紅白歌合戦・三波春夫の軌跡~ステージ編(1975~1982)

第26回(1975年)「おまんた囃子」

ステージ

作詞・作曲:三波春夫
前歌手:野口五郎、森山良子
後歌手:(中間審査)、森 進一、小柳ルミ子
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 山川静夫アナを筆頭に、白組出場歌手全員が法被を着ています。「さてこちらは三波春夫さん、賑やかに「おまんた囃子」!」、紅組歌手12名が参加した森山良子のステージが終わってから曲紹介に充てられた時間は約5秒でした。

 そのため紅組歌手陣が舞台下手側に向かうシーンも一緒に映ります。入れ替えで登場したのは日本舞踊調の女性ダンサー、テロップはありませんがおそらくは花柳社中でないかと思われます。最初から”ソレソレソレソレ!”と白組出場歌手が盛り上げ、2階席ではなぜか凧が舞い上がります。「凧が…」とテレビ実況が解説しようとしますが、そのまま1階席に落ちて言葉も出なくなってしまいました。

 踊りの面々がステージ後方の階段に移動、入れ替えで白組歌手勢が総登場。村田英雄三橋美智也春日八郎他のベテランから西城秀樹野口五郎、フォーリーブス他のアイドル勢にダウン・タウン・ブギウギ・バンドずうとるびといった初出場勢も参加して百花繚乱。「白」と書かれた団扇、提灯、白いポンポンなどありとあらゆる小道具を手にしています。山田隆夫(ずうとるび)宮路おさむ(殿さまキングス)はわざわざこのために和服に衣替え、三波先生の両脇という立ち位置で大変目立っていました。

 「おまんたとは、新潟地方の言葉でおまえさま達という意味でございます」。テレビ実況の解説が入りましたが、これも見事に三波先生の「♪おまんた~」と被っています。ステージは大盛り上がりのお祭り騒ぎですが、「会場のみんなも!」と促す客席はノリノリというより呆気にとられた感じでじっと見ている人が多い様子でした。

応援など

 第25回は歌以外で目立つシーンも増加しています。前回の記事で割愛した第25回はオープニング選手宣誓後、「かよわき女性軍のために白組に拍手を贈ります。フレー、フレー、紅組」と白組を代表して紅組にエールを贈るコールを担当(本編レビューあり)。また三善英史の曲紹介で「三橋です、三波、三善、わー」三橋美智也と一緒にテンポ良いやり取りを見せる場面もありました(本編レビューあり)。中間審査後の餅つきでは、裃姿で客席に餅を配ったりもしています(本編レビューあり)。

 なおこの年は海原千里・万里笑福亭鶴光など常時出演するお笑いタレントが多かったこともあって、ステージ以外で特筆すべき場面はありませんでした。

第27回(1976年)「人生おけさ」

ステージ

作詞:北村桃児 作曲:長津義司
前歌手:三橋美智也、(応援合戦)、岩崎宏美
後歌手:藤 圭子、殿さまキングス
曲紹介:山川静夫(白組司会)
踊り:花柳啓之社中

 紅白歌合戦の対戦相手は1960年代だと美空ひばり、それ以降は島倉千代子水前寺清子といったベテラン演歌歌手が相場です。ただこの年はデビュー2年目のアイドル、三波先生が紅白歌合戦に初出場した年に産まれた岩崎宏美が相手という異例の組み合わせでした。

 「今の岩崎宏美さんが満1歳の時、三波春夫さんはあの「チャンチキおけさ」を歌いました。そして18年後の今日は「人生おけさ」です。三波春夫さん、たっぷりとお願い致します。どうぞ皆さんお手拍子を!」。山川アナの曲紹介はよく調べると間違いだらけのような気もしますが(満1歳の時は「沓掛時次郎」「大利根無情」、18年前の大晦日は「雪の渡り鳥」)、イントロは確かに「チャンチキおけさ」をオマージュした内容です。着物に頭巾を身につけた数十名の踊りの面々が、ステージを埋め尽くしています。

 踊り:花柳啓之社中というテロップが初めて表示されます。もっとも花柳啓之は前年10月に逝去、この時点で既に弟子の花柳糸之が後を継いでいます。紅白歌合戦に花柳社中が毎年登場(第38回・第39回・第42回のみ不参加)するようになるのは、この時期からでした。

