紅白歌合戦のステージを振り返る特集も過去に多くやっていましたが、生年月日に合わせた公開はこれまで無かったかと思います。というわけで今回は、本日生誕を迎えた河合奈保子について書いていきます。
松田聖子や岩崎良美などと同じく1980年デビュー、紅白歌合戦には翌年から6年連続出場しました。1980年代前半に初出場したアイドルでは松田聖子の9年連続に次ぐ記録、中森明菜と並ぶ数字です。それだけこのジャンルは、長く人気を保ち続けるのが難しいと言えます。
6回の出場ですが、中身は他の同数出場の歌手と比べても断然濃いと思います。そんな奈保子さんの紅白歌合戦を、1つずつ振り返ります。なおテレビ出演に関しては紅白の映像も含めたDVDが既に販売済、『ザ・ベストテン』他TBS出演分も別にリリースされています。
河合奈保子の紅白データ~6回分のまとめ
出場回 年齢 | 歌唱曲 | 作詞者 作曲者 | 発売日 | 曲順 | 主なデータ | 主な受賞 | 他の発売曲 |
第32回 (1981年) 18歳 | スマイル・フォー・ミー | 竜真知子 馬飼野康二 | 1981/6/1 | トップバッター | 1981年オリコン年間59位 | ・日本レコード大賞ゴールデン・アイドル賞 ・日本テレビ音楽祭金の鳩賞 | ・17才 ・ムーンライト・キッス ・ラブレター |
第33回 (1982年) 19歳 | 夏のヒロイン | 竜真知子 馬飼野康二 | 1982/6/10 | 紅組2番手/22組中 | 1982年オリコン年間60位 | ・日本テレビ音楽祭グランプリ候補曲賞 | ・愛をください ・けんかをやめて ・Invitation |
第34回 (1983年) 20歳 | UNバランス | 売野雅勇 筒美京平 | 1983/9/14 | 紅組3番手/21組中 | 1983年オリコン年間64位 | ・日本歌謡大賞放送音楽賞候補賞 ・全日本歌謡音楽祭最優秀アイドル賞 | ・ストロー・タッチの恋 ・エスカレーション ・疑問符 |
第35回 (1984年) 21歳 | 唇のプライバシー | 売野雅勇 筒美京平 | 1984/8/28 | 紅組4番手/20組中 | 1984年オリコン年間105位 | ・日本レコード大賞金賞 ・日本歌謡大賞放送音楽プロデューサー連盟賞 | ・微風のメロディー ・コントロール ・北駅のソリチュード |
第36回 (1985年) 22歳 | デビュー | 売野雅勇 林 哲司 | 1985/6/12 | 紅組2番手/20組中 | 1985年オリコン年間76位 | ・日本レコード大賞金賞 | ・ジェラス・トレイン ・ラヴェンダー・リップス ・THROUGH THE WINDOW ~月に降る雪~ |
第37回 (1986年) 23歳 | ハーフムーン・セレナーデ | 吉元由美 河合奈保子 | 1986/11/26 | 紅組10番手/20組中 | 1987年オリコン年間130位 | ・涙のハリウッド ・刹那の夏 |
第32回(1981年)「スマイル・フォー・ミー」
ステージ
作詞:竜真知子 作曲:馬飼野康二
前歌手:(オープニング)
後歌手:近藤真彦、石川ひとみ
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)
踊り:スクール・メイツ
総合司会・生方惠一「さあ、両軍選手戦いの機も熟したようでございます。今年の歌合戦は紅組が先攻でございます。それでは両キャプテン、いよいよプレイボールです!」
白組司会・山川静夫「さあ、まいりましょう!」
紅組司会・黒柳徹子「さあ、それではあの、紅組からでございますので、トップバッターご紹介いたしましょう」
「はい、早速どうぞ」「はい、それでは…。はじめます。」
「あの笑顔が戻って来ました、紅白初出場です。新潟のおばあちゃん、見ていらっしゃるでしょうか。コルセットはまだ取れないのよ、お辞儀もまだ上手にはできません。でもこんなに元気になりました本当に良かった。河合奈保子さんです、「スマイル・フォー・ミー」!」
舞台演出を大幅にリニューアル、終始固定のセットからステージごとにセット転換・大掛かりな仕掛けを導入した初めての紅白でした。恒例だった客席からの入場行進もこの年はステージ上から、出場歌手全員が赤と白のブレザー着用で登場します。いわゆる「新時代」の紅白、そのトップバッターに選ばれたのが初出場を果たした奈保子さんでした。
