紅白歌合戦・岩崎宏美の軌跡~ステージ編(1975~1981)~

第26回(1975年)「ロマンス」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:筒美京平
前歌手:(オープニング)、細川たかし
後歌手:郷ひろみ、南 沙織

曲紹介:佐良直美(紅組司会)

 この年の新人賞は細川たかし「心のこり」と大激戦、双方ともオリコン週間1位・年間トップ10クラスの大ヒットでした。最優秀新人賞争いはどの番組でもバチバチ、ほぼこの2人で分け合う形となっています。レコ大など賞レースを制したのはどちらかというと細川さんの方が多め、ただ最終的なオリコンシングル売上は岩崎さんの方が上です。

 紅白歌合戦でもこの2人の対戦が一番最初に組まれます。両司会の紹介で、まずはセットの後ろから2人揃って登場。応援団長の海原千里・万里が彼女のもとに駆けつけますが、手を繋いだ万里さんが階段でつまづき、岩崎さんも危うく転けそうな場面がありました。

 「あがってますけど、頑張ります」「私もすごいあがってます」、初出場のステージを前にそれぞれコメントを求められます。先攻は細川さんの「心のこり」、演奏が終わるといよいよ岩崎さんのステージです。

 「芸能界始まって以来のスピード出世、今年の4月にデビューしてわずか8ヶ月間に15の音楽賞を受賞いたしました。その新人離れした歌をどうぞ、岩崎宏美さん「ロマンス」!」。イントロに乗せて佐良さんが紹介、他の紅組歌手も一緒に登場して応援します。

 清楚な黒髪に黒いドレスは大変初々しいですが、歌声は『スター誕生!』の時点で既に高く評価されています。デビュー当時のキャッチフレーズは「天まで響け岩崎宏美」とのことですが、歌い出しから新人とは思えない伸びのある声を聴かせています。単純に歌が上手いというだけでなく、声そのものも美しいというのが大きな強みです。

 冒頭は画面から見て左側、後半からはステージ中央での歌唱となります。2番前半がカットという構成、テンポは原曲より僅かに速い程度でしょうか。間奏で花束が渡され、アウトロも少し豪華さを感じさせるアレンジです(原曲はフェイドアウト)。初出場のステージとしてはかなり良い扱いに見えますが、ヒットとパフォーマンスは間違いなくそれに見合う上々の内容です。実際「ロマンス」の次に発売された「センチメンタル」も大ヒットで選抜高校野球の入場曲にも選出、翌年以降の連続出場もこの時点で大きく期待される状況でした。

応援など

 日本レコード大賞会場からの移動は間に合い、オープニングの入場行進にも参加。実況には「フレッシュ16歳の岩崎宏美さん」と紹介されます(11月で既に17歳になっているのですが)。既にトップバッターで歌う時の衣装に着替えている様子です。

 この年の紅組出場は岩崎さんと西川峰子キャンディーズ。「年下の男の子」では赤いウサギと白いアヒルの応援が入りますが、ラストで頭を取ると中には岩崎さんと西川さんが入っているという演出。初出場歌手で固めるステージとなっています。

 前半はしばらくステージ衣装のままで番組に参加します。22時30分頃までは歌手席で応援、山口百恵のステージでは赤い鉢巻を締めて大きな幟を持つ場面もあります。

 その後22時45分には前年から恒例のラインダンスに参加。赤いセクシーな衣装に網タイツです。後年のインタビューではやはり嫌だったと話していますが、梓みちよ小柳ルミ子といった先輩もいる以上そうはいきません。「泣く泣く5~6年は務めさせていただきました(笑)」と回想しています(『紅白50回 栄光と感動の全記録』より)。

 23時頃には赤い法被に着替えて浅草「紅」みこしの方々と神輿を担ぎます。中盤~後半は応援が多くて大忙しでした。17歳ですが、当時は現在のような自主規制もなく普通にエンディング参加。ラストは薄緑色のドレス姿に着替えています。

第27回(1976年)「ファンタジー」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:筒美京平
前歌手:森 昌子、三橋美智也
後歌手:(応援合戦)、三波春夫、藤 圭子

