回初出場の森田公一とトップギャランはフォークグループ編参照、第30回初出場のサザンオールスターズはメンバーのソロや特別出演を含めると8回出場という形になるので今記事では省いています。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

第26回(1975年)「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」

作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童
前歌手:三善英史、チェリッシュ
後歌手:和田アキ子、西城秀樹
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 当時27歳・若手落語家のホープであった笑福亭鶴光師匠が4つ小噺を披露。ほとんど紅組歌手や白組応援団長の悪口みたいな内容でしたが、その間にバンドセットが準備されます。というわけで曲紹介。「今年の流行語・今年のブーム・今年のファッション。全てこの4人のカッコマンによって出来上がりました。ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」。」。カッコマンの由来はもちろん、元々の表題曲であった「カッコマン・ブギ」を指しています。1975年度オリコン年間5位の大ヒットでレコ大を始めとする年末の賞レース番組にも出演、ロックバンド形態のアーティストで積極的なテレビ出演が見られたのは彼らが初めてでした。なお演奏前に登場した鶴光師匠は、同年に企画LPでカバーしたらしいです。

 語りを中心とした楽曲はコミックソングの側面があり、事実大ヒットに至った理由は音楽性よりもその特異な内容でした。セリフをメインにした楽曲はこの時代だと三波春夫先生が得意とする浪曲歌謡のイメージですが、それらとは全く違う音楽性で表現されています。ちなみにラップをメインとするヒップホップは当時、海外でもまだ存在していない頃でした。

 小噺披露中に音が鳴ったことでも分かる通り、バリバリの生演奏です。歌の内容はともかく、ステージは思いっきりロックテイストです。衣装は白いツナギ姿に「必勝」と書かれた鉢巻、間奏で以下の実況アナウンスがありました。

 「衣装はおなじみのツナギでございます。随分流行りましたですねこの曲も。衣装はこれおいくらですかとお尋ねしましたならば「えぇ、一人3500円ですよ、四人で14000円で、紅白の歌手の中では一番安いんじゃないですか」という答えが返ってきました。」貴重な裏情報が紹介されますが、バンド演奏の見せ場がこれによって堪能しきれない部分は評価が分かれそうです。

 1コーラスカットですが4コーラスに間奏つき、2分半ですが非常に満足度の高いステージでした。演奏終了後に宇崎さんが「アンタ、紅組の何なのさ」の挑発。それに紅組司会・佐良直美がサングラス姿で「アンタ、いつまでやってるのさ」と返します。ご丁寧に、2回呟いた後も効果音的な演奏が生で入ります。

 その後、佐良さんが宇崎さんを紅組紹介席に連行。紅組歌手が赤いマントで誰かを隠していますが、その中身は奥さんの阿木燿子「あれ?」「アンタ、何しに来たの?」と驚く宇崎さん、「ウチのカミさんです、よろしく」と彼女を紹介。「あなたはいつも眼鏡かけてらっしゃるけど、お取りにならない絶対?」「取るといけない顔なの?」梓みちよに質問を受け、他のメンツも伊東ゆかりちあきなおみといったメンバーなのでややタジタジ。ですが、そこは「取ったら負けてくれる?」と応戦します。

 そのまま佐良さんが「これを読んでください」とメモを渡して、次に歌う和田アキ子のステージ紹介。「紅組きっての美女…言い辛れェなァ。和田アキ子さんのために僕たち夫婦が心を込めて作りました。Set Me Free, 和田アキ子さんに歌って頂きます」。この後に歌う「もっと自由に」も、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」と異なるジャズテイストですが阿木燿子・宇崎竜童夫妻の作品です。アッコさんは言うまでもなく紅組ですが、宇崎さんは阿木さんと一緒にこの当時の紅白では珍しく、白組所属ながら紅組サイドからこのステージを見守っていました。