徹子さんが曲紹介を終えた瞬間、画面全体で無数に表示される曲名と作詞作曲者のクレジット。少しずつ字が大きくなり、やがて画面下に大きく表示されます。こういったテロップアニメーションが紅白で導入されたのも、この年このステージが初めてです。テロップといえば、この年は2番始めには出身地の情報を含めたテロップもこの年初めて追加されました。奈保子さんはプロフィール通り大阪府大阪市出身、その横には出場回数を示す(初出場)という文字も併記されています。
徹子さんが中央のマイクスタンドで紹介した後、舞台下手側から真っ白なドレスで歩いて登場する奈保子さん。スタンドの前に立ち、体を揺らしながら歌います。周りには赤いブレザーを着た紅組歌手、直後に歌う石川ひとみや男性も混じるロス・インディオスも含めた26名全員が一緒に応援。更に後ろの階段ステージから、続々と赤シャツ・白スカートを着たスクールメイツのダンサーが入場します。明らかにスペースが広がった舞台にはおよそ70人ほどでしょうか、合わせると約100人がステージ上で奈保子さんを応援している状況になっています。
「スマイル・フォー・ミー」のサビには両手を使った振付があります。トップバッターで紅組歌手全員が応援して一緒に手も動かすステージは第29回(1978年)の榊原郁恵「夏のお嬢さん」もそうでしたが、あの時は大漁旗を広げるため2階席に移動した歌手もいました。第26回(1975年)の岩崎宏美「ロマンス」はそういった振付がありません。したがって、純粋に全員が一緒にサビで踊るトップバッターのステージはこれが初めてとなっています。本職のアイドル勢はもちろん、ベテランも含めた演歌歌手さらには全くそういうイメージの無い五輪真弓も一緒に笑顔で踊っています。
さて奈保子さんですが、紅白出場が決まる前の10月に『レッツゴーヤング』リハーサルで骨折という重傷を負います。入院生活を経て、『夜のヒットスタジオ』で番組復帰したのは11月末でした。コルセットを腰に巻いてのステージ、こういった状況で初の紅白を迎えた例は初めてのことでした(怪我を押しての出場は2年後の明菜さんの例もあります)。
怪我をした場所がNHKホールだったので恐怖心もあったようですが、本番の出番寸前にその気持ちは一切消えたという話があるそうです。テレビで待っていた大勢のファンも緊張していたかもしれませんが、マイクスタンド前に登場した奈保子さんは曲名通りのとびっきりの笑顔でした。
”♪スマイル・フォー・ミー”と元気に歌う姿は、視聴者を元気づけファンに力を与え、そして何よりも怪我をした自分に向けて応援しているように見えます。紅白出場までのプロセスまでを考えると、特にファンにとっては涙無しで見られないステージだったようにも思います。2コーラス完璧に歌い切り、両手を下ろして「どうもありがとうございました!」とマイク越しに挨拶。72個存在する紅白歌合戦のトップバッターで、最高のステージを1つだけ挙げるとしたら私はこれを選びます。
対戦相手の近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」は間を置かず一気にという演出、その後マッチと合わせて司会者からのインタビューもありました。時間も限られる中で短めでしたが、それでも最大限にファンの皆さんへ感謝の言葉を伝えています。
徹子「奈保子さんは病気の時にみんなのお見舞いがとっても嬉しかったんですって?」
奈保子「はい。もう本当に励ましのお手紙や、沢山のプレゼント本当にどうもありがとうございました。勇気づけられました」
それぞれの組を担当するバンド演奏の紹介後、次に歌う石川ひとみの曲紹介に移ります。それまで徹子さんの横に立っていましたが、入れ替わる際軽く会釈する所に奈保子さんの人柄の良さが表れています。
その他
前述した通りこの年は赤ブレザーでお揃いのオープニング入場行進ですが、トップバッターかつ怪我の影響もあるため不参加。舞台袖からこの様子を見ていたのではないかと思われます。
怪我の影響で、歌以外の出番は限られています。「愛のコリーダ」を日本語で歌いながら踊るステージはおそらく出演する予定だったと思われますが、やはり難しかったようでシルヴィアが代役を務めました(他の紅組メンバーは岩崎宏美・桜田淳子・榊原郁恵・松田聖子)。