 またこのタイミングで、3階席からと思われるステージを見下ろすショットが挿入されています。既に第24回「大利根無情」で2階席カメラは導入されていますが、ここではそれよりも高くほとんど天井から撮っているようにも思える状況でした。

 1コーラスが短いので、紅白歌合戦ではやや珍しい3コーラス歌唱。対戦相手の岩崎宏美も「ファンタジー」2コーラス半+大人数スクールメイツだったので、全く違う曲でありながら意外と似通ったステージ内容だったりするのが面白いところです。

応援など

 この年は第25回同様、出場歌手総出の応援が多い年でした。まずは堺正章「苺の季節」曲紹介で、「ギンギラギン キャクハカミサマ」という競走馬の騎手に扮します。内容は白組ベテラン歌手5人が馬で競争、予想師の布施明が「1-5」と予想して「苺の季節」の演奏開始…というオチでした。

 あおい輝彦「あなただけを」で白組歌手総出のステージでは、小道具の星を持ちながら和服姿で応援しています。ただ殿さまキングスのマンボダンスはさすがに不参加。彼らの前後に三波先生と村田先生を置くという配慮がなされた曲順でした。

第28回(1977年)「三波のハンヤ節 西郷隆盛」

ステージ

作詞:三波春夫 作曲:佐藤川太
前歌手:小林 旭、島倉千代子
後歌手:
ちあきなおみ、布施 明
曲紹介:山川静夫(白組司会)
踊り:花柳啓之社中 振付:花柳糸之

 お千代さんが暗めの照明で聴かせる演歌を歌った後、パッと舞台が明るくなって三波先生の登場。ステージ上手と中央から一斉に花柳社中のメンバー約50名の入場、「♪ヨイヤサー ヨイヤサー」の女性コーラスまで入ります。踊りは和服ですが、バトンを使用している点ではPLレザンジュの影響もありそうな振付でした。

 前年に引き続き間奏では3階席からのショットも加わります。テロップには振付:花柳糸之の名前も入りました。

 楽曲は3コーラス、ただ「人生おけさ」ほど短くはないので2コーラスの歌唱です。1番登場・2番明治維新・3番西南戦争というのがおおまかな内容ですが、紅白では登場後早々に征韓論で下野する結果になってしまいました。ただそんな歌詞とは裏腹に、ステージはとにかくきらびやかで明るい内容です。

 お千代さんも「京都 嵯峨 別れ寺」はやや暗い内容の曲ですが、三波先生の後が先日記事でも紹介したちあきなおみ「夜へ急ぐ人」。その後の布施明「旅愁 斑鳩にて」も明るくはないですが非常に爽やかな舞台、これはこの年のみならず紅白歌合戦史上でもトップクラスに落差が激しい進行です。

応援など

 この年は三波先生をはじめとするベテラン勢が今までにないほど体を張った頑張りを見せています。まず前半の応援合戦で空手の演舞を村田英雄三橋美智也と披露。三波先生が「白組は勝つ!」、村田先生が「紅組に負けるな!」と力強く締めた後に三橋さんが「ウー、ウォンテッド!」と大ボケ、一同新喜劇ばりにズッコケるオチがつきました。

 さらに森田公一とトップギャラン「青春時代」では学生服姿でコーラスを担当。共演はフランク永井春日八郎村田英雄三橋美智也で平均年齢49.4歳、これには紅組司会の佐良直美「歌のタイトルを「中年時代」と変えなくちゃいけない」とツッコミを入れています。

 そして組体操では他番組でも全く披露したことでないであろう白いランニング姿、村田英雄三橋美智也と3人ピラミッドを組んでいました。そんな頑張りも評価されて?この年は見事に白組が優勝を果たしています。着替えが多いこともあって、後半沢田研二のステージで帽子を投げる場面は和服でなくスーツ姿での登場でした。