 この年は白組で練習した組体操のコーナーがまるまるカットされるという具合なので、ステージ以外で目立つシーンは少なめです。ずうとるびがステージに登場する直前に巨大うちわを大勢で持ち上げる応援がありましたが、そこで鈴木ヒロミツ「宇崎くん、レコード大賞おめでとうございます」と声をかけられています(もっとも実際の受賞は企画賞で、大賞受賞の布施明も同じ現場にいたのですが…)。

 なおダウン・タウン・ブギウギ・バンドは翌年以降も「裏切者の旅」「サクセス」などをヒットさせますが、紅白出場はこの回のみでした。もっとも宇崎さんは第38回(1987年)に竜童組ボーカルとして出演、第53回(2002年)にも鳥羽一郎のステージ演奏で参加してます(レビュー済、ちなみにギターの新井武士も参加)。夫婦共演は第57回(2006年)に阿木さんがゲスト審査員を務めた時に、同伴者として声をかけられる形で再び実現しました。NHKとしてはダウン・タウン・ファイティング・バンド改名後の1980年に大河ドラマ『獅子の時代』のメインテーマと音楽を担当、さらに山口百恵他のヒット曲を多数紅白歌合戦に送り出しているので、バンドの紅白出場がなくとも縁は深いです。

ツイスト

第29回(1978年)「あんたのバラード」

作詞・作曲:世良公則
前歌手:桜田淳子、西城秀樹、(中間審査)
後歌手:庄野真代、さとう宗幸
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが曲先行でブレイクしたことを考えると、ロックバンドらしいロックバンドで初めて紅白歌合戦に出場したのはツイストではないかと思われます。キャロルやクールズ、さらにはPYGも1970年代前半に活動していましたが、メジャーシーンでロックが大ヒットし始めたのはこの時期でした。ツイスト・原田真二・Charがロック御三家と呼ばれ、キャロルのボーカル・矢沢永吉が初めて日本武道館単独公演を実現させたのが1977年~1978年です。

 この時代、フォークソングを発祥に徐々に広がりを見せていた新しい音楽を「ニューミュージック」と称していました。ツイストが初出場を果たした第29回、さとう宗幸原田真二庄野真代サーカス渡辺真知子を含めた紅白各3組は「ニューミュージックコーナー」として7番手~9番手にまとめられます。コーナーの前後に南カリフォルニア大学チア・ガール6名の踊りを入れたり、コーナーの締めに審査員が講評後1列になって挨拶する演出を入れたりするなど、妙に異質感を強調する内容でした。

 ツイストはこの一番手として登場。アメリカから招待されたチアガールが踊っている間に、世良さん以外のメンバーは準備が完了しています。すぐ演奏開始でも良い状況ですが、わざわざ森光子山川静夫両司会のコーナー説明に加山雄三の生メッセージまで入りました(その内容は既にレビュー済)。

 「傾くという動詞から歌舞伎という言葉が生まれました。自由に、とらわれずに楽しむという意味なんですが、現在の傾くといったらこのツイストかもしれません。ツイストの、「あんたのバラード」、あんたが主役!」

 山川アナの曲紹介は世良さんの動きを指した内容から連想したものと思われますが、映像はなぜか歌唱シーン以外コマ送り連発でした。このニューミュージックコーナーは映像演出でも当時の新しい試みを実験していて、マルチ映像分割(庄野真代)・白黒化(原田真二)・カメラ回転(渡辺真知子)がありましたが、翌年以降はあまり取り入れられていません。正直申し上げると苦情が多かったのではないかと思われます(現在の観点から見ても本来の歌手の良さを削ぐ演出に見えました)。

 世良さんの動きをメインにしたカメラワークですが他のメンバーはソロショット全く無し、間奏無しの1コーラスとは言え必要以上の映像演出よりもそちらに不満を感じたファンは多かったかもしれません。1978年のツイストは「あんたのバラード」だけでなく「宿無し」「銃爪」も大ヒット、ファンの熱狂度も非常に高く「銃爪」は放送1年目の『ザ・ベストテン』で10週連続1位を獲得しました。かなりの突き抜けた人気が想像できますが、この年の紅白歌合戦の演出はあまりそういった雰囲気を感じられない内容にも見えます。