ただデュエットソングショーには出演します。「東京ナイト・クラブ」を森進一とペアを組み、五輪真弓&五木ひろしと交えて歌います。五輪さんと真逆のソプラノボイスが、美しく響きわたっていました。
終盤の歌手席は参加。デザインは少し異なりましたが、衣装は本番通して白色のドレス姿です。ただステージから階段を降りて客席に向かう動きがある関係もあるせいでしょうか、エンディングは不参加のようでした。
第33回(1982年)「夏のヒロイン」
ステージ
作詞:竜真知子 作曲:馬飼野康二
前歌手:三原順子、シブがき隊
後歌手:田原俊彦、あみん
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)
踊り:PLレザンジュ
この年のアイドル勢は直近リリースの選曲が多く、田原俊彦が「誘惑スレスレ」、近藤真彦が「ホレたぜ!乾杯」。「だって・フォーリンラブ・突然」がヒットして初出場の三原順子も「ホンキでLove me Good!!」、「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」が大ヒットした松田聖子でさえも「野ばらのエチュード」でした。そうなると奈保子さんは「Invitation」…といきたい所ですが、2回目出場のアイドルにバラードを歌わせる発想はまだ無かったようです。「思秋期」の年に「悲恋白書」を選曲した岩崎宏美と同様に、奈保子さんもこの年は「けんかをやめて」「Invitation」ではなく「夏のヒロイン」を選曲する形になりました。
2番手ですがバンド紹介後、白組司会・山川静夫アナとのやり取りから曲紹介に移行する流れは前年と同様でした。「さあ、手を緩めずに参ります。こちらは田原俊彦さんです」「ウチの方は何と言っても、看板娘でございまして、河合奈保子さん!」
「さあ、河合奈保子さんお願い致しましょう!何と言っても笑顔がいいから、いつも笑っていてくださいというファンがいるくらい。奈保子さんの笑い顔は宝石みたい。「夏のヒロイン」です!」
イントロは同じメロディーが2回繰り返す構成ですが、このステージでは4回繰り返されました。最初の2回はオープニングみたいなもので、後半2回に本来のイントロ同様ピアノ音が加わる形になっています。この年も衣装の色は白ですが、スカートの裏側と下地にピンクの色がのぞいてます。
サンバのリズムが入る曲なので元々がアップテンポですが、紅白のステージではさらにテンポが速くなっている様子です。コンガの音がやや目立つ編曲は、やはりバンドマスター・ダン池田の主導でしょうか。前年はスクールメイツでしたがこの年はPLレザンジュがバックダンサー、黒いレオタード姿で白いポンポンを手にしながら踊ります。
1コーラス歌唱後に、ダンサーが白いドレスを外してピンクの衣装に早変わりします。ステージ上で服を脱いだり早替わりする演出はこの時代になると珍しいことではありませんが、”チャンス、チャンス”と歌っている最中に組み込まれるのはこの時が初めてです。これが後には第36回の小柳ルミ子、あるいは衣装が装置化した小林幸子に発展します。6回の出場ですが、彼女が紅白歌合戦で初めて取り入れた演出は意外と多いです。
早替え後の衣装の丈はかなり短く、太ももがあらわになるセクシーさです。歌手としての奈保子さんはもちろん魅力的ですが、グラビアアイドルとしての彼女もまた後世に語り継がれるほど素晴らしいプロポーションの持ち主でした。
早替えも成功、最後の決めポーズもダンサー含めてバッチリという完璧な内容でした。この年はスタンドマイク不使用、左右にステップを踏む足の使い方やサビ前で交互にマイクを持ち変える器用さも細かい見どころになっています。
その他
怪我も癒えたこの年は順当にオープニングから出演。加山雄三にエスコートされるような形で登場、「このカップルは理想のパパに甘える可愛らしい現代娘といったところでしょうか」と総合司会の生方アナに実況されています。
さらに選手宣誓も松田聖子・近藤真彦・田原俊彦と一緒に担当。4組の出場歌手が選手宣誓を担当するのは、この年のみです。なお文面は以下の通りです。
全員「宣誓!」
