紅白歌合戦・光GENJIの軌跡

 紅白歌合戦の出場歌手にする記事も増えて、先日は目次をあいうえお順に更新しました。近年に出場した歌手は基本的に後回しという形にしていますが、ある程度は揃ってきたかと思います。

 ただ、振り返るとジャニーズ事務所所属歌手についてはまだ特集を組んでいません。バンド史の記事で男闘呼組に触れたくらいです。というわけで今回はそこから光GENJIを題材にした記事を作ります。

 活動期間は10年に満たない短さで、紅白歌合戦の出場は6回のみです。したがって1記事にまとめますが、実を言うと紅白のみならず後世の芸能史に大きな影響を与えたグループです。1988年のフィーバーに乗って4曲歌ったステージだけでなく、それ以外も紅白初の事例は案外多いです。

 冒頭でまとめの表を作った後にステージレビューに入ります。今回の表は多少横長になることをご了承ください。

光GENJIの紅白データ~6回分のまとめ

出場回歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主なデータ主な受賞他の発売曲
第39回
(1988年)
光GENJI ’88 メドレー
 ガラスの十代
 パラダイス銀河
 Diamond ハリケーン
 剣の舞
飛鳥涼、田口俊、康珍化
飛鳥涼、井上ヨシマサ、馬飼野康二
1987/11/26
1988/3/9
1988/6/21
1988/10/10
白組トップバッター1988年オリコン年間1位・2位・3位・13位日本レコード大賞受賞(パラダイス銀河)
第40回
(1989年)
太陽がいっぱい大江千里
大江千里
1989/7/20白組後半4番手/20組中1989年オリコン年間4位日本レコード大賞金賞
日本歌謡大賞受賞
FNS歌謡祭グランプリ
・地球をさがして
第41回
(1990年)
CO CO RO森 浩美
馬飼野康二
1990/8/18白組トップバッター1990年オリコン年間57位・荒野のメガロポリス
・Little Birthday
・笑ってよ
第42回
(1991年)
WINNING RUN森 浩美
馬飼野康二
1991/8/30白組後半3番手/18組中1991年オリコン年間111位・風の中の少年
・奇跡の女神
・GROWING UP
第43回
(1992年)
リラの咲くころバルセロナへ康 珍化
後藤次利
1992/5/4白組前半5番手/9組中1992年オリコン年間119位・TAKE OFF
・Meet Me
・愛してもいいですか
第44回
(1993年)
勇気100%松井五郎
馬飼野康二
1993/5/13白組後半3番手/18組中1993年オリコン年間213位・君とすばやくSLOWLY
・BOYS in August
・この秋‥ひとりじゃない

第39回(1988年)「光GENJI ’88メドレー」

ステージ

楽曲1:ガラスの十代(作詞・作曲:飛鳥 涼)
楽曲2:パラダイス銀河(作詞・作曲:飛鳥 涼)
楽曲3:Diamondハリケーン(作詞:田口 俊 作曲:井上ヨシマサ)
楽曲4:剣の舞(作詞:康 珍化 作曲:馬飼野康二)
前歌手:(オープニング)、中山美穂
後歌手:松田聖子、少年隊

曲紹介:加山雄三(白組司会)、白組出場歌手有志

 昭和最後の紅白歌合戦、白組トップバッターは記録づくめの内容になりました。紅白名言集解説・64~光GENJIの初出場は記録ずくめ~で一度記事にはしていますが、あらためてこの年光GENJIが紅白で初めて達成した記録は以下の通りです。

・紅白歌合戦初出場
・1970年代生まれ初の白組歌手
・中学生が含まれるグループでは初の紅白出場
1ステージでの4曲歌唱
・順番ではなく複数曲ミックスの構成によるステージ
・グループ歌手全員のローラースケート使用
・ステージにおける歌入りテープの使用
・史上初のグループ歌手による選手宣誓
・史上初のレコード大賞受賞歌手による選手宣誓
・史上初のトップバッターによる選手宣誓(中山美穂と同様)

 その他飛鳥涼の提供曲が紅白で歌われるのも初、後年AKB48でおなじみとなる井上ヨシマサが作曲した曲が紅白で歌われるのも初めてでした。そして何と言ってもバックダンサーのSMAP、彼らの紅白歌合戦初出演はこの年です。最年長の中居正広でさえ当時16歳。香取慎吾に至っては11歳・小学6年生という若さでした。

