紅白歌合戦・高田みづえの軌跡

 紅白歌合戦の歴代ステージを振り返るシリーズ、今回は高田みづえについて書きます。

 昨年サブスク解禁のタイミングで特集記事を作りました。今回は引退後に結婚した元大関の若嶋津関、前二所ノ関親方が定年を迎えたということで記事にした形です。結婚後大関は間もなく引退、その後独立して松ヶ根部屋(2014年~は二所ノ関部屋)を創設。2021年12月に放駒親方(元関脇・玉乃島)へ継承するまで、みづえさんは女将さんとして長年部屋を支えてきました。

 歌手としては1977年~1984年まで7回紅白歌合戦に出場、楽曲の良さや高い歌唱力は勿論ですが、全員集合をはじめとするバラエティ・コント番組などの活躍も目立っていました。ただデータはカバー曲の多さを除くとそこまで特筆すべき事項がないので、今回は最初に表を作った後に各ステージの内容紹介という形にします。

高田みづえの紅白データ~7回分のまとめ

出場回
年齢
歌唱曲作詞者
作曲者
発売日曲順主なデータ主な受賞他の発売曲
第28回
(1977年)
17歳
硝子坂島 武実
宇崎竜童
1977/3/25紅組5番手/24組中1977年オリコン年間36位・日本レコード大賞新人賞
・その他新人賞多数
・だけど…
・ビードロ恋細工
第29回
(1978年)
18歳
花しぐれ松本 隆
都倉俊一
1978/3/5紅組12番手/24組中1978年オリコン年間75位・パープル・シャドウ
・女ともだち
第31回
(1980年)
20歳
私はピアノ桑田佳祐
桑田佳祐
1980/7/25紅組4番手/23組中1980年オリコン年間33位・日本レコード大賞金賞
・日本歌謡大賞放送音楽賞
・どうして私を愛したのですか
第32回
(1981年)
21歳
涙のジルバ松宮恭子
松宮恭子
1981/7/5紅組4番手/22組中1981年オリコン年間139位・日本テレビ音楽祭グランプリ候補賞・夢伝説<ペルシャン・ブルー>
第33回
(1982年)
22歳
ガラスの花谷村新司
谷村新司
1982/9/10紅組4番手/22組中1982年オリコン年間191位・愛の終りに
第34回
(1983年)
23歳
そんなヒロシに騙されて桑田佳祐
桑田佳祐
1983/8/21紅組12番手/21組中1983年オリコン年間45位・日本レコード大賞金賞・純愛さがし
・蒼いパリッシュ
第35回
(1984年)
24歳
秋冬中山丈二
堀江童子
1984/1/1紅組3番手/20組中1984年オリコン年間100位・原宿メモリー
・かげふみ

第28回(1977年)「硝子坂」

作詞:島 武実 作曲:宇崎竜童
前歌手:西川峰子、清水健太郎
後歌手:野口五郎、岩崎宏美

曲紹介:佐良直美(紅組司会)、中村メイコ(紅組応援団長)

 この年の音楽祭で新人賞を数多く受賞した、デビュー曲かつ代表曲。紅白歌合戦にも早々に選出されます。ただこの曲は木之内みどりとの競作で、楽曲の発表もそちらの方が実は1ヶ月先でした。初出場の対戦相手は、この年熾烈な最優秀新人賞争いを繰り広げた清水健太郎「失恋レストラン」。この年は若手の初出場歌手が多く、清水さんは1976年11月にデビュー。「あずさ2号」の狩人に至っては同じ日のデビューでした。同日デビューの新人アーティストが揃って初出場を達成するのは、紅白歌合戦史上でも非常に珍しい記録です。

 歌唱前に鹿児島の祖母から、初出場を祝うメッセージ録音が流れます。前年に岩手県大船渡市から初出場した新沼謙治で取り入れられた演出が、この回でも使われる形になりました。応援団長を務めるメイコさんと佐良さんが温かい雰囲気で進行、ステージまでは当時最多記録保持者の島倉千代子が手をひきます。

