紅白歌合戦・西田敏行の軌跡~ステージ編~

第32回(1981年)「もしもピアノが弾けたなら」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:坂田晃一
前歌手:寺尾 聰、(デュエットショー)、榊原郁恵
後歌手:桜田淳子、加山雄三
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 「おんな太閤記、一年間ご支援ありがとうございました。英雄の条件は努力と運と健康です。まさにそれは今年の西田敏行さん。おかか、見てくれこの晴れ姿!「もしもピアノが弾けたなら」」。歌手としての初出場は日本テレビのドラマ『池中玄太80キロ』挿入歌(のち主題歌)としての大ヒットですが、曲紹介は同年に豊臣秀吉役で1年間出演した大河ドラマ『おんな太閤記』の要素が強め。こちらの視聴率も平均30%を超える数字で、佐久間良子演じるねねを呼ぶ際に用いた”おかか”は流行語にもなりました。

 白いタキシードにシルクハットと銀色のマント、かなり張り切った衣装で登場します。温かい歌声で1番を熱唱後、急いでマントを脱ぐ仕草。そのままマントを投げ捨てるシーンはジュリーあたりだと絵になるのですが、西田さんがやると観客席からは笑い声。思わず本人首をかしげますが、直後に拍手で祝福されるのは本人の人徳と好感度の高さもあったでしょうか。

 1コーラス半、初出場のステージは大変な温かさを感じさせる内容でした。ただ西田さんの舞台はまだ続きます。なお「もしもピアノが弾けたなら」は9年後も紅白で歌いましたが、そちらについては先日書いた司会&応援団長編の記事をご参照ください。

 

応援など

 歌い終わった後も桜田淳子のステージに残り、「This is a “Boogie”」のイントロから1番までコミカルなダンスで共演。この様子は既に紅白歌合戦・桜田淳子の軌跡~ステージ編~で記事にしています。白組歌手が紅組のステージで踊る場面は現在だと何も珍しくありませんが、対決ムードが強い当時では異例の演出。この年の紅白は演出面で新しい試みを多く取り入れた回で、桜田さんのステージに西田さんが参加するのもその一環でした。

 入場行進は全員ブレザーの衣装で揃える演出。カメラの前でジャンプして手を振る西田さんが見えます。

 ショーコーナーでも獅子奮迅の活躍だった西田さん。自分のステージより僅か10分ほど前に設けられたデュエットソングショーでは、小林幸子と「昭和枯れすゝき」を熱演。おもむろに髪の毛をかき乱し、大げさな演技を交えて一緒に歌うシーンで歌手席・観客席双方から笑いが起きていました。

 紅組・白組別で設けられた応援コーナー、白組は黒田節をバックに盃の舞と殺陣「田村」を五木ひろし沢田研二と一緒に披露。1年間大河ドラマに出た割に上手さはなく所々で笑いまで起きる状況、もっともこれはあえての可能性もありそうです。

 歌手席はこの年から常設でなく、終盤少し映るのみでしたが新沼謙治が歌っている間にはしゃいでるショットが撮られました。千昌夫と一緒に変なダンスを披露、間に挟まれた寺尾聰が爆笑している構図です。

 

第33回(1982年)「ああ上野駅」

ステージ

作詞:関口義明 作曲:荒井英一
前歌手:山本譲二、小柳ルミ子
後歌手:桜田淳子、沢田研二
曲紹介:山川静夫(白組司会)