 曲紹介は司会の若大将だけでなく、白組歌手有志も一緒に担当。既に加山雄三の司会記事で触れてはいますが、あらためてこちらでも再掲します。

「レコード大賞に輝いた光GENJI、これは今年芸能界の最大の話題でしたね。ねえ、光GENJIのヒット曲知ってますか?」
「(細川たかし)知ってます、知ってます、レコード大賞なんと、あのパラダイス銀河」「(藤井郁弥)剣の舞」「(尾形大作)Diamondハリケーン」「(サンプラザ中野)ガラスの十代」
「じゃあ今日はそれ全部やっちゃえ!「光GENJI ’88メドレー」!」

 オープニングで登場した時の濃い赤と青の衣装は、ピンクと水色の明るい色彩になっています。まずは「ガラスの十代」からスタート、グループの顔でもある諸星和己がアップで映ります。甘い声で聴かせる…と言いたい所ですが、歌は事前撮りの様子です。演奏もバックのオーケストラによる生演奏ではなく歌入りテープ、これも紅白歌合戦始まって以来の新しい試みでした。

 冒頭サビ歌唱後、少し間が空いてすぐ「パラダイス銀河」のサビに切り替わります。紅白では第32回の加山雄三以来7年ぶりとなるメドレー、曲名は歌詞テロップと併記されます。そのため作詞作曲のクレジットは掲載されていません。若い5人のGENJIメンバーを中心に、光メンバーの内海光司大沢樹生が周囲をグルグル回るフォーメーションです。

 続いてはイントロから「Diamondハリケーン」に切り替わります。歌い出しを一節披露しますが、すぐに「ガラスの十代」に戻ります。バックダンサーも加わり、諸星さんと大沢さんはマイクを置いてバク転披露。ローラースケートを履いた状態でバク転をするグループは、紅白だと光GENJI以外1組も存在していませんKis-My-Ft2のメンバーも出来るようですが、残念ながら紅白では機会無し)。間奏からCメロを歌った所で再び「Diamondハリケーン」に復帰。入れ替わりで今度はスケートボードに乗って黄色い衣装のダンサーが登場します。

 メンバー6人が一斉にステージ脇に去り、佐藤敦啓がダンサーに囲まれる形で「剣の舞」ソロパートを披露。歌いながら衣装を早着替えしています。黄色い服のダンサーは若き日のSMAP、佐藤さんの代わりにマイクを持つのは森且行。彼らの前に登場した4人のダンサーが、衣装替えを手伝う黒子役になっています。こちらも後のTOKIOV6のメンバーが含まれていそうな様子ですが、顔がほぼ映っていないので判別不能です。

 サビからはメンバー全員合流、白い服で登場します。よく見るとローラースケートから運動靴に変わっていて、代わりに剣の小道具を持参しています。バックも先ほどとは違うメンバーで、忍者のような服装になっています。

 サビ終了後また「パラダイス銀河」に戻りますが、この曲の間奏で「剣の舞」の殺陣を披露する場面は他にあったのでしょうか。この紅白限定のような気もします。サビ直前に剣を投げ捨ててラストスパート。激しい振付で踊る中、カメラは1節ごとに各メンバーのアップを頑張って映しています。

 しれっとSMAPのメンバーも再登場、こちらも黄色い衣装からいつの間に青い服に着替えています。ラストはマイクを置いてダンスパフォーマンス、13人全員が揃ってバク転披露するシーンもあります。個人の歌唱はともかく、4分近くにわたってこれだけの人数が踊るステージもまた紅白史上初めてのことでした。

その他

 オープニングの入場行進はこの年ランダム、紅組→白組の順番に登場します。日本レコード大賞を受賞した彼らはやはり一番最後、大トリかつ最多出場歌手の北島三郎と一緒です。「さあ今年最大の話題、光GENJI登場!北島三郎も一緒です」と実況、諸星さんと大沢さんがサブちゃんと肩を組んでいます。男闘呼組少年隊の声援も大きいですが、やはり歓声の量は光GENJIが圧倒的に多い様子でした。

 先述した通り、この年はグループで初めて選手宣誓を担当。そのため紅組司会の和田アキ子から「選手宣誓をグループでやるんですか?なんか白組は数できそうですね~」とクレームが入りますが、構わず続行。紅組・中山美穂のかわいらしさとは対照的に、テンション高く元気いっぱいです。レコ大受賞の興奮が、メンバー内にまだ残っているようにも見えます。