 17歳の若さですが、非常に堂々とした歌唱を披露しました。演奏も超高速アレンジが頻出したこの年にしては原曲に近いテンポで、歌いやすい環境でもあります。2番からは先輩の紅組歌手が後ろに登場、薩摩大根を持ちながら一緒に応援します。大根には「みづえがんばれ」と1文字ずつ赤い文字で描かれていました。

 歌唱時の衣装は少しクリームがかかったような白地、それ以外は水色のドレスで、至って清楚です。あとはこの時期の紅組恒例、ラインダンスにもしっかり参加しています。

第29回(1978年)「花しぐれ」

作詞:松本 隆 作曲:都倉俊一
前歌手:中原理恵、細川たかし
後歌手:千 昌夫、和田アキ子
曲紹介:森 光子(紅組司会)

 あくまで自分のイメージですが、1970年代の彼女はアイドルと実力派歌手の中間という位置づけでした。この年の出場歌手だと、岩崎宏美太田裕美榊原郁恵辺りと近い印象です。ちなみに榊原さんとは同年デビューで、当初は清水由貴子とともにフレッシュ三人娘と呼ばれていたようです。ただ1978年の後半くらいになると、誰もそう呼ばなくなったとか…。

 というわけでこの年は中盤での登場でした。曲名が「花しぐれ」ということで、日本航空のスチュワーデスが大量の花束や花輪を森さんにプレゼント。その中で曲紹介しますが、とにかく贈呈された花の量が多く、「なんとしてでも持ちます」とコメントする状況でした。

 終始ポンポンと傘を持ったダンサー(PLレザンジュ)の踊りが入るステージです。薄いピンクの生地に花をあしらったドレスと歌詞に即した振付、小道具も赤に白に黄色と大変カラフルです。アップテンポの曲なので生演奏のリズムは原曲よりやや速め、ただこの回も幸い曲調が変わるほどのハイスピードではありません。アイドルらしさに満ちた内容ですが、ラストのロングトーンもなかなかの聴きどころでした。

 歌唱時以外はこの年赤い衣装を着用。前回同様ラインダンスにも参加しています。また佐良直美のステージでは他の紅組歌手と一緒にコーラスも務めました。

第31回(1980年)「私はピアノ」

作詞・作曲:桑田佳祐
前歌手:石野真子、海援隊
後歌手:西城秀樹岩崎良美
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 前年は「潮騒のメロディー」がロングヒットを記録しましたが、その前の「ドリーム・オン・ドリーム」「青春Ⅱ」がヒットしなかったことが響いたのか惜しくも落選。この年はヒット曲多数で特に層が厚く、涙を飲む形になりました。

 ただこの年は「私はピアノ」が大ヒットして無事返り咲きとなります。対戦相手の海援隊も「贈る言葉」のヒットによる6年ぶりの紅白復帰でした。ちなみに「私はピアノ」は桑田佳祐の楽曲提供とよく言われていますが、アルバム『タイニイ・バブルス』収録の方が早いので実際にはカバーです。また元々は弘田三枝子が歌う予定の曲でした。この時期は中村晃子「恋の綱わたり」や黛ジュン「男はみんな華になれ」など1960年代デビュー組が久々のヒットを記録するケースが続出、もし弘田さんが歌っていれば歌謡史が大きく変わっていた可能性もあります。

 この年『ザ・ベストテン』で何度も共演した紅組司会・徹子さんとの歌前トーク。同年に祖父が亡くなられたということで、天国に届くように歌いたいとコメントします。イントロで「潮騒のメロディー」の連弾ピアノ演奏を太田裕美八神純子が担当しますが、徹子さんが「八代さんと…」と名前を間違えるハプニング。すかさず「八神純子ちゃんです」と訂正するみづえさん、緊張しているとは思いますが落ち着いてます。