 同年の日本レコード大賞新人賞辞退、そちらも話題になりましたが紅白は歌以外の出演も案外積極的でした。世良さんだけではありますが西城秀樹原田真二角川博と一緒に「しろしま!」と言った後にしゃもじを配ったり、組体操のピラミッドに参加したりという場面もあります。他のメンバーもラフなジャージ姿で、積極的に歌手席の白組応援に参加していました。

第30回(1979年)「燃えろいい女」

作詞・作曲:世良公則
前歌手:野口五郎、岩崎宏美
後歌手:(応援合戦)、大橋純子、サザンオールスターズ
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 「さて、今年の夏この曲がロックの世代を熱い眼差しを受けて嵐のように駆け抜けていきました。紅組の皆さん、やせ我慢をしないでこのツイストの曲で燃えてください!「燃えろいい女」、ツイストの皆さんです!」

 「(テレビ実況)このグループの野球以外、音楽以外の楽しみは野球です。ピッチャーは世良公則さん、きっと野球では燃えろいい男なんでしょう」

 「燃えろいい女」は資生堂のコマーシャルソングとして大ヒットしました。「揺れるまなざし」「サクセス」「時間よ止まれ」「君のひとみは10000ボルト」など当時からヒット曲の宝庫でしたが、紅白で選曲されるのはこれが初めてです。布施明「君は薔薇より美しい」やジュディ・オング「魅せられて」など、1979年の紅白歌合戦は過去に例がないほどCMソングの歌唱が増えました。当たり前のようにあるCMソングのヒットも、実は1970年代中盤以降に新しく生まれたこの時期からの潮流だったりします。

 「あんたのバラード」は暗めの照明演出、衣装も黒が主体でしたが、この年は黄色や紫などパステルカラーが目立つカラフルな衣装です。セットにはネオンサインのように光が盛んに動いています。サウンドはバンドだけでなくサックスなど管楽器隊の5名も参加、ギターよりもそれらの音が目立つアレンジでした。「燃えろいい女」と歌う場面で特別審査員の多岐川裕美大原麗子ミヤコ蝶々をそれぞれ映すカメラワーク、紅組歌手席には「燃えろ紅組!」と書かれた横断幕も掲げられるなど、妙に遊び心の多い演出も印象的です。なお演奏後には、『ビッグショー』で共演した菅原文太に感想を求める場面もありました。

 ただ「燃えろいい女」以降は他の新しいバンド台頭もあって急速にレコード売上・人気が低下、バンド自体も1981年に解散します。そのため紅白歌合戦出場もこの年限りでした。なおその後バンドは何度か再結成され、世良さんは音楽活動でなく俳優としても現在まで活躍しています。

 なお歌以外の出番に関しては、世良さんはこの年もおそらく組体操に参加していると思われますがアップで映るシーンがないので判別出来ません。歌手席での応援も前年同様にしっかり参加、西城秀樹のYMCAもノリノリで踊っています。

ゴダイゴ

第30回(1979年)「ビューティフル・ネーム」

作詞:奈良橋陽子、伊藤アキラ 作曲:タケカワユキヒデ
前歌手:サザンオールスターズ、金田たつえ
後歌手:(応援合戦)、西城秀樹、ジュディ・オング
曲紹介:山川静夫(白組司会)
踊り:ニューヨーク・ファイヤー・クラッカーズ

 国際児童年協賛歌ということで、ステージが始まる前にヨーロッパ総局の磯村尚徳特派員からレポーターが入ります。1974年~1977年までは『ニュースセンター9時』でキャスターを務めるお茶の間の顔でした。あたかもパリから生中継しているかのようなやり取りですが、映像は明らかな録画です。エッフェル塔を背景に、フランスの元気な子どもたちの表情を映し出していました。というわけで曲紹介。「白組は明るく、そして全世界の子どもたちの幸せを祈りたいと思います。ゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」です」