 この年は自粛モードもあって応援合戦が無く、出場歌手が自身のステージ以外に出演するシーンは極めて少ないです。見せ場があったとすれば各5組ずつ終了後に上海雑技団のショーを紹介する場面で、諸星さんと大沢さんが先輩の少年隊と一緒に登場します。白組応援でカーくんがオチを担当していますが、絶え間なく大きな声援が続くので若干成立していない様子でした。やり取りは以下の通りです。

錦織「よーしみんな!白組は絶好調だ!」全員「オー!」
植草「白組が絶対!」全員「勝つ!」
東山「何と言ってもチームワークがいい!」全員「そうだ!」
大沢「何と言っても動きが、いい…」全員「そうだ!」
諸星「何と言っても、かわいい!」錦織だけ「そうだ!」

 後半では歌手応援席に参加。尾形大作が歌う後ろでは、諸星さんだけが男闘呼組などの仲間と一緒にノリノリです(ただ他のメンバーは多忙もあり、手拍子しながらも若干お疲れの様子)。

 当時中学3年生だった赤坂晃佐藤敦啓も、23時過ぎの歌手席応援やエンディングに出演しています。名言集の記事でも触れた通り、いわゆる光GENJI通達が適用される形になりました。もっともそういった事情もありエンディングの立ち位置は後列の端、カメラにもほとんど映っていません。

第40回(1989年)「太陽がいっぱい」

ステージ

作詞・作曲:大江千里
前歌手:男闘呼組、中山美穂
後歌手:Wink、チェッカーズ
曲紹介:武田鉄矢(白組司会)
踊り・コーラス:SMAP

 日本レコード大賞のライバル同士となる対戦カード、結果的にはWinkの受賞で2年連続とはならなかったですが、グループの人気はこの年も非常に高いです。セットの入れ替え無くそのままで中山美穂に続いて登場、「スーパーアイドルの登場です、光GENJI!」とアクションつきで曲紹介する武田鉄矢の後ろでローラースケートに乗りながらステージに向かいます。

 前年は事前録音の歌声ですが、この年は生音のパフォーマンスのようです。その証拠に、音程が音源と比べてもかなりバラけています(終盤では歌詞を間違えたメンバーもいました)。もっともローラースケートを身に着けた振り付けは前年ほどではないとしてもやはり激しく、この状況で生で歌うこと自体が常人離れしているとも言えます。衣装も大きなトンガリ帽子とモコモコした物から、Bメロで大きな風船を背負ったカラフルな物に変わっています。どちらにしても衣装が占める面積は非常に大きく、決して広くない舞台でよくぶつからないものだと感心するような状況です。見た目は鮮やかですが、はっきり申し上げますとローラースケート無しでも踊りにくい衣装です。

 アレンジは通常のシングルver.と大きく変わっています。冒頭とラストで披露されたサビパートは、そもそも音源に存在していない歌詞です。紅白に限らず当時各歌番組で構成を大きく変えていたという話もあり、メンバーの苦労がうかがえます。1番Aメロの前に設けられた間奏も、原曲では聴いたことのないアレンジでした。ジャニーズ事務所における歴代の紅白歌合戦ステージでも、一曲単位では特にオリジナル色が強い内容と考えて良いかもしれません。

 前年に引き続きSMAPのメンバー6人もラストサビ前に登場、白い衣装でコーラスを担当しています。なお彼らの名前がクレジットされたのはこの年が初めてでした。一応”踊り・コーラス”表記ですがダンスする場面は一切なく、コーラスパート終了後は大急ぎで舞台袖にはけています。

その他

 金賞止まりではありましたがこの年も日本レコード大賞出演、第2部オープニングの歌手紹介はレコ大に出ていない歌手をあいうえお順で紹介した後に回されています。

 鳥羽一郎の曲紹介では、佐藤敦啓山本淳一が愛媛県から贈られた大きな羽子板を持って登場。西郷隆盛が描かれているということで、次の年の大河ドラマ『翔ぶが如く』に主演する審査員・西田敏行にアピールしています。

 この年も余興は非常に少なく、出番は少ないです。エンディングは前年よりも多少目立つ立ち位置、ピンクのスーツ着用でした。

第41回(1990年)「CO CO RO」

ステージ

作詞:森 浩美 作曲:馬飼野康二
前歌手:(オープニング)、Dreams Come True
後歌手:中山美穂、吉田栄作
曲紹介:西田敏行(白組司会)、白組歌手有志