 そのハプニングに動揺したのでしょうか、連弾の演奏は明らかに間違えていると思われる箇所がいくつかありました。とは言え落選した前年のヒット曲をイントロで追加するのは極めて異例で、粋な演出です。その後に「私はピアノ」の演奏に入ると、会場から大きな拍手が起こりました。

 この年はステージの後ろに歌手席が設けられている形ですが、「別れても好きな人」で初出場するロス・インディオスもポンポンを持ちながらリズムを取っています。あまり曲と合っていないような気もしましたが、スタッフから見てもその印象はあったかもしれません。翌年は常設の歌手席撤廃など、舞台が大きく変革します。

 なおラインダンスは前年限りで廃止、この年の紅組パフォーマンスはフレンチカンカンに参加しました。ただ運動量はこちらの方がはるかに多かったようです。また水前寺清子「三百六十五歩のマーチ」のステージにも、他の紅組歌手3名とともにチアリーダーのパフォーマンスを披露していました。

第32回(1981年)「涙のジルバ」

作詞・作曲:松宮恭子
前歌手:松村和子、山本譲二
後歌手:郷ひろみ、松田聖子
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 前半立て続けのステージの一つとして登場、インターバル無しで早々にイントロ演奏+曲紹介でした。この年も弟が事故で大怪我というアナウンス、病院を九州から東京に変えてもらったのだそうです。

 ”バイビー”の手の振付が特徴的な楽曲です。比較的清楚な衣装が続いていましたが、この年は青色の生地に緑の葉の形をしたスパンコール入りの装飾つき、化粧もやや濃い目。例年よりやや派手です。個人的にはもっとヒットしても不思議ではない好きな曲ですが、テンポも原曲よりかなり速めでやや走り気味な内容でした。

 この年はオープニングで赤色のブレザー、紅白玉入れ合戦でジャージ姿、さらに応援合戦で黒の和服姿を見ることが出来ます。紅勝て白勝ての応援合戦は減りましたが紅白合同のショーコーナーは大幅増加、踊りの披露もあるので事前練習はかなり多くなっています。視聴者的には様々な姿を見ることが出来るのでプラスですが、出場歌手にとっては大変そうです。

第33回(1982年)「ガラスの花」

作詞・作曲:谷村新司
前歌手:あみん、近藤真彦
後歌手:西城秀樹、松田聖子
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 谷村新司が作った曲が紅白歌合戦で披露されたのはこれが初でした。本人の紅白出場は第38回(1987年)以降、「いい日旅立ち」の初歌唱は第41回(1990年)、アリスとしては再結成された第51回(2000年)が初出場でした。

 この年は冒頭の演出が特徴的です。近藤真彦がエネルギッシュに「ホレたぜ!乾杯」を歌った後、ステージ中央のスポットライトが下手側後ろに移動します。ライトは舞台上の紅組歌手席のみづえさんを照らし、演奏が開始するとともに暗転の中舞台中央に移動。ほんの10秒で大勢いたダンサーが撤収、さらにセット転換も行われました。歌い出しでホールが明るくなり、聴かせるステージが始まります。

 不倫をテーマにした楽曲ということで、舞台は派手な演出もなく非常にシンプルです。衣装は花をあしらった水色のスーツ姿で、地味とまでは言いませんがこちらもシンプル。2コーラスの熱唱でした。白組歌手が歌う前後のステージが盛り上がる曲なので、余計に異彩を放っています。

 企画コーナーはビートルズ・メドレー、デュエットソングショーと和をテーマにしたハーフタイムショーに参加。紅組歌手全員で「お江戸日本橋」を踊る舞台では、松田聖子河合奈保子榊原郁恵とともに丁稚姿に扮しています。またこの年のエンディングは初めて着物姿での参加となりました。

第34回(1983年)「そんなヒロシに騙されて」

作詞・作曲:桑田佳祐
前歌手:中森明菜、近藤真彦
後歌手:
山本譲二、杏里
曲紹介:黒柳徹子(紅組司会)