聖子・奈保子「我々は、歌の心を大切に!」
マッチ・トシ「ギンギンに、歌い抜くことを誓います!」
聖子「昭和五十七年十二月三十一日、紅組歌手代表・松田聖子、」奈保子「河合奈保子」
トシ「白組代表、田原俊彦!」マッチ「近藤真彦!」
前年出演できなかったアイドル中心のハーフタイムショーにもこの年参加。「ビートルズ・メドレー」を日本語で歌うステージ、「抱きしめたい」「ヘイ・ジュード」などを踊りを交えて歌います。デュエットソングショーは「黄色いさくらんぼ」を松田聖子・三原順子と一緒に披露、三波春夫・村田英雄・菅原洋一相手に”ウッフン”とか”しゃぶってごらんよ”とか歌わされて?いました。なおこの曲は1959年の発表当時、NHKでは放送禁止になっています。
こちらも前年不参加だったであろう「紅白玉合戦」のアトラクションにも参加、赤いジャージ姿の奈保子さんが映ります。明治時代を題材にした後半のショーでは、松田聖子と一緒に桶を持つ丁稚姿を披露して「お江戸日本橋」をかわいく歌う場面もありました。終始番組内で大活躍の彼女でしたが、エンディングは後方端にいた様子で残念ながらほとんど映っていません。
第34回(1983年)「UNバランス」
ステージ
作詞:売野雅勇 作曲:筒美京平
前歌手:柏原芳恵、野口五郎
後歌手:郷ひろみ、(ショーコーナー)、川中美幸
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)
奈保子さん最大のヒット曲「エスカレーション」はこの年の発表ですが、紅白歌唱曲はこの次のシングル曲、同様の制作陣となった「UNバランス」になります。レコ大金賞受賞曲は「エスカレーション」、ただ当時乱立していた音楽祭では「エスカレーション」「UNバランス」を番組ごとに使い分けていた様子です。
直前の野口五郎「19:00の街」から間を空けない演出、後方のセットが空いてダンサーが登場するオープニング。奈保子さん本人は舞台下手側から歩いて入場します。「20歳になって選挙だけじゃなく、バースデーコンサートや色々新しいことを経験しています。この方も衣装にご注目ください「UNバランス」河合奈保子さんです!」。『ザ・ベストテン』で幾度となく共演している徹子さんの曲紹介は、紅白でも3度目になりました。
筒美メロディーの歌い手代表を挙げるとしたら、1970年代後半は岩崎宏美もしくは太田裕美でしょうか。ただ1980年代に関して言えば個人的には彼女を挙げたいです。同時期には小泉今日子や柏原芳恵にも多くシングル曲を提供していますが、音域や表現、音の運び方など最も難度高くダイナミックに筒美さんの曲を表現していたのは間違いなく奈保子さんだと思います。健康的なバックダンサーとは裏腹に、楽曲はシリアスなメロディーや歌い上げる場面も多め。「スマイル・フォー・ミー」や「夏のヒロイン」とは全く違う曲の世界です。
衣装でいうと、ラストで背中につけられた羽根のような生地を広げる場面があります。ただこれはほとんどオマケみたいな物で、ステージは間違いなく高い歌唱力で聴かせる内容でした。表情だけでなく髪型も少し大人っぽい印象、曲のイメージと合わせています。それでもラストの笑顔はとびっきりの表情で、そこは前年・前々年とも共通する愛らしさでした。
その他
この年のオープニングは入場行進の代わりに、ひな壇上の出場歌手が1人ずつ紹介される演出です。「20歳になったのでこの間初めて選挙に行きました河合奈保子さんです!」。ちなみについ先日の12月18日が第37回衆議院議員総選挙、ロッキード事件第一審後で自民党が単独過半数割れの大敗を喫する結果になっています。
自身のステージから間があまり無いため、『ビギン・ザ・ビギン』を歌うショーは不参加です。その後の『紅白俵つみ合戦』には出演、前の年に「お江戸日本橋」を歌った丁稚姿を使い回しています(カツラだけは違うようですが)。また『紅白俵つみ合戦』の前には、榊原郁恵「悲しきクラクション」のステージでダンスの応援に参加しています(山本寛斎デザインの個性的な衣装を着用)。
童謡を歌うコーナーでは、一番最初に「春の小川」を歌いながら登場。早見優・柏原芳恵と手を繋ぎながら、かわいらしい姿を見せています。
第35回(1984年)「唇のプライバシー」
ステージ
作詞:売野雅勇 作曲:筒美京平