 真っ黄色のタキシードと帽子姿で観客席に登場。前回が白と銀色だったのに対して、この年は黄色と金色という衣装コンセプトのようです。「まだですかね?福島から汽車来てませんかまだ?着いてません?どちらから?(水戸からです)どうも、近いじゃないですかどうも」、観客にも声をかけつつ審査員席の前まで移動してご挨拶。「橋田先生、お久しぶりでございます。またなんかあの、役ございましたらごひとつ、よろしくお願い致します」橋田壽賀子先生に出演交渉、さらに「家康どの、お久しぶりじゃのう。ハハハ…」「昔のよしみで白組にひとつポンと、簡単なことでございますんで」と翌年の大河『徳川家康』主演の滝田栄にも挨拶。なお西田さんが出演した『おんな太閤記』脚本は橋田先生、滝田さんは同作に前田利家役で共演。ちなみに西田さんの橋田作品出演はその後1986年のTBSドラマのみ、もっともこれは橋田ファミリー入りならずと言うよりそれ以外の出演で大忙しというのが正確なところでしょう。

 ステージにはSLが用意されました。上京して上野駅に降り立った頃の思い出を喋り始めたところで、「西田のあんちゃん!」「遅れて悪かった雪多かったもんでよー」北島三郎が機関士として登場。このSL、さすがに本物ではないと思われますがC62 48の銘板がつけられています。間もなくイントロに入って曲紹介、「西田さんの故郷・郡山が近くなりました。6月に東北新幹線が開通、北の玄関上野駅は来年で開業100年を迎えます。西田さんにとってもとても懐かしい、「ああ上野駅」どうぞ」

 この年は名曲紅白というコンセプトで、持ち歌が選曲されない出場歌手も多く発生しました。一応西田さんはこの年も3枚シングルレコードを発売していますがオリコン100位以内には全く入らず、どちらかと言うと人気・好感度・歌以外での使い勝手が考慮されて選出された面があったようにも感じます。「ああ上野駅」は1964年に井沢八郎が歌って大ヒットしますが、なぜかこの年の紅白歌合戦には選ばれず。そのため放送当時は意外にも紅白で歌われたことのない曲でした。

 セリフ入りで1番と3番の2コーラス、そのセリフは原曲を少しアレンジしたオリジナル。「母ちゃん、今度の休みに店の旦那さんが故郷(くに)に帰ってもいいって言ってくださってんだ。今度帰ったら、母ちゃんの肩、もう、嫌だってほど叩いてやんからな、な、母ちゃん」と、故郷訛りで披露。演奏中会場からは手拍子、前年同様この年も温かいステージを展開していました。最後は「母ちゃーん!」と、帽子を投げるパフォーマンスで締めています。

 

応援など

 これまであいうえお順だった入場行進はこの年ランダム、西田さんは北島三郎桜田淳子と一緒に登場します。ブレザー姿は前年と共通でした。

 歌手席が登場する場面は2回。前半は西城秀樹「聖・少女」のステージでヒデキのすぐ近くでステップを踏むのがハイライト。後半は細川たかしの「北酒場」で総立ち応援、こちらでも黒いタキシード姿で手拍子する姿が映っています。

 前年同様応援でも活躍。デュエットソングショーは「船頭小唄」を小林幸子と引き続きデュエット、またまた髪を乱して爆笑をとっております。

 白組歌手全員が殺陣を見せる股旅もののショーコーナーでは、最後にオチ要員として登場。三波春夫村田英雄の勝負を止めに入りますが、「白組どうし、つまらねぇ意地張って…、喧嘩してもつまらないでしょう」のセリフは明らかに裏おぼえ状態で両巨頭とも笑いを堪えられません。白い衣装を脱いだ下は真っ赤な衣装、”紅の勝右衛門”と名乗るとともに白組歌手から滅多切り。後ろ向きに倒れますが後頭部直撃、思わず声が出てしまっております。観客大笑い、席で様子を見ていた黒柳徹子からは”亀の子だわしみたいな人”呼ばわりされてしまいました。

 

第62回(2011年)「あの街に生まれて」

ステージ

作詞:秋元 康 作曲:藤井一徳
前歌手:レディー・ガガ小林幸子
後歌手:絢香、長渕 剛
曲紹介:松本 潤(白組司会)