 ゴダイゴは1979年ヒットシーンの中心的存在にいるバンドでした。「ガンダーラ」「モンキー・マジック」「銀河鉄道999」「はるかな旅へ」「ホーリー&ブライト」、全て大ヒットしたとともにいずれも後世にまで伝えられるべき名曲と言える完成度の高さです。ただNHKで放送される紅白歌合戦となると、『みんなのうた』でも放送曲としてオンエアされたこの曲の選曲は必然でした。

 ツイストサザンオールスターズのバンドセットは画面から見てやや右寄りの配置でしたが、このステージは堂々と真ん中にセットされています。ボーカルのタケカワさんも舞台中央の立ち位置、それだけNHKの中でも彼らが大きい位置を占めているのがよく分かる演出でした。オリジナルは日本語版も英語版もそれぞれありますが、ここでは中盤を英語で歌う日本語・英語が共存している紅白オリジナル・バージョンとして披露されます。

 紅組歌手席に近い陣地でやや狭いスペースですが、途中からニューヨーク・ファイヤー・クラッカーズの踊りが加わります。アクロバティックなダンスとバトン捌きを見せるメンバーもまた、10代と思われる少女たちでした。ベースを弾くスティーヴ・フォックスの目の前で踊る状況で、ソロショットはちょっとだけダンサーが見切れています。

 ツイストと同様、こちらもボーカルのタケカワさんが代表して組体操に参加しています。さすがにYMCAは自身のステージ直後なので不参加でしたが、白組歌手席で応援する姿は何度も映っていました。

第31回(1980年)「ポートピア」

作詞:奈良橋陽子、伊藤アキラ 作曲:タケカワユキヒデ
前歌手:フランク永井、島倉千代子
後歌手:ジュディ・オング、菅原洋一
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 翌年に開催される『ポートピア ’81』のキャンペーンソングとして制作された楽曲です。ステージ開始前にはコンパニオン6名を招待、うち1人は特別審査員を務める作家・陳舜臣の娘さんということで、「パパ白組に勝たしてください」というセリフを言わせていました。

 神戸の姉妹都市・天津からのメッセージ「白組加油!后醍醐加油!」を読み上げた後に演奏開始。曲紹介でも触れられた通り、この年はネパールや中国など海外でのコンサートが活動の中心でした。レコード売上は前年と比べて下がりましたが、紅白選出にあたってはこういった活動が大きく評価された結果なのかもしれません。

 イントロ演奏で、コンパニオンの1人がタケカワさんに白いレイをプレゼント。キーボードの音がやや大きめの音響で、バンドメンバーだけでなく管楽器隊も演奏に加わっています。サビやAメロ・Bメロの繋がりをあえて排したような構成は従来の歌謡曲と違っていて、新時代の到来も連想させるような内容でした。なおベースは前年のスティーヴさんが宣教師になるため一旦脱退、この年は新メンバー・吉澤孝治が演奏しています。

 冒頭サビ歌唱後、ポートライナーについての簡単な説明がテレビ実況でありました。翌年2月に開業する神戸新交通ポートアイランド線は、世界初の自動無人運転・日本初の新交通システムとして現在も走っています。ポートピア博の舞台となった新しい人工島・ポートアイランドは、神戸市の拠点の一つとして現在も機能しています。

 ステージ以外では、タケカワさんが2年連続白組応援の余興に参加。ただこの年は組体操ではなく、忍者をモチーフにしたショーでした。あとは紅白史上に残る謎応援・はばたけ鳥軍団にも参加(名言集でレビュー済)。その他、ドラムのトミー・スナイダーが目立つ場面もありましたが、こちらは同年出場のもんた&ブラザーズの項にて書くことにします。

第50回(1999年)「ビューティフル・ネーム」

作詞:奈良橋陽子、伊藤アキラ 作曲:タケカワユキヒデ
前歌手:TOKIO、SPEED
後歌手:Every Little Thing、加山雄三
曲紹介:中村勘九郎(白組司会)、森 進一、DA PUMP
踊り:シュガー&スパイスエンジェルズ、10-DOS/8-DOS、東京放送児童劇団、東京放送児童合唱団
振付:菊池ヒロユキ