 ちなみにこの年20回連続出場達成、前年の島倉千代子フランク永井に次ぐ記録ですが、それについては特に番組内で触れられていません。

第29回(1978年)「さくら日本花の旅」

ステージ

作詞:北村桃児 作曲:三波春夫
前歌手:北島三郎、森 昌子
後歌手:由紀さおり、布施 明

曲紹介:山川静夫(白組司会)
踊り:花柳啓之社中 振付:花柳糸之

角川「(2階席より)花咲かじいさんでございます。枯れ木に花を咲かせましょう」
山川「彼岸花なんて小さい小さい、花ならやっぱり桜です。それも見事に豪華に咲かせてご覧にいれましょう。三波春夫さん、「さくら日本花の旅」!」

 2階席から千昌夫細川たかし新沼謙治といった面々を率いて爺さんに扮するのは初出場の角川博。それっぽい声色で付け髭もしっくり来る内容だったので、最初見た時は誰だか分かりませんでした。口上後、カゴから桜の紙吹雪を1階席に降らせます。なお角川さんはモノマネを得意としていて、当時タレントではなく歌手が出演するものまね番組でたびたび賞品を持って帰るほどの腕前だったらしいです。ついでに言うと、直前に「彼岸花」を歌った森昌子も多くのモノマネを当時番組で披露していました。

 ステージはもう恒例となった花柳社中のダンス、桜の小枝を振り回しながら踊っています。「♪ハイーー」と何度も繰り返される女性コーラスも味がありました。北海道→東北(弘前・仙台・会津)→東京(上野・蔵前・銀座など)→名古屋→大阪→広島→九州(福岡・熊本・鹿児島)と順々に桜の名所を歌い、最後は「白の勝ちだよヨイキタサッサ」と歌詞を替えてダンサーが白いテープを投げるという考え込まれた演出です。広島を歌う場面では、審査員で当時広島東洋カープの主砲・山本浩二選手がズームで映る場面もありました。

 舞台上だけでなく、この年は通路にも背中に「祭」と書かれた法被を着たダンサーが参加する賑やかさ。1960年代とは全く異なるステージ演出になっています。なお本来の活動でも長篇歌謡浪曲はこの年で一旦休止、その一方で年末に「ルパン音頭」を発表するなど変化の多い年でした。

応援など

 組体操はこの年もありましたが、前回のような白ランニング姿ではなく、火消し姿で大きな纏を持ち上げる役でした。他のベテラン勢同様あくまで場を盛り上げるような役割で、ピラミッドなど体操自体には参加していません。

 それ以外は前回のように何度も色々参加する場面はなく、和服姿で白組歌手席から応援するシーンが主体でした。

第30回(1979年)「雪の渡り鳥」

ステージ

作詞:清水みのる 作曲:陸奥 明
前歌手:沢田研二、山口百恵、(応援合戦)
後歌手:水前寺清子、菅原洋一

曲紹介:山川静夫(白組司会)
踊り:花柳糸之社中 振付:花柳糸之

 30回記念ということで、この年フランク永井菅原洋一島倉千代子水前寺清子佐良直美とともに、6曲連続で初出場の際に歌った曲を再度披露する曲順となっています。「あれは昭和33年、『事件記者』や『バス通り裏』で人気を集めていたテレビ。その頃颯爽と登場したのが三波春夫さん。義理と人情の筆のあと、長谷川伸の名作はご存知「雪の渡り鳥」、鯉名の銀平何処へ行く!」の曲紹介、1957年10月に公開された長谷川一夫主演の映画『雪の渡り鳥』主題歌でした。テロップには曲名と作詞作曲者だけでなく、「昭和33年初出場曲」という文字も追加されています。

 過去曲を紅白で歌うのは「大利根無情」以来6年ぶりですが、ここ4年と同様花柳社中の踊りは継続でした。前回まで花柳啓之社中というテロップでしたが、この年から晴れて花柳糸之社中名義に切り替わっています。ただ人数は20名超で、前回までの半分になっています。

 1979年ともなるともう固定マイクの使用はなく、スタンドにコード付きマイクを装着してのステージになっています。長脇差を抜くアクションが絵になる、渋味を見せた内容のステージでした。

応援など

 ちょうど自らのステージ直前というタイミングだったので、組体操はこの年不参加となっています。オープニングとエンディングはいつも通り和服ですが、さだまさし「関白宣言」前の亭主関白度調査アンケートに答える番組中盤はスーツ姿でした。