 歌手としての出場は21年ぶり、この年は東日本大震災復興の意味を込め、福島県出身者の1人としての出演でした。歌う前にいわき市のスパリゾートハワイアンズから中継、当時のダンスチームリーダー・マルヒア由佳理さんに話を伺います。西田さんが彼女にエールを贈るとともに、「震災後に家族や身近な人をはじめとして、本当に多くの方々の支えをあらためて感じることが出来ました」「(翌年2月の営業再開に際して)また私たちから一人でも多くの方々に笑顔や元気を届けていきたいと思います」とメッセージ。

 今回歌う曲に込められた思いについてのメッセージも熱いものでした。「我が故郷福島はですね、今はもう完膚なきまでにやられちゃったっていう感じなんですけども、2012年がですね、希望に繋がる1年になればと、そして復興に繋がる1年になればと、本当に願ってます。この思いを込めて、こんなに故郷を愛してるんだってことが実感としてわかったんで、この思いを、全力をかけて歌いたいと思います。」

 イントロとともに観客席から拍手、歌い出しから目には涙が浮かんでいます。そこには故郷・福島に対する想いの強さが込められています。聴かせるバラード、胸を打つバラードというよりは福島県出身者だからこその魂の叫びと言った方が正確で、言うまでもなく昭和期の出演とは大きく異なる内容でした。

 歌詞を作った秋元康は当時AKB48の全盛期で相当な曲数を量産していますが、こういう歌詞を同時期にしっかり残していることも彼の凄さ。復興支援には多くのアーティストが携わりましたが、AKBグループはその中でも被災地に多く足を運び力を入れていた1組でした。

 

応援など

 昭和期と違い、2011年までいくと喜劇俳優ではなく大御所という立ち位置の方が正確。そもそもの企画コーナーが少ない回でしたが、本番以外の出演はオープニングとエンディングのみ。どちらかと言うとゲスト審査員の2年前の方が出演者としては出番多く目立っていました。

 

第63回(2012年)「花は咲く」

ステージ

作詞:岩井俊二 作曲:菅野よう子
前歌手:森 進一絢香

後歌手:(ニュース)、関ジャニ∞ももいろクローバーZ
曲紹介:堀北真希(紅組司会)

 この年は前半ラストの企画コーナーゲストとして出演。同年に発表された「花は咲く」を、花は咲くプロジェクトの代表として歌います。他に参加したのは女川町出身の中村雅俊、仙台出身のサンドウィッチマン、仙台に在住した経験のある荒川静香、仙台出身の森公美子辻井伸行がピアノ演奏、菅野よう子が指揮を担当しています。被災地を訪ねた堀北さんの映像が流れた後、曲紹介を経てのステージでした。「被災地で頑張っている皆さんの笑顔とともにお届けします。「花は咲く」。」

 歌う6人は横一列、左から4番目に立つのが西田さんでした。Aメロ~Bメロはソロパート、中村雅俊(Aメロ前半)→サンドウィッチマン(Aメロ後半1)→西田敏行(Aメロ後半2)→荒川静香(Bメロ後半1)→森公美子(Bメロ後半2)→西田敏行(サビ前半)→全員…というパート分け、ラストサビ後半のソロも西田さんの担当。結果的にはこのステージの中でもっとも重要な位置を占める形となりました。

 

応援など

 他の出演者は歌のみの出演ですが、西田さんは後半・氷川きよしの曲紹介にも登場。翌年出演する大河ドラマ『八重の桜』の縁で、「櫻」「夜桜お七」と桜の曲が2つ続く段取りでした。「福島の皆さん、我々一年間かけてね、あの、あ、向こうか(メインのカメラを間違い)復興に携わる皆さんに背中をそっと押して元気を出してもらえると思って一生懸命がんばりますんで、一つ皆さん、がんばっぺな~!」と故郷に向けてメッセージ。カメラを間違えたのはハプニングではなく、喜劇役者らしい匠の技という印象もあります。結果的にはこれが、生涯最後の紅白歌合戦出演という形になりました。

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