 1985年に一旦活動休止するゴダイゴですが、1999年に再結成。第31回当時に脱退していたスティーヴ・フォックスも、これに際して復帰する形となりました。近年の紅白歌合戦は再結成したバンドが復活出場するケースも増えましたが、ゴダイゴとかぐや姫は10年前のザ・タイガースに次ぐ例となっています。

 ステージは奇しくも活動期間僅か4年での解散を発表した、SPEED紅白ラストステージの次という曲順です。審査員コメントなども挟みますが、ファンを中心となった声援など余韻が残っている中、曲紹介はなぜかDA PUMPをメインとするラップ方式。ISSAさんを中心に森進一を交えた5人がラップを披露しますが、当然ラップに慣れていない森さんはほぼ「Oh! Yeah!」と叫ぶのみでした。

 20年前よりキーを少し下げていて、タケカワさんも少し声量が落ちている様子です。演奏は管楽器隊も加わり、より幅のある編曲になりました。ステージ演出は格段に進化していて、舞台に集まる子どもたちはかなりの人数。階段状のステージに掲げられた大きな万国旗の下にも、相当な人数のキッズダンサーが登場。「1999」から「2000」に移り変わる人文字演出に、サビでの合唱も加わる賑やかさです。参加したダンサーは100人を超えていて、20年前では到底不可能なステージにアップデートされていました。

 フルコーラスに近い2コーラス半に間奏もしっかり入り、タケカワさん以外のメンバーも複数回ソロショットあり。折角の復帰なので「ガンダーラ」や「銀河鉄道999」も聴きたい気持ちはありましたが、NHKだとやはりこの選曲になるのは仕方のないところでしょうか。

 この年も自身のステージ以外でいくつか出番はあります。Something ELseの応援ではタケカワさんが南こうせつとともに伊藤大介と一緒にコーラスするという、伊藤さんにとっては生涯忘れられないだろうという名場面がありました。あとはタケカワさんとトミーさんが、なぜかオースティン・パワーズに扮する香取慎吾美川憲一を紹介する横で一緒に立っている場面もあります。前半終了前の全員合唱、エンディングの『蛍の光』やこの年限りのカウントダウンにも参加しています。

クリスタルキング

第31回(1980年)「大都会」

作詞:田中昌之、山下三智夫、友永ゆかり 作曲:山下三智夫
前歌手:沢田研二、岩崎宏美、(応援合戦)
後歌手:八神純子、さだまさし
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 初日の出・鈴木健二アナウンサー(山川アナの紹介)による『歴史への招待』のコーナーが突如始まります。観光地にあるような顔出しパネルには歴史上の人物が描かれていますが、そこから白組歌手が顔を出して鈴木アナの説明を受けます。天草四郎・加藤清正・菅原道真・西郷隆盛など九州にゆかりのある人物ばかりですが、一通り終わったところで「この次に登場する人々は、全員九州男児なのである」と締めてコーナー終了。そのまま例の有名なイントロから演奏開始。

 「本当に8年間の苦労が実りました。歌い続けていて良かった。今年大ブームを呼んだクリキンです。あの新宿センタービルの大都会の夜空高く、田中昌之さんの高音が轟き、紅組の胸を貫きます。クリスタルキングの「大都会」!」

 曲紹介はこれ以上ないほど完璧なタイミングで、田中さんの高音から始まるオープニングに繋がります。窓の灯りを使って「大都会」と文字で描かれたビルが、夜の東京・新宿から生中継されています。紅白歌合戦始まって以来の大掛かりな演出ですが、その一方で作詞・作曲の名前はクレジットされずでした。ちなみに楽曲の「大都会」は東京ではなく福岡を指しているというエピソードがあります。