 2年前の初出場以来となるトップバッターですが、この年は1曲のみのパフォーマンスに留まっています。民放の歌番組が次々に終了したことなども影響してCD売上がこの年急降下、オリコン年間順位は2月発売の「荒野のメガロポリス」39位が最高でした。偶然にもこの年は五木ひろしも「心」がヒットしてその曲を歌唱、西田さんと一緒に曲紹介の中心に立っていたのは五木さんでした。

 白とパステルカラーを折衷したような衣装で踊ります。ローラースケートのパフォーマンスと女性ファン中心の熱狂的な応援は、これまでの2回と同様です。爽やかで聴きやすい良曲ですが、確かに前年までのような有無を言わさぬような勢いではないような気もします。早替えも過去2回と違い、この年は設けられていません。

 間奏で照明暗転、その中に後輩を中心としたダンサーも加わります。彼らはラストサビが入る前に退場(ラストで再登場)、したがってダンサーの顔は過去2年よりも映るチャンスが断然少なくなっています。

 優等生的なステージは素晴らしい内容で、紅白歌合戦のトップバッターとしては上々の仕上がりです。ただやはり過去2回の凄さがあるので、ファン以外どう見えていたのかは気になるところです。事務所もこの年主に力を入れていたのは光GENJIではなく、「お祭り忍者」でデビューした忍者でした。

その他

 出場歌手が階段から降りてランダムに次々登場するオープニング、トップバッターのEVEに続いて忍者と一緒に登場します。諸星さんは一回転して両手から白い紙テープを出す華麗さ、やはり他のメンバーと比べても華があります。立ち位置は楽屋への通路に近い端の位置、セレモニー終了後すぐにステージ衣装の着替えに向かいます。

 後輩の忍者の曲紹介には少年隊と一緒に登場。声援が鳴りやまない中、三三七拍子をしてすぐにステージ開始。その後も植木等「スーダラ伝説」で他の白組歌手と一緒に大騒ぎ、こちらは過去2年よりも出番は多めでした。終盤も「心」を歌う五木ひろしの曲紹介に登場、ド演歌を歌う前とは思えない黄色い歓声が会場から飛んでいます。

 エンディング、「蛍の光」ではなぜか内海さんだけ司会者の真後ろでよく映る立ち位置です。一方大沢さんは後方端、少年隊と肩を組んでハイテンションで跳びはねていました。

第42回(1991年)「WINNING RUN」

ステージ

作詞:森 浩美 作曲:馬飼野康二
前歌手:美川憲一、Dreams Come True
後歌手:原 由子、X
曲紹介:堺 正章(白組司会)、少年隊
踊り:東京ボンバーズ

 少年隊が曲紹介を一緒に担当します。マチャアキもいるので何かひとボケありそうな場面ですが、意外とあっさりオチ無し普通の内容でした。

堺「さあ続いては、少年隊の弟分にあたる光GENJIの登場でございます」
植草「司会と言えば堺さん」
錦織「ダンスと言えば少年隊」
植草「スケートと言えば光GENJI」
東山「光GENJIは今年も一つ大きくなりました」
錦織「WINNING RUN!」
堺「どうぞー!」

 12人のダンサーが大きなチェック柄の旗を振るオープニング、さながらF1のような雰囲気です。やがてセット下段から7人が登場、もちろん足にはローラースケートを装備しています。

 大ヒット曲ではありませんが、コンサートでは人気の曲ということです。個人的にも全盛期と匹敵もしくはそれ以上に好きな楽曲ですが、歌い出しから早々にファンが一緒に歌っている声が聴こえます。キャーキャーと叫ぶ声は過去3年よりも多いくらいで、後年のSMAPよりも熱が高いかもしれません。

 前回カットされた早替えもこの年用意。繋ぎの役割で間奏に登場したのは、オレンジのジャンパーを着たSMAPのメンバーです。この年CDデビューした彼らは歌手として紅白歌合戦初出場、したがってバックダンサーではなく応援という名目が相応しいスペシャル出演でした。