 前年同様マッチのステージから立て続けに登場する形になりました。この年はサザンオールスターズも登場していますが、前年の研ナオコ「夏をあきらめて」のようなサザンの後に歌う曲順にはなっていません。「私はピアノ」と同様この曲も大ヒットしましたが、楽曲提供ではなく『綺麗』収録曲のカバーであることも同じです。

 赤いスパンコールの上着と黒いスカートの衣装です。この年はエプロンステージが設けられていて、そこの最前中央で歌う形でした。大ヒット曲の割には前後インターバル全く無しの立て続け、さらにテンポも原曲よりやや速め。色気のある歌唱はますます磨きがかかっているといったところですが、若干扱いの悪さが否めない印象もあります。

 この年のショーコーナーは「ビギン・ザ・ビギン」「紅白俵つみ合戦」「日本の童謡メドレー」。俵つみ合戦では前年と同様丁稚姿になっています。「日本の童謡メドレー」では「おぼろ月夜」を披露、落ち着きのある歌声が素晴らしかったです。

第35回(1984年)「秋冬」

作詞:中山丈二 作曲:堀江童子
前歌手:堀ちえみ、舘ひろし
後歌手:千 昌夫、河合奈保子
曲紹介:森 光子(紅組司会)

 まずは「秋冬」についてですが、この曲は原大輔や三ツ木清隆などの競作でヒットした曲でした。当時は「氷雨」「浪花節だよ人生は」など、競作のヒットが多く発生した時期でもあります。

 デビュー前に地元で新聞配達をしていた際にお世話になった販売店の人から方言で電報が届き、「今年の紅白は、みづえちゃんにとってきっと忘れられないステージになると思います」と曲紹介。当時大関だった若嶋津関との婚約発表は翌年の2月でしたが、もしかすると森さんには内々にその意向を面談で伝えていたのかもしれません。

 いずれにしてもこの年が最後の紅白になること、芸能界を引退することは既に視野に入れていたようで、冒頭からやや音程が上ずっています。既に目の奥には涙が溢れていて、歌うのに精一杯という状況でした。2コーラス歌唱、ラストサビでは完全に涙が溢れ出ていますが、なんとか歌い切ります。別れをテーマにした楽曲なので、余計に胸にくるものがあったのではないかと思われます。森さんやチータなどがみづえさんの元に駆け寄る姿は、非常に感動的でした。直後に派手な腹巻きをして颯爽と登場した千昌夫が、その雰囲気を台無しにしましたが(笑)。

 この年はいわゆる都はるみ引退紅白ですが、みづえさんにとってもラスト紅白です。それか原因かどうかは分からないですが、ショーコーナーやエンディングでは例年よりもやや目立たない位置に終始しました。後半の歌手席では、黒い柄付きの着物を身に着けた彼女が確認できます。

おわりに

 本文で書いた通り1985年2月に同じ鹿児島県出身の若嶋津関と結婚、1985年6月に芸能界を引退します。若嶋津関は1987年に引退、1990年に二子山部屋から独立。以降は30年近くほぼ女将業に専念しました。それでも随時インタビュー取材などはあり、子育てが落ち着いた2015年には31年ぶりのNHK歌番組となった『思い出のメロディー』出演が話題になっています。打ち上げなどで定期的に歌っていることは容易に想像できることと、発声の基礎がやはりしっかりしているので、久々の歌唱も大きな衰えなく素晴らしい内容だったことをよく憶えています。

 歌手の世界でもヒット曲多数だった大関の増位山太志郎は定年後完全に歌手活動にシフトしていますが、女将業が落ち着いたみづえさんは現在のところ今後の活動は未定のようです。とは言え親方は再雇用で角界に残り、2017年に大病を患っているので本格的な歌手復帰はないような気がしますが…。ただ芸能界とは全く違う独特の社会である角界で立派に仕事を全うしたのは、大変素晴らしいことでまずはお疲れ様でしたと声をかけたいです。それと同時に、女将さんになる前のみづえさんも素晴らしい歌手であったことを、あらためて伝えていきたいところです。

 

 

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