第31回(1980年)「チャンチキおけさ」

ステージ

作詞:門井八郎 作曲:長津義司
前歌手:北島三郎、都はるみ、(中間審査)
後歌手:水前寺清子、千 昌夫

曲紹介:山川静夫(白組司会)
踊り:花柳糸之社中

 「チャンチキおけさ」は三波春夫の名を全国区にした大ヒット曲ですが、ステージ編前編で既に記した通り発売年の紅白歌合戦は辞退。翌年の歌唱曲は「雪の渡り鳥」、以降もこの年まで23年間歌われずようやく紅白初披露という形になりました。ちなみに対戦相手の水前寺清子も同様に、代表曲でありながら一度も紅白歌唱のなかった「三百六十五歩のマーチ」をこのタイミングで選曲しています。

 「さあ、全国の皆さんそしてブラジルの皆さんもご一緒に。小皿たたいて白組勝利のチャンチキおけさとまいりましょう!」、まずはセット中央の階段上で両手を広げるお馴染みのポーズ。そこからステージに降りて歌う演出となっています。恒例の花柳糸之社中は笠を頭にかぶった紋付き袴の男装姿、振付担当は同じですが舞台上はいつもと少し違う雰囲気でした。

 堂々の3コーラス、会場は全員が最初から最後まで手拍子が続きます。白組歌手席は当然ですが紅組歌手も大半がしっかり手拍子、音を聴けば自然に手が動くというのが実際の所ではないかと思われます。

応援など

 この年は例年と比べても不可思議な演出が非常に多いです。三波先生も例外ではなく、白組歌手11名とタモリが参加した「はばたけ鳥軍団」の応援でニワトリの格好にさせられていました。それでもウサギの格好でシェイプアップ体操をさせられたフランク永井菅原洋一よりはマシかもしれません。なお白い忍者の格好で演舞をする余興は不参加、歌手席から見物する形でした。

第32回(1981年)「雪の渡り鳥」

ステージ

作詞:清水みのる 作曲:陸奥 明
前歌手:千 昌夫、水前寺清子
後歌手:川中美幸、西城秀樹
曲紹介:山川静夫(白組司会)
踊り:花柳糸之社中

 「今日も昨日も吹く風に、寝蔵定めず渡り鳥。ご存知昭和33年三波春夫さん紅白初出場のあの名唱が、今ここに蘇ります。「雪の渡り鳥」、三波春夫でございます」

 2年前に歌ったばかりですが、思いのほか早く紅白3度目の歌唱になりました。ただステージはセット転換を伴う大がかりな舞台演出になっていて、様子は大きく異なります。またスタンドに備えつけられているマイクもコードレスになりました(一応アンテナのような線は付着しています)。テロップもこの年から冒頭の歌手名だけでなく、2番に「三波春夫… 新潟県三島郡出身(出場24回)」のプロフィールが表示されるようになっています。

 おなじみ花柳糸之社中は旅笠姿、曲の内容により即した衣装になっています。ただ顔や脚を見ても分かる通り、と言うよりそもそも花柳社中なのでダンサーは全員女性です。間奏で広くなった舞台をダイナミックに駆け回る動きは、上からのカメラワークでしっかり撮影されていました。歌声と剣さばきは2年前同様健在ですが、どちらかというと花柳社中の動きや舞台の使い方に面白味を感じるステージであったのは正直なところです。

 なおこの年は白組6番手、後半~終盤で歌うことの多かった三波先生にとっては異例の曲順でした。前半トリよりも早く歌うのはそれこそ初出場以来でしたが、この年以降はむしろ早めの曲順で歌う機会の方が多くなります。

応援など

 この年オープニングは全歌手が揃いのブレザー姿で入場行進という演出でした。毎年最初から和服姿の三波先生や村田先生も例外ではなく、白いスーツ・ネクタイ・黒ズボンという他では絶対に見られない姿で登場します。前半で歌うこともあって、序盤の白組歌手席の応援は不参加でした。