 赤(諸星)・青(内海)・紫(大沢)・水色(佐藤寛)・黄(佐藤敦)・緑(赤坂)・オレンジ(山本)。ステージに戻ったメンバーはカラフルな衣装に着替えています。SMAPも含めたダンサー陣も大変鮮やか、持ち前のチームワークが最大限に活かされた内容はもう少し語り継がれても良いのではないかと思います。王道の良さに豪華さも加わった、紅白における男性アイドルグループの見本のようなステージでした。

その他

 めでたく白組歌手として初出場を果たしたこの年のSMAP、一緒に曲紹介を担当したのは大沢樹生内海光司でした。映像で判別は出来なかったですが、前回の紅白にも参加していたと話す大沢さん。SMAPの札を持ってアピールしますが、グループの由来は堺さんいわく「(S)サカイ、(M)マサアキ、(A)アサノ、(P)プーコ」、2人とも少しコケるリアクションを見せています。

 全員合唱の「SMILE AGAIN」はグループ歌手ということもあって、後方階段上で一斉に歌うというやや雑な扱いです。少年隊SMAPと一緒の立ち位置、マイクはニッキの前に1本のみです。

 この年はジャニーズ事務所の3組が連帯するシーンが他の年と比べても断然多いです。「仮面舞踏会」をミュージカル風にアレンジした「MASK ’91」を歌う少年隊のステージも、ラストは光GENJISMAPが登場する演出でした。

 この年もエンディングは立ち位置がバラバラです。諸星さんが端の方、内海さんが中央後ろで映るシーンが見られます。

第43回(1992年)「リラの咲くころバルセロナへ」

ステージ

作詞:康 珍化 作曲:後藤次利
前歌手:南こうせつ、Mi-Ke
後歌手:(音羽屋&出場歌手の口上)、荻野目洋子、本木雅弘
曲紹介:堺 正章(白組司会)
ダンス:TOKIO & Jr.

 オリンピック開催年にNHK中継テーマソングが紅白で披露されるのも恒例になりましたが、JOC公式ソングがもっとも最初に歌われた例が光GENJIの歌う「リラの咲くころバルセロナへ」でした。バルセロナオリンピック開催年に行われたこの年の紅白歌合戦はメダリストも審査員で3名出演、コーナーこそ無かったものの初めて本格的にオリンピックが紅白歌合戦に関わった年となっています(1988ソウル五輪は実況担当アナのオープニング参加のみ、1984ロサンゼルス五輪も審査員1名参加のみ)。

 歌唱前にまずは、堺さんが審査員席に座る古賀稔彦(柔道金メダル)有森裕子(マラソン銀メダル)中田久美(バレーボール銅メダル)を紹介。客席に挨拶してもらいます。さらに客席に座る岩崎恭子も紹介。彼女は当時14歳、金メダル獲得時のインタビューが大変話題になりました。

「さて、あのバルセロナオリンピックの本当に感動を皆さまありがとうございました。あのシーンをもう一度皆さま、思い出して頂きましょう。光GENJI、「リラの咲くころバルセロナへ」!」

 早々にバックダンサーの3人がバク転を披露します。フラフープで五輪マークを作る5人はデビュー前のTOKIO、小島啓が所属していて長瀬智也が参加していない時代でした。フラフープの後は大きな旗を振りながらダンス、なかなか大変そうです。

 光GENJIのメンバー7人はシューズ姿で登場、様々なカラーが含まれたコートのような衣装で歌います。そのため振付はややおとなしめで、ジャンプが少しだけ目立つ程度です。

 間奏では例のごとくダンサーメインのステージ、TOKIOのメンバーは6人に増えました。長瀬さんは当時サポートメンバーだったようですが、唯一アップで顔がはっきり映ったのは紫のスーツを着た彼です。白衣装のJr.が先導するような形で、メンバー7人は紫の衣装で再登場。ローラースケートを履き、マイクのない手には聖火のような物を持っています。マントを投げ捨てたり広げたりするパフォーマンスは、バルセロナがあるスペインをイメージした内容でしょうか。

 ジャニーズの王道とも言える素晴らしいパフォーマンスですが、声援は前の年までと比べると若干小さいように聴こえます。それもそのはず、この年は紅白を最後に解散するチェッカーズのファンが大挙して参加しています。さすがに彼らのファンと比べると、この年ばかりは分が悪いというのが実際のところでしょうか。

その他

 真っ白な衣装で登場するオープニング、白組トップバッターのSMAPは舞台袖から他の白組歌手と一緒に応援します。全員合唱の「TEARS ~大地を濡らして~」は前川清と一緒のマイクを使用、元気いっぱいにソロを一節担当しています。