 高音の田中さんと低音のムッシュ吉崎によるツインボーカルが魅力的な楽曲ですが、この2人のインパクトが強すぎることもあって他のバンドメンバーはほぼ映らずでした。サビとサビの間に1コーラスを挟む構成も、テレビ番組的には若干苦労があったかもしれません。とは言えパフォーマンスは上々の出来、歌い終わった後に登場する黒柳徹子「確かに貫かれたような気も致しますけれども」とコメントします。

 ポプコン・世界歌謡祭からはツイストや円広志に続く大ヒット曲ですが、その中でも最大級のレコード売上を記録したのがこの「大都会」です。100万枚以上のセールス、1980年度オリコン3位。その次の「蜃気楼」も大ヒットしましたが、それ以降はあまりヒットせず紅白出場も1回のみでした。なお1984年には「愛をとりもどせ!!」が『北斗の拳』主題歌で大きな話題になっています。

もんた&ブラザーズ

第31回(1980年)「ダンシング・オールナイト」

作詞:水谷啓二 作曲:もんたよしのり
前歌手:さだまさし、五輪真弓
後歌手:ロス・インディオス&シルヴィア、(中間審査)、内山田洋とクール・ファイブ
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 曲間の繋ぎとして海援隊の3人が消防隊に改名して登場。紅組方向にある火のセットに向かって放水すると真っ白な「白組勝利」になるパフォーマンス、すぐさま海援隊に戻る3人でした。もっとも五輪真弓が歌い終わった時点で、既にバンドセットは入場しています。「紅組の火は消えました。でも白組はさらに燃え上がります。燃え上がる熱唱は人の心を打ちます。そして熱唱ならこの人。もんた&ブラザーズ、「ダンシング・オールナイト」!」

 早口で紹介する山川アナの後ろで、もんたさんはギリギリ間に合うような形で登場。やや慌て気味のスタッフも映り込んでいます。ベースやギターが使用するコーラス用のスタンドマイクも間に合っていないようで、サビが始まる前に大急ぎで準備していました。

 1980年のオリコン年間1位というビッグヒットを記録した曲ですが、この年は2年前のニューミュージックコーナー同様妙に斬新な演出が散見されます。「奄美大島の笠利町は曇りで気温は10.1度、正月3日まで海の息災を祈って街中を踊り歩く行事があります。まさにダンシング・オールナイト南国版といったところです」とテレビ実況が入る映像は、奄美大島の老若男女(やや老女が多め)が地元で踊る曲の雰囲気と全く異なる内容でした。

 映像終了後2番に入りますが、ここでもチアガール隊が舞台袖に移動して急に応援し始めるという裏の動きがはっきり映ります。意図的な演出かハプニング的な物かは分かりませんが…。というわけでツッコミどころの多い内容ですが、ステージの熱さに間違いはありませんでした。2番サビではステージ上にカメラが入る演出ですが、こちらはもんたさんの反応などライブ感が強調された迫力ある内容です。

 もんた&ブラザーズは翌年も「DESIRE」がヒット、もんたさんのソロやデュエットでも活躍しますが残念ながら紅白歌合戦出場はこの年のみでした。バンドメンバーはもんたさんの余興出演もありましたが、それ以上にドラムのマーティー・ブレイシーが目立っています。森進一の「恋月夜」では、間奏で同じ外国籍のトミー・スナイダーや外国人を妻に持つ千昌夫と一緒に森さんを囲んで踊る場面もありました。

 第30回・第31回はバンドが3組出場して新時代を到来させましたが、翌年は舞台演出が大きくリニューアルされた反面バンドの出場歌手はゼロになりました。もっともバンド系のビッグヒットが激減、前年にスキャンダルのあったシャネルズやNHKに似つかわしくない?スタイルの横浜銀蠅という状況だったので、こればっかりは仕方のない面が強いです。第33回はサザンの復帰、また史上初めて女性のみの演奏で構成されるグループの初出場がありましたが、以降は次の記事にて触れたいと思います。

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