曲紹介:佐良直美(紅組司会)
踊り:スクールメイツ

 アイドル系に限らず若手は当時前半の出演が相場でしたが、この年は2回目出場ながらなんと後半戦トップバッターに大抜擢。対戦相手も19年連続出場の大ベテラン・三波春夫という異例の組み合わせです。出番も紅組歌手が総出演の歌舞伎・道成寺をモチーフにした応援直後、したがって若手の歌手にしては珍しくショーの出演が1つ免除される形になっています。

 「さて、後半戦紅組女性軍はデビュー2年目とは思えない安定した歌唱力と、その伸びのある魅力的な歌声。今後の成長がおおいに期待されます。岩崎宏美さん、「ファンタジー」!」。

 フェイドイン気味に入るイントロに乗せて後方花道から登場、真っ白なユニフォームを着た大勢のスクールメイツが出迎えます。真緑のドレスに、帽子には花の飾りがついています。

 テンポが原曲と比べて相当速いです。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」もそうですが、2コーラス以上歌わせるためにテンポを速くするステージが1976年の紅白には散見されました。このステージもテンポ通りなら2コーラスだったと思われますが、結果的には2コーラス半ほぼフルコーラスという形になりました。これも若手歌手としては異例の待遇、それだけ当時制作側も彼女に期待をかけていたことがよく分かります。

 伸びのある歌声に右手を前に掲げる振付は非常に絵になる姿、デビュー2年目とは全く思えない堂々のステージです。ライブ的にテンポアップはテンションを上げる結果にもなったようで、2コーラス後の間奏では”ヘイ!”と声を出すシーンも見られます。

 3分4秒の長さを間奏とフェイドアウトのみのカットに納めて、演奏時間は2分10秒ほどでした。実質的には1曲で30秒くらい短くするような演奏で、歌う側としては大変です。ただ岩崎さんの場合、この年以降しばらくは毎年のように速いテンポに対応して歌う形となります…。

応援など

 黄色い清楚なドレスでオープニングに登場しますが、早々と着替えさせられます。まずは紅組2番手・西川峰子の応援、水兵姿で手旗信号を披露。

 紅組6番手・司会担当の佐良直美が歌うステージはジーンズスタイルで応援。すぐに赤ブレザー黒スカートに着替えて8番手・桜田淳子「夏にご用心」ではコーラスも担当。既に実力・実績ともに豊富な大先輩、ちあきなおみ由紀さおりが一緒です。その衣装のまま9番手・研ナオコのステージも全員参加のダンス、歌うナオコさんの周りをグルグル回って踊ります。11番手・伊藤咲子「きみ可愛いね」でも太田裕美森昌子キャンディーズとコーラス、1回の紅白で2回もコーラスを担当したのは岩崎さんくらいしかいないのではないかと思われます。

 前述した通り応援合戦は不参加ですが、ラインダンスはしっかり参加させられて?います。あとはエンディングのみですが、この年は後列にいたこともあって「蛍の光」なども全然映りませんでした。

第28回(1977年)「悲恋白書」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:大野克夫
前歌手:高田みづえ、(応援合戦)、野口五郎
後歌手:西城秀樹、キャンディーズ

曲紹介:佐良直美(紅組司会)
踊り:PLバトンチーム

 この年は代表曲にもなっているバラード「思秋期」が大評判、ただ紅白で選曲されたのは「想い出の樹の下で」「熱帯魚」も含む4枚のレコードでも一番売上の低い「悲恋白書」でした。本来なら「思秋期」が一番相応しいところですが、この回は昭和の紅白歌合戦でも特に時間的余裕がありません。バラードなので「思秋期」のテンポアップは難しく、2分前後に納めようとすると1コーラスがやっとです。そうなると良いステージにするには難しく、結果アップテンポの曲でお茶を濁す形になったというのが実情だと思われます。なお「悲恋白書」の作曲は大野克夫、やや想像しにくいですが作詞作曲の組み合わせは沢田研二「勝手にしやがれ」と同様です。

 「なんか白組応援の空手は日本一弱いような空手でございましたね。でもこちらは日本一、正真正銘の日本一のPLバトンチームをバックに岩崎宏美さんが歌います。白組に贈る「悲恋白書」」、曲紹介は岩崎さんの情報ゼロの内容でした。なお白組応援の空手については先日アップした三波春夫先生の記事で書いているので、こちらを参照してください