 出場歌手全員が参加するデュエットショーでは「愛して愛して愛しちゃったのよ」を歌唱。トップアイドルの松田聖子フランク永井村田英雄菅原洋一千昌夫と三波先生5人が歌うという何とも言えない構図でした。村田先生の「聖子ちゃん!」が大変煩く、三波先生も最後に聖子さんに「ヨシヨシ」という始末。さすがの聖子さんもこの時ばかりは少し苦笑いの様子でした(もっとも直後八代亜紀近藤真彦の手を握りながら大はしゃぎで「いつでも夢を」を歌っていましたが)。

 後半のハーフタイムショーは民謡をテーマにした内容です。沢田研二五木ひろし西田敏行などが殺陣などの演舞を披露する中、三波先生を含めた先ほどの5名で今度は渋く紋付き袴・正座の態勢で「黒田節」を揃って歌唱しています。

第33回(1982年)「チャンチキおけさ」

ステージ

作詞:門井八郎 作曲:長津義司
前歌手:郷ひろみ、水前寺清子
後歌手:(ショーコーナー)、シュガー、サザンオールスターズ
曲紹介:山川静夫(白組司会)
踊り:花柳糸之社中

 「日本人の心を歌い続けて25年。このデビュー曲は三波さんにとって故郷のメロディーです。着物をご覧下さい。故郷のあの三波の波と佐渡ヶ島。悲しい涙が流れた時は、小皿たたいて浮世のお酒。ご存じ「チャンチキおけさ」、三波春夫でございます!」

 「雪の渡り鳥」同様この曲も2年前と同じ選曲ですが、内容は大きく異なります。花柳社中は男装ではなく赤い三層の小皿を持った黄色い着物姿でした。舞台も端から奥の方まで使えるようになったので、動きも前年のステージ同様ダイナミックに進化しています。

 構成は3コーラスから2コーラスになった代わりに、民謡「佐渡おけさ」が一節入りました。あっさり3コーラス歌うよりは、こちらの方が聴き応えある内容だったと感じた人も多かったかもしれません。

応援など

 この年取り上げるべきは、やはり三波先生のすぐ後に歌ったサザンオールスターズでしょうか。桑田佳祐が三波先生を意識した着物姿で「チャコの海岸物語」を歌うステージは、当時大変な話題になりました。衣装やメイクだけでなく歌唱も所々「ありがとうございます」「神様です」と入れて声色も変えたりするなど大暴走、視聴者からのクレームも相当な量にのぼったそうです。歴代の紅白でも賛否両論となった伝説のステージですが、当の三波先生が気を悪くしたということは全くありませんでした。むしろ後年、サザンのライブに際して激励のコメントも出しています。

 さて、番組中盤では全歌手勢揃いのデュエットショーが前年に続けて組まれました。位置づけも前の年とあまり変化なく、松田聖子河合奈保子三原順子相手に村田英雄菅原洋一と「黄色いさくらんぼ」を歌います。三波先生は三原さんと向かい合わせになり、三原さんが頬にキスをする(当然フリ…のはずですが)という演出までつけられていました。このコーナーには桑田佳祐も出演、都はるみと一緒に「一杯のコーヒーから」を歌いますが、顔のメイクはどうも取り切れていない様子でした。

 後半のハーフタイムショーは白組歌手全員が股旅姿で登場、全員で「旅笠道中」を歌った後に三波先生率いるニコニコ軍団と村田先生率いるルンルン軍団に分かれて決闘するという内容でした。間に盛り込まれた殺陣は、三波先生が直々に指導したらしいです。ラストで大将同士の合戦になる前に西田敏行が止めに入る台本ですが、当の西田さんがセリフをほとんど憶えておらず、剣を合わせながら2人とも笑いを堪えられない状況になっていました。

 ちなみに三波先生と桑田さんのツーショットがエンディングで見られたという記事が時々見受けられますが、映像を見返した限りそういった場面は見られません。三波先生の両隣にいたのは村田英雄フランク永井、ただサザンオールスターズのメンバーが真後ろにいたのも事実なので、誤認があってもおかしくない状況なのは確かです。また時々サザンがこの時の紅白で紅白出禁になったという記述もありますが、エンディングにも出演・翌年の紅白にも出場しているのでこれは明確な誤りです(ちなみに3年後の吉川晃司はステージ後の出演一切無しでした)。

 

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