前歌手:高田みづえ、千 昌夫
後歌手:西城秀樹、研ナオコ
曲紹介:森 光子(紅組司会)
この年は歌う前に森光子・鈴木健二とのトークがあります。一旦舞台上はセット転換のため暗転、白く大きなドレス姿が一際明るく見えます。
光子「しかし河合奈保子ちゃんは、この紅白にはとても偶然が重なってるんですってね?」
奈保子「えぇ、あの、初出場した時に1番バッターで、そして2回目出場の時は2番目で、そして、3回目に出場の時は3回目に歌ったんです」
光子「そして今年のこの4回目は?」
奈保子「4番目で…」
鈴木「そうするとね、20番目を歌う頃はね、21世紀ということですか?」
光子「うわー!そうですね!」鈴木「若いっていいことですね!」
光子「その若さで歌ってください!はい、どうぞ!」鈴木「どうぞ!」
光子「(イントロ演奏開始)紅組の箱入り娘が歌います。「唇のプライバシー」」
トークの話題になった曲順は偶然とは言え滅多にない事象で、その後も奈保子さんのみが持つ記録になっています。1番手→2番手という事例は田辺靖雄(第14回・第15回)・細川たかし(第26回・第27回)・榊原郁恵(第29回・第30回)・trf(第45回・第46回)・Little Glee Monster(第68回・第69回)とあるのでそこまでレアではありませんが、4番手どころか3番手さえも事例は全くありません。
演奏開始とともに歌手席セットが舞台袖に移動、入れ替えにダンサーが入場します。もっとも全体的に暗めの照明なので、ダンサーの姿が全然目立ちません。カメラも奈保子さんを映すショットがやや多いように見えますが、それ以上に圧巻の歌唱が演出の存在を吹き飛ばしています。原曲よりやや速めのテンポも、歌が持つ迫力に更なる説得力を持たせているようにも感じました。
歌もそうですが、この年は衣装も歴代の紅白歌合戦で初となる仕掛けを施しています。第23回(1972年)の布施明が電飾の薔薇を衣装に仕込んだ例、あるいは第26回(1975年)の沢田研二も衣装に電飾を施していますが、このステージでは間奏の実況で解説も挟まれています。
「胸を飾る、色が変わる弦薔薇には新時代の光通信システムの主役・直径0.5ミリの光ファイバーケーブルが、薔薇1つに450本、全体では12,000本使われています。」
電飾の薔薇は赤・緑・黄色・青と少しずつ切り替わってます。後年の小林幸子みたいな明るさではないので会場の反応は大きくありませんが、1984年に出来る限りの技術を衣装に施しています。この時代の派手な衣装・ステージは小柳ルミ子や小林幸子・沢田研二辺りが定番でしたが、デジタル系の技術を取り入れたのは振り返ってもやはりこの時の奈保子さんが最初ではないかと思われます(光メインのステージは前年のジュリーがド派手な内容でやっていますが)。
衣装・楽曲・歌声全てが最高峰レベルのステージは、個人的に1980年代紅白で5本の指に入るクオリティーではないかと思っています。ただ何より素晴らしいのは「唇のプライバシー」という名曲、この時期セールスは高くないものの「コントロール」「北駅のソリチュード」「ジェラス・トレイン」など難度の高い傑作曲だらけです。そういえば松田聖子や中森明菜に小泉今日子も、この時期は自身のパフォーマンスを楽曲で更に塗り替える状況でした。明菜様の場合、紅白に前後に発表されたシングルは「飾りじゃないのよ涙は」「ミ・アモーレ」です。
その他
「今年一年頑張りました!」「目いっぱい燃えます!」。この年は対戦カードごとに入場して抱負を述べるオープニング、奈保子さんの対戦相手は尊敬する大先輩・西城秀樹でした。HIDEKIの妹オーディションから芸能界入りした奈保子さんにとっては、この年特に思い出に残る紅白だったのではないかと想像します。ヒデキさんの紅白も前編・後編で既に書いた通り名場面だらけですが、彼女のステージも先輩の魂を受け継いでいることが歴代の紅白を見ているとよく分かります。オープニングで登場した際の青いスーツ姿と帽子も、大変似合っています。
2つあるショーコーナー、前半の「豊年こいこい節」は早苗姿でダンスを披露(若手紅組歌手7人と共演)。後半は都はるみや森光子が歌う「祇園小唄」をバックに着物姿で踊ります。他には紅組チームリーダー・水前寺清子「浪花節だよ人生は」にも紅組歌手総出の応援で登場、黄緑・黄色の生地にピンクの帯というカラフルな着物姿のダンスで会場を盛り上げました。