 曲紹介にある通り、この年は緑のユニフォームを着たPLバトンチームがバックです。岩崎さんは真っ白なドレス、テンポは前回と比べるとそこまで速くありません。爽やかなバックの中、伸び伸びと高らかに笑顔で歌い上げます。間奏では”フゥ!”の声も入り、とても気持ち良さそうです。

 レコ大歌唱賞受賞も影響したでしょうか、構成は1コーラス半でなくしっかり2コーラス確保という形になりました。2分を切るステージも多いこの年ですが、2分36秒の演奏時間を記録しています(ちなみにこの演奏時間を超えたのは僅か4組)。

応援など

 この年は「思秋期」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞。そのため帝国劇場からの移動が発生、オープニングの入場行進には間に合っていません。なお総合司会の相川浩アナが進行する後ろで、同様に歌唱賞受賞の山口百恵が舞台袖から合流していることを確認。同じタイミングで岩崎さんも途中から入場したものと思われます。画面で彼女をようやく確認できたのは、紅組2番手のピンク・レディーを歌手席から応援する姿でした。

 その後紅組4番手・西川峰子の応援では、歌唱曲「ギター流して今晩わ」の歌い出しに合わせた赤いジャンパーとジーンズ姿に変身。八代亜紀山口百恵などと一緒に、ちょっとした踊りも披露しています。自身の歌唱順は紅組6番目、そのため歌う直前にしてはやや忙しい状況です。

 自身のステージで使用した白いドレスは、その後もしばらく着続けます。中盤で参加した紅白連想ゲームは、この衣装のままでした。その後の出演は応援合戦、例のごとくラインダンスです。後半は基本的に歌手席での応援、初出場のステージ衣装に近いデザインの黒い服でした。

第29回(1978年)「シンデレラ・ハネムーン」

ステージ

作詞:阿久 悠 作曲:筒美京平
前歌手:榊原郁恵、郷ひろみ
後歌手:平尾昌晃・畑中葉子、石川さゆり
曲紹介:森 光子(紅組司会)
踊り:スクールメイツ 振付:西条 満

 コロッケのせいで一時期ライブでも歌わなくなったいわく付きの曲ですが、当ホームページでも過去に紅白名言集解説・25~シンデレラ・ハネムーンの謎~という記事を作りました。尋常ではないほど速いテンポの演奏、コンセプトが意味不明の衣装(ダンサー含む)、そもそもなぜ入るのかがよく分からないラストサビの横歩き。1970年代の紅白歌合戦でも特にツッコミどころの多いステージです。

 当然ながらサビの手の動きも極めて速く、これに衣装のヒラヒラまで加わっているので、とにかく右手が忙しそうでした。14回出場した紅白の中でも、歌合わせで特に苦労した回だったかもしれません。

応援など

 「シンデレラ・ハネムーン」も代表曲の一つで、日本レコード大賞金賞を受賞しています。したがって入場行進はこの年も不参加でした。

 この年は歌い終わった直後にも出番があります。岩崎さんの次に歌うのは石川さゆりですが、例のステージ衣装のまま森さんの横で高々と「石川さゆり VS 狩人」と書かれたプラカードを掲出。その後は紋付袴に着替えて、水前寺清子都はるみと一緒にちょっとした殺陣を披露しています。

 ラインダンスは例のごとく参加…だと思われますが、先ほどの殺陣からあまり間がなく顔の映るシーンが他の年と比べても少ないです。この年だけは不参加だったかもしれません。全体的に応援シーンのカメラワークが良くない年で(再放送時は実況もカット)、小柳ルミ子「雨…」の後ろで踊る場面もよく見れば何とか参加していることが分かるという状況でした。エンディングはこの年も後列にいるようで、「蛍の光」で映るシーンは残念なことに一昨年同様全くありません。

第30回(1979年)「万華鏡」

ステージ

作詞:三浦徳子 作曲:馬飼野康二
前歌手:桜田淳子、野口五郎
後歌手:ツイスト、(応援合戦)、大橋純子
曲紹介:水前寺清子(紅組司会)
踊り:ニュー・ホリデー・ガールズ 振付:西条 満

 「さて、今年はですねミュージカルに出演したり、それからニュージーランドの音楽祭に参加したりとても充実した年でした。その成果がこの歌に輝いてます。「万華鏡」、岩崎宏美さんどうぞ!」