 第39回以降出場歌手参加のショーはほとんどありませんでしたが、この年は5回目にしてようやく初参加。堺正章の動きに合わせて白組歌手が演奏するタンバリンショーに、7人とも参加しています。

 エンディングまで参加、また内海さんが司会者後ろの良い位置に陣取っています。この年は諸星さんやSMAPの木村拓哉も同じ場所で映りました。

第44回(1993年)「勇気100%」

ステージ

作詞:松井五郎 作曲:馬飼野康二
前歌手:前川 清、長山洋子
後歌手:森高千里、福山雅治
曲紹介:堺 正章(白組司会)
ダンス:TOKIO & ジャニーズJr.

 「勇気100%」を歌うにあたって、白組歌手にアンケートを実施。「白組が勝つと思う」の設問はもちろん100%の解答ですが、「それは堺正章の力であると思う」の設問に対しては99%。押さなかったのは、4年前の白組司会だった武田鉄矢のようです。そのままシンプルに曲紹介。北島三郎森進一といったベテラン中心の中、ダンサーで過去4度参加していたSMAPもその中に加わっています。

 中央にいる7人プラスダンサー数人をローラースケート隊がグルグル回るオープニング、腕を上げた後サビからステージが始まります。2年前と同様この年も女性ファンは多く、1番から一緒に合唱する声も放送に乗っています。

 この年も前半は踊るのに適していない肩の生地が盛り上がる衣装ですが、その中でも間奏でアクロバティックなダンスを披露。後半は赤を基調にした衣装に変わります。ただ赤坂さんのソロパートでマイクに声が入らないハプニング発生。その後も1人だけ異常に音が大きくなるなどトラブルは最後まで続き、かなり気の毒な状況になりました。そのせいもあって、カメラワークも終盤は引きのショットから全く動かず、ダンスの魅力もあまり伝わらずにステージ終了。後世に語られる機会は少ないですが、紅白でもかなりのレベルの放送事故ではなかったかと思います。

 なお「勇気100%」はこの年からNHKで放送されたアニメ『忍たま乱太郎』のテーマソングになっています。当時の小中学生にとっては非常に馴染みのある楽曲で、CD売上(オリコン最高7位、年間でも200位に入らず)と比較して認知度・人気は抜群の楽曲でした。『忍たま乱太郎』が紅白に初登場するのは、NHKのキャラクターが大挙登場した第46回(1995年)の企画コーナーです。

 『忍たま乱太郎』は現在まで長年にわたって放送、「勇気100%」は代々ジャニーズのグループによって歌い継がれています。第60回~第63回まで4年連続紅白でメドレーを披露したNYCは、4回のパフォーマンス全てに「勇気100%」を組み込んでいました。

その他

 全員合唱「山に抱かれて」は一昨年と同様ジャニーズチーム。少年隊SMAPと一緒に上手側にある階段を占有しています。

 終盤は白い衣装で参加しています。大沢さんがドレッドヘアー、そしてエンディングで一番カメラに映っていたのはやはり内海さんでした。

おわりに

 1994年も「BRAVO! Nippon~雪と氷のファンタジー~」がリレハンメル冬季オリンピックの公式ソングとなりましたが、売上低下傾向は止まらなくなりました。その年8月に大沢樹生と佐藤寛之が脱退して光GENJI SUPER 5に移行、ジャニーズの枠はその年デビュー、彼らのバックダンサーとして出演したTOKIOに移行します。

 グループは翌年9月に解散。活動期間は9年という短さでした。それ以前のシブがき隊男闘呼組よりは長いですが、後輩の面々と比べると信じられないような短期間です。20年超のSMAPTOKIOは勿論、現役ではSexy ZoneA.B.C-Zより短く2022年現在のジャニーズWESTと同じ長さです。ただ過去の映像を振り返っても、現在活躍しているどのグループよりも熱狂度は勝っていたような気はします。

 伝説とも言える初出場時のメドレー、アクロバティックなダンスに五輪絡み、忍たま乱太郎など、後世に残した功績は1988年のフィーバー以外にも案外大きいです。そもそもジャニーズ事務所で5人以上のグループがヒットしたのは光GENJIが最初です。その点では温故知新と言いますか、後世から見ても参考になる部分は多いのではないでしょうか。

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