第36回(1985年)「デビュー」
ステージ
作詞:売野雅勇 作曲:林 哲司
前歌手:石川秀美、吉川晃司
後歌手:シブがき隊、テレサ・テン
曲紹介:森 昌子(紅組司会)
紅白歌合戦には様々なハプニングが存在していますが、最も酷い形で巻き込まれたのはやはりこの年の奈保子さんではないかと思われます。「紅組は若さだけではありません。この方の笑顔に敵う物はありません、河合奈保子さん「デビュー」!」、昌子さんの曲紹介までは良かったのですが…。
ステージとステージの間に合間が存在しない演出、初出場の吉川晃司が披露後すぐ入れ替わるという段取りでした。ところがステージ全体を映す画面には、舞台中央前方に陣取るバックバンド・PaPaの2人の姿。吉川さんもまだステージ上に居座っていて、演奏が始まっているにも関わらず奈保子さんが本来の立ち位置に移動できない状況です。
ギターに火をつけ始めた吉川さんですが、「デビュー」の演奏も既に始まっています。やがてイントロから歌い出しのサビに突入しますが、歌えるような状態ではありません。予定通り動けないため不安そうな表情になるポンポンを持ったダンサー、それでも奈保子さんは笑顔をキープしています(もっとも動きや表情は明らかに困惑を隠せない状態でした)。やがて吉川さんを筆頭としたバンドメンバーは立ち去り、本来の立ち位置に移動する奈保子さん。ダンサーもどうすればいいか分からない状況ですが、そこは曲のリズムに乗りながら何度も後ろを向き、彼女たちを勇気づけさせます。
”8月の翼から…”、バックバンドの演奏に合わせて、Aメロから歌い始めます。歌詞テロップも追いついて、Aメロ後半から入る形になりました。こんな劣悪な状況でしたが、最終的には伸びのある歌声で笑顔で歌う奈保子さんは流石プロフェッショナルです。そもそも目の前の状況を見て、歌い出しサビを完全カットするという判断を咄嗟に出来るのが彼女の凄さではないでしょうか。
衣装も前年同様凝っていただけに、大変勿体ないステージになってしまいました。「特殊なインクを使った河合奈保子さんの衣装、温度差で薔薇の衣装が浮かび上がりました」、衣装については歌終わりでテレビ実況の解説が加わっています。
なお吉川さんは当然ながら後に謝罪したそうですが、「もう過ぎたことだから」とあっさり許したようです。NHK出入り禁止になったかどうかは分かりませんが(10年間出入り禁止?、1996年に『ポップジャム』テーマソング担当)、この後の番組内出演は半ば締め出されたような状況でした。またそもそも冒頭でこういった連続ステージにしたことも事が起こった要因なので、次の年以降はしばらく前半・特に初出場で曲紹介の挟まらない続けざまの演出はほとんど見られなくなります。
その他
この年も対戦カードごとの入場ですが、コメントは無くなります。黒いドレスで登場した奈保子さんは少しボリューミーな髪型、プリンセスと紹介されています。
阪神タイガースが優勝してコーナーも組まれましたが、大阪出身ながら奈保子さんは不参加です(アイドルでは柏原芳恵が参加)。彼女と縁が深いのは阪神ではなく阪急ブレーブスで、1988年のシングル「Harbour Light Memories」はなんと阪急電鉄会長・小林公平氏の作詞でした。
この年の紅白に話を戻すと、『澪つくし』のショーでは海女の姿でダンスを披露。アップで映るショットも用意されました。また北極点到達に挑戦の和泉雅子が登場した際に、小泉今日子と一緒に彼女が乗るスノーモービル操作のお手伝いをするシーンもあります。
島倉千代子が「夢飾り」を歌うステージは、紅組歌手多数がダンスで参加する内容でした。奈保子さんは松田聖子やテレサ・テン他と一緒に、手古舞姿に扮しています。エンディングはやや濃いピンク色に、黒淵が入ったドレス姿でした。
第37回(1986年)「ハーフムーン・セレナーデ」
ステージ
作詞:吉元由美 作曲:河合奈保子
前歌手:小林 旭、(中間審査)、近藤真彦
後歌手:大川栄策、川中美幸
曲紹介:斉藤由貴(紅組キャプテン)、目加田頼子(紅組司会)