 スパンコールを入れた黒いロングドレスは星空のイメージ、紫のリボンを首につけています。ヘアバンドの上に集まった黒い毛は、装着物のようにも実際の髪の毛を固めているようにも見えます。前年のような奇抜さではありませんが、この年も少し衣装が張り切り気味のようです。

 パフォーマンスはこの年マイクスタンドを使用、両手を作ってこの曲ならではの世界観を表現していました。大人っぽい雰囲気のニュー・ホリデー・ガールズ4名の踊りも、ステージに彩りを添えています。

 このステージも演奏テンポは原曲より速め、ゆったりしたバラード調の楽曲がそこそこのアップテンポに変化する状況でした。1コーラス半の構成、フェイドアウトだったラストは電子音のような演奏が入った後に”あなた”の歌唱で締める形となっています。

応援など

 「万華鏡」もレコ大金賞受賞曲ですが、この年は移動の時間が早まったのでしょうか入場行進から参加しています。大賞受賞のジュディ・オングと最優秀歌唱賞の小林幸子のみが不参加でした。

 水色のドレスには光沢の生地もあるようで、遠くからでも比較的目立っています。その衣装のまま、紅組2番手榊原郁恵のステージではマラカスの演奏に参加。

 ラインダンスはシルクハットと黒スーツ着用で、初期と比べると少し露出度は下がりました。それ以降は目立つシーンやや少なめ、美空ひばりの歌唱時にようやく白ドレス姿が映る状況です。この年の紅組優勝シーンは歴代でも特に大盛り上がりの名場面でしたが、エンディングはまたほぼ映っていません。

第31回(1980年)「摩天楼」

ステージ

作詞:松本 隆 作曲:浜田金吾
前歌手:岩崎良美、沢田研二
後歌手:クリスタルキング、八神純子
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 歌前トークあり、ニューヨークから日野皓正の応援が入ります。衛星中継のようなやり取りですが、マンハッタンを見渡せるリバーカフェからの中継は明らかな事前録画です。コメントの後に間髪入れず日野さんのトランペット演奏、そこから「摩天楼」の演奏に入る演出でした。

 さて、この年もマイクスタンドを使用するステージです。白いドレスと少し濃い目のメイクで、体を使いながら熱唱します。6回目の出場となると、多少デビュー当時にはなかった色気も加わっているように見えました。

 ただテンポはまたしても相当な速さです。「摩天楼」に限らず「青い珊瑚礁」「哀愁でいと」「ROBOT」「ハートで勝負」など、この年は原曲もビックリの超高速演奏が前半に続出しました。そんな前半各6組の締めが「摩天楼」、したがってこのステージはその総本山のようにも見える内容です。

 直後に多くの歌手が出演する応援合戦が組まれたので、真後ろの歌手席にはほとんど人がいません。それを埋めるようにチアダンサーとロス・インディオスの男性メンバーがポンポンを振りながら応援していますが、曲とはかなりミスマッチの感がありました。なおダンサーの横では、水前寺清子が真横で一緒の動きをして楽しんでいる様子です。

 1980年のシングルは「摩天楼」に限らず「スローな愛がいいわ」「女優」など、高い売上でないものの女性的な魅力に満ちた名曲が多い年でした。こういった楽曲が、次年度以降の活動に繋がったのは間違いありません。

応援など

 入場行進は不参加、ただ五木ひろし小林幸子など他のレコ大出演組は参加しています。この年は何と言っても岩崎良美との姉妹共演ですが、ここは最初から一緒に出てくるのは勿体ないという現場の判断もあったでしょうか。なお良美さんは赤いドレスで参加、親衛隊の”ヨシリーン!”コールがスタインソングに合わせてずっと響き渡っていました。なおオープニングの途中から白いドレス姿で合流、単純に1台だけ移動がうまくいかなかっただけなのかもしれません(隣にいるレコ大出場の五輪真弓も入場行進は不参加でした)。

 当然、岩崎良美の曲紹介には一緒に登場します。「双子じゃなくてご兄弟で紅白にバラバラでお出になるのは史上初めてのこと」と徹子さんがアナウンス。お互いヒロリン、ヨシリンと呼び合っていますというトークから「あなた色のマノン」のステージに入りました。エスコートしたのはもちろん姉のヒロリン、すぐ後の歌唱順なのでメイクは仕上がっていますが服は直後に着替えています。ヨシリンさんの出場は意外にもデビュー年のこの時のみ、1985年の「タッチ」で出ていないのは今考えると非常に不思議です。

 応援合戦は松づくしがステージ直後だったので出演免除、フレンチカンカンは参加。後半以降は白シャツに黒い光り物のスカート、この年は白で衣装を合わせているようです。

第32回(1981年)「すみれ色の涙」

ステージ

作詞:万里村ゆき子 作曲:小田啓義
前歌手:石川さゆり、野口五郎
後歌手:新沼謙治、小林幸子
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 1968年のジャッキー吉川とブルー・コメッツ「こころの虹」B面に収録された楽曲が、この年ロングセラーを記録。前回は妹の共演が話題になりましたが、「すみれ色の涙」のカバーは姉が持っていた原曲のレコードを持参したことがきっかけだったらしいです。この年日本レコード大賞の最優秀歌唱賞、演歌勢が選出されることの多い中で非常に価値のある受賞となりました。曲順もラスト6組以内に入る終盤ブロック、1970年代でいうといよいよちあきなおみ由紀さおりに近い位置づけの歌手になったという所でしょうか(あくまで曲順だけを見ての話です)。

 「岩崎宏美さん、天まで届く声というキャッチフレーズがデビューの時でした。「すみれ色の涙」お願い致しましょう。今年の8月6日、原爆の日に広島でコンサート。戦争を知らない年代だけど本当の意味での平和を願いました」。徹子さんの曲紹介は若干歌い出しと被っています。なおこの日は『ザ・ベストテン』にも広島から中継で出演、言うまでもなく徹子さんは番組司会者としてこの場に立ち合っています。

 スピーカーに差し込まれたコードマイクの線を持ちながら、丁寧に気持ちを込めて歌います。黒地のドレスに白い襟周りは、初出場を果たした6年前のステージを彷彿とさせています。第28回の冒頭も似たデザインなので、おそらく本人もお気に入りではないかと思われます。

 間奏では歌手席で応援する出場歌手のショット、観客席からは男性だけでなく女性からも名前がコールされます。2番に入り、少し上を見上げましたが直後涙声になります。この年は初出場の石川ひとみが号泣するハプニングもあったので、間もなく徹子さんを筆頭に紅組歌手がステージに舞台へ集まります。

 涙声になりながらも歌えなくなる場面は一切無く、なんとか2コーラス歌い切りました。”そしてひとつぶ すみれ色の涙”、ラストの歌と同時に右眼からこぼれ落ちる涙は本当に一粒。これは紅白歌合戦の番組史に残る奇跡の一つとして、後年にまで語られています。

 「どうもありがとうございました…」、挨拶後、横にいた徹子さんが頬を撫でて祝福。入れ替えでステージに登場したのは新沼謙治、引きの映像では歌手席に戻って両目を手で拭く岩崎さんが映っていました。終盤の曲順なので、以降はエンディングまでこの服装のまま出演しています。

応援など

 紅組歌手全員が赤いブレザーで登場するオープニングですが、レコ大最優秀歌唱賞受賞に伴う移動のため入場行進は不参加でした。もっともこの当時のオープニングは入場・優勝旗返還・審査員紹介・選手宣誓と合わせて約8分、トップバッター・河合奈保子の応援にはさすがに間に合って合流しています(ただ立ち位置はあいうえお順でなく榊原郁恵島倉千代子の間でした)。近藤真彦が歌っている間に急いで着替えた後は、またまた黒い生地に白い襟周りのドレス姿。首周りが少し違うだけで、ステージとほぼ同じデザインでした。

 この年から紅組白組合同のハーフタイムショーが組まれるようになります。記念すべき第1弾はこの年にヒットした「愛のコリーダ」日本語詞を踊り歌うショー、その歌い出しを担当しています。

 なお「すみれ色の涙」の涙ですが、レコ大最優秀歌唱賞受賞に感激したことが理由だと長年言われていました。ただRe:minderで濱口英樹さんが記した記事によると実情は違うらしいです。これについては直接記事をご覧ください。カバーに至る事情も含めて、詳しく解説されています。

 

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