前半の出演がここまで続きましたが、この年は番組中盤・中間審査直後のステージです。対戦相手の近藤真彦「青春」も直球バラードなので、新境地を見せるアイドル対決という形になりました。また、対戦カードで後攻になるのも実を言うとこの時のみです。「ハーフムーン・セレナーデ」はアルバム『Scarlet』からのシングルカット、シングルカット曲が紅白で披露されるのも当時珍しいことでした。
マッチの歌唱後、舞台転換があるので研ナオコが手品で繋ぎます。赤と白の布からウサギが登場するというマジックと、10年近いキャリアに基づいたコメディエンヌ的話術を披露後ステージに入ります。「来年はうさぎ年ですね。そしてうさぎ年は河合奈保子さんなんです。河合奈保子さん自作の曲です、「ハーフムーン・セレナーデ」、聴いてください」
「アイドルと呼ばれる女の子が、忙しさの中ひとりピアノに向かい、目に映る景色を夢をメロディーに変えてみました。この2年間で書き溜めた曲が100曲、それはその中の1曲です。河合奈保子さん、「ハーフムーン・セレナーデ」」。
スケルトン柄のピアノを弾きながら歌唱、さらに周りには花も敷かれています。この時代ピアノを弾きながら歌う紅白出場歌手はまだ少なく、1986年より前だと小坂明子・森田公一・原田真二の3人しか存在していません(八神純子はキーボードなので除外とします)。また自ら作曲した曲を歌う例は、後年「あなたに逢いたくて~Missing You~」などを歌う松田聖子も該当はしますが、アイドルと呼ばれた歌手に関して言うと前例のないことでした。はっきり言わせて頂くと革命的なことを当時やっているように思うのですが、時代がまだ追いついていなかったのでしょうか当時のセールスは決して高かったとは言えない状況でした。
ヴァイオリンの音に、奈保子さんのピアノが加わる形でイントロが始まります。歌い出しはピアノ以外の音が完全に消えた弾き語り状態です。ピアノを弾きながら歌うのは非常に難しいことですが、奈保子さんはピアノだけでなく歌声の説得力もかなりのもの。全く裏返ることのない高音、音程もバッチリで何より発声に芯が存在しています。10月に発売されたアルバム『Scarlet』は全て彼女の作曲、これ以降の楽曲は大半が彼女が作曲を担当して1993年にはセルフプロデュースまで行う形になりました。
その他
対戦カードごとに登場するオープニング、近藤真彦ともどもカジュアルな衣装です。この組み合わせは初出場以来、5年ぶり2回目となりました。
紅白サバイバルゲーム(ルールは加山雄三の記事を参照)は赤い上下ジャージに鉢巻というスタイルで参加。とは言えヘアスタイルもあるので、鉢巻はリボン代わりにしていました。3番手として登場しますが、あっさりトップバッターの若大将に敗北。このゲームで、加山さんはジャンケンに4連勝しています。
ハーフタイムショーでは歌舞伎「京鹿子娘道成寺」のコーナーで小坊主姿の登場。荻野目洋子や小泉今日子、松原のぶえと一緒に「きいたかきいたか」「きいたぞきいたぞ」とかわいらしく演じていました。エンディングは白い衣装での登場、「蛍の光」では両隣にいた大月みやこと小柳ルミ子が号泣するというシチュエーションでした。
おわりに
残念ながら翌年の紅白は落選、1997年を最後に芸能活動を停止する形になったのでその後の紅白出場はありません。ただファンの熱度は現在も落ちておらず、動画サイトやSNSなどで応援する声も比較的目立っています。むしろその熱の割に、メディアで取り上げられる機会が少なすぎる印象もあるくらいです。
おそらく奈保子さんの活動期に青春時代を過ごしていたとしたら、そのままファンになっていたと思われます。コンサートにも何度も足を運ぶ形になったかもしれません。過去の映像を通しても、美しい声や歌唱力もそうですが、何より人柄の良さが表情から見てもよく分かります。結婚後マイペースで無理に芸能活動を展開しないことからも、そういった部分が伝わります。
活動再開を望む声もあると思いますが、おそらくファンの多くはそういったことよりも元気に日々過ごされることを望んでいるような気がします(私ごときが勝手なことを言うのはおかしな話ですが…)。あらためてお誕生日おめでとうございます。そしてこれからも、奈保子さんの楽曲はずっと聴き続けることになりそうです。
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